目次
まえがき
Overture (いかなる権威にも囚われない)
第1章
Battle of Words 1 (投資集団による国家統治)
Battle of Words 2 (国民は国家によって売られた)
Battle of Words 3 (すでに政治的選択肢など無い)
Battle of Words 4 (現出したオーウェル世界)
Battle of Words 5 (全体主義が最終調整される)
Oppress (小沢一郎の英雄的行為とは何だったのか)
第2章
Rogue Economics (我々は主権者ではない)
We are the Dead (人間精神はすでに滅んでいる)
Escape from Freedom (高らかなる棄民宣言)
Johnny Got His Gun (全ては政治的フィクション)
Known as Brainwashing (公共放送という洗脳機関)
Ashes to Ashes (独裁は知性を憎悪する)
Cyberpunk is Not Dead  (経済的動機による錯乱)
第3章
Plein Soleil (ナチ的観念操作に他ならない)
Yapoo, the human cattle  (公から私への富の移転)
canary in a coal mine (叛逆を卵の段階で削除する)
Welcome to the Desert of Real  (次世代の消失)
grotesque (構造的暴力を助長する醜悪)
Simulation 4th (孤立する知者たちへ)
Neo Fascio (いかにして認知は攪乱されるのか)
第4章
no alternative (全野党が自民党の衛星政党である)
Brain Machine Interface (言語破壊による意識収奪)
like a hard dog (すでに粛清は始まっている)
What Alice Found There (戦争が利潤機会なのだ)
Die letzten Tage (官吏が実証するアイヒマン理論)
Battle of Words 6 (在日はスケープゴートにされた)
Battle of Words 7 (終焉を迎えた二ホン国文明)
第5章
something to live for  (ネット言論もゴミ山である)
Kingdom Rush (金融緩和というインサイダー)
quiet life again  (すでに知的降伏状態なのだ)
Simulacra Postmodernism (米国主導の宣伝工作)
Shuffle (カタストロフは未来からの審問である)
News of the World (多国籍企業の利潤が第一)
Man the Hunted (われ反逆する、故にわれらあり)
第6章
Battle of Words 8 (最高のプロパガンディスト)
Battle of Words 9 (敵国条項が解除されていない)
Battle of Words 10 (思考の断片化が加速する)
Battle of Words 11 (それは支配民族の普遍衝動)
Battle of Words 12 (経済格差は生存格差となった)
Battle of Words 13 (売国のインセンティブとは)
Panopticon (スターリン体制の再興)
付録1
Promised Land 1 (二ホン売ります)
Promised Land 2 (外国人が国土を買い漁る)
Promised Land 3 (国家中枢が制圧された)
Promised Land 4 (もはや戦争すらできない)
Watching You 1 (情報は全て抽出される)
Watching You 2 (絶対に負けないマネーゲーム)
Watching You 3 (米国規準のバックドア)
付録2
Animal Farm 1 (属国民同士の対立)
Animal Farm 2 (支配本質を隠蔽する装置として)
I'm the Hollywood Tease 1 (資本が新領土を求める)
I’m the Hollywood Tease 2 (戦争はドラマツルギー)
I’m the Hollywood Tease 3 (典型的な侵略戦争)
I’m the Hollywood Tease 4 (日銀とナチスの連携)
出典・引用

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Overture (いかなる権威にも囚われない)

本書は会員制ブログマガジン「独りファシズム Ver.0.2」(2014年5月 - 12月)を編集したものである。

僕は社会改革を目指しているわけでもなく、まして政治的動機やイデオロギー的情熱などもなく、ただ表現と省察にとりつかれ論を綴ってきたのだが、おそらく今後もそのようなスタンスに変わりはないのだと思う。

 

しかし有償であるため配信直後から等価性という外部評価を突きつけられたのであり、まして膨大な情報が無償で入手できる電脳の時代においては、それらと差異化する付加価値が厳しく問われるのであり、かくしてクオリティを把持し続けることが絶対的課題となったわけだ。換言するならば「プロ意識」の命題化である。

いずれにしろそのような重圧のもと悪戦苦闘しながら書き上げた論群の堆積が本書であり、だからこそ一文一文が高密度を保ち普遍性を留めていると自負する次第だ。

なおカバーに印したXXX(triple X) Hardcore とはポルノ映画など過激コンテンツの表徴であると同時に、「絶対の核心」あるいは「筋金入り」という意趣の表象であり、すなわち迎合主義や予定調和の一切を排除し、いかなる規範にも権威にも囚われることなく、ひたすら本質だけを凝視する魂意の表明であり、最悪の文字禍を甘受する度量の表顕であるとご理解頂きたい。 

これから皆様方は本書を通じ思想世界の未踏域に踏み込もうとしているのだが、それは「ポスト・モダン(現代文明終焉後の世界論)」の新たな領野を開拓する試みなのかもしれない。そして閲読(他の情報ソースと照合し、裏を取りながら読むこと)により認知基盤の揺らぎを感知するのだとすれば、それは旧い自身が予期せぬ者に刷新された「異化効果」の衝撃に他ならないのだ。 

正統の読書とは啓蒙的でなく真逆に破壊的で常軌を逸したものであり、それは恍惚として自己が粉砕される愉なのであり、禁圧の時代においてはインディ―ズ(地下出版)だけがそのようなエナジーを孕むのであり、おそらく電脳本は我々に残された最後の知的領土なのだろう。

正気と狂気の境界は朦朧を極め錯雑とし、誰もが恐怖の当事者であり、格子なき牢獄の捕囚者であり、だからこそ現実を探求し喫緊の生存戦略を問い続けるのであり、そして僕のディスクールがこの扉絵のごとく、五感を覆い尽くしたシミュラクラ(メディアの疑似像)を粉砕し、覚醒を試みる者たちの一助となるのであれば、論者としてこれに勝る幸いは無いだろう。

                              2015年5月22日  響堂雪乃 

 

注: 本文中の写真は全てパブリックドメイン(公共資産)化した「メトロポリス」(1927年)より引用している。



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Battle of Words 1 (投資集団による国家統治)

*Battle of Wordsと題した一連の対話集は作家・高橋博彦氏と交換した私信の選集であり、公開は故人の承諾に基づいている。なお文中における青字が高橋氏、黒字が響堂雪乃の文言であることに注意願いたい


>我々を襲っているのは国土、文化、伝統を包摂した総体としての国家ではなく、国家という仮面をかぶったレントシーカー(政治が生む利益を追い求める者たち)です。

 

自民党がやらかしているのはまさに伝統文化と地域コミュニティ、労働・福祉権と国民経済の破壊に他なりません。インドやスリランカなどの史例が示すとおり、植民地主義は搾取と同時に甚大な環境破壊をもたらすのであり、原発事故による国土の永劫的汚染はまさにその象徴であり法則発動なのです。いずれにしろ我々に欠落しているのは、そのような対決的視点ではないでしょうか。

>清水 馨八郎先生

清水氏の言葉は非常に示唆的であることから拙著に引用しましたが、本質としてその多くが「エスノ・セントリズム(自国民族だけが清廉で優れているという思想)」に拠るという批判はもっともだと思います。ご存知のとおり産業革命以降の世界においては、カリブ地域などで確立されたプランテーションの運営メソッドが、そのまま先進各国の統治理論として援用されました。4千数百万人が医療保険未加入となり食糧配給券に依存するアメリカの例証どおり、近代においては白人種すら白人種によって壮絶に搾取されているのであり、もはや人種対立というパラダイムは完全に不成立です。つまり現象を「資本帝国VS国民国家」という視点から捉えなければ、あらゆる本質を見誤るのだと思います。

>我々が帰属している一つの総体としての国家

この世界における認識の困難さというのは、国政議会と資本グループが相互浸透を果し、国家という定義が曖昧化していることによるのだと思います。現実としてアメリカもメキシコも韓国も日本も「帝国」に併合され、文字通り「諸コミュニティ化」しているわけであり、民族や風土や権利や文化の疎外によってフランチャイズ化が達成され、つまり国家という体系はすでに観念の投影物に過ぎず、そのようなことから齟齬が生じているのかもしれません。つまるところ我々は互いに「国家」という言葉を口にしながら、全く異なるものについて議論しているのであり、すなわちそれぞれが信じるイリュージョンの体系を漸近線(ぜんきんせん=近づきはするが決して交わることがない線と線)上で論じ合っているだけなのです。
 



 >ホッブズに倣えば、国家は国民にとってリヴァイアサンですから双方の契約の均衡をやぶって国家が暴走すると大変なことになるわけです。今の日本がそうなっていますが、すでに伝統的な国家は解体され、残存する国家様のものは「CSISと日経新聞社のコラボ状態」のようなものです。3.11が起きたあと、官邸にはアメリカの要人が常駐し、菅直人は彼らの指揮下にあったわけです。つまり今の日本とは「宗主国による臨時(暫定)政府」なんですね。

「古典的リヴァイアサン」と「現代的リヴァイアサン」の相違とは、前者が国内権力の蝟集であったことに対し、後者は外国勢力をその成員をすることです。この傾向は日本などの経済植民地だけではなく、FRBという通貨発行権をもつ中央銀行がシティバンクやロスチャイルドを媒介とする欧州資本に私的所有され、主要閣僚が金融、軍事、エネルギーなど多国籍企業のステークホルダー(民間の利害関係者)によって編成されるアメリカも全く同じ構図にあります。このように先進各国の意思決定はいずれも最高議会によるのではなく、極めて少数の投資集団の掌上に集約されているのであり、すなわち「現代的リヴァイアサン」とはグローバル資本を核とする無国籍な権力機構のキマイラ的綜合なのです。

政治学者のシェルドン・ウォーリンはこれを「反転した全体主義(Inverted Totalitarianism)」 と表現しました。つまり本来は国家暴力の下部構造として隠然すべきヤクザ者のゴロツキ集団が、逆に国家議会の上部構造として君臨したナチス・ドイツのような体系であるというわけです。それはつまり巨大資本が国家議会に従属するのではなく、国家議会が巨大資本に隷属するという倒錯に他なりません。

「反転した全体主義」とは本質として民主主義が無化された体系であり、むしろこのようなシステムはすでにテンプレート(世界基準)化されているのであり、それが我々の直面するグローバリズムという脅威の正体なのです。その最単純モデルとは「政治家が外国人投資家から金をもらい、その見返りとして外国資本の利潤が最大化する法案を作る」ということであり、労働者の非正規化もTPP(関税自主権の撤廃)も水道や郵貯の民営化も大企業減税も福祉の全面削減も消費税率の引上げも、言論弾圧法の施行や憲法改正すらも、全てはインセンティブ(対価報酬)の見返りとして実施されるのです。しかし、そのような背徳はあまりにも白昼堂々と横行しているため、巨大な国民的スコトーマ(盲点)と化しているのではないでしょうか。



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Battle of Words 2 (国民は国家によって売られた)

>会社は社員が知らない間にM&Aでどこかの国の会社にすり替わっていた。今の日本は大体そういう感じではないでしょうか。

幾度も論述したとおり、2001年に発足した小泉政権は「対日投資倍増計画」を掲げ、減損会計(資産を簿価でなく時価で評価する会計システム。恐慌に発展することからアメリカでも廃止されていた制度)の強行による株安を引き起こし、2万円台にもちなおしていた東証の主要銘柄が7千円台の投売り状態になったところで、その過半数を一挙に多国籍ファンドに取得させました。

それが日本企業の所有権移転であり、経済主権の終焉であり、売国のビジネスモデル化であり、過激化する労働権解体の発端だったわけです。すなわち「金融市場を通じた日本国民の奴隷化」が達成されているわけですが、若年世代は不安定雇用や貧困に苦しみながら、このような経緯と仕組(抑制された賃金が外国人投資家の配当益に充当される構造)に全く気づいていません。直言するならば、いまだ自分たちが「国家によって売られた」という自覚がないわけです。

ライブドアによるニッポン放送株の買い占め騒動に際し、リーマン・ブラザーズはライブ社に対し8千億円の資金を提供していたのですが、その当時すでに財務官僚であった榊原英資と経済企画庁長官であった堺屋太一がリーマンの顧問に就任し、しかもその中心的役割を果した村上ファンドには日銀総裁が投資していました。すなわちこの国においては10数年にわたり政治機構も官吏機構も外資マネーに浸潤され祝祭的乱交を繰り広げているわけです。直言するならば外国人投資家がエスタブリッシュメントに付与するインセンティブ(対価報酬)によって国益が殺されているのであり、民衆を慮る思惟など鳥の影ほども見当たりません。
 


>これを糺すには、元の会社に戻すか、あるいは新たな日本の邦人企業に変えることですよね。向こう側の経営権を無力化して。私は、国家が変質したら、国家と国民が正常なコラボ状態となるように健全化するというのがまっとうな方向性だと思うのですよ。

断言しますが、それは不可能です。国民の99%は「何が起こるのか」以前に「何が起こっているのか」も理解が覚束ない状況であり、オルタナティブ(代替的政治思想)を構想する最低限の知性を持ち得ないからです。小泉政権に同期して長時間枠のバラエティ番組が各局で編成されたのは決して偶然ではなく、それはブラッドレー財団やジョン・M・オーリン財団などいわゆるネオコン(新保守)系のシンクタンクで策定された「民族の馴化(家畜化)」というオペレーション(心理作戦)の一環であり、つまり「軍事的占領とともに文化と経済をワンセットにした占領政策が周到に作られていった」のであり、もはや我々の体系から反抗など生じ得ないのです。

「ヘゲモニー・モデル説」によると、視聴者の信念は支配的な文化価値と共同関係にあるとされていますので、コンテンツの低俗化は我々が想像する以上に知性の溶解をもたらしています。換言するならば、民衆の潜在意識は支配勢力によって、絶え間なくボーリングされ続けているわけです。

例えば7時のNHKニュースで「経済特区において外資企業の利子所得は非課税とします。残業代は不払いとします」と1分間アナウンスしたとしても、その後は就寝するまでの3時間、4時間にわたりお笑いだのプロ野球だのによって意識が攪乱され、思考が分断化されますから、問題を等身大の自分に連関して捉える、あるいは意味化するなどという頭脳作業が全くできないわけです。それはまさに「正統とは何も考えないこと」というオーウェル理論の体現であり、かつて高橋さんがおっしゃられたとおり原子化された個人はクラスタ(集合体)になりえず、国家暴力に異質な力を対抗させることなどかなわないわけです。

>憲法は国家の暴走を食い止めるストッパーであり、リヴァイアサンの手綱の役割だと思います。

憲法9条の解体は小泉政権時より綿密に企図されていたことです。あらためてこの国の政策群はグローバリストのタイムテーブルに従い進捗しているのであり、「市場原理主義は戦争国家を目指す」というセオリーのとおり、もしくは「バター(福祉)より大砲(戦争)」という定理のとおり、医療・教育・年金などの社会支出を全面抑制し、そのカネを軍需に傾注し、国富収奪の最終章とする企てに他ならないわけです。

むしろ市場原理主義と軍事政権は内在本質を共有し、過激な親和性を発揮するのです。アメリカでは児童ホームレスが130万人を突破し第三世界の様相すら呈しているのですが、それは軍事が国家予算の30%近くを占めるなど福祉を圧迫し、毎年60兆円規模のカネが軍需コングロマリットに配分されることによるのであり、愚かなこの国はそのような社会モデルに追従しようとしているのです。

以上の前提において、戦争国家構想とは日本国における軍需のセカンダリ・マーケット(第二市場)を創出するのであり、極東や中東の有事(捏造された紛争)を意匠し、武器・弾薬の在庫を一掃するという目論みであり、「大国が被支配民族を侵略戦争に投入する」という人類史の恒常的現象であり、「予防戦争」という名義において実践されるアメリカの公共事業プロジェクトに、ゼロ・コストの自衛隊員を徴用するという資本帝国の究極的なエゴイズムに他ならないのです。

いずれにしろ「緊急と例外は国家の常套」であり、近い将来には臨戦態勢が既成事実化され、徴兵制など国家総動員法がなし崩し的に実施されることになるでしょう。



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Ashes to Ashes (独裁は知性を憎悪する)

資本独裁と強制収容はシャム双児のように一対の構造を呈している。
 

日本版FEMA(緊急事態管理庁)が創設される見込みなのだが、これが日本版NSC(国家安全委員会)および特定秘密保護法と1セットの弾圧システムであることは語るまでもない。つまりソフト(法律)に続きハード(施設)が整備されるのであり、強制収容もまたグローバル資本のスキーム(常套手段)なのである。
 

それは米国型暴力統治への準拠であり、叛乱分子を片っ端から収容所にぶち込むオペレーション(浄化作戦)であるわけだ。原発事故や経済侵略を論究する自分のような者が真先に対象となるのであり、反政府デモや反原発サイトの主催者、フリージャーナリストや日刊紙の編集者などが相次いで拘束され、正当な裁判を受けることもなく実質の終身刑となるのだろう。独裁は時代を超え知性と覚醒を憎悪するのである。
 

ソビエトの建国資金は共産党が発行したボリシェヴィキ債権によって賄われていたのだが、それに対する西側の投資は500ヶ所におよぶラーゲリ(強制収容所)での奴隷労働を担保としていたのだ。S・クルトワは「国家テロリズムという大規模な抑圧を行ったのは生身の共産主義者である」と語ったのだが、マルクス・レーニン主義というアンチテーゼ(資本主義の対立項)もまた人権蹂躙を核心とするのである。
 

アウシュビッツの設営資金も米国のユニオン銀行などを通じウォール街から拠出されていたことは繰り返し論述したとおりであり、そのような収容所施設はホロコーストの実践場であると同時にゼロコスト・レイボア(無賃金労働)によって桁違いの付加価値を創出する投資対象であったわけだ。ユダヤ人だけではなく反政府的な市民、ジャーナリスト、共産主義者や反戦主義者も合わせて浄化できたのだから、ナチス党にとってこれほど有意なシステムはなかったのだと思う。
 

カンボジアではポルポトの重農政策によって都市住民が集団農場に強制収容された挙句、推計200万人が虐殺されたのだけれど、ジェノサイドはベトコンの補給路であるホーチミンルートの爆撃を拒んだシアヌーク王が、米国の仕掛けたクーデターにより失脚したことを発端とするのだ。ナチス・ドイツ同様にクメール・ルージュの政治資金もまた西側資本に由来することは語るまでもなく、すなわちそれが<資本の絶対的な残酷さ、理解不能の残忍さ、根源的な邪悪さ>であり歴史の両義性という錯乱の基質なのである。


アルゼンチンでは76年のクーデターによりビデラ軍事政権が樹立され、シティバンクやJPモルガンなど投資銀行主導のもと過激なフリードマン(市場原理主義)改革を推進したことは皆様方もご存じのとおりだ。これに際しフォード、GM、フィアット、ベンツなど多国籍企業が私兵集団を組織し、労働組合員や左翼活動家を片っ端から収容し、工場倉庫などを改装した収容所で3万人を拷問・処刑したのだけれど、その有責者たちがTPPの推進団体であるNEC(全米経済協議会)に名を連ねるというホラーなのだ。
 

あらためて我々が注視すべきは国政議会が法案群を起草しているのではなく、多国籍資本が国政議会に隠然しそれを教唆するという定理だろう。「日米経済調和対話」や「経団連政党評価表」に法律原案が公然と記されているとおり、我々の体系において民主主義の壊乱はあまりにも顕著であり、そのように外資企業が立法機能を担い民衆を弾圧する様相は東インド会社さながらであり、独立国家の主権を定めた「ウェスト・ファリア条約」に抵触する世界犯罪なのである。

 

はっきり言うが、彼らは3.11を起点として”プランテーションの店仕舞いセール”に着手したのだ。つまり原発事故により長期スパンでの搾取が不可能となったことから、TPPと経済特区によるレッセフェール(超過激資本主義)体制を早期に実現し、戦争国家化による極東有事で軍需を奮起させ、国民資産を絞り取るというポートフォリオ(分散投資目論見)である。すなわち一連の動きは障害となる人物群をNSCによって監視し、秘密保護法によって拘束し、FEMAによって収容するという「重回帰方程式」と言えるだろう。
 

そもそも国内には5万の米兵が駐留し代表議会を射程に捉えているのだから、これほどあからさまな「強制外交(威嚇により相手国に要求を呑ませる交渉)」の体系は近代史に類型がないと思う。暗黒法はこのように米国を本拠地とする資本グループの教唆によるのであり、さらにそれは米軍という世界最強の暴力装置によって担保されるのだから、もはや市民も論者も抗うことなどできるはずがなく、弾圧が徴候的となれば政治難民となり流亡するしかないのだろう、などとペシミスティックな確信を抱く今日この頃なのだ。


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Simulation 4th (孤立する知者たちへ)

現実は不在である。
 

ここにアクセスして来られた皆様方はリテラシーも高く、おおよそ支配構造や眼前の脅威を理解され、そのような本質に肉薄しつつあるのだけれど、知性の代償として生活世界では精神的に孤立状態なのだと思う。つまり誰からも理解されないのだ。
 

国政議会は外国人投資家に委ねられ主権は存在しない、新聞テレビは虚報を流し国民を洗脳している、原発事故を契機に棄民政策が実践されている、などと話したところでキチガイ扱いされるのがオチだろう。
 

傍証を挙げ論理的に説明したところで、パラダイムを否定されることは人格を否定されると同じなのだから、相手方は「認知的不協和(信念が覆されることによって生じる生理的不快)」によって激昂し、その時点で対話は不成立となり、人間関係は崩壊するのだと思う。
 

皆様方はアラーミスト(バカゲタこと言って人を脅かす者)と見なされるか、陰謀論者さらには社会不適合者のスティグマ(記号的烙印)を背負うのであり、そのような事態があまりにも予感的であることから口を閉ざしているのだろう。つまり「対人関係の軋轢を避けるため、事態を静観し違和感を殺す」という”沈黙の螺旋”に佇んでいるのだ。
 

理性の射程は語彙の範囲にしか及ばないのであり、知識の多寡によって異なる現実に生きているのであり、認識されないことは存在しないことと同義なのであり、解釈の限界は常識の限界に一致するのであり、すなわち常識とは愚者の形而上学なのであり、おそらく皆様方の眼には彼らがポッド(繭状容器)で培養されるMATRIXのバッテリー人間のように映っているのではないかと思う。
 

家族や友人を必死で説得したところで、理性や論理よりも世界観の整合性を求めるという心理的障壁は強固なのであり、つまり既存の知識体系や社会認識の解体行為は自殺にも等しいのだ。R・ノージックは「体験機械(Experience Machine)」という思考実験を提唱し、「苦しみが多いとしても現実世界に対峙して生きるのか?それとも理想世界をプログラムしたマシーンに脳を接続しヴァーチャル・リアリティに生きるのか?」と問いかけたのだが、おそらくこの国の民衆は後者の択なのだろう。
 

支配勢力は「観測気球(Observation Balloon)」 というメソッドによって、重要情報を小出しにしながら世論の反応を窺っているのだが、民衆は情報の断片から全体像を意味化する頭脳作業などとっくに放棄しているのだ。それはまさにゲシュタルト崩壊そのものの様相であり、つまるところ彼らは知的負荷に耐えるよりは不都合な事実を無かったこととし、腐朽したパラダイムでの安住を選択したのだ。その前提において皆様方は社会のアノマリ(異端的存在)なのであり、秩序整合的世界というシステムに発生したバグに等しいのである。
 

 

おそらくすでにこの体系からは現実性そのものが消失しているのだ。放射線の汚染が首都圏まで進捗し、さらにこのような歴史的惨禍の最中に国土は(TPPにより)治外法権化するのだけれど、すなわち我々も子孫も短期で償却される奴隷に成り下がるのだが、民衆はもはや危機という概念すら持ち得ないのである。
 

はっきり言うが、これからはそこら中が失業者や売春婦や犯罪者や病人だらけとなり、餓死や自殺や離散や強盗や発狂や野垂れ死にが日常の光景となるのだよ。原発災害と経済侵略が同期するという人類未曾有の地獄世界が現出するのだからね。
 

知覚とシミュレーションの間に本質的な差異が存在しないように、あるいは「水槽に浮かぶ脳」が電極プラグの刺激と幻肢(切除された肉体の感覚)とを区分できないように、彼らはメディアによってファンタジー化された現実と物理的現実を分別できないのであり、すでにこの社会は文明のドラッグが構造化した<共感性の幻覚>という虚構なのである。
 

前景のオブジェクトは実体群の営みではなく、「シミュラクラ(起源やオリジナルをもたない情報の劣化コピーの累積)」なのであり、「現実がモデルを模倣し、モデルが現実に先行し、モデルが現実を決定づける」のであり、すなわち「モデルによって産出された世界(ハイパーリアル)」なのであり、もはや「シミュレーション(報道コンテンツ)の背後に現実は存在しない」のであり、それが「現実の記号による代理の問題」なのであり、「リアル(現実)であると同時にリール(映画)である」というヴィジョンなのだ。
 

ボードリヤールの理論によれば「第一にイメージは現実を反映する。第二にイメージは現実を覆い隠す。第三にイメージは根源的な現実の不在を隠ぺいする。第四にイメージは現実とまったく関係がなくなり、それ自体の純粋なシミュレーションになる」という。
 

つまり二ホンという体系は「シミュレーションの第四様態(Simulation 4th)」というフェーズにあるのだ。そのような前提においては皆様方が精神的に孤立し、近親や知己の者たちと意志疎通できないのも当然なのだけれど、逆説的に今時代においては断絶と疎外が知性の要件であるのかもしれない。換言するならば、群れることよりも独りで黙想することが貴いのである。
 

シミュレーション・プログラムに接続された人間群は、プログラムを介することでしか文化や現実を認識できないのだが、そのように「シミュラクラが先行する状態」とはまさにプラトンが提唱した「洞窟の比喩(Allegory of the Cave)」そのものだろう。
 

総体として人類の知的進化はイノベーションの領域に留まるのであり、支配者と被支配者の知的位階差は埋められないのであり、我々は壁面に投射されたフィギュア(影絵像)を実存だと信じる奴隷世界の蒙昧から未だ逃走できないのである。




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