閉じる


<<最初から読む

15 / 19ページ

 神聖かまってちゃんはいまどちらの心境なのだろうか。彼らはタイアップに関してつっぱねてはいない。むしろ、彼らはタイアップが欲しいといっている。それは彼らがいまの現状に満足していないということだろう。メジャーという世界が崩壊して、もはや世界はビックマイナーとリトルメジャーしか存在できなくなった現在、ロック界隈ではタイアップは魂を売る諸行といわれていたが、今は逆にそれが自分たちをアピールする真っ当な方法になった。これは不思議な現象だ。

 ロックバンドというものにロマンがなくなってしまった現代からこそ、ロマンがいっそう強く輝いているのだ。神聖かまってちゃんはいまそれに手をかざしている状態だ。つい、先日、この一年のバンドの公約をかかげた(最近、こういうの流行ってる?)。展開がないと動いてないような印象になるからだろう。

 

 

 彼らの楽曲「仲間を探したい」の歌詞はこうなっている。↓


 

 

 

 

 

 

《君とこうやってブランコ二人きりの風景とかさ/あの夏休みが終わっても/続くのかなあ/仲間を探したい/別れるだけじゃない》


 「夏休み」というワードは昔から彼らの楽曲によくでてくる。その言葉の意味するものは、真っ当なレールに乗り切れないで、取り残されている者ということだ。音楽評論家ふうにいえばモラトリアムである。彼ら(の子)はひきこもりやニートという印象だ。

 つまり、夏休みとは彼ら神聖かまってちゃんの象徴である。そして、「君」というのはリスナーだろう。《あの夏休みが終わっても/続くのかなあ》は、の子は、神聖かまってちゃんが終わったときいままのリスナーはどうなるのかという不安を吐露しているようにみえる。ここでの“終わる”というのは、解散かもしない(の子はソロでライブをおこなったとき、ファンのあいだで解散説がとびかった)が、わたしは今いるポジションからべつの場所に行くということだろうと思う。同世代のバンドたちがいったマスメディアの世界、つまりメジャー(お茶の間)である。↓

 


そして、サビの《仲間を探したい》からは、サブカルチャーからサブカルチャーそのものになりたいという意志がここから読みとることができる。

一〇年後いちばん評価されるのは、どのバンドよりも神聖かまってちゃんであることは分かっているが、いまという活動期に評価されてほしい。それがロックバンドがやるべき使命だし、ロマンだ。彼らはそれに自覚的である。

だからこそ、神聖かまってちゃんから目を離したらいけないと思っている。彼らは、われわれボンクラの夢だからだ。↓

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うおお←


この本の内容は以上です。


読者登録

スーパーどん底タイムさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について