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6.


 幸一の母親の居場所へは、電車を乗り継いで二時間ほどかかった。移動の最中幸一はよくしゃべった。最近おもしろかったテレビや、艦長の話などわたしも内容は知っているのに、よく笑った。緊張しているのだと思う。当然だ。

 目的の駅に到着すると幸一は、四つ折りにされた一枚の紙をポケットから取り出した。手書きで簡単な地図が描かれてあるそれは、くしゃくしゃになっていた。何度も行こうとして、途中であきらめて折りたたんだあとなのだろう。

 地図を手に、わたしたちは歩き始めた。ビルや店舗は少なく住宅が主で、住みやすそうな街に思えた。

 幸一がある家の前で止まった。ここが幸一の母親と再婚した男性とその子供が住んでいる家なのだろう。

 ごく普通の住宅だった。二階建てで、小さな門がついている。背伸びすると犬小屋も見えた。

「うん。いい家だ」そう言って、幸一は歩き出した。

 わたしは肩すかしをくらった思いで訊いた。「ちょっと、入んないの?」

「会うのは違うような気がするんだ。もうお母さんには新しい家庭がある。あとで電話をするよ」

「あんたはどこまでいい子ちゃんなのよ? 会いたくないの?」わたしが心底呆れた口調で言ったのだが、幸一は微笑むだけだった。しょうがなく立ち去ろうとすると、ドアから人が出てきた。わたしたちは急いでその場を離れて様子をうかがった。

 四、五才ぐらいの男の子が元気に走っていく。すぐにその子の背中は見えなくなった。

「待ちなさい。マサル!」

 後を追って、女性が出てきた。この人が幸一の母親なのだろう。

 格好は淡い紫色のノースリーブに白のスカートというとても夏らしい出で立ちだった。買い物に出かけるのだろうか、手に財布らしき入れ物を持ってこちらに背を向け、さっそうと歩いていく。

「幸一!」わたしは指を差して追いかけようとしたのだが、幸一は口に人差し指を当て首を横に振った。

 やがてその女性もわたしの視界から消えた。

 

 夕暮れ時、わたしたちは公園にいた。二人でブランコに乗り、ただ黙々とこいでいた。

 電話をする、と言ってから、幸一はそれをすぐに行うことはしなかった。疑問を覚えたわたしはすぐにその理由を思いついた。

 話をするのは最初で最後になるからだ。新しい生活を始めた母親と何度も関わりを持つことはできない。幸一は今日の電話で母親と決別しようとしているのだ。

 ブランコだけでは退屈だと幸一が言ったので、靴飛ばしをすることにした。五戦目にしてようやく幸一の靴が、わたしの靴より遠くに飛んだところで幸一が言った。

「電話するよ」

 時間はもう夜で、他に遊んでいた子供たちはとっくに家に帰っていた。わたしたちは公園を出て公衆電話を探し、幸一が一人電話ボックスの中に入った。

 中に入って、幸一はしばらくじっとしていたが意を決した様子でお金を電話機に投入して、電話をかけた。そして二言、三言話したあとわたしに向かってくしゃくしゃの笑顔でピースをしてきた。その笑顔には、もう不足など感じられなかった。幸一の笑顔に足りないものが、何となく分かったような気がした。幸一の笑みは今までは人を安心させるためのものだった。だが、今回は自分の喜びを表すために、ようやく本来の笑みができるようになったのだ。幸一は心の底から母親の幸せを喜んでいた。

 ボックスの中から幸一が出てきたあと、わたしは訊いた。「何を話したの」

「学校の宿題で調査をしていますって言ってさ、今あなたは幸せですかって質問した。そしたら、はい、って言ってくれたんだ。そのあとありがとうございましたって言って切った」

「そっか」

「夜遅くなっちゃったね。帰ろうか」

「うん」

 強いな、と単純にそう思った。幸一は自分の置かれた状況に屈しようとはせずに、立ち向かっていった。そして打ち勝ったのだ。自分で道を切り開いた。

「普通の家族を作るんだ」帰り道に幸一は言った。「僕がいて、奥さんがいて子供がいる。普通でいいんだ」

 

 夢船に戻ると、いきなり美恵先生に頬をぶたれた。

「どこまで行ってたのよ?こんな夜遅くに帰ってきて」

「すみません」

「お父さんに口止めされていたけど、言うわ。今回のこと私も艦長も知ってたんだからね」

「え」わたしの企みは皆にばればれだったのか。

「分からないわけないじゃない。何かこそこそしていたし。いきなりお金が必要だって言うし。でもお父さんがそっとしておけって言うから」

「本当にすみませんでした」

「謝るなら私よりもお父さんに謝って。あの人が一番心配していただろうから」

 外にいた艦長に声をかけると「蛍見たいか」と訊かれた。

「あ、いや」わたしと幸一は直立して同時に「ごめんなさい」と言った。

「プレゼント買ってきたか?」わたしが何と応えていいか戸惑っていると、来年は絶対にくれよ、と笑ってくれた。

「あ」幸一が見ている方向に目を向けると、黄色い光がゆっくりと点滅を繰り返していた。

「蛍。初めて見たかも」

「たまに現れるんだよ。ラッキーだったな」

 数匹の蛍はそのあともゆらゆらと移動しながら輝きを放ち、目を楽しませた。

「お帰りなさい、だな」艦長がぽつりと呟いた。

 

「げ」ノボルはそう言ったまま、固まってしまった。

 暑さがさらに勢いを増す午後に、わたしと幸一とノボルとシュウ君とマーちゃんは再びサファリすごろくを楽しんでいた。

「ほらノボル、『サイとたわむれる』と書かれてあるわよ」

「わ、分かってるよ」そう言いながらも、かなりノボルは動揺していた。

 窓から外を見ると、入道雲が青く抜けるような空に、堂々と居座っていた。どこまでも上空のほうに身体を伸ばしたその姿は、どこか誇らしげだ。

「お父さんと会ってみます」朝、わたしは艦長にそう告げた。「とにかく一度会ってみて、それからどうするか自分で考えてみようと思います」

「そうか。沙里の思うようにしたらいい」艦長はいつもの調子でそう言ってくれた。

 気持ちの変化を強く自覚していた。世の中は頑張ってもうまくいかないことのほうが多いかもしれない。でもわたしはこれからはとにかく動いてみようと思う。先が見えないのなら、自分の足でしっかりと地面を踏みしめて歩いて確かめればいいのだ。

 ふと、わたしはあることを思いついた。あの入道雲なら、この夢船を乗せてくれるかもしれない、と。雲に乗ってどこまで行けるか分からないが、きっと見晴らしは最高だろう。        

わたしはそっと心の中で、浮け、と念じてみる。

奥付



あの入道雲なら


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著者 : 鬼風神GO
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/monument/profile


発行所 : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社paperboy&co.


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