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「12才の誕生日、おめでとう」

 

 会社から帰ってきたパパがそう言って、リボンのついた箱を渡してくれた。箱をあけると、中にはツバサが入っていた。

 

 わたしの12才の誕生日のパパからのプレゼントは青いツバサ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 パパが箱からツバサを取り出してわたしの背中にあててくれた。

 

「どうだろう。サイズや重さもキミの体形に合うと思うのだが」

 

「うん。ちょうどいい。それにいい色だわ。晴れた秋の空のような透き通った青。ああ、ふわふわしている。手ざわりもすてき」

 

「よく似合っているよ」

 

「ありがとう。パパ」

 

 子どもは12才を過ぎたころから、そろそろツバサをもたなくてはならない。

 

 仲良しのサエちゃんもイチくんも、もうツバサをつけて飛んでいる。

 同級生のギンタくんなんか飛ぶのが(12才にしては)とても上手で、このごろは、歩くより飛ぶ時間のほうが長いのだと言っていた。

 

 ツバサをもつと、今までよりも短い時間で今までよりも遠いところへ行けるようになる。

 今まで行ったことのない高いところへも行けるようになる。

 今までしたことのないツバサを使った遊び(飛び鬼ごっことか、雲の上かくれんぼとか、空中かるたとか)とかもできるようになる。

 

 

 


 

 どのようにしたら綺麗に飛べるか、高く飛べるか、遠くへ飛べるか、ということは、わたしたちの間では、とても重要なことだった。

 飛ぶことをものすごく練習する人もいるし、まったく練習しないで器用にできる人もいるし、まったく練習しなくてそれでほとんど飛べなくても気にしない(あるいは気にしていないふりをする)人もいる。

 

 飛ぶ姿が綺麗な人は素敵だ。

 

 ママはとても綺麗に飛んでいた。

 

 青い空を、ゆるやかに、艶のある紅色のツバサをはばたかせて飛ぶ姿は、印象的だった。

 その上、ママは高く飛ぶことも得意だった。

 それである日、高く高く飛びすぎてしまって、もとのところ(ここ)にもどれなくなってしまったのだ。

 

 時々いるのだ。そういう人。(高く飛んでも遠くへ飛んでももちろん、上手にもどって来られる人もいる)

 

 


 

 もどれなくなるのは、危険なことだからあまり高く飛ぶことや遠くへ飛ぶことは勧められないと、大人たちは口をそろえて言う。

 

 けれど、高く飛ぶこと、遠くへ飛ぶこと、その上で綺麗に飛ぶことは、なんといってもすごいことで、わたしたちの憧れなのだ。

 

 

 窓を開けると、サエちゃんとイチくんが、ちょうど、うちの真上を飛んでいるのが見えた。

 

 わたしは身構えた。

 

 うまく飛べるだろうか。

 

 高く飛べるだろうか。

 

 遠くまで飛べるだろうか。

 

「パパ」

 

「ん」

 

 夕食の支度を始めたパパがわたしを振り返った。

 

 ちょっとまぶしそうに目を細めたのは、わたしのツバサ姿がよく似合ってるからかな、と思うのはうぬぼれかな。

 

「飛ぶ練習、してくる」

 

「ああ気をつけて行っておいで」

 

 わたしはサエちゃんとイチくんに手を振った。

 


 

 ふたりともツバサをつけたわたしに気づいて、早く早くと、手招きをしている。

 

 

 

 深呼吸をひとつ。

 

 窓辺から空に向かって、うんと背伸びした。

 

 

 そして、

 

 

 

 

 飛ぼう。

 

 

 

 

 

 

 

 

      「青いツバサ」fin.

 

 

 

 



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