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《  ボンクラの心情を写しきったような名曲/ タイアップの仕事がなくなってしまうバンドファンとしては実はうれしい/左團次は正直に不満を書いている/“神聖かまってちゃん”はロマンを描き始めた/山口百恵る/「仲間を探したい」///ロックって何/ 》

 

 

 



神聖かまってちゃんと市川左團次(歌舞伎) ―――仲間をさがすが絶望もしてる



語って欲しいバンドを語ってくれない音楽雑誌やライターに我々、は反旗をひるがえそう!
これは、神聖かまってちゃん評である。そ、ニートの。。。
音楽の文脈を知っている音楽ライターが書かないから、
20代のks底辺が違った角度から「神聖かまってちゃん」評を紹介します。
今回は、「市川左團次(歌舞伎)」を軸に、神聖かまってちゃんについて語っていきます。


 

 

 

 

 

ずっと生きているのに恋愛もなければ愛してくれる人も見つからないことは十分にありえることだよ


これは『スミス』のモリッシーの言葉である。

 これをみんなどういうふうに受けとるのだろう。一見、絶望的にも思えるその言葉を雑誌でみたとき、じつは高揚感をおぼえた。

ロックを好きになってJAPANをシコシコ読んでるようなボンクラは、孤独に打ちのめされているはずだ。自分はきっと誰からも愛されることはないだとか、そんな資格はないだとか、思っている。でも誰かが自分のことを分かってくれるはずなんだと希望をもっている。だからこそ絶望しているのだ。誰も現れず、そんな兆しもないからだ。そんな我々、ボンクラにこのモリッシーの言葉は最高だった。人生生きてて自分のこと肯定してくれる人が現れないことってあることなんだな、と教えてくれるからだ。

 

例えば、谷村新司が↓


例えば、谷村新司が山口百恵に提供した楽曲「いい日旅立ち」(一九七八年)という曲がある。そのなかでこう歌われる。

 

《過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時/帰らぬ人達熱い胸をよぎる/せめて今日から一人きり旅に出る/あゝ日本のどこかに/私を待ってる人がいる》

 

 主人公の周りの人間はどんどん離れていき、独りきりになっている。↓


《過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時/帰らぬ人達熱い胸をよぎる/せめて今日から一人きり旅に出る/あゝ日本のどこかに/私を待ってる人がいる》

 

 主人公の周りの人間はどんどん離れていき、独りきりになっている。旅に出て何かを探そうとするようすが描かれる。主人公は、絶望はしているが希望を失いきっていない。だが、絶望につつまれているという辛い状態だ。まさに、ボンクラの心情を写しきったような名曲である。

 

 それに似たような曲が神聖かまってちゃんにある。「仲間を探したい」だ。↓



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