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はじめに

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はじめに

涙が出た。                           
                            

空は、どこまでも広く青く、日差しは

ぎらぎらと底抜けに暑い。

アメリカ・ワシントン州、オキナーゲン

カウンテに近い、フェリー郡のトロダ。

お墓に行ったんだ。

カナダとの国境に近いところ。

川のそばにはポプラの木があって、ポプラ

の葉っ ぱは風をうけて、シャラシャラ

キラキラ踊ってる。

クイッキンアースペン。

二軒目のホストパパのダンに教わった。

 

高い枝先のポプラの葉が、風にさわさわと揺らされ、川沿いのポプラがいっせいに歌い出す。

クイッキンアースペン、クイッキンアースペン、何度も聞いて、やっと言えるようになった。

青い空の下、川の手前に緑色の草原が広がり、草原にポツンと丘、その丘の上の

小さなお墓に行った。

一軒目のホストママのシンシアが買ってくれたワンダラーショップのサングラスの下から、

涙が流れた。

サングラスをかけないと、アメリカの日差しはまぶしすぎる。

「川に行くよ。」

二軒目のホストママのアンと、ホストパパのダンに連れられてきた。

アンとダンが、一番好きな場所。

だけど、まっすぐ川には行かないで、ダンは、ちょっと丘に寄って車を停めた。

そこに、お墓があった。

お墓に眠っているのは、ラナルド・マクドナルド。

ドナルドじゃない、ラナルド。

ラナルド・マクドナルド。

 

初めて聞いた名前。

お墓のそばには、大きなボードが立っていて、英語と日本語の説明文がある。

何枚かの絵もあって、インディアンの女の人と白人の男の人の絵。

黒ひげの男が、ボートに乗って、ロープを切ろうとしている絵。

畳の上で、ちょんまげの侍2人と大柄の男の人が向き合って座っている絵。

日本地図もある。

赤い線が、海の部分に引かれてる、北海道から長崎あたりまで。

 

  漂流者が、日本開国の手助け。

 ラナルド・マクドナルド

1824年、フォート・ジョージア(旧アストリア)に、生まれる。

お母さんは、アメリカ・インディアン・チヌーク族長コム・コムリの娘

サンディ姫。

お父さんは、イギリス・スコットランドから来た毛皮貿易商のアーチボルト。

お母さんは、ラナルドが生れた数ヶ月後に、亡くなる。

14才になったラナルドは、父さんにすすめられて、銀行に見習行員で勤めるけど馴染まず、

下宿先を飛び出して、一人で放浪する。

26才で、鎖国をしている日本の北海道・利尻島に遭難を装って漂着。

アイヌに助けられる。

処刑されるかもしれないのに、心ひらいて、出会う人と友好的な関係を築く。

船で北海道から、松前藩、長崎と運ばれ、長崎の座敷牢で、囚われの身でありながら、

武士に英語を教えた。

日本で初めての英語教師。

 

ラナルド・マクドナルドが座敷牢で英語を教えた一番弟子は、モレヤマエイノスケ。

日本が開国するきっかけとなった、ペリー総督が黒船で日本に来たときの、通訳となる。

ラナルドは、日本が鎖国から国をひらいて行った時代に活きた人。

日本に居たのは、たった十か月。

十か月の間に出会った、アイヌ・番所の番人・役人・奉行に、心ひらいてあたたかな

関係を創った。

70才でトロダの草原で亡くなるとき

「サヨウナラ、マイディアー サヨウナラ・・・」

と、日本語を言って亡くなっていった。

 

   ひらかれた心が、すべてをつないだ。

ひらかれた心で出会った人や出来事が、生涯を支えた。

その墓標に出会って、わたしは泣いた。

 

わたしは、アメリカ・ワシントン州に一か月のホームステイ中。

二週間過ごした、モーゼス湖のそばの一軒目のホスト家族キャルビック家から、二軒目の家族、

オキナーゲンの山に住むフレグリー家族の家に移って来たところ。

アメリカとアメリカ人の真っただ中。

日本との暮らしの違いに疲れてきてた。

やっと慣れたモーゼス湖のキャルビック家族と、フレグリー家族の暮らしの違いにも、

とまどってた。

ホスト家族は、堂々とそれぞれの生き方を生きてる。

ホームステイは、出会った家族の暮らしにどっぷりと入り、出会いを丸ごと受け入れる。

 

わたしは、12人の中学生と一緒に来た、大人の引率者のシャペロン。

12人の中学生も、一か月

広―いワシントン州に一人ずつ、あちこちの郡に分かれて、ホスト家族の家にホームステイ。

キットサップ、キング、

ヤキマ、ベントン、

グラント、オキナーゲン、

六つの郡カウンティに分かれた。

 

「赤ちゃんのように、

心ひらいて家族になる!」

のテーマで一か月を過ごす。

シャペロンのわたしも同じ。

ホスト家族は皆、暖かく親切。

だけど、弩涛の英語、生活の違いに疲れる。

わたし、ここに英語勉強に来たかなぁ?

前の晩に、一人で泣きそうになってたんだ。

英語にも、アメリカにも、疲れてきてた。

日本に帰りたいかも・・・

ホームシック?                 

心閉じてる。

赤ちゃんのように、ひらいてなんか居られない。

そんなときに、ラナルド・マクドナルドの物語に出会った。

ここの暮らしと、人とことばを、好きにならなきゃ、始まらない。

はじめに人ありき・・・ことばが先にあるんじゃない。

心ひらかなきゃ、何も始まらない。

 

心ひらきたくて、ここに来た。

そう思ったら、泣けたんだ。

 

 


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