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 世界そのものが赤一色に染まったかのようである。
 紅蓮と灼熱が、いよいよこの島を支配したために。

 夜になったものの、なおもアズニール王朝の軍勢は熾烈な攻撃を仕掛けてきている。今また一匹のドゥール・サウベレーン(龍)が炎を放った。炎の帯を浴びた城壁は薄板のように脆く崩れ去り、城内から上がる火の手はさらに大きいものとなる。天まで届き、焦がさんとする業火を、女はなかば呆然としながら見ていた。

 ときおり、熱をともなった爆風が彼女のもとにまで届き、ぬばたまの黒く長い髪をなびかせるも女は微動だにしない。
 彼女の黒い瞳に映る光景はただ一つ。それは先ほどまで自らがいた城が燃えるさま。
 彼女の脳裏に浮かぶ情景もただ一つ。この魔導王国の王であり、“漆黒の導師”とも称される偉大な魔導師、そして女にとっては魔法の師匠であり愛焦がれる人――スガルトが、黒き剣に深々と胸を貫かれ、息絶えるさま。
 先ほどから耳元でぎりぎりと鳴る音が聞こえていたが、それが悲しさと悔しさと情けなさのあまりに食いしばっている自らの歯の音だとようやく気付いた。同時に、ふとまなじりが熱くなるのを感じとった。女は溢れる涙をこぼすにまかせ、瓦解していく城を見上げる。彼女の胸に去来するのは万感の想いに他ならなかったであろう。その想いはしかし、一つの負の感情によって蝕まれていく。
 女の瞳に映える紅蓮の炎は今や、憎しみに燃えたぎる彼女自身の炎と化したのを実感する。
(愛する師スガルト様――あなたを殺した魔導師を、ディールめを殺してやりたい――! でも私には力が及ばなかった。私にあなたほどの力があれば、あの魔導師を八つ裂きにできたのに!)

 いまわの際にスガルトが女に遺した言葉のひとつ、それは「逃げろ」というもの。そして自分は言われるままに逃げることしかできなかったのだ。城の裏手から丘を下っていく時、魔導師シング・ディールと朱色《あけいろ》の龍が天高く舞い上がっていくのが見えた。朱色の龍が鐘の鳴るような咆哮を勝ち鬨のように轟かせたその時、空を我が物顔で滑空するドゥール・サウベレーン達と、それに騎乗するアズニール王朝の兵士達が、とどめとばかりに城に炎を浴びせたのだ。
(――やはり妙だわ)
 女は訝しがった。王がこうもやすやすと倒されるものなのだろうか? たしかに魔導師ディールの実力は、スガルトに比肩するだろう。だが、暗黒と不死を追い求めていたスガルトにしては、あまりにあっけない最期であった。王は抵抗する素振りもみせず、黒い剣――レヒン・ティルル――をその身に受けたのだから。

『探せ!』
 それは、スガルトの遺したもうひとつの言葉。いったい何を探せというのか。だが、その言葉こそが王の死の謎を解く鍵に違いない、と女は思った。

 炎に照らされていた女の頭上が、急にすうっと暗くなった。
 涙を拭い、ゆっくりと見上げると、褐色のドゥール・サウベレーンが真っ赤に染めあげられた空から舞い降りてくるところであった。龍は大きな口を開き、体内に燃えさかる炎を今まさに標的に迸らせんとしている。燃えたぎる溶岩よりもなお熱いとすら伝えられる龍の息を浴びれば、人間など消し炭すら残らないであろう。
【魔導師の女よ。その命、忌まわしき力もろとも、我が消し去ってくれる】
 女の頭の中に直接、龍の言葉が入り込んでくる。と同時に褐色のドゥール・サウベレーンは躊躇することなく自らの息を女に吹きかけた。炎が女の身体に到達するまで極めて短い時間しかなかった。
 だが女にとってはそれで十分だった。たった一言ことばを紡ぐ時間があれば。魔導を発動させる言葉を女が紡ぐと、瞬時に青い色をした幕が目の前に現れ、巨大な盾のように燃えさかる炎を遮った。
 すぐさま反撃。女は右の腕を高く振り上げた。青い障壁はすぐさま球体と化し、今し方の龍の炎よりも鋭く立ち上っていく。
 自ら放った炎が魔法によってはねのけられたことを龍が知ったときには、既に青い球体は龍の身体を貫いていた。破壊の魔法によって自らが殺されたことを知るいとまもなく、龍の身体は瞬く間に霧散した。
「まだだ……。この程度ではまだ師の足元にすら及ばない……」

 しかしながら、女の命運もそこまで。
 ほとばしる炎と青い光は、アズニールの軍勢の目を引きつけるには十分すぎたのだ。怒声と甲冑の音が徐々に近づいてくるのが分かる。
 さらに、仲間を殺されたことに気づき、龍達は激しく憤った。忌まわしい魔法の匂いをかぎつけた龍達は、ついに女を見つけ、威嚇するようにまわりの空を取り囲む。その数は十匹はいようか。女が破壊の魔術に長じていたとしても、これだけの龍を相手に敵うはずもない。そもそも龍が有する魔力は、人間の比ではないのだから。

 女は見ていた。龍達の姿ではなく、その向こうに見える城を。だが、憎悪の感情にとらわれたその瞳はもはや虚ろ。
 やがて女は、嗚咽を抑えるような震える声で――自らの感情をさらけ出した。
「わが師よ。私はこの苦しみを忘れません。あなたが掴みかけた不死の魔法をこの手に……。それすらも超越する“魔法の極限”を掴み取ってみせる! どんなことをしてでも! ……そうすればまたあなたに会えるでしょう……スガルト様……!」
 女は理性を失ったように泣き――。
「さあドゥール・サウベレーンよ。私の体を焼いてみせろ! だが私は滅びぬぞ。いつの日か必ず力を手にしてみせる!」
 そして、憎しみを込めて笑った。

 龍達は業火を放つ。
 スガルトの最後の弟子、フィエル・デュレクウォーラは、こうして歴史から姿を消した。

――この体など、失ってもかまうものか! せめて、私の意識だけでも……残す!――


◆◆◆◆


 この広大な世界の名は、アリューザ・ガルドという。
 今よりさかのぼること九百年ほど昔―― まだ“魔法”という体系が確固として存在し、魔法使いによる研究が盛んであった時分。
 東方、ユードフェンリル大陸の最南端の島に一つの王国が興った。
 肉体と魂の不死を追い求めた魔導王国、ラミシスである。建国後数年間、この国の実情は不気味ながらもようとして知れないものであった。しかしやがて、ラミシスから命からがら逃亡してきた避難民達によって、この王国の狂気が明らかにされた。いわく、生け贄を使う禍々しき悪魔の儀式が毎夜のように行われているというのだ。さらに魔法学の見地からも、不死の研究とはそもそも魔法における禁断の領域にほかならない。その昔、かの冥王ザビュールを降臨させてしまったのも、時の王が不死の領域に触れてしまったことが大きな要因であったとされている。
 ついに、ラミシス打倒の勢力が決起した。この時代、世界中に版図を広げていた統一王国アズニール王朝は軍勢を集め、魔導師シング・ディールを筆頭としてラミシスに攻め入った。
 たとえ魔導に長けたディールであっても、魔導王国を取り囲む強力な魔法障壁を解くことは叶わず、緒戦は大敗を喫した。だが、龍達の協力を得た彼らは遂にラミシスに侵攻、ディールは漆黒の導師――スガルトをうち破り、魔導王国はとうとう滅びの時を迎えたのであった。



 それからさまざまな出来事と共に年月は過ぎ去り――アズニール暦一一九七年。
 魔導の力が封印されている今の時代において、魔導を巡る物語が幕を開けることとなった。
 ここに紡がれるは魔導復活の物語であり、多大な魔力をその身に有する龍人《ドゥローム》、ミスティンキル個人の物語である。


 赤のミスティンキル。
 赤とはミスティンキルにとって“炎”であるのかもしれない。
 時には激しく燃えさかり、またある時はちろちろとくすぶり、そしてほのかに暖かめるもの。それが炎。そしてそれはミスティンキルの人生そのものを象徴するものなのだろうか――。

(一)

 満天の星の中、南で一番明るいと言われるエウゼンレームがひときわ青白く煌めいて見える。街では目にすることの少ないツァルテガーンも、その横にはっきりと見える。やはりここが高地だけあって、空気も澄んでいるのだろう。砂の舞う乾ききった荒野を通り過ぎたあとだけに、この美しい夜空の情景は、今の世の平和を象徴しているかのよう。心の奥底にまで染み渡る星々の瞬き。

 空を見上げながら男はおもむろに、ほうっと息を出してみせた。春もまだ早いこの時期は、夜にもなると底冷えがするものだ。白い息はやがて夜の闇の中に溶け込んでいった。
 傭兵の男は、東方大陸《ユードフェンリル》南部へと向かう旅商達を護衛している。アルトツァーン最南部から目的地に至るまで、一月に及ぶ長旅である。この一隊は今日ようやく不毛の地、気候が厳しいことで有名な荒野を越し、夕刻には丘陵の麓へとたどり着いた。さらに丘を登っていきながら一週間を経ると、ようやくドゥローム(龍人)族の住む高地に到着する。
 アルトツァーン王国の産物の数々の到着を、ドゥローム達は今か今かと待っていることだろう。春に訪れる商人達は待ち遠しい客でもあるのだ。冬の間は荒野を猛烈な吹雪が襲うため、アルトツァーン王国への道が閉ざされていたのだから。春一番の商品は決まって高値がつくとはいえ、売れ残ることはない。
 六月にもなれば、あの荒れ狂うグエンゼタルナ海も静まるだろう。それまでの間、商人達は陸路を使い、南部との行商をするのだ。

 あたりはしんと静まりかえり、ただ聞こえてくるのは、篝火にくべた木が爆ぜる音のみ。真っ暗な草原の中では、この炎の赤はさらに美しく見えるようだ。少し離れた場所でぼうっと浮かびあがってくる白は、旅商達の天幕である。
 百人からなる商人達と数多の商品、商人の道先を守る護衛達。一列に並べば五フィーレを越す大隊商である。旅の吟遊詩人や芸人などが交じることは度々あるが、今回は彼らのほかにもさらに珍しい顔ぶれがいた。

 ――東の丘の稜線から半円状の月が顔を見せはじめた。
 あの月がすっかり姿を見せたら、今夜の護衛は次の者に任せることが出来る。故郷を離れて以来、九ヶ月もの長旅を続けてきたというドゥロームの若者に。
 任務の終わりを待ち望む彼にとって、本来白銀の光をほのかに放つはずの月の色が、ややくすぶって見えていることは、さしたる問題ではなかった。

(注釈:一フィーレは約四十五メートル)



(二)

 とりとめのない夢を見ながらも、自分の名前が呼ばれているのを意識したミスティンキルは、浅い眠りからゆっくりと覚醒していった。

 もそりと上半身を起こし、二、三度首を振る。両腕を突き上げ大きく伸びをしてから、彼は目を開けた。うっすらともやに覆われているとはいえ、あたりはずいぶんと明るくなっていた。日が昇って既に一刻は過ぎているのだろう。
 しかしなぜ天幕の中ではなく、草むらに寝そべっていたのだろうか? ゆったりとした白い旅装束にくるまるように寝ていたようだが、暖をとるにはいささか役不足であったようだ。ミスティンキルはくしゃみをひとつ豪快に放った。

 ぱさり、と肩に着物が落とされる感覚。それは雪豹の毛皮だった。
「よう、赤目の旦那。風邪ひくなよ。そいつを羽織っときな」
 ミスティンキルを起こし、毛皮を彼にかけたのは、あごひげを蓄えた中背の旅商だった。男はミスティンキルが寝転がっていた場所にどっかりと腰を落とす。
「お勤めご苦労さん。もう朝だぜ」
 それを聞いたミスティンキルは、ようやく自分の失態に気付いた。ぼさぼさになっていた黒い髪を手で整えながら、旅商の顔色を窺う。
「……すまねえ、ワジェット。思わず寝ちまったようだ」
 暖かい毛皮を羽織り、ミスティンキルは素直に謝った。故意ではないとはいえ、職務を途中で放棄してしまったのだから。
 ミスティンキルの目指す場所は、旅商達と同じ。ドゥローム達の聖地デュンサアルである。単身で荒野を越すのは危険だという相棒の忠告もあり、旅商達と行動を共にしているのだ。元来動き回るのが好きな彼は、食客に甘んじることなく、よく働いた。そして昨日の夜半過ぎから朝の刻に至るまでの間、旅商達を護る任に就いたのだが――突如襲いかかった睡魔には敵わなかった。
 ワジェットという名の旅商は、気にするなと言って、からからと笑った。
「ザルノエムの荒野越えはきついからな。ナダステルから旦那たちが旅をはじめてから三週間だ。おおかた旦那も疲れがたまってたんだろ。俺らだってこのエマクの丘あたりに着くとホッとしてよ。番をしながらたまに寝ちまったりするもんだ。……春も早いこの時期は、まだ盗賊どもや土着の悪鬼どももめったに姿を現さんし、まあ気になさんな」
「すまねえ。これから気をつける。――ところでワジェット」
「ん?」
「赤目ってのはともかく、旦那って呼び方だけはなんとかならねえかな? おれなんぞよりあんたのほうが人生経験ってやつを積んでるだろう? まあ、からかってんだったら話は別だけどな」

 背高の偉丈夫とも言えるミスティンキルの背丈は、四ラクを越すであろうか。ワジェットより頭半分ほど高い。体格も漁師のせがれらしく、浅黒い肌の腕や足はすらりとしていながらも鍛えられた強靱な筋肉がついている。彼の種族――ドゥローム――特有の切れ長の目と、縦に細い虹彩は、野生の猫や豹すらをも想起させる。
 そして――何かしらの畏怖を感じさせる、澄み渡った真紅の瞳。ミスティンキルには得体の知れない力が備わっているというのは、親族からも幼少期から言われ続けてきたこと。
 しかしながら同時に彼は、ようやく少年時代の域を脱したあたりの若者でしかない。また、ちやほやとおべっかを使われるほどにミスティンキルは身分が高いわけでもない。
「旦那って呼び方でいいんじゃねえかと思ってるんだけどよ。あんたが見た目若いからって、からかってるわけじゃねえ。銀髪の嬢ちゃんから昨日はじめて聞いたんだが、あんたは今年で五十歳だっていうじゃねえか」
 ミスティンキルは頷いた。
「けれどおれは、まだ成人したばかりだ」
「知ってる。旦那が成人する記念にこうして旅をしてるって事もな。けど……俺の村では、年上の人間は敬うものだって教えられてきた」
 ワジェットは続けて言う。
「俺はこう見えてもまだ三十二になったばかりだ。赤目の旦那、あんたよりずっと年下なんだぜ?」

 五十という歳はドゥロームにとっては一つの節目である。それは成人すること。
 ミスティンキルが故郷の島を離れてはや九ヶ月、はるばる龍人の聖地にまで旅をしてきたのも成人になるという名目があったからだ、実際にはこの旅は自分の意志にそぐわないものであり、成人というのは旅の表向きの言い訳でしかないのだが。
「そんなこと言ったら、あんたたち旅商が“銀髪の嬢ちゃん”と言ってるウィムだけど。……あいつは五十五だぜ?」
「何い?! 俺のお袋と、そう歳が変わらないってのかよ?! あの娘が?」
 予想していた通りの反応だったために、思わずミスティンキルは、にやりと笑った。
「おれたちドゥロームも、あいつの種族も寿命はさして変わらないって聞いてるからな。実のところはウィムだって、成人して間もないらしいけどな」
 ミスティンキルにそう言われても、歳の離れた妹のように捉えていたはずの人間が、じつは自分よりも年上だった事実はワジェットにとってやはり衝撃が大きかったようである。
「俺は長いことドゥローム相手にも商売をやってるから、あんたが実際は俺より年上かもしれないってのは想像がついたけど……アイバーフィンにお目にかかったのは今回がはじめてだったんだよなあ……そうかぁ、五十五かあ」
「……まあいいや。おれたちの呼び方自体は、あんたたちが今まで呼んでたとおりで構わねえよ。ウィムもおれと同じ意見だろうし。けど、あんましあいつの前で歳を話題にしないほうがいいけどな」
 先ほどと立場が逆転し、やや気落ちして肩を落とすワジェットを今度はミスティンキルが慰めることとなった。

「そういやさ、あんたがおれんところに来たってのは何でなんだ?」
 言われて、ワジェットは本来の目的を思い出した。
「ああそうだ! 朝飯が出来たってんでこっちまで知らせに来てやったら、旦那がぐうすかと心地よさそうに寝てたんだったよな。仕事ほっぽってよ!」
 ワジェットの言葉は明らかな軽口。ミスティンキルは笑いながらも肩をすくめてみせた。
「ああ、悪かったって。ウィムは何してるんだ?」
 この場所から少し離れたところにある旅商達の天幕からは、朝げの煙が立ち上っている。しかしミスティンキルの旅の相棒であり心を許せる恋人――銀髪の娘、ウィムリーフはどうやら今朝の炊事に携わっていないようだ。
「嬢ちゃんは……ほら、空飛んでるよ。久しぶりに緑の草原が見れて嬉しいんだろうな。髪を染めちまったことの気晴らしってのもあるんだろうけどな。……まあもうじき降りてくるだろうさ」
 ワジェットが指さした方向――すぐ真上の空にはウィムリーフがいた。まるで鳶《トビ》が滑空をする時のように、両の手を広げてゆっくりと漂っている。彼女の背中からは時折、かすかに光が放たれる。その様は彼女の均整のとれたすらりとした体に相まって、まるで翼をまとった天の使いであるかのよう。眼下に広がる丘陵地と、南に連なる山々。その光景とはさぞかし心地のいいものなのだろう。
「さあ、飯を食いに行こうぜ。腹ごなしが終わったら出発だ! 三週間が過ぎちまったけど、もうあと一週間の辛抱だ。そしたら旦那たちの目的地、デュンサアル山に着くからな!」
 ワジェットはそそくさと旅商の天幕へと向かう。ミスティンキルもまた、天を舞う娘に声をかけたあと、護衛用の槍を片手にして朝食の場へ向かっていった。


◆◆◆◆


 アリューザ・ガルドに住む人間は大きく四つの種族に分けられる。短命なバイラル族が国家を興し、アリューザ・ガルド全土に渡って勢力を誇る中、他の三種族は慎ましやかに暮らしていた。
 ドゥローム族もまたしかり。
 アリューザ・ガルドにおいて彼らは炎の加護を受ける人間である。彼らは長命種であり、短命なバイラル族が三世代を終える頃に、ようやくドゥロームの一世代が黄泉へ向かう眠りにつく。
 炎の界への試練に赴き、“炎の司”として認められたドゥロームは龍の翼をその背に得る。この翼は物質的な存在ではないため、アリューザ・ガルドでは目にすることが出来ない。
 なにより、彼らの特徴として特記すべきは龍化。おのが持つ力を龍王イリリエンに認められれば、その身体を龍と化すことが出来るのだ。ただし、今までの歴史の中でも、龍となれたドゥロームはごく少数に限られているというが。

 故郷から体よく追い払われたミスティンキルが目指しているのは、ドゥロームの聖地デュンサアル山である。炎の界との繋がりが最も密接とされているこの地から炎の界へと赴き、“炎の司”の資格を手に入れること。これこそがミスティンキルが望むことであった。自分を追いやった親族に対する、彼なりの復讐でもある。


◆◆◆◆


 ミスティンキルはもともと、アリューザ・ガルド南部、ラディキア群島のとある小島の出身である。彼の父は、その海域をなわばりとする漁師の長であり、ミスティンキルは次男として生まれた。
 “ミスティンキル”とは古い言葉で「まったき赤」の意であるという。持って生まれた真紅の瞳から付けられた名だ。
 瞳に宿す赤は美しく、深い。その瞳がすべてを見通すかのように澄み渡っているようにすら見受けられたので、得体の知れない力を秘めているのではないかと両親は期待し、また畏《おそ》れた。
 体格に恵まれたミスティンキルは父親の漁の仕事もよく手伝い、時として父親以上の釣果をあげることすらあったし、近所の島に住むバイラルの若者達とも親しく、彼らからよく大陸の華やかさを聞かされていた。

 だが、少年期も過ぎ去ろうとしていた頃に持ち上がったのが跡継ぎの問題である。ミスティンキルの兄は、ミスティンキル以上に両親の寵愛を受けていたが、こと漁の腕前に関してはミスティンキルのほうが一枚上手であった。
 バイラルの漁師仲間はミスティンキルをぜひ跡継ぎにと両親に推したが、ミスティンキルの親族とさらには両親までもがこぞって異を唱えた。あくまで後を継ぐのは長子である、と彼らは主張したのだ。
 ドゥロームの言い分はいちおう筋が通るものであり、ミスティンキルを推す漁師達も渋々納得したため、次期首領には兄がおさまることになった。しかしなによりドゥローム達はミスティンキルに内在する底知れぬ力を恐れたのだ。
 ミスティンキルは波止場で商売をするまじない師のように、魔法らしきものが使えていたのだ。それも、呪文の詠唱すらせずに。

 大きすぎる力は時として災いを呼び寄せるという。
 事実、歴史上においても力に魅せられたゆえに災禍を招いた例というのは数知れない。
 大いなる力を秘めた若者は、その力ゆえに徐々に疎んじられるようになっていった。成人も間近に迫った頃、ミスティンキルはついに、生まれ育った島をあとにすることを決意する。後継者候補であった自分がいなくなれば漁師同士の密やかな確執も無くなるだろう。何より親族が自分に対して向ける羨望や畏れ、特殊な者として仲間はずれにしようというような冷酷な雰囲気が堪えた。
 別れの晩餐はひっそりと、数人のドゥロームの友人とバイラルの漁師仲間によって催され、明くる朝ミスティンキルは西方大陸《エヴェルク》へと向かう船に乗り込んだのだった。両親から餞別として贈られたのはなんの皮肉だったろうか。ミスティンキルの瞳の色――赤く染まったそれは、ラディキア特産の赤水晶《クィル・バラン》であった。これを売ればどこでも土地を得て暮らしていくには十分すぎるほどの額を得るだろう。しかし、波止場には親族はもちろんのこと、兄も両親もついに姿を見せなかった。
(あんたたちが疎んじた力とやらを、おれは自分自身のものとしてやる! 龍にだってなってやるさ! そうして龍と化したおれの姿を見せつけてやるんだ!)
 船上、徐々に霞んでいく故郷の島を見ながらミスティンキルはそう決意したのだった。

 彼が目指すは、ドゥロームの聖地デュンサアル山。
 たとえ龍にはなれずとも“炎の司”の称号を得れば、ドゥロームとして高い地位を確立することになる。冷ややかな態度をとり続けた親族も、今度は一転してへつらうようになるだろう。それは大した見物《みもの》に違いない。ミスティンキルはもはや故郷に戻る気をとうに無くしていたものの、彼らの豹変した滑稽きわまりない姿だけは見てみたかったのだ。


 故郷ラディキア群島からエヴェルク大陸へ。さらに海を越してユードフェンリル大陸に至り――旅をはじめてから九ヶ月を経た今、ミスティンキルの目的地は間近に迫っているのだ。



(三)

 目に見えない翼を時折はためかせながら、ウィムリーフは優雅に空を舞っていた。昨日、仕方なく黒く染めてしまった自慢の髪のことも、空の心地よさが忘れさせてくれる。

 どこを向いても乾ききった大地がうんざりするほど広がっていたザルノエムの荒野とは違い、この丘には豊かな緑があり、雄大な山々が連なっている。その景色は彼女の生まれ故郷をも連想させ、郷愁の念すら感じさせるものであった。
 荒野では、冷たい風がいまだ強く吹き荒れていたため、なかなか空を飛ぶことが叶わなかった彼女であるが、今はこうして丘陵地帯の穏やかな風を受けながら空を漂っている。何も遮るものが無く、自由に飛び回ることが出来るというのは、本当に楽しいことだ。この格別な思いをミスティンキルと分かち合いたいと彼女は考えていた。ミスティンキルが“炎の司”となり龍の翼を得れば、二人は共に空を飛び回ることが出来るのだから。
 彼が受ける試練は、おそらく生半可なものではないのだろうが、力を持つミスティンキルなら難なく成し遂げるだろう事を彼女は予感していた。赤い瞳の彼が膨大な力を有していることに、ウィムリーフは感づいていたから。自身が多大な力を有するからこそ分かる、相手の力の大きさ。そう、彼女もまた大きな力を秘める者なのだ。


◆◆◆◆


 彼女の種族であるアイバーフィンは、“翼の民”の名で知られるように、風の加護を受ける人間である。主として西方大陸《エヴェルク》の北部に住む彼らは美しい銀髪を持ち、龍人ドゥローム同様に長命種である。
 また、風の界にて試練を乗り越えれば“風を司る者”として認められ、その背に翼を得るのだ。この翼は鳥の羽に似た形をしているらしいが、本来は物質的な存在ではないために、アリューザ・ガルドでは目にすることが出来ない。そのかわり、アイバーフィンが翼をはためかせて空を舞うときには、背中から時折光がほとばしるのを目にする事がある。

 ウィムリーフは生まれたときすでに翼を有しており、しかも風を自在に操る“風の司”でもあったのだ。それはアイバーフィンの中でも極めて稀である。おそらく出生に依るところが大きいのだろう、と彼女の両親は言っていた。ウィムリーフの祖父祖母の血筋が、彼女の代になって突如あらわれたのだろう。彼女の血統については、ミスティンキルにすらまだ明らかにしていなかった。彼にだけはいずれ近いうちに話すことにしようと、ウィムリーフは心に決めていた。

 すぐ真下から、ミスティンキルの低いながらもよく通る声が響く。自分の名を呼んでいることに気付いたウィムリーフは、にこやかに手を振って応える。対する彼は表情を現さないまま商人達が集う天幕を指さし、そのまま槍を片手にすたすたと歩いていってしまった。食事が出来ている、と言いたかったのだろう。そのぶっきらぼうな態度も最初は横柄にしか映らなかったものだが、五ヶ月近くもの間、彼と共に過ごしているうちに、いつの間にか不思議と嫌いではなくなっていた。
「まったく、あたしもなんであんな無愛想なやつとつるんでるのかしらね?」
 彼の後ろ姿を見ながら苦笑するものの、その無愛想な人間と共にいることが今となっては楽しいのだ。出会った当初は、彼女の冒険に対する好奇心を奮起させてくれる打ってつけの目的地――デュンサアル――へと向かう若者としか捉えていなかったというのに、不思議なものだ。

 これから先の行程は、日記に記す事柄もさぞかし多くなってくるだろう。うまくいけばミスティンキルと共に炎の界を見ることが出来るかもしれない。
 「炎の界“デ・イグ”への冒険記」――なんと胸おどる表題だろうか!
 冒険家たる彼女は、この旅が終わったら故郷に戻って日記をまとめるつもりなのだ。かの冒険家テルタージがそうしていたように、自分もこの旅を記録に残し、後世の人々の役に立てたい、と願っていた。また幼い頃の自分がそうだったように、本を読んだ人が好奇心に駆られ、魅入られたように次々と頁をめくり冒険行に没頭していき、最後になんとも言えぬ喜びを得て明日からの生活を希望を持って臨むようになる――そのような人の心に触れる冒険記を残していく事こそが、自分が心からやりたい事なのだ。


◆◆◆◆


 ミスティンキルから呼ばれたあとも、ウィムリーフはしばし空の散歩を楽しんでいた。しかしあの朴訥な若者は、ひょっとしたら彼女が降りてくるのを待ってくれているのかもしれない。彼女はそう思い、翼をいつものように大きく広げながらゆっくりと着地しようとした――。

「――え?」
 それは予想し得ぬ落下だった。彼女の翼は突如として揚力を失い、まるで翼をもがれた鳥のように彼女の体は急降下したのだ。
 とっさに周囲にいる風の精霊に語りかけ、次の瞬間にはなんとか体勢を持ち直したものの、彼女の背中からは一瞬だけ、翼の力が消え失せたのが明らかだった。
 生まれながらにして翼を持つウィムリーフにとって、翼を操るのは瞬きをするのと同じくらい当たり前の動作であり、間違えようがないはずなのだ。その自分がなぜ今、翼を操れなかったのだろうか?
 翼は目に見えないし、触わることすら出来ないのは分かっていながらも、ウィムリーフは不安げに後ろを見ながら手を背中にあてがう。翼がきらりと光るのを見て、ようやく彼女は安堵して再び降下をはじめた。

 降りる最中、あらためて注意深く周囲を見渡すが――ふと彼女の感性に訴えてくるものがあった。
 はたして山々の稜線というのはこんなにも薄ぼけて見えるものだったろうか? 空の色や草の緑すらもどことなく色あせて見えるのは、果たして気のせいなのか? 今し方までは思いに耽るあまり、注視していなかった景色が、どこかしら普段と違って見えていることに気付いたのだ。
 何も知らない旅人であれば、ユードフェンリル大陸のみが持つ独特の色合いだと説明されれば納得するかもしれない。が、彼女は冬の四ヶ月もの間、ミスティンキルと共にこの大陸に逗留していたのだ。そのようなことがあろうはずはない。このくすんだ色合いは、世界そのものに異変が起こりつつある兆しではないだろうか。冒険家として彼女はそう直感した。



(四)

 この朝、ミスティンキルは穀物商人達と朝げを共にしており、湯気の立つ麦粥を食らっていた。そして商人から麦酒の入った木杯を受け取ったとき、ウィムリーフが顔を覗かせた。
 途端、ウィムリーフの顔があきれ顔になる。
「なあにミスト、朝から酒なんて飲んじゃってさ。酔いつぶれてもあたしは知らない……あ……」
 当のミスティンキルは、ウィムリーフの言葉を最後まで聞かずに、麦酒を一気にあおり、心地よさそうに息をついた。
「ようウィム。そうカッカすんなって。ここに来てけっこう寒くなってきてるだろ。だけどこいつを一杯飲めば体が温まるんだぜぇ?」
 悪びれもせずに言ってのけるミスティンキルに、ウィムリーフは肩を落として見せた。普段のやりとりから考えても、彼女がそんなに怒っているふうではなさそうなので、ミスティンキルはそれ以上何も言わずに隣の場所を指さした。ウィムリーフは彼の横に腰掛ける。
 商人達はウィムリーフにも酒をすすめる。が、彼女はやんわりと断った。
「いいですよ、あたしは。ご飯を食べに来ただけなんだから」
「ありゃ、そいつは残念」商人の一人がおどけてみせる。
「ミストも、今朝はそれ一杯だけにしとくのよ?」
 とミスティンキルに釘を差し、ウィムリーフは粥をよそおうとした。
 しかし先ほどからミスティンキルが自分を――正確には自分の髪を注視しているのが気になり、やや不安そうな面もちでミスティンキルを見た。座った状態でミスティンキルのほうが彼女より頭半分ほど高いため、見上げるかたちになる。
「なに?」
「けっこう馴染んできたんじゃないかって。その髪の色」
 その言葉を聞いた途端、彼女の顔がやや渋った。襟首までの髪の毛を目の前まで持ってくると眉にしわを寄せて唸るのだった。
「……うーん……けっこうあたしも気になってるのよねぇ……」
 商人が彼女の分の粥をよそったのにも気付かず、ウィムリーフは自分の髪にじいっと見入っていた。
 彼女は、光を放つかのような見事な銀髪を昨晩、黒く染め上げたのだ。
 黒い髪はまるでバイラルの一氏族、カラカ・ダーナびとのよう。さすがに群青の瞳まで黒く染め抜くことは出来なかったものの、端から見て彼女のことをアイバーフィンだと気付く者はまずいないだろう。

 “デュンサアルに住むドゥロームは、アイバーフィンを快く思っていない。”
 旅の途中で彼女は何回かこの言葉を耳にしていたが、商人達からあらためてその言葉を聞いていた。実際に彼らと商売をしている商人達の言葉だけに聞きおけない。ドゥローム達の領域に入る前に、仕方なく彼女は自慢の髪を染めることにしたのだ。
 ――遙かな昔のこと。ドゥロームとアイバーフィンは翼を持つ者同士、空の領有を巡って争ったことがあると伝えられている。そのような遺恨など、歴史の激流の中にとうに埋もれて消え去っていたものとウィムリーフは考えていた。さらに当のドゥロームであるミスティンキルですらも。
 しかし、古くから聖地に住みつづけていたドゥローム達の考え方はどうやら違うらしい。特に聖地近くに居を構える“司の長”達は、商人達の言葉を借りると「考えが古い連中」なのだ。

「嬢ちゃんが銀髪のままでも、さすがに理由も無しに命を狙われるってことはないだろうけどね。なんにせよ、あんたらにとっちゃあそこは、はじめて足を踏み入れる場所だ。それにアイバーフィンはウィムリーフ、あんた一人だけで、あとはみんなドゥロームだ。なにが起こるか分からないから、念を入れておくに越したことはないよ。……それにさ、その髪だって似合ってるじゃないか。それに相変わらずかわいいよ。あたしが男だったら必死で口説きにかかってるもの」
 ウィムリーフを慰めるように、女商人が言った。
「……そうかな?」
「そう! あとは……ほら、そこでもう一杯飲もうとしてる旦那、ほんとはこういうことは、まず最初にあんたから言わなくちゃ!」

 ウィムリーフが髪の毛に魅入ってる隙をついて、密かに酒をつごうとしていたところを見とがめられたミスティンキルは、酒瓶をもとの場所に戻す。しかし、やはりウィムリーフからは小突かれた。
「痛ぇっ……。まあ、そうだな。似合ってんじゃねえか?」
 小突かれた脇腹を押さえつつ、いかにもぶっきらぼうに言ってのける。
 が、その感情を抑えた口調は、単なる照れ隠しに過ぎないことはウィムリーフには分かってしまっているだろう。
「それに黒く染めてるのもデュンサアルにいる間だけだ。ちょっとの間、辛抱してくれ」
「……ありがとう。まあ誰かに狙われたって、飛んじゃえばこっちのもんよ! それに、いざとなったらあたしのブーメランで蹴散らしちゃうしね!」
「はっは……ちがいねえ。嬢ちゃんのブーメランは百発百中だもんな。昨日の晩飯の見事な鹿肉! あの鹿だって嬢ちゃんが空から狙いをつけて倒したんだぜ……」
 そうして再び会話が弾んでいき、朝げの場は和やかな雰囲気に包まれていった。もう半刻もすればこの歓談の時間は終わり、再び旅がはじまる。


 ウィムリーフは商人達には語らなかったものの、ミスティンキルには自分の不安をそっと打ち明けた。色の異変のこと、そして翼の力が一瞬失せたことを。
 最初はミスティンキルも朝もやのせいだろうと考えていたのだが、言われてみれば空はからっと晴れ上がっているのに色がくすんで見えるのはなぜなのだろうか、という疑念に駆られはじめた。それと、ウィムリーフの翼が一瞬力を失ったというのに関係があるのか?
「大丈夫だろうよ、ウィム。なんとも言えない……変な感じだけどな。すぐにもとに戻るさ」
 相棒を不安に陥れないようにと、彼なりに注意を払いながらミスティンキルは言った。
「そう……デュンサアルの“司の長”たちだったら、なんかしら知ってんだろう。デュンサアルに着いたらすぐ、おれは訊いてみる」
 昼過ぎになって天候は一変し、濃い霧が立ちこめはじめたため周囲の景色は見えなくなった。しかし色が見えないという事が、かえってミスティンキルとウィムリーフを不安にさせた。


◆◆◆◆


 そして、彼らのひそかな不安は的中した。
 エマクを登りだしてから二日目には、景色の見え方が普通と違っていることに、全ての者が感づいていた。
 晴れ渡っているというのにも関わらず、山々はまるで霞がかかったように薄ぼけて見える。また草木が萌えるこの季節、エマクの草原は若々しい緑で満たされるはずなのに、自分達が目にしているのは灰ですすけたような色あせた緑でしかない。さらには紺碧であるはずの空すらも、くすんで見える。


 アリューザ・ガルドから、色の持つ艶やかさが徐々に失われようとしていたのだ――。

(一)

 自然の景色がおしなべて色あせて見えるのに対し、旅ゆく商人達の姿や衣服などは以前と何ら変わらなかった。雲一つない灰色の空から注ぐのは、太陽の鈍い光。それは春の暖かな陽光とはほど遠く、むしろ薄ら寒さすら感じさせる。

 くすんだ色合いの風景の中にあって、自分達の輪郭がやけにくっきりと見えるというのは不自然きわまりない。景色が変容してから二日ほど、商人達は声高らかにこの不気味さを言い合い、またそうすることで自分達の不安をうち消し合っていた。だが、三日目が過ぎ、風景の様子がいまだに戻らないことに、いよいよ恐怖を覚えた商人達は言葉数も少なくなり、黙々と丘陵地を登っていくようになった。
 ともすれば陰鬱になりがちな商人達を励ましたのは、明るさを失わないウィムリーフであり、音楽を奏でる旅芸人達であった。さらには愛想が悪いなりにミスティンキルも、しきりに商人達に声をかけるようになっていた。ミスティンキルの生まれは海のそばであるが、もともとドゥロームというものは山に居を構え空を友としていた人間である。今こうして山々に囲まれた高地にいること自体がミスティンキルの心を落ち着かせるのだ。
 周囲の山岳地帯の至るところにドゥロームの村落がある。この日は空を滑空して狩りをする住民をときおり見かけることがあったが、次の日からはぱったり見なくなった。


 エマクの丘を登りはじめて六日目、翌日にはデュンサアルに着くという日のこと。旅商達は道行く葬列に遭遇した。このあたりにしては大規模な葬儀だ。彼らは百人をゆうに越えており、三百名ほどにも達するかと思われた。葬儀に参加する者達はみな一様に赤い長衣をまとっていた。猛々しく立ち上る炎を象った刺繍が施された赤い衣装こそが、ドゥロームの正装である。葬列の衆は松明を手にしており、そこからは色あせた炎がちろちろと弱々しく、くすぶっていた。
 ミスティンキルは旅商の列から離れ、彼らの一人に声をかけてみた。
「なんだ、よそ者か? あんた」
 その男はミスティンキルの言葉遣い――抑揚の違いを訝しんでいるようであった。そしてなにより、赤い瞳も。
 ミスティンキルは男の物言いに憤りを感じたものの、死者の手前もあり怒りを収めた。
「……ああ、おれはラディキアの島からやって来た。ここに来るまで九ヶ月だ。……人が亡くなったのか。……ニーメルナフの力もて、汚れ亡き魂が、無事にかの地にて安らぎをえんことを」
 ミスティンキルの言葉は、死者の魂の冥福を祈る言葉。男は礼を述べると、死者のことを語りだした。
 棺の中にて眠るのは老夫婦。“炎の司”であり、この近くの村の長でもあった彼らは既に二百の齢を重ねていたが、残念なことに寿命による往生ではなかった。腕のいい狩人でもあった夫婦は昨日、普段どおり獲物を狙っていたが、どうあやまったのか二人共に空から落ちてしまったのだという。
「あれほどの名手が翼をいきなりたたむなんて考えられんし……この景色の不気味な色合いのせいだろう、と考えるほかない。まったく、この“色”は何なんだろうな? これこそ、なんかしらの呪いなのかもしれないと、俺たちは思っているんだが」
 男はそう言ってやりきれなさそうにかぶりを振る。
「おれたちもこの“色”には心底まいってるんだ」
 ミスティンキルは言った。お互いの抱いた第一印象から抜け出すことが出来ず、会話はいまだにどこかしらぎこちないものとなっている。
「……おれはこれからデュンサアルに行く。“炎の界”で試練を受けるために。ついでに、景色がくすんで見えることについて“司の長”たちに聞いてみようと思ってる。おれたちには分からない何かを、ひょっとしたら知ってるかもしれないしな」
「試練を受けるのならば、ぜひとも長たちには会うべきだろう。だが、俺も先ほどあんたに対して失礼を言ったが、デュンサアルの長たちも同じような事を言うかもしれん。こう言うのも何だが、海に住むドゥロームはドゥロームではないとすら考えているようだからな」
 離れゆく葬列に気付いた男は最後に「試練の成功を龍王様に祈る」と言い残して、ミスティンキルと別れた。
(あいつ、気に入らねえな。はなからよそ者扱いしやがって。でも長の連中ってのは、もっと気に入らねえかもな)

 ミスティンキルは隊商の列に戻った。憤りながらも彼は別のことを同時に考えていた。景色のくすんだ色合いは、世界そのものに何らかの影響を及ぼしているのだ、と確信したのだ。
 こういった考えに至る人間は数少ない。本当に偉大な魔法使い――魔導師とは、術を発動させる際にいつも、世界の運行そのものを視野に入れているものなのだ。しかし、今の世の中に魔導師と呼べる人間など皆無であろう。
 本人は未だ自覚していないものの、ミスティンキルはやはり生まれながらにして魔法使いの才覚を持っていた。


◆◆◆◆


 この夜、ミスティンキルは久々に護衛の任に就いた。深夜には満天に星々が瞬くものの、それはむしろ彼の心をかき乱す。夜の星々や月さえもが弱々しく光るように見えてならなかったからである。
 今日までであれば、高地にいること自体が彼の心をいくらか救ってくれていた。色はくすんだとはいえ、澄んだ空気と山々の雄大さは変わることがない。しかし昼間の葬列を見て以来、色あせた景色を見ること自体に嫌気が差していた。

「……眠っといたほうがいいんじゃねえのか?」
 ミスティンキルは後ろの気配に対して声をかけた。
「へえ、あたしだって分かった?」
 ミスティンキルは言葉に出さず小さく頷いた。ウィムリーフの体内に有する“力”が彼自身の“力”と共鳴するのか、これはウィムリーフの気配である、と分かってしまうのだ。
 また、彼女が今夜ここに来るだろうことを何とはなしに予感していた。このところ気丈に振る舞ってみせるウィムリーフだが、それは空元気に過ぎないことをミスティンキルは気付いている。またウィムリーフも、寡黙な若者が抱えている不安を知っている。だから彼らは今、こうしてたたずんでいるのだろう。自分を、そしてお互いを安心させるために。
「なんか……眠くなくなっちゃってさ。暇つぶしがてら、あんたのとこに来てあげたわけ。感謝なさい?」
 ほんの少しとはいえミスティンキルより年上の彼女は、ときおり彼に対して姉のように振る舞うことがある。当初は小やかましくも感じられたものだったが、五ヶ月の共同生活の中でミスティンキルも次第に慣れていた。
「……勝手にしろよ」
 といつものように素っ気なく言う。

 暖をとる炎と向かい合う彼らだが、火の色すらもあせている。この不自然な色合いを避けるようにするうち、二人はお互いの顔を見合わせるようになっていた。
「今日までの日誌をつけるのはまだ楽だったけど、明日からは日誌に書くことがもっと多くなりそうで大変かもね。でもはじめて見るドゥロームの聖地だもの。しっかりと目に焼き付けておかなきゃ!」
「……色のこと、やっぱり不安か?」
 口数の少ないこの若者は、前ふりをおかずに核心から話し始めることがままある。話を中断させられるかっこうとなったウィムリーフは苦笑をしつつ、彼の言葉に頷いた。
「うん。疲れるのよねぇ……。無理してがんばって見せてるっていうの、自分でも分かっちゃうから。気晴らしに飛んでやりたいところだけど、それをやっちゃったらせっかく髪を染めてる意味が無くなっちゃうし、それに……落ちるのは怖いし」
 ウィムリーフは明らかに、自分の翼が失われることを恐れている。ミスティンキルは彼女の肩をそっと抱くと、彼女の顔のそばで言った。
「……ウィムの力が無くなったわけじゃないだろ。これはおれの勘だけどな、色がおかしくなったことで自然の力が弱まってんじゃないかと思ってるんだ。……見ろよ。この火だって、これだけ薪を入れてるってのにたいして暖かくならねえ。じゃあ風の力はどうだ?」
「……そうね。風の流れ方が明らかにおかしくなってる。流れ方が遅くなっているというか滞ってるというか……」
 風の司でもあるアイバーフィンの娘は即座に答えた。
「な? おかしくなってんのは自然の力だ。あの時、翼が消えたのだってお前のせいじゃない。そこは安心しろよ」
 少々強引なこじつけであることが自分自身でも分かっていながら、ミスティンキルは言ってのけた。ウィムリーフの不安を追い払ってやりたい一心から。
「へええ」
 対するウィムリーフは、ミスティンキルの考察を見事と思ったのか、感嘆を漏らした。
「大したもんね、ミスト。そういう言い方、安心するわ……ずうっと昔、魔導師たちがいた頃の魔法学の講義を聴いてるみたいね。ひょっとしたらあんた、魔法使いとして食べていけるんじゃない?」
 ミスティンキルは笑った。
「馬鹿を言えよ。今いる魔法使いなんて、いんちきなまじない師と変わりねえだろう? そんなうさんくさいもんになるつもりはないね。おれには漁師のほうが向いてる……それに今のおれは“炎の界”のことしか頭にないんだ」
「“炎の界《デ・イグ》”での試練ね……どういったことをするのか、あたしも見てみたいな。冒険家のたまごとしては、すごく興味あるもの」
「やっぱり、ウィムも行きたい、か……」
 ウィムリーフは力強く頷いた。
 彼女が自分と一緒に“炎の界”に行きたがっているという事は前にも聞いたことがあるが、彼自身連れて行っていいものだか見当がつきかねた。ウィムリーフがついていてくれれば自分の心が安らぐし、彼自身としてはついてきて欲しかった。だが、アリューザ・ガルドとは全く様相を異にする世界へと連れて行くことは問題にならないだろうか。火に属する自分はともかく、風に属するアイバーフィンを果たして“炎の界”が受け入れてくれるのだろうか。なにより、デュンサアルの住民に見とがめられたらどうするのか。
「まあ、“デ・イグ”への入り方が分かるのはドゥロームだけなんだし。無理な話だと思ってるんだけどね……いつものあたしだったらごり押ししてただろうけどさ。……忘れてくれてもいいよ」
「悪いな。今のおれからはなんとも言うことができねえ」

 その後、二人は鈍く光る陽光が東の空を薄紅色に染めるまでの間、語り合った。商人達のこと。二人が歩んできた旅のこと。昔の自分のことなど。
 ミスティンキルとウィムリーフが出会ったのは五ヶ月ほど前のこと。西方大陸《エヴェルク》から東方大陸《ユードフェンリル》へ渡る途中の島で、ごく小さな出来事をきっかけに知り合い、以来行動を共にするようになっている。
 話し込むうちに眠気はもちろんのこと、いつしか不安は吹き飛んでいた。ミスティンキルにとってウィムリーフは、かけがえのない女性になっている。ウィムリーフもまた、同じようなことを考えているのだろう。種族の違いなど、もはや些細なことにしか過ぎない。


◆◆◆◆


 明くる日、やや急な斜面を登りきると、それまで左右に迫っていた大きな岩の壁も切れた。そして、望んでいた景色が広がる。この時、商人達にとっての旅はようやく終りをむかえた。そしてミスティンキル達にとっても。彼らはとうとう目的地にたどり着いたのだ。

 “炎の界”に最も近いとされるドゥロームの聖地デュンサアルをはじめに見たとき、ミスティンキルは少なからず落胆した。聖地と言うからには、アルトツァーン王国の王都ほどでないにせよ、地方の小都市ほどの華やかさくらいは持ち合わせているのだろう。もしくはまるで神殿のように、象徴たる炎が柱をかたどり、その柱が赤々と辺り一面を取り巻いているのかもしれない。そんな彼の想像とはおよそかけ離れていたのだ。
 拍子抜けしたのは彼だけではなく、ウィムリーフもまた同様であったろう。
「本当にここがデュンサアルなの? 聖地なの?」
 と、商人に念を押して訊いていた。

 森と山々とに守られた小さな盆地。素朴で閑静な村。それがデュンサアルだった。
 平地と呼べる場所はごく限られていたものの、そこには客を迎えるための宿や酒場といった施設が、質素ながらもあった。
 低いながらも急峻な岩山の斜面のそこかしこにへばりつくようにして、堅牢な石造りの家々が密集している。それらの集落からさらに上を見ると、山の頂に近いところにやや小綺麗な建物の集まりがあった。それが、“司の長”達が住む地域なのだろう。
 目指すデュンサアル山は――岩山同士を縫うように登っていき、その先にある平原を越えたところに存在している。山そのものは高くはないものの、どっしりと構えた雄大な姿は聖地として相応しいものだった。この山のどこかに、“炎の界”へと通じる門が存在するのだ。
(はやいとこ、炎の界――“デ・イグ”に行ってみたい!)
 ミスティンキルは、はやる気持ちを抑えながら、商人達と、そしてウィムリーフと共に旅籠へと向かう。夜を徹したこともあり、ウィムリーフのまぶたは重そうである。
 ミスティンキル自身もかなり疲労がたまっていることを自覚していたが、それに勝る意思があった。旅籠で一息入れたあと、すぐにでも“司の長”達に会いにいくのだ。




(二)

 炎を象徴した赤い長衣。それがドゥロームの正装である。司の長達に会うにあたって、ウィムリーフがミスティンキルに半ば押しつけるように着させたのだ。長という立場の人間に会うのだから、身なりを整えるべきだというのが彼女の考えであった。一方のミスティンキル本人はわざわざ着替えることもないだろうと考えていたのだが、「しゃんとしなさい」という彼女の言葉に一蹴されてしまったのだった。

 こうして赤い衣を身にまとって旅籠をあとにしたミスティンキルは、宿の女主人から教えてもらったとおりの道を辿り、“司の長”達が住む地域の麓までやって来た。
 しかしながら、そこから長達の住まいがある岩山の頂きに到着するまでは、思った以上に時間がかかってしまった。傍目から見て大した高さではなさそうだったのだが、そう簡単に事は運ばなかったのだ。山の頂へと向かう小径は狭く、岩山の緩い斜面をあちらに行き、またこちらに戻るといったふうに、つづれ折となりながら延々と続いていた。
「やっぱり……ウィムに頼んで、ここまで運んでもらえばよかったよなぁ……ああ、でもあいつ、翼を使うのを怖がってたんだっけ……」
 山道を登っている最中、何度もミスティンキルは思ったものだ。空を舞う翼さえあれば、このような苦労をせずに済んだのだから。かつて海と共に暮らし、鍛え抜いた体を持っているミスティンキルではあるが、昨晩の護衛のために一睡もしていないこともあって、今や疲労の極致にあった。ウィムリーフの言葉どおり今夜一晩は旅籠でゆっくり休めば良かったのだ、と心の声は囁くが、ミスティンキル本人は依怙地に否定した。

 息を上がらせながら、やっとのことで山道を登りきったその時、鐘の音が山の麓から春の風に乗るようにして聞こえてきた。
 ミスティンキルが泊まっている地域で打ち鳴らされているそれは、一刻ごとに時を告げる鐘である。ミスティンキルと商人達がデュンサアルに到着した時分にも折しも、鐘が鳴っていたことから察すると、この山道を一刻ちかくに渡って登り続けたことになるのだろう。
 流れる汗のために顔にまとわりつく黒い髪が疎ましい。ミスティンキルは汗を拭いながら、自分が歩いてきた道を振り返った。ちょうど見下ろした位置には、自分達が滞在する集落の屋根が見えていた。そして家々からそう離れていない広場に見えるのが灰色にくすむ天幕。その周囲で動き回る小さな影は、商人達であろう。
 天幕が貝殻ほどに小さく見える場所まで、また引き返さなければならないのかと思うと、気が滅入りそうになるが、あえて忘れおくことにした。
「翼を持つ長の連中にとっちゃあ、こんな山の上に住んでても何の不便もねえってことかよ!」
 悪態をついても何にもならないが、もとから気に入らない長達のことがさらに憎たらしく思えるようになっていた。
(海のドゥロームなんてドゥロームじゃねえだと? アイバーフィンが嫌い? ……はん! 高いところから人を見下ろして、偉そうに暮らしてる奴らなら、そうも思うだろうよ!)
 面倒なことはすぐに済ますに限る。早く長達に会って、そして早くウィムのもとに帰ろう。
 そう思い、ミスティンキルは息を整えると、目の前に立ち並ぶ建物の中でもひときわ大きく目立つ館――“集いの館”へと向かっていった。

(注釈:一刻は約一時間半に相当。一日は十六の刻に分割される)


◆◆◆◆


 そして、再び鐘の音が流れる。
 館の柱の一つに背を預けて座り込んでいるうちに、さらに一刻が過ぎたことをミスティンキルは知らされた。弱々しく光を放つ太陽は、既に西へと傾きはじめ、屹立する山々に夕刻を告げようとしている。

 今のミスティンキルは、不愉快と焦燥感の固まりと化していた。なにせ長達のいる“集いの館”に着いたはいいが、館を前にして聞く鐘はこれで二回目なのだから。
 彼は待ちぼうけを食らっていた。
 ミスティンキルは舌打ちをして、右横にある扉を恨めしそうに見上げる。石造りの立派な扉には、炎を象った大層な意匠が施されてある。しかしながら扉は今も固く閉ざされ、向こう側から人が現れる気配は全く感じられない。あとどれほど待てばいいというのだろうか?
 ミスティンキルが最初に扉を叩いたとき、館の中から顔を覗かせた男が「ちょっと待ってくれ」と言ってから、まるまる一刻もの時間が過ぎてしまったのだ。
 彼は腕を大きく上にあげて伸びをしたあと、疲れと眠さのあまりくっつきそうになる瞼をごしごしとこすり、そして再び背を壁に預けて座り込む。腹立ち紛れに目の前の地面を叩いたところで、けっきょく彼の憤りは収まるはずもない。
 元来ミスティンキルは、けして気の長い性分ではなかったものの、待つことに関しては辛抱強く耐えられた。それは彼がまだ漁師のせがれとして暮らしていたとき、自然と身に染みついたものである。ラディキア沖で魚の群がやってくるまで二刻も三刻も待つことはざらだったからだ。

 しかし今、彼は苛立っていた。長達は「会議中である」として、いっこうに姿を現そうとしない。いい加減にしびれを切らしたミスティンキルは立ち上がると、“集いの館”の周りを大股で闊歩した。
 この館はバイラルの国々に見られるような、宮殿の華麗さや城塞の威圧感は持ち合わせていない。ほんのごく小さな地方の領主が住まうであろう程度の造りである。それでも、デュンサアルにある建造物の中にあっては豪奢といえた。それはデュンサアルに住むドゥローム達がおしなべて質素かつ堅実な生活を送っているからに他ならない。
 ミスティンキルはぐるりと一周を回ってみたものの、館の窓はいずれもカーテンがきっちり降ろされており、中の様子を伺い知ることはできなかった。

 会議の内容は間違いなく“褪せた色”の件についてであろう。宿の女主人に聞いていたところでは、「長様《おささま》たちの館では、かれこれ三日三晩も話し合いが続いている」という。しかし彼らはなんと長いこと話し合えば気が済むというのだろう。ラディキアの漁師達も寄り合いをすることがあるが、長くても一刻以上はかからない。最後には決断権を持っている漁師の長の一声で決まるのだから。
(いまの事態が普通じゃねえってのは、おれにも想像がつくが。しかし、だらだらと話し合ったところで、答えなんか出るのかよ?)
 いくらなんでも休憩なしに会議を続行するわけはないだろう。
 ミスティンキルはそう思い、一刻前に取り次いでもらった龍人と話すために、扉を強めに叩いた。
 ややあって、中からくぐもった声が聞こえてきた。
〔誰だ?〕
 その言葉は、いまの世では滅多に使われなくなったドゥローム語。そしてこの声は、一刻前に言葉を交わしたドゥロームのものだ。
〔さっきの者……ミスティンキルです。あの、だいぶ前から待ってんだけど、会議が終わるのは、まだとうぶん時間がかかるんですかねえ?〕
 言葉を荒げながらミスティンキルは扉の向こう側に言った。

 しばしの沈黙のあと、扉がぎいっと音を立てて内側に開いた。扉から顔をのぞかせた者は青年のようであり、ミスティンキルよりやや年上である程度のようにもみえるが、その物腰から実際のところは相応の年を重ねたドゥロームであることが伺い知れる。彼はミスティンキルの頭からつま先までをじろじろと眺めた。長時間にわたる会議のためか、彼のやや虚ろとなった眼差しからは焦燥感が感じられた。
〔入れ。今ようやく俺達も休憩に入ったところだ。……お前の用向きは……何だ?〕
〔デ・イグに行って試練を受けたいのです〕
〔ならばついてくるがいい。俺はファンダークと言い、“司の長”の一人だ。お前を長たちに引き合わせよう。“デ・イグへ向かう者は炎を尊び、炎を司る者を尊べ。さすれば龍王の加護あらん”と、我らドゥロームの言うからには、な〕
 ミスティンキルは、その男に先導されて薄暗い玄関へと入っていった。
(長さまだか何だか知らんが、えらそうな口調をきくやつだ。だいたいおれの用件なんざ、一刻前もおんなじことを言ったじゃねえか。二度も言わせるなよ)
 と内心苛立ちながら。


◆◆◆◆


 会議室の扉が重々しい音を立てて両側に開けられた。
 大部屋を照らすのは、窓から入り込む弱い西日と、壁の燭台にたてられた幾本かのロウソクのみであり、やや薄暗かった。部屋の中央には円卓が置かれ、“司の長”と称される五人の龍人達が、卓を取り囲むようにして深々と座っていた。が、扉のそばに立つ見慣れぬ訪問者――ミスティンキルの姿を認めると、この訪問者へと視線は集中した。
 そのまとわりつくような視線を嫌うかのように、ミスティンキルは目を泳がせると、部屋の奥にあるものにふと目を留めた。そこには天上から吊され、床にまで届く大きな壁掛けが掛けられていたのだ。
 意匠もまた見事であり、真っ赤な躯を持ち大きく翼を広げている雄々しい龍を中心に据え、炎が龍のまわりを取り囲んでいる。この深紅の龍こそが龍王イリリエンに他ならない。炎の界“デ・イグ”を統べ、ドゥール・サウベレーンの頂点に立つ深紅の王。アリュゼルの神々によって人間達が創造されるよりさらに以前に、アリューザ・ガルドに顕現した最初の龍。イリリエンの力はディトゥア神族にも匹敵する。あるいはディトゥアより上位の神であるアリュゼル神族にすら肩を並べるかもしれない。かつて“黒き災厄の時代”に黒き神ザビュールが降臨した際にも、龍王は龍達の先陣を切って魔界に至り、忌まわしき冥王と相対したと言われている。

 そのイリリエンの壁掛けを背にするようにして腰掛ける老ドゥロームこそ、長の中でももっとも地位の高い者だろう。右奥、目を閉じて腕組みを崩さずにいる大男は、長老格の者よりもやや年若くもあるが、初老の域に達しているに違いない。そのほか、右手前には明らかに疲れ果てた表情をしている痩せた男、左奥のミスティンキルから目を離すことなく鋭い視線を投げかけている壮年の男と、同じくミスティンキルを見つめる左手前に座す男。彼らこそが、炎の事象にもっとも長じている“司の長”であった。
 ミスティンキルを案内してきた今一人の司の長――ファンダークも、もっとも手前の席に腰掛けると、扉を背にして棒のように突っ立ったったままのミスティンキルを一同に紹介した。
〔エツェントゥー老、それに皆さま方。……この若者は、試練を受けるためにデ・イグに行くそうです。その前に我ら”司の長”に挨拶したいとのことで、連れてまいりました〕
 エツェントゥーという名の長老は静かに頷いた。
〔我らを訪れたというのは賢明だな、若いの。そして我らもちょうど会議を休もうとしていたところで都合が良かったというものだ。さあ、名乗るがいい。そして、どこからやってきた?〕
 右前に座わる痩せた男が聞いてきた。
〔名はミスティンキル。ミスティンキル・グレスヴェンド。……ラディキアからやってきました〕

〔そうか、ラディキアか! ……はっは。あの海洋に浮かぶちっぽけな島のいずこかからお前は来たというわけだな?〕
 ミスティンキルの出身地を聞いた途端に笑い出したのは、右奥に腰掛ける初老の大男だった。歳を経たとはいえ戦士といっても差し支えない鍛えられた肉体を持つ偉丈夫は、豪快に笑った。
〔わざわざここデュンサアルを訪れ、試練を受けたいとはな。“ウォンゼ・パイエ”らにも、炎を尊ぶ心がまだ残っておるとは思わなんだ。ご大層にも我らドゥロームの真っ赤な正装で着飾りおって。俺はてっきり、海の者達の正装は、青――波打つ海を織り込んでいるものと思っていたぞ〕
 腕組みをしていたその男の言葉にはあからさまな侮蔑が込められていた。
〔ウォンゼ・パイエ……つまり、海蛇の落人《おちうど》だと?〕
 ミスティンキルは嫌悪の念をあらわにして、じろりとその男を見やった。

 海に住むドゥロームはドゥロームではない、と長は考えている――。

 事前にこの噂を聞いていただけに覚悟は出来ていたつもりだったが、こうして自分が実際に蔑みの言葉を浴びせられると、かあっと頭に血が上っていくのが分かる。
 男はミスティンキルの表情を気にも留めない様子で、さらに言葉を続けた。
〔さよう。龍でもない。海蛇よ。これはもう遠い昔のことであるが……我らドゥロームは、もともと翼を持ち、山を住まいとしていた龍の民であった。これくらいはお前でも知っていよう? しかし、鳥人達との戦いがあり、我らと鳥人は共に神の裁きを受けた。結果、我らの翼はもがれ、デ・イグでの試練を受けぬ限り、アリューザ・ガルドでは得難いものとなってしまった。翼を無くしたというのは、あの鳥人達も一緒だが……こともあろうにその後に連中はアイバーフィン、つまり“翼の民”であると名乗りおった。我らとて翼を持つ民であることには変わりないというのに……我らのことを差し置き、“翼の民”を名乗るとは、けしからん傲慢な連中よ! ……なあ、長の衆よ〕
 一同は、もっともだと言わんばかりに頷いた。男は言葉を続ける。
〔まあ、鳥人のことはさておいて、だ。……かの“天空の会戦”によって失われたのは翼のみにならなかった。アリューザ・ガルドとデ・イグとをつなぐ門をも我らは失ったのだ。その時から我らはもといた大地をあとにして、失われた門を再度見つけるために探求の放浪を続けた。そして長きに渡る流浪の末、とうとう新しい門を見つけたのだ。それがここ、龍人の聖地デュンサアルだ。門を見つけ、そしてここに住まうことを我らは誇りに思う。――だが、一部の者にとってはそうではなかったようだな。山への郷愁を忘れて放浪を止めてしまった者、海辺にて暮らす者。真摯な意志を捨てて安穏と暮らす落伍者……それがお前の祖先だ。海蛇の落人よ〕

 この言葉を聞いたとき、ミスティンキルは自分の抑えが効かなくなっていることに気付いた。そして気付いたときには既に言葉が出ていたのだった。
「落ちこぼれだと? おれたち海に住む者が?! ……このじじい、言わせておけば勝手なことを!」
 ミスティンキルは男に殴りかかろうとしたが、手前に座っていた長の二人に制止された。
「離してくれ! おれたちだって毎日一生懸命に働き、誇りをもって生活をしてるんだ!」
 ミスティンキルは強引に振り解こうとするがかなわなかった。
「なのに、あいつはおれを馬鹿にしやがったんだ! 許しておけねえ! それとも……あんたたちも所詮あいつと同じだっていうのか? そうなんだな? なんせ長の仲間うちだものなあ! おれのことなんざ、卑しいやつだって程度にしか考えてねえんだな?!」
 ミスティンキルは赤い瞳をめらめらと燃えたぎらせ、司の長達の顔を鋭くねめつけた。
〔……おまけに粗野ときたものだ。礼儀知らずめ。我ら長に対してよくそのような不敬な言葉をつかえるものだ。いや、ものをよく知らないと言うべきか?〕
 当の男はそしらぬ顔で肩をすくませるだけだった。
〔まあ、お前のドゥローム語は訛りがひどく、何を言っているのだか、我らには聞き取りづらいのだがな。ドゥロームの言葉よりも、バイラルの言葉をよく好んで話すようだ。所詮は気高き誇りをうち捨てた、海の者よ〕

 憎悪と怒りに包まれ、我を忘れそうになったその時。
 ミスティンキルは自分の中から何かが放たれたのを認知した。瞬時にして、彼の視界に広がるもの。それは霧のような赤い色だった。純粋なる赤い力、ミスティンキルが有する力の片鱗であった。
 彼自身が驚く間もないうちに、ミスティンキルのまわりを取り巻いていた赤い霧状のものは突如肥大化し、あたかもミスティンキルがそれを望んでいたかのように長達の姿をも飲み込んでしまった。




(三)

〔こやつ、もしや魔法使いか?〕
 ミスティンキルの動きを封じていた二人の司の長は、赤い色を解き放った若者に恐れを抱き、即座に手を離すと部屋の奥まで逃げ去った。
〔“術”を放とうというのか!〕
 奥の席に腰掛けていた二名の長達も、部屋を包む赤い色が尋常ならざる力を秘めているのを感じ取り、立ち上がった。司の長ほどの知識を持つ者であってすら、顕現した超常の現象を目の当たりにしてなすすべがない。ただ狼狽えるのみである。ある者は逃げまどい、ある者は怯えて机の下に隠れた。平然と落ち着き払った様子で椅子に腰掛けているのは、長老エツェントゥーただひとり。白い顎髭を蓄えた細身の老人は、ミスティンキルの力を見極めようとするかのように、正面から彼と対峙している。

 当のミスティンキルは呆然と立ちつくすのみ。自分の前には、恐れのあまり気高さをうち捨てた長達がいる。彼らの滑稽さをあざ笑ってやろうとも思うのだが、出来なかった。今のミスティンキルは内的思考に深くとらわれ、心は凪のように静まりかえっていたのだ。
(この赤い霧みたいなのは、なんなんだ? こんな……得体の知れないものがおれの体から出てくるなんて。ラディキアの親族達が忌み嫌っていた、おれ自身に秘められた“力”というのは、こいつなのか?)
(なぜ、こんなものが出てきたのか、それなら何となく分かっている。……抑えられないくらい、あのじじいを憎たらしく思ったからだ。あいつは……)
 ……気にくわねえ。
 そう思ったと同時に、色は鮮烈な紅色からどす黒い赤へと変貌した。この禍々しい赤は、ミスティンキル自身の憎悪の念をまとったものなのか。
 ふと気付くと、先ほど蔑みの言葉を放ったドゥロームが、苦悶の表情を浮かべて胸をかきむしりはじめているようだ。赤い色は明らかに、この長に対して力を流しているのがミスティンキルには分かる。

 その時、長老エツェントゥーはすくりと立ち上がると、ほっそりした老体からは想像できないほどの大声を放った。
〔そこまでだ! それから先は考えるでない! 赤目の若者よ、力を抑えるのだ!〕
 威厳に満ちた声が会議室に朗々と響き渡る。
 それを聞いたミスティンキルは、今まさに降りようとしていた内なる思考の深淵から、意識を戻した。
 彼が己を取り戻すのと同時に、忌まわしく濁った赤は徐々に小さくなっていき、色合いも鮮烈な赤へと戻っていく。ついに一点に凝縮した紅の光点は、矢のように鋭く放たれ、ミスティンキルの胸の中に埋まった。刹那、ミスティンキルの全身が赤く輝く。
 ミスティンキルは目を見開き、また、大きく息を吐く。流れる血潮の音すら聞き取れるほど、彼の鼓動は高まっていた。そして、今し方発動し、また取り込んだ得体の知れない力に対し、恐怖を覚えているのを知った。

 エツェントゥーは長達に叱咤した。
〔……そしてお前達、なんたるざまだ。炎を守護し司る者の頂点――司の長ともあろう者達が、魔力に怯えるとは! さあ、さっさと席につくがよい!〕
 長達は、ミスティンキルに怪訝な眼差しを投げかけながらも、各々の席に着いた。

 部屋はもとの薄暗さと静けさを取り戻した。この沈黙は重苦しい雰囲気を助長する。司の長達はミスティンキルを威嚇し咎めるように睨み、一方のミスティンキルは居心地悪そうに彼らの視線から目をそらした。だが、今し方の現象について誰も言葉にしようとはしなかった。

〔……以降、エツェントゥーの名において、無駄ないがみ合いはまかりならん。よいな、各々がた。しかと肝に銘じよ〕
 不自然な静けさが支配する会議室の空気を破ったのは、長老だった。
〔さて、若いの。先ほどはこちらのマイゼークが無礼を言ってしまったようじゃな〕
 先ほどまでの厳格な表情は消え失せ、エツェントゥーの物腰は柔らかなものとなっていた。彼はまず、先ほどの口喧嘩を仲裁するようだ。長老のみが先ほどの“赤い力”について何かしら知っているような素振りを見せていただけに、ミスティンキルはやや落胆した。エツェントゥーは言葉を続ける。
〔だがおぬしとて、我ら長に対して暴言を放ったこともまた事実。まずはそちらから詫びてくれ。さすればこちらも同様に詫びるとしよう。マイゼークよ、よいな?〕
 先ほどまでミスティンキルと言い争っていた無骨な龍人――マイゼークは決まりが悪そうに頷いた。
〔……確かにおれも口が悪くなってました。長たちを前にして申し訳ない〕
 ミスティンキルは小さく頭を下げた。
〔なにぶん長引く会議のために、俺も気が立っているのだ。まあ……済まなかったな〕
 こうしてマイゼークも、長老に催促されてしぶしぶながら謝罪した。が、この強情な偉丈夫の目は責めるように、じっとミスティンキルをねめつけている。
 忌々しいやつめが。お前は海蛇の毒を放って、俺を苦しめたのだ――マイゼークの目はそう語っていた。

〔……では話を戻そう。お前はデ・イグへ行くのだったな。だが、どうやら察するにデ・イグへの入り方などは知らぬようだな?〕
 長老エツェントゥーの問いにミスティンキルは頷いた。
〔長老。一つ訊いておきたい。あなたは知ってるんでしょう? さっきの……赤い霧みたいなものが、一体何なのか〕
 エツェントゥーは頷いた。
〔ふむ、ふむ。……力を放った当の本人がそのように言うか。やはりそうか。お前は自分の持つ力について何一つ知らないのだな?〕
〔ガキの頃から、なんかしらの力が宿ってることは知っている。けど、それが何なのか、分からなかった。もしかすると……〕
〔忌まわしい力だ……〕
 ミスティンキルは驚き、体をぴくりと震わせた。マイゼークが漏らした言葉こそ、自分が言わんとしていた言葉だったのだから。
〔マイゼークよ、口を慎めと言った! 今後そのような振る舞いをすることは、わしの名にかけて許さんぞ〕
 エツェントゥーの叱責を受けたマイゼークは肩をすくませた。一方のミスティンキルは、自分の過去を――大きな力を秘めるがゆえに疎んじられてきた過去を思い出し、わなわなと拳を震わせた。
〔やっぱり、あってはならない力だっていうのか? おれが持つ力とやらは……呪いなのか?〕
〔いや、赤い色を秘めた者よ。恐れることはない。あのような力は、実のところアリューザ・ガルドの住民であれば、多かれ少なかれ誰しもが持っているものなのだ。このわしも、そしてここに居並ぶ長達も。そして下の町に訪れている商人達もな。それはすなわち――魔力だ〕

 魔力。
 七百年もさかのぼる昔のこと。バイラル達は国をあげて魔法の研究に取り組んでいたとされている。その魔法を行使するための源こそが、魔力。
 ある時、制御を失った膨大な魔力が氾濫し、アリューザ・ガルドが危機に瀕したことから、もっとも強大な魔法――魔導は封印されたのだ。それ以来、力のある魔法使いは姿を消し、現在に至っている。
〔魔力だって? そんなものは、魔法使いの持ち物でしょう?〕
 ミスティンキルの問いに対し、白髭の長は静かに首を横に振った。
〔そうではない。魔法について全く不勉強ではあるものの、炎の司の長であるわしには分かるのじゃよ。魔力は確実に、わしらに宿っておる、とな。だが、先ほどの赤い色……鮮明なかたちを成すほどの魔力――。あれほどの力を発動できる人間は、我らドゥロームのみならず、今のアリューザ・ガルドを探してもいはしないだろう。おぬしはそれほど強大な魔力を持っているのだ〕
 それを聞いてミスティンキルは鼻で笑った。
〔おぬし、いま心の中で否定をしたな? まさか、自分はそんな大それた力を持っているわけでない、とな。否定してはならぬ。己が大きな力を持ち得ていることを確信するのだ。だが決して増長してもならぬ。過信こそが、おぬしを陥れるであろうから……それこそ呪いのごとく、な〕
〔長の言っていることが、さっぱり分かりません。おれは頭の出来がよくないから……〕
 エツェントゥーは、自分の孫を見るように目を細めて言った。
〔いまは分からずともいい。いずれお前にも分かるときがやってくるじゃろう。ただひとつ、わしと約束をしてくれ。今後どのようなことが起きようとも自分の力を否定せず、かつ増長しないことをな〕
 
 こうしてミスティンキルはエツェントゥーと約束を交わした。そしてあらためて長老は、炎の界への“門”の所在やデ・イグで用心すべき事をミスティンキルに教えるのであった。


◆◆◆◆


 西側の窓掛けごしに差し込んでいた西日がやや眩くなり、虚ろな橙色へと部屋を染めぬく。太陽がほのかな暖かさを伴って窓に顔を覗かせ、夕刻になったことを司の長達に知らせた。
〔エツェントゥー老。陽が落ちかけておりますし、そろそろ会議を再開しませぬか?〕
 手前右に腰掛けていた痩せぎすの長が言った。
〔そうじゃな。ならばミスティンキル、下がってくれぬか。あとはお前の望むときにデ・イグの門をくぐるがいい。門はいつでも開かれておるゆえに〕
 ミスティンキルは半歩後ずさりはしたものの、部屋から出ることを躊躇した。
〔あのう。最後に一つだけ、教えてもらえませんか? どうしても訊きたいことが、いや、訊かずにはおれないことがあるんです〕
〔なにか? わしに分かることであれば答えよう〕
 ミスティンキルはもうひとつ聞きたかったことを――色の変化について――語りはじめた。自分や旅商達がエマク丘陵に至り、そしてデュンサアルに到着するまでに経験したことを、覚えているかぎり洗いざらい述べた。
〔……おれは、あなたたち司の長であれば知ってるんじゃないかと思ってました。なんでこんなふうに、色褪せちまったんでしょうか? あの葬列の男が言ったとおり、呪いのせいなんですか? もしそうだとしたら、色を取り戻す方法など、知ってますか?〕

 ミスティンキルが言葉を切ったと同時に、ばん、と大きな音を立てて机を叩いた者がいた。左奥に座る長ラデュヘンであった。彼は憤慨した様子ですくと立ち上がるとミスティンキルに向き直った。
〔痴れ者か?! 我らが何のために会議を延々おこなっているというのか、場の空気を察することすら出来ないほどに! 出ていけ!〕
 ミスティンキルにとっては予想も出来ず、また謂われのない中傷であった。彼は言葉を失うが、やがて沸々と胸の奥から怒りが湧きだし、長老の制止も耳に入らず、ラデュヘンに言葉を叩き付けた。
「あんたたちが色について会議していたことくらい、俺にだって分かる! 分かんねえのは、なぜ出てけなどと言うのかってことだ!」
〔双方とも、やめい! わしが先ほど言った言葉をもう忘れたというのか〕
 長老の声と共に、喧嘩をしていた両名の足元から一瞬、小さな火柱が上った。驚いた両名はあわてて後ずさった。
〔今度このようなことがあれば、容赦なくおぬしらの舌を炎で包むぞ〕
 エツェントゥーは厳しい表情で両者を睨みつけると再び座した。長老の横でマイゼークはいやらしく薄笑いを浮かべている。彼なりに思うところがあるのに違いない。
 両隣の長を目で制止しながら、長老は語った。
〔残念ながら、いまだ対応策は出ていないのじゃ。バイラル達はどうなのだろうか。彼らもまたそれぞれの国でわしら同様、議論を戦わせているのだろうか?〕

〔……では、龍王イリリエンはどうなんだろう。神にも匹敵する力を持つというのなら、色について知っているはずでしょう? なんならおれがデ・イグに行ったときに、訊いてみるとしようか〕
 ミスティンキルの言葉を聞いて失笑を漏らしたのはマイゼークであった。
〔まったく、無神経もここまで来ると立派なものだ。ラデュヘンの怒りを買って業火で焼かれる前にここから立ち去るがいい。彼とクスカーンは先日、まさに色について訊くためにデ・イグを訪れておる。だが、さしもの彼らであっても力及ばず、龍王様にはついに会えなかったのだ。まして貴様のような者がイリリエンに会えるわけもない。デ・イグに入った途端に試練に敗れ、さらには炎に焼かれておのが存在を灼熱の中に消し去るのがおちだ〕
〔龍王様に対面するなどと大言壮語を吐きおって。お前などに出来るものか〕
 と、ラデュヘンも言った。

 ミスティンキルは気が付くと、怒りを込めた笑いを漏らしていた。
「おもしれえ。なら、あんたたちが出来なかったことを、おれはやり抜いてみせる。よし、イリリエンに会ってやろうじゃねえか。そして、色を元に戻す方法をおれ自身が探し出してやる。大言を吐いたなどと、いまは笑ってるがいいさ。……けど、こんな海蛇の落人がやり遂げたなら、あんたら司の長はそれ以下の存在だってことだぜ」
 この言葉をあからさまな侮辱と受け取った司の長の面々は怒り心頭、
〔ウォンゼ・パイエめが、身の程を知れ!〕
〔出て行け!〕
 と口々に罵るのであった。さしもの長老とて、この勢いを止めることは出来なくなっていた。
 ミスティンキルは、そんな長達を一瞥し、長老のみに一礼をすると、即座に会議室から出ていった。

 壊れんばかりの大きな音と共に会議室の扉が閉まる。床を踏みならす足音も徐々に遠ざかり――玄関の扉が乱暴に閉ざされると、“集いの館”は閑散とした陰鬱な空気に閉ざされた。
〔無礼な奴め。あのような者、水牢に幽閉してしまえ!〕
 怒髪天をついたラデュヘンは再び机を叩く。
〔なぜあのような者を招いたのだ。おぬしにも責任があるぞ?〕
 とクスカーンは、ミスティンキルと最初に対面したファンダークを責めた。ファンダークは返す言葉が見つからず、ただ小さくなって耐えている。
〔エツェントゥー老よ。本当にあのような者をデ・イグに行かせるのですか? 危険だ。奴は赤い魔力をもって、このマイゼークを害しようとしたのですぞ!〕
 マイゼークの言葉を長老は肯定した。
〔確かにぬしの言うとおり、あの者の力は底知れぬほど大きい。危険であるかもしれぬ。が、あの若者ならば世界の色を元に戻す手段を見つけるのではないか、とわしは直感したのじゃ〕
 マイゼークは首を振った。
〔まったく甘い。それほどに入れ込むとは厳格な貴方らしくもない。ならば私めは、あの者が危険だという自分の直感を信じて行動させていただきますぞ〕


◆◆◆◆


「あいつ、マイゼークと言ったか! 見ていやがれ、目にもの見せてやるからな!」
 館をあとしたミスティンキルは怒りの感情に身を委ね、大声を上げた。ひとしきり喚き叫んだあと、ようやく気が済んだミスティンキルは山を下りていった。頑なな決意を胸に抱きつつ。


「ウィム。寝ているところすまねえが、これから行くことにした。デ・イグへな!」
 ミスティンキルは宿の自室に戻るなり、毛布にくるまっているウィムリーフに開口一番で言った。
「……だって、もうじき夜になるっていうのよ? 明日にしましょうよ? ミストだって疲れてるでしょうに」
 先ほどまでぐっすりと寝入っていたウィムリーフは、いまだ気だるそうな顔をしている。
「いいや。なんと言われようと、おれは今すぐにでも山に登るって決めてるんだ。ウィムも十分寝たんじゃねえのか? 今起きないっていうんなら、置いてっちまうぜ」
 その言葉を聞いて、ウィムリーフはがばりとベッドから起きあがった。こういうときのミスティンキルは依怙地であり、梃子でも動かないのが分かっている。なにより彼女自身、体の疲れより好奇心のほうが勝った。
「分かったわよ、仕方ないなあ。今回はあたしのほうが折れてあげる。長旅の果てにようやくここまでたどり着いたっていうのに、置いてかれたんじゃ堪らないからね」
「……なんだよ。なんだかんだ言って乗り気なんじゃないかよ」
「当たり前じゃない。冒険家のたまごとしての血が騒ぐのよ」

 ウィムリーフが支度を整えるのを待ってから、彼らは宿をあとにした。目指すはデュンサアルの山。そして――炎の世界“デ・イグ”である。
 太陽は山の稜線に隠れ、ほのかに西の空が薄茜色に染まっていた。もうじきに日が暮れるだろう。

(一)

 炎の界――デ・イグへの門が存在するというデュンサアル山。
 麓の町をあとにして“門”に至るまでには相当の道のりがあることを、ミスティンキルは炎の司の長老エツェントゥーから聞いていた。
 長達が住む“集いの館”がある山の、その隣にそびえる岩山を登ることおよそ一刻。今度は山を割くようにして断崖が待ちかまえているのだ。底知れぬ奈落を越える手段は二つ。吊り橋を渡るか、翼を用いて飛び越すか、である。この絶壁の向こう側は平原となっており、一本の小径がデュンサアル山へと続いていく。
 デュンサアル山の登坂路をしばらく登ると傾斜が緩やかになり、空き地が広がっているという。そこにそびえる二本の石柱こそが門――次元を越えてデ・イグとアリューザ・ガルドを繋げる唯一の場所なのだという。

 デ・イグへと赴かんとする二人の若者は、最初の内こそ他愛もない話を交わしていたが、山道を登るにつれ空も暗くなり、次第に言葉少なになっていった。とくに、この半日歩きづめのミスティンキルは、少しでも気を抜いたら倒れてしまいそうなほどに疲れ果てていた。
 だというのに、なぜ歩みを止めようとしないのか。先ほどからウィムリーフがさんざん言うように、長に侮辱されたあまり、依怙地になっているせい、なのかもしれない。だが、単にそれだけではないような気もしていた。彼自身把握できていないが、なにかが自分の奥底に触れているような、そんな奇妙な感覚をも覚えているのだ。

 岩山を登りきると、いよいよとっぷりと日は暮れ、山々の黒い輪郭が夜闇の中から浮かび上がってくる。デュンサアル一帯の山々の中にあって、ひときわ存在感を誇示するのは、やはり雄大なデュンサアル山に他ならない。漆黒にそびえるあの山からは、人の住む地域では感じることの出来ないある種独特の雰囲気――自然をも超越した何らかの力が伝わってくるようだ。
 暗闇の中で活発になるのは野生の動物に限ったことではない。自然と共に生き続ける精霊達や、太古から存在し続けてきた闇の力、さらには魔界の眷族すらもうごめくと言われている。黒き神が封印されて長い時が流れたとはいえ、魔族の力が悪ふざけをすることもあるのだ。世界の色すべてが薄れている今、ランプや月のほのかな光だけでは、こういった闇を照らし、消し去るにはあまりにも頼りないというものだ。
 ウィムリーフはランプを地面に置くと、一言二言呪文を唱える。すると彼女の右の掌から小さな光球が浮かび上がり、二人の周囲を煌々と照らし出した。
「へえ。はじめて見たけれど、ウィムって魔法が使えたんだな」
「冒険家としてのたしなみ、かしら。でもあたしが使えるのはいくつもないわ。魔法使いにとっては、こんなものは魔法の初歩みたいなものなんでしょうね。でも、アイバーフィンらしく風の力を使役するほうが、あたしにとってはしっくり来るけどね」
 風の司たる娘は得意げに答えた。例えばあの長のように、人によっては嫌味にも聞こえるような言葉でも、彼女の口から聞くと不思議と気にならない。それはウィムリーフの飾らない性格のせいなのだろう。

「っとっと……」
 ふっと気が抜けてしまったミスティンキルは、足をふらつかせて地面に倒れ込んでしまった。
「ミスト!」
 ウィムリーフが心配そうに顔をのぞき込む。
「へへ。情けねえ。岩山を登りきったから安心しちまったんだろうな。でもまだ道は長いんだから……」
「道は長いんだから、少しここで休んでいきましょう」
 ミスティンキルの言葉を遮ってウィムリーフが言った。
「……徹夜の護衛。昼間から山道を歩きづめ。加えて食事もろくに摂ってない。それじゃあへばって当然よ。……ねえ、少し眠りなさいな。あたしが見張っててあげるから」
 ミスティンキルは意地になって上半身を起こそうとするが、もはや体が言うことを聞こうとしない。
「せめて……もう少しでも先に進みたいんだ……」
「はいはい。ミストの決意が固いのは感心するわ。これだけ頑なな意志をもってすれば、試練だって難なく突破できるかもしれない。けれどもね、意志が強いっていうのと、聞き分けがないっていうのはまた別。それに、ここから平原に行くのに吊り橋を渡らなきゃならないでしょう。そこで今みたいに倒れ込んだら、奈落の底に真っ逆さま、よ。そうなっちゃったら、いくらあたしが翼を持っているといっても助けられないわよ。……おとなしく休みなさい。それともあなたたちには、『デ・イグに行く前には断食して、不眠不休で歩きづめなきゃならない』という掟でもあるっていうの?」
 ミスティンキルは折れた。大の字になって天上の空を見上げる。と、頭が起こされてウィムリーフの膝に乗せられた。
「そう。一刻の間だけでも眠るといいわ。次に鐘が聞こえてきたときに起こしてあげるから」
 言われるままにまぶたを閉じる。ウィムリーフの優しさ、暖かさを感じながら、ミスティンキルは眠りへ落ちていった。


◆◆◆◆


 どこともしれない虚ろな空間。これが夢の産物であることをミスティンキルは自覚しながらも、周囲を包む白い闇に四肢を捕らわれたように、動くことがまるで出来ないでいた。

〔呪われたウォンゼ・パイエめが。貴様などが龍人を名乗る資格などありはせぬぞ!〕
 どこからともなく、罵る声が聞こえてくる。これは司の長――あのマイゼークの声か。
「司の長たちは、海に住むドゥロームなど同族だと思っていない。……俺もそうさ。ましてお前などに、我らが村長の葬列に居合わせてほしくないものだ」
 今度聞こえてきたのは、デュンサアルに着く前、葬儀に参列していた男の声。
 こんなものは幻聴だ。実際に聞いたことなどない、おれが勝手に思いこんでいるだけだ――そう思っている最中でも、さらにさまざまな罵言が容赦なく頭の中に響いてくる。
 旅商達、酒場に居合わせた者達、波止場の水夫、街道ですれ違った旅人達。かつての旅先でミスティンキルが出会ってきた人々が口々に罵る。“忌まわしい力の持ち主”、と嘲笑する。

「黙れ! おれの持っている力が忌まわしいだと?!」
 たまらずミスティンキルは声を張り上げた。すると怒りの感情と共に赤い色が――魔力が顕現した。司の長達を襲ったあの時にも似て、それは空間を覆いつくすように膨張していき――ついに雷鳴のような音と共に弾けた。
 途端、それまで激しく飛び交っていたすべての雑言は消え失せ、空間には静寂のみが佇む。

――ほら、見るがいい。お前の持つ力とはかように恐ろしいものなのだよ。
「親父殿?!」
 模糊《もこ》とした空間から浮かび上がってきた姿は他でもない、彼の家族だった。ミスティンキルが避けたくもあり、しかしながらもっとも会いたいと望む人々。
 ミスティンキルの抱く複雑な想いとは裏腹に、父母も兄も一様に、悲しさと恐れを併せ持った表情でミスティンキルを見つめる。少年時代から見慣れていたその表情こそ、彼がもっとも見たくないものであった。だからミスティンキルは家族の眼差しから目を背けようとした。が、全身がこわばっているためにそれすらも出来ない。
 耐え難い視線を一身に受けていた時間はいかほどのものだったのだろうか。彼らはくるりと身を返し、漠然とした白色の中へと消えていった。最後までその表情を変えぬまま。

 ようやく呪縛から放たれたミスティンキルは天を仰いだ。はち切れそうなまでに膨らんだ感情の中にあってなお強く感じとれたのは、あまりに深い悲しさだった。漁師の次期首領としての後継者争いが始まり、“力”を持つがゆえに一族から疎んじられ――ミスティンキルが孤独を覚えるようになってからずっと、誰に知られることなく密かに抱え込んでいた感情。

 そして彼の意識が現実へ戻ろうとしているのが分かる。それは嬉しいことだった。いつもと変わらずに振る舞えば、この夢のように辛い感情を吐露することもない。なにより、ウィムリーフが自分を包み込んでくれるのだ。
 最後に、ミスティンキルは思った。
 自分の力の強大さゆえに迫害され続けてきたのなら――
「なんでこんな力を、大きな魔力なんかを……おれは持ってなきゃならねえんだよ?」


 それはミスティンキル、運命という名の必然が待っているから。
 歴史という名の物語の流れへと飛び込んでいくから。
 その時が、いよいよ始まる。

 意識が覚めていく中で最後に聞こえたのは、覚えのない声。それはいったい誰の言葉だったのだろう――。




(二)

 さわさわと、木々の葉擦れの音がさやいでいる。

 ミスティンキルは仰向けに寝転がって漆黒の宙と星々の瞬きとを凝視していた。そしてようやく、自分が悪夢から目覚めていたのを知った。天高く昇っている白銀の月は、今宵ほぼ完全な円を象っている。月は常にかたちを変えるもの。二十八日すなわち一ヶ月という周期をもって、月は満ち欠けを繰り返すのだ。おそらく明晩は満月となることだろう。白銀がくすんで見えるとはいえ、その独特の神秘性にミスティンキルは魅了されるのだった。
 やがて、こぅん、という鐘の音が耳に届いてくる。風に乗って麓から運ばれてきたのだろう。一日の終わり、闇の時間のはじまりを告げるその鐘は六回鳴らされる。次の鐘が鳴るのは朝を告げるとき。それまでの間は“刻なき時”と呼ばれており、闇が支配するこの時間、人々は眠りに落ちるのだ。

 天上を見上げていたミスティンキルの視界は唐突に遮ぎられた。不意をつかれ、何事かと思ったミスティンキルは、思わずびくりと身を震わせた。だがそれは見慣れたものだった。ウィムリーフがミスティンキルの顔をのぞき込んだのだ。ウィムリーフの膝を枕代わりにして寝入ったのを思いだし、ミスティンキルは安堵の息をついた。一方、ウィムリーフは一言ことばを唱えて再び光球をともらせる。魔法の光は彼らの頭上へと浮かび上がるとほのかな光を発し始め、やがて周囲を明るく照らしだした。
「どうやら起きたみたいね。疲れは少しはとれた?」
 鼻先、すぐ真上からのウィムリーフの問いかけに、ミスティンキルは首を縦に振った。疲弊していた体力は回復し、感覚も冴え渡っているのが分かる。
「ぐっすりと一刻ほど眠りこんでたわよ。それで、こっちのほうは、ふくろうが二羽飛んでいったのを見た他は、とくだん何も起きなかったわ。……どう、もう少しこのままにしている?」
 ウィムリーフの慈しむような眼差しがミスティンキルを捉えている。
 目が覚めてしまったからには、いつまでも彼女の膝の上に頭をのせていても仕方ないだろう、とミスティンキルは思いながらも、ついついウィムリーフの視線に見入ってしまうのだった。彼女の群青の瞳はいつにもまして澄んでおり、それ自体が光を放つようにも見える。
 奇麗だ、と彼は素直に感じ入っていた。彼女の青い瞳は優しく微笑みかけてくる。

「……奇麗だね、赤い瞳が。まるで赤水晶《クィル・バラン》みたい」
 ウィムリーフの意外な言葉であった。忌まわしい力を象徴するかのような、この赤い瞳を誉められたことなど、未だかつてないのだから。
(赤い瞳。赤い……力、か)
 ミスティンキルは、今し方見ていた夢を反芻するように目を閉じた。夢の輪郭は既に失われ、すべてを思い出すことは出来ないが、それが痛切なまでに辛いものであったことだけは覚えている。心の奥底に密かにしまい込んでいた感情を、思わず吐露してしまうほどに。
「なあウィム……。おれ、寝てるとき何か言っていたか?」
 あれほど心に突き刺さる夢だ。もしかしたら、寝言を言っていたのかもしれない。おそるおそるミスティンキルは訊いてみた。
 ウィムリーフはかぶりを振った。
「寝言は言ってなかった。でも、ミストが夢を見ていたとしたら……なにか悲しそうだった。それは伝わってきたわよ」
 感情の波動が伝わってしまうのは、ミスティンキルのみならずウィムリーフ自身も、大きな力をその身に秘めているためだろう。それが都合のよいときもあれば悪いときもある。今は、どちらだろうか。
 ミスティンキルは上半身を起こすと、膝を抱えて空を見上げた。
「そうだ、おれは夢を見ていた。あまり思い出せないけれども、どうにも辛い夢を。……おれの持ってる力は、どうあがいても忌々しいものなのかもしれないな」
 口をついて出た言葉は、普段らしからぬ弱音だった。今は――自分の弱さを彼女には知って欲しかったのだ。彼女と出会ってから今までの間にも、過去の自分の境遇を話したことはあったが、こうして感情を吐露することで自身のもろさをさらけ出したのは、ミスティンキルの記憶している限りでは、はじめてだった。

 ウィムリーフは即座に否定をした。
「忌まわしいというのとは違うんじゃないかな? あたしだってミストと同様に大きな力を持っているんだから、あんたが自分の力を怖がる気持ちは分かるつもり。……そう、こんなことがあったわ」
 彼女もまたミスティンキルと同様に天上を仰いだ。何か思い出そうとしているようだ。そしてようやく、彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。

“――人間が、おのが持つ力を行使しようとしたとき、よきにせよ悪しきにせよ結果がもたらされる。たとえ悪しき事象が及ぼされたとしても、力そのものが悪なのではない。力を行使する者の気の持ちようがすべてなのだ。しかしだからこそ、心せよ。自分を強く保て――”

「これは、風の界“ラル”の王エンクィが言った言葉よ。あたしが風の界に赴いたことがあったってことは前にも話したと思うけど、そのとき風の王に会ったの。エンクィに言わせると、あたしには純粋な青い色が――大いなる力が宿っているんだって。……それでもたぶん、ミストの力にはかなわないだろうけれども、アイバーフィンとしては珍しいほど、魔力に恵まれているんだって。だからあたしは生まれながらにして翼を持っていたりしたらしいのね」
 ウィムリーフは、ただ慰めているのではない。彼女なりに真実を語っているのだ。風の界“ラル”の王エンクィは、ディトゥア神族の一人である。一介の人間が、神に対面できることはまずあり得ない。彼女が秘めた力の大きさが推し量れるというものだ。
「魔力に、恵まれているだと?」
 ミスティンキルは起きあがると、ウィムリーフの言葉を反復した。
「そう、あたしは『恵まれている』と言ったわ。エンクィも言ったように、魔力っていうのは行使する人次第で良くも悪くもなるものだからさ。ミストもそう落ち込まないで! あんたの力はけして忌々しいものなんかじゃない。炎の司ミスティンキルという人を、世の中の人が知るのはこれからなんだから。……だから、きっちりと試練を乗り越えるのよ!」
 ウィムリーフはばんと、ミスティンキルの背中を叩いて励ますのだった。ミスティンキルは心の中で礼を言った。

“力を行使する者の気の持ちようがすべてなのだ。だからこそ、心せよ。自分を強く保て”
 そして、風の王エンクィが語ったとされるこの言葉は、後々までミスティンキルの記憶に刻み込まれたのだ。


 ごうっと音を立て、一陣の風が強く吹き付ける。
「……風が出てきたな」
「さっきからそうだったんだけど、この周囲の風の力が、もとに戻っているみたい。なぜなのかは分からないけれどね。これだけ風の力に恵まれていたら、あたしも今だったら飛んでいけそうよ。……ほら」
 ウィムリーフはそう言って軽く地面を蹴る。と、彼女の体はふわりと宙に浮かんだ。
「見て! 今だったらいつもと同じように飛べるよ」
 ウィムリーフがいかにも嬉しそうに、くるりと宙返りをしてみせると、翼をきらめかせて空高くまで飛び上がってみせる。ミスティンキルは小さく笑みを浮かべ、彼女が空を舞う様子を見ていた。
 その時。
 なんかしらの感覚が、心の奥底をざわりと触れた。ふと勘が働いたミスティンキルが、視点をデュンサアル山の中腹へと移すと、二本の赤い炎が、蛇の舌のようにちろちろと揺れ動くのを見た。あのあたりに炎の界に至る門があるに違いない。
 炎の世界が自分達を招いているのだ。あるいは、龍王その人が呼んでいるのか? ――ミスティンキルの研ぎ澄まされた感覚はそのように訴えかけている。
 だとしたら一刻も早く、扉のあるところまでたどり着かねばならないだろう。
「さてウィム、降りてこいよ。行こうぜ! どうやらおれたちが今夜デュンサアル山に向かうことは、間違ってなかったようだからな」
 こうして二人は再び山路を歩き始めた。


◆◆◆◆


 風に乗って届いてくる狼の遠吠えと、木々のざわめきとを耳にしつつ、岩山の頂上をしばらく歩くと道は途切れ、巡礼者の行く手は阻まれる。山を割くような断崖があるのだ。だがこれは先刻、司の長エツェントゥーから聞いたとおりである。
 断崖を越えるには細長く頼りない吊り橋を渡るほかないのだが、その吊り橋の横には一件の山小屋があった。デュンサアルへの巡礼者のための休息所として建てられたのだろう。もしくは、聖なる山を守護する守人《もりびと》の詰め所をも兼ねているのだろう。
 灯りのともった山小屋を横目に見ながらも、ためらうことなく二人が吊り橋に向かおうとしたその時、山小屋の扉が開き、小屋の中から一人のドゥロームが現れた。

〔止まれ!〕
 槍を片手にした守人のドゥロームがあからさまに警戒をしながら駆け寄ってくる。ミスティンキルほどではないが、背の高いこの若者は――もっともドゥロームとしては平均的な身長だが――二人のすぐそばまでやって来ると、怪訝そうにミスティンキル達の様相を伺う。
 龍人の正装である赤い長衣をまとった男。それに、瑠璃色の短衣と白くゆったりとしたズボンを着た女。ふわりと宙に浮く魔法の光球。
 この守人に自分達はどのような印象で受け止められているだろうか。怪しい者だと思われても仕方がない。加えて、ウィムリーフの衣装はアイバーフィンの正装なのだ。これでは銀髪を染めた意味がない。だが、種族の正装でなければ、事象界に入ることが出来ず跳ね返されてしまうこともままあるのだ。
“デュンサアルに住むドゥロームは、アイバーフィンを快く思っていない。”
 ともに旅をした旅商から聞き知った言葉だ。その言葉どおり、デュンサアルには偏狭な龍人が多いことをミスティンキルは身をもって知った。海洋地域出身のミスティンキルすらまともに取り合ってくれないのだから、太古に敵対していたアイバーフィンに対する扱いはいかなものになるというのだろうか。
(へんなことで咎められるのはごめんだ)
 ミスティンキルは内心不安を感じながらも、感情をあらわにすることなく守人と対峙した。そして眉をひそめた。この若者のがっしりとした体格と、厳めしい顔つきには見覚えがある。憤りを覚えるほどにあの龍人に似ている。自分を侮辱したあのマイゼークとかいう長の若い頃は、このような容姿であっただろうと思わせる。

〔ふん……魔法使いか? けったいな術を使うなど……〕
 ふわふわと浮いている光を訝しげに見ながら若者は問いかけてきた。彼の若い声色は、マイゼークのような低い声ではなかったが、気分を害する口調はあの老人譲りである。
〔よそ者が、聖なる山になんの用あって赴こうとするのか? しかもすでに深夜――“刻なき時”に入っているというのに〕
「けして怪しい者じゃない。おれは――海の向こうのラディキアから来た、ミスティンキル・グレスヴェンドというんだ。炎の司になる試練を受けるためにデ・イグに行こうとしている。炎の界への門はいつでも開かれている、と司の長エツェントゥーどのから聞いたから、今こうしてやって来たんだ。……あんたは長からなにも聞いていないのか?」
 ドゥローム語を話す若者に対して、ミスティンキルはアズニール語で返答した。自分まで龍人の言葉でやりとりを行ったら、言葉を解さないウィムリーフにはあたかも密談のように聞こえてしまうだろうから。
 くっくっと、含み笑いをしたあと若者は言った。
〔知ってるとも。君の話は聞いている、遠方の海辺からわざわざお越しなすった同胞どのよ。私はマイゼーク・シェズウニグの長子ジェオーレという。……しかしこんな夜更けにこそこそ闇に紛れて――まるで魔の眷族のように――やって来るとは、父の読みどおりだったよ。しかしながらこれは予想できなかったな……同行者がいたとはな〕
 守人ジェオーレの表情は笑ってはいない。また、彼の口から出る言葉は言葉遣いこそ柔らかではあるが、きわめて辛辣なものであった。デュンサアルに住む者以外は信用ならない、そんな様子が言葉の端々から伺いとれる。

 ジェオーレの鋭い目つきがぎろりとウィムリーフを凝視する。服装からアイバーフィンであるということがばれたのだろうかと、ウィムリーフは心配そうにミスティンキルを見た。
「……バイラルの女か。デュンサアル山になんのようだ」
 ジェオーレは、ややたどたどしいアズニール語で話しかけてきた。
「ウィムリーフと言います。あたしも、このミスティンキルと一緒にデ・イグに行くんです。……龍王様に会いたい一心で、ここまでやって来たんですよ」
 気を取り直した彼女は臆することなく、持ち前の快活さで答えた。
「ふん。ドゥロームであっても会うことが叶わないお方だぞ。ましてバイラルなど……我らのデ・イグに入ること自体がとうてい無理だ。たどり着いたところで、業火に身を焦がされて、魂すらも消し炭になるぞ」
 ジェオーレはウィムリーフなど歯牙にもかけない様子で言い放ったのだが、炎の界に赴こうとしている二人は、とりあえずほっとした。この若者は、どうやら実際にアイバーフィンを見たことがないのだろう。彼女が着ている翼の民の衣装には、まったく気付く様子がない。あくまで、ウィムリーフの黒く染め上げた髪の色のみで種族を判断しているようだ。
「“我らの”デ・イグ、だと? ……なあ、あんた思い違いをしていないか。炎の世界はドゥロームの持ち物じゃあないはずだろう? 誰のもんに属するものではない、とエツェントゥーどのからは聞いているぞ」
 ミスティンキルの言葉に対しジェオーレはわざとらしく頭を押さえ、悩んでみせた。あからさまにミスティンキルの感情を逆撫でしようとしている。
〔ああ。エツェントゥー様も、余計なことをおっしゃるものだ……。たしかに海辺の漁師どのが今言ったことは間違ってはいない。が、海の住人たちは忘れてしまわれたのだろうなあ。我らドゥロームの誇りがあることを。炎を司る我らにとって、他の種族の者達が炎の界に赴くのは好ましからざることだ〕
(ここの連中は、誇りってやつの意味をはき違えてるんじゃねえか? そんなのは、単なるくだらねえ偏屈だ)
 ミスティンキルは苦々しく思ったが、口に出すことはなかった。

「さあ、もういいだろう。その槍を引っ込めてくれよ。おれたちはデュンサアルを登る。そしてデ・イグに行くんだ」
〔……それはならないな〕
 威嚇するように声の調子を落としたジェオーレは、手にした槍を横につきだして道をふさいだ。
「不敬なウォンゼ・パイエ(海蛇の落人)を行かせてはならないとの命を受けている。ましてバイラルまで同行しているとあっては、なおさら通すわけにはいかない」
「……マイゼークの差し金か?」
 今まで抑えてきた憤りを隠しきれなくなったミスティンキルは、食ってかかるような勢いでジェオーレに言った。
〔差し金とは酷いことを言うな。確かにわが父の指示であるが、これは司の長じきじきのご命令と思え。お前が我らと同じ炎の民、龍の末裔だというのなら、これに従う必要がある〕
「そんな命令など聞けるか?! そこをどけよ」
 ミスティンキルは、ジェオーレの槍に手をやると、力任せに押しのけ、強引に通り抜けようとした。
「これ以上進もうというのなら、それは司の長に刃向かったということを意味する。……デュンサアルの掟に従って罰せられるぞ」
 ジェオーレは槍を手にしていない左手を後方の吊り橋のあたりに向けて、高く掲げた。すると、吊り橋の入り口あたりの地面から勢いよく炎の柱が幾本も立ち上り、壁となって行く手を阻んでしまった。

〔……年若いからといって、この私をなめるなよ。私とて炎の加護を受けし者、炎を操る者――炎の司だ。こうして道をふさいでしまえば、お前たちにはどうすることも出来ないだろう。無礼な赤目よ。この炎が消せるか? ……無理だな。いくらお前が強大な魔力を持っていたとしても、おのが力の使い道を知らなければ、為すすべなど何もないからな〕
「ああ、確かに今のおれでは何も出来ないな。でもな……突破してみせてやるよ。あんたが思いもかけないような方法でな!」
 そう言ってミスティンキルはウィムリーフのほうを振り向いた。
「ウィム……さっき、風が出ていると言ってたよな。どうだ、いけるか?」
 ウィムリーフは一瞬戸惑ったが、この龍人の若者の言わんとしていることを理解し、渋々ではあるが頷いた。
「風はさっきと変わらないわ。いける……けれど、罰せられるというのはどうなの? それはデュンサアルの――ドゥローム族としての掟に反することになるんじゃない?」
「掟だって? どのみち、このへんぴな村を出ちまったらそんなものには意味がねえよ。だいたい、こんな了見の狭い連中の言うことなんかを『はい、そうですか』と聞いていられるか?! おれは我慢ならねえな。ウィムだってそう感じないか?」
 ウィムリーフは頷いた。彼女の表情はミスティンキルの言い分には幾分納得しかねている様子だが、だからといって堅物なジェオーレの言葉に従うつもりも無さそうだ。傲慢で偏った排他性こそが誇りである、と思い違いをしている守人に対して、彼女なりに怒りを感じているのは間違いないだろうから。
「なら、決まりだ。……行こうぜ!」
 ミスティンキルはニヤリと口元を歪ませて、再びジェオーレの方へ向き直った。

 ジェオーレはそのやりとりをただ聞き流していた。彼らがどうあがこうと、炎で遮られたこの吊り橋を渡ることなど出来るはずもないのだから。彼ら同士のやりとりは無駄なあがきにすぎない。たとえ泣きついてきたとしても、ここから先へ通してなどやるものか。
 そう侮っていただけに、ミスティンキル達が次に為したことは、この若者の理解の範疇をまったく越えていた。

 決意を固めたウィムリーフはミスティンキルの背後からそっと手を伸ばし、胴回りを抱きしめると――彼ともども高く跳躍した!

〔飛んだだと?! ばかな!〕
 槍を落とし、半ば呆然とした様子のジェオーレが徐々に小さくなっていく。彼の哀れなまでに呆けたさまを楽しむかのように、上空のミスティンキルは笑ってみせた。
「まんまと突破されました、とマイゼークに伝えてやれ! どのみちおれは、エツェントゥーどののお墨付きを貰っているんだ。……なあ、嫌味ったらしいマイゼークのせがれさん! この試練が終わったら、今度は同じ立場で――炎の司としてお前に会ってやるよ!」
 余計なことを言わないの、とウィムリーフのたしなめる声が背後から聞こえてくる。
 ジェオーレにはもはや怒声を張り上げるほか為すすべがない。世界が色褪せてから自然の持つ力が弱まった。龍人の飛ぶ姿を見かけなくなったということは、おそらく司の長の命令で飛ぶことが禁じられているのだろう。ジェオーレは追ってくることはなかった。かりに追うことが出来たとしても、風の司ウィムリーフに敵うはずもないだろうが。ジェオーレは苦しみ紛れに攻撃を仕掛けてきた。吊り橋を阻んでいた炎の壁が大きな火の玉へと姿を変えて二人に襲いかかった。ウィムリーフは、ミスティンキルの大柄な体を抱きかかえたまま、いともたやすく避けてみせ、さらには風の力を用いてその火球を吹き飛ばしてしまった。
「まったく、無茶するわねえ! ミストも、あたしもだけれどもさ。……こうなったらどうあっても炎の司となって、しかも色を元に戻す方法を龍王様から聞きだして帰ってこなきゃね!」
 背中越しに聞こえるウィムリーフの声は、やけに楽しそうだ。底意地の悪い守人に一泡吹かせて気が晴れたのだろう。
 ウィムリーフは光の玉を消すと、精神を集中させるために一つ二つ大きく呼吸を繰り返す。と背中から、夜の闇をも照らすように白い光が煌めく。

 時折輝く翼を広げたウィムリーフに抱きかかえられ、赤目の若者は雄大なデュンサアル山を見た。今また山腹からちろりと炎の舌が姿をのぞかせた。


◆◆◆◆


 風をかき分け、空を疾駆する。
 デュンサアルの大きく黒々とした山容がぐんぐんと迫ってくる。
 みたび、山腹のとある一点から炎の柱が上がるのが見えた。ウィムリーフもそれに気づき、自分達を呼び寄せるように立ち上るそれに向かって、見えない翼を羽ばたかせるのだった。

 炎に誘われるまま、彼らは空き地へと降り立つ。すると二本の石柱から炎がすうっと消え失せた。そのものが意志を持っているようなこの炎は、アリューザ・ガルドの産物ではないだろう。次元の狭間を通り越してデ・イグから流れ込んできているに違いない。
「ありがとうよ、ウィム。重くなかったか?」
「重かったわよ! 大柄なあんたを運ぶのは骨が折れる仕事なんだからね」
 そう言いつつウィムリーフは興味深そうに柱をまわり、冷たくなった石の肌をべたべたと触っている。夜の闇に覆われているために周囲の情景が把握できないが、空き地には二本の柱以外めぼしいものは何もないようだ。そしてこれこそがデ・イグへと通じる扉に他ならない。
 ミスティンキルは、ここで自分達が何をすべきなのか、分かっていた。エツェントゥーから聞いた言葉にしたがって、彼は二本の柱の中央に立つ。ウィムリーフも彼の横に並んだ。
「ウィム、覚悟はいいか? いよいよ行くぞ」
 自分自身の声がやや震えているのが分かる。物質界であるアリューザ・ガルドとはまったく様相を異にする異次元に転移しようというのだ。恐怖、不安、期待。様々な感情が織り混ざる。
「……いいんだな? 帰ってこられないかもしれない」
「ミストの力をもってすれば、大丈夫。試練に打ち勝つことが出来る。あたしが保証するわ」
 差し出されたウィムリーフの手を堅く握ると、いよいよミスティンキルは覚悟を固め、ことばを発した。

【デュレ ウンディエ ゾアル イリリエネキ】

 それは龍の言葉。放たれる音そのものが魔力を持ち得るという、太古の言語だ。言葉を放つと同時に、柱の石の裂け目から炎が吹き出して石柱全体を赤々と包み込む。視界が歪に曲がり、アリューザ・ガルドの情景が徐々にうっすらと消し去られていく。
 ――我赴かん、イリリエンのみもとに――

 柱の頂から炎が高々と立ち上ったその時、二人の姿はかき消えた。




(三)

 まことを語るただひとつの歴史書には、このように記されている。


 幾百万の昼夜をさかのぼってもまだ足りないほど太古のこと。
 原初の世界には“色”という概念そのものがありえなかったという。
 暗黒と、漠然とした白のただ二つのみが存在していた、と歴史は語り継ぐ。
 殺伐とした原初の世界を統治し、幾千年に渡って栄華を誇っていたのは古神といわれる荒くれる神々達。だが彼らは始源の力、つまり強大な“混沌”の力の氾濫によって滅びの時を迎え、その後アリュゼル神族に取って代わられた。

 アリュゼル神族は、もともとは古神達と時を同じくして原初世界に誕生したのだが、世界の果てへと飛び去ってしまった。諸次元の彷徨の果てにふたたびこの世界へ復帰したのだ。
 そしてアリュゼル神族とともにこの世界へと流入してきたものこそが、色。
 魔力そのものを内包する“原初の色”だ。世界の新たな構成物であるこれら原初の色は、いくつもの帯状となって空を包み込むと互いに絡み合い、無数の色を織り上げていく。やがて原初の色は万象事物へと染みこんでいった。それまで無機質だった世界は、無数の色をして美しく彩られるようになったのだ。
 これがアリュゼル神族により創られる世界――アリューザ・ガルドのはじまりとなる。

 炎の界デ・イグが、物質界アリューザ・ガルドと繋がるようになったのは、アリュゼル神族によって世界創造が行われているさなかであった。
 次元の隔壁を飛び越えてアリューザ・ガルドに顕現した最初の龍こそが、美しい深紅の巨躯を持つ龍王、イリリエンである。
 アリューザ・ガルドに現れた龍王は、アリュゼルの神々にこう申し立てた。
【各次元へと繋がる門――“次元の扉”を解き放たれよ。さすれば事象界は地上と近しい存在となり、火が、水が、大地が、そして風が、この地にさらなる祝福と癒しをもたらすのだ】
 イリリエンの言葉どおりにアリュゼル神族は次元の扉を開け放った。これによって火・水・土・風の事象界はアリューザ・ガルドと密接に繋がるようになった。デ・イグの住人であった龍《ドゥール・サウベレーン》の多くも、物質界目指して飛び去っていった。


 世界に関するすべての原理が整ったアリューザ・ガルドでは、アリュゼル神族が最後の創造を行った。人間の創造である。
 水の加護を受け、森と共に生きるエシアルル、空を駆ける風を力とするアイバーフィン、大地に息づく力――龍脈を感じ取るセルアンディル(のちのバイラル)。彼ら三種族がアリュゼル神族によって創造された。だが火は――すでに龍達が司る事象であったために、火の加護を受ける人間は創造されなかった。
 しかし意外なことに、孤高の存在であると思われた龍達の一部は人間に大きな関心を寄せ、また人間の生き方に憧れたのだという。彼らはおのの叡智を結集して人化のすべを形成し、人間となった。
 炎の加護を受けるドゥローム族とは、人化したドゥール・サウベレーン達の末裔なのだ。

 アリューザ・ガルドでは四種族によって人間の生活が営まれていくことになった。
 それから歴史は数々の激動とともに幾星霜を重ね、現在に至ることになる。


◆◆◆◆


 火という事象そのものの発祥の地であり、龍達の生まれ故郷であるデ・イグ。
 そこに今、新たな訪問者が流入してきた。ミスティンキルとウィムリーフ。彼らは見事に次元の壁を飛び越えて、炎の界への転移を果たしたのだった。
 ゆらゆらと舞うようにして、二人は炎の中に佇んでいた。人の姿から、<赤>と<青>という色の固まりへと姿を変えて。




(四)

 見えるもののすべては、陽炎のごとく揺らめく赤と橙。つまり火という事象。
 深淵の縁から先の見えない天上に至るまで、この広大な空間はひとつの大きな炎によって占められていた。まさしく“炎の界”である。
 物質界に生まれた者がデ・イグを見たとき、それまでの自身の常識に照らし合わせて、こう考えるかもしれない。
 この奇妙きわまりない世界には大地が存在するのか? はたまた空間の果てが存在するのか? と。
 距離の概念というものは、この世界においては重要な要素ではないのだが、それを理解するに至る人間はほぼ皆無だろう。だが事象界へ入ろうとする者は、理解の範疇を越えるさまざまな出来事を、この世界の理《ことわり》として受け入れなければならない。
 「あり得ないことだ」という拒否の意志をあらわにした時、事象界はその意識を拒絶する。拒絶に陥った人間の意識は、運が良ければ事象界からはじかれて物質界へと送還されるだろう。が、運が悪ければ物質界へ帰還できずに、意識の尽きるまで次元の狭間を漂うか、そうでなければ意識そのものを事象界に融かされてしまうだろう。その行き着くところは、死。
 では、今この世界に現れた二つの意識はどうだろうか?


 抽象的な世界の様相は瞬時に変貌を遂げる。それまでゆらゆらと緩慢にたちのぼるように揺れ動いていた炎の空間は、激しく立ち上る業火のイメージへとたちまち趣を変えた。
 だが炎に包まれているというのにまったく熱さを感じない。そして一切の音はない。
 絶えることなく揺れ動く炎と静寂とに支配された幻想的な空間。これがデ・イグの本質であった。

 炎の舞い上がるさまにあわせて<赤>自らも空間をふわふわと漂っているのが分かる。しかし、本来持ち得ていたはずの浅黒い手足が視覚できず、さらには体の重さの感覚すら感じ取れないというのは不自然きわまりない。だが<赤>はこの事態を当たり前のものとして認識した。ここは、アリューザ・ガルドとは異なった原理が支配している、と理解したのだ。
 龍人ミスティンキルの意識は、純粋な赤を有する雲のような固まりとなっていた。赤い固まりは大きさにすると、人間の頭ほどにあたるのだろうか。だが内部にはたぎる力が凝縮されているのが感じ取れる。これこそが自身の持つ、まったき赤い魔力そのものなのだろう。
 そして自分のすぐそばを飛び回っている青い球は、自身の恋人の意識体だ。留まることなく色を変える炎の中にあっても、なお鮮やかに見えるこの<青>もまた、<赤>と同等の大きさを持っている。そして快活な気性をあらわすかのように跳ねまわり、姿を真円にまた楕円にと頻繁に変貌させていた。先に意識を覚醒させていた<青>は、<赤>がようやく目覚めたのを喜ぶかのように<赤>の周囲を弾んでみせた。

 二色の意識体は荒れ狂う炎の流れに任されるまま、しばらく空間を漂っていた。深淵から突き上げてくるような激しい業火はやがて収まり、ちろちろとくすぶるような炎へと移り変わった。同時に、天上の空間からは太陽を想起させる色を持った、赤白い炎が滝のように流れ落ちてくる。その大瀑布がもたらす眩さはデ・イグ全域を明るく照らし出した。すると今まで濁り淀んでいた周囲の空間が徐々に澄んでいき、はるか遠方の領域まで見渡せるようになった。

 空間の至る所には、赤水晶《クィル・バラン》のように煌めく球体が浮かんでいた。その大きさはまちまちで、一軒の小屋程度のものから小高い丘を覆うほどに大きなものまで様々だ。それら球体は硬質な固体ではない。炎が凝縮して作り上げたものだ。
 近くにあった球の一部分が内側から盛り上がると、なにやら白く細長いものが現れた。<赤>にとってそれは生まれて初めて目にするものだった。ドゥール・サウベレーンだ。
 その白いドゥール・サウベレーンは、龍としては小柄なのだろう。すらりと細い体をしており、球から抜け出すとすぐさま巨大な翼を広げて飛び去っていった。
 この球体は、デ・イグに住む龍達の住居なのだ。よく見ると、炎の空間の中に何匹かの龍達が飛び交っているのが分かる。
 だとすると、遙か向こうにひときわ大きく見える球体は――。

 海に落ちるときの真っ赤な夕日を連想させる、あの巨大な球体こそが、世界の中心に位置するものであることを<赤>は悟った。また同時に炎の王イリリエンがいるという気配も。
 次に<赤>は思った。デ・イグで自分が受けるべき試練というのは、一体いつから始まるのだろうか、と。炎の界への行き方についてはエツェントゥー老から詳細を聞いていたのだったが、こと試練の内容については一切聞かされることがなかったのだ。
 試練の事を<青>に語ろうかと思案したものの、静寂が包むこの世界で会話という行為そのものが成立するのか訝しかった。

 その時。音なき声が届いた。
 この声は空間を響かせて到達するものではなく、<赤>の意識下に直接語りかけてきたのだ。
【……アリューザ・ガルドの住人か。炎に焼かれることなくよくここまでたどり着いた。自身の姿を想起し念じればいい。そうすれば物質界本来の姿が映し出される】
 声は龍《ドゥール・サウベレーン》の言葉で語りかけてきたが、周囲には何者も存在しない。この声は<青>にも届いていたらしく、今は鞠のように跳ねるのをやめ、動きをとどめている。ここは姿なき声に従うべきだろうと<赤>は考えた。
 <赤>と<青>が念じると、二つの色は瞬時に人間の姿を象った。赤い装束をまとったドゥロームと青い衣装を着たアイバーフィンの姿へと。


◆◆◆◆


 物質界と同様の姿で、ミスティンキルとウィムリーフは炎の中に立っていた。足下に地面と呼べるものはないが、確かに足場は存在しているようだった。
 ミスティンキルは自分の手足を見た。それは見慣れた自分の体に他ならないが、やはり物体的な感覚を把握できないのはもどかしかった。手足を触ろうにも空気のようにすり抜けてしまう。
 ウィムリーフの黒く染めてあげていたはずの髪の色は、きれいな銀髪に戻っていた。事象界にあっては、事物はその本質のみを映し出すのだろう。
 そして彼女の背中にあるのは、二枚の優雅な翼。白い羽根が輝いて映える。アリューザ・ガルドでは目にすることがかなわなかった翼は今、明らかな「かたち」を伴って顕現している。こうして見ると、アイバーフィンが“翼の民”を名乗っているのもうなずける話だ、とミスティンキルは思った。天界《アルグアント》の御使いとは、おそらくこのような翼を持っているのではないか。そう思えるほどに、彼女の背中に生える純白の翼は神々しさを感じさせるものであった。
 そしてウィムリーフは驚いたような顔でミスティンキルの背中を指さした。

 ばさり。ここがアリューザ・ガルドであれば明らかにそのような音がしただろう。ミスティンキルは背中に異質感を感じて首を後ろに向けた。
 そして彼は目を丸くする。
 ミスティンキルの背中にあるものもまた、翼だった。彼が背中に生やす黒い翼は、アイバーフィンの白い羽根とは違い、猛き龍の翼である。試練をこれから受ける身だというのに、なぜ翼を有しているのかミスティンキルは分からなかった。ウィムリーフは生まれながらにして翼を有していたと言うが、ミスティンキルの出自はそうではないことを知っている。


【見事。赤きドゥローム、お前は試練を乗り越えたのだぞ】
 今度は間近から、音を伴って声が聞こえた。その低い声は先ほど意識下に届いた声と同じものだった。
 二人の目の前で炎の空間が揺らめき、とぐろを巻いて歪む。その中から何者かが出現しようとしている。ミスティンキルは一瞬、歪んだ空間の中に蒼い龍の巨躯を見たような気がした。
 とぐろが消えて空間が元に戻ったとき、そこには一人の人物が佇んでいた。その“彼”の風貌を一目見て、ミスティンキル達は思わず身構えた。
 ミスティンキルと同じような背丈を持つ“彼”は白い長衣を羽織り、帯を締めた腰の左右には一振りずつの太刀が収まっている。
 しかしミスティンキルが警戒した理由は、“彼”が武器を持っているからではない。“彼”の容姿が、人間とは根本的に違っていたからだ。

 頑丈な蒼いうろこに覆われた四肢。手足に生えた鋭い爪。そして顔つき。それらすべてがドゥール・サウベレーンの姿そのものであった。一本の金色の角を頭の頂点にいただいた巨大な蒼龍こそが、彼本来の姿なのだろう。
 だが今は、蒼龍は人間大の姿へと変貌し衣をまとい、二本の力強い後ろ脚のみで立っていた。
【デ・イグの中心部まで人間が訪れたのは実に久しい。よくここまで来たものだ】
 龍頭の衛士は右手を挙げて、敵意がないことを示した。
【そう怯えなくてもいいだろう? わしの姿が怖いか? ……わしは守護者アザスタン。龍王様に仕える者よ】
 アザスタンはそう言って、細長い金色の目をさらに細めた。

(一)

 龍《ドゥール・サウベレーン》。
 その風貌は、巨大なトカゲが大コウモリの翼を得た姿を連想させる。しかし、龍を獣として捉える人間はアリューザ・ガルドにいない。龍は生けるもの達の中でも超越した存在なのだから。
 無双の猛々しさと膨大な魔力、深遠たる知性を所有する龍にかなう人間など、数少ない例外を除いてありはしないだろう。太古の時分から現在に至るまで、龍とはまさしく畏怖と驚異の象徴なのだ。
 龍は孤高の存在であり、生まれ故郷のデ・イグにあっても、またアリューザ・ガルドにあっても、他の者を寄せ付けることなくひっそりと棲んでいるという。しかし、彼らは世の中に背を向けているわけではない。冥王降臨の折りに魔界《サビュラヘム》に攻め入ったり、魔導師に協力してラミシスの魔法障壁を打ち破ったりと、情勢によっては率先して動くこともある。

 龍の姿態に酷似した生物として竜《ゾアヴァンゲル》が存在する。“龍もどき”とも言われるこの巨大な化け物は、人に害をなすものとして恐れられている。獣達の長として認識されるのがゾアヴァンゲルだ。しかし、ゾアヴァンゲルは所詮獣の域を出る生物ではない。
 古来より、竜殺しの勇者を讃えた伝承は世界中に数多く伝わっているが、龍を倒した者となると皆無に等しい。龍はよほどのことがない限り人間に危害を加えるようなことをしないし、そもそも龍の強大さを一介の人間と比較しようとすること自体、見当違いも甚だしいというものだ。

 龍の体内には灼熱の炎が宿っているという。この炎が、自身の魔力の産物なのか、それともデ・イグから転移されてくる異次元の炎なのか、それは定かではない。確かなのは、激昂した龍の放つ業火に巻かれれば一巻の終わりであるということだ。
 龍達の語ることには注意を払わなければならない。龍の言葉そのものに魔力が込められているために、何も警戒しない人間が接すれば、たやすく虜となってしまうだろう――。


◆◆◆◆


 その驚異の存在がデ・イグの空間を飛び交っている。そして何より――人間大の姿に化身しているとはいえ――自分達と対峙しているのだ。
【そう怯えなくてもいいだろう? わしの姿が怖いか?】
 龍の衛士アザスタンはこう言った。はた目にはわずかに震えているようにも見えるのだが、それは龍を目の前にして気圧されたためではない。
 “炎の司”という確固たる地位を手に入れること。
 龍という存在そのものになること。
 九ヶ月前に旅を始めてからこのかた、ずっと待ち望んでたときがいよいよ訪れようとしていることを知ったミスティンキルは胸が詰まる思いだった。
 だが一方で彼は内心首をかしげるのだ。
(ひょっとして、おれの願いの一つというのは、すでに叶っちまったんだろうか?)
 この龍、アザスタンは【試練を乗り越えた】などと言ったが、試練などいつ受けたというのか、ミスティンキル自身には全く身に覚えがなかった。だが、彼の背に生える龍の翼こそ、炎の司であることのれっきとした証拠に他ならない。

 ウィムリーフは、というと――龍という希有な存在を目の当たりにして、冒険家としてこの上ない願いが実現したことに格別の思いがあるのだろう、彼女の喜びようが見て取れるようだ。
「怖がるなんてとんでもない! ドゥール・サウベレーンとこうして話すことが出来るなんて、それこそ夢が叶ったというものだもの……あ、あたしはウィムリーフ。で、こちらがミスティンキルです。見てのとおり、アイバーフィンとドゥロームの組み合わせなんだけれど、おかしなものでしょう? でもあたしたちはこの半年近く……」
 ウィムリーフは頼まれもしないのに、早口で衛士に語りかけた。緊張しているわけではない、が舞い上がっているのは一目瞭然だ。たぶん彼女は吟遊詩人の伝承に出てくる英雄達のことを想起し、それらを今の自分に投影しているに違いない。
 普段の彼女らしくなく、声がうわずって聞こえるのが、かえってほほえましくも思えるのだが。
 そんなウィムリーフの様子に苦笑しながら、ミスティンキルもまた声を発した。
 この二人の適応性は大したものだといえる。静寂なこの空間にあっては音を発すること自体が出来ないものだと思って当然なのだが、彼らは自らの声を音を伴って発しているのだから。
「ウィム、落ち着けって。今からそう興奮してどうするんだよ。おれたちはこれから、イリリエンに会おうっていうんだぜ? そんなことじゃあ龍王を前にしたとき、ひっくり返っちまうだろうに」

【龍王様に会う、と?】
 ミスティンキルの言葉を聞いたアザスタンは即座に反応した。
「ああそうだ。おれは龍王にお目にかかりたい。ぜひ、訊いておきたいことが……いや、訊かなきゃならないことがあるんだ」
 ミスティンキルの頭に浮かんだのは、旅商達やエマク丘陵に住むドゥローム達の不安な面持ちと、狭量な司の長達が差し向ける蔑みのまなざしだった。
 “色が褪せる”というアリューザ・ガルドの異変を解決するのは、ことによると自分なのかもしれない。高慢と同情、期待と不安という複数の感情がミスティンキルの心中に折り重なる。
【ふむ。ならば、わしについてくるのだ。龍王様もお会いくださるかもしれぬ】
 龍は、必要なこと以外の言葉を発しないという。アザスタンはそれだけ言い放つと、身を翻して翼を広げて飛び立った。それまで龍が立っていたあたりの炎が、風に巻かれたかのように揺らめく。アザスタンはかなりの速さで滑空しているのだろう。見る見るうちに姿が小さくなっていった。向かう先は、きらきらと赤い輝きを放ちながら宙に浮かぶ巨大な球体。やはり思ったとおり、あの中にイリリエンがいるのだ。
 ぽつんと取り残された格好となった二人にアザスタンからの言葉が届いた。
【ついてこい、と言ったぞ。……じきにこの周囲は嵐に巻かれる。炎に飲み込まれ、世界の彼方にまで吹き飛ばされたくなければ早くすることだ】
「ま、待ってよ! さっきあなた、試練を乗り越えたって言ったじゃない? あれはどういうことなの? 試練があったなんて全然分からなかったのに!」
 ウィムリーフもまた、ミスティンキルと同じ疑問を持っていたのだ。あたふたとしつつ、銀髪の娘は翼をはためかせて蒼龍の後を追い、答えを聞き出そうとした。が、当のアザスタンは言葉を返すことなく王の住まいへと、ただまっすぐ向かうのみ。

 あとに残ったのはミスティンキルひとりとなってしまった。
「あいつ、ひとりで浮かれてやがるなぁ」
 やれやれと、黒い翼を広げて彼もまた宙に舞った。今まで自分の力で飛んだことなどもちろん無い。そのために、空を飛ぶことについてかすかな違和感があったが、じきに消え失せた。背中に得た龍の翼は思うままに羽ばたき、飛んでくれる。もはや自分の体の一部なのだ。
 試練に打ち勝ったドゥロームは龍の翼を得て、今や炎の司となった。

 そういえば――。
 炎をかき分けて飛びつつ、ミスティンキルは漠然ながら“試練”のことを思い出していた。確かに自分は試練を受けたのだ。
 アリューザ・ガルドからこの世界に転移したとき、つまり<赤い思念体>を象って炎の界に顕現したとき、この世界の炎達は激しい業火となって自分達に襲いかかった。あれがおそらくは試練だったのだろう。あのとき自分は抗うことなく、炎に身をゆだね、また一見不条理とも思えるこの世界特有の理《ことわり》を、ごく当たり前のものとして受け入れた。
 その瞬間、炎の理はミスティンキルの知るところとなり、炎の力は彼のものとなった。それを経ているからこそ今、自分達はデ・イグの中心部に存在出来ている。ミスティンキルはそう悟った。思う間もなく試練を乗り越えてしまったことにいささか拍子抜けしながら。
 だが、ふつうのドゥロームであればもっと長いこと試練に苦しみ、その果てに理を掴むものなのだ。しかし、この赤い力の持ち主はいともたやすく試練に打ち勝った。それもまたミスティンキルが元来持っている力の強さ故であるのだが、当の本人はまったく気づいていない。

 ようやくミスティンキルは、先行していたウィムリーフに追いついた。みるとウィムリーフの息はやや上がっているようだ。空を自在に舞う彼女にしては、らしくない。ウィムリーフは、ミスティンキルのそばに寄ってきた。
「あれ……不思議ね。今まで暑くてたまらなかったのに、あんたが来たとたん涼しくなったわ。ミストは、飛んでいて暑くなかった?」
 ミスティンキルがかぶりを振るのを見て、ウィムリーフはさも不思議そうに首を左右にかしげた。
 再び、アザスタンからの声が届く。
【そのミスティンキル……からあまり離れないことだな。ウィムリーフ、おぬしは炎の試練を乗り越えて理を知ったわけではないのだ。今までこの世界でお前自身を維持出来ていたのは、ミスティンキルの守りがあったためだ。距離が離れればその守りも薄くなり、やがては炎に焼かれてしまう】
 それを聞いたウィムリーフは目を丸くし、さらにミスティンキルに体を寄り合わせるのだった。
「そんな怖いことを淡々と言わないでよ! じゃあなに、今あと少しであたしの体は燃えるところだったっていうわけ? ちょっと、聞いてるの? アザスタン!」
【はっは……。龍に対しても怯むことのないその堂々とした言い様、わしは気に入ったぞ、アイバーフィンの娘よ。……まあ、ぬしの言うとおりだ。お前がいくら風の王じきじきの加護を得ているからといって、炎の世界を見くびると痛い目に遭うというもの。それを心に留め置くのだな。だからこそ、わしも前もって注意しなかったのだ】
 それを聞いたウィムリーフは、むう、と一言唸った。
「あたしとしたことが、すっかり増長しちゃってた、なんてね……。それに、あたしの力はやっぱり、ミストには敵わないのか……」
 ウィムリーフにしてはめずらしく自嘲気味に言った。その表情にはややかげりすらも伺えたがそれも一瞬、ミスティンキルが知るいつもどおりの彼女へ戻った。

 荒れ狂う炎の力が徐々に強まっていくのをミスティンキルは感じ取った。アザスタンがさきに言ったとおり、じきに嵐がやってくるのだろう。ミスティンキルは、ウィムリーフに一声かけると飛ぶ速度を増した。
 深紅に煌めく水晶球の威容が近づいてくる。


◆◆◆◆


 黒い翼を得た赤い力の使い手と、白い翼を羽ばたかせる青い力の持ち主はともに横に並んで宙を疾駆し、龍戦士の後を追っていた。ちらと後ろを振り返ると、先ほどまで自分達がいただろう空間には、ふつふつとたぎる溶岩を思わせる重厚な炎の塊が出現していた。その塊は飴か粘土のように空間一面に拡散すると、質量をまるで感じさせないかのように激しく吹き荒れた。飛び立つのがもう少し遅ければ、アリューザ・ガルドではおよそ想像もつかない、あの異様な嵐に飲まれてしまっていたのだろう。

 前方、彼らの視界には、いよいよ眼前に迫ったイリリエンの住まう球体のみが映る。ミスティンキルの故郷であるドゥノーン島が、丸ごと球の中に収まってしまうかのように思えるほど、途方もなく大きい。遠くから見たときは分からなかったが、この深紅の太陽は完全な球体ではなく、多面体のように表面が削られているように見える。その表面のあちらこちらでは、赤や橙、はたまた白など色とりどりの炎がとぐろを巻き、時折高々と火柱を突き上げると、そのたびに球体の面は光り輝くのだった。

 この球の近くには何匹かの龍が飛び交っていた。彼らは見慣れない人間達が来たことを察知すると、二人のすぐそばまでやってくる。いかつい龍鱗を持つ赤龍や、すらりとした体躯が美しい銀龍、さきほど会ったことのある小柄な白龍など、ひとくくりに龍と言っても彼らの容姿は様々だ。
 ここの龍達には敵意を感じない。龍達はそれぞれ思い思いに二人の周りを飛び交う。その威風堂々とした様に、二人はすっかり魅了されるのだった。
 ふとミスティンキルは、銀龍の大きな瞳と目があった。瞳の色こそ違えど、その瞳孔は縦に細長く切れている。――自分と同じように。おれもいずれ、このような龍の姿を持つことになるのだろうか、とミスティンキルは思った。
 龍達の中でも一番の巨躯を持つ赤龍がアザスタンの横に並ぶと彼に話しかける。横に並ぶと言っても、たとえるのならば巨岩と大鷹ほど、彼らの大きさには差異がある。
【ドゥロームと、さらにはアイバーフィンとは! さても珍しいものだ。先ほどから龍王様がお待ちのようだが、こいつらを待っていたというのかな。アザスタン、お前は何か知っているのか?】
 赤龍はしゃがれた低い声を発する。
【どうだろうか。かの方の心の内は、とらえどころがない炎そのものだ。あのドゥロームが龍王様に会いたいと言ったからわしはここに連れてきた。だが、今こうして力ある存在がデ・イグに顕現したというのは、何かしらの引き合わせなのかもしれんな】
【運命というものは私の関知するところではないが、それもまた楽しみなことだ】
 龍達は謎めいた会話を交わし、そして赤龍は身を翻して去っていった。

 そうこうするうちにアザスタンはとうとう球体の表面にたどり着いた。しかし彼は球体に降り立つ様子を見せず、また、飛ぶ速度を落とそうとしない。どうするのだろうかとミスティンキルが訝るうちに、龍の頭は球面に接触し――表面をすり抜けて中へと消えていった。
 ミスティンキル達も少し遅れて赤い水晶球に到着した。今し方のアザスタンの様子を見ていた彼らは炎の壁の間際で滞空し、どうしたものかと互いの顔を見合わせる。
 まずはウィムリーフがおそるおそる指先を壁に触れさせる。すると何の抵抗もなく、指先は壁の中に埋まる。
「面白い感じよ。ほら、お菓子の生地みたいにふわふわしててさ。……このでっかい丸全部がお菓子だったらすごいわよねえ?」
「こんなふうにめらめら燃えてる菓子なんか、誰が食べるってんだよ」
 ぶっきらぼうに言うミスティンキルは右の腕を壁に突入させる。すぐ横でウィムリーフが口をとがらせて不満を言うのを聞きながら。
「ふうん。生地、と言うよりはクリームだな、こいつは」
 ついに肩口まで壁に埋まった彼は、簡潔な感想を漏らしながらはい出した。この球体には入り口らしい扉や穴はない。ならば、この壁から中に入るほか無いのだ。先ほどアザスタンがそうしたように。
 ミスティンキルとウィムリーフは意を決して球体の表面に触れ、そのまま内部へ入っていくのだった。

 この中ではイリリエンが待つという。龍王との出会いがもたらすものは果たしてなんなのか、二人の若者は知るよしもない。




(二)

 柔らかな表面から球の中に入るとそこは、手を伸ばしたわずか先の空間すら見通せない、炎の濃霧となっていた。そばにいるウィムリーフの顔さえかすんでよく見えない。だが、躊躇している場合ではない。アザスタンは先にこの中へと飛び込んでいるのだし、何より龍王が待っている。二人ははぐれないようにと手を取り、固く握りしめると、赤い闇の先を目指して羽ばたいた。彼女の感触はやや質感には乏しいが、それでもこうして触れられるというのは、物質界での姿を強く意識し続けていたためなのだろう。

 まるで雲の中を飛んでいるようだ、と真横からウィムリーフの声が聞こえる。その声色から、彼女は自分以上に気分が高揚しているに違いないとミスティンキルは思った。ウィムリーフにとって最初となるこの冒険行は、幾昼夜、机に向かっても書き足りないほどに貴重で、素晴らしい体験になることは間違いないのだから。
 逆にミスティンキルは浮かれがちな気分を抑え、努めて冷静になろうとしていた。龍王と対面した龍人が、果たして何人いるというのだろうか! 高ぶる鼓動を少しでも静めるために、彼は大きく息を吐いた。

 ようやく雲を突破したかと思うと、息つく間もなくまた眼前にはすぐ次の雲の層が立ちふさがっていた。幾層もの雲をかき分け、二人は疾駆する。
 しかしいくら行けども果てが見えない。これは炎の界のあやかしなのではないか、はたまたこのまま球を突き抜けて外に出てしまうのではないか、と不安がつのり始めた頃、ようやく二人の眼前の視界が開けたのだった。途端、雷鳴のような音が二人の鼓膜を響かせた。どうやらここから先は、静寂に覆われていたそれまでの空間とは明らかに異なっているようだ。
 ミスティンキルとウィムリーフはその場で滞空し、しばし空間の様子に――超常の景色に見入った。

 広大な球内もまた外と同じく、炎によって形成され、橙色に彩られた空間が揺らめいている。だがここには、炎の事象界“デ・イグ”には無いはずのものがあった。土・水・風の要素が確立され、存在しているのだ。
 自分達が入ってきた場所以外の三方は、天上から底に至るまで白いカーテンが垂れているよう。だが、雷のような轟音を響かせるそれは、実のところ水によって形成されているのだ。はるか高みから轟き流れ落ちる、一面の大瀑布。滝底の様子は舞い上がる水煙に隠れ、ようとして知れない。
 この空間を吹き抜ける風が、滝の轟音と水を周囲一体に運ぶ。時折風は強く吹き、ミスティンキル達のところにまで水しぶきを届かせるのだが、“冷たい“という確かな感覚があるのは、かえって不思議に思えるのだった。球内を炎が支配しているというのに、熱さはまるで感じないのだから。
 中空には、岩山を得た島々がいくつか浮遊していた。島の間を時々走る閃光こそ、大地の力“龍脈”だ。これが島々を繋ぎとめ、浮かぶ力を与えているのだろうか。
 大地の力は水・風の力と融合し、島々の至る所に樹木を育んでいた。その枝葉は炎に彩られるが、決して木が燃え尽きることなど無い。

 四つの事象が融和したこの様相を、ミスティンキルは純粋に“美しい”と感じた。
 そしてこの空間の中央には炎の柱があった。球のはるか底から吹き上がっているそれは、中空で枝分かれし、中心部を守るかのように覆い囲んでいる。その中心部では、周囲の炎よりなお燦然と輝く炎が繭状に燃えているのが、枝越しからも見て取れる。あれこそが間違いなく――。

【力ある者よ。はらからの子――エウレ・デュアよ。来たな】
 繭の中から発されたのは力強い和音。奇麗な高音と打ち響く低音が折り重なるその音こそ、いと高き龍の声に他ならない。
 そして炎の繭は四散し、中から深紅の龍が――龍王イリリエンが姿を現した。と同時に、圧倒的な存在感から生じる、凄まじい力が二人を襲った。


◆◆◆◆


 古来より現代に至るまで、神々の姿をかいま見た人間はほんの一握りにしかならない。神と対峙し、かつ会話を交わした人間となれば、さらに。

 イリリエンの放つ莫大な神気に気圧されて、ミスティンキル達はまったく身動きがとれなくなってしまった。だが、それだけでもましと言える。かの龍こそは太古より生きる龍の王、そしてアリュゼル神族にも匹敵する力の持ち主。心弱き者は姿を直視するだけで、魂を簡単に抜かれてしまうだろうから。
――龍王様に対面するなどと大言壮語を吐きおって。お前などに出来るものか――
 司の長ラデュヘンの放った言葉が、単なる侮辱ではなかったことをミスティンキルは思い知った。龍王に会うということは、それなりの決意が必要なのだ。
 だが結果として、彼ら司の長が望んだところでイリリエンに会うことは叶わなかった。今、自分は出来た――。慢心ともいえる優越感が、頭をもたげようとしているのにミスティンキルは気づいた。それはある意味、痛快でもあった。炎の界は権威に寄りかかる長よりも、一介の漁師を選んだのだ。忌まわしいと言われ続けた、赤い力を持つ自分を。
「ようやくお出ましかい。龍王様」
 ミスティンキルはぽつりとつぶやくと、ほくそ笑んだ。
 だが。
【否。私は待っていたのだよ、同胞の子《エウレ・デュア》】
 龍王はこのように言った。自分の些細な呟きが聞こえていたことを知り、ミスティンキルは驚いた。
【音として放たれた言葉は、多かれ少なかれ空間を揺らすということを知りおくのだな。ともあれ、苛烈な炎を乗り越えよくここまでたどり着いた。まさか風の司まで来ていようとは思いも寄らなかったものだが、嬉しく思うぞ。さあ、イリリエンのもとに来るがいい!】
 イリリエンの言葉とともに、ようやく体の呪縛が解けた二人の前には、再びアザスタンが空間を渡って現れた。アザスタンは二人を先導し、龍王の御前まで行くと飛び上がり、龍王の頭の横で滞空した。

 こうしてあらためて見上げると、イリリエンの巨躯にはやはり圧倒される。体は山のように大きく、アザスタンの龍戦士姿は、龍王の牙と同じくらいの大きさにしか見えない。
 炎の繭を打ち払ったとはいえ、イリリエンの体には常時炎が取り巻いている。
 ミスティンキルは、司の長の館で見た壁掛けを思い出した。長達が会議を行っていた部屋の奥にあった壁掛けの意匠は、炎に取り囲まれた雄々しい龍王が描かれていた。
 しかし、イリリエンの醸し出す雰囲気は猛々しいだけではなく、優雅さをも兼ね備えている。

 イリリエンの金色の瞳が二人をじいっと見つめ――龍王は声を放った。
【……私は力ある人間の来訪を待ち、デュンサアルの扉を介して呼び寄せようと試みていた。おそらくは、他の界の王達も同様に力ある者を呼び寄せていることだろうが、運命は私の方を向いていたようだな】
 龍の発声の仕組みというのは明らかに人間とは異なっているようだが、いくつもの音を同時に発するイリリエンの声は神秘そのものを具現化したかのようだ。男声と女声が調和してひとつの音楽をなす合唱にも似ている。アルトツァーンのどこかの街で祭りが催されていたとき、そのような音楽を聴いたことをミスティンキルは思い出していた。
「ひとつお訊きして……よろしいのでしょうか?」
 ウィムリーフの言葉に龍王は目を細め、肯定した。
「龍王様は、あたしたちが来ることを知ってらしたのですか?」
【名は……ミスティンキルにウィムリーフ、か。……今、ここにいるアザスタンから聞くまで、ぬしらの名前は知らなんだ。力を持つ者がデュンサアルに来ていたことのみ分かっていた。それがたまたま、ぬしらだったということだ】
 イリリエンはしばし風の司の娘を凝視した。ウィムリーフもまた、龍王の瞳を見つめるが、緊張の極致にあるさまがうかがい知れる。息を止め、まばたきひとつしようとしない。
【……なるほど、風の王は、ぬしがこちらに来ていることを知ったら残念がるであろうな。ぬしが今、風の界に行っていれば、エンクィは間違いなくぬしに“使命”を与えたであろうに】
 イリリエンは即座にウィムリーフの力のほどを見抜いたのだ。
「ありがとうございます。……こうして龍王様のご尊顔を拝したこと……それだけであたしはもう、胸がいっぱいです……」
 念願叶ってイリリエンと会話が出来たことで、彼女は張りつめた緊張の糸がぷつりと切れたのか、くらりとバランスを崩し倒れてしまった。その体をミスティンキルは抱え上げる。

「龍王様。あなたならば知っていると思って……どうしても聞いておかなきゃならないことがあるんです」
 いよいよ自分が出る幕なのだ、と考えたミスティンキルが口を開いた。心臓の音が頭に響いてくるかのようだ。
「今、アリューザ・ガルドでは変なことが起きているんです。こういうことを言って信じてもらえるか分からないが、世界の色が褪せている。草の色や空の色まで……。こんなことは今まで生きてきてはじめてで、周りの人間もどうしたらいいものだか途方に暮れてしまっている。……どうしてこうなったのか、どうすれば元に戻るのか、その方法を知らないでしょうか?」
「……あのね、ミスト。いつも言ってるけれど、説明するにしてもそれじゃあまりに言葉が足りないのよ。今さらどうこう言ってもしようがないから、あたしがあらためて……」
 ミスティンキルの腕の中から彼を見上げ、いつもと変わらぬ様子でウィムリーフが諭しはじめる。またか、とミスティンキルは顔をしかめた。
【それには及ばぬ、風の司よ。我ら四界の王は、アリューザ・ガルドの情勢を見極めている。今、アリューザ・ガルドの色が褪せてきた原因も、それに対しなすべき手段も知っている。だが、我らやディトゥアの神々は、いかなる世界の潮流に対しても、自ら率先して新たな流れを作ることを禁じ手としている。運命を切り開く役割というのは、唯一人間のみ有しているのだ。四界の王が力ある人間の招来を願ったのは、なればこそ。使命を乗り越え、新しい流れを作るためである】
「だとすると、おれたちの手で、この異変を解決できるっていうんですか? どうやればいいんです?」
 龍王の語る言葉は漠然としており、ミスティンキルはすべてを把握しきれなかったが、これだけはつかみ取った。どうやら本当に、世界の異変を正すのは自分達にかかっているのだということが。
【ことの発端は、封印された強大な魔法の力――すなわち魔導によるものだ。なればこそ、唯一のすべは、おのずから見えてこよう? これにより事態は収拾し、新たな運命が切り開かれて行くであろう】
 龍王は言った。
【これは、力ある者だからこそ達成できることだ。……エウレ・デュアよ。魔導を、解き放て!】


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