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オフィス街に木霊する悲鳴

空一面に立ち込めた灰色の雨雲たちが、湿った風にゆっくりと流されて、動いている。先ほどまで、強く降り注いでいた雨が止み、小康状態となった六月のある日。昼下がりの歩道に立ち並んだ街路樹が生暖かい風に揺れて、水滴を落としていく。アスファルトの上をいくつもの轍が通り過ぎ、時折、水たまりを踏んでは、水しぶきを上げた。


ここは、十階以上の高層ビルが立ち並ぶオフィス街である。どのビルも全面ガラス張りにしてあり、雨雲から時折、漏れてくる陽が、キラキラと窓に反射している。濡れたアスファルトの香りが、辺りに立ち込め、水たまりに映った雨雲とビルの壮観は、時折、人々の足を止めさせた。


と、とある十八階建てのオフィスビルの屋上に、黒い人影が蠢いている。雨雲が、ゆっくりと動きながら、うす雲と灰色の雲が交互に流れると、その陰影を浮かび上がらせていく。その人影がビルの上で行動していた時間は、おおよそ五分ほどであったろうか。それに、気づいた地上の人々が、空を指差して、各々に、何かを叫んでいる。そのビルに居た人々も、それに気づいたのか、一階まで下りてきて、空を見上げている。


屋上には、複数の人影が見える。屋上の手摺(てす)りを乗り越えて立っている人影が一つ。その奥から何かを叫ぶ人たちが、数人。 雲の切れ間から漏れる光が、ゆっくりとそのビルに近づいている。手摺りの眼下には、車道と歩道があり、たくさんの車と人たちが行き交っているのである。車道側に顔を向けて、後ろ手にして、手摺りを両手で掴みながら、体を大きく揺さぶる人影。多くの人たちの視線は、人影の一挙手一投足に向けられている。雲の切れ間から指す光が、その人影を包み込んだ。人影の唇が微かに笑っている。そして、次の瞬間だった。


その人影が、大きく体を反り返ると、前方に向かって思いっきり飛び出したのだ。それは、まるで、走り幅跳びの選手のように、しなやかなで、ダイナミックな跳躍に見えた。やがて、そのスローモーション映像は、ゆっくりと前方から下方へ高速に落下していく。だが、その時だった。


 その人影の首に、何かが巻き付いていたのだろうか、突然、首と胴体が切り離されてのだ。それは、まるで、鋭い刃物で、切り落とされたかのように、風を斬るような微音がしただけだった。その胴体が重力に引かれ、真っ逆さまに、時に空転しながら、落下していく。整然としたオフィスビル街に、その鮮血が振りまきながら、まるで赤い雨を降らしているかのようであった。街路樹、街灯、コンクリートの石畳や曇りのない窓ガラス。見上げる人々までも、次々と鮮血に濡らしていくのだ。やがて、歩道に敷き詰められたコンクリートの石畳に、激しく叩きつけられると、その衝撃で、首から激しい血しぶきが噴出した。


立ち並ぶオフィス街に、恐怖に満ちた悲鳴と狂気に満ちた怒声が入り混じり、ビルの下に集まった人たちが、慌てふためき、右往左往している。人々は、恐怖に慄(おのの)き、背筋に鋭い激震が走る。顔を背けている人。口を開けて、上空を指差す人。吐き気を催し、俯(うつむ)く人。貧血を起こして、卒倒する人。手を震わせながら、スマートフォンで写真を取る人。時には、すすり泣くような声まで聞こえている。やがて、誰が知らせたのか、遠くから警察と救急の車両が、数台サイレンを鳴らして近づいてきた。


 強烈な衝撃で割れたコンクリートのヒビに路面に濡れた大量の血液が流れ込んでいく。そこへ、上空から真っ赤な雫が降り注いでいく。そう、そこには、天空に揺らめく一つの生首があるのだ。だが、突如、その首に、向かって、一羽の鴉(からす)が猛スピードで飛来してきた。カラスは、両足の爪で、その髪の毛を鷲掴みにすると、その鋭いくちばしを左の目に突き入れていくではないか。そして、黄色く濁った目の玉をえぐり出して、口に咥えると、颯爽と飛び去っていった。風に揺られる、残された生首。その片眼を失い、俯(うつむ)いた顔の口元には、満足気な笑みが浮かんでいた。


飛び降り首切り自殺

物々しい雰囲気に包まれたオフィス街。警察車両と救急車の煌々とした赤いランプが交差するように、オフィスの窓という窓に反射している。複数の制服警官が、歩道と車道を問わず、周辺の交通整理をしている。既に、落下した胴体は、それを囲うように、青いビニールシートで覆われている。その真上には、何か細い線に吊るされた生首が、風鈴のように、生暖かい風に揺らされている。鮮血が滴り落ち、時折、綺麗に磨かれた窓を汚していくのである。


 雨雲が、雨を降らさずに、風に乗って、ゆっくりと流されていく。複数の制服警官に混ざって、背広を着た刑事が二人。十八階という高層ビルの最上階に吊るされたものを右手の甲で薄暗い太陽の陽を遮りながら、見上げている。一人は、背が高く、がっちりとした体格で、水色の半そでシャツに、紺のズボンを履いている。もう、一人は、背は低く、やせ形で、銀縁のメガネをかけて、白の半そでシャツに、グレーのズボンを履いていた。太陽が雲の間に隠れたのを見計らったように、背の高い男が口を開く。


「いやー、今回自殺したのは、男のようですね・・・。それにしても、何で、こんな死に方を選ぶんでしょうかね。しかも、あんな高いところに・・・。わざわざ首だけを残すなんて、どういう神経しているんでしょうね、貞平さん。」


背の高い男が、空を見上げている貞平に振り返って話かける。


「確かになぁ。今、流行りの”飛び降り首斬り自殺”ってやつだ。ただなぁ、宅間。この自殺・・・いや、この事件、かなり手こずりそうな予感がするぜ。」


体格の良い宅間と呼ばれた刑事が、大きく頷く。


「確かに、今年に入ってから、この六か月の間に、四件目ですからね。わざわざ、この自殺の方法を選ぶというのは、やはりネットなどの影響なんでしょうか?世界中で、様々な情報公開されて、それが、多種多様に模倣される世界ではありますけど・・・。」


「うーん・・・。どうだろうな。俺はなぁ、この自殺が、ただの模倣ではないと思っているんだ。長年の刑事の勘と言えば、聞こえはいいが、どうも釈然としないんだなぁ。」


貞平が宅間を見上げて、顎をしゃくった。二人は、屋上に向けて歩き出した。


「なるほど、つまり意図的な何かが、あるということですか?」


「ああ、そうだ。この三件・・・いや、今日で四件目の自殺には、何者かが、意図的に仕組んだこと・・・。それが何かは分からないが、そう思えて仕方がないんだ。」
「ただ、現状では、個々の自殺には、関連性が認められない・・・。これが今のところの警視庁のお偉い刑事さん達の見解ですが・・・。あっ、エレベータが来ました。」


二人は、急ぎ足でエレベータに乗り込むと、最上階のボタンを押す。


「そうだな。確かに、前の三件の自殺に関して言えば、年齢、性別、卒業した学校、職業、住所、移転先、血液型に至るまで、全く結びつかなかった。ただ、どういうわけだか、自殺方法だけが、一緒ということを除いてはな。」


「そうなんですよ。問題は、何故、あんな過激な方法で自殺するのかですよ。普通、飛び降りなら飛び降り。首つりなら首つりで、完結するはずなのに、飛び降りて、同時に首を吊り、その首を切断して、さらに屋上から吊るすなんていう3重の自殺方法なんて、今まで聞いたことがありませんよ。」


深いため息とともに、貞平が宅間を見上げながら言った。


「それが、問題なんだよな。そこまで、やらかして、死ぬ意味が問題だ。そして、前の三件で亡くなった三人の遺書の支離滅裂さは、まるで、何かの薬物でもやっているかのような感じだったしな。今回は、少しは、まともな文章だといいんだが・・・。。おっしっ!着いたぞ。」


二人は、エレベータを下りると屋上へ続く階段を上がり、その扉を開いた。そこには、数人の警察官と鑑識班が、右往左往しているのが見える。二人が到着した時、丁度、鑑識班が生首を引き上げようとしてる最中であった。貞平が、顔なじみの長身でやせ型、短髪をサッカー選手のように流しているイケメン鑑識官を捕まえた。


「ようっ!高藤君。首尾はどうだい?」


貞平が、高藤の肩をポンと叩く。


「おっと!突然、後ろから不意打ちするの止めて下さいよ、貞平さん。まったく、こんな高いところで、生首なんて引き上げるの大変なんっすから。」


高藤が、生首をちょうど引き上げ終わって、呆れ顔で振り返ると、貞平が照れ笑いしている。宅間は、極力、生首を視界に入れないように言った。


「それにしても、いつ見ても、ごっつい手袋はめているな。やっぱり良く切れるのか、そのワイヤーは。」


「そうなんだよ。このワイヤーは、この通り、太めに作ってあるけど、この自殺方法のために一部を加工して、鋭利にしてあるので、念のため、この有刺鉄線も通さない皮手袋をしないと、あっという間に・・・。」


高藤は、五本の指が空を飛ぶような動作をした。引き上げられた生首はブルーシートの上に横たえられているが、左目を失い、首の奥からゆっくりと血液が流れ出して、血だまりを広げていくのである。貞平は、引き上げられた生首から手摺(てす)りに伸びるワイヤーを確認しながら、高藤に尋ねる。


「うーん。やはり、前の三件と同じワイヤーを使用しているのか?首を切り落としやすいように、首を吊るす部分のワイヤーが鋭く光っている。それに、見ろ。この悪趣味な釣り針の返しを。これが、落下する寸前の首の両顎(あご)に突き刺さって、取れない仕組みなんだからな。」


貞平が、生首をぶら下げている光り輝くワイヤーを示しながら、高藤を振り返る。


「ええ、詳しくは持ち帰って分析しないと、はっきり言えないのですが、前三件と同じであれば、おそらく、首回りと手摺りにくくりつけた部分の材質が異なると思います。首回りの材質は、日本刀に使用される玉鋼(たまはがね)に似ていると思います。また、この首に当たる部分は、日本刀の刃金(はのかね)のように、鋭利で切れ味の良い刃物になるような形を描いています。そして、手摺りにくくりつけた部分は、重力落下による引っ張り強度を増すために、ピアノ線を使用しています。ただ、これらは市販されていませんので、一から、これだけのものを作ったとすると、相当、加工技術に熟練していると思われます。」


それを聞いていた宅間が不意に口を開いた。


「でも、そんな尖らせたりしたら、ワイヤーの強度が弱くなって、通常、体重の重みで、ワイヤーが切れると思うがなぁ。」


高藤が少し笑みを漏らして


「まあ、同じ素材を研磨するのであれば、面積が減った分、強度が下がるが、これは、ピアノ線に日本刀をくくりつけて、首に当てた状態と同じなんだよ。そして、全体重をかけて、落下するれば、どうなるかは、ご覧の通り。」


ブルーシートの上に横たわる生首の前で両手を広げた。宅間は、生首を見たくないのか渋面を作って視線を上に向けた。不意に貞平が口を開く。


「ところで、この仏さんだが、身元は、分かったのか?」


「ああ、そうそう。あっちにありますよ。」


高藤は、屋上の手摺りの端を指差した。透明なビニール袋に、所持品と思われるものが、入っている。宅間が、それを取りにいき、貞平に手渡した。二人は、白い手袋を両手にはめて、ビニール袋の封を開ける。一瞬、モヤっとしたタバコと線香が混ざったような煙臭が二人の鼻孔に入ってくる。中には、スマートフォン、ライター、タバコ、黒い革の手帳が入っていた。貞平が、中をまさぐっているが、お目当てのものはなかったようで、まず、黒い革の手帳を取り出した。貞平が、ページをめくり始めると、宅間が乗り出すように覗き込んでいる。


「うーん・・・。長岡 博さんか・・・。名前しか書いてないな。住所ぐらい書けばいいのにな。大体、いくつ、ぐらいなんだろうな?」


貞平が、訝(いぶか)しげに、生首と手帳を見比べている。高藤が


「おおよそですが、三十代後半から四十代前半ってとこですね。」


と端的に回答した。宅間も頷いている。


「なるほど、三十代から四十代なら、黒い革の手帳も有り得るか・・・。それにしても、当てが外れたな。前三件のように、改まった遺書が見つからないとはな。」


「確かにそうですね。しかも、黒い革の手帳・・・ほとんど使ってないじゃないですか。勿体ないなぁ。」


「全くだな。あとは、食べたものか・・・カレンダーに、イクラ丼 千五百円とかイカの刺身定食 千二百円とか・・・。店の名前も書いていないし・・・。普通、仕事とか、プライベートとかスケジュールを書き込むものだと思うんだがな。」


貞平が薄くなった前頭部を掻きながら、渋面を作っている。


「きっと家計簿でも、つけているんじゃないですか?武士でもつけるぐらいですし・・・。」


宅間が、どうでもよい方向へ脱線しそうになったのを慌てて貞平が戻す。


「まあ、そこは置いといてだ。この手帳が、あぶり出しや暗号。もしくは、特殊なインクで何か書いていないか、高藤、よく調べておいてくれよ。」


「ええ、分かりました」


高藤が、手でOKマークを作って答えた。貞平は、丁寧に手帳をビニールに戻すと、スマートフォンを取り出した。良く見ると、かなり年期の入った部類になるのか、その画面は、割れた跡が残り、裏面の塗装もだいぶ剥げ落ちている。
「ちょっと、電源を入れてみてくれ。」


「わかりました。」


貞平が年下の宅間に手渡すと、宅間がいとも簡単に電源を入れた。満足げな貞平に、スマートフォンを返して、宅間が指を差しながら、スマートフォンの使い方を教える。


「・・・あとは、ここをダブルタップして・・・いえ、あの二回指で突っつくだけです。」


「ああ、こうか・・・。なるほど、色々と便利な機能があるんだな。」


「まずは・・・そうですね。スケジュールから見てみましょう。」


「そうしよう。えーっと、こうだな。移動させて、ここで、二回トントンと・・・。おお、出てきた。」


貞平と宅間の二人の目の前にカレンダーが表示された。カレンダーをタップして、六月、五月、四月・・・。六月より遡(さかのぼ)って、何か手がかりになるような記述がないか調べていると、二月十五日だけに記述が見つかった。二人は、その文字を凝視する。


(MIKAMIDEAU)


「うんっ?なんだ?み・か・み・で・あ・う?」


「確かに、そうですね。”ミカミデアウ”そう読めますね。なんで、ローマ字なんでしょうか?」


「なんだろうな。ミカミという所で会うのか。ミカミという人物と出会ったのか・・。」


「もしくは、ミカミデという所で会うとも読めますね。」


「うーん・・・暗号なのか・・・それとも、正しい記述なのか・・・。分からんな。」


「とりあえずメモしておきます。」


宅間が手帳を取り出して、記述を書き写していく。


「さて、お次はメールでも見てみるか・・・。」


「そうですねぇ・・・ただ、メールは膨大になりますから、アドレス帳なども含めて、鑑識に任せておいた方がいいかもしれませんよ。」


高藤が横で大きく頷いている。貞平も納得したのか


「ああ、そうだな。そうしよう。他には、何かないか?」


と次を促した。宅間は、その時、閃(ひらめ)いた。


「そうだ!写真を見てみましょう。何か手がかりが写っているかもしれません。」


「よしっ!それじゃ、そうしよう。これを・・・こうして・・・トントンっと・・・。おおっ!出たぞ!」


「出ましたね。というか・・・なんか、お酒と食べ物の写真ばかりな気がしますが・・・。」


「確かに、そうだな。変な写真ばかりだ。人の写真が一枚もないな。・・・んっ?!」


貞平が一瞬、眉をひそめた。宅間が横から覗き込む。


「どうしました?・・・んっ?なんですか?これ?」


画面に映っているのは、背景は真っ黒で、その中央に真っ赤に彩られた五芒星であった


「なんだ?これは?五芒星じゃないか。」


「確かに、そうですね。何で、こんな薄気味悪い写真があるんでしょうか?」


「うーん・・・。分からん。これも鑑識にまかせよう。」


そう言って、高藤の方を振り返った。


「まあ、あとは任せて下さい。分かり次第持っていきますから。」


「じゃあ、頼むぞ。おっしっ!俺たちは、聞き込みから始めようか。」


「ええ、そうしましょう。」


貞平と宅間は、高藤に手を振ると、屋上を後にした。階段を下りながら、貞平がポツリとつぶやいた。


「なあ・・・やっぱり、なんだか、この事件、なんか終わりそうにない気がするなぁ・・・。」


「ちょ、ちょっと、どうしたんですか?いつもの貞平さんらしくないですよ。」


「なあ、いいか、前の三件は、内容はどうであれ、封筒に入れられた遺書があった。だが、今回は無い。これは何を意味するのか・・・。」


「それは・・・風で何処かに飛ばされたの可能性もありますし、まだ、胴体の方にあるかもしれません。」


宅間は、神妙な面持ちで貞平を見た。だが、貞平は、薄くなった前頭部を掻きながら言う。


「おそらく、それはないだろうな。いいか、前の三件は、自分の靴の下に、風に飛ばされないように、遺書を置いてあった。もしも、この自殺が何かの意図に乗っ取って演じられているとすれば、全く同じ方法を取るはずだ。だが、今回は無かった。となると、この自殺は前三件の自殺と分ける必要があるということだ。」


「それは一体・・・?」


「それは、まだ、俺にも分からん。ただ、この事件は、まだ、続くだろうということだ。」


「そんな・・・。」


梅雨のジメジメとした暗い気持ちが二人を包み込んでいる。ゆっくりと上昇してきたエレベータに静かに乗り込んだ二人。この貞平の予告通り、この自殺が連鎖を始めるとは、この時、他の警察諸氏は知る由もなかった。


鑑識結果

梅雨入りしてから、このところ、雨の兆候は途絶え、変わりに、暑い日差しが照りつけ、地面の湿度を奪って、空気を揺らしている。あの四件目の飛び降り首切り自殺からちょうど十日経った、六月下旬。三階建ての灰色のビルに、二人の男が入っていく。正面玄関には、『宝南町警察署』と書かれ、赤々とランプが灯っている。


二人の男は、階段を使って二階へと登り、鑑識班と書かれた看板の前で立ち止まった。背の高い、体格の良い男が、ドアをノックする。すると、通りの良い声で、中から返事が返ってきた。ゆっくりとドアノブを回して、中へと誘われる二人の男。愛想のよい、イケメン鑑識官が、出迎えてくれた。


「やあ、貞平さんとますます体格の良くなった宅間君。調子はどうです?」


「ようっ!高藤。一応、あれから調べて、四件目の長岡さんの住所、年齢、職業、家族構成までは割り出せた。だが、こっちは、中々、手強いぞ。四件とも、接点が、全く、何一つ見つからない。」


貞平がお手上げのポーズをとる。宅間も渋面で、高藤を見ている。


「まあ、今回の自殺も、確かに厄介ですよね。でも、何とか、遺留品から亡くなられた長岡さんの痕跡は追うことができましたよ。」


「そうか、それを早く見せてくれ!」


宅間が、いきなり身を乗り出して、高藤にせがんだ。貞平は呆れ顔で、宅間を見ている。


「まあまあ、慌てなさんな。今から見せるから・・・。えーっと、まずは、この手帳から行きますよ。」


高藤が、ライトの点いた拡大鏡の上に黒い革の手帳を開いて乗せる。二人は、その横から、拡大鏡を覗き込むと、一瞬、眉をひそめた。


「これは、・・・なんだ?たくさんの線を描いた形跡があるな・・・。前のページが破られているということは、前のページに書いたものが、写ったようだが・・・。しかも、何度も書き直したのか・・・。いや、・・・これは、五芒星か?」


「確かに、そう見えますね。」


貞平と宅間が、そう言いながら、高藤の方を向くと、高藤が大きく頷いた。


「そうです。一見、複数の線が絡み合っているように見えるのですが、これらは、五芒星を描くために、引かれた線です。しかも、分度器を使って、何重にも書いてあるんです。」


「なにっ?!・・・確かに、角度が均等になっているようだな。中心は同じようだが、やはりコンパスを使用して描いていったというのが正解か?」


高藤が大きく頷きながら、


「そのようです。今のページには、線以外残っていないのですが、おそらく、コンパスを使用して線と円を結んで、描いていったと思われます。そして、角度は、三十度ずつ変えながら、全部で十二の五芒星を描いていったと思われます。」


手帳を指差して言った。貞平と宅間が、拡大鏡から覗きこんで、線と角度を追っている。


「しかし、何で、こんな手間のかかることを四十過ぎの人間がしたんだろうな。別に、パソコンを使用して描くことも可能じゃないのか?」


「うーん・・・。貞平さん、これは自分の勘ですが、もしかして、この五芒星を手描きで描く必要があったのではないですか?何と言いますか・・・特殊なインクを使用しなければいけないものというか・・・。」


と宅間の額に思い出せないもどかしさが滲み出ている。高藤が大きく頷き、笑みを見せた。


「宅間。意外に良い勘しているな。実は、俺もそう思っていたんだ。わざわざ、図形を描く意味ということを考慮すると、御札(おふだ)や呪(まじな)いに用いるシンボルの可能性が高い。」


「”意外”は、余計だ。でも、そうです、そうです。呪術に用いる符と言うのは、手書きによる念を込めると聞きますからね。」


ようやく合点が行ったのか、宅間も満面の笑みを見せる。貞平も納得したのか、頷いている。


「なるほどな。それなら、手描きにした理由が分かるな。」


(だが、何故、この黒い革の手帳に書いたのか・・・。まあ、それは、後にしておくか)


「さて、次はスマートフォンかな?高藤君。」


貞平が高藤の方を見ると、高藤がパソコンの前に来るように合図する。二人は高藤を挟み込むかのように、ディスプレイを見つめた。


「まず、住所録ですが、これは既にお渡し済みです。そして、次に、メールを解析しましたが、残念ながら、特筆すべき事柄は、何も出て来ませんでした。本当に一般的なメールばかりでした。ただ、問題は、ここからです。」


貞平と宅間は、食い入るようにディスプレイを見つめている。


「この写真たち、見覚えがありますね。」


ディスプレイ上には、先日スマートフォンの写真を確認した時と同じ写真が一覧表示された。


「この中の数枚には、Exif情報が入っていました。」


「Exif情報?」


貞平が聞きなれない言葉に思わず、口を開いた。


「ええ、そうです。最近のスマートフォンやデジタルカメラで、写真を撮影した時に撮影日時やカメラ情報などが、自動的に付加されるのですが、それをExif情報と言います。しかも、GPSの位置情報も含んでいます。」


「そうか!忘れてた!それなら、写真を撮影したGPS位置情報から場所を特定することは可能だ!」


思わず宅間が、手の平をポンと叩いた。貞平と高藤が、”本当に忘れていたのか”という冷たい疑惑の視線を送る。それを無視して鈍感な宅間が続ける。


「その座標情報があれば、ネットを使えば、おおよその場所は特定できるな。よしっ!早速、調べてくれ!高藤!」


高藤が手で抑えるような仕草をすると


「まあまあ、落ち着けよ。もう、割り出してあるよ。」


プリンタから印刷された資料を差し出した。宅間がそれを受け取って、貞平と二人で食い入るように見ている。差し出された資料は、この町の地図が印刷されており、赤い点が打ってある個所が、どうやら座標情報らしい。そして、その斜めに、小さくスマートフォンに残された写真が添えてあるのだ。


「なるほど。中々、分かり易く纏めてくれたな。有難うよ。高藤。」


「うーむっ・・・悔しいが、こういうのは、お前、昔から得意だな。」


高藤は、褒められて嬉しいのか、右手人差し指で、鼻の下を擦っている。


「まあね。ここまでは分かる範囲だったんですけどね・・・。問題は、あの写真にあるんですよ。」


そう言われて、貞平と宅間が不意に顔を上げた。そして、ディスプレイには、あの真っ黒な背景に赤い五芒星の写真が映し出されていた。


「んっ?この前の五芒星の写真だな。この写真に何かあったのか?」


貞平が訝しげに聞いた。高藤が重々しい口調で言う。


「この写真なんですが、完全なカモフラージュでした。」


『カモフラージュ?』


思わず二人の声がハモりながら裏返った。


「ええ、そうです。この写真は写真データではなく、別の画像データだったんですよ。」


「別の画像だって?!」


「この画像には、パスワードが仕掛けられていました。そして、あるソフトを使用して、そのパスワードを入力しないと本当の画像を見る事が出来ない仕掛けだったんです。それを今からお見せします。」


高藤がパソコンのキーボードを叩くと、”解除”の文字とともに、別の画像が現れたではないか。


『ああっ!!』


また、二人は同時に声を上げる。そこには、白い背景に、赤文字で”遺書”という文字から始まる手書きの文章が書かれてたのだ。


「なるほど・・・今回は電子遺書だったのか・・・。しかし、パスワードは、良く分かったな。」


「ああ、それなら、例の手帳に書いてありましたよ。”MIKAMIDEAU”って。」


貞平と宅間が、得心のいった表情を見せる。


「それにしても・・・・酷い字だな。遺書以外読めないぞ。ディスプレイの中で、小さくてなぁ・・・。なんて書いてあるんだろうな。ちょっと、高藤、読めるか?」


「ええっと・・・ちょっと待って下さい。画像加工してみます。これで、どうです?」


「おおっ、クッキリしてすっきりとしたな。よしっ!それじゃ、読むぞ。ええっと・・・『遺書 私、長岡 博は、ここで命を絶つ決意をしました。俺は、この世を恨みます。そして、私をバカにした連中を地獄に引き摺り落として轢き回してやるのです。ご両親様、こんな私を育ててくれて、有難う。春子、俺の妻になってくれて有難う。芳樹、春代、俺の分まで健康で、長生きしてくれてるるる。いつの日か、闇が光をつつつんでえええ・・・。』・・・やっぱり途中から、支離滅裂な文章になっているな。」


「確かに、そうですね。唯一、前の三件と違うのは、電子遺書であることと、赤文字であることの二点ですね。」


そう言いながら、宅間が、この文字を手帳に書き取っている。貞平が、薄い前頭部を掻きながら、


「この遺書の内容では、何処に的を絞ればいいのか、分からんな。」


と思案している。高藤が、これに反応する。


「貞平さん。僕が唯一言えるのは、この最後の方にある”闇が光をつつむ”という下りです。」


「そりゃ、どういうことだ?」


「前の三件では、最後の方に、”暗闇と共に沈む”と書いてありました。そして、今回は”闇が光をつつむ”。この二点に共通するのは、闇です。」


高藤がキッパリと言った。そして、貞平と宅間は、思案するように、視線を空に投げている。そして、何か閃いたのか、貞平が高藤に向かい言った。


「そうか!この事件には、闇を司るものが関係しているということか!」


高藤が大きく頷く。宅間がキョトンと二人を見比べて


「それは、どういうことですか?」


と尋ねた。貞平が続けて言う。


「いいか、宅間。五芒星は古来、日本では、魔除けとして使用されてきた。だが、一方で、西洋では、これを逆さまに、ひっくり返して、デビルスターとして、悪魔を呼ぶ儀式にも用いられることがあるんだ。つまり、闇を司るものは、悪魔を呼び起こそうとする連中になるな。奇妙な自殺方法といい、遺書の支離滅裂な文章といい、暗示や幻覚によって、引き起こされたとしても、言い過ぎにはならんだろう。」


「と言うことは、その連中を探すしかないですね。」


「よしっ!さっきの地図を持って、当たってみよう。高藤、有難うな。」


「じゃあな。」


「いいえ、そちらこそ。頑張って下さい。」


高藤は会釈をすると、貞平と宅間が手を振って部屋を後にした。一人残された高藤は、深いため息をつくと、こうつぶやいた。


「この救われない自殺者たちの本当の目的は、一体、なんなんだろうか・・・。救われない自殺者・・・他にもいるのだろうか・・・。」


先ほどまで晴れていた空が、何時しか、どんよりと曇り、しとしとと雨が降り始めていた。前触れの無い自殺者たちの悲鳴は、雷鳴ともに掻き消されていくだろう。地獄へ落ちる。それは、彼らにとってプロローグの始まりに過ぎないのだから。


自殺連鎖

貞平と宅間が鑑識を後にして、十日あまりが過ぎ、いつしか七月を迎えていた。連日、どんよりとした曇った空が、今にも雨を降らさんと待ち構える中、湿度の高い風を受けながら、証拠集めに奔走していた貞平と宅間。高藤がスマートフォンの写真情報から割り出したGPS情報は、六十カ所にも及んでいたのだ。その合間を縫って、いつしか、東京には、梅雨明け宣言が出されて、真夏の暑い日差しの到来である。


 貞平と宅間の二人は、自殺者 長岡 博の自宅。近所の公園や河川敷から居酒屋、勤務先とその近くの飲食店やカラオケ店などをしらみ潰しに、追いかけていく。その中でも、十か所は県外であったため、無駄骨承知で、同僚の冷たい視線をやり過ごしながら、出張許可を取って出かけた。


 しかし、依然として確固たる証拠が掴めなかった。点在するもの全ては、無機質に散らばり、結合する接点を見いだせずにいたのである。長岡の目撃情報はあったものの、不審な人物と接触情報は皆無に等しく、二人の足取りをより重くさせた。二人は、この不審者の洗い出しを最優先させていた。それこそが、この自殺に歯止めをかけ、この謎を解く鍵であると考えていたのだ。だが、そんな思いとは裏腹に、無常にも空しい時間だけが過ぎていく。二人は、いつしか焦燥より疲労の方が、ピークに近づいてくのを感じた。


しかし、そんな二人の行動をあざ笑うかのように、立て続けに、二件の飛び降り首切り自殺が決行された。首の無い死体が地面を揺らし、血の滴る生首をシンボルのように掲げ、ビルの屋上に吊るす行為に、それを見た多くの人々は、憤りを感じ、恐怖した。その地獄絵図は、見たものにトラウマを植え付け、冷淡で殺伐としたコンクリートジャングルを嘲笑しているかのようだった。
 自殺したのは、一人が五十代の主婦で、六月下旬に自宅の十階建てのマンションの屋上から飛び降り、遺書は前の三件同様、靴の下に置いてあった。それから二日後、二十代の男子学生が、アルバイト先の飲食店の六階建てビルの屋上から同じく飛び降りた。だが、この学生の方は、四件目の自殺者 長岡と同様スマートフォン内に遺書を画像の中に隠匿していたのだった。遺書には、自殺動機と家族への感謝、支離滅裂な文章が続いていた。そして、何よりも不気味な事は、二人の自殺者とも、左目を同じように鴉が咥えていったことだろう。それは、何かの暗示なのだろうか・・・。


 そんな夏の盛り。暑い日差しの照りつける中、貞平と宅間は汗だくになりながら、ビジネス街を歩いていた。梅雨時期のまとわりつくような湿気が無い分、直接的な熱が太陽と照り返すコンクリートから容赦なく襲ってくる。連続する自殺報告を聞く度に、やりきれない思いだけが、こみ上げてくる。


「それにしても、全く、暑いですね。あれだけの雨が降って、今度は猛暑ですよ。」


宅間が、青色のハンカチで額から流れる汗と首筋を拭きながら言う。


「全くだな。この暑さもそうだが、これだけ歩き回って、何の手がかりも掴めないとは・・・そろそろ、お上もご立腹だな。」


貞平が両手を広げて、お手上げと言ったジェスチャーをする。


「ええ、まあ、怒られても仕方ないですよ。この十日間、走り回った結果、成果らしいのは、長岡さんの取った写真と同じ写真を撮っただけで、証拠らしい物証も証言、不審者情報も、ほとんど出て来ませんでしたからね。」


「確かにな。唯一、長岡さんの勤務先で聞けたのは、長岡さんが社内で孤立していたという事実だけだ。これが自殺の本当の原因と言えるかどうかは、まだ分からないが・・・。」


「そうですね。社内の派閥戦争に巻き込まれて、左遷要員にされたと聞きましたね。遺書には”私をバカにした連中を引きずり落として轢き回す”とか書いてありましたが、おそらく、その関係者の事でしょうね。しかし、それだけで、自殺するかという疑問については、遺書の後半に残された支離滅裂な文章から察するに、他にも要因がある可能性は高いと思います。」


貞平が大きく頷いている。宅間が咳払いをして続ける。


「それにしても、我々が、この捜査にかかりっきりだった十日の間に、同一の自殺方法による自殺が相次ぎました。とりわけ、五十代主婦は、息子の引き篭もりを苦に自殺し、二十代の男子学生は、ギャンブルによる借金苦で自殺したわけですが、何処に接点があったのか、皆目(かいもく)見当つきませんね。」


宅間が渋面をしながら、扇子を取りだすと、シャツの襟(えり)を引っ張って風を扇ぎ入れている。同じように、水色のシャツの胸部分を引っ張り扇ぎながら貞平が言う。


「同じ自殺方法といい、遺書の書き方も一緒だ。これらの情報から見えるのは、点のように散らばっている他人同士が、ある同一線上で繋がっていることを差し示している。ただ、我々には、それらを結ぶ線が見つからないだけだ。」


「全くです。」


「そして、現在の捜査方針として、遺書の内容や遺書の残し方は、模倣が起きないように、マスコミには伏せてある。ということは、この自殺は、ただの自殺ではないことを物語っている。要は、何者かが、意図的に介在しているということだ。」


貞平が暑い日差しを避けたいのか、顎をしゃくって、宅間を街路樹の方へ促した。貞平と宅間は日陰に移動する。と、宅間が疑問に思っていた点を話し始める。


「そう言えば、この前、鑑識で話していた時にそう言われてましたね。まあ、うちの上層部は懐疑的でしたけど・・・。ただ、これだけ、走り回して、糸口すら見つからないとは、かなり大がかりな組織的なものか、ただ単に手口が巧妙なのか、どちらかでしょうね。」


貞平が頷いているので、宅間が続ける。


「それと、我々が空回りしている間に、一課に先を越されましたが、あの凶器というか・・・首切りに使用するワイヤーとピアノ線の出所の情報を頼りに捜査方針を切り替えた方がいいと思うのですが、どうでしょうね?」


「うーん・・・。確かに、その線から追うのも一考だな。但し、引き続き、一課の方が銃刀法容疑で捜査中の案件だから、うかつには合同捜査を申し入れられんなぁ・・・・」


宅間が渋面を作っている。貞平は汗に濡れた広い額をハンカチで拭って続ける。


「まあ、現状、刀鍛冶や金属加工業者をかたっぱしから、シラミ潰しに聞き取りをして隣県の山奥にある刀鍛冶の工房を探し当てたまで良かったんだがなぁ・・・。」


「全く・・・そうなんですよね。まあ、見つけたまでは良かったんですが、普通、もう少し注文内容に疑問とか持たないものなんですかねぇ、刀屋さんは!五月に、草刈り用に輪形状の刃物を六十個の作成依頼があった。出向いてきたのは、二十代のサラリーマン風の背広を着た小男で、現金で前払いまでしたそうです。しかも、ご丁寧に手書きの図面まで置いていったそうで・・・。それにしても、何で、もっと詳しく覚えていないんですかね?刀屋さんはっ!」


宅間がやり切れない思いをぶつけた。貞平も呆れたように


「なんというかなぁ・・・。今時、ベレー帽に、サングラス、マスクをつけて、”自分は、絵描きで、草アレルギーがあるので、目と鼻を守るためにサングラスとマスクが必要で、その草を刈るために、六十個もの草刈り用刃物が必要だ”なんて言い訳、誰が信じるんだろうな。」


口をへの字に曲げて言った。興奮した宅間が継ぐ。


「変な話じゃないかぐらい、普通の感覚なら分かりそうなものですよ!まったく!結局、その名前も住所も、その他の情報全てがデタラメで、商品だけは納品日に直接取りに来たそうで、せめて車のナンバーでも覚えておけっていうんですよ!」


「まあ、落ち着けよ、宅間。刀屋さんも、胡散臭いとは思えど、懐事情を見透かされて、背に腹は変えられなかったんだろうよ。しかしなぁ、問題は、その男のアナログ的なところだろうな。」

 

「アナログ的なところ?」


宅間は眉間にしわを寄せて、キョトンとしている。貞平が続ける。


「いいか。今の情報化社会において、仮に、商品を頼むとして、わざわざ出向く必要があるか?」


「まあ、よほど、特別な商品でない限りないですね。」


「そうだろう?仮にだ、特別な商品でも電話やFAX、インターネットに、郵便や宅配便などで、注文できるところは、いくらでもある。今回の商品は、確かに特注品になるだろうが、いずれかの方法で注文はできる。ところが、奴は意図的にそうしなかった。」


「?」


「簡単だよ。いいか、情報管理社会=監視社会でもあるんだ。上記の方法で注文するということは、足跡を辿ることが容易なんだよ。上記の情報は、全てコンピュータを経由して管理されている。となれば、足跡を消すには一番いい方法が、直接取引になるんだ。仮に、車で移動したとしても、情報化社会の弊害で、警察の監視システムの設置場所は特定されているはずだ。目撃情報と経路情報を避けることが可能であれば、事故でも起こさない限り、相手にとって好都合だと思わないか?」


宅間は合点がいったのか思わず口笛を吹く真似をしながら、言った。


「なるほど、確かに、デジタル化された情報はコンピュータで検索すれば、すぐに足がつきますが、アナログだとこちらも、大がかりな捜査を行わなければ、見つけにくいということですね。」


「その通りだ。しかも、図面を置いていったそうだが、紙はA3のコピー用紙一枚。鉛筆による手描きで、文字などは、定規型のテンプレートを使用してあったそうだ。このコンピュータ社会において、ここまでアナログな人間もいないぜ。」


と、言って、貞平は何かを閃いたのか、自分の言葉を口の中でリピートしている。そんな貞平を正面で見据えながら、宅間が言う。


「アナログ的ですか・・・。そうすると、そいつは古風な人間なんでしょうか?その闇を司るもの・・・。うーん・・・我々が捜査続けているのは、そいつの自殺ほう助罪を名目にしてますが、何処まで関わっているのかが不明ですね。」
「そうだな。まだ、全貌が掴めない以上、断言はできないが、この自殺のキーワードは、”闇”だ。それにしても、何故、線が見つからないんだ・・・。これだけ探して・・・。」


貞平の視線が宙を舞った。宅間は腕組みをしながら言った。


「うーん・・・。貞平さん。自分は、やはり現実的な世界の接点より仮想的世界の接点を探った方がいいと思うのですが・・・。」


「ネット世界の方か?確か、そっちは、鑑識が追っているはずだが、まだ、何も出てこないなあ・・・。」


「ええ、一応、ご遺族と元会社の了解を取って、自宅のインターネット回線及びスマートフォンの閲覧履歴やメール履歴、ラインなどのメッセンジャー履歴を抑えて、追っているようです。特に自殺系のサイトなどを重点に捜査していると聞いています。」


「どれか当たるといいが・・・。」


貞平がジリジリと照りつける太陽を睨みつけた。と、そこへ、突然、貞平の携帯が鳴った。表示は、鑑識の電話番号だ。


「もしもし、貞平だ。」


「ああ、貞平さん!高藤です!やっと、見つけました!正体が分かりましたよ!」


相当に興奮した様子で、高藤が甲高い声で喋っている。


「よっしっ!分かった。すぐにそちらに向かう!おいっ!宅間、行くぞっ!」


「えっ?えっ?」


状況の飲み込めない宅間の肩を叩いて、先に歩き出した。宅間が後を追う。灼熱の太陽の下で、二人の刑事は足早に、地下鉄の入り口へと向かった。見えない敵の正体が、明らかになった時、その計画が絶望の序曲を奏でていたとは、この時、二人の刑事は知らなかったのである


悪魔の左手

 貞平と宅間が鑑識の部屋に辿り着いたのは、午後三時を回っていた。まだ、天に上った太陽が、直射日光を浴びせ、コンクリートに囲まれた街は、灼熱のサウナ状態だった。二人は、よほど慌てて来たのか、汗だくになっていた。冷房の程よく効いた鑑識の部屋で、二人は汗を拭いながら、高藤から内容を聞くことができた。だが、その時の二人の驚きは、滝のような汗が一瞬にして凍りついたように、その背筋を強張らせたのだった。その状況は長くなるので、要約しておくことにしよう。


 高藤は自殺者 長岡の契約しているインターネットのプロバイダやサーバー業者へ捜査協力の依頼をして、自宅PC、スマートフォン、会社のPCの接続先の情報を探っていた。そして、その中に、海外サーバーを3重にも経由した怪しげなウェブサイトが見つかったのである。そのウェブサイトの配信元の国は、パラグアイ共和国で、南アメリカの中南部に位置している。


 一見、そのサイトは、海外にある普通の食品ショップサイトのように見えていた。だが、その実、巧みに偽装されており、ログイン(会員情報の入力)時に、ある特定のID(identification)とパスワードを入力すると、別のサイトにつながる仕組みだったのだ。鑑識は、そのサイトアクセス方法に手間取っていたが、ハッカー対策班の協力も得て、今日ようやく解析を終えて、サイトにアクセスできたのである。


 そのサイトは、南米にある宗教集団のサイトで、そこには七か国の言語サイトがあり、何故か日本語のサイトも含まれていた。そこで、二人が驚愕したのは、五芒星を逆さまに配したシンボルを崇拝しているということだった。長岡が手書きで、手帳に残した何重もの傷跡。それが悪魔召喚の儀式を想像させるデビルスターとの一致は、二つの点を一つの線として引き寄せたのだ。


 そして、そのサイトの最も恐ろしい真実は、悪魔の左手という項目にあった。『赤き光を浴びて、血の海に沈み、悪魔の左手となりて、汝の左の目を捧げよ。五指が揃う時、汝の闇の扉が今、開かん。』そう書かれていた。この文章を読んだ二人には、血の海に沈んだ自殺者たちがありありと浮かんでいた。そう、血の海に沈むために、敢えて首を切り落としたのだ。そして、全ての自殺者たちは、同様に鴉に左目を食いちぎられていた。これらの符号一致は、捜査の進展に対する期待と前三件の自殺で食い止められなかった悔恨の思いを同時に、その場に居る全員の中に沸々と湧き上がっていくのだった。


 だが、その喜びも、つかの間だった。突然、貞平の携帯電話が鳴ったのだ。それは無常にも、七件目の自殺者を告げる電話だった。目をじっと閉じて、うなだれる貞平たち。現場へは他の刑事たちが駆け付けることになったが、いまだ難解不落な事件の全貌が見えるわけではない。


 貞平は目を閉じて思考を巡らせる。何かに触発され、進むべき道を誤った選択は、まるでボールのように坂道に差し掛かれば、ブレーキを掛けることもなく、一直線に急降下を始める。負の連鎖は始まるのではない。負の胸中から負の感情が生まれ、負の生活へと転落していく。それが、自分だけではなく他人を巻き込み、やがて大きなボールとなって落ちていく状態なのかもしれない。貞平と宅間は、神妙な面持ちで、やりきれない思いを抱いて、鑑識の部屋を後にした。


「なあ、宅間。この事件、やっぱり終わらないなぁ・・・。」


「何、弱気な事、言っているんですか!貞平さんらしくないですよ!むしろ、ここまで分かったんですから、あとはサングラス野郎を探しましょう。やつが確信を握っているはずです!」


貞平は、広い額を掻いている。宅間は、自らも奮い立たせるように強く言った。ふと、貞平の視線が宙に浮いて、壁に掛かった丸い時計にぶつかった。午後六時。埃っぽい資料室に、カビ臭で、むせかえるような古いエアコンをつけ、二人は、机を挟んで向かい合って座っていた。そして、二人の目の前には、大きな地図が広げられている。


「確かに、そうしたいのは山々だが、あれだけ足を使った捜査で、いまだ何も出てこないところを見ると、かなりの知能犯だろう。状況としては、今回の七件目の自殺が鍵を握っているだろうよ。遺書が靴の下にあるか、スマートフォンにあるかで大きく変わってくるんだが・・・。それにしても・・・遅いな。そろそろ、情報が入ってもいい頃なんだが・・・。」


貞平が、ひっきりなしに机の上の地図と時計との睨めっこを続けている。


「それは、どういうことです?」


宅間が眉を潜めて尋ねる。


「それは、あの悪魔の左手だよ。『血の海に沈み、悪魔の左手となりて』の下りを見ただろう?今回の自殺は、この左手の五本の指を揃えることが目的だったんだ。」


「えっ?!五本の指?・・・つまり、自殺者たちが悪魔の左手の指ということですか?」


貞平が、目の前の地図を指差して


「そうだ。いいか、今回の自殺者の自殺場所を地図上に配置してみたが、始めのうちは、一見、バラバラに見えていた。だが、今回の七人目の自殺者でようやく、この図形が完成したことが分かる。」


赤いシールを剥がすと、七人目の自殺場所に印をつけた。宅間が目を見開き食い入るように見入った。


「ああっ、なるほど!点と点を結んでいくと、北を頂点とした五芒星が完成するわけですか・・・。」


「そうだ、。これが自殺者たちの墓標で成立した血の五芒星だ。」


宅間が深い憤りを感じながら言う。


「それにしても、自殺者たちは、あんなわけの分からんサイトから繋がって、こんなマヤカシの図形を作るために、尊い命を捧げたんでしょうかねぇ?なんか・・・もう少し心の在り様と言うのもあったでしょうに・・・。それに、今時、魔術だの迷信だの、おとぎ話チックな話を信じるのも、どうかしてますよ・・・。」


落胆した表情の宅間と対称的に、貞平が真顔で言う。


「いや、そうでもないと思うぜ。溺れる者は藁をも掴むっていう諺(ことわざ)があるくらいだ。追いつめられた窮鼠(きゅうそ)たちは、何かに、すがろうと必死でもがいていた。そして、魔術、迷信の類を信じる、信じないという小さなことよりも、もっと壮大で深い目的を持って、行動したと俺は推測している。」


「それは、どういう事です?」


「いいか、よく新興宗教で問題となるのが、洗脳による自己決定意思の剥奪だ。それは、自分で決定する能力を失わせて、財産横領から人身売買に至るまで、まるで操り人形のようにしてしまうことだ。洗脳の入り口にあるのは、都合の悪い過去の自分を新しい自分へ浄化するという言葉巧みな戦略によって行われる一種の催眠術に過ぎない。昔、卵十個入りを五円で販売とか安い商品で、お年寄りを釣って高額な布団を次々に、売りつけていた集団がいただろう?しかも、信用させるために、町の公民館とか公営のところを借りるという巧妙な知恵を持った連中だったが。」


宅間が眉間に眉を寄せ、大きく頷きながら真剣に聞いている。貞平が続ける。


「人の深層心理と言う部分は非常にデリケートに出来ている。他人からどう思われているのかが、気になって仕方がない。何故、自分だけが不幸なのか。自分だけが、惨めなのか。いつもお金がない。借金が膨らんでいる・・・。いいか、それらの負の事由や感情は、全て他人との比較から成り立っているものだ。これらが負の感情となって、彼らの心を重圧し、支配しているとすれば、何かにすがり陶酔する心理が働くのに時間はかかるまい。そして、壮大なる計画案こそが、その負の感情を晴らす彼らの唯一の拠り所となったとすれば、どうだ?」


「それは・・・あり得ると思います。おそらく、彼らの感情は正と負の判別もできない状態に追い込まれていたのでしょう。そして、その計画とやらを知り、狂気に包まれていたのだと思います。そして、狂気した彼らは、自らの命を絶つ決断にまで至った・・・。」


やり切れない思いが湧き上がってきたのか、深いため息とともに、宅間の額にうっすらとアブラ汗が滲(にじ)んでいく。


「そして、この最も恐ろしい結末は、あの黒い手帳に残された六十カ所の点だ。おそらく、全て五芒星になるように、仕組んであるはずだ。」


「つまり、それに従い、六十人の人間が命を捧げると?」


「おそらくな。三十度の角度を廻しながら書かれたは、五芒星は大きさを大小にしながら、一つの円になる。そして、その中央に位置するのは、この街の繁華街。桜木町だ。」


貞平が大型ショッピングモールや商店が密集する地図の中央を差した。


「なるほど・・・と言うことは、この桜木町には何かがあるということでしょうか?」


「まだ、それは分からないが、少なくとも、連中の目的の一つ目は完成することになるだろう。そして、次の五芒星を目指してゴールを目指すことになるだろう。だが、俺たちはそれを阻止してやる!絶対にな!」


貞平の目にメラメラと闘志の炎が宿っていく。宅間も一息飲み込むと、そんな貞平を見て心を決めた。


「そうですよ!絶対に阻止しましょう!今回の五芒星の配置から三十度角ごとの点に網を張れば、確実に防げますよ。しかも、長岡さんの立ち回り先から、場所の特定はほとんどできていますから。」


そんな時、貞平の携帯がけたたましく狭い部屋の中に鳴り響いた。


「もしもし、貞平だ。」


「所轄の坂東巡査です。連絡が遅くなってすみません。要件だけ申します。先ほど、連絡頂いた今回の自殺の件ですが、言われた通り、遺書は靴の下にありました。」


「そうか・・・分かった。また、鑑識の方に回しておいてくれ。」


「分かりました。それでは、また。」


「ああ、またな。」


その電話を受けて、宅間の鼻息が相当、荒くなっている。だが、貞平の心には、まだ引っかかるものがあった。単純すぎるパズルほど、実は最も難解である事。それが容易に解けるのならば、これだけの死者を出す必要はないのではないか。埃にまみれた、薄暗い部屋の中で、一本の変色した蛍光灯が瞬きを始める。だが、サングラスをかけた不気味な男が、動き出したことをこの時の二人は、まだ知る由もなかった。



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