目次
登場人物
登場人物
【プロローグ】
プロローグ
【第一部 ナツミ】
【第一部 ナツミ】のあらすじ
第1章 郡上八幡
1 美人女将の観光案内
2 出会い
3 哀しい妄想
4 郡上おどりの夜
5 旅館の部屋で
6 告白
第2章 汐留と横浜
1 天使のカウンセリング
2 他人行儀
3 バケモノ退治
第3章 雄蛇ヶ池
1 テンシのいざない
2 別れ
3 愛にあふれる世界
【第二部 マヒル】
【第二部 マヒル】のあらすじ
第1章 麗宝学園
1 もうひとりの女(ひと)
2 あのときのように
3 下心
4 マンションの秘密
5 キス
6 恋人同士
第2章 心霊研究クラブ
1 女のまなざし
2 お姉ちゃん
3 開かずの間
第3章 幽霊マンション
1 会えてよかった
2 もうひとつの選択肢
【第三部 麗宝祭】
【第三部 麗宝祭】のあらすじ
第1章 殲滅
1 奇妙な使命感
2 胸騒ぎ
3 放課後のワナ
4 お見送り
第2章 餌食
1 さまよう少女の魂
2 アジトへ
3 決行前夜
第3章 降霊術
1 集ったものたち
2 叶えられた願い
3 魂の帰還
4 天使との再会
【エピローグ】
エピローグ
参考文献
参考文献
『天使の街〜ハルカ〜』のご案内
『天使の街〜ハルカ〜』のご案内
ひみつのキーワード
ひみつのキーワード
奥付
奥付

閉じる


試し読みできます

登場人物

◎マヨ………高校教師をめざす大学生。この物語の語り手

◎ナツミ……岐阜県・郡上八幡にある旅館の娘

◎サキ………スピリチュアルカウンセラーのお手伝いをしている中学生

◎ヤヨイ……私立麗宝学園高等部の3年生

◎ハルカ……同2年生

◎マヒル……同3年生。心霊研究クラブの部長

◎ミライ……謎の集団〈でもんず〉のメンバー

◎コユキ……同メンバー

◎ウララ……同メンバー

◎タカコ……スピリチュアルカウンセラー

◎キヨコ……エステティシャン

◎フユミ……ナツミの姉

◎ヒデコ……霊能力者


試し読みできます

プロローグ

 あの夏も、私は岐阜県・郡上八幡を訪れた。

 駅から15分くらい歩いただろうか。ふとチョロチョロと水の音がするのに気づいた。大通りから少しはずれると、車の喧騒から解放され、街の中を流れる小さい川の心地よい音が耳に入ってくる。

 郡上八幡が「水の街」と呼ばれていることは、旅行雑誌で読んだ。こんなふつうの住宅地でも、水の音が聞けるとは思っていなかった。

 水の流れる音がさらに大きくなった。目の前に堤防のようなものが見える。心なしか早足になった。

 堤防の階段をのぼると、目の前に大きな川が現れた。長良川の支流・吉田川にやってきたのだ。

 私が立っているところは、コンクリートで整地されている。しかし、むこう岸はほとんど自然のままの姿で、大小の岩が転がり、緑が生い茂っていた。遠くから子どもたちの嬌声が聞こえる。水遊びをしているらしい。川べりにはあざやかな色のテントも張られている。そのむこうにそびえる山の頂上には、お城が建っていた。

 ──へ〜。あれが郡上八幡城かあ。

 非日常的な空間の出現に、気分が盛りあがる。私は無意識のうちに足を踏み出し、川のほうへおりていった。

 近くで見る川は、またちがった味わいがあった。水は複雑にうねりながら流れていく。太陽の光が水面に乱反射して、美しい芸術作品のように見えた。

 ふと──。

 吉田川に沿うように人工の川がつくられているのに気づいた。といっても、川幅は1メートル、深さはたぶん50センチぐらい。川というより溝というべきかも。でも、きれいな水が勢いよく流れる立派な「川」だと、私は思う。

 上流へ目をやると、遠くのほうに女の子の姿があった。

 この小さい川のへりに腰かけて、両足を水に浸けている。そうやって涼をとりながら、本を読んでいるのだ。

 中学生か高校生かな? 髪は肩にかかるぐらい。服は白いワンピースのように見える。

 ──あら? 可愛い。

 そう思った。絵画のような光景だった。知らず知らずのうちに、〈カメラ〉を起動していた。この場面を画像に残しておきたい。一方で、あのコに悪いかも、という罪悪感もあった。これだけ離れていれば本人は気づくはずもないし、まして相手は本を読んでいる。

 ──どうしよう? 撮る?

 目の前に〈カメラ〉の画面があった。いつの間にか撮影する体勢になっていた。

〈カメラ〉をかまえているのはだれ? 私? 私だよね? 撮るのはいけない、あのコに失礼と思っているのに……。撮りたいのは私じゃない。いや、撮りたいのは私で、撮ろうとしているのは私じゃない。もう。なにがなんだかわからない……。

 ──あ、あれ?

 画面の異変に気づいた。

 あの少女のまわりにはだれもいなかったはず。

 でも、画面には少女のほかに、ふたつ人影が映っている。

〈カメラ〉をいったんおろす。

 やはり少女しかいない。

 もう一度かまえる。

 人影は女の子の頭の上にある。

 人影──というのがそもそもおかしい。そんな人間はいない。

〈カメラ〉をおろす。やはり少女以外になにも見えない。

 またかまえる。人影のようなものは消えている。

 見まちがい──と思うしかないよね、この場合。

 一方で、あの少女を撮影するのをためらっている自分がいた。

 撮ってはいけない。そんな気がする。

 なぜ?

 あのコに失礼──というのとは、ちがう。

 さっきはたしかにそう思ったけども、いまはそうじゃない。

 写真を撮れば、よくないことが起こるのではないか……。

 理由はわからない。

 ──ひょっとして、あの少女はこの世の者ではないのかも……。

 え? なんでそんなことを思う? いくらなんでも、あのコが幽霊だなんて……。

 ──たしかめれば?

 もうひとりの自分が言う。そうだよ、実際にそばまで行ってたしかめれば万事解決。

 ──ほんとうに幽霊だとしたら?

 いい想い出になるんじゃない? 友だちへの土産話にもなるし。

 ──幽霊かどうかたしかめるなんて口実で、ほんとはあのコの顔が見たいんでしょ?

 ちがう! ……幽霊かどうかたしかめるついでに、顔が見られるというか……。

 考えがまとまらないうちから、一歩を踏み出していた。もう歩きだしてしまったのだから、いまさらやめるわけにはいかない。そんなわけのわからない言い訳を自分にしていた。

 女の子は私が歩きはじめるタイミングを見計らったように本をとじた。ブックカバーの赤い色が目に飛びこむ。

 ──気づかれた!?

 だからといって、立ちどまるのはおかしい。それじゃ、なんかやましいことをしているみたいじゃない?

 女の子はそばに置いてあったトートバッグに本をしまった。代わりに手帳らしきものを取り出し、ページをめくっている。

 だれかが自分に近づいてくる──のが女の子にもわかる距離まで来ている。でも、少女は意に介さない。手帳を読んでいるから、私からは顔が見えない。

 ──ダメか……。

 なにがダメなの? もう幽霊じゃないことがわかったでしょ? それでいいじゃない。

 女の子が顔をあげた。

 目が合った。

 心の準備ができていなかったので、私はたぶん驚きの表情を浮かべていたと思う。

 女の子が微笑んだ。

 その瞬間、体のなかを風が吹きぬけたような感覚が襲った。

 ──なに? どうなったの?

 女の子はしばらく私の顔を眺めていた。

〈おねえさん、さっきからあたしのこと見てたでしょ〉

 心が見透かされてしまったようで不安になる。

 少女はなにも口にはせず、また自然に手帳へ目線をおとした。

 女の子のそばをとおりすぎる。歩調はゆるめられない。お腹になんともいえない不快感を覚えながら、ゆっくりと少女から離れた。

 激しい運動をしたわけでもないのに、心臓の鼓動が異様に速くなっていた。十分に距離をとったと思うところで、振りかえった。

 少女の姿は消えていた。


試し読みできます

【第一部 ナツミ】のあらすじ

郡上八幡で、私はナツミという名の美女と出会う。


試し読みできます

1 美人女将の観光案内

〈郡上八幡旧庁舎記念館(観光案内処)〉のテラスにあるイスに腰かけ、吉田川を眺めながら、おだんごを頬張っていた。

 時刻はお昼どき。当初の計画では、昼食には鰻を食べる予定だった。吉田川の清流で育った鰻の味は格別だという。しかし、気がつくと、なぜか〈みたらしだんご〉を6本も買いこみ、ここに座っていたのだった。

 頭のなかはついさっき見た光景で占められていた。

 満面の笑みの少女。画面に映りこんだ奇妙な人影。それが頭から離れない。

 不思議というか、尋常でない出来事だと思う。異境の地にやってきたという昂揚感が妙なモノを見せているの? あるいは、疲れて頭が働いていないのか……。

 ──少し早いけど、旅館へ行こう。

 そう決心した。

 郡上八幡の見どころはまったくまわっていない。ただ、今日泊まる予定の旅館のサイトに「美人女将による観光案内つき」とあった。「美人」というところにひっかかったわけだけど、まあ、美人といっても、ずっと年長の女将さんなのだろうな。それでも、地元の人に案内してもらうのは、とても有意義な気がする。うん。善は急げ。さっさと旅館へ向かおう。

 

 

 大きな看板が見えたので、旅館の場所に迷うことはなかった。和風の情緒ゆたかな建物ではあるけど、古さは感じない。

 玄関に近づくと、なかから箒を持った中年の女性が出てきた。

「こ、こんにちは。今晩お世話になります」

「あら? ようこそ。早いわねえ。もう街を見てまわったの?」

 女性は一瞬驚いたような表情を見せたけど、すぐに愛想のよい言葉を返してきた。この人が「美人女将」なのかな?

「あの……まだ早かったですか?」

「いいの、いいの。さ、どうぞなかへ。あそこで記帳をお願いしますね」

 女将さんは館の奥のほうを指ししめした。

「失礼します……」

 そこは純和風といったたたずまいの玄関になっていた。

 昼間なので灯は点いておらず、少し薄暗い。壁や柱には高級な木材が使われているみたい。重厚な色合いが空間全体の暗みを増すのに一役買っている。さらに一歩なかへ入ると、ひんやりとした空気が肌に触れた。もちろん、冷房が利いているわけじゃない。風が建物のなかを吹きぬけ、熱気を外へ逃がしているという感じ。

 靴を脱いで、下駄箱へ入れる。目の前に小窓があり、そこが受付になっているようだ。でも、人影はない。

「こ、こんにちは!」受付の奥までとどくように、声を張った。

「あれ? おかしいわね」女将さんが玄関の掃き掃除を中断し、こちらに近づいてくる。

「フユミ〜っ、お客さんだよ〜」

「は〜〜い」なかから若い女性の返事が聞こえた。

 声の主はすぐに現れた。半分は眠っているようだった私の頭が、その瞬間、にわかに働きだした。

 ──美人。

 その形容が少しの疑問もなしにあてはまるような容姿だった。

「あ……」思わず小さい声を漏らしていた。「あの……お世話になります」

「ようこそ。この旅館の女将です」

「え……女将? さっきのかたは……?」

「あれは母です。大女将ですね」

 この人が女将さん? 失礼ながら、女将さんという風情の人ではないと思う。なんか、この和風の旅館に似つかわしくないというか……。ナチュラルメイクだけど、目鼻のつくりがはっきりしている。口紅だけがやけに赤いのが印象的。有名企業の社長秘書といったオーラを感じさせる。Tシャツにジーンズというラフな格好なんだけど(それもこの旅館のイメージにそぐわない)、スタイルがいいだけに、妙に似合っている。歳は30ちょっと前といったところ?

 フユミさんにうながされるまま、記帳をした。

 ──美人女将って、この人のこと?

 うん。きっとそうだ。だれがどう見ても美人だし。ということは、この人に観光案内してもらえるってこと?

 帳面に目をおとしながら、口元がほころぶのが自分でもわかった。

「あの……『観光案内』を申し込んだんですけど……」

「はい。承っています。どうします? すぐに出発されますか? それとも、少しお休みになります?」

「すぐに行きます。はい、いますぐに」はやる気持ちをおさえきれず、変な言葉づかいになった。フユミさんが小さく「くす」と笑ったので、恥ずかしくなってしまった。

 荷物を置くために、フユミさんが部屋まで案内してくれた。入口の戸は木の格子になっていて、その奥にもう1枚ふすまがある。そこを開けると、なかの畳が見えた。中央にちゃぶ台。その上にポットや湯呑みなどの「お茶セット」がのっている。壁際に小さいテレビがあり、まさに和風旅館といった趣。部屋の隅に置かれた盛り塩もそれっぽい雰囲気を醸し出している。

 特筆すべきは、窓からの景色だ。この旅館は川に隣接していて、せせらぎが部屋のなかまで聞こえてくる。岸に生える緑と水面の色彩のコントラストもいい。

 このまま眺めていたいけど、観光もしたい。なんという贅沢な悩み。

 受付でフユミさんに声をかけた。さっきはまだチェックインの時間ではなかったから、ラフな格好をしているのかと思ったけど、Tシャツ、ジーンズのままだ。顔だちの印象とは裏腹に、じつはざっくばらんな性格なのかな?

「これ、どうぞ」フユミさんから小さい団扇をわたされた。「外は暑いから」

 団扇には〈郡上おどり〉という文字が書かれ、浴衣姿でおどる女性たちが描かれていた。

「あの……今日も盆おどり、やるんですよね?」

「ええ。毎晩おどりがあるんです。いまはお盆だから朝まで」

「朝まで!?」

 この街の最大の見どころは〈郡上おどり〉と呼ばれる盆おどりだ。7月中旬の「おどり発祥祭」から9月初旬の「おどり納め」まで、2か月33夜にわたって、盆おどりが繰りひろげられる。盂蘭盆会(お盆)の時期には〈徹夜おどり〉といって、午後8時ごろから翌朝5時ごろまでずっと催しがつづく。

「もちろん、マヨさんもおどるでしょ?」

「は?」フユミさんからいきなり下の名前を呼ばれ、不意を突かれた。

「そうしたいんですけど……浴衣を忘れてしまって……」

「大丈夫。浴衣はレンタルしてますし、ふだん着でも全然かまわないんですよ。そうだ! あとで〈おどり教室〉に参加したらどう?」

 おどりの教室まであるの? う〜ん。興味がわいてきた。やっぱりおどろうかな。せっかく来たんだし。友だちにおどりかたを教えたりして、優越感を味わうのもいいかも。

 

 

 私も女子のなかでは背は高いほうだけど、フユミさんは私よりさらに身長があった。友だちはみんな小柄だから、自分より大きい人と歩くのは変な気分。

 道を歩いていると、ちらほら浴衣姿の人が目につくようになってきた。この時期は、その格好のほうがふだん着なのかも。ますます浴衣を忘れてきたことを後悔する。せっかくお気に入りの逸品を買ったのに……。

「これが〈郡上おどりの像〉です」

 街の片隅に、頬被りをしておどっている姿の銅像があった。

「盆おどりのルーツって知ってる?」

「ルーツ……? 先祖の霊を迎える儀式とか?」

「盆おどりはね、もともと恋人を見つけるためのイベントなの。現代でたとえるとお見合いダンスパーティーみたいなものかな」

 ──え……そんなロマンチックなものなの?

「マヨさんみたいに可愛い人は、ひくてあまたになるんじゃない?」

 フユミさんの手が私の肩に置かれる。そのまま優しく滑るように、指が私の二の腕へ移動する。そっと撫でてから、ゆっくりと手を離した。

 思わず身震いする。心地よさを感じてしまった自分に驚いた。

「え? そんな……。そんなことありません……」取り繕うように答えた。

 その言葉は本心だった。私はいつも片想い。相手が振りむいてくれることなんてない。

 ここへ来てからそのことは意識にのぼらなかった。いや、あえて考えないようにしていた。フユミさんのひとことで自分のみじめさが思い出されてしまった。

 盆おどりが始まったころの大昔に生まれていればよかった。公然と出会いの場が設けられていたのだから。いや、私はそんな時代でも、取りのこされてしまうのかも……。

「あの……ほんとにそういうことするんですか? 相手を見つけて……そのあと……」

「ふふ。マヨさんもお年ごろねえ。いまはふつうのおどりのイベントですよ。もちろん、望むなら相手を見つけてもいいけど。それは自由なんだし」

 半分は残念に思い、もう半分は安堵した。期待をするぶんだけ、裏切られたときに絶望が深くなる。ならば、最初から期待しなければいい──。

 ピピピピピ。

 突然、音がした。〈電話〉の着信音に聞こえた。その音で我に返った。

「あ、ちょっとごめんなさい」フユミさんが〈電話〉を取り出しながら、頭をさげた。

「いいですよ」私はそう言いながら、フユミさんから顔をそむけ、目頭に指をあてた。

 知らない間に涙がたまっていたらしい。

「ちょっと、いまご案内中。電話しないでっていつも言ってるでしょ!」

 フユミさんの口調がきつくなる。これは少し意外だった。なんとなくおちついているイメージがあったけど、実際はちがうのかな……?

「じゃあ、ナツミにやってもらうしか……」

 フユミさんは手早く〈電話〉をしまうと、つくり笑顔──さっきまでの強い口調からそう思えた──を私に向けた。

「ほんとうに申し訳ありません。ちょっとトラブルがあって、旅館にもどります。このあとは妹がご案内しますから」

「あ、大丈夫です。気にしないでください」

 電話の相手は妹さんだったらしい。これは想像だけど、姉妹の仲はあまりよくないのでは?

「ほんとにごめんなさい」

 私はかえって恐縮しながら、フユミさんのあとを歩いた。

〈郡上おどりの像〉から10分ほどの距離だった。小道に入り、地面が石畳になっているところに出た。目の前は急な下り坂だった。

 坂道をおりると小さい橋が見えた。アーチ状で、中央が盛りあがっている。深紅の欄干が独特の雰囲気を醸し出している。橋の下に細い川が流れているようだ。

 橋の真んなかに人がひとり立ちすくんでいた。

 顔を見て、私は息を飲んだ。

 さっき出会ったあの少女だった。


試し読みできます

2 出会い

 少女はじっとこっちを見つめていた。顔は笑っていなかった。かといって、憂い顔というわけでもない。強い意志を内に秘めているという感じ。

 橋の上にいるのはその女の子だけだった。いや、だけだったと思う。ほかの人は目に入らなかったから。

 私たちが近づいていっても、そのコは表情を崩そうとはしなかった。むこうから近づいてくるそぶりも見せなかった。

 フユミさんが少女に声をかけ、なにかを話していた。

「マヨさん。ほんとうにごめんなさいね。あとはナツミがご案内しますから」

 フユミさんは、頭をさげると、足早にその場を去っていった。

 フユミさんの妹──ナツミと私はしばらくそこに立ち尽くしていた。ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。

 フユミさんの妹だから美形だとは思う。しかし、お姉さんとちがって愛嬌がない。

「……さっきは、どうも……」沈黙に耐えきれず私は口火を切った。

「さっき……?」

「あ、いや、先ほどお会いしましたよね? あそこの川で……」

「川……?」ナツミはほんの少しだけ顔をしかめる。

 別人なの? 白いワンピースの少女とは……。あらためてナツミを見ると、顔はそっくりだけど、服がちがっている。それに川では中高生くらいに思えたのに、目の前に立っているのは私とおなじくらいの年齢の女にも見える。

 ──もっと笑ってくれたらはっきりするのに。

 頭に焼きついているのは、満面の笑みだ。ナツミの笑顔を見れば、人ちがいかどうかわかる。

「そうぎすい……」ナツミが唐突に口を開いた。そして、私の後方を指差した。それにつられて振りかえると、視線の下に、小さい水路。その先に注連縄が飾られた祠のようなものがある。

「宗祇水は、1985年に、環境庁が、名水百選に選んだわき水で……」またしてもナツミが突然しゃべりはじめた。「室町時代の……えっと、あの……」

「ひょっとして、緊張してる?」

「え……? すみません……まだ慣れていなくて……申し訳ありません」ナツミが深々と頭をさげた。そのしぐさはフユミさんにそっくりだった。

「ぷっ」思わず吹き出してしまった。「あっ、ごめんなさい」

「わたしのほうこそ……美人女将の観光案内なのに……姉ができなくなってしまって……」

「いや、でも……女将さんじゃないけど、美人には変わりないから……」

 自然に出た言葉だったけど、言ったあとに「はっ」となった。社交辞令のつもりだったのに、ほんとうに美人だと思っただけに、気恥ずかしくなってしまったのだ。

「いや、そんなことはないです……」ナツミが小さい笑みを浮かべながら、そっぽを向く。その顔を見るかぎり、ますます川べりの少女にしか思えないんだけど……。

「えっと……」ナツミはおもむろにバッグから手帳を取り出し、ページをめくりはじめた。

「私はマヨです」

「え?」

「いま私の名前を探してたんじゃない? その手帳にメモしてあるんでしょ?」

「あ……すごい、よくわかりましたね」

「昔からそういう勘は冴えてるの」

「よろしくお願いします。マヨさん」

「マヨでいいよ」

 それを聞いたナツミが呆気にとられている。

「あ、その……たぶんナツミさんは私と歳が近いから、友だちみたいな感覚で案内してもらったほうが、気がラクというか、そのほうが楽しいっていうか……」

「……じゃあ、わたしもナツミって呼んで……マヨ?」

「わかった、ナ……ナツミ?」

 私たちはしばらく顔を見合わせ、そして笑いはじめた。

「あ……こんなことしてちゃダメ……お仕事しないと」ナツミがにわかに真顔になった。

もっとナツミのことを知りたい気持ちもあったけど、それはあとのお楽しみにしてもいいかな。

「はい。じゃあ、お願いします」

「近くに行ってみよ?」

 ナツミのあとについて階段をおりていく。

 祠からわき水が出ていて、幅1メートルぐらいの溝を流れている。その水は橋の下を流れる細い川に注いでいた。

「宗祇水の宗祇ってなに?」

「室町時代の飯尾宗祇っていう歌人のこと。その人がここに庵をつくったのが由来とされてる」

「へ〜。たしかにこの街の水はきれいだよね」

 ナツミが浮かない顔をしている。私といるのが楽しくないのだろうか……。

「マヨ……お姉ちゃんから変なこと聞かされなかった?」

「変なことって……?」

「盆おどりが出会いの場だとかなんとか……」

「うん、聞いたよ。お見合いダンスパーティーみたいなものだって」

「そんな生やさしいものじゃないよ。もっと、なんというか、おぞましいもの」

「……だって、ただおどるだけでしょ?」

「なんのためにおどるか知ってる?」

 ナツミの表情はさらに強張っていた。なぜそんな顔をしているのか、まったく理解できず、不安になった。

「なんのためって……そのほうが盛りあがるじゃない?」

「おどりはね、自分たちをトランス状態にするため」

「それって、興奮状態ってこと?」

「ようするに、えっちな気分になるためだよ」

 ナツミの口から「えっち」なんて言葉が出ると、なんでもない単語なのに、妖しく響いた。

「お姉さんはいまはそんなことないって……」

「でも、一部にはそういう風習が残ってる」

 私はこのあと〈おどり教室〉に参加する予定であることを思い出した。

「盆おどりには行かないほうがいいってこと?」

「いや……それはいいと思うよ。ここの名物だし、想い出にはなると思う。でも、わたしの言いたいのは『気をつけて』ってこと」

「なにに気をつけるの? ひょっとして、私がナンパされちゃうとか思ってる? 言っとくけど、そんな軽い女じゃないわっ!」

 ふたりの間に流れていた重苦しい雰囲気を変えたくて、あえておどけた口調で言ってみた。ナツミが表情を崩す。

「たしかに、マヨはモテそうだしね……それだけの、あれだもん」

「あれ?」

「綺麗ってこと」ナツミは早口でそう言うと、下を向いた。私たちはお互いに「美人」「綺麗」と言いあっては、頬を赤らめているのだった。

 その気恥ずかしさを打ちけしたかった。いや、好きなコにちょっといたずらをしたくなる子どものような気持ちになった。

 わき水に静かに片手を浸け、水をすくうと、それをナツミの頭に振りかけた。

「えいっ」

「ひいっ」

 ナツミが驚きのあまり悲鳴を放った。立ちあがって、急いで私から離れる。頭をかきむしるようにして、水を払おうとしている。

「ごほ、ごほ、ごほ、ごほ」

 ナツミがむせて、苦しみはじめた。私はナツミに近づき背中をさすった。

「ごめん。そんなにびっくりするなんて……」

 セキはおさまったけど、まだ苦しそうに胸をおさえている。

「……この水って……毒なの?」

 ナツミがふうっと、大きく息を吐いた。少しおちつきを取りもどしたようだ。

「水はなんでもない……髪が濡れるのが……」

「髪……?」

 ナツミはなにかの病気なのだろうか。アレルギーとか?

「ここでは……髪を濡らしてはいけないの」ナツミがようやく顔をあげ、私のほうを見ながら答えた。

「どういうこと?」

「こんなこと言っても信じてもらえないと思うけど……」

 ナツミがなにかを考えこむように下を向く。私はその様子を緊張した面持ちで見ていた。

「やっぱり、ダメ。こんなこと話したらお姉ちゃんに叱られちゃう」

 ナツミがなにを言いたいのかはまったくわからなかったけど、興味がわいてきた。

「お姉さんには絶対言わない。だから教えて」

 ナツミは答えなかった。私の顔をじっと見つめている。私に話すかどうか迷っているみたいだった。

「ねえっ! なんなの?」自分でも嫌になるくらいきつい口調になってしまった。

 ナツミが意を決したように口を開いた。

「来て」

 

 

 ナツミは私の存在を忘れたかのように進んでいく。あとをついていくのに、駆け足気味に歩かなければならなかった。向かっているのは、街の東側にある八幡山の方角。郡上八幡城が頂に見えた、あの山だ。

 ──ねえ、どこに行くの?

 そう話しかけたかったけど、ナツミが全身から発してる雰囲気がそうさせなかった。宗祇水のそばに立っていたときとおなじ堅苦しい顔つき。それがいまも感じられる。

 ふもとから山道を歩く。このままお城まで行こうというの?

 私たちはせまい道を入っていった。舗装されていないところを見ると、地元の人しか使っていないのかも。

5分ほど進んだところで、ナツミが唐突に立ちどまった。傍らに小さな祠が見える。ほんとうに小さい。高さは1メートルほど。かなり古いものだと思われる。

「ねえ、なにこれ?」

 話しかけづらい雰囲気はあいかわらずだったけど、重苦しさに耐えきれなかった。「ここも郡上八幡の観光スポットなの?」

「いいえ。ここには地元の人もほとんど来ない」

 ナツミが祠を見つめたまま答える。

「ここに祀られているのは〈テンシ〉と呼ばれるもの……」

「天使? ……あの羽の生えた?」

「羽は生えてない。白い服は着てるけど……」

「この街に天使がいるって、なかなか面白い組みあわせだよね。ミスマッチというか、それが逆に情緒があるというか……」

「〈テンシ〉のことを知っている人は、この街にもほとんどいなくなってしまった。わたしの家の人たちと、あとは何人かのご老人だけ」

「なんかもったいないね。せっかくの伝統が受けつがれてないんだね」

「わたしはね、正直、こんな伝統なくなってしまえばいいと思ってる」

「え?」

「マヨに水をかけられたとき、わたし、すごく驚いたでしょ?」

 そうだ。そのことをすっかり忘れていた。ナツミが水を異様に怖がる理由を知りたかったのだ。

「水が髪にかかるとね、寄ってくるのよ、〈テンシ〉たちが」

「寄ってくる?」

「ねえ、お風呂で髪を洗っているとき、だれかの視線を感じることない?」

「それはあるけど、もちろん、だれもいないよ。気のせいに決まってるわけだし」

「気のせいもあるけど、ほんとにいることもある」

 背中から頭のうしろにかけて電流が走った。同時に、ひんやりとした風が吹いてきた気がした。いや、実際に吹いたのかも。まわりの枝や葉っぱががさがさと音を立てたから。

「ちょ、ちょっと、やめてよ。私はホラー映画とか大好きだけど、それは怖いのが好きなんであって、つまり、怖がりってことで……」

「ごめん。ただ、理由を知ってほしいだけ」

「でも、お風呂にいたとして、それは幽霊でしょう? 天使じゃなくて」

「みんなが幽霊と思っているものが、〈テンシ〉なのよ」

「いや、それは変。天使だったら怖くないはず」

「〈テンシ〉は怖いんだって。だから、水がかかってびっくりしたんだって」

なるほど──。

 ようするに、ナツミは私とおなじ怖がりなのだ。私は怖い映画が好きだけど、幽霊の存在には否定的。もっともらしく語られる怪談も全部つくりものだと思っている。でも、ナツミは幽霊がいると信じている。そういうことだ。

 そんなナツミはなんだか愛らしい。乙女ちっくというか……。

「ナツミは幽霊を見たことがあるの?」

「だから幽霊じゃなくて〈テンシ〉なんだけど……あるよ。というより、うちは代々〈テンシ〉を祀ってきた家系なの」

「それじゃこの祠は……?」

 ナツミは祠の小さい扉に手をかけた。静かに扉を開け、なにかを取り出した。それを私の目の前に掲げる。

 白い折り紙でつくった着物のように見える。

「ここに〈テンシ〉の魂がこめられてる」

「これが天使なんだね。可愛いじゃない」

「いいえ。これは〈テンシ〉を滅したあとの姿」

「『滅した』って……」

「うちの家系はね、この〈テンシ〉を亡きものにする役目を負わされていた。でも、それはわたしのおばあちゃんの世代までで、お母さんやお姉ちゃんは、全然ダメ。逆に〈テンシ〉をもっと積極的に利用しようとしている」

「え? お姉さんも?」

 お姉さんたちはたぶん本気じゃない。異様に怖がるナツミを母と姉がからかっている。そんな光景が目に浮かぶ。

「マヨ、お姉ちゃんになにかされなかった?」

「なにかって?」

「たとえば……」ナツミはそう言いながら、私のほうへ手をのばす。そのめざす先は私の……胸!?

「な、なに?」思わずあとずさりをする──いや、しようとしたところで、ナツミの手が止まった。その手はすばやくひっこんだ。

「たとえば、体をさわるとか」

 驚きのあまり、心臓が高鳴っていた。

 ──いや、待って。これはびっくりしたから? もっと別の理由があるような気もするけど……。

「ねえ? どう?」ナツミが私の顔を覗きこむ。

 ちょっと、待って。急かさないで。考えるから。えっと……そういえば、フユミさんは、私の肩に手を置いた。そして、そのまま二の腕のほうへ指を滑らせて……。

 さっきの感覚を思い出して、身震いした。そうだ。なんか変な気分になったんだ。

 ナツミにそのときのフユミさんの様子をありのままに話した。

「で、マヨはどんな気持ちになった?」

 気持ち? そうあらためて聞かれると恥ずかしい。ほんとうのことはとても言えない。

「えっちな気分になったりしたんじゃない?」

 内心を見透かされるようなことを言われて動揺した。しかも、またナツミの口から「えっち」っていう言葉が……。

「う……うん。嫌な感じはしなかったよ」自己嫌悪に陥るぐらい顔が火照っていた。それをナツミに悟られないように、顔をそむける。

「それが手なの。お姉ちゃんの」

「へ?」

「〈テンシ〉を呼びよせる方法はふたつ。ひとつは髪を濡らすこと。もうひとつは性的に興奮すること」

「え? なに?……お姉さんは天使を私のところに呼ぼうとしたってこと?」

「お姉ちゃんは『〈テンシ〉は発情した女に誘われる』ってことを知ってるから、なるべくいろいろな人をそういう気分にさせようとしているの。深く考えているわけじゃない。もう習慣のようになっているだけ」

そんなことして、お姉さんになんの得があるの?

「つまり、お姉ちゃんは恋をしてほしいと思ってる。そうすることで人は幸せになれる。いろいろな人を目覚めさせることが自分の役目だと考えてる」

「あ……」思わず小さい声を漏らした。

 ということは、いま私がナツミに恋してるのは、お姉さんのせい?

 ……ん? あれ? 私、ナツミに恋してるの? 自分でそう思ったよね?

 ──私、ナツミが好き……なの?

 どうして? ついさっき会ったばかりなのに……。

 いやいやいや。冷静に。冷静になろう。ナツミに恋してるかどうかは、置いておこうよ。う……。置いておける? 本人が目の前にいるのに……。

「あの……ちがうよ。誤解だからね」ナツミがなぜかあわてた口調で言う。

「ちがうって、なにが?」

「いや……あの、〈テンシ〉はえっちな気持ちになったから来るとは限らなくて、そんな気分じゃなくても現れることもあるし、そのへんのことはわかっていなくて……」

 ナツミがなぜ急に取り乱したのか、しばらくわからなかった。ちょっと考えて「あっ」とひらめいた。

 私が水をかけたときにナツミが怖がったのは、天使が寄ってくると思ったから。ナツミの話では、髪を濡らしたり、淫らな気分になったりすると天使が現れる。つまり、あのときナツミはいやらしいことを考えていたってことになってしまう。

 言い訳しなければ私は気づかなかったのに。まさに墓穴を掘ったってところ。

 そんなナツミがとてつもなく愛おしく思えてきて、ナツミのほうへゆっくり手をのばす。

 私の指がナツミの指に触れる。

 それまでなにかを一生懸命しゃべりつづけていたナツミが、その瞬間、黙る。

 ふたりの視線が交差する。

 私は微笑む。

 ナツミが私の手を握る。

 それにこたえるように、私も強く握りかえした。



読者登録

夜見野レイさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について