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登場人物紹介

・紅倉美姫(べにくらみき)……強力な霊能力者。自称ロシアンハーフの23歳。

・芙蓉美貴(ふようみき)……紅倉の弟子。18歳の大学1年生。紅倉と同居。

 

 

・重永真利子(しげながまりこ)……20歳。東亜テレビ制作部の契約社員。三津木のアシスタント。

 

・三津木俊作(みつぎしゅんさく)……東亜テレビ「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」チーフディレクター。


1、紅倉の家

 紅倉の家は都内某高級住宅街に周囲の家およそ6軒分の広大な敷地を独り占めしている。

 ドキドキしながらお屋敷通りを訪れた重永真利子は、延々と続く黒瓦白壁の塀に呆れ返った。

 周辺ではこの家を「武家屋敷」と呼んでいる。

 塀のせいで家そのものを確認することは出来ないが、それもそのはず、贅沢にも家はほとんどが1階だけの平屋なのだ。

 こんな時代錯誤なお屋敷に住んでいる紅倉は実は大金持ちのお嬢様だったのか?

 屋根つきのお寺のような門に到着し、黒い2枚戸の入り口で、ピンポーンと呼び鈴を鳴らすと、インターホンのスピーカーから芙蓉の声が応えた。

『ご苦労様です。どうぞお入りください』

 ガラガラガラ……と自動で扉が開いた。

「おじゃましまーす」

 土曜午前のことで、前の道路を散歩中らしい小さな女の子を連れたお母さんが、扉の向こうへ消えていく重永の後ろ姿に見てはいけない物を見てしまったように、女の子の手を取って慌てて早足で離れていった。

 

 重永は縁側の向こうにプールのように白い玉砂利を敷き詰めた庭を望む応接間に案内された。

 玉砂利のプールは50メートルはありそうで、

『マンガかよ』

 と、重永はこの世の不平等さに憤った。

 平屋の家は外観は純和風で、中は和洋折衷で、重永はテーブルに向かったソファーに腰掛けている。

「お待たせしました」

 と、芙蓉に手を引かれ、大あくびしながら紅倉がやってきた。

「すみません。先生は夜型なので」

 と芙蓉が謝り、紅倉先生は、

「寝起きは機嫌悪いんだからあ~~」

 と、ふやけた顔で凄んだ。

 時刻は下手をしたらもうお昼になりそうで、重永は大金持ちの紅倉先生に豪勢なお昼をおごってもらう気満々でいる。

 

 重永が紅倉宅を訪れたのは、次のロケに参加してもらう承諾をいただく為だ。

 重永真利子は丸顔丸めがねの汚れを知らぬ中坊のような二十歳の女である。

 東亜テレビの番組制作部に契約社員として雇われている彼女は、この春、紅倉美姫も同行した中部地方の某心霊トンネルのロケに参加したが、そのロケで恐ろしい現象に見舞われ、スタッフは重永を除いて全員、「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」の制作から去ってしまった。一人生き残った重永は、三津木チーフディレクターの秘書のような形で、このように使いっ走りに派遣されたりしている。

「いかがでしょう?」

 と企画書を……ものすごーく視力の弱い紅倉の代わりに弟子の芙蓉に見てもらってお伺いを立てたが、

「うーーん……」

 と面倒くさそうにあらぬ方を向いた紅倉は、

「わたし、パス。畔田先生にでも行ってもらって」

 と断った。三津木からは「断られたら無理に食い下がらなくていいから」と言われていたので重永も、

「はあ、そうですか」

 と大人しく引っ込めたが、このまま帰ったのでは子どもの使いと一緒だし、お昼までにはもうちょっと間があるので、なんとか粘るネタを探した。

「いやあ、先生、素晴らしいお宅にお住まいなんですね? こちら、ご実家ですか? 執事さんとかいたりするんですか?」

「いないわよー、そんなもの。わたしと美貴ちゃんだけよ」

「こんな広い家に、お二人だけなんですか?」

 重永はマジで驚いた。あまりにも、無駄だ。

 紅倉は猫舌らしく、芙蓉が冷めたのを確かめてからようやく紅茶を飲ませてもらっていたが、おかげで目が覚めてきたらしく、いたずらっぽい顔になって重永を見つめた。

「実はわたし、管理人として雇われて住んでるの。ちゃんとお給料ももらっているのよー?」

「えっ!?」

 それは、番犬としてペルシャ猫を飼っているようなものではないだろうか? おそらくこの世でこれほど役に立たない管理人もいないと思うが。

『もしかして、どっかの大企業の会長に愛人として囲われてるんだったりして……』

 カップを持った紅倉がニヤッと笑った。

「聞きたい~?この家のこと~?」

「は、はい。あ、いえ、えーと…………」

 紅倉の妖しい笑みに危険なものを感じて重永は背中にたらーりと冷たい汗を垂らした。

「実はね、この家、名義はさる土地開発企業の資産なんだけど、その実、さる大物政治家の隠し財産で……」

「あわわ」

「その大物政治家からたちの悪い悪霊に取り憑かれて困っているって相談を受けて、退治してやったんだけど、このおじいちゃんがとんだヒヒジジイで、わたしにセクハラしてきたから」

「それは初耳ですね」

 芙蓉の目が殺気で光った。

「悪霊の十倍乗せしてやったわ」

「先生の純潔は守られたんですね?」

 芙蓉はほっとした。

「いやあ、そうしたらおじいちゃん死にそうになっちゃって、わたしが取り巻きに消されそうになっちゃった」

「どこの事務所です? 潰してきます」

「潰しちゃ駄目よ。ここに住めなくなっちゃうから。わたしも消されちゃうのは困るから、悪霊をどかしてやって、そうしたらおじいちゃん、いやあ参った参った、降参だ、っていうことで、慰謝料代わりにここを提供してくれたわけ。一石二鳥だ、って喜んでいたわねえ」

「と言うことは……」

 重永が嫌な予感にゾクリと背筋を震わせると、紅倉はニタリと笑って揃えた両手をだらんとさせた。

「もちろん、あの世の住人付き」

 重永はひ~~っと震え上がった。

「芙蓉さん、一緒に住んでて、だだだ、大丈夫なんですかあ!?」

「わたしは……別に……」

 芙蓉は不安そうに紅倉を見た。

「今も霊は住んでいるんですか?」

 芙蓉にしてみれば自分は霊能師の弟子なので、いるのなら一緒に住んでいながら見えない方が困るのだが。

「いるわよ、あちこちの部屋に」

「ガアーン……」

 芙蓉はショックを受けて自信喪失に陥ってしまったようだ。

 重永ははたと思いついた。

「先生! この家、取材させてくれませんか!?」

 紅倉の解説つきで自宅のお化け屋敷を紹介すれば話題になること間違いなしだ。

「駄目よお、ここ、秘密の物件だから。あ、重永さん、今の話外に漏らしたら……消されるわよお?」

「あうっ。先生、そういうことは先に……」

 聞くんじゃなかった……と重永は激しく後悔した。これから一生暗闇に怯えて生きていかなくてはならない…………

 どよーん……と落ち込んだ二人を眺めて、紅倉もちょっと悪ふざけし過ぎちゃったかしら?と反省した。

 うーん……、と考え。

「あ、ちょうどいいのがあった。あれなら番組にしてもいいわね」

「なんです?」

 企画ゲットに重永はパッと顔を上げて輝かせた。

「玄関に大きなのっぽの古時計があったでしょ?」


2、祟る古時計

 紅倉家の玄関は、土間も広いが、靴を脱いで上がる廊下がまたホテルのフロント並みに広い。その広い廊下の奥の壁に問題の時計が置かれている。

 英国からの輸入品だそうだから、ロングケースクロック、と呼ぶべきだろうが、

 

 グランドファーザークロック

 

 いわゆる

 おじいさんの大きな古時計

 と言うアメリカ式の呼び方の方がしっくりくるだろう。

 おじいさんの時計があるならおばあさんの時計もありそうなもので、

 大人の背丈より大きな物をグランドファーザークロック、それより少し小振りで装飾の派手な物をグランドマザークロックと呼ぶ。

 現在はみんなひっくるめてホールクロックと言うのが一般的らしい。

 縦に長ーい箱の、上部に時刻を示す文字盤があり、その下のガラスの窓の中に動力源である大きな振り子があるのだが、残念なことに振り子は止まっていて、時刻は刻まれていない。どうやら故障してしまっているようだ。

 高さはおよそ2メートル30センチ。重さも相当あるだろう。

 ケースは茶色いどっしりした木製で、ロンドンのおしゃれなマンションみたいな屋根がついていて、アンティークな高級家具の風合いを醸し出している。実は昔の輸入物はフランス製の機械だけ輸入して、外の箱は日本の家具職人が作った物が一般的で、これは日本に限らず世界中でこのスタイルで売られていたらしい。

 文字盤は普通に白い丸に黒いローマ数字のシンプルな物だが、その下のガラス窓の中の振り子は大きな金メダルが竪琴を模したような金のアームにくっついていて、実に堂々として美しい。

 中の金色も輝いているし、外の箱もよく磨かれてつやがあり、状態はまだ新しい物に見えるが。

「これ、明治時代の物で、120年前の時計ですって」

 と紅倉に説明されて、

「へえーーー」

 と重永は感心した。

「そんな昔の物じゃあ故障しちゃうのもしょうがないですねー」

「そうねえ。

 元々はさる華族の政治家の家の物だったそうだけど」

「さるかぞく? ああ、政治家一家ですか、世襲の」

「かぞく違い。明治維新でそれまでの身分制度が廃止されて、新たに元貴族や大名たちに与えられた貴族階級のことよ」

「ああ、その華族ですか。はい、ちゃんと歴史の授業で習いました」

「じゃあ、鹿鳴館も分かるでしょう?」

「ええーとお……、高級ホテル……でしたっけ?」

「明治政府が西洋人のVIPを接待する為に作った公の社交場よ。それこそ華族のご夫人やご令嬢がスカートの思いっきり膨らんだドレスを着た絵とか見たことない?」

「あー……、あります、多分……」

「んじゃあ、三島由紀夫の戯曲『鹿鳴館』は?」

「えーと……、すみません、知りません」

「鹿鳴館を舞台にした恋と陰謀の悲劇でね、政治家の暗殺事件が描かれているのよ。明治10年に西南戦争が起こって、11年に大久保利通が暗殺されて、14年に板垣退助が暴漢に襲われて、色々と物騒な時代だったのよ」

「はあ……」

 重永は、

『めんどくさ。さっさと三津木さんに報告に帰ればよかった』

 と思い、あっ、と慌てて携帯のカメラで撮影を始めた。

「でね、この時計のあった華族政治家の家も過激派青年に押し入られて、主はあわやというところで助かったんだけど、代わりに若い女中さんが殺されてしまってね。その時計は、L字型に折れた廊下の奥に置かれていたんだけど、その事件以来、その女中さんの幽霊が現れるようになったそうよ」

「へえー……」

 時計は1時58分で止まっている。もしかしてこれがその女中が殺された時刻だろうか……

「で、その後その華族の家は取り壊されて、この時計はあちこち放浪することになったんだけど、代々の持ち主に受け継がれている言い伝えがあってね、いわく、

 

『決してこの時計を動かしてはならない。動かせば、恐ろしい事が起きるぞ』

 

 ですって」

「へえー。動かしたら、何が起こるんでしょうね?」

「さあ? 何が起こるのかしら? ……知りたい?」

「ええ~~……」

 さっきの事もあって重永は警戒した。

「なんなら、番組にしてもいいわよ?」

「本当ですか? えーと、どうしましょう?」

「ああ、ここは駄目。そうね、どこかのお寺の本堂を借りて、お化けが現れた時に備えてお坊さんを5、6人も待機させておいてちょうだい」

「えー? お化けなんて、先生が一人いれば十分じゃないんですかあ?」

「いえ。わたしは画面には出ません」

「ええー? 先生、出てくれないんですかあ?」

「だってえ、ばれたら怒られるもん」

「はあ……」

 面倒くさいなあ、と重永は思った。紅倉が出演しないんじゃ華やかさがない。お寺で古時計の解体修理の様子を写して、それで何も起きなかったら……坊主たちをどうすりゃいいんだ?

「先生え、本当に何か起きるんですかあ?」

「疑うのお?」

「えええ~~……」

 どうもただからかわれているだけのような気がして半信半疑だったが、

「分かりましたあ。ありがたく上司に報告させていただきますう。追ってご報告とお願いをする事になると思いますのでよろしくお願いします」

 とお願いして、重永はキョロキョロした。時計がない。無駄に大きい止まった時計があるのに、まともに時刻を刻んでいる時計がない。携帯を見ると午後0時20分だった。

「先生、普通の時計は置かないんですか?」

「あ、そっか。あった方がいいかなあ?」

「そうですね。つい、この時計を見ちゃいますから」

 紅倉の問いに芙蓉が答え、

「そう。じゃあ今度適当なの買ってきて」

 と、玄関にまともな時計が置かれる事になったようだ。重永は今さらながら訊いてみた。

「この時計、なんで置いてるんです?」

「さあ? アンティークなんじゃないの?」

 この家同様、まったく無駄な存在だなと思ったが、家と物と住人と、実に似た者同士が揃ったものだ。

「ところで先生、お昼、過ぎちゃいましたね? すみませーん、こんな時間までおじゃましちゃってえ。お二人は、お昼はあ?」

 一緒にごちそうしてほしい気満々で嫌らしく訊ねると、紅倉も芙蓉に、

「そういえばお腹すいた。ご飯ちょうだい」

 とおねだりした。

「では、煮麺でも作りましょうか」

「に、にゅうめん?」

 なにゆえ今どきわざわざそうめんを温かくして食べるような半端な食べ物を?

「先生は色々NGの食べ物があるんです。熱い物、冷たい物、脂っこい物は駄目です。そばは消化に悪いですし、うどんは喉に詰まらせます」

 ほんっと、めんどくさい人だなあ、と重永は目を線にした。

「お腹すいたあー、すぐ食べたい~」

 紅倉が駄々をこね、

「では、サンドイッチにしますか?」

 ということで、三人で近所の評判のパン屋まで散歩がてら買いに出かけた。

 おごってもらったパンは評判通りとても美味しかったのだが、重永は、

(紅倉先生とのおつきあいで過剰な期待をするのはやめにしよう)

 と自戒したのだった。


3、時計が時を刻むとき

 某日午後7時、都内某寺の境内にて、某旧家に伝わる120年前のグランドファーザークロックの修理が行われた。

 時計をここまで運んでくるのは大変で、重量は75キロあった。

 古い機械時計専門の修理師が呼ばれ、ずいぶん体格のいいおじさんがやってきたが、依頼された当初は、

「そんな数時間で修理できるような簡単な物じゃないだよ?」

 と文句を言い、スタッフから「とにかくやってみてください」と頼み込まれて、仕方なく出張してきてくれたのだった。

 来たはいいが、仕事場である寺の本堂の様子にはギョッとした。

 テレビの取材で、どうやらお化けが取り憑いているらしい時計というのは聞いていたが、お坊さんが5人、観音菩薩、勢至菩薩をお供にした阿弥陀如来のご本尊を背にずらりと正座している。

 カメラの為に表の戸は開け放して、眩しい撮影用ライトの為に寒くはないが、向こうに墓所が広がっている。

 異様な雰囲気にすっかり気をのまれてしまったが、撮影の責任者である三津木ディレクターに挨拶され、職人としてのプライドを取り戻すと修理師・岩崎氏は改めて説明した。

「時計の修理というのはそんなに簡単にできるものではなくて、大型のボックスクロックの場合ですと、まずお宅にお伺いして、分解して機械部分を取り外します。状態を確認して、見積もりを作って、修理してくださいとなったら機械を持ち帰って、修理して、完了したら再びお宅に機械をお持ちして、調整をしながら組み立てます。1台につき、だいたい3週間から4週間かかります。ですからここでは、分解して状態を見るところまでしかできませんよ?」

「ちょっとお待ちください」

 と三津木は携帯で紅倉にかけた。

 紅倉は母屋で芙蓉と一緒にモニターを見ている。

「ということです。どうしましょう?」

 と三津木に問われた紅倉は、

『まあ、とにかく専門家に見てもらいましょう?』

 と答え、三津木は、

「ともかく、お願いします」

 と岩崎氏を促した。

 岩崎氏は仕方なく作業を始めた。

 

 そもそも本当に故障して動かないのか?、から確かめなくてはならない。

 道具の入った鞄を板間に置くと、時計を調べ始めた。

 第一印象は、ずいぶんきれいな物だな、というものだった。

 文字盤に3つのネジ穴がある。

 ゼンマイ式か、と思って何気なく文字盤脇の扉を開いた。たいていここにゼンマイを巻く鍵がかけられている。

 案の定、鍵はかかっていたのだが。

 開いた扉から機械部分を覗いた岩崎氏は、

「あれ?」

 と思わず声を出してしまった。

「どうしました?」

 と三津木が声をかけると、岩崎氏は困惑した顔を向けた。

「これ、故障してるんじゃなくて、わざと動かなくしてあるんじゃないかなあ?」

 ポケットで携帯が震えた。紅倉からだ。

「はい?」

『お探しの物は後ろの扉の中です』

「はあ。岩崎さん、後ろの扉の中だそうです」

「ええ?」

 時計は本堂の真ん中に厚いタオルを敷いた上に置かれている。

 後ろに回った岩崎氏は下から上まで全面の扉を開けた。

 そこには教会のパイプオルガンのように音階に合わせて順々に長い物から短い物へ銀のパイプが9本並んでいたが、その下に、何か布にくるまれて納められていた。

 ずしりと重い。

 手に取った岩崎氏が中の物を落とさないように慎重に布をめくると、3本の金の円柱が現れた。

「やっぱりね」

 得心した岩崎氏は、携帯を耳に当てたままの三津木に、電話の相手は全部知ってるんだろうなあ、とちょっと腹立たしいような顔をして、専門家の説明をした。

 

「この時計は重錘(じゅうすい)式、つまり、錘(おもり)の下がる力を動力とした時計です。これがその錘です。フックがあるでしょう? これを、時計の歯車に連動した鎖に掛けて、時計を動かします。その鎖はちゃんと付いているようです。ですからおそらく、この錘を鎖に掛けてやれば、時計は動くんじゃないかと思います。錘が3つという事は、時計の針を動かすのと、時報を打つのと、オルゴールを鳴らすのでしょう。文字盤のネジ穴はゼンマイを巻く為の物ではなく、鎖を巻き上げる為の物です。錘はどんどん下がっていきますから、そうですね、この大きさだと、週に1度くらいは巻き上げてやらなくては、下がり切って、止まってしまいますね。

 ついでに振り子についても説明しましょうか?

 振り子は時計を動かす動力ではありません。振り子というのは重さと長さが同じであれば常に振れる周期は一定です。この性質を利用して、時計を動かす歯車の動きを一定に制御して正しい時間を刻むようにしているのが、脱進機という仕組みです。時計がカチコチと言うのはこの脱進機が歯車を一瞬止めている音です。

 さて、それで、どうします? 時計は、もう動かしちゃっていいんですか?」

 

 岩崎氏に呆れ返ったような視線を向けられてお坊さんたちがはっと緊張した。

 三津木はニヤリとして言った。

「ええ。お願いします」

 三津木に、しっかり撮れよ?、と視線を向けられて、カメラを構えるスタッフたちも緊張した。

 

 岩崎氏は前の扉から機械部分の底を覗き込んで、3本の鎖がそれぞれどの役割を担っているのか見極め、金の錘を掛けていった。

「時刻はこのままでいいんですか?」

「ええ。そのままで」

 1時58分だ。

 岩崎氏は3番目の錘を鎖に掛けると、それを左手で固定して、右手で振り子を一方に寄せて、神経を集中させて中の機械の状態を探り、そっと、両手を放した。

 コッチ、コッチ、コッチ、

 秒針が無いのではっきりとは分からないが、振り子が左右に振れるのに合わせてリズミカルに音が刻まれ、どうやら時計は動き出したようだ。

 じっと針を見つめていた岩崎氏も、

「はい。ちゃんと動いてます」

 と太鼓判を押した。

 コッチ、コッチ、コッチ、

 1時59分。

 三津木の指示でライトが落とされ、灯りは堂内のろうそくだけになった。

 現在の本当の時刻は7時50分になろうというところだが、

 本堂のこの空間は、規則正しい音によってまるで催眠術にかかったように、おそらくは、深夜2時、

 丑三つ時になろうとしている。

 時計は動き出した。

 はたして。

 

 じっと集中していると分針がじわじわ動いているのが見えるようになってきた。そして、

 

 リンゴンリンゴンリンゴン……

 

 思いがけず華やかな、けれど柔らかな響きの鐘が鳴り、聞き慣れないヨーロッパ的なメロディーを奏で、

 

 ゴーン、ゴーン……

 

 2つ、重い鐘が鳴った。

 

「わっ」

 岩崎氏が驚いた声を上げて飛び退いた。

 時計の文字盤から、振り子のガラス窓から、ボックス全体から、

 緑色の煙のような光が漏れだしてきた。

 5人のお坊さんたちが揃ってお経を唱えだした。

 緑色の光はいくつもの玉になって宙を飛び交いだし、お坊さんたちの声が高くなったが、必死の感じがありありして、ビビっているのが丸分かりだ。

 光の球は尾を引いて飛び回った。人魂だ。

 人魂はどんどん時計から吐き出されて、その数、30か、40か、50もありそうで、本堂はまるで大きな蛍の群れに占拠されたような有様になってしまった。

 岩崎氏はひいっと表に逃げ出し、逃げ出すわけにはいかないお坊さんたちはますます必死にお経の声を張り上げた。

 人魂たちは水槽にでも入れられたみたいに堂内を飛び回るばかりで、なかなか消える気配を見せない。緑の光の群れの向こうに隠れがちなお坊さんたちの声もそろそろ限界かと思われた頃になって、

 墓地に大きな光の球が浮かんだ。

 すると緑の人魂たちはそれに向かってなだれを打って開け放たれた出口から飛び出した。

 人魂たちが光の球に飛び込んでいくと、球からは天に向かって光の柱が立ち、その中を白く浄化された玉が次々高速で打ち上がっていき、ほんの十数秒ですっかり人魂がいなくなってしまうと、光の球も消え、寺はしんと静まり返った。

 コッチ、コッチ、と、

 時計の時を刻む音だけが響いていた。


4、時計を止めたのは

「すみません。実は2つほど嘘をついていました」

 てへ、と舌を出して、

 騒ぎが治まってから、紅倉は芙蓉、三津木、重永、岩崎氏を相手に、今回はオフレコで、真相をしゃべりだした。

 

「あの置き時計がさる華族の政治家の家にあった物だと言うのは本当です。でも暗殺騒動があって、若い女中が犠牲になって殺された、というのはよその屋敷の話です。どういう事かと言うと、あの時計に代々言い伝えられている

 

『決してこの時計を動かしてはならない。動かせば、恐ろしい事が起きるぞ』

 

 っていう誡めは、実は家の主が家の者たちに言った事で、実は、動かすって言うのは、時計の針の事じゃなくて、時計その物の事だったのよ。どういう事かって言うと、その時計の置かれていた裏の壁に、外の物置へ通じる秘密の抜け穴が作られていたのよ。75キロもある時計だから動かそうったってなかなか動かせる物じゃないけれど、床がスライドする仕掛けが作られていて、素早く動かせるようになっていたの。けれどここで一つ問題が起こってね。

 その華族って言うのはそこそこの地位の人だったんだけど、そんな秘密の抜け穴なんか作るくらいだからずいぶん心配性で、ご近所でそういう暗殺騒動もあったりして、その抜け穴が開く仕掛けがちゃんと動くかどうか心配で、しょっちゅう夜中こっそり一人で試していたのね。すると、

 こういう振り子時計って、振動にすごく弱いんですよね? 地震が起これば止まるし、それこそ殺人事件なんかでバタバタ騒げば、止まっちゃって、犯行時刻を教えてくれる事になるし」

 

 紅倉の視線に岩崎氏は「そうですね」と頷いた。

 

「で、そうやってしょっちゅう動かしていたものだから、時計はしょっちゅう故障して止まっちゃっていたのね。

 しょっちゅう故障するものだから、その原因が主が夜中こっそり動かしているせいだと知らない家の者たちはこの時計を、不良品じゃないか? 新しい物に取り替えさせよう、と言いだして、これは拙いと思った主がとっさに言ったのが、

 

『決してこの時計を動かしてはならない。動かせば、恐ろしい事が起きるぞ』

 

 ってセリフだったわけ。家の者たちは当然、なんで?、と首を傾げて、主は苦し紛れに、

『この時計を止めているのは◯◯家で殺された女中の幽霊だ。暴漢に襲われた時、女中はとっさに時計の中に隠れようとしたのだが、見つかってあえなく殺されてしまった。事件後◯◯家の時計は捨てられてしまったから、殺された無念で成仏できないでいる女中の霊は、安全な場所を求めてこの時計に潜り込むのだ。だからこの時計を動かせば彼女の怒りを買って恐ろしい祟りが起こるぞ!』

 ってお話を作ったわけ」

 

 紅倉は自分で話しながら笑っていた。

 

「なかなか想像力に富んだ華族様ね? グリム童話に『オオカミと七匹の子やぎ』って話があるでしょ? お母さんがお出かけして7匹の子やぎたちが留守番している家にオオカミがやってきて、お母さんのふりをしてまんまと家に入り込んで、子やぎたちを食べちゃうんだけど、末の子やぎだけとっさに時計の中に隠れて助かるの。その子やぎの隠れた時計が、まさにああいう柱時計。グリム童話が日本に翻案紹介されたのは明治20年の事だそうだけど、ハイカラ好きのご主人は読んでいたのかしらねえ?

 で、そう言われた家の者たちは、なんでよその家の幽霊がうちに住み着くんだ?、と疑問に思ったけれど、ご主人様がそうだと言うのに反論も出来ず、仕方なく、故障した時計をそのまま、置きっぱなしにすることになったの。

 で、時が経ち、時代も変わり、栄華を誇った華族様も往年の勢いは無くなり、財産の処分をしなければならなくなった時、ようやく時計の裏に隠された秘密も発見されたんだけれど、ま、今となっては笑い話よね。抜け穴を作った主も暴漢に襲われる事なく天寿を全うできたし。時計は修理すれば動くようになったんでしょうけれど、修理代を出すのももったいなく、いっそ幽霊つきの時計として売りに出した方が物好きが興味を示して高く売れるんじゃないか?という計算で、そのまんま、『決してこの時計を動かしてはならない』という訓戒つきで、あっちこっち物好きたちの間をさまよって、現在はわたしの住んでいる家に収まっているってわけ。

 でも、すごいわよね? 震災も空襲も生き残ってこうして完全な姿で残っているんだから。どこか途中の持ち主が修理を施したようだけど、住み着いていたメイドの幽霊には会えたのかしらねえ?」

 

「そうですよお」

 と重永が口を尖らせた。

「故障してないなら、なんで時計は止まっていたんですか? それに、その幽霊話がデマなら、さっきの大量の人魂はなんだったんですか?」

「ああ、あれねえ……」

 紅倉が怪しく視線をあらぬ方に向けた。

 

「わたしが住むようになった時点で、あの時計は完全に錘が下り切って、止まっていました。誰もあんなアンティークな時計の動かし方を知らないで、興味もなかったんでしょうね。

 ・・・・・・・

 わたし、お仕事で色々危ない場所に行くでしょ?富士の樹海とか。

 するとね、灯りに群がる蛾みたいに、ついてきちゃうのが多いのよねえ…………

 わたしってえ、悪い幽霊を、えいやっ!って、やっつけるのが得意で、悩める霊魂をこんこんと諭して成仏させるってスタイルじゃないのよね、めんどくさい。

 ほらあ、人間でもいるでしょう?全然タイプじゃないのに好意を寄せられて、苦手なのよねえー、って人。わたしを頼ってついてきちゃう霊って、はっきり言って迷惑なのよね。

 でね、そういうのって、話しかけると喜んじゃって、しつこくなっちゃうじゃない?

 それでえ、けっきょく家までついてきちゃった人たちは、ゴミ箱に捨てちゃうわけ。

 …………ちょうどいいのよねえ、時間の止まっちゃった、大きな古時計。

 時計が動いて外の世界とシンクロしちゃうと、中の霊たちが活発になって、外に出てきちゃうから、賢い美貴ちゃんが仕掛けに気づいて動かしちゃわないように錘を取り外して隠しておいたわけ」

 

「なんだ、やっぱりあんた知ってたんだ?」

「教えてくれれば動かしたりしませんよ?」

「あはははは。ごめんなさい。浮遊霊をポイポイ、ゴミ箱に放り込んでいるような女、嫌だろうなあって思って」

「そんなことありません。きれい好きでたいへんけっこうです」

 と褒めたたえる芙蓉の横で重永は、

『ストーカーやゴミと一緒の扱いをするって、幽霊にすっげー失礼な師弟じゃん』

 と白い半眼になった。

「でね、そろそろいっぱいかなあー、処分しないとなあー、でも調子に乗ってポイポイ捨ててたからなあー、家の中で処分しようとするとさすがにきついなあー、どうしよおー?……って思ってたところに重永さんが来てくれたから、手伝ってもらおうかなあーってね」

「なるほど、それで今回、自分は出演しない代わりにギャラはいらない、ってことだったんですね?」

 と三津木はニヤニヤした。

「文句はないでしょう?」

「ええ。また何か面白いネタをお願いします」

「これだけです。もうありません」

 紅倉はすました顔をしたが、三津木は全然信用しないでニヤニヤして、重永も、

『まだゴロゴロあるに決まってるじゃん。あの家自体が幽霊物件よ』

 と思った。

 

 

 

 その後。

 芙蓉は廊下でちらちら、メイドらしき女性の影を見るようになった。

「先生。わたし、見えちゃうんですけど」

 と紅倉に訴えると、

「あれー? 本当に古時計の中でメイドさんの幽霊が眠ってたのかしら? あちゃー、いっしょに起こしちゃったかしら?」

 と白々しくすっとぼけられた。

 怪談を語っていると本物の幽霊が寄ってくるというのはよく言われる事だから、噂の立った時計に本人が取り憑いてしまったのかもしれない。

 なかなか芙蓉には正面からしっかり姿を見せてくれないメイドの幽霊だが、若くて、なかなか美人のような気がする。

 本当に時計に隠れようとしたお茶目さんなのかは分からないが、是非とも正体を見極めたいと思うのだった。

 お寺の本堂で聴いたオルゴールが気に入って、時計は時計として使うことにして、コッチ、コッチ、と玄関に時を刻む音を響かせている。

 

 終わり

 

 

 2014年9月作品


この本の内容は以上です。


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