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5.消失論

 
 5.消失論


『人類は、なぜ尻尾を失くしたのか?』

 この問いに対するはっきりとした答えは未だに出ていない。


 一般的には二足歩行するのに必要がなくなったからだとか、
 座るときに邪魔になるためだとかの説がある。

 


 だが本当にそうだろうか? 
 もし今、自由に使える尻尾があったとしたら、
 あなたは欲しいと思わないだろうか?

 


 猿が木に尾を巻きつけて体を支えるように、
 人も高所での作業がより安全になるかもしれない。

 各種スポーツでの身体能力や技術の発展の可能性も、
 新たに発見されるかもしれない。

 そこまで特別なものでなくとも、

 ちょっと離れたところにある物を取り寄せる、
 両手がふさがっている時に物を支えるなど、
 日常での使用法はいくらでもありそうだ。

 


 尻尾があることで他の捕食動物に捕まる確率があがる心配も

 ほぼない現代では、プラス面のほうが遥かに多いと思われる。

 

 


 そういうわけで実際に

 尻尾を着けてみる実験が行われることになった。

 


 以前、脳波で動く高品質なオモチャの猫耳や尻尾が開発されたが、
 それを実際の動物たちの能力と同じレベルまでに強化したものだ。

 感度も柔軟性も強度も、既存のどの製品とも比べ物にならない。
 これは現代の科学と生物学の最高の技術と叡智を結集した
 人類の進化と退化を検証する実験なのだ。

 


 まず、尻尾のタイプだが、これはやはり種族の近い、
 猿の尾を基本にすることとなった。

 


 オランウータンなどの類人猿タイプの猿は
 どれも尾が退化して外見上は存在しないが、
 介護猿として期待されるフサオマキザルなどのように、
 両手で道具を使う知能の高い猿でも尾のあるものもいる。

 またジェフロイクモザルのように、
 尾の内側に尾紋という毛のない敏感なパッドを持ったものもいる。

 彼らはその尻尾を木に巻きつけて移動時に体重を支えたり、
 ピーナッツなどの細かな物まで掴んだりできる。

 それは『五本目の肢』と呼ばれている。

 


 このように体重を支え、細かな物も掴め、
 犬や猫のように尻尾の振り方によって
 感情を伝える機能も盛り込んだ人工尻尾が完成した。


 まずは政府が選んだ会社やスポーツ団体などに配布し、
 あらゆる場面で尻尾がどのように役立つかが

 検証されることになった。


 一般的な会社員の場合、

 最初に力を発揮したのは電車通勤の時だった。

 
 満員電車の中でも尻尾を伸ばすことによって
 やや遠くの手すりに捕まることができた。

 人によっては思わず網棚に尻尾を伸ばし、
 思わず自分の体ごと網棚に巻き上げてしまった場合もあった。

 最初は周囲の羨望とも軽蔑とも取れる視線に

 恥じ入ってしまっていたが、周囲に事情を説明してくれる

 実験の監視員も何人か配置されていたため、

 そういう光景も次第に落ち着いて見られるようになった。

 こうして尻尾のある会社員たちは、網棚の上で寝そべって、
 軽い優越感と共に通勤するようになった。

 


 スポーツで役立ったのはやはり、
 サッカーなどの球技や体操の場面でだった。

 サッカー選手はまさにもう一本の足という感じで、
 これまででは考えられないほど優雅でトリッキーな

 ボール運びを披露し、観客も熱狂した。

 ゴールキーパーは、尻尾でボールを叩き落とすことはもとより、
 例え体がフェイント方向に反応してしまっても、
 瞬間的にゴールポスト上部に尻尾を巻きつけることにより、
 四隅のどこへでも飛ぶように移動してボールを弾いてしまう。

 鉄棒などの体操競技でも両手を離しての大車輪など、
 新たな技が続々と開発された。

 


 日常生活では両手が塞がっていても階段の手すりに掴まれるだとか、
 食べ物で両手がベタベタに汚れている時に

 尻尾でティッシュが取れるだとか、
 大きなことから小さなことまで便利なことだらけだった。

 


 しかし、しばらく経つと、
 被験者のほとんどは自ら尻尾を取り外してしまった。

 


 サッカーでは狙っているゴールの方向や
 パスする相手に尻尾が向いてしまい、考えが読まれてしまう。


 会社では嫌な上司の前では尻尾がだらんと下がってしまうし、
 可愛い女子社員の前ではブンブンと元気よく振ってしまう。

 家庭では奥さんの手料理よりも

 インスタントラーメンを食べている時のほうが
 尻尾が喜びとリラックスを表していたりする。

 みんなだんだんと、

 尻尾に感情が現れないように集中するようになった。

 そして結局、尻尾がないほうが楽だと気がついてしまったのだ。

 人間は、身体的な自由よりも、心の自由を選んだのかもしれない。

 


 報告と結論。



『人類は、嘘をつくために自ら尻尾を切り落とした』。

 

 

 

〈了〉

 

 


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6.優しい人

 

 
 6.優しい人


 僕は光《ひかり》さんが本当は優しい人だということを知っている。    

 最初に会社の外で彼女を見たのは、

 東京のある大きな駅でのことだった。


 通勤途中で乗り換える人の多いその駅では、
 その日の朝も皆、自分が乗る電車のホームに急いでいた。

 その駅の壁際に一人、

 苦しそうにうずくまっているホームレスの男性がいた。

 
 悲しいことだがそう珍しいことではない。

 誰もが見て見ぬふりをするか、駅員がなんとかしてくれるだろうと、
 ちらりと横目で確認はするものの、足早に通り過ぎていった。
 
 かくいう僕もその一人だった。

 その日は遅刻しそうだったのもあり、

 正直に言えば関わるのが怖かったのだ。

 もし病気でもなんでもなく、
 親切心を出したばかりに因縁でもつけられたら厄介だ。
 もし本当に酷い病気なら、誰かが救急車を呼んでくれるだろう。
 
 そう思いながら通りすぎようとした時、
 人の群れの中から光さんが飛び出してきた。
 
 光さんは迷うことなく男性のそばに膝をつくと、
 覗き込むように容態を確認し、電話をかけはじめた。

 たぶん救急車を呼んだのだろう。
 その姿は一瞬、神々しいほど美しく見え、

 僕は思わず立ち尽くしていた。
 
 だがそれも後ろを歩く人たちに押しやられるまでのことだった。
 我に返った僕は、乗り継ぎの電車へと向かってその場を立ち去った。
 

 会社に着くと、僕はさっそく同僚たちにその話をした。
 するとみんな信じられないといった顔で一笑に付した。

 無理もない、影野光さんのあだ名は『影子さん』。

 ものすごい美人なのだが、ほとんど笑わず、
 仕事の要件以外は誰とも何も話さない。
 

 見た目は綺麗だが、

 心は冷たい人だというのが僕ら同期の間での常識だった。
 

 その日だいぶ遅れて出社することになった彼女は、
 いつもどおりクールな様子で、

 遅刻の理由を上司にのみ淡々と述べていた。
 
 これもよくある話かもしれないが、
 このギャップのある彼女に僕は恋をしてしまった。
 

 僕は影子さん、いや光さんに猛アタックを開始した。
 最初はもちろん、まったくと言っていいほど相手にされなかった。
 
 昼飯時に話しかけてみたり、帰りの電車の方向も同じなのだからと
 会社終わりに飲みに行きませんか、などと誘ってみたのだが、

 すげなく断られた。

 姿勢正しく真っ直ぐ前を向いたまま、表情を全く変えずに
「他人に関わりたくないの」との一点張りだった。

 ちらりとこちらを見ることも稀なほどだ。

 正直、何度か挫けそうになった。
 

 それでも諦めなければ縁はできるものなのか、
 帰り道や街中で彼女を見かけることも増えてきた。
 こっそりと観察していると、

 彼女はやはり優しい人だという確信に行き着いた。
 

 ある時は偶然居合わせた交通事故現場で

 運ばれる被害者の救急車にまで付き添い、
 またある時は夜の繁華街で酔いつぶれた女性を介抱していたりと、
 僕が彼女を見かける時は、

 とにかく献身的に人を救っていることが多かった。

 日の光や街灯の下に輝く美しく長い黒髪。
 それが地面につくのも厭わず他人を救おうとしている姿は、
 まさに天使のようだった。
 

 僕はますます彼女に夢中になった。
 他人に関わりたくないなんて言っておきながら、
 困っている人を見捨てられない、

 奥ゆかしい彼女の役にも立ちたかった。

 僕はその事も彼女に伝えることにした。
 僕だけは彼女の本当の姿を知っている、隠さないで欲しいと。
 

 そんな風に彼女にアプローチをはじめてから3ヶ月ほどたった頃、
 彼女の様子が目に見えて変化した。

 一緒に夕食を食べたり、

 時々は飲みに付き合ってくれるようにもなった。

 
 ようやく僕の気持ちが彼女に届いたのかもしれない。
 二人だけの時、彼女は優しかった。
 
 ある夜の食事中、

 僕はなぜ赤の他人にそんなに優しいのかと尋ねてみた。
 すると彼女は、少し戸惑って、うつ向きながらこう答えた。
 
「……誰にでも優しいわけじゃないわ」
  ただ、と僕の手のグラスを見ながら続けた。
 
「これから死んでしまう人には、優しくしようと決めているの」
 
 僕は最初、怪我や病気をしている人に対して、
 という意味で言っているのかと思った。
 だが彼女によると、そうではないらしい。
 

 彼女は幼い頃から、まもなく死ぬ人間が判別できたらしい。
 これから亡くなる人間の“影”が、彼女の目には映らないというのだ。


「だから、あまり人と関わらないようにしているの。
 親しい人の死は知りたくないから」

 そう言って彼女は席を立った。
 
 僕は彼女に、どうしても聞く勇気が持てなかった。
 なぜ突然僕に優しくしてくれるようになったのか、と。            

 

 

 

 〈了〉

 


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7.続・優しい人

 

 7.続・優しい人

 


 私は、荒木太陽がものすごく、

 しつっこい男だということを知っている。

 ついでに言えば、何事もなければ、
 彼があと70年はピンピン元気で生きていくだろうことも知っている。

 私には他人の寿命が”影の濃さ”で見えるのだ。

 

 最初にこの能力に気が付いたのは小学校3年生の時だった。

 放課後、校庭で”影踏み鬼”の遊びをしていた時のことだ。

 その時のルールは、みんなで一斉に鬼にも逃げる側にもなるもので、
 私はみんなと同じように無邪気に何人かの影を踏んでいた。

 そのうち一人の女の子に、影がないことに気が付いた。

 当時の私はただ単純に、

「最初から影がないなんてずるい!」と思い、
 そのままそういうことを彼女に伝えてしまったんだと思う。

 何かの冗談かと思われたようで、

 その子と話しているうちに他の誰かが
 彼女の影があると思われる位置を踏んで、

 その時の影踏みは終わった。

 それでも私が食い下がってみんなに訴えていると、
 そんな私がだんだんと気味が悪くなってきたようで、
 クラスメートたちはランドセルをしょって
 ばらばらと校門を飛び出して行った。

 取り残された私は、真っ赤な夕日を浴びて

 トボトボと一人で家に帰った。
 あの時のみじめな気持はよく覚えている。

 
 翌日のことだった、緊急で朝、全校集会が開かれ、
 前日影のなかったあの子が、帰り道に自動車に轢かれて
 亡くなったことを教えられたのは。

 田舎の小さな小学校だったから、クラスは一つきり。
 それから地元から少し離れた私立の中学校に入るまで、
 私は彼女を呪い殺した妖怪みたいな目で見られ続けた。

 そう、これからすぐに亡くなる人間の影は、
 私の目には映らないのだ。

 

 そんな小学校の時の経験以来私は、人と積極的に関わらなくなった。

 日々誰かと仲良くしていればどうしたって相手の影は目につく。


 ふとした瞬間に誰かの影が昨日よりも

 薄いことに気が付いてしまったら、
 もう平常心でその人とは関われない。

 私だって最初は、中学や高校のクラスメートや教師などで、
 死の前兆に気が付いた人間には、それとなく注意喚起をしてみたり、
 悩みがあるなら相談にのるからと訴えてみたり、
 健康診断を勧めたりしてみた。

 すると当たり前だが気味悪がられて、距離を置かれた。

 そしてその後しばらくして本人が死んでしまうと、
 私の死の予知の噂だけが一人歩きする。
 そうしてまた私は、クラスで一人きりになった。

 
 大学の頃になると私は、家族以外に関わるすべての人間を
 他人だと思うことに決めた。

 誰かの影なんて見ない。関わらず、気が付かなければ良い。
 そうすればなんの能力もない、他の普通の人間と同じだ。

 
 こんな能力を持って生まれた自分と、そんな風に産んだ親と、
 創造した神様を恨んだこともあった。

 
 でもある日、社会に出て、働くようになってふと思いついたのだ。

 もしみんなが何か一つ、特殊な能力を持っていて、
 それを私のように隠して暮らしているんだとしたら、と。

 一つ一つは小さな仕事でも、

 それが最終的には世の中を動かす力になる。

 そんな風に、ひょっとしたら私が知らないだけで、
 私も誰かの何かの力に、助けられて生きているのかもしれない。

 
 私の能力は、死の期限が見えるだけのものだ。
 それを回避や延長させることはほとんどの場合できない。

 この能力で何かできるとすれば――。

 これからすぐ死ぬと解っている人間の役に立つことくらいだ。

 だから私は、気が付いてしまった時だけは、
 死のその瞬間まで、その人に優しくすることに決めたのだ。

 

 

    ※ ※ ※  ※ ※ ※  ※ ※ ※ 

 

 
 だからただ、こっぴどく振るだけで良かったのだ。本来なら。

 乗換駅で、会社までまだ距離もあるからと気を抜いていた。

 私が人を助けているところをたまたま見られたのだ、
 同僚の、荒木太陽に。

 彼は同期入社で部署も同じだが、それ以上でもそれ以下でもない、
 ただの同僚だ。仕事以外で話したことはなかった。その時までは。

 
 それから彼はお節介なことに、会社の同期連中にその事を広め、
 私が「本当は優しい人」だと吹聴しているらしい。

 その上私に告白し、しつこく付きまとうようになってきた。

 …………。

 だから私も即、振ったのだ。
 少なくとも、何度も、普通の男なら立ち直れないくらいに
 冷たい態度で接してきたはずなのだ。

 なのに彼ときたらまったく諦める様子がない。


 3ヶ月ほどそんなことを繰り返していたが、

 さすがにこちらも限界だ。
 社内ではもはや彼のキャラクターと私がセットで扱われ始めている。

 
 彼は知らないだろうが、女子社員の、
 男性社員のいない場所での嫌味はかなり悪質なものがある。

 私はただ、目立たず、一人で生きていければそれで良かったのだ。

 
 そこで私は考えた。
 一度付き合ってみて、そして変な女だと思われればいい。
 向こうから振ってくれるまで、嫌われるようなことをすれば良い。

 それで――。

 それで今夜。
 言ってしまった。

 私には、人の死の期限が見えることを。

 なぜ本当のことを言ってしまったのか解らない。
 確かに嫌われるにはこれ以上ない情報だ。

 だけど変な宗教にハマってるだとか、

 アイドル以外に興味がないとか、
 実は女の子が好きなの、とか、
 嘘をつこうと思えばいくらでも思いついていたはずなのに。

 これでお終いだ。

 彼は悪い人じゃないけれど、友達が多く、口が軽い。
 悪気はなくとも、興味本位でこの事を知った人間から
 私がどう扱われるかは解らない。

 
 そんなことを考え、俯きながら駅までの道を一人歩いている。

 長い髪はこんな時に便利だ。
 人の影も、私の涙も、隠してくれる。

 転職も考えなくてはいけないかな、と思ったその時、
 腕をつかまれた。

 
「あっ、ごめんなさい、泣いてるとは思わなくてその……」

 たぶん食事をしていた場所から追いかけて走ってきたのであろう、
 荒木太陽がそこにいた。息も荒いし、顔も赤い。

 恥ずかしいのは泣き顔を見られたこっちのほうだ。
 どうしていつもこっちのペースを乱すんだこの男は!

「あのっ、僕はっ!
 ……もし、僕が死ぬんでも!
 それでもその間くらいは光さんと一緒にいたいです!!」

 一瞬、意味が解らなかった。

 ああそうか、さっきの話を丸ごと信じてくれたんだ。
 そして自分がもうすぐ死ぬと、勘違いしてるんだこの人は。

 私は声をあげて笑ってしまった。
 そして泣いた。大声で。
 こんな人通りの多い、駅前の道のど真ん中で。

 すると太陽は、さらに真っ赤になって、周りを見回したあげく、
 思い切ったように私を胸に抱きしめた。

「ごめんなさい、僕は死にません、とか言えたらいいんですけど……
 えーと……人間いつかは死ぬものだと思うので!
 だから、僕は、光さんのその力は、
 やっぱり優しいものだと思うんです!

 死んじゃう前くらい、誰かに優しくしてほしいって人、
 きっと今は、世界中にいると思うから!! だから僕は――」

 私はさらに大声で泣き始めた。


 彼は少し声をおとして、そして私を優しく抱きしめ直すと、

 こう言った。

「だから僕は、残りの人生、光さんと一緒に、
 これから死んでしまう誰かを、助けて生きたいです」

 
 私は、荒木太陽が、ものすごくしつっこくて、
 そして本当に優しい人だということを、知ってしまった。

 

 

 

 〈了〉

 


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9.間引き

 

 9.間引き


 ある日突然、人間が地球外からの宇宙船に攫われはじめた。

 ひょっとしたら、それは今までも行われていたのかもしれない。

 長い歴史の中の行方不明者の中には何人か、
 そういった理由で地球からいなくなった者もいたのかもしれない。
 

 ただ最近では、昼日中、都会のど真ん中の上空に宇宙船が現れ、
「あっ、UFОだ!」なんて騒いでいる人だかりの中から一人、
 ふわふわと空に吸い上げられて連れて行かれる、
 というような例が後を絶たないのだ。


 なんとなく、
 ”今まではこっそりやっていたけど、もうバレてもいいや”。
 そんな感じに見えた。
 

 もちろん連れ去られた者の家族や親しい者は嘆き悲しんだし、
 それぞれの国の軍などに対処を求めた。

 しかし月かそこいらまで行くのもやっとなほどの
 地球人の科学力で対抗できるはずもなく、
 あらゆる物理的な攻撃は無効とされ、説得は無視された。

 連れ戻す術は無いばかりか、
 どんな理由で連れ去られたかも解らないままだった。
 
 連れ去られた人々は最初、
 まったくの無作為に選ばれているものだと思われた。
 
 もちろん著名人もいるにはいたが、
 かといってそれは各国の首相や代表者ではなく、
 あまり知られていない自然学者や、
 動物愛護団体の一員だったりというところで、
 まったく平凡な主婦やサラリーマンという
 一般の人間が攫われている数から比べると、
 そこに意味はないように思われた。
 
 そこで人々は、様々な噂話をした。

 地球人絶滅の実験のためのサンプルとして集めているのだとか、
 宇宙人の動物園のようなところで飼われているのだとか。
 

 なんにせよ、悲しむべきことではあったが、
 地球に残された側の人間にはこれまでのところ
 危害を与えられることは無かった。

 身の回りに何事もなかった人々は、
 自分たちの運の良さに内心ほっとしてもいたし、
 口に出しはしないものの、僅かながらの優越感もあった。 
 


 そんなある日、ある農夫が畑でつぶやいた。

「こりゃあ、間引きでねえだろうか」
 
 隣で一服していた別の農夫が何のことかと尋ねると、
 その男はこう言った。

「わしらも、良い苗が広いとこで元気に育つように、
 悪い苗はこうして抜くでねぇか。
 これと同じことじゃあねえのかなぁ……」

 もう一人の男がこう返した。

「んだども、それにしちゃ、間引いてる数がちいっと、
 少なすぎじゃねえだろうか?」


 最初の男は空を仰いで言った。

「んだからな、あんまり悪い苗が多いから、良い苗だけ引っこ抜いて、
 新しい良い土で育てようとしてるんでねぇかと……」


 その時、ちょうど通りかかった宇宙船に、
 二人の男は吸い上げられていった。
 それからしばらくして、宇宙船はぱったりと現れなくなった。
 

 地球の人類はその後、何事もなく、地球の人類のままだった。

 耕作を放棄された田畑のように、放っておかれたままだった。

 

 

 

 〈了〉

 


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10.エサとカテ 

 

 10.エサとカテ 


 最近なんだか生きている実感がしないなぁ、
 なんてぼーっと考えながら夕飯を作っていたら、包丁で指を切った。

 意外とザックリと切ったらしく血がだらだらと出るので、
 水道水で洗おうとしたところ、窓の外から声がかかった。


「もったいない」


 なんのことかと顔をあげると、そこには今夜の大きな満月を背に、
 小さなコウモリがパタパタと飛んでいた。
 
 なるほどコウモリなら血を吸うだろう。

 もったいないというのも頷ける。
 
 そこで私は血を洗い流すのを思いとどまり、
「飲む?」とコウモリに聞いてみた。

 するとコウモリは意外そうに、

 そして嬉しそうに「いいの?」と言って、
 窓から家の中へ飛び込んできた。
 
 飛び込んできたコウモリはポンというような小さな爆発音とともに、
 紫色の煙をあげ、少年の姿になった。

 黒いマントに、タキシードのような正装。首には深紅の蝶ネクタイ。
 少し長めの髪に、やや病的だが美しい顔立ちの笑顔。

 その口元からは小さな白い牙がこぼれている。
 
 なるほどこれが吸血鬼なんだな、ということで、
 これまた血がもったいないというのは頷ける。
 
 少々面食らったが、コウモリには血を与えて、
 吸血鬼には血を与えないというようなことは

 差別ではないだろうかと考え、
 やはりそのまま血を飲ませてあげることにした。
 

 吸血鬼の少年は上目遣いに私の顔を見つめると、
 ではさっそく、と私の指に唇をつけ、血を吸い始めた。


 不思議なもので、ドクン、ドクンとした指の痛みが、
 吸われているうちにじんじんとした痺れのようなものになり、
 だんだんとそれが快感になっていった。

 
 なんだか気恥ずかしくなってきたので、これはあれか、

 蚊のように、あとで痒くなったりする成分か何かが

 注入されているのかと訊ねると、少年は唇を離して笑い、

 そんなことはないよ、ただ飲み終わったら傷を早く治して

 修復する効果はあるみたいだよ、と言った。
 

 それよりも、と少年は言う。

「血が薄いね。ちゃんとお肉とか食べてる? 恋もしてないでしょ。
 アドレナリンが感じられない」とかそんなことを言い出した。

 おまけに、「点数で言うなら、30点」と採点までされてしまった。
 しかも図星だ。
 
 無料で血液を提供してあげたのだから、
 お愛想で60点くらいはつけて欲しかった。
 
 なんだか悔しかったので、普通、平均はどのくらいなのかと聞くと、
「お姉さんくらいの年頃なら、60点は取っていかないと」と返ってきた。

 なんだかものすごく悔しかったので、
 じゃあ次回までに絶対に美味しくしておくから、
 次の満月にまた来なさい、と約束を取り付けた。

 こっちにも意地がある。

 だいたい料理は得意なほうなのだ。
 ただ自分が食材としてどうなのかは考えたことがなかっただけで。
 
「それじゃあ楽しみにしてる」

 と少年はまたコウモリの姿になって窓からパタパタと飛んで出て行った。
 
 いつの間にか、指の血は止まっていた。
 
 私は冷凍庫から、凍っている肉のパックを取り出した。
 今夜のメニューから変更だ。

 次の満月までに、彼が驚くほど美味しくなっていてやる。
 
 ふと、生きがいとはこういうものか、と、私は気がついた。

 

 

 

 〈了〉

 



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