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 『みじかくも美しく燃え』という映画がある。

 

 詩人の石原吉郎はそのラストシーンに不思議な感動を覚えたという。

 

 映画は、心中を決意した男女が、死に場所を急ぐ場面で終わるが、最後に道ばたで出会った見知らぬ男に、男が名前をたずね、そして自分の名を告げて去る。

 

 

 

 

 石原吉郎が考えたのは、死にさいして、↓


 石原吉郎が考えたのは、死にさいして、その死の瞬間まで自分が存在したことを、誰かに確認させたいという希求であり、同時にそれは、自分が結局は自分として死んだということを確認させたいという衝動ではないかということであった。そして、その確認の手段として、最後に自分に残されたものは、自分の名前だけだという事実は、背筋が寒くなるような承認である、といった。

 

 

さらにこう続ける。↓


 さらにこう続ける。にもかかわらず、それが自分に残されたただ一つの証であると知ったとき、人は祈るような思いで、おのれの名におのれの存在のすべてを賭けるだろう。

 

 

 

 

 

 例えば、映画「タクシードライバー」では↓


 例えば、二〇〇八年に秋葉原に二トントラックで特攻、刃渡り一三センチ・全長二三センチのダガーナイフで無差別殺人をおこなった加藤智大が、匿名掲示板に己の犯行を実況するようなかたちで書き込んできたのがそれである。

 そして、無差別殺人もそれだろう。無名の自分が死ぬならば、いったい自分は何をこの世に残せたのだろうと考える。その自意識の行き着くルートのひとつが人を殺すことになるのだろう。

 

 

ミュージシャンは↓


 例えば、マーティンスコッセシのヒット作の『タクシードライバー』。

 ベトナム戦争から帰還したトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は女性に惚れるがアプローチの仕方を見事に失敗、それからはボンクラの自意識が見事開化し、町にはびこる悪はおれが粛清するぜと意識を高め、拳銃を胸に隠し持って外をパトロールする。トラヴィスは何者にもなれない自分自身に絶望し、おれがうまくいかないのは世の中がおかしいからだと考えたのだ。

 

ボンクラあるあるすぎて泣きそうだ。

 

 

加藤もトラヴィスも何者にもなれない自分に嫌気がさして↓



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