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てきすとぽい杯について
てきすとぽい杯について
各夜のお題
第17回 募集要項
第17回 審査結果
入賞作品紹介
《大賞》
『百鬼夜行の客商売』 みお
《入賞》 ※得票順/シリーズ作品は並べて掲載
『ヘッセ』 犬子蓮木
『高速道路』 粟田柚香
『集合住宅』 粟田柚香
『シーサイド・ヒル』 大沢愛
『ルーインズ』 大沢愛
『スタティック』 大沢愛
『クリスタル・ムーン』 大沢愛
〈候補作品〉 ※得票順/シリーズ作品は並べて掲載
『The Friendly Ghost』 碧
『The Not-Friendly City』 碧
『創造主の箱庭』 kenrow
『生々しさ』 フィンディル
『幽霊アカウント』 muomuo
『男死病』 muomuo
『名無しの少年』 muomuo
『絆』 muomuo
『そうやって大人になっていく―丁稚安吉の場合』 志菜
『せやせや』 せせせ
『曲り角奇譚』 茶屋
『幽霊屋敷に住むものは』 永坂暖日
『便利な家』 ◆BNSK.80yf2
『助手席の彼女』 永坂暖日
『できごころ』 しゃん@にゃん革
『幽霊屋敷の浴室』 山田佳江
『桜屋敷』 茶屋
『幽霊の生業』 豆ヒヨコ
『幽霊船』 小伏史央
『幽霊屋敷の記憶』 三和すい
『記憶喪失になった俺が大学受験に挑むのだ』 ひこ・ひこたろう
『館長さん』 晴海まどか
『怪談は幽霊屋敷で』 松浦徹郎
『幽霊空き家』 永坂暖日
『九朗右衛門事件帳』 茶屋
『幽霊屋敷の一件』 碓氷穣
『歌声』 茶屋
『ぼくがいまよみたいしょうせつてきすとぽいばーじょん』 ひやとい
『歴史の勉強』 しゃん@にゃん革
『新幹線の中で』 ひこ・ひこたろう
『ぼくとお屋敷』 犬子蓮木
『紅白歌合戦の舞台に俺は立ったのだが』 ひこ・ひこたろう
『幽霊屋敷から出て来たのは古切手』 ひこ・ひこたろう
『大学祭』 ひやとい
『薔薇の香り』 げん@姐さん
『Haunted Horizon』 木野目理兵衛
〈集計外作品〉 ※投稿順
『柿のお供え』 高田@小説垢
『僕がオトコノコを止めた理由』 文才無い魔女
『変な旅』 鳥居三三
〈関連作品〉
関連作品のご紹介
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『幽霊アカウント』 muomuo

連作/第一夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.03 23:43
総文字数 : 1415字

獲得☆3.667
「では、こちらのアカウントを抹消いたします。よろしいですね?」
「ああ、いいから早くやってくれ」
「では……」
 生来、お役所仕事ってやつは俺の肌には全く合わねぇんだが、これで最後だと思えば気も楽だった。
 世界的な人口爆発とともに、すべての市民に固有のアカウントが割り当てられるようになって二十数年。非合法に位置情報を収集されたり、買い物の履歴を盗み見られたりといったプライバシー侵害型の犯罪に巻き込まれたときや、逆によからぬ輩が悪事を企んだりするときに注目されるようになったのが、アカウントの抹消による一時的な市民権の放棄だった。
 アカウントを抹消されると法律上は死人と同じ扱いになり、法的な義務だけでなく保護も失われるため、すべてを自分で解決していかなければならなくなる。犯罪の温床として警戒もされるから、表だって手を差し伸べてくれるようなやつはいない。アカウントを削除した時点で、犯罪者になったように白い目が迎えられるだけなのだ。
 そういう、生きながら死者のようになったアウトローな人間たちは、だいたいが追跡困難になり、アングラに潜って生活することになる。一生、もしくは何らかの方法で新しいアカウントが得られるまでの間、通称「幽霊屋敷」と呼ばれるアカウント抹消者たちの巣窟に集うこととなるのが関の山ってわけだ。
「ご愁傷様です。よい来世を」
 感情のない声だ。こいつらは俺たちが別のアカウントを手に入れるまで人間として扱う義務がないもんだから、それこそ幽霊のように精気も真心もない態度で送り出す。――来世? 俺たちが再び人間扱いされる日なんて、あるかどうかも分からない「来世」と同じってことだろう。

 俺は、いくつか当たりをつけていた「幽霊屋敷」への仲介者に早速連絡をとった。市民を勤め上げた年数に応じて“退職金”が出るもんだから、それに群がりビジネスに勤しむ市民様も多いのだ。
「……おう、さっき死んできたからよ。例の件、頼むぜ。ああ、じゃ……」
 プチッ……と切った携帯電話も、やっこさんから前もって渡されていたものだ。自分名義のものは、もうこの世には何ひとつない。俺は、束の間の開放感をとっくに忘れ去り、これから去来する未知の生活への茫漠たる不安と必死に戦い始めていた。
 そもそも俺は、これから向かう「幽霊屋敷」ってやつの正体も知らされちゃいない。一説によるとただのマグロ漁船じゃないかって噂まであるくらいだが、この、情報がすべてを支配するご時世に正体が知れないってのが只事じゃないもんだから、実際に厄介になるまでは触れないでおこうと普通の人間なら敬遠するのが当然だったんだ。……だが、ついに逃げられない状況になっちまった。やはり地下施設かどこかに、文字通り潜ることになるのだと思う。俺は正に、この世を名残惜しむ死出への旅人のような心持ちで、役所の外を見渡した。
 ス……とその時、見慣れた前籠をつけた自転車が通り過ぎて行った。子どもを乗せているようにも見えたのは錯覚に違いない。反射的に顔を逸らしてしまっていたから、本当のところは分からないが……。
「麗華……」
 俺は、おそらくこれが今生の別れになるであろう女の名前を呟いた。……やはり、隣町程度ではダメだった。この手続きを決行するのなら見知らぬ土地のほうがもっと思い切りよく旅立てた。仲介人の言っていたとおりということか。
「お待たせしました」
 振り向くと、今度は過剰なまでの笑顔が俺を待ち構えていた。


第二夜エントリー 『男死病』 に続く

『男死病』 muomuo

連作/第二夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.04 23:43
総文字数 : 1672字

獲得☆3.500


第一夜エントリー 『幽霊アカウント』 続編
男死病
muomuo


 むかしむかしある惑星に、とても科学技術の進歩した文明がありました。
 ある朝、一人の貧しい漁師が出航中に水葬となり、生きて帰らないと分かったことを知った村長の息子が、村一番の美人と名高いその妻のもとを訪れて、恵まれた日々の暮らしを保証するだけの大金と引き換えに再婚を迫りました。目の見えない一人娘を抱えて途方に暮れていた妻でしたが、それでも夫の帰りを待とうと申し出を断り続けるのでした。
 しかし、やがてその惑星全体を覆い尽くすほどの勢いで、恐ろしい奇病が流行ります。それは、脇腹が割けて少し出血したかと思うと、なぜか息苦しくなって口をパクパクさせているうちに死に至るという、男ばかりが死んでいく謎の病でした。感染率と致死率が高すぎて、世の男たちが次々に死んでいくものですから、バイオテロだの戦争布告だのといった疑心暗鬼に囚われる暇もなく、むしろ世界は一つにまとまって危機に立ち向かうことになる……はずでした。ところが、ひょんなことから事態は急転します。この病に罹ったと知ったある青年が、絶望のあまり橋の上から川に身を投げたところ、水の中では苦しくならずに生き続けられることに気づいたのです。そう、実はそれは、呼吸器官が変成し、エラ呼吸に代わってしまうという奇妙な症状の病気だったのでした。
 このことが分かってからというものの、男女は陸と水中とに分かれて暮らすようになります。まるで王子に恋い焦がれる人魚姫のように、世の男たちは無残にも家族や恋人と引き裂かれていきました。どうしても陸に上がりたい。また人間として生きていきたい。……その願いを叶えたのはしかし魔女ではなく、世界中の女性科学者たちが苦労して見出した研究の成果でした。とても高価ではありましたが、呼吸や血液の循環を補って陸上生活ができるようにしてくれる器具が発明されたのです。ですから結果としては、男と女というよりも、お金持ちと貧乏人とが分かれて暮らす世の中になっていったのでした。金持ちの男だけは、歴史上類を見ないほど大規模な陸のハーレムのなかで人生を謳歌する一方、貧乏な男たちは水中からただただ妬み嫉みを募らせて眺めているばかりです。やがて当然のように治安の悪いところがそこここに生まれ、池や川に住み着いた不逞の輩に女性が襲われる事件が多くなっていきました。
 そんなある時のこと、一人の少女が川に近づいて恐々と海辺の方を眺めておりました。あの妻の一人娘です。決して海に近づいてはいけないと言われていたにもかかわらず、潮の臭いや遠くの潮騒が懐かしくてどうしても気になっているうちに、ふらふらと近寄っていってしまったのです。それというのも、痺れを切らした村長の息子が母親に再婚を強く迫る場面にいたたまれなくなったからでした。
「我慢できるのはせいぜいあとひと月だ。それまでにあの子が僕に懐かないようなら施設に預けてでもいい、僕と結婚してもらうよ。借金を肩代わりするにも限度というものがあるからね」
 ……声が違うもん。匂いが違うもん。少女は何度もつぶやき、想い返します。
「あの人はお父さんじゃない。ねえ、お父さんはどこにいったの?」
 母親は優しく答えました。
「遠いところに行ったのよ」
 ……もう、お母さんはいつもそればっかり!
 少女が何度目かに強くそう思ったときでした。ザバッ……と音がしたかと思うと、恐ろしい形相の男が瞬く間に少女を抱きかかえ、声も上げずに海に引きずり込んでいく、……寸前のことでした。海中から現れたかと思うと、屈強な体と鮮やかな格闘術で、彼女が襲われそうになったところを助けた人がありました。陸上では声も出せないその人は、名前も名乗らず帰っていきました。

            ◆

「はい、おしまい」
 選ぶ童話を間違えたことを、どうせ意味は分からないだろうと高を括ったことを後悔しながら、坂上麗華は絵本を本棚に戻した。案の定、一人娘は問いかける。
「ねえ、パパはどこにいったの?」
「遠いところよ」
 残された夫の書置きをまたポケットから取り出して、それだけ言うのだった。

 ~ 幽霊屋敷に行ってくる。大丈夫だ。探すな ~


第三夜エントリー 『名無しの少年』 に続く

『名無しの少年』 muomuo

連作/第三夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.05 23:44
総文字数 : 2050字

獲得☆3.833


第一、二夜エントリー 『幽霊アカウント』 『男死病』 続編
名無しの少年
muomuo


 タクシーに見えなくもない車に一人乗るよう仲介人に促されて向かったのは、とある街の旅館だった。現金なら偽名臭くても問題なく泊まれるからという事情らしいが、それは俺たち「幽霊」のためというより、仲介人たちの保身にとって都合がいいということだろう。宿台帳に記入して通された部屋にしばらく待機してから、俺はあらかじめ教えられていた部屋に向かった。
「やあ、お疲れさまでした」
 あいかわらず癪に障る口調で出迎えたので、俺は一瞥くれてやってから一応の礼を言うことにした。
「……いろいろ世話になるな。だが、別々に入る必要があったのか?」
「何事も慎重に行動しませんとね」
「しかし少なくとも、もう俺を追ってこられる者はいないだろ?」
 ぷっ……と、仲介人の男は少し大げさに吹き出して嗤う。
「もしそうなのでしたら、こんなところに寄り道はしていません。すぐに例の場所、“幽霊屋敷”にお連れしますよ」
「どういうことだ?」
 少しあからさまに警戒の色を見せて威嚇する。罠だったということか……?
「はは、そうピリピリなさらないで。ちゃんとご説明いたしますとも。まずは……お座りください」
 そう言って座布団を差し出した物腰を見るに、少なくとも今ここで襲ったりする気もないようだ。どっかと腰をおろすと、俺は手荷物を脇に固めて置いた。
「……昔流行ったオレオレ詐欺ですが」
「あ?」
「被害額も大きく、裏社会では大金が乱れ飛びましたよね? ……振り込め詐欺とも言ったかな?」
「ああ……それが?」
「あの手の犯罪は、出し子と呼ばれる下っ端をいくら捕まえても根本的な解決にならなかった。……しかし一言『今どこにいるの?』と、位置情報の提供そして照合を臭わせる……それだけのことが定着するなかで、瞬く間に衰退していったわけですよね?」
「……らしな」
 奴の言うとおり、市民総アカウント制度にも一面のメリットがあったことは確かだ。こんな身の上になってなけりゃ、もう少し手離しで認めてやっただろうよ。
「そうだとするならば!」
 男は、やおら芝居がかった調子で立ち上がり、こちらを値踏みするような眼差しで舐め回してから、続けた。
「そんなに便利なツールを手に入れたお役人さんが、わざわざ自分たちの武器を投げ捨てるような真似をすると、本当にお思いですか? ……アカウントを抹消することで位置情報がつかめなくなるのは、色々と不都合が大きいんですよ?」
 ……ちっ、やはり俺とお役人とじゃあ気質がまるで違うようだな。
「実は……抹消されていない?」
「その通り!」
 場の雰囲気には全くそぐわぬ感情を隠しもせず、男は嬉々として言った。やはりいけすかない野郎だ。
「ネットワークから一時的に退避させられるだけです。いわば休眠状態ですね。世間的には伏せられていますが、実際はダミーのアカウントと紐つけられて、追跡され続けているんですよ。ひとたび捜査機関が出張ってくれば、そのダミーが誰なのかという情報はすぐに取り出されてしまいます」
 男はそう言いながら、座椅子に隠れて見えなかった小物入れのような袋の綴じ紐の部分に指を引っかけると、俺の目の前に掲げてみせた。
「ですから……彼なんです」
「彼……?」
「いまトイレに行っているところですがね、……大丈夫。決して目立つようなことはできない子ですから」
 ……束の間の静寂。意味が分からず口も挟めないでいると、ス……と音もなく襖が開くなり、小さな男の子が部屋に入ってきた。愛想も何もない。小学生くらいにありがちなキャラクターもので着飾り、服装や身なりで判断するからには普通だが、一目でどこかが異様な少年と分かる。和室ということもあり、座敷童と紹介されても不思議でない。この俺が不覚にも気圧されかけたほど、何か悲壮な佇まいを帯びている。
「そう、この子ですよ」
 少年は奴には目もくれず、ただじっ……と俺を見つめて立っている。
「この世には、もともと<名無し>の子どもがたくさんいるんです。彼らの<名無しのアカウント>は特別で、<ダミーのアカウント>と同じ階層で管理されているんです。ですから……」
 先ほどの小物入れを開いて小さな器具を取り出したかと思うと、
「二つのアカウントは交換できる。……この子と、アカウントの交換を行っていただきます」
「……何だと?」

 男の説明は不快だった。そんな立場の子どもたちが現実に……それも、どれだけいるというのだろうか。俺は今この時からあの子として生きていく。“幽霊屋敷”に向かう。そしてあの子は、代わりにこの俺として、どこか別の場所に連れられていく……らしい。
 アカウントの交換とやらが終わったらしく、少年が挨拶もせずに外に出る。どこか我が子の後ろ姿にも重なる気がする想いを必死に押し殺しながら、敢えて自分のこれからの生活に対する不安のほうを大きくしてやろうと言い聞かせながら、俺は黙って少年の背を見送った。
「あの子は、やっと幸せの国で暮らせます。きっとあなたに感謝して、笑顔で眠れるようにもなれますよ」
 男が一言、そう付け加えるのを聞きながら。


第四夜エントリー 『絆』 に続く

『絆』 muomuo

連作/第四夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.06 23:44
総文字数 : 2459字

獲得☆3.667


第一、二、三夜エントリー 『幽霊アカウント』 『男死病』 『名無しの少年』 続編
muomuo


 muted boy. 無理やり物言わぬ存在に変えられた、この社会にいないはずの少年とのアカウント交換。いわばセキュリティ・ホールを衝いたやり口で、俺はついにこの社会から自分の存在を消した。寂れた旅館を後にして向かうのが、いよいよ“幽霊屋敷”というわけだ。思えばここまでは、短いようで長い道のりだった。頼み込まれて連帯保証人になっていた実の父親に裏切られ、自分がすべての債務を被せられていると知ったのは僅か三週間ほど前のこと。法律のことなんて何も分からない、学のない小市民として普通の抵抗を繰り返しているうちに、あっという間に窮地に立たされたのだ。
 早死にしたお袋は一財産を遺してくれたはずだが、親父自身が多くの知人の連帯保証人になったため消え失せていた。どうにもならなくて俺を出汁にしたらしいが、おかげで俺は妻との離婚を余儀なくされ、娘とも引き離されることになった。……今どこにいるのか知らないが、どうせ消えるなら、俺を巻き込む前に消えてくれてもよかった……考えまいとしても、その思いは何度も浮かんできた。

 今度は同じ車に乗り込むと、アカウント交換も済んで警戒を解いたのか、道すがら仲介人の男が色々と内幕を明かしを始めた。
「さっきの少年ですがね、実は彼、“幽霊屋敷”から来たとも言えるんですよ」
 “座敷牢の私生児”……それが、さっき男から聞かされた少年の正体だった。人口爆発の時代となって、無計画な出産や育児放棄などがどんどん重罪になっていくなか、始末に困った子どもが人知れず匿われて一生を終えることになっているというのだ。時代を遡ったかのような眩暈を覚えるが、どうやらそれが現実のようだ。しかし、ごく普通の家庭にそんな真似はできるはずもない。大金に物を言わせて無茶するのは、成金セレブと揶揄される類の金持ちと昔から相場が決まっている。それで、話はつながった。
「つまり“幽霊屋敷”ってのは、セレブ成金が作り上げた秘密の別荘か何かってことか」
「まあ、そんなところですかねぇ。私は……要塞と表現しておりますが」
 ……要塞か。あながち的外れでもないのだろう。今の世の中でこれだけ内情の分からない、鉄壁の情報統制が可能な場所だ。私生児にせよアカウント抹消者にせよ、何人も囲い込んで十分な生活をさせるだけでも相当な金がかかるってのに……。
「大抵は彼ら自身の子どもだけでなく、他人から預かった私生児も暮らしていますけどね。彼らが外に出られるチャンスは、あなたのような人とトレードされることだけなんですよ」
 吐き気がした。家族も人生もあったものじゃない。少年たちとその親は、アカウントだけでつながっているにすぎないということか。
「……その先の話も、知りたいんだが」
 虫唾の走る種明かしはもうたくさんだ。俺は話を先に進めるよう促した。
「いま俺が<名無しのアカウント>を持っていて、成金野郎の子どもという扱いになったのは分かった。だが、そこから先は? 俺はどうやったら新しいアカウントを手に入れられるんだ?」
 すると男は、なぜか声を落としてこう続けた。
「……それは知らないほうがいいかもしれませんね」
「何だと!? 何故だ、どういう意味だ?」
「……いつになるか分からないからですよ。十年、二十年……いや、もっとかな」
「なっ……!」
 景色が暗転する。なんとか、何か喋らなければ、闇に呑み込まれていきそうだ。
 おいおい、聞いてないぞ……今さら聞かされて納得できる話でもないだろう。多少は覚悟してたとはいえ、そんなに時間がかかるものなのか……?

 しかしその恐怖は、ある悲劇によって唐突に終わりを告げることになる。
「……はい、私です」
 しばらく続いた重い静寂を、男の携帯電話が破ったあとのことだった。
「な、なんですって!? 本当ですか……?」
 男が車を止めさせる。細々と指示を出した後でようやく呟いたのは、思いもかけない言葉だった。
「極めて例外的なことですが……あなた、帰れますよ。たった今、あなたは新たなアカウントを手に入れました」

 …………。
 それは、つい数時間前に別れたはずの、あの少年の死を告げる電話だった。原因は交通事故だという。記録上、死んだのは俺ということになるはずだが、死体さえ始末してしまえばそれはもう調べようがない。俺が予め受けていた検査の際にでも、細工の準備は進められていたのだろう。そして逆に見るなら、私生児本人が死亡してしまい、一番の証拠が抹消されてしまうことで、セレブたちとの関係を示すのは<名無しのアカウント>ただ一つという状況になった。あとは、正規のアカウントに戻すべく、裏口から働きかけるだけということらしいのだ。……つまり、俺がアカウントを得るまでの時間と、少年の余生とがリンクしていたということである。
「てめぇ、最初からあの子を犠牲にするつもりだったのか!?」
 問い詰める俺に、男は珍しく言い淀み、苦しそうに小さく呟いた。
「……違う」

「では、こちらのアカウントを登録いたします。よろしいですね?」
「ああ、いいから早くやってくれ」
「では……」
 あの役人は、俺の顔も名前も憶えてないのか、何ら疑う様子もなく手続きを進めている。
「覚えていたとしても証拠がないですし、問題にできないんですよ」
 仲介人の男が言ったとおり、他人の空似か、整形のせいだとでも思って処理したのかもしれない。今さらどうでもいいことだったが。

 そして俺は、家族のもとに向かった。
 アカウントが違う。名前が違う。それが何ほどのことだろう。俺はいま、あの子のおかげで、あの子が手に入れられなかった家族の温もりを取り戻そうとしているのだ。問題がすべて解決したわけではないが、それは問題じゃないんだ。一番大きな問題はそんなことじゃないんだと改めて分かったことが、俺にとって一番大きな、これからの財産になる。そして、見慣れた玄関のドアを開け……、
「ただいま、有紀」
 娘が声を確認する。匂いを確認する。
「パパ……?」
 ……ああ。ありがたい。やはり俺たち家族の絆は、アカウントでつながってたわけじゃない。

<了>   

『そうやって大人になっていく―丁稚安吉の場合』 志菜

連載/第一、二、三、四夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.03 23:38
最終更新 : 2014.05.06 23:58
総文字数 : 8288字

獲得☆3.800
  *1*

「ほんまやて、南御堂の裏手に朽ちたような屋敷があるやろ? 塀は崩れて庭は草むして。あの屋敷に幽霊が出るんやて、隣の辰兄が言うとった」
 彦太の言葉に、安吉とおみよは顔を見合わせた。
「……幽霊て、どんなやねん」
 疑わしげな顔の安吉に彦太は少し言いよどむように口を何度か開き、しかし、ぐいと顎を突き出して抗うように言った。
「詳しいはしらんけど、血ぃ流したお侍の幽霊が逆さまになってるんやて」
「お侍? いかに戦うかよりいかに刀を抜かないようにというご時世に、なんでそんなもんがこの辺におるねん。だいたい、辰兄て飲んだくれの地回りやろ? 話半分に聞いとかなあかんことくらい、ええかげん覚えろよ」
 この春から奉公の決まった安吉は、弟分の彦太の言葉をせせら笑うように言った。しかし安吉の隣で、おみよが小さく首を傾げる。
「でもな、うち聞いたことあるわ。お江戸とちごて、大坂や京は戦場になったって。太閤はんのお城が落ちた戦いの時でも、ごっつう人が死んだで聞いたことあるで。大坂の町城は残らず焼けたて。せやからお侍の幽霊がおってもおかしないんとちゃう?」
 黒目がちの目を見開いて話すおみよの顔を見ていた安吉は、慌てて頷いた。
「そ、そやな。おかしないかも知れん。ほんなら、いっぺん行ってみるか?」
 話の風向きが変わったことを感じたのか、彦太は嬉しそうに安吉を見上げる。
「うん、行こう。今夜の木戸番は半三爺やから、閉められても簡単に入れてもらえるで」
「せやな。……おみよも来るやろ?」
 伺うように言った安吉に、おみよはあっさりと肩をすくめた。
「うち、あかんねん。最近、お母ちゃんの具合が悪くて、弟らの面倒見なあかんねん。もうそろそろ行くわ。ほなね」
 言うなり、くるりと下駄を返して走り去っていく。華奢な足首をすがるように見送る安吉の様子に気づかず、彦太はにこにこと言った。
「ほなら、何時にする?」
 そんな彦太の顔を忌々しそうに見下ろしながら、安吉は大げさにため息をついた。
「お前だけやったら、行ってもつまらんねんけど……しゃあない、つきおうたるわ」
 再び口調が変わった安吉の顔を怪訝そうに見ながらも、彦太はこくりと頷いた。

 夕刻、彦太と安吉は南御堂の裏手の通りにいた。
 人通りの多い北御堂と南御堂の筋であるが、二本ばかり裏手に入ると人通りはめっきりと少なくなる。
 幽霊が出るという古びた屋敷の陰で、彦太と安吉は中の様子を窺っていた。
 穴だらけの縁側の奥の雨戸は所々外れているが、建物の中は暗くて見えない。
「ここからやと分からんな。中へ入るぞ」
 崩れ落ちた土壁の隙間から庭へ入った瞬間、彦太と安吉は誰かに口を押さえられた。後ろを振り向こうにも、ものすごい力で体を押さえつけられて、身動きが取れない。
 くぐもったような声が、安吉の耳元で聞こえる。
「男の餓鬼が二人だけか。禿にお誂えという別品な女の子はおらんのやったらしょうがないな」
「こんな餓鬼だけやと、なんぼにもならんぞ」
 少し離れた場所からも声が聞こえる。男たちが数名いるようだ。
「もっとええ理由考えんかい。侍の幽霊なんぞ、女の子が興を示すわけないやろ」
 うっすらと見当がついてきた。この男たちは人さらいだ。おみよが目当てで、誘いだしたに違いない。
 ここは幽霊屋敷ではなく、鬼畜屋敷であったのだ。
 安吉は勢いよく男の足を踏んづけた。その勢いで彦太を押さえている男に体当りする。
「彦太、逃げるぞ。ついてこい」
 大人の男たちから逃げられるかわからないが、今はがむしゃらに暴れるだけだ。
 おみよが来なくてよかったと思いつつ、めちゃめちゃに手足を振り回しながら安吉は逃げ道を探していた。


 
  *2*

「新しい顔やな。しっかりきばりや」
 近所の経師屋の番頭が、お仕着せの糊もまだ固い安吉に目を留めて言った。桶を手に水をまいていた安吉は慌てて頭を下げる。
「へぇ、どうぞよろしゅう」
 満足そうに頷き歩み去っていく番頭を見送り、安吉は小さく息をついた。途端に店先から声が飛ぶ。
「安松、終わったんやったら早う中入っといで。旦さんがお呼びや」
 声に急かされるように桶に残った水を素早く流し、安吉は土間へと入った。奥から主人の幸兵衛が書状を持って出てくる。
「急かして悪いんやけどな、これを鰻谷の角屋のご隠居に届けてくれへんか。場所はいっぺん行ったから覚えてるやろ?」
 安吉は汚れた手を前掛けで拭って、主人から書状を受け取る。
「へぇ、返事はもろてきますんやろか?」
「せや。返事を書いてもらう間、軒先で待たせてもろてたらええ」
「ほな行って参ります」
「早うお帰り」
 書状を懐に入れた安吉は、急ぎ足で人々の間を抜けて角屋へ向かった。
 角屋の隠居は安吉の主の囲碁仲間である。頼まれた書状の内容も、その誘いであろう。
 鰻谷へ向かう途中、安吉は行き交う人の中に見覚えのある少女を見つけ、はっと息を呑んで足を止めた。うつむきがちに歩く、華奢な体つきは幼なじみのおみよである。が、顔を上げた途端、全くの別人であることに気付く。気落ちすると同時に後ろを歩いていた棒手振りの男が安吉を怒鳴りつける。
「突然立ち止まったら危ないやないかっ」
 飛び上がるようにして道を譲り、慌てて頭を下げる。
「す、すんまへん」
 舌打ちをしながら棒手振りは歩き去る。次に顔を上げた時には先程の少女の姿は見えなくなっていた。
 軽くため息をつきながら安吉は再び歩き出す。少し前に、弟分の彦太に誘われ、南御堂の裏手にある幽霊屋敷に、肝試しに行った。しかしそこにいたのは幽霊ではなく、人さらいの男たちであった。
 彦太と二人、なんとか逃げ出したものの、男たちの話ではどうもおみよが目当てであったように思われる。
 おみよの傍を離れたくはなかったが、奉公がすでに決まっている身ではどうすることも出来ない。
 心を残したまま安吉は彦太におみよを頼み、生まれ育った長屋を離れたのであった。
 人さらいの男たちがおみよだけを付け狙っているとも思えないが、幽霊屋敷の話を彦太に吹き込んだのが、隣店に住む辰兄という無頼漢であったというのも気になっている。
 逃げることに必死で確かめることも出来なかったが、あのとき幽霊屋敷にいた男たちの中に辰兄もいたのではないかと思えて仕方がなかった。
 気が付くと、角屋の隠居のすむ仕舞た屋の前にいた。考え事をしながらも足は仕事を忘れずにいたとみえる。安吉はわずかに襟を正して、訪いを告げた。
 中から下女が出てきたので書状を手渡すと、しばらく待つように言われる。ややあって、四半刻ほど待ってほしい、その間、隣の茶店で団子でも食べておきなさいと、下女に告げられた。片目をつぶって微笑みながら、手に小遣いも握らせてくれる。身を小さくしながら礼を言い、言われた通り安吉は往来の並びにある茶店の床几におずおずと腰を下ろした。注文を取りに来た老女に茶と団子を頼むと、少し大人になった気分がした。
 おみよへの心配も残るが、今は奉公に身を尽くすしかない。いつか取り立てられたら、おみよを迎えに行けたら――。
 一人で茶店で休憩するということに誇らしさと嬉しさを感じながら往来を見ていた安吉の肩を、誰かが
軽く叩いた。
 振り返って安吉は息を止めた。
 そこに立っていたのは、同じ長屋に住んでいた辰兄であったからだ。
 驚いて言葉も出ない安吉ににやりと笑いかけながら、辰兄は親しげな様子で隣に腰を下ろす。くっつかんばかりの距離に座った辰兄からは、酒の匂いがした。
「久しぶりやな、安吉。今は安松とでも呼ばれてるんか? 河内木綿のお仕着せがよう似合とるやないか」
 だらしなく着付けた着流しの裾から、組んだ脛が見える。ちょうど団子が運ばれてきて、辰兄は老女にこっちにも一つ頼む、と団子を頼んだ。
 その隙に安吉は落ち着きを取り戻していた。
 辰兄が何のために自分に声を掛けたのかは分からないが、この間のことを確かめるいい機会だと思ったのだ。
「辰兄こそ、元気そうでなによりや。ええ匂いさせてるけど、なんかええことあったんか?」
 辰兄は横目で安吉を見た。
「奉公に出たら、いうこともいっちょ前になるやないか。おお、そうよ。ええことがあったんや」
 嬉しいのか、歯を剥きだして笑いをこらえている。じっと次の言葉を待っている安吉にぐっと身を乗り出して、辰兄は声をひそめた。
「安吉、おまえ、口は堅いか?」
 辰兄の血走った目を見返しながら、安吉は力強く頷いてみせる。
「口が堅いんだけが、わての取り柄だす」
 にやにや笑いながら、辰兄は安吉に肩をぶつけながらささやいた。
「近々、大金が入る当てができたんや。うまく手に入ったら、お前にもなんかご馳走したるさかいな。こんな茶店の団子なんか、比べ物にならんようなうまいもんをな」
 黙って聞きながら、安吉は薄く目を細めた。
 大金が入る当てとは何であろう。先日の幽霊屋敷に関することであろうか。
 両手を強く握りしめながら、安吉はじっと考え込んでいた。


 
  *3*

 晩御飯の後、夜間の寺子屋へ向かおうと用意をしていた安吉に丁稚仲間が声を掛けた。
「安松、お前、呼ばれてるで」
 顔を上げると、階段口から先輩分である手代の顔がひょいと覗いた。
「安松、お前に客人や。すぐ降りてこい」
 こんな自分に誰だろうといぶかりつつも、「へぇ」と返事を返して急いで狭い階段を駆け下りる。
 土間にいたのは、同じ長屋に住んでいた彦太の父親であった。彦太とはいつも遊ぶ中であったが、朝は早く帰りはいつも遅い左官職人である彦太の父親とはほとんど話したことがなく、安吉は戸惑いながらも頭を下げた。
 彦太の父親と話していた番頭が振り返る。四角いその顔に、気遣うような色が浮かんでいることに安吉は気付いた。
「来たか、安松。ええか、気を落ち着けて聞くんやで。お前のお袋さんが怪我をしたらしい。材木問屋の前を通っとる時に、木材が倒れてきてその下敷きになったんやて。近くにおった人らが戸板に乗せて運んでくれはったらしいねんけど、どうもあんまりええことないらしい。このお人は同じ長屋のお方やろ? わざわざ知らせに来てくれはったんや」
 安吉はすっと血が引くのを感じた。息を詰めながら、沈鬱な表情の彦太の父親の顔を見上げる。彦太の父親は小さく顎を引いて頷いた。
 安吉の肩に手をおきながら、番頭は言った。
「旦さんは寄合で出てはるけど、わてからちゃんと言うといたるから今夜は家に帰ったらええ」
 声も出ぬままに、安吉は番頭に向かって深々と頭を下げた。

 提灯の灯りに照らされながら、安吉と彦太の父親は夜道を急いだ。長屋に辿り着いた時には四ツ時を少し回っていたが、安吉の家には数人がいるようであった。
「千五郎はん、安坊が帰ってきたで」
 近所の女房の声に出迎えられて、安吉は押し出されるようにして家の中に入った。奥の板間に母親は寝かされており、その傍に父親の千五郎と医師らしき男が腰を下ろしていた。
 母親は薄い布団に寝かされて、目を閉じている。
「お、お父ちゃん、お母ちゃんは……」
 震える声で言った安吉に、父親の代わりに医師が答えた。
「心配ない。ちょっと胸を強う打っただけや。二、三日横になってたら大丈夫やろ」
 唖然としながら父親の顔を見ると、困ったように微笑みながら父親も頷く。
「……ちょっと、うろたえてもうたわ。悪いな、お前まで帰ってきてもろて。芳次郎はんも、わざわざ呼びに行ってもろてすんまへんでした」
 安吉の後ろに立っていた彦太の父親を振り返ると、小さく微笑みながら頷き、手を上げて出て行った。
「す、すんまへんでした。ありがとうさんどした」
 安吉も彦太の父親の背中に頭を下げた。と、戸口から彦太がひょいと顔を覗かせる。
「おかえり、安ちゃん。おばちゃん、たいしたことあらへんかって、良かったな」
 ようやく安吉はほっとして、彦太に笑いかける。心配して集まってきていた長屋の連中たちも、皆、笑みを浮かべて自分の店に戻っていった。
 外に出た安吉は、それらの人々に頭を下げて見送った。
 安堵した途端に、安吉は先日からの懸念を思い出した。例の幽霊屋敷での一件である。
「お父ちゃん、ちょっと外に出てるわ。お母ちゃんが起きたら呼んでもろてええかな」
 頷くのを見届けて、彦太の肩を抱いて歩き出す。どぶ板の上を通って奥の井戸へと向かう。
「彦太、ちょっとええか。聞きたいことあるんやけど、最近、辰兄の様子、どないや?」
 真っ先におみよの様子を聞きたいところであるが、彦太相手に気恥ずかしい感じがして、安吉はあえて辰兄のことを尋ねた。彦太は首を傾げる。
「なんや最近は忙しいみたいで、ここにもあんまり戻ってへんみたいやな。うちのお母ちゃんが賭場にでも入り浸ってんちゃうかて言うてたけど」
「賭場……」
 暗がりの中で、安吉は彦太の顔を見つめる。安吉より二つ年下だけで、そろそろ奉公話が持ち上がる頃であろうが、彦太はその辺りの七歳より幼く感じられる。安吉は辛坊強く尋ねた。
「わては、ここを出て行く時に言うたな? 辰兄に気をつけろて。おみよを頼むて。幽霊屋敷での事件を忘れたわけやないやろ?」
 叱られたと思ったのか、彦太の声に拗ねるような響きが混じった。
「そやかて、わいもいろいろ忙しいし。そや、おみよ言うたら、この間、辰兄と話しとったで。何や、辰兄が熱心に色々言うとったみたいやった」
「あほか、お前は、わてはそれを言うとんじゃ。何を話しとってん」
 むっとしたように黙り込んだ彦太に、安吉は声を潜めて言葉を続ける。
「あんな、ついこの前、偶然辰兄に会うたんじゃ。そのとき辰兄は近々、大金が手に入る当てが出来たと言うてた。幽霊屋敷での人さらいの中に辰兄がおったんやないかとわては思てる。お前、どう思う?」
「そんなん分かれへん、言うてるやろ。あん時かて逃げることに必死で後ろを振り返ることなんかできんかったし。……でも、辰兄がおったとは思えんのや。たまに顔合わせることあるけど、そんな風な感じないし。ふらふらしてるけど、前と変わらん感じで話し掛けてくれてる」
「お前なんかあしらうのわけないさかいな」
「安ちゃんは、分かるんか? 辰兄が何考えとるんか。ちょっと奉公出たから言うて偉そうに言うのやめてんか」
 とうとう彦太は本気で怒ったらしい。両手をぴんと伸ばして突っかかるように安吉に言った。
「辰兄をそんなに疑うんやったら、会うたときに聞いたらよかったやろ。自分ができへんこと、人に言わんといてんか」
 吐き出すように言うと、彦太は安吉を押し退けるようにして走り去った。 
 安吉は呆然と、その小さな背中を見送ることしか出来なかった。


 
  *4*

 四半刻前、安吉は井戸で顔を洗っていた。そのときに、声を掛けられたのである。
「おはよう」
 慌てて振り返った安吉は、小さく息を呑んだ。そこに立っていたのはおみよであった。
 しばらく見ないうちに、おみよはすっかり大人びていた。すっきりと結い上げられた髪は黒々と光り、肌の白さを際立てていた。黒目がちの瞳は憂いを帯び、小さな唇はわずかに微笑んでいる。
 手ぬぐいで顔を拭った安吉は、眩しげに目を細めた。
「お、おはよう」
「夕べはおばさん大変だったね。今朝はどう?」
 おみよの問いに、安吉は小さく頷きながら礼を言った。
「ず、ずいぶん良くなったみたいだ。おれが戻るまで、お袋の面倒を見てくれていたんだってな。ありがとう」
 おみよはふわりと微笑んだ。
「たいしたことあらへん。最後まで見てあげられへんで気になっててんけど、良くなったんならよかった」
「おみよのおばさんこそ、まだ調子悪いんか?」
 おみよの笑みに苦味が加わった。
「寝たり起きたりやね、無理するとあかんみたい」
「そうか……大変やな」
 安吉の言葉におみよは曖昧な笑みを浮かべていたが、
「それじゃ、うち、行くところあるから」
と、懐に抱えた風呂敷包みを持ち直して、木戸へと向かった。
「あ、ああ、気をつけてな」
 つられるように言葉をかけた安吉であったが、おみよの姿が木戸の向こうに消えた途端に聞くべき言葉を思い出した。
 辰兄のことである。最近不審なことはないか聞こうと思っていたのに、久しぶりにおみよの姿を見た途端に、すっかり抜け落ちてしまったようである。
 急いで後を追った安吉は、橋の袂にいるおみよを見つけた。声をかけようとして、息を呑む。
 隣に立っていたのは、辰兄であった。
 辰兄が何かを話しかけるとおみよは小さくうなずき、一緒に歩き出す。安吉は混乱した。二人は連れ立ってどこへ行くのだろう。
 動揺が収まらないままに、安吉は二人の後を追っていたのであった。
 大坂の朝は早い。明六つの町には、空のたらいを肩に担いで小走りに行く棒手振りに、駕籠かき、同行二人と書かれた笠を持つ巡礼者たちなど、様々な者が往来を行き交っていた。
 その中を、いかにも破落戸といった風の辰兄と、風呂敷包みを胸に抱えたおみよが歩いて行く。辰兄は時折、背の高い体を折り曲げるようにしておみよに話しかけているが、おみよは小さく頷いているだけのようであった。
 どこまで行くのかと不安を押し殺しながら、安吉は二人に見つからぬように後を追っていく。
 御堂筋を越えて二人の向かう先が例の幽霊屋敷であることに気づき、安吉は足を止めた。こんな所に何の用があるのであろう。
 辰兄とおみよは朽ちかけた幽霊屋敷の門をくぐり、中へ入った。慌てて安吉も後に続く。
 荒れた庭へ入り、草木に体を隠しながら奥へと進んだ安吉は目を見開いた。
 辰兄とおみよの前に、数人の男たちがいた。どれも人相の悪い顔つきをしている。正面の懐手をした男が、にやにやとおみよを見つめながら何かを言っている。安吉は声が届く位置まで、体を隠しながら近寄った。
「言うた通りのなかなかの別品や。これやったら文句はないわ。お母ちゃんのために、親孝行するとはえらい子や」
 懐手をした男に辰兄は尋ねる。
「他の娘はどこにおりますのんや?」
「河岸の小屋や。今回は他に二人集まった」
 辰兄を見ながら下卑た笑いを浮かべる男たちに、安吉はすべてを悟った。人さらいの一味と思っていた辰兄は、女衒に成り果てているのだ。
 かっと頭に血の昇った安吉は茂みから飛び出した。
「おまえら、おみよをどこへ連れて行く気や」
 そう言っておみよの手を取ろうと腕を伸ばした。
「おみよ、こんな奴らについて行ったらあかん。どこに売り飛ばされるか分からんぞ」
 凍りついたように立ちすくむおみよの腕を取る前に、安吉は傍にいた男に勢いよく頬を張り飛ばされた。
「何じゃこの餓鬼。どっから来たんじゃ」
 懐手をした男が、表情を変えずに言った。
「顔を見られたからには帰すわけにはいかんやろ。始末せえ」
 安吉の頬を張り飛ばした男は頷き、安吉の襟を掴んで立ち上がらせる。懐に入れた男の手に匕首が握られていることを知った安吉は、恐怖に息を止めた。と、そのとき
「待ってくれはりまっか。この子はおれの知り合いや。やめたってくれ」
と、辰兄が安吉を庇うように間に入った。
「辰政、なにさらす。そいつをよこせ」
 辰兄は振り返らぬまま安吉を後ろへ突き飛ばした。
「早う、この場を離れろ」
「辰政、おまえ、わしらに逆らうつもりか」
 辰兄の前に立つ男が匕首を振り上げたとき、何者かが男に横から飛びかかった。組み敷くように地面を転がり、手から匕首を取り上げる。そのとき、呼子笛の音が辺りに響き渡った。
「大坂町奉行である。神妙にいたせ」
 塀を乗り越え、捕物姿をした同心たちがばらばらと集まってきた。なすすべもなく立ちすくむ、女衒の一味はたちまち取り押さえられた。
 安吉は意味がわからず、呆然とその様子を見守るだけであった。
 そんな安吉に、辰兄が手を差し伸べる。
「大丈夫か、安吉」
「……辰兄」
 わけがわからぬまま、安吉はその手を掴んだ。辰兄の手は温かく、力強かった。
「辰兄……女衒の一味やなかったんか?」
 安吉の問いに辰兄は吹き出した。
「おみよ、聞いたか? おれもえらい信用ないもんやな」
 青ざめてはいたが、おみよの顔に笑みが浮かんでいた。
「辰兄は、下っ引きに取り立てられたんよ。賭場に入り浸って、情報を集めとったんや。女衒の一派を捉えるために、うちは囮役になったんよ」
 安吉は、言葉もないままに辰兄の顔を見上げた。
「せかやて、大金が手に入るって言うとったやろ」
「ああ、それか」
 辰兄はきまり悪げに髷を掻いた。
「大金……というか、この仕事がうまいこと言ったら褒美ははずむと言われたからな。ちょっと、格好つけて言うただけや。紛らわしいこと言うて、悪かったな」
 微笑む辰兄を見て、安吉は安心した。安心した途端、涙が溢れ出してきた。
 涙は後から後から溢れだし、安吉は声を上げて泣きじゃくった。安堵の涙であった。


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第二夜エントリー 『不安な予感』
第三夜エントリー 『不信感』
全四話が、最終日に一連のエントリーとしてまとめられました。


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