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 表現を興業とする者は音楽や芝居という違いはあるもののみんな同じだということが分かる話である。マスメディアに上がっていった神聖かまってちゃんの同世代のバンドたちはきっと、興業という責任を背負ったのだろう。それは彼らにはやるべき使命のようなことを実行するためだ。

例えば、サカナクションは紅白歌合戦のコメントで、「日本のバンドを背負っているつもり」といっている。ロックバンドが、お茶の間にアイドルとはちがう、二一世紀に受けるような音楽を世間に流すことを使命と思っているという山口一郎のインタビュー読んだことがある。ゴールデンボンバーは、アンチテーゼだったお笑い芸人が体制側にいってドン詰まっていたマスメディアに、そのアンチテーゼという形で、どんどんお笑い芸をしていく。

SEKAI NO OWARIはバンドというていをとって、演出に工夫をこらすことでエンターテイメントを人に提供していく。それらには、市川左團次がいう、やりたくないことをやっているのだろう。

 

 左團次は正直に不満を書いている。↓


 

 

 

 

「気に入らない狂言のときの、それからの長さというものはお話にならないくらいで、つまり検体を覚えるのです。マダ千秋楽にならないかな。マダあと幾日あるなどと、その長いこと長いこと」


さらにこう続けている。

 

 

 


 

 

 

 

 

「それに引かえて、自分でも最初から気乗りしている役になると、毎日毎日、アアでもない、コウでもないと、それからそれへ研究欲も出て、興味はますます加わるばかり、イヤ正直なものですよ」


 神聖かまってちゃんはいまどちらの心境なのだろうか。彼らはタイアップに関してつっぱねてはいない。むしろ、彼らはタイアップが欲しいといっている。それは彼らがいまの現状に満足していないということだろう。メジャーという世界が崩壊して、もはや世界はビックマイナーとリトルメジャーしか存在できなくなった現在、ロック界隈ではタイアップは魂を売る諸行といわれていたが、今は逆にそれが自分たちをアピールする真っ当な方法になった。これは不思議な現象だ。

 ロックバンドというものにロマンがなくなってしまった現代からこそ、ロマンがいっそう強く輝いているのだ。神聖かまってちゃんはいまそれに手をかざしている状態だ。つい、先日、この一年のバンドの公約をかかげた(最近、こういうの流行ってる?)。展開がないと動いてないような印象になるからだろう。

 

 

 彼らの楽曲「仲間を探したい」の歌詞はこうなっている。↓



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