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 闘争心は消えてないのに闘争を行わなくなったいまの時代に「そんなんじゃねえだろ」とぶちまけることが必要だった。

 それがロックンロールのいまある役割のはず。現れたのは神聖かまってちゃんだった。

 

 

 

 彼らは激薬だった。↓


 彼らは激薬だった。

 「夕方のピアノ」では《死ね!》という言葉を連呼する。それは当時だれも歌詞に載せることが出来ない言葉だった。さらに、自身がおこなうネット配信では他のバンドの名前を挙げて面白おかしくやゆしてみる。

そもそも、なぜお互いの音楽の好みに触れないでいれるかというと、その音楽性と活動の話題が分かれているからである。神聖かまってちゃんはわざとそこに噛み付いてみるのだ。そうすると、そのファンは怒りの反応をみせる。本性をあらわすのだ。しかし、それが音楽好きの姿であるし、人間の姿だろう。人間はそんなに利口じゃないのだ。

 

神聖かまってちゃんとクロスオーバーしていく。彼らの名前は膨らんでいくのだ。

もとをたらせば、他のグループを批難してはいけないという決まりはない。一昔前のロッキングオンジャパンではミュージシャンはけっこう好き勝手いっていた。

例えば、ミッシェルガンエレファントがヴィジュアル系をディスった次のページがヴィジュアル系バンドだったこともあったし、YUKIは福山雅治にたいして桜坂をひきあいにディス。神聖かまってちゃんが特別なことをしているわけではない。

 

地上波から音楽番組が消え去ってから↓


地上波から音楽番組が消え去ってから数年、ミュージックステーションもアイドルの巣窟になっている。クロスオーバーが面白さだったのにもうそれが望めなくなった。

 

そんな世の中でどう上がっていくか。攻めるしかない。だから神聖かまってちゃんは攻める。他の音楽グループと自分たちを血を吹き出す覚悟で自らクロスオーバーさせていく彼ら。

 

 

 

全存在をかけてこの世に↓


彼らは全存在をかけてこの世に名前を残そうとしている。石原吉郎のいう、彼らは一個のまぎれがたい符号であり、それが単なる番号になるような連続性を拒んでいるからだ。人間だからだ。

自分が死ぬと分かると、自分が何のために生きているかを人は考える。

どうせ死ぬのに生まれた。なにもしないで死ねる。なのに生まれた。どうせ死ぬのに生まれた。生まれた意義ってなんだ。

――戦うためだろう。戦うために生まれてきた。どうせ死ぬのだから。

 

 

 

わたしも単なる番号の連続性になりたくない。そこから拒まれたい。でもどうすればいいか分からない。

 

 しかし、頭皮の毛根からは拒まれたくないので、ブロッコリースプラウトをこれからスーパーで買ってこようと思う。←


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うおお