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《過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時/帰らぬ人達熱い胸をよぎる/せめて今日から一人きり旅に出る/あゝ日本のどこかに/私を待ってる人がいる》

 

 主人公の周りの人間はどんどん離れていき、独りきりになっている。旅に出て何かを探そうとするようすが描かれる。主人公は、絶望はしているが希望を失いきっていない。だが、絶望につつまれているという辛い状態だ。まさに、ボンクラの心情を写しきったような名曲である。

 

 それに似たような曲が神聖かまってちゃんにある。「仲間を探したい」だ。↓


それに似たような曲が神聖かまってちゃんにある。「仲間を探したい」だ。彼らの曲の場合は、自分で作り、自分たちで歌うので、曲提供とちがって、その意味あいはの子のパーソナルの部分と密接にからむこととなる。例えば、最初の歌詞はこうだ。

 

夕方には僕も終わりだ

クレヨンももう書けないのに

ブランコにゆらりゆられる

 

君が今となりにいるよ

 

 


夕方には僕も終わりだ

クレヨンももう書けないのに

ブランコにゆらりゆられる

君が今となりにいるよ

 

 この主人公は自分自身に対して少しあきらめている。自分の無限の力に憧れることが出来ないという悲愴感だ。ブランコというのは、自分の立っているところが非常に不安定なことを表している。それは精神の不安定さでもある。神聖かまってちゃんはデビューから怒涛のごとく事件をまきおこして、それが毎回ナタリーニュースになっていた。さらに、テレビアニメ『電波女と青春男』の主題曲を作り、ロックシーン以外のアニメ界隈でもその名前は知られるようになる。彼らはここまで上り調子だった。しかし、

 その後、タイアップの仕事がなくなってしまう。

 これはバンドファンとしては実はうれしい。なぜなら、へたにタイアップされるとロック界隈としてはクソくらえだからだ。↓


 しかし、そこから神聖かまってちゃんはロックシーンの浮いたトピックスではなくなっていく。

 この時期から、入れ替わるようにして、同世代のバンドが次々とマスメディアに出て行くことになる。ゴールデンボンバーはお祭りバンドとして音楽番組のSP放送に呼ばれていった。サカナクションはタイアップとTV出演で、独自の存在感を示していった。SEKAI NO OWARIはルックスの良さとキャッチーな曲でTV出演をし始めた。従来のロックバンドらしい真っ当な活動をおこなった結果、神聖かまってちゃんはニュース的なトピックがなくなっていった。ふつうはそういうものだと思うが、彼らの楽曲は最高に良いものの、デビュー当時から事件性とともに大きくなっていったというルーツがあったので、アルバムを出してライブがひと段落していったときファンはその後彼らに目立ったニュースがなかったとき妙にざわざわした気持ちになった。

 

 マスメディアに↓


マスメディアに出て行ったバンドは何かを引き受けたということだろう。二代目 市川左團次という歌舞伎役者が、表現と興業についてエッセイで語っている。

 

 

 「興業主の方にしてみれば、俳優の研究欲や芸術的希望ばかりを聞いているわけにはいきません。当人はたびたびで気がさしてようが、またあれかと古くなっていようが() 看客の入りがありそうなものだとなれば、どうしてもその狂言を撰定するようになるわけです。」



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