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はじめに

 私は、就職氷河期の時代に大手メーカー就職しました。
 そして今も、超氷河期と呼ばれる時代に社会人として働いています。

 それまでに、人並みですが様々な体験してきました。設計者として製品を世に出したりもしました。海外赴任もし、同世代より大きな仕事に携わったこともありました。不景気によって工場閉鎖する状況も見てきました。年功序列や終身雇用の崩壊、若年層の流動化が進み、同期入社もより大手の会社へ転職していき送別してきました。まわりが非正規雇用や子会社へ転属する中、親会社へ研修したり、本社へ転勤したりしました。それなりの生活してますが、ぶっちゃけ結構大変でした。それなりの会社で、それなりの仕事をしてるつもですが、思い描いてた賃金カーブにはならず、多分これからもより大変でしょう。

 これからの社会人は、「超就職氷河期」「非正規雇用の増大」「格差」とより厳しい時代を生き抜いていかなくてはならないでしょう。就職活動は困難を極め、とりあえず内定が決まった会社へ就職を決める。その就職は希望も無く、「せめて生きていければ・・・」上昇志向どころか、1日1日生きていくので精一杯。 経済が立ち直らないため、新入社員の採用が抑えられる。数少ない新入社員は、十分な教育を行う時間、費用がないため、とりあえず、そのまま社会に放り出され磨耗する。

 そんな人たちに向けて、二転三転する状況の生き方の参考になれば幸いです。



snaker



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目次

  • ビジネスにおける「会話はキャッチボール」は間違い?
  • ゲーム脳であるべき。
  • 他人をあてにしちゃいけない?
  • 若いうちに苦労は買ってでもするべきか否か。
  • 弱肉強食の意味。
  • 良い忍耐、悪い忍耐。
  • 自分だけの、ものさしと秤の重要性。



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ビジネスにおける「会話はキャッチボール」は間違い?


 会話は一方通行であってはならない。相手に通じるように話す。話し終わったら、相手の会話を聞く。
 「会話はキャッチボール」
 割と、ビジネスコミュニケーション術などで聞く表現ですが、個人的にはコレではダメだと思うのですよ。

   いや、基礎過ぎて実際に役に立たないレベルなのです。

 例えば、日常レベルのコミュニケーションなら十分かと思います。 相手の立場に立って物を考え会話を投げかけ、相手の意図を上手く聞き出す。 自分が話す。相手も話す。これを続ける。

 しかし、キャッチボールには明確な目的がない。いや、続けること自体が目的といってもいい。 気の合う仲間と人生の一部を共有し有意義に過ごすのが目的となるわけです。
 

 
 しかし、ビジネスシーンは違う。明確な目的が存在する。

 それはプレゼンだったり、社内対策会議だったり、社外の人との交渉だったり、それには情報を的確にチームメイトに伝える必要がある。

 相手の攻撃をかわしたり、時には受け止める必要がある。豪速球や変化球も必要となる。キャッチボールのつもりで会話を続けても、これでは目的を達成できない。それどころか、周りの都合のよいように物事を進められてしまう。

 ビジネスシーンにおいては、会話はドッジボールであるべきなのだ。

 まずはフィールドの状況を把握する必要がある。敵と見方の把握、勝利条件を確認する。
 内野、外野の人間との連携も重要である。見方へのパスも重要だ。ここは取りやすい位置に投げ込まなければならない。

 今後の主導権を手に入れるためにリスクを犯すべきかどうか、一瞬での判断も重要になる。相手の攻撃をここは流すべきか、受け止めるべきか、わざと当たって一時撤退するべきか。判断する必要がある。

 受け取ったら、再びパスすべきか、攻撃するべきか。攻撃する場合は狙いを定めなくてはならない。ここでいう狙いがビジネスの目的となる。また狙いを定めたら、どのように投げるかを考える必要がある。豪速球、変化球か、これが目的達成の手段や方法となる。

 相手の受け取りやすいボールを投げるのがコミュニケーションではない。それは基礎に過ぎない。相手に応じて、


 ・見方に取りやすいボールでパスする。
 ・敵のボールをよける。
 ・敵のボールを受け取る。
 ・敵に取りにくいボールを投げる。


 最低でもこれだけの選択肢があり、判断する必要があります。

 ビジネスにおいて会話はキャッチボールなどと講釈垂れ流している時点で、現場を知らない人間、もしくは、ぬるい環境でしか仕事をしてこなかった人間の可能性があります。

会話はドッジボールであるべき

私ならそう考えます。


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ゲーム脳であるべき。

 テレビゲームは、若い人を中心にの定番の娯楽として普及しており、ゲームセンターや家庭用ゲーム機などでゲームに熱中する者も数多い。

 ゲーム端末としての携帯電話の急激な普及に伴って、ゲームによる弊害という考え、「ゲーム脳」という発想である。これは、日本大学文理学部体育学科教授の森昭雄が、2002年7月に出版した著書『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)において提示した仮説を表した造語である。その一般的にはその弊害に

 視覚と運動の神経回路だけが働き、「考える」ことが抜け落ちる。
 前頭前野の活動低下が慢性化する。



 などがあげられる。また、ゲーム脳は、凶悪犯罪事件が発生、自閉症、マナーの欠如などへの影響も、ここ近年、騒がれている。
 しかし、上の真偽は置いておいて、ここでは、あえてビジネスマンはゲーム脳であれと提唱する。

 そもそも「ゲーム」とは勝敗を決めるためのルールと、環境または他人との相互作用を元にした、普通楽しみのために行なわれる活動である。カードゲーム、ボードゲーム、コンピュータゲーム、スポーツゲームなどその種類は多岐に渡るが、ルールや競争、もしくは障害を乗り越え、目標の達成のために参加する遊戯という共通点がある。

 これはビジネスシーンにそのまま適用されると考えられる。むしろルールや競争、もしくは障害を乗り越え、目標の達成のために参加するという点はまったく同様といっても過言ではない。

 次にゲームが上手であるとはどういうことであるか考えてみよう。

 まずは有利にことを運ぶため、ルールを熟知しておく必要がある。ルールの盲点、有利な条件、状況、勝利条件を知っておくのが重要なのだ。さらにそれを短い時間で把握する能力が問われる。

 目標達成するために取るべき行動、手段を判断をする。問題点、障害を洗い出し、解決までの道順を導き出します。問題解決能力が問われる。もちろん状況が一変することある。その場でのリスクというものを把握する能力が必須である。状況把握能力、判断力、危機管理能力が重要となる。

 また、過去の事例を参考にする記憶力、分析力。短期的、長期的な取り組みに対する集中力、持続力。 これらは、すべてゲームすることで培われる。
 残念なことに、日本の学校教育では、ルールを覚えさせることと、記憶力、集中力、持続力を重点的に教育する。問題解決能力、状況把握能力、分析力、判断力、危機管理能力は自分で磨くしかない。



ビジネスマンはゲーム脳であれ。

私ならそう考えます。


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他人をあてにしちゃいけない?

 他人を信じるのと、あてにするのは違う。特に、ビジネスにおいて人を簡単に信じるのはよくない。保身のために嘘をつく場合も無きにしもあらず。自己申告の報告が嘘の場合も多い。

 任せてた仕事が、必ずしも上手くいくとは限らない。人に任せたが、自分の思った通りの成果が得られなかった場合もある。指示や依頼が想定通りに受け取ってもらえず、誤解をうみ、まったく違う結果をもたらず場合もある。

 このような事態に陥った場合、誰が悪いのか?

 ビジネスシーンの失敗において、悪人探しはあまり意味のないことだが、対策を練るという意味で覚えて置いて欲しい事がある。

 それは、悪いのは自分であるということだ。

 なぜ、他人のミスや嘘が自分の責任になるのか。それは、自分が無条件に相手を信じたことにある。
 きちんと話さなければ、伝わらないし、説明はそもそも難しいもの、まず自分の目的や意図が相手にきちんと受け取ってもらえたか。相手の自己申告の報告を、証拠なしで鵜呑みにしてないか。話を大きくしてる可能性もあるし、ただ保身のためにその場限りの嘘をついている可能性もある。もしかしたら、急な病気やトラブルで納期がずれたかもしれない。

 成功のためには、あらゆることを確認する必要がある。

 このような確認を怠り、安易に信用することは、様々な面倒やリスクを自分で受け持つということになります。 当然です。

 ビジネスにおいて、相手を信頼することは重要である。信頼に応じて、仕事の成果を期待することも当たり前である。しかし、ただ甘えてるだけではないのか?ただ仕事を丸投げしてるだけでは無いのか。自分にリスクをかけてまで相手を信頼して、全トラブルが身に降りかかるのなら、自業自得となります。

 そういう意味でも他人をあてにしてはいけないし、安易に信頼してもいけない。信じるに値する実績と証拠、そしてあらゆることの確認を行うことでしか、良い結果は生まれないのです。

 確認を怠り、安易に信用=様々な面倒やリスクを受け持つ
 
 私ならそう考えます。
 


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