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ゲーム脳であるべき。

 テレビゲームは、若い人を中心にの定番の娯楽として普及しており、ゲームセンターや家庭用ゲーム機などでゲームに熱中する者も数多い。

 ゲーム端末としての携帯電話の急激な普及に伴って、ゲームによる弊害という考え、「ゲーム脳」という発想である。これは、日本大学文理学部体育学科教授の森昭雄が、2002年7月に出版した著書『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)において提示した仮説を表した造語である。その一般的にはその弊害に

 視覚と運動の神経回路だけが働き、「考える」ことが抜け落ちる。
 前頭前野の活動低下が慢性化する。



 などがあげられる。また、ゲーム脳は、凶悪犯罪事件が発生、自閉症、マナーの欠如などへの影響も、ここ近年、騒がれている。
 しかし、上の真偽は置いておいて、ここでは、あえてビジネスマンはゲーム脳であれと提唱する。

 そもそも「ゲーム」とは勝敗を決めるためのルールと、環境または他人との相互作用を元にした、普通楽しみのために行なわれる活動である。カードゲーム、ボードゲーム、コンピュータゲーム、スポーツゲームなどその種類は多岐に渡るが、ルールや競争、もしくは障害を乗り越え、目標の達成のために参加する遊戯という共通点がある。

 これはビジネスシーンにそのまま適用されると考えられる。むしろルールや競争、もしくは障害を乗り越え、目標の達成のために参加するという点はまったく同様といっても過言ではない。

 次にゲームが上手であるとはどういうことであるか考えてみよう。

 まずは有利にことを運ぶため、ルールを熟知しておく必要がある。ルールの盲点、有利な条件、状況、勝利条件を知っておくのが重要なのだ。さらにそれを短い時間で把握する能力が問われる。

 目標達成するために取るべき行動、手段を判断をする。問題点、障害を洗い出し、解決までの道順を導き出します。問題解決能力が問われる。もちろん状況が一変することある。その場でのリスクというものを把握する能力が必須である。状況把握能力、判断力、危機管理能力が重要となる。

 また、過去の事例を参考にする記憶力、分析力。短期的、長期的な取り組みに対する集中力、持続力。 これらは、すべてゲームすることで培われる。
 残念なことに、日本の学校教育では、ルールを覚えさせることと、記憶力、集中力、持続力を重点的に教育する。問題解決能力、状況把握能力、分析力、判断力、危機管理能力は自分で磨くしかない。



ビジネスマンはゲーム脳であれ。

私ならそう考えます。


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他人をあてにしちゃいけない?

 他人を信じるのと、あてにするのは違う。特に、ビジネスにおいて人を簡単に信じるのはよくない。保身のために嘘をつく場合も無きにしもあらず。自己申告の報告が嘘の場合も多い。

 任せてた仕事が、必ずしも上手くいくとは限らない。人に任せたが、自分の思った通りの成果が得られなかった場合もある。指示や依頼が想定通りに受け取ってもらえず、誤解をうみ、まったく違う結果をもたらず場合もある。

 このような事態に陥った場合、誰が悪いのか?

 ビジネスシーンの失敗において、悪人探しはあまり意味のないことだが、対策を練るという意味で覚えて置いて欲しい事がある。

 それは、悪いのは自分であるということだ。

 なぜ、他人のミスや嘘が自分の責任になるのか。それは、自分が無条件に相手を信じたことにある。
 きちんと話さなければ、伝わらないし、説明はそもそも難しいもの、まず自分の目的や意図が相手にきちんと受け取ってもらえたか。相手の自己申告の報告を、証拠なしで鵜呑みにしてないか。話を大きくしてる可能性もあるし、ただ保身のためにその場限りの嘘をついている可能性もある。もしかしたら、急な病気やトラブルで納期がずれたかもしれない。

 成功のためには、あらゆることを確認する必要がある。

 このような確認を怠り、安易に信用することは、様々な面倒やリスクを自分で受け持つということになります。 当然です。

 ビジネスにおいて、相手を信頼することは重要である。信頼に応じて、仕事の成果を期待することも当たり前である。しかし、ただ甘えてるだけではないのか?ただ仕事を丸投げしてるだけでは無いのか。自分にリスクをかけてまで相手を信頼して、全トラブルが身に降りかかるのなら、自業自得となります。

 そういう意味でも他人をあてにしてはいけないし、安易に信頼してもいけない。信じるに値する実績と証拠、そしてあらゆることの確認を行うことでしか、良い結果は生まれないのです。

 確認を怠り、安易に信用=様々な面倒やリスクを受け持つ
 
 私ならそう考えます。
 

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若いうちに苦労は買ってでもするべきか否か。

 若いうちに苦労は買ってでもするべきか否か。『若い頃の苦労は買ってでもしろ』、いまネットではその言葉を作ったのは売る側の人間だ、だなんて言われてます。

 基本的に無駄なリスクはビジネスにおいて避けるべきです。
 また安く仕入れて高く売る、労力をかけず最上のサービスを高く提供する。が商いの基本であることから、いらない苦労はかけないほうが得策といえるでしょう。回収できない投資はさけるべきで、それがもし十分なリターンがあるのなら苦労をかけるべきなのです。


 では、「若いうちに苦労は買っておく」のは大切なのか。
 上記の考えに沿うのなら、苦労が本当に投資対象となるべきかというところが焦点となります。 
 この格言の本来の意味は、経験を若いうちに詰んで将来に役立てろ。ということです

 しかし、社会人、とくに会社という組織においては理不尽なこともを多く、すべてが将来役に立つ経験というわけでもありません。結果、報われたのなら努力で済みますが、いらない経験なら、無駄な努力、徒労となりますね。では苦労などないほうがいいのでしょうか。それは違います。

 これを個人単位、会社単位で考えて見ましょう。


 組織が大きくなるとどうしても、付加価値の無い作業が出てきます。ムラ、ムダな作業ですね。これは完全に無くす事は非常に難しく、日々業務改善が必要となりますが、どうしても雑用というものが出てきます。また、会社に関するイベント、行事、例えば飲み会の幹事など、会社の成長、生産性に関係の無い仕事というものもあります。

 このような明確な成果が無い仕事というものは、一つの苦労といって差し支えないでしょう。なんたって、これをスムーズにこなしたところで業績には関係ないのですから、むしろ時間が取られる分、本来の仕事の時間を削減しなくてはならなく、やっかいな存在なのです。

 しかし、誰もやらない、やりたくない仕事というのは、自分の顔を売る最大のチャンスであります。誰もやらない仕事であるから、自分の進行、つまり若手でありながらリーダーとして進められる。管理職トレーニングを体験できるのです。

 また、ビジネスの世界では顔や名前が売れることはひとつのステータスとなる。逆に誰からも相手にされない、知られない存在というのがまずい訳です。存在感をアピールを手軽に行えるのは十分なリターンとなります。

 またこの手の仕事というのは、本来の仕事の付き合い、コミュニティの垣根を簡単に越えることが出来ます。新しい縄張りや人脈を獲得できることにも繋がるわけです。

 こうして組織をより広い視点で見ることができる。またうまくいけば、周りの信頼を獲得できる。細々とした業務など、知らない人が多いものです。備品発注方法や、書類管理、お偉いさんのスケジュールなどを把握しておく・・・このような種々の雑用を抑えておくことで、縁の下の力持ちポジションにつくことだって出来るのです。

 これが個人単位での苦労を進んで買っていくメリットだと考えてます。
 では組織単位で考えましょう。民間などでは、役職は、

 会長、社長、専務、常務、執行役、監査役>本部長または事業部長>部長>次長、グループリーダー。課長>係長>主任。

他にも、
 局長>次長、本部長、技監、理事>部長、担当部長、参事>統括課長>課長、担当課長、副参事>課長補佐>係長、主査、担当係長、次席>主任>主事


 となっています。合併吸収、手当て、過去の実績など無ければ、上の役職の人間の方が給料が高いわけです。(※経営陣は給料ではなく報酬ですが)

 給料が高いということは、どのようなことでしょうか。組織においての役割、立ち位置がより重要なポジションであり、会社の利益のために一定権限と一定責任をもっているわけです。行動を起こし、利益を得て、失敗したら責任を負う。人によってこの程度が異なりそれによって給料に差が出てくるわけです。

 つまり、高い給料をもらう人たちが、上記のような生産性の低い雑用なんてやっていると、会社としては損している訳です。若手が仕事を効率よく進めるために、率先して部課長が雑用を引き受けなきゃならない時もあるでしょう。

 しかし、部課長は、彼らしか出来ない仕事を率先してやるべきで、雑用は、時間単位の給料が安い若手がやるべきなんです。
 例えば、若手の雑用1時間に支払われるお金が、1000~1500円なら、中堅社員、中間管理職以上な1500~3000円となってしまいます。

 若手の1時間と、リーダーの1時間は価値が違うということを会社単位でみれば当たり前のことなんですけどね。なかなか気がつかないし、気がついても会社の利益が個人利益に直結しないとなれば見えないフリもするでしょう。 あるいは、若手のご機嫌とりに中堅社員、リーダーが雑用ばかりしている場合もあります。会社的には大いなるムダ、お荷物、給料泥棒と言わざる得ないでしょう。

 やはり、若いうちに苦労は買ってでもするべきなのです。

 私ならそう考えます。  
 


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弱肉強食の意味。

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 鰯が鯨の餌食となり、雀が鷹の餌食となり、羊が狼の餌食となる動物の世界から進化して、まだ幾万年しかへていない人間社会にあって、つねに弱肉強食の修羅場を演じ、多数の弱者が直接・間接に生存競争の犠牲となるのは、やむをえぬ現象で、天寿をまっとうして死ぬというねがいは、無理ならぬようで、その実、はなはだ無理である。
--  ウィクショナリー日本語版より

 弱い者が強い者の犠牲になるような、実力の違いが、そのまま結果に違いを生ずる闘争状態の世界。それが弱肉強食という意味です。よくビジネスシーンにも用いられます。

 競争社会において弱いものはすぐやられてしまいます。例えば、学校内ではスポーツや学業の成績がイマイチだと評価も低いですよね。すべてに当てはまるとは言いませんが、やはりスポーツマン、学業ともにできる子のほうが活発であったりします。

 就職活動や社会人においても、ほぼ当てはまります。弱い人はどんどん取り残されていきます。特に超氷河期時代、不景気において弱い人はたくさんいます。サバイバル時代と呼ぶ人もいるくらいです。弱くても生き残る術。強くなるための術。様々なアドバイス、心得がビジネス書で叫ばれています。

 なのでここでは弱者の生き残り術、強者になる為の成長術については省きます。あまり、話題に取り扱われない「食べること」について語ります。

 のたれ死しないように賢く生きる。また自己啓発として、英語、経済、物理、化学、製品知識を学び仕事に活かしていくのは重要です。

 ですが、それだけでは十分とは言えないでしょう。

 強いだけではだめなのです。弱い人間を食らわなくてはならないのです。百獣の王ライオンだって、飲まず食わずに生きていたら、天寿をまっとうして死ぬことすらできず、餓死してしまいます。もちろん、弱者-強者の間でWin-Winの関係を保ち共存できるなら、それが一番いいでしょう。しかし、やはり基本は弱者を取り込むことが生きることにつながるのです。強くなることも重要ですが、生きる基本は食べることなのです。

 ここで大切なのは、私利私欲の為に、弱者を食い物にし、ただ単にむしり取れといってるわけではありません。ライオンが弱い動物を狙い食べるからといって、際限なく狩りつくしてるわけではありません。あくまで必要な部分を補完するために食べるのです。食べたものは、いずれ自分の力の基盤となります。

 さて、これまで日本では誠意という言葉を重要視し「相手だって人間。話せば分かってくれる」ということを一つのビジネスマナーとしてきました。

 もちろんこのような考えも重要です。そのため、立場や利害関係が異なる場においても、弱者側は心を込めて誠意を尽くせば、事情を察してくれることを心のどこかで期待している節があります。

 またそのような場において、強者は、必要以上に空気を読みすぎ、完全譲歩してしまう訳です。これを読んでいる人は、仕事中においてそんなことは無いよ。そんな甘い交渉はしたこと無い。と思われるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。



 例えば、これは顧客-営業の関係だけでありません。上司-部下、先輩-後輩、開発部-営業部にも当てはまります。極めてビジネスをシビアに考えるのならば、依頼や指示、ちょっとしたお願い事などは、自分の最低妥協点、相手の弱みを考慮しつつ、「大きな要求」から、交渉は始まるべきです。

 もし、自分の方が有利な立場であるにも関わらず、本来の自分の妥協点の近辺に、最初の提案、要求を持ち出したりしてないでしょうか。これは、最初から弱者に対して妥協している、弱みを見せているということです。これでは、窮鼠猫をかむではありませんが、逆に弱者に食べられてしまいます。

 これでは、十分に自分の力を引き出せないでしょう。別に弱者に圧力をかけろといってるわけではありません。気軽な気持ちで大きく頼めば、大きく得ることもあるということです。ダメだったら、少しずつ妥協点にもっていけばいいのです。

 自己鍛錬、自己啓発だけでは強くなるだけです。生きることは食べること、弱肉強食ということを今一度考えましょう。油断しているとそのまま餓死したり、他の人に食べられてしまいます。

強≧弱という発想よりも、弱"肉"強"食"

私ならそう考えます。
 


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良い忍耐、悪い忍耐。

 今は我慢のとき。じっと耐える時期。不景気、氷河期、と時代が悪い、時期が悪いと何かと耐えることが要求させる今日この頃。

 あらゆることに耐えていかなけらばならない厳しい時代です。そんななか、ビジネスにおいての「忍耐」という言葉について、ちょっと考えてみましょう。

 ビジネスにおいては、上司、顧客、会社の習慣、ローカルルールなどからの理不尽な要求がつきつけられ、対応していかなくてはならないことも多々あります。

 そんな中で、今は耐えてくれ、ここは我慢してくれ、と言われる場面も多いかと思います。

 また逆に、発言することもあるでしょう.

 
 さて、普段意識しないで、言葉を受け取ったり、発言していると思いますが、この言葉の真意は何でしょう。

 一つは、

 ここは耐えてくれ=貴方一人や、我々の能力じゃどうにもならないから、何をやっても改善はしないので諦めてくれ。 ≒どうせ出来っこない、何をやってもムダだから、行動しないでくれ、発言をしないでくれ。

 という諦め。放棄宣言。

 ここは耐えてくれ=貴方一人や、我々の能力じゃ、今は動いてもリスクを伴う、チャンスが来るまで、準備して待っていてくれ。 ≒守りを固めながら、環境の変化を細かく観察し、用意周到に行動の準備、情報収集などをしていてくれ。

 という準備期間。

 ダメな会社、ダメなビジネスマンは前者の忍耐によく遭遇するため、境遇をより良く改善していくことを穂放棄し、チャンスが転がってきた場合でも、つかむことが出来ず、チャンスを蹴飛ばしてしまいます。

 もちろん、後者の会社、ビジネスマンは、起死回生を狙い、ちゃくちゃくと策を錬り、攻撃準備を整えているので、現状、不況の影響でダメージを受けていても、得られるチャンスは丁寧に拾い上げます。




 不況という海をやせ我慢して潜水しても、息継ぎというタイミングチャンスを逃すと死んでしまいます。忍耐を効率よく持続させるには、実に戦略的な要素、計画が必要であり、そのような思想に伴っていない忍耐は、ただの我慢比べにすぎないのです。

 今は耐えてくれは、準備期間と心得よ。

 私はそう考えます。


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