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起章 滅びゆく魔導王国

 世界そのものが赤一色に染まったかのようである。
 紅蓮と灼熱が、いよいよこの島を支配したために。

 夜になったものの、なおもアズニール王朝の軍勢は熾烈な攻撃を仕掛けてきている。今また一匹のドゥール・サウベレーン(龍)が炎を放った。炎の帯を浴びた城壁は薄板のように脆く崩れ去り、城内から上がる火の手はさらに大きいものとなる。天まで届き、焦がさんとする業火を、女はなかば呆然としながら見ていた。

 ときおり、熱をともなった爆風が彼女のもとにまで届き、ぬばたまの黒く長い髪をなびかせるも女は微動だにしない。
 彼女の黒い瞳に映る光景はただ一つ。それは先ほどまで自らがいた城が燃えるさま。
 彼女の脳裏に浮かぶ情景もただ一つ。この魔導王国の王であり、“漆黒の導師”とも称される偉大な魔導師、そして女にとっては魔法の師匠であり愛焦がれる人――スガルトが、黒き剣に深々と胸を貫かれ、息絶えるさま。
 先ほどから耳元でぎりぎりと鳴る音が聞こえていたが、それが悲しさと悔しさと情けなさのあまりに食いしばっている自らの歯の音だとようやく気付いた。同時に、ふとまなじりが熱くなるのを感じとった。女は溢れる涙をこぼすにまかせ、瓦解していく城を見上げる。彼女の胸に去来するのは万感の想いに他ならなかったであろう。その想いはしかし、一つの負の感情によって蝕まれていく。
 女の瞳に映える紅蓮の炎は今や、憎しみに燃えたぎる彼女自身の炎と化したのを実感する。
(愛する師スガルト様――あなたを殺した魔導師を、ディールめを殺してやりたい――! でも私には力が及ばなかった。私にあなたほどの力があれば、あの魔導師を八つ裂きにできたのに!)

 いまわの際にスガルトが女に遺した言葉のひとつ、それは「逃げろ」というもの。そして自分は言われるままに逃げることしかできなかったのだ。城の裏手から丘を下っていく時、魔導師シング・ディールと朱色《あけいろ》の龍が天高く舞い上がっていくのが見えた。朱色の龍が鐘の鳴るような咆哮を勝ち鬨のように轟かせたその時、空を我が物顔で滑空するドゥール・サウベレーン達と、それに騎乗するアズニール王朝の兵士達が、とどめとばかりに城に炎を浴びせたのだ。
(――やはり妙だわ)
 女は訝しがった。王がこうもやすやすと倒されるものなのだろうか? たしかに魔導師ディールの実力は、スガルトに比肩するだろう。だが、暗黒と不死を追い求めていたスガルトにしては、あまりにあっけない最期であった。王は抵抗する素振りもみせず、黒い剣――レヒン・ティルル――をその身に受けたのだから。

『探せ!』
 それは、スガルトの遺したもうひとつの言葉。いったい何を探せというのか。だが、その言葉こそが王の死の謎を解く鍵に違いない、と女は思った。

 炎に照らされていた女の頭上が、急にすうっと暗くなった。
 涙を拭い、ゆっくりと見上げると、褐色のドゥール・サウベレーンが真っ赤に染めあげられた空から舞い降りてくるところであった。龍は大きな口を開き、体内に燃えさかる炎を今まさに標的に迸らせんとしている。燃えたぎる溶岩よりもなお熱いとすら伝えられる龍の息を浴びれば、人間など消し炭すら残らないであろう。
【魔導師の女よ。その命、忌まわしき力もろとも、我が消し去ってくれる】
 女の頭の中に直接、龍の言葉が入り込んでくる。と同時に褐色のドゥール・サウベレーンは躊躇することなく自らの息を女に吹きかけた。炎が女の身体に到達するまで極めて短い時間しかなかった。
 だが女にとってはそれで十分だった。たった一言ことばを紡ぐ時間があれば。魔導を発動させる言葉を女が紡ぐと、瞬時に青い色をした幕が目の前に現れ、巨大な盾のように燃えさかる炎を遮った。
 すぐさま反撃。女は右の腕を高く振り上げた。青い障壁はすぐさま球体と化し、今し方の龍の炎よりも鋭く立ち上っていく。
 自ら放った炎が魔法によってはねのけられたことを龍が知ったときには、既に青い球体は龍の身体を貫いていた。破壊の魔法によって自らが殺されたことを知るいとまもなく、龍の身体は瞬く間に霧散した。
「まだだ……。この程度ではまだ師の足元にすら及ばない……」

 しかしながら、女の命運もそこまで。
 ほとばしる炎と青い光は、アズニールの軍勢の目を引きつけるには十分すぎたのだ。怒声と甲冑の音が徐々に近づいてくるのが分かる。
 さらに、仲間を殺されたことに気づき、龍達は激しく憤った。忌まわしい魔法の匂いをかぎつけた龍達は、ついに女を見つけ、威嚇するようにまわりの空を取り囲む。その数は十匹はいようか。女が破壊の魔術に長じていたとしても、これだけの龍を相手に敵うはずもない。そもそも龍が有する魔力は、人間の比ではないのだから。

 女は見ていた。龍達の姿ではなく、その向こうに見える城を。だが、憎悪の感情にとらわれたその瞳はもはや虚ろ。
 やがて女は、嗚咽を抑えるような震える声で――自らの感情をさらけ出した。
「わが師よ。私はこの苦しみを忘れません。あなたが掴みかけた不死の魔法をこの手に……。それすらも超越する“魔法の極限”を掴み取ってみせる! どんなことをしてでも! ……そうすればまたあなたに会えるでしょう……スガルト様……!」
 女は理性を失ったように泣き――。
「さあドゥール・サウベレーンよ。私の体を焼いてみせろ! だが私は滅びぬぞ。いつの日か必ず力を手にしてみせる!」
 そして、憎しみを込めて笑った。

 龍達は業火を放つ。
 スガルトの最後の弟子、フィエル・デュレクウォーラは、こうして歴史から姿を消した。

――この体など、失ってもかまうものか! せめて、私の意識だけでも……残す!――


◆◆◆◆


 この広大な世界の名は、アリューザ・ガルドという。
 今よりさかのぼること九百年ほど昔―― まだ“魔法”という体系が確固として存在し、魔法使いによる研究が盛んであった時分。
 東方、ユードフェンリル大陸の最南端の島に一つの王国が興った。
 肉体と魂の不死を追い求めた魔導王国、ラミシスである。建国後数年間、この国の実情は不気味ながらもようとして知れないものであった。しかしやがて、ラミシスから命からがら逃亡してきた避難民達によって、この王国の狂気が明らかにされた。いわく、生け贄を使う禍々しき悪魔の儀式が毎夜のように行われているというのだ。さらに魔法学の見地からも、不死の研究とはそもそも魔法における禁断の領域にほかならない。その昔、かの冥王ザビュールを降臨させてしまったのも、時の王が不死の領域に触れてしまったことが大きな要因であったとされている。
 ついに、ラミシス打倒の勢力が決起した。この時代、世界中に版図を広げていた統一王国アズニール王朝は軍勢を集め、魔導師シング・ディールを筆頭としてラミシスに攻め入った。
 たとえ魔導に長けたディールであっても、魔導王国を取り囲む強力な魔法障壁を解くことは叶わず、緒戦は大敗を喫した。だが、龍達の協力を得た彼らは遂にラミシスに侵攻、ディールは漆黒の導師――スガルトをうち破り、魔導王国はとうとう滅びの時を迎えたのであった。



 それからさまざまな出来事と共に年月は過ぎ去り――アズニール暦一一九七年。
 魔導の力が封印されている今の時代において、魔導を巡る物語が幕を開けることとなった。
 ここに紡がれるは魔導復活の物語であり、多大な魔力をその身に有する龍人《ドゥローム》、ミスティンキル個人の物語である。


 赤のミスティンキル。
 赤とはミスティンキルにとって“炎”であるのかもしれない。
 時には激しく燃えさかり、またある時はちろちろとくすぶり、そしてほのかに暖かめるもの。それが炎。そしてそれはミスティンキルの人生そのものを象徴するものなのだろうか――。