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1、「母さん。オレ」

「ああ、母さん。オレ、英夫だけど。ご無沙汰です。あのねえ、母さん。実は……助けてほしいんだ。実はね、会社にいきなり人相の悪い男たちがやってきて、オレの友だちがその人たちに借金していて、オレがその連帯保証人になっているっていうんだよ。いや、そんな覚えないんだけど、電話で話したらオレしか頼れる相手がいないから助けてくれ、頼む、って頼まれて。どうも声を聞くと殴られてひどく口が腫れているみたいなんだ。オレの所に来た連中もどう見てもまともな奴らじゃないし。それでね、友達の身も心配だし、オレもこんな連中に会社に押し掛けられちゃオレの信用が危うくなるし、それでね、払ったんだけど、給料日前でちょっと足りなくて……。それで、ほんと、悪いんだけど、50万円、ちょっとの間でいいから貸してくれないかなあ………。うん、オレは120万払ったんだけど、足りなくてね、困ってるんだ。振り込め詐欺? ハハ、まさかあ。うん、間違いなく友だち本人だよ、オレが自分であいつの携帯に電話したんだから。だいじょうぶだよ、ちゃんと知ってる……ほら、高校時代の石田だよ、ウオカワの近所の、うちにも遊びに来たことあったと思うよ。うん、顔見れば母さんも分かるよ、きっと。そう、石田なんだよ、暴力団に捕まってるの。いや、そうと決まってないけど、見るからにねえ。うん、そう、50万、銀行に振り込んで欲しいんだ。だいじょうぶ、絶対石田に返してもらうから。あいつもきっとぼったくりバーかなんかで捕まってるだけなんだよ。金さえ払えば解放されるから。うん、そうしたらあいつとよおく話すよ。うん、うん、ごめんね、心配かけて。うん、50万。すまないね。だいじょうぶ? ごめんね、すぐボーナス出るから、そしたらすぐに送金するし、迷惑かけたお詫びにこっちのデパ地下の人気のケーキでも送るよ。うん、うん、アハハ、分かったよ、送るよ。うん、それじゃ、銀行の番号言うね、いい?

 

 うん、ほんと、悪いねえ。大晦日にはミユリ連れて帰るから。うん、なんとか休み取るよ。うん、楽しみにしててよ。それじゃ、出来るだけ早くお願いね。うん、ごめんねえ、必ず返すから。ありがとう、感謝するよ。あ、ごめん、オレ急いで会社に戻らなくちゃ。うん、あんな連中いつまでも会社に居させるわけにいかないから。うん、それじゃね。うん、忙しいんだよ。今の世の中、忙しさに文句を言っちゃあ贅沢だね。じゃ、また夕方に電話するから。うん、石田の奴にも謝らせるから。うん、じゃ、お願いね。じゃ」

 

 

 

「ほい、ご苦労さん。上手くいったぜ。今回の売り上げは……っと、へへへ、おまえさんらには教えられねえが、ほら、きちんと時給払うぜ。へへへ、商売は信用第一ってな。はい、ご苦労様。給与明細はいらねえな? ハハハ。ま、また縁があったらそんときゃまたよろしく。はい、じゃあな」

 

 

 

 正治はいわゆる「振り込め詐欺」の電話係で犯罪を犯した。

 ネットカフェでスカウトに遭い、オーディションを受けて合格し、彼自身は26歳だったが、17歳から40歳まで、幅広く20人ほど声優を演じた。

 4日間の合宿生活で、10万円のバイト料を得た。2万円事前の約束よりピンハネされたが、ウイークリーマンションの1室で7人の相部屋ではあったがとりあえず3日間寝床の心配をせずに済み、食べ物も暖かい弁当を食べさせてもらったのだから文句はない。

 

 「振り込め詐欺は立派な犯罪です」

 

 そんなのは分かっているが、犯罪者となってしまった今もさしたる罪悪感はない。

 20万、30万、40万、50万。自分の演技でどれだけの成功率なのか分からないが、幹部たちのニヤニヤ顔を見るとけっこうな成功率のようだ。

(ため込みやがって)

 と、正治は思った。どうしてそんな大金いともあっさり出せるものか?

 それだけの貯金があるだけいいじゃないか。

 自分の銀行口座なんてとっくに残高0になって、もう何年もほったらかしだ。

 そう思って自分の犯罪の被害者たちに対する申し訳なさもまるでなかった。

(ちくしょう、幸せな馬鹿どもめ)

 としか思わなかった。

 正治はもらった金でカプセルホテルに泊まり、久しぶりにベッドを独占して手足を伸ばしてぐっすり眠った。


2、「正治か?」

 正治のネットカフェ暮らしはその後も続いた。カプセルホテルなんか泊まってたらあっという間に財布が空になる。

 最近は雇う側の規制が厳しくなって、日雇い仕事にもなかなかありつけない有様だ。

(くそっ、何が労働者の権利だ。そんなもの、フリーターにはいらねえ! どいつもこいつも恵まれやがって!)

 ネットカフェの個室で空腹に腹を痛め、体を椅子に丸めてうつらうつらしているときだった、

 携帯に着信があった。

 発信者は不明だ。しかし誰であってもこれ以下最悪はない。

「はい、もしもし」

 仕事の口かも知れないのでせいぜいご機嫌を取って明るく言う。

 

『正治か?』

 

 訛りのある老女の声。誰だ?と思った。

「もしもし、どなたです?」

『わっしだよー、婆ちゃんだよ』

「婆ちゃん?」

 その訛りの強いしゃべり方とちょっとしゃがれた甘い声に正治は懐かしさを覚えた。

 しかし、

(ふざけやがって)

 とすぐに思いを切り替えた。

 正治の祖母は5年も前に死んでいる。

『正治ー、元気にしとっかー?』

 正治は、ケッ、なに言いやがる、間抜け野郎め、と思いつつ、

「ああ、まあね。ぼちぼちってとこ。婆ちゃんは?」

 とすっとぼけて会話を合わせた。

『婆ちゃんは変わりないよー。もう年だかんねー、ゆっくり弱っちくなっていくだけだよー』

「そんなこと言わないで、元気で長生きしてくれよ」

 言いながら正治はあざ笑う。相手は本当に婆あか?それとも俺みたいに若い奴が老婆の声真似をしているのか?

 笑いを隠して言う。

「で、婆ちゃん、どうしたの? なんか用?」

 俺みたいな金無し相手にどんな詐欺を働きやがる気だ?

『正治う……』

 老女役の女はせいぜい元気のない声で言う。

『おまえこのところうち帰っとるかー? 父ちゃん母ちゃんに、電話してやってみれ?』

「父ちゃん母ちゃんがどうかしたん?」

『あんなー、最近はやっとるだろー、振り込め詐欺っちゅうのんが。あれになー……、母ちゃんが引っかかってしもうたんだわーー……』

「はあん? 振り込め詐欺に母ちゃんが?」

 正治は笑いをこらえるのに必死だった。なんだよ、自分と同じシナリオかよ、と。

「たいへんだあ! いったいいくら?」

『50万円だってよー。大金だあなー』

「50万! それは大金だな。払っちゃったの? もう、母ちゃん、なんでそんなのに引っかかっちゃうんだよお。それにしても50万なんて大金、よくあったな?」

『そんだよー、蓄えの貯金みんな下ろしてしもうて、みーんな振り込んじまったんだわー』

「たいへんだなあ」

 正治は心の中で笑っている。それで、いくら振り込んで欲しいんだ?

「生活だいじょうぶか? 食うものあるんか?」

『農家だものお、食うもんなら事欠かないがな。それに兄ちゃんがおるからええわいな』

 チッ、調べてやがるな、とムカついた。

『それより父ちゃんが怒ってしもうて、母ちゃんかわいそうに、すっかり落ち込んでしもうてなー。正治ーー』

 そろそろ来るか?

『おまえ、こっちさ帰ってこんか?』

「は?」

 正治は戸惑った。どういうシナリオだ? それとも、これは……

『おまえが帰ってきたら、母ちゃんも安心するだでえ。父ちゃんも、口では厳しいこと言うども、おまえが帰ってくりゃちゃんと将来考えてくれるでえー。な、帰ってこい。兄ちゃんも、おまえがいっしょに畑やってくれれば助かるでえ。なあ、正治う?』

 正治は、こいつはとんだ振り込め詐欺だ、と思った。

 誰だ?

 堅物の父や兄がこんなしゃれた真似はしないだろう。親戚の誰かか?

 しかし携帯の番号はとっくに変えて誰も知らないはずだが…………

『なあ、正治う。帰ってこいー。なあ? 母ちゃん慰めてやってくれ、なあ?』

 正治は腹が立った。まさか自分が振り込め詐欺に荷担したなどと知りはしないだろうが、それもあり得なくはないだろうと考えられたシナリオだ。罪悪感をかき立てて、田舎に帰ってこい、だあ?

 ふっざけんなよ、だれがあんなところ………

『正治うー』

「うるっせえ、バーカ!」

 正治は老女を怒鳴りつけて通話を切った。

 胸がムカムカした。

(ちきしょう、世の中の奴らどいつもこいつも………)

 

 それから3日後。

 またネットカフェで腐っている正治の携帯に着信があった。

 非表示。

「はいー、もしもしー」

『………………………』

「……もしもーし」

『………………………』

「………………………」

『………………………』

「おい、ふざけんなよ。もしもし? どなたあ?」

『………………………』

「おい、誰だ?」

『……………………ふ…』

「あん?」

『…………』

 まるで地獄の底からのような低い声が言った。

『……ざまあみろ……』

 老人の、男の、声だった。

「え? なに? おまえ誰だよ?」

 しかし通話は切られていた。

「くっそ、むかつく野郎だぜ」

 正治は携帯を閉じ、イライラとしていたが、ふと、気になった。

「……………………家、かけてみるか……」

 それからも考え込み、気が重いながら嫌々といった感じで懐かしい家の番号を押した。

『もしもし』

「もしもし。……兄ちゃんか? 俺、正治だけど」

『正治……? おいおまええ!今いったいどこで何してやがんだ!!』

「イテテ、ちっ、怒鳴るなよ、だから家に電話なんてしたくねえんだ。どーでもいーだろー?不肖の弟のことなんかどーでもさーあー? そっちはどうなんだよお? 父ちゃん母ちゃん元気にしてっかー? ついでに婆ちゃんもさー?」

 正治はあの電話を思い出して笑いながら言った。まあ、この兄があの電話に絡んでいるとは思えないが。

『馬っ鹿やろーーー……』

 深く押し殺した声がうなるように言った。

「あん? どうした兄貴?」

『馬っ鹿野郎。………………………

 父ちゃんと母ちゃんはな、………………

 死んだ……………』

「え、なに? なんつった?」

『死んだよおー、この、大馬鹿野郎!』

「………どういうことだよ? 二人ともか!? 何か、事故か、火事か!?」

『首くくったんだよ、二人して』

「首を……くくった?…………」

『自殺したんだ! 母ちゃんが振り込め詐欺にあってな!』

「な、なんだってえ!?」

『畜生……………、絶対に許さんぞお……………。

 正治、聞けよ。

 おまえの名前で、母ちゃんに、金を振り込んでくれって電話があったんだ。おまえが、悪い奴らの仲間になって、振り込め詐欺を働いて、金を振り込ませてしまった。どうしよう、オレ、犯罪者になっちゃった。お金を返せば許してもらえるかなあ? でも仲間にそんなこと言ったら裏切ると思われて殺されちゃう。どうしよう、オレ、返せるような金無いし。母ちゃん、助けてくれよー、ってな。泣きながら頼み込まれたそうだ。それで、350万、町に出てあちこちのATMから小分けにして送金したそうだ。たまたますぐ父ちゃんにばれてな、馬鹿!なんでそんな詐欺に引っかかるんだ!テレビでさんざんやってただろう!?って怒っちまってな。母ちゃん泣いてたし、父ちゃんもな、内心じゃひょっとして、と思ってたんだ。おまえならそれもやりかねないんじゃないかってな。

 おい、正治、おまえなんで電話かけてきたんだ? まさかおまえ、本当に振り込め詐欺働いて母ちゃんに350万振り込ませたんじゃねえだろうな!?』

「し……し……してねえよ……そんなこと…………。そ……そ……それで……、ど、どど、どうしたんだ?…………」

『詐欺にあったのが3日前、で、昨日の夕方だ、父ちゃんが帰ってきたら、母ちゃん、部屋で首をくくっていたらしい』

「…………………………………で?……」

『父ちゃんは母ちゃんを下ろしたが、もう死んでいたらしい。父ちゃんは、母ちゃんの首をくくったロープで、自分も首をくくって、で、でだ! 俺が今朝、家に行って母ちゃんの死体と、首くくってる父ちゃんを見つけたんだ!!! 分かったかあ、バカヤロウーッ!』

 正治は、何も言えなかった。呆然としている。

『父ちゃんから俺たちに遺言だ。よく聞けよ。こうだ、

 子供たちへ。正直に、しっかり生きろ。

 分かったな?

 正直に、しっかり生きろ。だ』

「………………………………………」

『おまえ、どうする気だ?』

「………え?……」

『父ちゃんと母ちゃんの葬式に出る気があるかと訊いてるんだ』

「……いや……………、お、俺は………………」

『そうだよな? どの面下げて帰ってこれるんだよなあ? 分かった。おまえと話すのはこれっきりだ。いいか、母ちゃんがそんな詐欺に引っかかったのはおまえのせいだ。おまえが母ちゃんと父ちゃんを苦しめて、殺したんだ! いや、今ばかりじゃねえ、今まで、ずっと、おまえは父ちゃん母ちゃんを、俺たちを、苦しめ続けてきたんだ! おい、どんな気分だ? ええ?どんな気分だよお、正治う!!??』

 正治は、答えようもない。

『へっ、思いっきり苦しめ、馬鹿野郎。……ざまあみろ!!』

 兄から通話が切られた。正治は予感する、これが兄弟最後の会話だろう。

 

 正治はネットカフェにいる。

 ネットで調べてみた。

 振り込め詐欺、自殺。

 正治の父母の自殺と同じようなニュースを見つけた。

 振り込め詐欺にあった妻を夫が責め、妻は自殺、夫も後を追って自殺した、と。

 ひと月前のニュースだった。

 

「なるほど、俺はこれに復讐されたってわけか」

 正治はぼーっとした目でディスプレイを見続けた。

 今は何も考えられない。

 しかし、どうしようもなくどろどろした暗い感情が重く胸にわだかまっていた。


3、「よお?」

「よお、また会ったな? へへへ、あんたも相変わらずみたいだなあ?」

 ネットカフェのドリンクコーナーで正治を仲間に誘った男がまた声をかけてきた。

「足がつくのがまずいんでな、同じ奴とは出来るだけ組まないのが俺たちの方針なんだが、あんたはなかなかいい仕事してくれたからなあ。どうだい?あんた、またやらないか? あんたなら歓迎するぜ?」

「ああ、そうですか。いや、俺もこの通りなんで、正直、助かります。是非お願いしたいんすが、俺、明日仕事入っちゃってて」

「なんだよ、どうせちんけな仕事でぼったくられるんだろう? やめちまえよそんなん。キャンセルしろよ、キャンセル」

「いや、実は久しぶりにありついた仕事で、今から断っちゃったら、次、仕事回してくれなくなっちゃいますんで。今ほんと厳しくって、まいっちまってんすよ。明日1日だけなんすよ。明日の……9時にはもういいんで、明日またここでっていうんじゃ駄目っすか?」

「そうだな、実績もあるし、いいだろう、明日9時、ここでいいんだな?」

「ええ。恩に着るっす。いやあ……助かりました」

「あんたは特別だぜ? 貴重な実務経験者だからな。ハハハ。ま、分かっちゃいるだろうが、俺たちゃ同じ一味だからな。分かるよな?」

「ええ。まじで飢え死になんてまっぴらっすからね。もう、なんだってやりますよ」

「頼もしいね。じゃ、明日、な?」

「よろしくお願いします」

 男は正治の腕をバシバシ叩いて笑いながら出ていった。ノルマ達成で上機嫌で。

 正治は着ていたジャンパーを脱ぎ、裏返しに着直した。リバーシブルなのだ。ポケットから出した帽子を被る。

 そうして店を出て、男の後をつけた。

 

 翌日。

 迎えに来た男に連れられて電車を乗り継ぎ、この前とは別のマンションに入った。どうせここも1、2週間の短期契約だろう。

 決して広くはない部屋に10人ほどの男たちが居た。前回と同じ幹部が5人、あとは正治と同じくネットの募集やネットカフェでスカウトされたアルバイトだろう。中学生みたいなのから60過ぎの爺さんまでいる。年齢はバラバラだが、皆同じ目をしている。正治と同じ目だ。

 インスタント食品の空がいい加減に隅にまとめられ、段ボールの机にノートパソコンが3台、携帯電話が20台くらい。たったこれだけの設備で、何十万、何百万、何千万と荒稼ぎするのだ、この連中は。

「あ、すみません、ちょっとトイレを」

 正治はトイレに入ると、喉に指を突っ込み、思いっきり胃の中のものをぶちまけた。中華やイタリアン、臭いのきついものばかり詰め込んできた。

 トイレから出ると幹部たちが嫌な顔をした。

「す、すみません、ちょっと風邪ひいちまったみたいで」

「おいおい、体大切にしろや?」

「すみません。あの、薬、買ってきていいすか? 喉に来るとまずいんで」

「そうか。『風邪ひいて喉が』ってのが定番だがな、熱出されちゃやっかいか。おい、リョウ、おめえ買ってきてやれ」

 リーダーが正治を連れてきた男に言った。

「へえ」

 男は迷惑そうにしながらも素直に返事して出ていこうとした。

「あ、すみません、俺、自分で行ってきます。あ、俺、アレルギーがあって、普通の風邪薬のめないんすよ」

「チッ、めんどくせえ体だなあ」

「すみません」

「ヤスさん、どうします?」

「しょうがねえな。リョウ、おめえが薬屋に連れてってやれ。いっしょに行って、いっしょに帰って来るんだ。分かるな?」

「へえ。よし、じゃさっさと行くぞ」

「すみません、迷惑かけて。すみません」

 正治は男に促されて部屋を出た。

 廊下を歩きながら男が話しかけた。

「ま、あれだよなあ、不景気っつう奴? あんたもたいへんだろうけどよ、俺らもこれでけっこう苦労してるわけよ。間抜けなポリ公なんざいくらでも出し抜けるがよお、この業界も競争厳しくってよ、『あら、うちは先週かかってきたばかりですのよ?』なーんてのがあったりしてな、ちくしょう、名簿屋ども見境なく売りさばきやがって、足下見るなつーの、なあ? ハハハ」

「アハハ。ところで先輩」

「あん? なによ?………………

 ……………なんだよ、これ、……

 ………て、てめえ…………………」

「誘ってくれてありがとうよ。感謝してるぜ」

「……………うぐうー……う………。………………」

 正治は男の腹に突き刺したナイフをこれでもかこれでもかとグイグイ突き上げた。男は正治に覆い被さるように倒れ込み、顔を肩に埋めぐったりと重くなった。

 正治はナイフから手を離し、ナイフは腹に突き刺したまま、男の体を引きずって非常口を開け、外の非常階段の踊り場に置き捨てた。

 廊下に点々と血が滴ってるのが気になるが、なあに、すぐにケリは付く。

 正治は下に下り、エントランスを出ると、裏手にカバーを掛けて置いた灯油のタンクを持ち上げた。昨日、男の後をつけてこのマンションは分かった。さすがに部屋までは突き止められなかったが、それも分かった。

 あれから正治は考えた。自分が復讐すべきは誰であるか?

 その答えを、これから実践する。

 正治は階に戻ると、部屋のドアの前に灯油をたっぷり撒いた。ドアにも。そして、残りを自分で頭から被った。

 ポケットからライターを取り出す。

 こいつでケリを付ける。すべてに。

 正治はチャイムを押した。「だれだ?」と問われる。

「俺っす。あの、なんかヤバイみたいっすよ。表に出たとたん、先輩がでかい男たちに囲まれて、俺、ちょっとつまずいて遅れて、慌てて逃げて来たんす」

「なんだとお?」

 ガチャンと鍵が開いた。

 正治は、ライターのふたに手を掛けた。

 ドドド、とものすごい勢いで走ってきた黒い男たちに正治は倒されがんじがらめにされた。

 頑丈な男たちはドアを突き押し、部屋の中になだれ込んだ。

「警察だあ! 詐欺容疑でおまえら全員逮捕するう!」

 わあっと中で騒ぎが起こったが、正治はまるで無反応だった。ライターを取り上げられ、腕をがっちり背中で押さえつけられ、床に押しつけられた口に、苦辛い油を味わっていた。

 不自由な視界、黒いコートを着た警官の背後に、ビデオカメラを構えた男たちがいた。

 なんなんだ?

 どうして、

 どうして俺の邪魔をする?

 どうして、死なせてくれない!?

 

 

 

 振り込め詐欺グループを逮捕したのは東亜テレビ「生追跡!真相を探れ!」という警察番組に出演した霊能力者紅倉美姫の協力によるものだった。

 司会者からコメントを求められて紅倉は言った。

「正治さん。

 わたしはあなたのお祖母さんに頼まれてあなたを捜しました。そしてあなたの命を救うことは出来ましたが、代わりに、あなたのお祖母さんを脅してあなたの情報を得て、別の振り込め詐欺グループに霊感を与えてあなたのお母さんを詐欺にはめさせた老夫婦の霊を地獄送りにしました。本来あなた方が行くべき地獄にです。

 あなた方は思っているでしょう、他に悪質な振り込め詐欺グループはいくらでもあるのに、どうしてよりによって自分たちだけが捕まらなければならないんだ、と。そう、世の中とは不公平なものです。

 みんな不満を抱えながら、それでも我慢して生きているんです。

 でも安心なさい、あの世には、この世のような不公平はありませんから。

 あなた方はいずれ、正当な裁きを受けます」

 

 正治が紅倉の言葉を聞く機会があるかどうかは、今のところ分からない。

 

 終わり

 

 

 2008年10月作品


この本の内容は以上です。


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