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今年は春が遅い。冬には老木ばかりだと思っていた〝スノーフレーク〟の隣の公園の木々が小さな蕾をつけ始めた頃、千春は以前から秘かに片想いをしていた営業の(いけ)()(まさ)()という男に交際を申し込まれ付き合うようになった。

映画や食事だけの高校生のようなデートは二回で終り、三回目の夜に千春は()()の痛みを知った。

ひとつ年上の池田はバツイチだが子供はいない。十人ほどいる営業の中でも成績抜群の池田は女子社員にも評判が高い。デートのたびに千春の瞳を見つめて愛を囁く池田の腕の中で、彼女は歓喜に震えた。

しばらくぶりにC市に住む母親に電話をかけた。相変わらずのんきで陽気な母の声。千春とは真反対の、ポジティブ思考の権化(ごんげ)のような母の声はいつ聞いてもほっとする。
 好きなひとができたと報告する千春に、

「ホントに? ホントにホントなの? 兄弟の中で結婚していないのは末っ子とあんただけだったから、あたし……」

母はたたみかけるようにそう言うと、電話の向こうでいきなり(せき)を切ったように泣きだした。母が千春の結婚問題に触れなくなって久しいけれど、内心では千春のことをよほど心配していたのだろう。女三人男六人の、九人いる兄弟のなかで独身はニューハーフになった末っ子と、千春だけだったから無理もない。ポジティブ思考も、こと千春に関しては影をひそめるらしい。

「休暇を取って彼氏を見せに来てね」

と繰り返す母に、ゴールデンウィークには必ず行くと約束して電話を切った。

 

四月のはじめに千春は池田からのプロポーズを受けた。そういえば、池田に告白されて以来、一度も〝スノーフレーク〟には足を運んでいない。

店に何度か通ううち、マスターには、結婚したこともなければ異性と付き合ったこともないと正直に打ち明けている。母親から結婚を催促されていたけれど、今はそれさえもなくなったといい香りに包まれながら、寂しい話もした。そのときの、早くおかあさんを喜ばせてあげられるといいですね、と心配そうに言ってくれたマスターの顔を思い出した。

――そうだ。マスターにも会わせないと――
さっそく千春は池田を〝スノーフレーク〟に誘うことにした。

「いらっしゃいませ。おや、千春さん。珍しい! カップルで」

「ええ、マスターにも色々愚痴を言って心配かけたけれど、今度結婚することになったから、彼を紹介しようと思って」

「いやあ、そうなんですか? とうとう結婚決まったんですか?」

マスターがうれしそうにカウンター席に座ったふたりの顔を交互に見た。

「はじめまして。池田です。千春さんとは同じ会社で働いています。以前から千春さんに恋していたんですが」

〝ドーン!〟

音が鳴ったとたん池田はビクッとしたようにあたりを見まわした。
「ああ、なんでもありません。店が古いもんですからね。木がきしんで音が鳴るんですよ。耳触りで申し訳ありません」

〝ドーン!〟

「ほらね」

「そうなんですか。そういえばインテリアもアンティーク調でいい感じですね」

池田がそう言うと、どこからともなくいい香りが漂ってきた。

「千春さんの結婚が決まったなんてうれしい限りですよ。お祝いに私のおごりでシャンパンを抜きましょう」

「マスターったら。まだお式の日も決まってないのに」

「そうですよ。もっとも僕の中ではもう決まっていますけどね。実は僕、バツイチなんですけど、千春さんとこうなってわかりました。僕は千春さんと結婚するために生まれてきたんだって! 僕は死ぬほど千春さんに惚れてるんですよ」

〝ドーン!〟

それから店をあとにするまでの二時間足らずのあいだ、池田が甘い言葉を並べ立てるたびに天井から〝ドーン!〟という音が鳴り響いた。

千春は、次第に疑惑の念が湧いてくるのをどうすることもできなかった。次のカップルが来店したのを(しお)に店を出た。公園に差しかかったところで、どうしても彼の気持ちを確かめずにはいられなくなった。

「ねえ、雅樹さん、本当にわたしと結婚したいと思ってるの?」

「えっ? どうしてそんなこと言うの?」

「ごめんなさい。あなたとこうなってとってもうれしいんだけど、どこかで雅樹さんを信じきれないわたしがいるの……」

「…………」

――どうして黙っているの? どうしてすぐに、本当に君を愛してるんだ、って言ってくれないの?――
「千春さん、ごめん……実は……」

池田は彼女の視線を避けるように、遠くを見ながらポツリと言った。

「みんなで賭けをしたんだ」

「カケ? カケって?」

「営業の連中と君の部の何人かで、君と結婚できるかどうか賭けたんだ。千春さんは性格が暗くて誰とも付き合ったことがないから、騙すのはチョロイだろうって! 株で儲けた金と会社で働いた金を合わせて五千万円以上は貯めているという噂だから、結婚できたら儲けもんだし。俺は断られるほうに賭けたから、プロポーズを断られたら賭け金を貰えるし。どっちに転んでも俺にはいい話だと思って……今、元女房から、貸した金を早く返せと責められているし、競馬や競輪であちこちのサラ金から借金してしまって……金が欲しかったんだ。でも、やっぱりずっとだまし続けるなんて、俺には無理だ」

千春は思わず池田の頬を殴った。
 ――こんな嘘で固めたような男を、短いあいだでも本気で愛した自分が情けない……好きになった自分が許せない――

もっとも、まともな恋愛さえしたことのない彼女に、金に困ったあげく、ひと芝居打った男の嘘など見抜けるはずもあるまいが。

株で儲けたなどと誰がそんなでたらめな噂を流したのか……。

この策略を企てた者……それは、池田を賭けに加担させ、千春をだまそうとした悪意に満ちた人間であることは明白だろう。

心当たりなら山ほどいる。なにを根拠に、あんなに自信たっぷりの顔ができるのかわからないけれど、女王様然とした顔で千春を見下す女たち。性格が暗くて美人でもない女は生きている資格がない、とでもいうかのような男たち。

いずれにしても、自分は誰にも好かれていない……無垢(むく)な身体を捧げた男にさえ愛されてはいなかった。そんな、冬の荒野にひとり取り残されてしまったかような()(そう)(かん)にうちのめされた。

彼女は公園の中に駆けこむと、一番大きな木の陰で声をあげて泣いた。

すると、まだ固かった桜の蕾が可愛いピンクの色を帯びはじめ、ゆるゆると花びらを広げながら、(ふく)(いく)たる香りで千春の全身をふわりと抱きしめた。

 

 


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それから三ヶ月ほどして千春は、総務部の、社内でも一番地味で平凡な(ます)()(こう)()という男に居酒屋に誘われた。そして、少しの酒で酔ってしまった増井からずっと昔から好きだったと告白された。

嫌なタイプの男ではない。ただ、あまりに()(もく)で目立たないせいか、今まで一度も男として意識したことはなかった。
 経理部に籍を置く千春が、一階上の総務部に資料やコピーを届ける折などに、たまに顔を見かけては挨拶を交わす程度の間柄。身長は高からず、低からず。薄くなりかけている七三分けの髪にグレーのスーツ。どこと言って特徴のない顔に黒縁メガネ。どこにでもいるサラリーマンのタイプである。

増井と付き合うようになってしばらくした頃に、酔って池田雅樹への憎悪と失恋の痛みをしたたかぶちまけた日も、彼は黙って頷きながら千春の涙を拭いてくれた。

手ひとつ握らずに、傷心が癒えるまで待つという千春を思いやる逢瀬のなかで、次第に彼女も増井を愛するようになっていった。けれど〝スノーフレーク〟には、彼をまだ一度も誘っていない。

――もし、増井さんの言葉が嘘だったら……ついこのあいだ、ひどい失恋をしたばっかりだし……考えてみたら、わたしはいままで男のひとに本気で好きだなんて言われたことがない。自信がない。それなのに、彼がわたしを好きだなんて信じられない――

彼女は悩んだ挙げ句〝スノーフレーク〟にひとりで出かけた。そしてマスターに増井の話をした。本心を訊きたいけれど、怖い、とっても怖いのだ、と……。

マスターはひとしきり話を聞いたあと、静かに言った。

「本心を知りたいのであれば連れていらっしゃい。もし、嘘なら嘘でもいいじゃないですか? 嘘とわからずに騙されるよりも、嘘とわかって騙されるほうがずっといい! ひとは、嘘だとわかっていながら騙されるってことも、ときには必要なんです。好きだというのが本心だとわかったら、なおよろしいじゃないですか? どちらにしてもグッドなんだから、連れてらっしゃい。悶々と悩む方がよろしくない」

千春はさんざん迷った末〝スノーフレーク〟に彼を連れて行くことにした。

増井は店のドアを開けた途端、直立不動で、

「はじめまして、わたくし増井浩二と申します。マスターのお噂は、千春さんからかねがね伺っております」

そうマスターに挨拶したあと、深々と頭を下げた。

「いやいや、ご丁寧に。ささ、そんなところに立っていないで、どうぞこちらに座ってください」

酒に弱い増井はいつものように、店に入って三十分もしないうちに酔ってしまった。

「千春さんからいつも、〝スノーフレーク〟さんの話を聞いていました。でも、ここは自分だけの大好きな秘密の場所だからって、なかなか連れてきてくれなかったんですよ。今日やっと紹介してくれるっていうから嬉しくて、嬉しくて! あはっ! 駄目ですね。もう、酔っちゃいました。面目(めんぼく)ないです! 千春さんがいつもここは人生のオアシスだって言っていました。マスターには、なんでも本当のことが言えるからうれしいって。兄弟は多いけれど、マスターほど打ち解けて話せる兄弟はいないって! だから、千春さんが信頼しているマスターにお願いします。僕は彼女にプロポーズしているんですが、なかなかOKをもらえなくって……本当に愛してるっていうのに信用してもらえないんですよ。僕は、彼女の自然体のところが好きなんです。いまどきの女みたいに化粧を塗ったくっていない薄化粧の顔も、シャイな性格も、ここぞというときに見せる頑固なところも、なにもかも大好きなんです。ねえ、マスターからなにか言ってくださいよぉ。僕は千春さんを一生大事にしますから」

増井がそう言い終ったと同時に、とろけるような甘い香りが店いっぱいに広がった。カウンターの中のマスターがにっこりと微笑んで、千春にウインクを寄こした。

 

二ヶ月後、ふたりは結婚式の招待状を持って〝スノーフレーク〟を訪れた。店は閉まっていた。次の日も行ってみたけれど閉まったままだ。いままでこんなことはなかったのに……。マスターはいったいどこへ行ってしまったのだろう。
 三日目、胸騒ぎを覚えた千春は、公園を挟んだ向かいの美容室のオーナーにマスターの安否を尋ねにいった。

「ああ〝スノーフレーク〟さん? おととしの春ごろだったかしらね。心不全で突然亡くなった奥さんのあとを追うようにして、一週間もしないうちに、マスターがカウンターの中で亡くなっていたのは……ママもマスターも真っ正直で、嘘が大嫌いで、いまどき珍しいくらい裏表のない、とってもいいひとたちでね。そうそう、ふたりとも、独身の男女をくっつけてあげるのが大好きだったわ。あそこで結ばれたカップルはみんな幸せになっているんだって!」

ふたりは店の前に佇んで(もく)(とう)した。

――マスター、そして会えなかったけれど、いつもマスターが話してくれていたママさん、ありがとう。〝スノーフレーク〟楽しかったです。お店は幻だったけれど、わたしは本物の幸せを掴みました。本当に、本当にありがとう――

 

やがて、ふたりを祝福するかのように、どこからともなくスミレのようなほのかに甘い香りが漂ってきて、あたり一面に広がっていった。


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奥付



天空から降りてきた世にも奇妙なお話 Part 1(Renewal)


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著者 : サラ・シリウス
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/happy123/profile


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