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 しかし、そこから神聖かまってちゃんはロックシーンの浮いたトピックスではなくなっていく。

 この時期から、入れ替わるようにして、同世代のバンドが次々とマスメディアに出て行くことになる。ゴールデンボンバーはお祭りバンドとして音楽番組のSP放送に呼ばれていった。サカナクションはタイアップとTV出演で、独自の存在感を示していった。SEKAI NO OWARIはルックスの良さとキャッチーな曲でTV出演をし始めた。従来のロックバンドらしい真っ当な活動をおこなった結果、神聖かまってちゃんはニュース的なトピックがなくなっていった。ふつうはそういうものだと思うが、彼らの楽曲は最高に良いものの、デビュー当時から事件性とともに大きくなっていったというルーツがあったので、アルバムを出してライブがひと段落していったときファンはその後彼らに目立ったニュースがなかったとき妙にざわざわした気持ちになった。

 

 マスメディアに↓


マスメディアに出て行ったバンドは何かを引き受けたということだろう。二代目 市川左團次という歌舞伎役者が、表現と興業についてエッセイで語っている。

 

 

 「興業主の方にしてみれば、俳優の研究欲や芸術的希望ばかりを聞いているわけにはいきません。当人はたびたびで気がさしてようが、またあれかと古くなっていようが() 看客の入りがありそうなものだとなれば、どうしてもその狂言を撰定するようになるわけです。」


 表現を興業とする者は音楽や芝居という違いはあるもののみんな同じだということが分かる話である。マスメディアに上がっていった神聖かまってちゃんの同世代のバンドたちはきっと、興業という責任を背負ったのだろう。それは彼らにはやるべき使命のようなことを実行するためだ。

例えば、サカナクションは紅白歌合戦のコメントで、「日本のバンドを背負っているつもり」といっている。ロックバンドが、お茶の間にアイドルとはちがう、二一世紀に受けるような音楽を世間に流すことを使命と思っているという山口一郎のインタビュー読んだことがある。ゴールデンボンバーは、アンチテーゼだったお笑い芸人が体制側にいってドン詰まっていたマスメディアに、そのアンチテーゼという形で、どんどんお笑い芸をしていく。

SEKAI NO OWARIはバンドというていをとって、演出に工夫をこらすことでエンターテイメントを人に提供していく。それらには、市川左團次がいう、やりたくないことをやっているのだろう。

 

 左團次は正直に不満を書いている。↓


 

 

 

 

「気に入らない狂言のときの、それからの長さというものはお話にならないくらいで、つまり検体を覚えるのです。マダ千秋楽にならないかな。マダあと幾日あるなどと、その長いこと長いこと」


さらにこう続けている。

 

 

 



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