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 『アフラの木』の一件があってから、私はすっかりムーンシャインの常連になっていた。神楽とも前ほど、仲が悪いわけじゃない。むしろ前回の旅を通して、より親密になったように思う。多分うわべだけだと思うけど、ね。

 さて、私は今日も今日とて仕事を早めに切り上げて、ムーンシャインへと向かう。昨夜は徹夜だったというのに足取りが軽い。ムーンシャインに通うようになってから、人生の楽しみが一つ増えたようにとさえ、言えるかもしれない。

 

今日は新月。初秋の夜空は晴れていたけれども、当然のことながら月は見えなかった。けれども天空に月があると想像するだけで、不思議な魅力の重力を感じられる気がした。

ミドリはいつの間にかムーンシャインの前に来ていた。

 初めて入った時にはあんなに重厚そうにみえた扉も、いまやわくわくする世界への入り口だ。今日も軽やかに扉を開ける。

 

 カラン。

 

「いらっしゃい、ミドリ」

 白髭のマスターが、いつものように渋い声で出迎えてくれる。

「メニューをどうぞ」

パラパラとメニューをめくってみる。でも、もうほとんど暗記している。だって、このメニューも私がデザインしたんだもの。でも最後の納品の時には参った。校正を完璧にチェックしたと思っていたのに、「カンパソーダ」が「カンパソーダ」になっていたときの衝撃といったら…。まさに、船の甲板から極寒の海へと叩き落とされた気分だった。即修正して再度納品。あのときは笑って済ませてもらったからよかったけど、この仕事では致命的なミスだ。前日の徹夜が効いたのかな。なんだか最近集中力が落ちてきていなぁ。

「よう、やっぱり今日はカンパソーダか」

神楽だ。憎まれ口はいつものことだ。今日も来てるなんて、奴もよっぽど暇なんだな。と、最近は激憤を通り越して、諦めモードに入っている。

「マスター、カンパソーダ」

「はいはい、カンパソーダね」

 もう、マスターまで調子に乗っちゃって。でもグゥの音も出ない自分が悔しい。自分への戒めとして、新月の日にはカンパリだけで通すことに決めている。と、ここまでは、いつもの調子だった。

 

 

 不意に、神楽が真剣な顔になった。

「マスター、昨日の客、どう思う」

「ムーンシャインをオーダーした客の事か」

 カンパリを準備しながら、後ろ向きでマスターは答える。

「どうだろうな、最後の一枚と言っていたが」

 

ねぇ、ちょっと置いてきぼりにしないでよ。一体何の話? と内心またグツグツと好奇心が沸いてきたが、ここは大人しく黙っていた。今晩は、シックに白のジャケットとダークブラウンのパンツで決めてきたんだから。私はしかたなく、カンパリが出来るまで待つことにした。

「おまたせしました」

マスターは手際よくカンパリソーダをつくり、颯爽とミドリの前に差し出した。薄紅色の海の中で、ヴィーナスの泡が浮かんでは消え、消えては浮かんでいる。三角形のグラスは、透明な深い海溝を思わせた。

「ありがとう」

 ゆっくりと、グラスの縁を指でなぞってから、唇をつける。注がれたソーダが、カンパリの風味とうまくマッチし、爽快感を増している。

 

「で、どういう話になってるの」

 できるだけレディを装って、私は問いただす。

「最初から説明して」

「でたよ、なんにでも首を突っ込みたくなる奴が」

 失敬な、と思わず言いかけたけど、神楽の表情は一刻も早く事の成り行きを教えたくてうずうずしているという感じだ。

「茶化さないで教えて」

 神楽がマスターと目配せした。しめしめといった表情だ。二人ともポーカーフェイスを気取っているけど、すぐ顔に出ます、と私は思わず言いかけた。

 

「そのご婦人は、最後のカードを探しているそうだ」

「十八番目のカードだとよ」

「じゃあ、十七枚目は揃ったって事なのね」

 何のカードだろう。十八枚のカードって何かしら? 考えてみたがすぐ答えが出ない。クレジットカードか何か、かしら。それとも商店街か何かで配っている割引チケット? でもそんな中途半端な数ではないはずだろうなぁ。それにわざわざこんな店に来るなんて。

 

「カードは全部で二十二枚。その内の最後の一枚を探しているそうだ」

 神楽がウィスキーグラスを傾けながらいう。

「もしかして、二十二枚ってタロットカードのこと?」

 

 学生の頃ちょっと占いに興味があって、タロットをかじったことがあった。タロットカードの大アルカナは0番の「愚者」から二十一番の「世界」まで、計二十二枚で構成されている。他にも小アルカナというものもありこちらは五十六枚だ。この小アルカナが変化して、現在のトランプの原型となっている。

 

「でも、タロットカードの十八番って、たしか……」

「そう、『ムーン』のカードだ」

「一枚位カードなくても、代用のカードで占いなんてできるのに」

「ところが、そうはいかないんだな。何しろ年代物らしくてね」

「年代物?」

「そう博物館クラスさ。フランスの国会図書館にあるとされている世界最古のタロットカードと同じ型のものだとよ」

 笑っちゃうね、と神楽はウィスキーを飲み干し、同じものをと、追加オーダーを頼んだ。私、ぜんぜん、笑えないんですけど。

 

「ねぇ、マスター、本当の話なの」もう、胡散臭さは十分です、このお店。

「確かマダム・カジタと名乗っていたな。わりと上品な感じの中年の女性だったよ。あまり胡散臭いところは無かったよ」アイスをグラスに入れながらマスターは答える。氷の放つ心地よい響きがバーにこだました。

「その筋では有名な占い師らしいね。俺は知らなかったけど。第一、俺は占いなんて信じない」

「あら、私は信じるわよ。今度占ってあげましょうか? きっとあなたのカードの出札は最悪よ」ミドリは笑いながら、神楽を茶化す。

「おお、コワい」神楽も笑って返す。

 

「で、そのマダム・カジタが、どうしてムーンシャインに?」

「例の話を聞きつけたらしい」

ぼそりと神楽が呟く。例の話って、まさか私達がインドへいって『アフラ』の木に出会った話?

 

「この店の名前がムーンシャインなのも気になるってさ」

神楽がお替りを受け取りながら呟く。

「ウチの店は、よっぽどお月さまとご縁があるんだな」

 

 瞬間、嫌な予感がした。

 神楽とマスターがまた目配せを。

「いっときますけど、私は何でも屋ではありませんからね!」

「そう、腕利きのデザイナーさんだよな」

「ときどき『リ』と『ン』を間違えたりするケドね」

 

 今日のカンパリは妙に苦い。

これは、ほとんどゆすりよ。また巻き込む気なんだ。

 

「あのね…」と言いかけた時、神楽が次の句を発した。

「メニュー表のデザイン料の十倍以上の報酬だとよ」

「……やります」

 

ウチの事務所‐といっても一人での仕事だけど、最近仕事薄いのよね。ニッパチってやつの余波かもね。

ほんと、この店では不思議な仕事が舞い込んでくる。でも今回は一体どこから手をつけて良いか、皆目検討も付かない。

 

「とにかく情報が足りないわ。もっと詳しく教えて」

「マダム・カジタはそれで重要な事を占いたいんだそうだ」

「重要なことって?」

「詳しい事は分からないが、娘さんに関わることらしい。だから必死に集めている。ミドリはどう思う?」神楽は他人事だと思って、相変わらずの仏頂面だ。

「そんな、ある程度の占いなら、普通のタロットカードでもできるんじゃないの。問題は、カードを扱う時の念の集中力よ」

「そこなんだよね、引っ掛かるのが。わざわざ最古のカードをつかうだろうか」

「魔力かなにかが、込められているのかねぇ」マスターが、ぼそりと呟いた。

 魔力ねぇ。強力な占いの力があるのかしら。

 

「それで、タロットカードの歴史についてリサーチしてみたんだ」

 神楽が懐から、探偵が持っているような分厚い黒皮の手帳を取り出した。

「……発祥は諸説あるね。インド・バラモンの経典起源説、中国起源説、エジプト起源説……。」

「へぇ、中国起源説なんて初めて聞いた。神楽って以外に物知りね。」

「仕事柄ね。珍しく褒めてくれたな、ありがとう。明日は間違いなく雨だ。実は俺、心理気象予報士の資格を持っててね」

 

 一言余計よ。と内心思ったが、口には出すまいと念じた。

「一言余計よ」出してしまった。いけない、いつもの癖だ。

「話の腰を折ってしまってごめんなさい。それで、どこが起源なのよ」

「さあ」

「さあって……」もう、中途半端なんだから。

 

 

カラン、とドアの開く音がした。上下とも黒い衣装をまとった女性が近づいてくる。さっきの話を立ち聞きしていたんだろうか。なにも前置きをせずに話の続きを語り始める。

 

「古代エジプト起源が、定説らしいわね。これは十八世紀のエジプト学者兼神秘学研究家のクール・ド・ジェブラン先生の言。古代エジプトの神秘学が、ずっとその後にサラセン帝国のカバラ思想家たちによって解明され、サラセンからロマ、いわゆるジプシーたちの手に渡り、ヨーロッパ全土に広まっていった、というお話よ。あなたが、ミドリさん?」

 

「そそ、こちらが、ミドリ大先生です、な。」

「探し物を引き受けてくれる人がいるって聞いたけど、あなたがそうなのね」

 黒いワンピースをまとった女性‐おそらく彼女がマダム・カジタだろう‐がゆっくりと近づいてくる。年齢不詳だが、強いて言うならは四十代くらいだろうか。卵形の長細い顔で、大きな瞳をしている。吸い込まれそうな瞳だ。そして、アイシャドウの色であるインディゴ・ブルーが、瞳の不思議な力を益々引き立てている。ミドリは、不思議なプレッシャーを感じた。

 

「ですけど、今回の探し物は……」

「今、フランスにあるらしいわ」

「フランスに?」ミドリはとっさに聞き返した。今度はフランス、か……。

「フランスの国会図書館から盗まれたらしいの」マダム・カジタの瞳が妖しく輝いた。その中の一枚に『ムーン』のカードが含まれていると、彼女は続けた。

「盗品を探せということですか?」

「そう、当局からの懸賞金も出てる。あなたは、それを探して、返却する前に私に占わせて欲しいのよ」

 沈黙がバーを支配した。

 

「インドの話を聞いたわ。あなたが不思議な月の力を授かった話をね。あなたなら出来るに違いない。やってくれるわね」

 その声には人に否と言わせない、力強さがあった。

 

「その前に教えてください。何のために占うんですか? 普通のタロットカードでは駄目なんですか?」

 マダム・カジタは少し遠い目をして、娘、と呟く。

「私のかわいい娘の為よ。いまは遠い遠いところにいるの。わが子に会うために、地球の未来を占う必要があるの。普通のカードでは駄目なのよ。強力な力が必要だから」

 

こくり、と頷くミドリ。

 

「納得していないようね。実はこの世の終わりを予言した預言者がいて、その予言が本当かどうか、私に占って欲しいという依頼がきたのよ。だから、最高の環境が欲しいの。もしかすると、自分と同調している今のカードでも占えるかもしれない。でも、最古のカードの力を使って占えば、より確実な結果がでる予感がするの」

 

嘘じゃない。そうミドリは直感した。

「わかりました。私に出来るかどうかわからないけれど、精一杯協力させていただきます」

「ありがとう。これは前金よ」

 そういうとマダム・カジタはポーチから小切手帳を取り出し、さらりと何か書き付けた。

「それでは、くれぐれも宜しく頼むわね。詳しい打ち合わせはまた今度にしましょう。今日はお疲れのようだから。明日はどうかしら。明日の晩、またこの店、この時間にお会いしましょうか」

 昨日、徹夜だったことが、彼女には分かったのだろうか。慌てて自分の目の下の隈を思った。今日来たのは、急ぎの仕事を納品して、自分へのご褒美をあげるつもりだったのだ。

「わかりました、明日の晩、八時にお待ちしております」

「ありがとう、本当に助かったわ」

 マダム・カジタは握手を求め、それから小切手を手渡した。その手は雪の女王のように冷たかったが、力強い波動があった。それではまた明日、というと彼女は颯爽と扉を開けて階段を下りていった。

 

「私に出来るかしら…」いまさらながら不安が訪れてきた。

 ふっと、小切手に目をやる。

 こんなに!

 

 武者震いが全身を駆け巡るのを、ミドリは抑えることが出来なかった。


 

翌日、急ぎの仕事が片付いたので、ミドリは『ムーン』のカードについて調べ始めた。『ムーン』が暗示する意味合いは色々あるが、代表的な意味は「不安」。タロットカードには正しい向きの「正位置」と、上下逆さまになった「逆位置」があり、それぞれ意味が異なってくる。

ちなみに正位置の場合は、自分自身が不安になるような事態を示す。反対に逆位置の場合は、不安な事態からの脱却を示す。もちろん、カードにはもっと様々な意味があり、実際はそれらをたくみに当てはめて占うのだ。もっと詳しく調べたかったが、待ち合わせ時刻が近づいている。

 

 

カラン。

 

「いらっしゃい、ミドリ。お待ちかねだよ」

「こんばんは、ミドリさん」

「お待たせしてしまったみたいで、すいません」

 まだ、八時前だというのに、マダム・カジタはもう来ていた。

 

「いいえ、私が待ちきれなくて早く来過ぎてしまったのよ、ごめんなさいね。では早速本題に入りましょうか。今回探してもらうカードは、画家兼占い師のジャック・ゴダールが時のフランス王シャルル六世に献上したものよ」

「シャルル六世っていつの時代の話だよ」神楽が口を挟む。いつの間に……。

「千三百年代の出来事よ。このカードに書いてあるのは、闇夜を照らす三日月・ザリガニ・遠吠えする犬の三つ。それから、奥のほうへと続く細い道の先に建物があって、その建物には出口も入り口もないの。あるのは明りとりの天窓だけ。それから、ここが一番の特徴なんだけど、金粉で装飾されてるわ」

「随分、すごいカードなんですね」

「そう、そしてこれが実物の『太陽』のカードよ」

 そういうとポーチから大事そうに一枚のカードを取り出した。

「すごいエネルギー!」

 私は一枚のカードから発散されるエネルギーに圧倒された。心地よい太陽の光を浴びているかのようだ。マダム・カジタの説明のとおり、金粉で装飾されている。そのエネルギーに一瞬触れただけで、マダム・カジタが最古のカードにこだわる理由が分かった気がした。

「どうしてこのカードが、あなたの手元に?」

「フランスの国会図書館に現存しているのは十七枚よ。残りの五枚は行方不明だったの。一般には紛失して失われた事になっている」

「それをあなたが見つけ出した」ミドリが推理する。

「そう。正確には、私が頼んだ人が残りの五枚を見つけてくれたのよ。この太陽のカードも、その中のひとつ。この仕事が終わったら、国会図書館に寄贈する約束になっているの。そのかわり、他のカードを使って占わせてもらえる。イーブンな取引よ。」

「国を相手にしての取引かよ」神楽がポツリと呟く。

「だから大丈夫、法的には問題ないわ。もっとも全て表には出ない取引だけどね。本当はもっと早く占う予定だったの。でも五枚のカードを集めている間に、国会図書館から『ムーン』のカードが盗まれてしまった。なぜか理由は分からないけど、『ムーン』のカードだけがね。それで、占いが出来なくなってしまって…。だから、あなたに捜索してほしいのよ」

「でも、何故、私に?」

「私も占い師の端くれよ。それなりのネットワークはあるわ。最後の一枚は、このバーのミドリさんに頼むといいと、霊感のとびきり強い人にいわれてね。でも、昨日あなたに逢ってはっきりした。この人しかいないって。」

 

「一口乗らせてもらうぜ」

神楽だ。相変わらず抜け目がない。きっと昨日の小切手を盗み見たに違いない。

「ボディガード兼通訳ってことで、どうかな」

「通訳って、ホントに話せるの? あなた?」

ミドリはいぶかしむ。

「日常会話程度ならね。どうだい、マダム・カジタ?」

「いいわ、女の子独りでは危険かも知れないしね。どう、ミドリさん?」

「私は、別に、構いませんが」いろいろと付け加えたかったが止めておいた。

「決まりね、すぐ発ってもらいたいの。チケットは二枚用意するわ。カードがあるのは、フランスのブルゴーニュ地方よ」

「わかりました。そこまでわかっているなら、もう大丈夫ね」

「なにか、組織が動いているんじゃないか」

 神楽の目が光る。

「大丈夫、小規模なグループよ。主に窃盗だけよ」

「危険だな、報酬は、はずんでもらうぜ」

「懸賞金が出てるっていったでしょ。それを進呈するわ。逐次、私と当局へ連絡してね。そして、見つかったら、当局に返却する前に占うわ。さっきも言ったように話はついてるから大丈夫」

「そこまでして、本当に地球の未来が占えるのか」神楽の瞳は鋭い。

「そうね、どうかしら」

 マダム・カジタは笑ってごまかしたけど、私には自信のなさの現われだとは思えなかった。むしろ不敵な笑みを浮かべているようだ。それより、地球どうなっちゃうの? まさか大戦争なんてことはないわよね。占いの重さはちょっと考えれば分かることだ。

「これは、私の携帯番号と住所よ。何かあったらすぐ連絡を。それに、海外からでも使える携帯電話を持っていってね」

 ホントに見つけられるかしら、神楽はあまり頼りにならないし。いまさらながら、不安が襲って来た。

「大丈夫よ、あなたなら大丈夫よ」

 

 そういうとマダム・カジタは冷たい手で、私の両手を握り締めてくれた。そうすると、不思議な安心感があり、心が静まっていくのが自分自身でも感じられた。


 私達はパリへ飛び、そこからブルゴーニュ運河沿いにディジョンを経て、列車でダンビエールへと向かった。フランスの風は心地よく、特に運河からの河風には何ともいえない爽快感があった。

神楽は裏情報に精通していて、途切れ途切れに入ってくる情報を頼りに、ブルゴーニュ地方を拠点に活動するグループがあることを知った。やはり、国会図書館から盗んだのはそのグループらしい。

「やっぱりこういうのは警察に任せておくべきなんじゃないの」

「その前に行動、行動」

 行動するのは良いけど、後先考えないで行動しないでよね。

 犯行グループの目星がついたところで、私たちは警察とマダム・カジタに連絡をいれた。すると彼女も、すぐフランスまで飛んでくるという。

「問題は、どう奪還するかね」

「決まってるだろ。警察に包囲してもらう」

 やれやれ、頼りにならない奴。

「だって、そんな窃盗団に二人で立ち向かえると思うか。俺たちの仕事は情報収集。あとは『ムーン』のカードを無事に取り返せば良いだけの話だ。」

 

 ダンピエールに近づくと、牧歌的な光景が列車の窓に映りはじめた。夕方近く、駅を降りると、街は少し閑散としていた。早々と、駅前の安宿にチェックインすると、神楽は必死になって、住民から窃盗団の事を尋ねてまわる。だが、一様に住民は口を閉ざしたままだ。まるで、何か集団で守っているかのようだ。

 

 

 もう聞き込みは何件目だろう、数えきれない。肉屋に入ったところだった。店先には羊の肉がぶら下がっている。主はさぞ内臓脂肪がたまったようなでっぷりした体型で、神楽と侃侃諤諤やりあっている。推察するに、そんな奴らはこの町にはいないと、言っているようだ。

 ちょっと離れて、自体の成り行きを観察していると、私は、突然背後から羽交い絞めにされた。

「きゃぁあああ」

 そのまま、頭から布袋のようなものをかぶせられ、何人かに連れて行かれる。抵抗するが、万力のような力でびくともしない。助けて、神楽!

「ミドリ!」

 

 ガツン。

 

 後頭部に鈍い衝撃が走り、そのまま私は意識を失った。


 

……どこだろう、ここは。

  あたりを見回す。

  四方を石壁に囲まれた建物のようだ。

  あたりは暗く、うっすらと物の形が分かる程度だ。

  ……神楽、いるの?

  返事は、石壁にこだまして、無常にも跳ね返ってきた。

  

  石壁を手探りで触り、出入り口を探してみる。

  ありえない。四方全て壁で出入り口が無い。

  一体どこから入ったのだろう。

  足元を少し水が流れている箇所がある。

  上から落とされたのだろうか。ふと上を見上げる。

十五センチ四方くらいの天窓から月が見える。

月明かり!

三日月だ。

 

どういうことだろう。

まるでタロットカードの中に入り込んでしまったようだ。

遠くから、寂しげな犬の遠吠えが聞こえる。

私は入り口も出口もない、石壁の建物の中央部にすわり込むと考えを巡らした。

不思議にも、殴られた筈の後頭部に痛みは無い。

 

カサカサ、と何かの音がした。

なんだろう。

天窓から床に落ちた四角い光に、ザリガニが浮かび上がった。

いや、まって。ザリガニじゃない、蠍かもしれない。

 

そうかそういうことなのね。

私は今、カードとシンクロしている。つまり夢を見ている。

カードのエネルギーの中に入り込んでしまったのだ。

 

わたしは近寄ってくる蠍に、臆することなく声をかけた。

……おいで、かわいい子。

ザリガニらしきものは足元まで来ると、

ゆっくりと私の右足首に針をチクリと突き刺した。

 

私は、再び意識を失った。

不思議なことに、眼前に一枚のカードが現れた。

『ムーン』のカードだ!

 

私は、かすれていく意識のなかで、金粉で装飾されたまばゆい『ムーン』のカードを見つめていた。


 

……おい大丈夫か!

……しっかりしろ!

 

神楽の声が聞こえる。

後頭部がズキズキする。

 

「イタタタ!」

「良かった。やっと意識を取り戻した」

「良かったじゃない。こっちは死ぬところ…」

 神楽が泣きそうになっているのをみて、私は口をつぐんだ。

 気付けば宿屋の一室だ。神楽が運び込んでくれたんだろうか。後頭部には氷が入ったらしい皮袋があてられている。

「すまない、この街の皆はみんなジャッカルを恐れている」

「ジャッカル?」

「この街を根城にする例の窃盗団だ」

「下手に聞き込みをしたのは失敗だった。本当にすまない。恐れた住民が手をだしたんだ。大丈夫か? やつらもミドリの叫び声に驚いて手を離してくれたよ。さっさと街からうせろ、とさ」

「大丈夫よ、さぁ、帰りましょう」

「そうだな、こんな危険な所は去ったほうが無難だ。仕事は降りよう、命あってのものだねだ。警察には一部始終を報告するよ。あとは『ムーン』のカードも見つけてくれるだろう」

 

「そうね」としか私は答えなかった。



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