閉じる


<<最初から読む

39 / 42ページ

三百年前の切ない恋情が押し寄せ、ファヨンは湧き上がった涙に瞳を潤ませた。 
 と、ジュンスがふと笑いを収め、真顔になった。
「俺たちは過去を乗り越えて、今、ここにいる。もう辛い記憶は忘れて、今、これからの時間を二人で生きていこう。三百年前の直宗と明姫ではなく、ジュンスとファヨンとして」
 ファヨンは頷きながらも、彼を見上げて付け加えることを忘れない。
「それでも、私はこれから先、何度生まれ変わっても、あなたに恋をすると思うわ、ジュンス」
 ジュンスの手が宝物のように愛おしげな手つきでファヨンの髪を撫でた。
「ところで、あの女(ひと)は、どういう関係?」
「あの女って?」
 見上げるファヨンをジュンスが小首を傾げて見つめ返してきた。
「バーで一緒に演奏していた女。凄く美人で色っぽかった」
「バンド仲閒さ」
 ファヨンの不安を知って知らずか、彼は事もなげに言う。ややあって、ジュンスの整った顔に意地悪な笑みが浮かんだ。
「何だ、妬いてるのか?」
 どこまでも嬉しげなジュンスが恨めしく、ファヨンは頬を膨らませて、そっぽを向いた。
「知らない!」
「三百年経って君に妬いて貰えるのは格別に気分が良いよ」
 ファヨンはますますむくれる。
 ジュンスの陽気な笑い声が少しひんやりした五月の夜陰に弾けた。


これが本当のエピローグ

 これが本当のエピローグ

 

 ジュンスは病院の廊下で一人、座っていた。両手で頭を抱え込み、うなだれている彼の姿は到底、見てはいられない。
 時々、背後の産室から、ファヨンの苦しげな声が聞こえてきて、その度にジュンスは髪をかきむしった。
―代われるものなら、俺が代わってやりたい。
 本気でそう思った。
 また断末魔のような悲鳴が響き渡った。
―一体、どれだけ苦しんでいるんだ?
 ジュンスはジーンズのポケットからスマホを出した。待ち受け画面は、彼とファヨンの結婚式の写真だ。
 出逢いから四年経った去年の六月、ファヨンとジュンスは大学を卒業し、入籍した。
 ジュンスは大学卒業後、大手の銀行に就職した。
 挙式は行わず、上杉写真館で記念写真を撮っただけだ。一度目は純白のウェディングドレスとタキシードで、二度目のお色直しは韓国の伝統衣装、パジとチマチョゴリで撮った。
 今、待ち受けにしているのはウエディングドレスの方だ。白いドレス姿のファヨンはとても愛らしくて綺麗で、ジュンスはまた惚れ直してしまった。一体、彼は妻に何度恋をすれば気が済むのだろう。それは彼自身にも判らない。
 そして、今、ファヨンは彼の子どもを産むために闘っている。
 彼はおもむろに立ち上がり、廊下の窓越しに外を見つめた。そこそこの大きさの病院の庭には今、桜が満開だ。薄紅色に包まれた大樹が丁度、二階の窓から見える。
 だが、出産となると、彼にはあまり良いイメージはない。ふいに三百年前の悪夢がありありと甦った。まるでドラマでも見るかのように、あのときの様子が再現される。
 大量の血を吐いて彼の腕の中で事切れた明姫。彼女は彼の子を宿したまま亡くなった。大切な女を失ったときのやるせない絶望感、怒り、哀しみ、喪失感がまたしても彼を苛んだ。
 その不安を裏付けるかのように、ファヨンのお産もまた遅々として進まない。三日前に陣痛が来たものの、赤児が一向に生まれる兆しがない。
 今朝になって医師の判断で陣痛促進剤が投与され、陣痛は強くなり、お産も幾ばくかは進んだとのことだが、やはり難産になるだろうと医師からは告げられている。
 また、鋭いうめき声が聞こえてきて、彼は耳を塞いだ。
―またしても、明姫は死ぬのか?
 頼む、そんなに母を困らせないでくれ、早く生まれてきてくれ。
 お腹の赤ん坊に祈るような気持ちで話しかけた時、ひときわ悲痛な悲鳴が響き渡った。
 ジュンスはハッとして立ち上がった。
 何故か胸騒ぎがしてならない。
 血を吐いて事切れた明姫の最期の姿がまたフラッシュバックした。彼の腕の中で、急速に力を失い、重くなっていった明姫の身体。か細い身体なのに、腹部だけは大きく膨らんでいて、その中には彼の子どもがいた―。明姫はついに子を産むことなく、腹の子とともに埋葬されたのだ。
 ジュンスは産室の中の様子を窺った。あれほど苦しんでいたファヨンなのに、今は悲鳴も聞こえない。不気味なほど中は静まり返っている。
 これは何か良くないことがあったのではないだろうか。ファヨンの様子が急変したとか。
 ジュンスは居ても立ってもいられず、何があったのかと室内に踏み込もうとした。 
 ―その瞬間。
 早朝のしじまを破って、力強い赤ちゃんの泣き声が響き渡った。
「―生まれた」
 ジュンス(ユン)の瞳から透明な涙が流れ落ちた。
―私は何度生まれ変わっても、この広い世の中から、あなたを探し出し、恋をするわ。
 明姫の今わのきわの科白が耳奥で甦った。
 今、漸く本当の意味で、想い人と我が子は彼の手許に戻ってきた。
 彼は三百年かけて彼の子どもを産んでくれた妻の労をねぎらうために産室に入った。
「おめでとうございます」
「おめでとう、二千八百二グラム、元気な男の子ですよ」
 数人の看護士と医師が口々に声を揃えて祝福してくれる。物問いたげなまなざしに、医師がにこやかに応えた。
「母子ともに健康、奥さんも苦しみましたが、よく頑張りました。促進剤を使ってから、かなり強い陣痛が来たんです。褒めてあげてください」
 彼は産褥に横たわった妻に近寄り、髪をそっと撫でた。
 烈しい苦悶に喘ぎ憔悴はしているものの、妻は大仕事を成し遂げた後のような満ち足りた表情をしていた。
「やっと逢えた、あなた(ユン)と私(明姫)の赤ちゃん」
 ファヨンの瞳から、つうっとひとすじの涙が流れる。ジュンスはその涙を指の腹でぬぐった。
 汗でファヨンの前髪が額に貼り付いている。ジュンスはファヨンの乱れた髪を優しい手つきで直し、そっとその額に唇を落とした。
「ありがとう、最高のプレゼントだ」
 彼の生涯の想い人は涙ぐみながら頷いた。

                (完) 
 


  


あとがき

 あとがき

 

 今月は予定を変えて、飛び入りの作品を書きました。実は先月に現代物を書き上げた直後に、ふっと浮かんだネタです。
 きっかけは、久しぶりに韓流時代小説〝何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌〟を思い出したことでした。今から丁度一年前、完結した愛着のある懐かしい作品です。
 思い出して所々読み返してみましたが、哀しい―。自分で書いていて、ラストの明姫が亡くなるシーンを描くときは泣いた記憶はうっすらとあるのですが―笑、やはり一年経っても、哀しい話です。確か一旦完結してから、あの終わり方ではユンがあまりに可哀想だからと第二部を書いたのです。
 明姫にそっくりな女の子がユンの新しい王妃になるという設定でした。
 あれから一年以上が経ちました。そしてまた読み返してみて、今度は明姫があまりに気の毒だと思いました。そんなことを言っていたら、キリがないのですが―。それでも、何か二人のその後の話を書かずにはいられませんでした。荒唐無稽だと思われるかもしれませんが、作者としては、明姫の身代わりなどではなく、彼女そのものにもう一度、最後の最後でユンと幸せになって貰いたいと考えたのです。
 従って、一年前、後宮悲歌をご覧下さっていた方々にはご不満があるかもしれませんが、〝これが最後の完結編〟です。読んで下さった方の中にお一人でも、この終わり方が良いなと思って下さった方がいれば救われます。
 今回の話を書くに当たり、本編を再度ひもといて読み返しつつ描きました。二人にもう一度会えて愉しかったのですが、やはり難しい面もありました。この話を読んだだけでも愉しんでいだたけるようにというか理解できるように極力工夫したつもりでも、やはり、限界があると思います。
 その点がいささか心配ですが、作者としては、こうして幸せな二人を描くことができて幸せでした。
 この機会に作者自身ももう一度、二人の物語りを読み直してみるつもりです。
 それでは、今回もありがとうございます。

2014/08/22
  
  
     


奥付



最初に出逢った日のように~一片丹心・300年の恋~


http://p.booklog.jp/book/89327


著者 : megumi33
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/megumi33/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/89327

ブクログ本棚へ入れる
http://booklog.jp/item/3/89327



電子書籍プラットフォーム : ブクログのパブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社ブクログ



この本の内容は以上です。


読者登録

megumi33さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について