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不思議と

 別れ話は二度目で決着をつけるべきだ。

 一度目は感情が昂って話し合いにならないから仕方が無い。

 三度目以降となると、もはや四度目五度目と内容は同じだ。ヘドロのような重苦しい空気に耐えかねて、やがてどちらかが「思い出話」をぽろっと口にする。そうすると一方もまた、そこまでですっかり消耗していたものだから、栓を抜いた浮き輪みたいに笑ってしまう。本題とは無関係の会話や、馴れ合いのいたずらがそれに続き、あとは自然に、そこまで戦った「自分を」称えるようにして、「相手を」抱きしめて元鞘である。

 だから話は必ず二度目で終わらせる。

 今夜もまた例外ではなかった。

 

 午後七時過ぎ、新宿駅南口近くのスタバのテラス席で落ち合った。

 聡子は新作のフラペチーノを両手にのせては目を眇め、自作の出来を確かめる陶芸家のように様々な角度から見回した。ひとしきり見て満足したのか、カップを外す。クリームをひとさじ、口に運んで

「あ、おいしい」

 と、わざわざ言った。

「ここ、空調効き過ぎ」

 スンスンと二回鼻をすすった。

 おれとの「会話」になるのを避けているらしい。効き過ぎ「だね」と言えば同意を求めた問いかけになる。

「ちょっと寒い。もう一枚羽織ってくるんだったな。ちょっと今日風邪っぽいし。…………帰ったらパブロン飲も。葛根湯のドリンクと一緒に飲めばほぼ全快、間違いなし」

「こないだの話の続きしようか」

 その言葉一つで聡子は、頭をなでようとした瞬間に馬がそうするようにそっぽを向いた。

 だが、会話をしなければ始まらない。いや、終わらない。おれはあくまで強硬策をとった。

「……絶対? 絶対ですか?」

「もう無理だから。ごめん」

「絶対ってこと?」

「うん。ごめん。おれがぜんぶ悪いんだ」

「悪くはないよ。そう思わせちゃったあたしが悪いんだし。そういう俊くんの気持ち、気づいてあげられなかったのも、そうだし。だから、だからね……他のコに気持ちが移っちゃったっていうのも、仕方ないと思う」

「ごめん」

 たった三文字を言い終わらぬうちに、聡子は激しく首を振った。

「それは全然……っていうわけじゃないけど、あたし許すし。むしろ、こういう事しつこく言って俊君に嫌われれたくないし。だから別に全然、っていう。うん……ただ……でもさ、ほんとに絶対に無理なんだよね?」

「うん」

「……え、でもさでもさ、こんないきなりだと、さすがに気持ちが追いつかないっていうか」

「いきなりではないでしょ。前にも一回話してるじゃん」

「だけど、それからまだ一週間しか経ってないし……」

「いやちょっと待って。聡子が言ったんだよ。時間欲しいって。それで今日までって、それで納得したじゃん。お互いに。なのに、その今日になって〈いきなり〉って言うのは変でしょ」

「そうだけど。……だけど、一週間じゃ整理つかなかったの。仕方ないでしょ」

「……わかった。じゃあ、気持ちに整理ついたら連絡くれよ。その時にまた話そう。ただ、三つの事を約束してほしい。他の用件で連絡してきても会わない。電話も出ないしメールもラインも返さない。その間はお互い誰と付き合っても干渉しない」

 ウォンバットに似たつぶらな瞳が、鮮やかさを無くしマットな黒に変化した。

 了承を得られない事はわかっていた。その条件では、別れているのと同じだ。そうわかるように、怒らせるために言ったのだった。

「何それ、キモい」

 その言葉に、おれは自分の目的が八割がた達成されたと確認した。

 若年層は自分の理解の範疇を超えたモノや現象について、とかく「キモい」の箱に入れがちだ。そこに腑分けして距離を取り、ひとまずの安心を得ようとする。良い兆候だと思った。

「何で……何でそんなに別れたいの?」

 典型的な台詞。だが、それを口にした彼女が、それを実際に疑問に思っている訳ではない事は表情からもあきらかだった。

 罪はむろんおれの方にある。

 むしろおれは彼女と別れたいがために浮気をしたのだ。手元にあるものとは別の、新たな理由が必要だった。本来の理由――彼女の特異体質によって別れる事は、何だか気が咎めたし、それによって去っていったであろう過去の男たちと同列に並ぶことは、プライドが許さなかった。

「あたし、俊君じゃないと無理」

「それはない。聡子にはもっとふさわしい人がいるはずだよ。おれなんかじゃなくて、もっと」

「無理」「無理い」声のオクターブがあがった。

「落ち着けよ……って言ってもか」

 フラペチーノの甘い爆風だった。テラスを囲う鉄柵が腰に当たり、痛いと感じる間もなく景色が転回した。一瞬の夜空のあと、犬の小便臭い街路樹の植え込みに顔を突っ込んだ。腕時計の盤面は割れ、ネクタイはかろうじて首にからまっている。

 身を起こして辺りを見渡すと、自分と同じ体勢の人々が大勢居た。どれもスタバ店内で見た顔である。遠くを見ると、工事現場のクレーンに店員の一人が片足だけ引っ掛けて、折れた雨樋のように揺れていた。

 人々の視線の集まる先には、膝を抱えてうずくまる聡子の姿があった。ノースリーブなんて着てくるからだ、肩に窓枠とガラス片が刺さっている。

 初めに体験した時は、浜辺だったからまだ良かった。

 アリス、みたいだよね。

 その時は確かそう言ってフォローした。さほどウイットには富んでいなかったものの、変貌をとげた彼女の姿に、安易な「キモい」以外のコメントをひねり出したところまではうまくいった。が、内心のおののきは隠しきれていなかった。ペディキュアの施された、薄紫色の親指の爪に映り込む自分の顔は今でも覚えている。

「ねえ、何みたい?」

 スターバックスの跡地に鎮座した塊から、声がした。

「ねえ俊、いまの私って何みたい?」

 本当はアリスとは思わなかった。ケーキを食べて巨大化し、家を着た状態のアリスはあくまで可愛らしい。その時、そして今日も、おれが連想していたのは窮地に立たされ、悪あがきで巨大化する戦隊ものの怪人だった。

 怪人の事情は知らない。誰もがそうだろう。知る努力をしなくたって、それは咎められることではないはずだ。

 とにかく今日は二度目なのだ。今日で終わらせなければならない。

「不思議の国の、ねえ何」

 肘と膝のサポーターを外している最中、一陣の風が吹いた。

 その正体は、くしゃみの前の――本来は極めて微弱な――吸い込みであった。まもなくおれは後方へ吹き飛ばされる。先程よりやや温みを増した、やっぱり甘い風と衝撃に、今度は霧と化した唾液が加わった。この場所よりも後ろには甲州街道を挟んでJR新宿駅とルミネ、大きな時計の看板のファーストキッチンがある。具体的にどの方角へ向かっているかについては見当がつかなかった。

「サンシャインタワーの屋上か、お台場の観覧車のなか」

 そういえば聡子は当初、話し合いの場をその二つに限定してきた。あやうく一方を選びかけたところで、おれは察知した。

 聡子は許していないのだ。許していないと別れたくないは、彼女の思考のうちではさほど矛盾していない。

 

 JRか、ルミネか、ファーストキッチンか。

 考えているうちに視界が光で埋め尽くされた。さほど飛距離はなかったらしい。

 おれは、まぁこれなら、と思い目を閉じる。やはり別れ話は二度目で決着をつけるに限る。不思議と、あまり怖くはなかった。

 

 

 

 

 


この本の内容は以上です。


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