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第二章 司の長

(一)

 自然の景色がおしなべて色あせて見えるのに対し、旅ゆく商人達の姿や衣服などは以前と何ら変わらなかった。雲一つない灰色の空から注ぐのは、太陽の鈍い光。それは春の暖かな陽光とはほど遠く、むしろ薄ら寒さすら感じさせる。

 くすんだ色合いの風景の中にあって、自分達の輪郭がやけにくっきりと見えるというのは不自然きわまりない。景色が変容してから二日ほど、商人達は声高らかにこの不気味さを言い合い、またそうすることで自分達の不安をうち消し合っていた。だが、三日目が過ぎ、風景の様子がいまだに戻らないことに、いよいよ恐怖を覚えた商人達は言葉数も少なくなり、黙々と丘陵地を登っていくようになった。
 ともすれば陰鬱になりがちな商人達を励ましたのは、明るさを失わないウィムリーフであり、音楽を奏でる旅芸人達であった。さらには愛想が悪いなりにミスティンキルも、しきりに商人達に声をかけるようになっていた。ミスティンキルの生まれは海のそばであるが、もともとドゥロームというものは山に居を構え空を友としていた人間である。今こうして山々に囲まれた高地にいること自体がミスティンキルの心を落ち着かせるのだ。
 周囲の山岳地帯の至るところにドゥロームの村落がある。この日は空を滑空して狩りをする住民をときおり見かけることがあったが、次の日からはぱったり見なくなった。


 エマクの丘を登りはじめて六日目、翌日にはデュンサアルに着くという日のこと。旅商達は道行く葬列に遭遇した。このあたりにしては大規模な葬儀だ。彼らは百人をゆうに越えており、三百名ほどにも達するかと思われた。葬儀に参加する者達はみな一様に赤い長衣をまとっていた。猛々しく立ち上る炎を象った刺繍が施された赤い衣装こそが、ドゥロームの正装である。葬列の衆は松明を手にしており、そこからは色あせた炎がちろちろと弱々しく、くすぶっていた。
 ミスティンキルは旅商の列から離れ、彼らの一人に声をかけてみた。
「なんだ、よそ者か? あんた」
 その男はミスティンキルの言葉遣い――抑揚の違いを訝しんでいるようであった。そしてなにより、赤い瞳も。
 ミスティンキルは男の物言いに憤りを感じたものの、死者の手前もあり怒りを収めた。
「……ああ、おれはラディキアの島からやって来た。ここに来るまで九ヶ月だ。……人が亡くなったのか。……ニーメルナフの力もて、汚れ亡き魂が、無事にかの地にて安らぎをえんことを」
 ミスティンキルの言葉は、死者の魂の冥福を祈る言葉。男は礼を述べると、死者のことを語りだした。
 棺の中にて眠るのは老夫婦。“炎の司”であり、この近くの村の長でもあった彼らは既に二百の齢を重ねていたが、残念なことに寿命による往生ではなかった。腕のいい狩人でもあった夫婦は昨日、普段どおり獲物を狙っていたが、どうあやまったのか二人共に空から落ちてしまったのだという。
「あれほどの名手が翼をいきなりたたむなんて考えられんし……この景色の不気味な色合いのせいだろう、と考えるほかない。まったく、この“色”は何なんだろうな? これこそ、なんかしらの呪いなのかもしれないと、俺たちは思っているんだが」
 男はそう言ってやりきれなさそうにかぶりを振る。
「おれたちもこの“色”には心底まいってるんだ」
 ミスティンキルは言った。お互いの抱いた第一印象から抜け出すことが出来ず、会話はいまだにどこかしらぎこちないものとなっている。
「……おれはこれからデュンサアルに行く。“炎の界”で試練を受けるために。ついでに、景色がくすんで見えることについて“司の長”たちに聞いてみようと思ってる。おれたちには分からない何かを、ひょっとしたら知ってるかもしれないしな」
「試練を受けるのならば、ぜひとも長たちには会うべきだろう。だが、俺も先ほどあんたに対して失礼を言ったが、デュンサアルの長たちも同じような事を言うかもしれん。こう言うのも何だが、海に住むドゥロームはドゥロームではないとすら考えているようだからな」
 離れゆく葬列に気付いた男は最後に「試練の成功を龍王様に祈る」と言い残して、ミスティンキルと別れた。
(あいつ、気に入らねえな。はなからよそ者扱いしやがって。でも長の連中ってのは、もっと気に入らねえかもな)

 ミスティンキルは隊商の列に戻った。憤りながらも彼は別のことを同時に考えていた。景色のくすんだ色合いは、世界そのものに何らかの影響を及ぼしているのだ、と確信したのだ。
 こういった考えに至る人間は数少ない。本当に偉大な魔法使い――魔導師とは、術を発動させる際にいつも、世界の運行そのものを視野に入れているものなのだ。しかし、今の世の中に魔導師と呼べる人間など皆無であろう。
 本人は未だ自覚していないものの、ミスティンキルはやはり生まれながらにして魔法使いの才覚を持っていた。


◆◆◆◆


 この夜、ミスティンキルは久々に護衛の任に就いた。深夜には満天に星々が瞬くものの、それはむしろ彼の心をかき乱す。夜の星々や月さえもが弱々しく光るように見えてならなかったからである。
 今日までであれば、高地にいること自体が彼の心をいくらか救ってくれていた。色はくすんだとはいえ、澄んだ空気と山々の雄大さは変わることがない。しかし昼間の葬列を見て以来、色あせた景色を見ること自体に嫌気が差していた。

「……眠っといたほうがいいんじゃねえのか?」
 ミスティンキルは後ろの気配に対して声をかけた。
「へえ、あたしだって分かった?」
 ミスティンキルは言葉に出さず小さく頷いた。ウィムリーフの体内に有する“力”が彼自身の“力”と共鳴するのか、これはウィムリーフの気配である、と分かってしまうのだ。
 また、彼女が今夜ここに来るだろうことを何とはなしに予感していた。このところ気丈に振る舞ってみせるウィムリーフだが、それは空元気に過ぎないことをミスティンキルは気付いている。またウィムリーフも、寡黙な若者が抱えている不安を知っている。だから彼らは今、こうしてたたずんでいるのだろう。自分を、そしてお互いを安心させるために。
「なんか……眠くなくなっちゃってさ。暇つぶしがてら、あんたのとこに来てあげたわけ。感謝なさい?」
 ほんの少しとはいえミスティンキルより年上の彼女は、ときおり彼に対して姉のように振る舞うことがある。当初は小やかましくも感じられたものだったが、五ヶ月の共同生活の中でミスティンキルも次第に慣れていた。
「……勝手にしろよ」
 といつものように素っ気なく言う。

 暖をとる炎と向かい合う彼らだが、火の色すらもあせている。この不自然な色合いを避けるようにするうち、二人はお互いの顔を見合わせるようになっていた。
「今日までの日誌をつけるのはまだ楽だったけど、明日からは日誌に書くことがもっと多くなりそうで大変かもね。でもはじめて見るドゥロームの聖地だもの。しっかりと目に焼き付けておかなきゃ!」
「……色のこと、やっぱり不安か?」
 口数の少ないこの若者は、前ふりをおかずに核心から話し始めることがままある。話を中断させられるかっこうとなったウィムリーフは苦笑をしつつ、彼の言葉に頷いた。
「うん。疲れるのよねぇ……。無理してがんばって見せてるっていうの、自分でも分かっちゃうから。気晴らしに飛んでやりたいところだけど、それをやっちゃったらせっかく髪を染めてる意味が無くなっちゃうし、それに……落ちるのは怖いし」
 ウィムリーフは明らかに、自分の翼が失われることを恐れている。ミスティンキルは彼女の肩をそっと抱くと、彼女の顔のそばで言った。
「……ウィムの力が無くなったわけじゃないだろ。これはおれの勘だけどな、色がおかしくなったことで自然の力が弱まってんじゃないかと思ってるんだ。……見ろよ。この火だって、これだけ薪を入れてるってのにたいして暖かくならねえ。じゃあ風の力はどうだ?」
「……そうね。風の流れ方が明らかにおかしくなってる。流れ方が遅くなっているというか滞ってるというか……」
 風の司でもあるアイバーフィンの娘は即座に答えた。
「な? おかしくなってんのは自然の力だ。あの時、翼が消えたのだってお前のせいじゃない。そこは安心しろよ」
 少々強引なこじつけであることが自分自身でも分かっていながら、ミスティンキルは言ってのけた。ウィムリーフの不安を追い払ってやりたい一心から。
「へええ」
 対するウィムリーフは、ミスティンキルの考察を見事と思ったのか、感嘆を漏らした。
「大したもんね、ミスト。そういう言い方、安心するわ……ずうっと昔、魔導師たちがいた頃の魔法学の講義を聴いてるみたいね。ひょっとしたらあんた、魔法使いとして食べていけるんじゃない?」
 ミスティンキルは笑った。
「馬鹿を言えよ。今いる魔法使いなんて、いんちきなまじない師と変わりねえだろう? そんなうさんくさいもんになるつもりはないね。おれには漁師のほうが向いてる……それに今のおれは“炎の界”のことしか頭にないんだ」
「“炎の界《デ・イグ》”での試練ね……どういったことをするのか、あたしも見てみたいな。冒険家のたまごとしては、すごく興味あるもの」
「やっぱり、ウィムも行きたい、か……」
 ウィムリーフは力強く頷いた。
 彼女が自分と一緒に“炎の界”に行きたがっているという事は前にも聞いたことがあるが、彼自身連れて行っていいものだか見当がつきかねた。ウィムリーフがついていてくれれば自分の心が安らぐし、彼自身としてはついてきて欲しかった。だが、アリューザ・ガルドとは全く様相を異にする世界へと連れて行くことは問題にならないだろうか。火に属する自分はともかく、風に属するアイバーフィンを果たして“炎の界”が受け入れてくれるのだろうか。なにより、デュンサアルの住民に見とがめられたらどうするのか。
「まあ、“デ・イグ”への入り方が分かるのはドゥロームだけなんだし。無理な話だと思ってるんだけどね……いつものあたしだったらごり押ししてただろうけどさ。……忘れてくれてもいいよ」
「悪いな。今のおれからはなんとも言うことができねえ」

 その後、二人は鈍く光る陽光が東の空を薄紅色に染めるまでの間、語り合った。商人達のこと。二人が歩んできた旅のこと。昔の自分のことなど。
 ミスティンキルとウィムリーフが出会ったのは五ヶ月ほど前のこと。西方大陸《エヴェルク》から東方大陸《ユードフェンリル》へ渡る途中の島で、ごく小さな出来事をきっかけに知り合い、以来行動を共にするようになっている。
 話し込むうちに眠気はもちろんのこと、いつしか不安は吹き飛んでいた。ミスティンキルにとってウィムリーフは、かけがえのない女性になっている。ウィムリーフもまた、同じようなことを考えているのだろう。種族の違いなど、もはや些細なことにしか過ぎない。


◆◆◆◆


 明くる日、やや急な斜面を登りきると、それまで左右に迫っていた大きな岩の壁も切れた。そして、望んでいた景色が広がる。この時、商人達にとっての旅はようやく終りをむかえた。そしてミスティンキル達にとっても。彼らはとうとう目的地にたどり着いたのだ。

 “炎の界”に最も近いとされるドゥロームの聖地デュンサアルをはじめに見たとき、ミスティンキルは少なからず落胆した。聖地と言うからには、アルトツァーン王国の王都ほどでないにせよ、地方の小都市ほどの華やかさくらいは持ち合わせているのだろう。もしくはまるで神殿のように、象徴たる炎が柱をかたどり、その柱が赤々と辺り一面を取り巻いているのかもしれない。そんな彼の想像とはおよそかけ離れていたのだ。
 拍子抜けしたのは彼だけではなく、ウィムリーフもまた同様であったろう。
「本当にここがデュンサアルなの? 聖地なの?」
 と、商人に念を押して訊いていた。

 森と山々とに守られた小さな盆地。素朴で閑静な村。それがデュンサアルだった。
 平地と呼べる場所はごく限られていたものの、そこには客を迎えるための宿や酒場といった施設が、質素ながらもあった。
 低いながらも急峻な岩山の斜面のそこかしこにへばりつくようにして、堅牢な石造りの家々が密集している。それらの集落からさらに上を見ると、山の頂に近いところにやや小綺麗な建物の集まりがあった。それが、“司の長”達が住む地域なのだろう。
 目指すデュンサアル山は――岩山同士を縫うように登っていき、その先にある平原を越えたところに存在している。山そのものは高くはないものの、どっしりと構えた雄大な姿は聖地として相応しいものだった。この山のどこかに、“炎の界”へと通じる門が存在するのだ。
(はやいとこ、炎の界――“デ・イグ”に行ってみたい!)
 ミスティンキルは、はやる気持ちを抑えながら、商人達と、そしてウィムリーフと共に旅籠へと向かう。夜を徹したこともあり、ウィムリーフのまぶたは重そうである。
 ミスティンキル自身もかなり疲労がたまっていることを自覚していたが、それに勝る意思があった。旅籠で一息入れたあと、すぐにでも“司の長”達に会いにいくのだ。




(二)

 炎を象徴した赤い長衣。それがドゥロームの正装である。司の長達に会うにあたって、ウィムリーフがミスティンキルに半ば押しつけるように着させたのだ。長という立場の人間に会うのだから、身なりを整えるべきだというのが彼女の考えであった。一方のミスティンキル本人はわざわざ着替えることもないだろうと考えていたのだが、「しゃんとしなさい」という彼女の言葉に一蹴されてしまったのだった。

 こうして赤い衣を身にまとって旅籠をあとにしたミスティンキルは、宿の女主人から教えてもらったとおりの道を辿り、“司の長”達が住む地域の麓までやって来た。
 しかしながら、そこから長達の住まいがある岩山の頂きに到着するまでは、思った以上に時間がかかってしまった。傍目から見て大した高さではなさそうだったのだが、そう簡単に事は運ばなかったのだ。山の頂へと向かう小径は狭く、岩山の緩い斜面をあちらに行き、またこちらに戻るといったふうに、つづれ折となりながら延々と続いていた。
「やっぱり……ウィムに頼んで、ここまで運んでもらえばよかったよなぁ……ああ、でもあいつ、翼を使うのを怖がってたんだっけ……」
 山道を登っている最中、何度もミスティンキルは思ったものだ。空を舞う翼さえあれば、このような苦労をせずに済んだのだから。かつて海と共に暮らし、鍛え抜いた体を持っているミスティンキルではあるが、昨晩の護衛のために一睡もしていないこともあって、今や疲労の極致にあった。ウィムリーフの言葉どおり今夜一晩は旅籠でゆっくり休めば良かったのだ、と心の声は囁くが、ミスティンキル本人は依怙地に否定した。

 息を上がらせながら、やっとのことで山道を登りきったその時、鐘の音が山の麓から春の風に乗るようにして聞こえてきた。
 ミスティンキルが泊まっている地域で打ち鳴らされているそれは、一刻ごとに時を告げる鐘である。ミスティンキルと商人達がデュンサアルに到着した時分にも折しも、鐘が鳴っていたことから察すると、この山道を一刻ちかくに渡って登り続けたことになるのだろう。
 流れる汗のために顔にまとわりつく黒い髪が疎ましい。ミスティンキルは汗を拭いながら、自分が歩いてきた道を振り返った。ちょうど見下ろした位置には、自分達が滞在する集落の屋根が見えていた。そして家々からそう離れていない広場に見えるのが灰色にくすむ天幕。その周囲で動き回る小さな影は、商人達であろう。
 天幕が貝殻ほどに小さく見える場所まで、また引き返さなければならないのかと思うと、気が滅入りそうになるが、あえて忘れおくことにした。
「翼を持つ長の連中にとっちゃあ、こんな山の上に住んでても何の不便もねえってことかよ!」
 悪態をついても何にもならないが、もとから気に入らない長達のことがさらに憎たらしく思えるようになっていた。
(海のドゥロームなんてドゥロームじゃねえだと? アイバーフィンが嫌い? ……はん! 高いところから人を見下ろして、偉そうに暮らしてる奴らなら、そうも思うだろうよ!)
 面倒なことはすぐに済ますに限る。早く長達に会って、そして早くウィムのもとに帰ろう。
 そう思い、ミスティンキルは息を整えると、目の前に立ち並ぶ建物の中でもひときわ大きく目立つ館――“集いの館”へと向かっていった。

(注釈:一刻は約一時間半に相当。一日は十六の刻に分割される)


◆◆◆◆


 そして、再び鐘の音が流れる。
 館の柱の一つに背を預けて座り込んでいるうちに、さらに一刻が過ぎたことをミスティンキルは知らされた。弱々しく光を放つ太陽は、既に西へと傾きはじめ、屹立する山々に夕刻を告げようとしている。

 今のミスティンキルは、不愉快と焦燥感の固まりと化していた。なにせ長達のいる“集いの館”に着いたはいいが、館を前にして聞く鐘はこれで二回目なのだから。
 彼は待ちぼうけを食らっていた。
 ミスティンキルは舌打ちをして、右横にある扉を恨めしそうに見上げる。石造りの立派な扉には、炎を象った大層な意匠が施されてある。しかしながら扉は今も固く閉ざされ、向こう側から人が現れる気配は全く感じられない。あとどれほど待てばいいというのだろうか?
 ミスティンキルが最初に扉を叩いたとき、館の中から顔を覗かせた男が「ちょっと待ってくれ」と言ってから、まるまる一刻もの時間が過ぎてしまったのだ。
 彼は腕を大きく上にあげて伸びをしたあと、疲れと眠さのあまりくっつきそうになる瞼をごしごしとこすり、そして再び背を壁に預けて座り込む。腹立ち紛れに目の前の地面を叩いたところで、けっきょく彼の憤りは収まるはずもない。
 元来ミスティンキルは、けして気の長い性分ではなかったものの、待つことに関しては辛抱強く耐えられた。それは彼がまだ漁師のせがれとして暮らしていたとき、自然と身に染みついたものである。ラディキア沖で魚の群がやってくるまで二刻も三刻も待つことはざらだったからだ。

 しかし今、彼は苛立っていた。長達は「会議中である」として、いっこうに姿を現そうとしない。いい加減にしびれを切らしたミスティンキルは立ち上がると、“集いの館”の周りを大股で闊歩した。
 この館はバイラルの国々に見られるような、宮殿の華麗さや城塞の威圧感は持ち合わせていない。ほんのごく小さな地方の領主が住まうであろう程度の造りである。それでも、デュンサアルにある建造物の中にあっては豪奢といえた。それはデュンサアルに住むドゥローム達がおしなべて質素かつ堅実な生活を送っているからに他ならない。
 ミスティンキルはぐるりと一周を回ってみたものの、館の窓はいずれもカーテンがきっちり降ろされており、中の様子を伺い知ることはできなかった。

 会議の内容は間違いなく“褪せた色”の件についてであろう。宿の女主人に聞いていたところでは、「長様《おささま》たちの館では、かれこれ三日三晩も話し合いが続いている」という。しかし彼らはなんと長いこと話し合えば気が済むというのだろう。ラディキアの漁師達も寄り合いをすることがあるが、長くても一刻以上はかからない。最後には決断権を持っている漁師の長の一声で決まるのだから。
(いまの事態が普通じゃねえってのは、おれにも想像がつくが。しかし、だらだらと話し合ったところで、答えなんか出るのかよ?)
 いくらなんでも休憩なしに会議を続行するわけはないだろう。
 ミスティンキルはそう思い、一刻前に取り次いでもらった龍人と話すために、扉を強めに叩いた。
 ややあって、中からくぐもった声が聞こえてきた。
〔誰だ?〕
 その言葉は、いまの世では滅多に使われなくなったドゥローム語。そしてこの声は、一刻前に言葉を交わしたドゥロームのものだ。
〔さっきの者……ミスティンキルです。あの、だいぶ前から待ってんだけど、会議が終わるのは、まだとうぶん時間がかかるんですかねえ?〕
 言葉を荒げながらミスティンキルは扉の向こう側に言った。

 しばしの沈黙のあと、扉がぎいっと音を立てて内側に開いた。扉から顔をのぞかせた者は青年のようであり、ミスティンキルよりやや年上である程度のようにもみえるが、その物腰から実際のところは相応の年を重ねたドゥロームであることが伺い知れる。彼はミスティンキルの頭からつま先までをじろじろと眺めた。長時間にわたる会議のためか、彼のやや虚ろとなった眼差しからは焦燥感が感じられた。
〔入れ。今ようやく俺達も休憩に入ったところだ。……お前の用向きは……何だ?〕
〔デ・イグに行って試練を受けたいのです〕
〔ならばついてくるがいい。俺はファンダークと言い、“司の長”の一人だ。お前を長たちに引き合わせよう。“デ・イグへ向かう者は炎を尊び、炎を司る者を尊べ。さすれば龍王の加護あらん”と、我らドゥロームの言うからには、な〕
 ミスティンキルは、その男に先導されて薄暗い玄関へと入っていった。
(長さまだか何だか知らんが、えらそうな口調をきくやつだ。だいたいおれの用件なんざ、一刻前もおんなじことを言ったじゃねえか。二度も言わせるなよ)
 と内心苛立ちながら。


◆◆◆◆


 会議室の扉が重々しい音を立てて両側に開けられた。
 大部屋を照らすのは、窓から入り込む弱い西日と、壁の燭台にたてられた幾本かのロウソクのみであり、やや薄暗かった。部屋の中央には円卓が置かれ、“司の長”と称される五人の龍人達が、卓を取り囲むようにして深々と座っていた。が、扉のそばに立つ見慣れぬ訪問者――ミスティンキルの姿を認めると、この訪問者へと視線は集中した。
 そのまとわりつくような視線を嫌うかのように、ミスティンキルは目を泳がせると、部屋の奥にあるものにふと目を留めた。そこには天上から吊され、床にまで届く大きな壁掛けが掛けられていたのだ。
 意匠もまた見事であり、真っ赤な躯を持ち大きく翼を広げている雄々しい龍を中心に据え、炎が龍のまわりを取り囲んでいる。この深紅の龍こそが龍王イリリエンに他ならない。炎の界“デ・イグ”を統べ、ドゥール・サウベレーンの頂点に立つ深紅の王。アリュゼルの神々によって人間達が創造されるよりさらに以前に、アリューザ・ガルドに顕現した最初の龍。イリリエンの力はディトゥア神族にも匹敵する。あるいはディトゥアより上位の神であるアリュゼル神族にすら肩を並べるかもしれない。かつて“黒き災厄の時代”に黒き神ザビュールが降臨した際にも、龍王は龍達の先陣を切って魔界に至り、忌まわしき冥王と相対したと言われている。

 そのイリリエンの壁掛けを背にするようにして腰掛ける老ドゥロームこそ、長の中でももっとも地位の高い者だろう。右奥、目を閉じて腕組みを崩さずにいる大男は、長老格の者よりもやや年若くもあるが、初老の域に達しているに違いない。そのほか、右手前には明らかに疲れ果てた表情をしている痩せた男、左奥のミスティンキルから目を離すことなく鋭い視線を投げかけている壮年の男と、同じくミスティンキルを見つめる左手前に座す男。彼らこそが、炎の事象にもっとも長じている“司の長”であった。
 ミスティンキルを案内してきた今一人の司の長――ファンダークも、もっとも手前の席に腰掛けると、扉を背にして棒のように突っ立ったったままのミスティンキルを一同に紹介した。
〔エツェントゥー老、それに皆さま方。……この若者は、試練を受けるためにデ・イグに行くそうです。その前に我ら”司の長”に挨拶したいとのことで、連れてまいりました〕
 エツェントゥーという名の長老は静かに頷いた。
〔我らを訪れたというのは賢明だな、若いの。そして我らもちょうど会議を休もうとしていたところで都合が良かったというものだ。さあ、名乗るがいい。そして、どこからやってきた?〕
 右前に座わる痩せた男が聞いてきた。
〔名はミスティンキル。ミスティンキル・グレスヴェンド。……ラディキアからやってきました〕

〔そうか、ラディキアか! ……はっは。あの海洋に浮かぶちっぽけな島のいずこかからお前は来たというわけだな?〕
 ミスティンキルの出身地を聞いた途端に笑い出したのは、右奥に腰掛ける初老の大男だった。歳を経たとはいえ戦士といっても差し支えない鍛えられた肉体を持つ偉丈夫は、豪快に笑った。
〔わざわざここデュンサアルを訪れ、試練を受けたいとはな。“ウォンゼ・パイエ”らにも、炎を尊ぶ心がまだ残っておるとは思わなんだ。ご大層にも我らドゥロームの真っ赤な正装で着飾りおって。俺はてっきり、海の者達の正装は、青――波打つ海を織り込んでいるものと思っていたぞ〕
 腕組みをしていたその男の言葉にはあからさまな侮蔑が込められていた。
〔ウォンゼ・パイエ……つまり、海蛇の落人《おちうど》だと?〕
 ミスティンキルは嫌悪の念をあらわにして、じろりとその男を見やった。

 海に住むドゥロームはドゥロームではない、と長は考えている――。

 事前にこの噂を聞いていただけに覚悟は出来ていたつもりだったが、こうして自分が実際に蔑みの言葉を浴びせられると、かあっと頭に血が上っていくのが分かる。
 男はミスティンキルの表情を気にも留めない様子で、さらに言葉を続けた。
〔さよう。龍でもない。海蛇よ。これはもう遠い昔のことであるが……我らドゥロームは、もともと翼を持ち、山を住まいとしていた龍の民であった。これくらいはお前でも知っていよう? しかし、鳥人達との戦いがあり、我らと鳥人は共に神の裁きを受けた。結果、我らの翼はもがれ、デ・イグでの試練を受けぬ限り、アリューザ・ガルドでは得難いものとなってしまった。翼を無くしたというのは、あの鳥人達も一緒だが……こともあろうにその後に連中はアイバーフィン、つまり“翼の民”であると名乗りおった。我らとて翼を持つ民であることには変わりないというのに……我らのことを差し置き、“翼の民”を名乗るとは、けしからん傲慢な連中よ! ……なあ、長の衆よ〕
 一同は、もっともだと言わんばかりに頷いた。男は言葉を続ける。
〔まあ、鳥人のことはさておいて、だ。……かの“天空の会戦”によって失われたのは翼のみにならなかった。アリューザ・ガルドとデ・イグとをつなぐ門をも我らは失ったのだ。その時から我らはもといた大地をあとにして、失われた門を再度見つけるために探求の放浪を続けた。そして長きに渡る流浪の末、とうとう新しい門を見つけたのだ。それがここ、龍人の聖地デュンサアルだ。門を見つけ、そしてここに住まうことを我らは誇りに思う。――だが、一部の者にとってはそうではなかったようだな。山への郷愁を忘れて放浪を止めてしまった者、海辺にて暮らす者。真摯な意志を捨てて安穏と暮らす落伍者……それがお前の祖先だ。海蛇の落人よ〕

 この言葉を聞いたとき、ミスティンキルは自分の抑えが効かなくなっていることに気付いた。そして気付いたときには既に言葉が出ていたのだった。
「落ちこぼれだと? おれたち海に住む者が?! ……このじじい、言わせておけば勝手なことを!」
 ミスティンキルは男に殴りかかろうとしたが、手前に座っていた長の二人に制止された。
「離してくれ! おれたちだって毎日一生懸命に働き、誇りをもって生活をしてるんだ!」
 ミスティンキルは強引に振り解こうとするがかなわなかった。
「なのに、あいつはおれを馬鹿にしやがったんだ! 許しておけねえ! それとも……あんたたちも所詮あいつと同じだっていうのか? そうなんだな? なんせ長の仲間うちだものなあ! おれのことなんざ、卑しいやつだって程度にしか考えてねえんだな?!」
 ミスティンキルは赤い瞳をめらめらと燃えたぎらせ、司の長達の顔を鋭くねめつけた。
〔……おまけに粗野ときたものだ。礼儀知らずめ。我ら長に対してよくそのような不敬な言葉をつかえるものだ。いや、ものをよく知らないと言うべきか?〕
 当の男はそしらぬ顔で肩をすくませるだけだった。
〔まあ、お前のドゥローム語は訛りがひどく、何を言っているのだか、我らには聞き取りづらいのだがな。ドゥロームの言葉よりも、バイラルの言葉をよく好んで話すようだ。所詮は気高き誇りをうち捨てた、海の者よ〕

 憎悪と怒りに包まれ、我を忘れそうになったその時。
 ミスティンキルは自分の中から何かが放たれたのを認知した。瞬時にして、彼の視界に広がるもの。それは霧のような赤い色だった。純粋なる赤い力、ミスティンキルが有する力の片鱗であった。
 彼自身が驚く間もないうちに、ミスティンキルのまわりを取り巻いていた赤い霧状のものは突如肥大化し、あたかもミスティンキルがそれを望んでいたかのように長達の姿をも飲み込んでしまった。




(三)

〔こやつ、もしや魔法使いか?〕
 ミスティンキルの動きを封じていた二人の司の長は、赤い色を解き放った若者に恐れを抱き、即座に手を離すと部屋の奥まで逃げ去った。
〔“術”を放とうというのか!〕
 奥の席に腰掛けていた二名の長達も、部屋を包む赤い色が尋常ならざる力を秘めているのを感じ取り、立ち上がった。司の長ほどの知識を持つ者であってすら、顕現した超常の現象を目の当たりにしてなすすべがない。ただ狼狽えるのみである。ある者は逃げまどい、ある者は怯えて机の下に隠れた。平然と落ち着き払った様子で椅子に腰掛けているのは、長老エツェントゥーただひとり。白い顎髭を蓄えた細身の老人は、ミスティンキルの力を見極めようとするかのように、正面から彼と対峙している。

 当のミスティンキルは呆然と立ちつくすのみ。自分の前には、恐れのあまり気高さをうち捨てた長達がいる。彼らの滑稽さをあざ笑ってやろうとも思うのだが、出来なかった。今のミスティンキルは内的思考に深くとらわれ、心は凪のように静まりかえっていたのだ。
(この赤い霧みたいなのは、なんなんだ? こんな……得体の知れないものがおれの体から出てくるなんて。ラディキアの親族達が忌み嫌っていた、おれ自身に秘められた“力”というのは、こいつなのか?)
(なぜ、こんなものが出てきたのか、それなら何となく分かっている。……抑えられないくらい、あのじじいを憎たらしく思ったからだ。あいつは……)
 ……気にくわねえ。
 そう思ったと同時に、色は鮮烈な紅色からどす黒い赤へと変貌した。この禍々しい赤は、ミスティンキル自身の憎悪の念をまとったものなのか。
 ふと気付くと、先ほど蔑みの言葉を放ったドゥロームが、苦悶の表情を浮かべて胸をかきむしりはじめているようだ。赤い色は明らかに、この長に対して力を流しているのがミスティンキルには分かる。

 その時、長老エツェントゥーはすくりと立ち上がると、ほっそりした老体からは想像できないほどの大声を放った。
〔そこまでだ! それから先は考えるでない! 赤目の若者よ、力を抑えるのだ!〕
 威厳に満ちた声が会議室に朗々と響き渡る。
 それを聞いたミスティンキルは、今まさに降りようとしていた内なる思考の深淵から、意識を戻した。
 彼が己を取り戻すのと同時に、忌まわしく濁った赤は徐々に小さくなっていき、色合いも鮮烈な赤へと戻っていく。ついに一点に凝縮した紅の光点は、矢のように鋭く放たれ、ミスティンキルの胸の中に埋まった。刹那、ミスティンキルの全身が赤く輝く。
 ミスティンキルは目を見開き、また、大きく息を吐く。流れる血潮の音すら聞き取れるほど、彼の鼓動は高まっていた。そして、今し方発動し、また取り込んだ得体の知れない力に対し、恐怖を覚えているのを知った。

 エツェントゥーは長達に叱咤した。
〔……そしてお前達、なんたるざまだ。炎を守護し司る者の頂点――司の長ともあろう者達が、魔力に怯えるとは! さあ、さっさと席につくがよい!〕
 長達は、ミスティンキルに怪訝な眼差しを投げかけながらも、各々の席に着いた。

 部屋はもとの薄暗さと静けさを取り戻した。この沈黙は重苦しい雰囲気を助長する。司の長達はミスティンキルを威嚇し咎めるように睨み、一方のミスティンキルは居心地悪そうに彼らの視線から目をそらした。だが、今し方の現象について誰も言葉にしようとはしなかった。

〔……以降、エツェントゥーの名において、無駄ないがみ合いはまかりならん。よいな、各々がた。しかと肝に銘じよ〕
 不自然な静けさが支配する会議室の空気を破ったのは、長老だった。
〔さて、若いの。先ほどはこちらのマイゼークが無礼を言ってしまったようじゃな〕
 先ほどまでの厳格な表情は消え失せ、エツェントゥーの物腰は柔らかなものとなっていた。彼はまず、先ほどの口喧嘩を仲裁するようだ。長老のみが先ほどの“赤い力”について何かしら知っているような素振りを見せていただけに、ミスティンキルはやや落胆した。エツェントゥーは言葉を続ける。
〔だがおぬしとて、我ら長に対して暴言を放ったこともまた事実。まずはそちらから詫びてくれ。さすればこちらも同様に詫びるとしよう。マイゼークよ、よいな?〕
 先ほどまでミスティンキルと言い争っていた無骨な龍人――マイゼークは決まりが悪そうに頷いた。
〔……確かにおれも口が悪くなってました。長たちを前にして申し訳ない〕
 ミスティンキルは小さく頭を下げた。
〔なにぶん長引く会議のために、俺も気が立っているのだ。まあ……済まなかったな〕
 こうしてマイゼークも、長老に催促されてしぶしぶながら謝罪した。が、この強情な偉丈夫の目は責めるように、じっとミスティンキルをねめつけている。
 忌々しいやつめが。お前は海蛇の毒を放って、俺を苦しめたのだ――マイゼークの目はそう語っていた。

〔……では話を戻そう。お前はデ・イグへ行くのだったな。だが、どうやら察するにデ・イグへの入り方などは知らぬようだな?〕
 長老エツェントゥーの問いにミスティンキルは頷いた。
〔長老。一つ訊いておきたい。あなたは知ってるんでしょう? さっきの……赤い霧みたいなものが、一体何なのか〕
 エツェントゥーは頷いた。
〔ふむ、ふむ。……力を放った当の本人がそのように言うか。やはりそうか。お前は自分の持つ力について何一つ知らないのだな?〕
〔ガキの頃から、なんかしらの力が宿ってることは知っている。けど、それが何なのか、分からなかった。もしかすると……〕
〔忌まわしい力だ……〕
 ミスティンキルは驚き、体をぴくりと震わせた。マイゼークが漏らした言葉こそ、自分が言わんとしていた言葉だったのだから。
〔マイゼークよ、口を慎めと言った! 今後そのような振る舞いをすることは、わしの名にかけて許さんぞ〕
 エツェントゥーの叱責を受けたマイゼークは肩をすくませた。一方のミスティンキルは、自分の過去を――大きな力を秘めるがゆえに疎んじられてきた過去を思い出し、わなわなと拳を震わせた。
〔やっぱり、あってはならない力だっていうのか? おれが持つ力とやらは……呪いなのか?〕
〔いや、赤い色を秘めた者よ。恐れることはない。あのような力は、実のところアリューザ・ガルドの住民であれば、多かれ少なかれ誰しもが持っているものなのだ。このわしも、そしてここに居並ぶ長達も。そして下の町に訪れている商人達もな。それはすなわち――魔力だ〕

 魔力。
 七百年もさかのぼる昔のこと。バイラル達は国をあげて魔法の研究に取り組んでいたとされている。その魔法を行使するための源こそが、魔力。
 ある時、制御を失った膨大な魔力が氾濫し、アリューザ・ガルドが危機に瀕したことから、もっとも強大な魔法――魔導は封印されたのだ。それ以来、力のある魔法使いは姿を消し、現在に至っている。
〔魔力だって? そんなものは、魔法使いの持ち物でしょう?〕
 ミスティンキルの問いに対し、白髭の長は静かに首を横に振った。
〔そうではない。魔法について全く不勉強ではあるものの、炎の司の長であるわしには分かるのじゃよ。魔力は確実に、わしらに宿っておる、とな。だが、先ほどの赤い色……鮮明なかたちを成すほどの魔力――。あれほどの力を発動できる人間は、我らドゥロームのみならず、今のアリューザ・ガルドを探してもいはしないだろう。おぬしはそれほど強大な魔力を持っているのだ〕
 それを聞いてミスティンキルは鼻で笑った。
〔おぬし、いま心の中で否定をしたな? まさか、自分はそんな大それた力を持っているわけでない、とな。否定してはならぬ。己が大きな力を持ち得ていることを確信するのだ。だが決して増長してもならぬ。過信こそが、おぬしを陥れるであろうから……それこそ呪いのごとく、な〕
〔長の言っていることが、さっぱり分かりません。おれは頭の出来がよくないから……〕
 エツェントゥーは、自分の孫を見るように目を細めて言った。
〔いまは分からずともいい。いずれお前にも分かるときがやってくるじゃろう。ただひとつ、わしと約束をしてくれ。今後どのようなことが起きようとも自分の力を否定せず、かつ増長しないことをな〕
 
 こうしてミスティンキルはエツェントゥーと約束を交わした。そしてあらためて長老は、炎の界への“門”の所在やデ・イグで用心すべき事をミスティンキルに教えるのであった。


◆◆◆◆


 西側の窓掛けごしに差し込んでいた西日がやや眩くなり、虚ろな橙色へと部屋を染めぬく。太陽がほのかな暖かさを伴って窓に顔を覗かせ、夕刻になったことを司の長達に知らせた。
〔エツェントゥー老。陽が落ちかけておりますし、そろそろ会議を再開しませぬか?〕
 手前右に腰掛けていた痩せぎすの長が言った。
〔そうじゃな。ならばミスティンキル、下がってくれぬか。あとはお前の望むときにデ・イグの門をくぐるがいい。門はいつでも開かれておるゆえに〕
 ミスティンキルは半歩後ずさりはしたものの、部屋から出ることを躊躇した。
〔あのう。最後に一つだけ、教えてもらえませんか? どうしても訊きたいことが、いや、訊かずにはおれないことがあるんです〕
〔なにか? わしに分かることであれば答えよう〕
 ミスティンキルはもうひとつ聞きたかったことを――色の変化について――語りはじめた。自分や旅商達がエマク丘陵に至り、そしてデュンサアルに到着するまでに経験したことを、覚えているかぎり洗いざらい述べた。
〔……おれは、あなたたち司の長であれば知ってるんじゃないかと思ってました。なんでこんなふうに、色褪せちまったんでしょうか? あの葬列の男が言ったとおり、呪いのせいなんですか? もしそうだとしたら、色を取り戻す方法など、知ってますか?〕

 ミスティンキルが言葉を切ったと同時に、ばん、と大きな音を立てて机を叩いた者がいた。左奥に座る長ラデュヘンであった。彼は憤慨した様子ですくと立ち上がるとミスティンキルに向き直った。
〔痴れ者か?! 我らが何のために会議を延々おこなっているというのか、場の空気を察することすら出来ないほどに! 出ていけ!〕
 ミスティンキルにとっては予想も出来ず、また謂われのない中傷であった。彼は言葉を失うが、やがて沸々と胸の奥から怒りが湧きだし、長老の制止も耳に入らず、ラデュヘンに言葉を叩き付けた。
「あんたたちが色について会議していたことくらい、俺にだって分かる! 分かんねえのは、なぜ出てけなどと言うのかってことだ!」
〔双方とも、やめい! わしが先ほど言った言葉をもう忘れたというのか〕
 長老の声と共に、喧嘩をしていた両名の足元から一瞬、小さな火柱が上った。驚いた両名はあわてて後ずさった。
〔今度このようなことがあれば、容赦なくおぬしらの舌を炎で包むぞ〕
 エツェントゥーは厳しい表情で両者を睨みつけると再び座した。長老の横でマイゼークはいやらしく薄笑いを浮かべている。彼なりに思うところがあるのに違いない。
 両隣の長を目で制止しながら、長老は語った。
〔残念ながら、いまだ対応策は出ていないのじゃ。バイラル達はどうなのだろうか。彼らもまたそれぞれの国でわしら同様、議論を戦わせているのだろうか?〕

〔……では、龍王イリリエンはどうなんだろう。神にも匹敵する力を持つというのなら、色について知っているはずでしょう? なんならおれがデ・イグに行ったときに、訊いてみるとしようか〕
 ミスティンキルの言葉を聞いて失笑を漏らしたのはマイゼークであった。
〔まったく、無神経もここまで来ると立派なものだ。ラデュヘンの怒りを買って業火で焼かれる前にここから立ち去るがいい。彼とクスカーンは先日、まさに色について訊くためにデ・イグを訪れておる。だが、さしもの彼らであっても力及ばず、龍王様にはついに会えなかったのだ。まして貴様のような者がイリリエンに会えるわけもない。デ・イグに入った途端に試練に敗れ、さらには炎に焼かれておのが存在を灼熱の中に消し去るのがおちだ〕
〔龍王様に対面するなどと大言壮語を吐きおって。お前などに出来るものか〕
 と、ラデュヘンも言った。

 ミスティンキルは気が付くと、怒りを込めた笑いを漏らしていた。
「おもしれえ。なら、あんたたちが出来なかったことを、おれはやり抜いてみせる。よし、イリリエンに会ってやろうじゃねえか。そして、色を元に戻す方法をおれ自身が探し出してやる。大言を吐いたなどと、いまは笑ってるがいいさ。……けど、こんな海蛇の落人がやり遂げたなら、あんたら司の長はそれ以下の存在だってことだぜ」
 この言葉をあからさまな侮辱と受け取った司の長の面々は怒り心頭、
〔ウォンゼ・パイエめが、身の程を知れ!〕
〔出て行け!〕
 と口々に罵るのであった。さしもの長老とて、この勢いを止めることは出来なくなっていた。
 ミスティンキルは、そんな長達を一瞥し、長老のみに一礼をすると、即座に会議室から出ていった。

 壊れんばかりの大きな音と共に会議室の扉が閉まる。床を踏みならす足音も徐々に遠ざかり――玄関の扉が乱暴に閉ざされると、“集いの館”は閑散とした陰鬱な空気に閉ざされた。
〔無礼な奴め。あのような者、水牢に幽閉してしまえ!〕
 怒髪天をついたラデュヘンは再び机を叩く。
〔なぜあのような者を招いたのだ。おぬしにも責任があるぞ?〕
 とクスカーンは、ミスティンキルと最初に対面したファンダークを責めた。ファンダークは返す言葉が見つからず、ただ小さくなって耐えている。
〔エツェントゥー老よ。本当にあのような者をデ・イグに行かせるのですか? 危険だ。奴は赤い魔力をもって、このマイゼークを害しようとしたのですぞ!〕
 マイゼークの言葉を長老は肯定した。
〔確かにぬしの言うとおり、あの者の力は底知れぬほど大きい。危険であるかもしれぬ。が、あの若者ならば世界の色を元に戻す手段を見つけるのではないか、とわしは直感したのじゃ〕
 マイゼークは首を振った。
〔まったく甘い。それほどに入れ込むとは厳格な貴方らしくもない。ならば私めは、あの者が危険だという自分の直感を信じて行動させていただきますぞ〕


◆◆◆◆


「あいつ、マイゼークと言ったか! 見ていやがれ、目にもの見せてやるからな!」
 館をあとしたミスティンキルは怒りの感情に身を委ね、大声を上げた。ひとしきり喚き叫んだあと、ようやく気が済んだミスティンキルは山を下りていった。頑なな決意を胸に抱きつつ。


「ウィム。寝ているところすまねえが、これから行くことにした。デ・イグへな!」
 ミスティンキルは宿の自室に戻るなり、毛布にくるまっているウィムリーフに開口一番で言った。
「……だって、もうじき夜になるっていうのよ? 明日にしましょうよ? ミストだって疲れてるでしょうに」
 先ほどまでぐっすりと寝入っていたウィムリーフは、いまだ気だるそうな顔をしている。
「いいや。なんと言われようと、おれは今すぐにでも山に登るって決めてるんだ。ウィムも十分寝たんじゃねえのか? 今起きないっていうんなら、置いてっちまうぜ」
 その言葉を聞いて、ウィムリーフはがばりとベッドから起きあがった。こういうときのミスティンキルは依怙地であり、梃子でも動かないのが分かっている。なにより彼女自身、体の疲れより好奇心のほうが勝った。
「分かったわよ、仕方ないなあ。今回はあたしのほうが折れてあげる。長旅の果てにようやくここまでたどり着いたっていうのに、置いてかれたんじゃ堪らないからね」
「……なんだよ。なんだかんだ言って乗り気なんじゃないかよ」
「当たり前じゃない。冒険家のたまごとしての血が騒ぐのよ」

 ウィムリーフが支度を整えるのを待ってから、彼らは宿をあとにした。目指すはデュンサアルの山。そして――炎の世界“デ・イグ”である。
 太陽は山の稜線に隠れ、ほのかに西の空が薄茜色に染まっていた。もうじきに日が暮れるだろう。