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神聖かまってちゃんと芥川賞作家の綿矢りさ

―――の子がSEKAI NO OWARIを褒める理由

 

 

 バンプオブチキンが初音ミクを使った。このニュースはさまざまな方面にかけめぐった。ボカロシーン、バンプ好きはもちろん、朝のエンタメ情報番組でも取り上げられていた。

 それほどの人気をもっている彼らは、同時に多くの人間の仮想敵でもある。とくにロックバンド界隈でそれが大きい。と、思っていた。が、どうやらそれが怪しい。

 バンプオブチキンの影響を公言している若手のバンドが増えてきているからだ。たとえば、KANA-BOONである。〇〇年代に青春を過ごしたバンドたちがデビューしているからそういうことが起こる。

 音楽ライターの鹿野淳は「いまの若いバンドにインタビューしてるとビートルズかバンプオブチキンに影響受けてるって公言するバンドが圧倒的に多い」と云っていた。

 邦楽ロックの時代が変わっているのだ。鹿野さんの言葉は、邦楽ロックの影響化が九〇年代から〇〇年代に以降したことを意味する。

 そこで出てくるのが、過去を美化する人たちである。

 

「なつかしいねえ、あの頃が」

 

 昔はよかったね、というのは老人の口癖だ。そういうものにわれわれはウンザリしている。たとえば、エジプトの壁画にも「最近の若者は~」と書いてあるらしい。上の世代が下の世代を見下すそれは説教がだいすきな日本だけではなく、紀元前の時代からそれは世界でそれはあったのだ。これは興味深い。

 たとえば、戦後はなにもないからこそ人の温かみがあり、いい時代だったという話がある。バブルのときはよかった話にウンザリしているのに、さらにさかのぼって戦後の話された勝てるわけがない。そんな映画:三丁目の夕日みたいな世界観と時代を出されたら速攻でゲンナリしてしまうわれわれ。

 うそだー!その頃の犯罪率は今の犯罪率の数倍だよ、そんな時代がいい理由ないだろ、と光の速度で反論する。それでも老人たちは過去を美化してドヤ顔でいる。それが納得できなかった。

 しかし、わたしは作家の色川武大が戦後のよさを説得力のある話で語っているのを読んで、戦後がいいっていうことにすこし納得できた。

 色川武大はエッセイでこのように語っている。

 とにかく何も無い。金と芋を左右になげるとみんな一斉に芋のほうに視線を向けたくらいだ。かろうじて稼働しているのは官庁と銀行くらいで、財閥はほとんど解体され、会社も復活してないから、サラリーマンなんてとても少ない。大概の人間が闇市や闇物資に絡んで生きている。みんな多少の差はあっても、ヤミ取引という法律違反を犯して暮らしている。それを誰も変に思わない。だから、金持ちも貧乏人も差がなかったし、堅気もやくざも似たりよったりでごちゃまぜに暮らしていたという。

 なるほど。こちらにひきつけて云うと、音楽のコピーは法律上だめだが、みんな当たり前にやっているしそれを変に思わない。何かの間違いでもしも音楽のコピーの取締が厳重になった何十年も先の未来人が現代をみると、「法律で禁止されているのにみんな音楽をコピーするなんてその時代治安悪すぎ、怖すぎ、ヤバすぎ」とか言われてしまうんだろうか。音楽を無料でネットに上げることは違法だが、それを皆やってるから誰も変に思わず、逆にみんなで音楽をシェアできてたから仲良かったよ、みたいなそんな感じだろうか。

 さらに色川武大はこう続けている。

 「いうところの道徳は頽廃(たいはい)していたかもしれないが、よかれあしかれ、これが自然な生き方だ、といえるものがあったね」

 日本では犯罪者は悪い人間だと子どもに教える。しかし、たとえばアメリカでは犯罪者イコールその人は悪い人間だという価値観を一辺倒に教えないという。人間の人格の良い悪いとはべつに「法律というものに触れたから逮捕された」という程度の考え方なのだ。

 これが日本では、「法律に触れて逮捕される人間だからあの人は悪い人間だ」となる。

 法律は人間の人格の良し悪しまで規定できるものではないはずである。

 たとえば、いま風営法というものが強化されてしまい、深夜に音楽に合わせて室内で身体を動かすと経営者が逮捕されてしまうという。深夜に室内で身体を揺らしたら警察が乗り込んでくるというのはいつの時代だよ、って感じだ。ここは共産主義の北朝鮮ではないよな?と軽く確認である。

 

 治安について色川武大はこう書いている。

 「治安がわるいかというと、そうでもないんだな。(略)金なんか持ってたって、インフレでどんどん値打ちがさがっちゃうんだから、しょうがないんだな。ハングリーという奴は面白いもので、明日の食糧や酒代のことで頭がいっぱいで、それ以上の野望をおこさない。だから性のわるい病気や犯罪もすくない」

 なるほど。戦後があながち悪くないって話がなんとなく納得できてきた。

 ハングリーさは重要だ。

 とくにロックバンドにそれは必要である。表現者はロマンを人に見せるものだ。しかし、ロマンを人に与えるためには自分自身の身を削らなければいけない。

 芥川賞作家の綿矢りさで『夢を与える』という作品がある。主人公の女の子は子役だったものの、しだいに芸能界に身を染めていき、アイドルになる。そこで起こるさまざまな葛藤が熱い。

 その一節で出てくるセリフがこれである。

 

 「夢を与えるものは夢をみてはいけない」

 

 夢を与える側はそれを表現するために現実に沿った行いをする。かんたんにいうと、汗水である。

 神聖かまってちゃんはロマンをわたしたちに語ってくれる。歌詞をみると彼らの楽曲はあまりに絶望しているのに、だ。

 彼らは最高だ。過去どんなに評価が良しとされてるバンドでも自分が気に入らないものならば、気に入らないと言う。しかし、一方で、ひとたび良いと思えば、そのバンドを褒める。たとえば、サカナクションやセカイノオワリがそうだった。それまで彼らバンドに対して悪い印象の言葉を吐いていたのに、ライブを観たあと褒めていた。

 正直、神聖かまってちゃんの配信を観ていたファンたちは戸惑った。「おいおい、の子、やつらは俺たちの敵じゃねーか。どうしちまったんだの子」と面食らった。

 の子は過去を美化しないのだろう。

 夢を与えるためには夢をみてはいけないということをの子は行っている。夢をみるだけならば、バンプやサカナクション、セカイノオワリをずっと仮想敵にしておけばいい。それをしていれば、神聖かまってちゃんは永久に負けることはない。

 の子がサカナクションやセカイノオワリを褒め始めたそれは、彼らとおれは闘っているという意識の表れだ。夢ではなく現実を見たのだ。夢を見るならば、彼らのライブを観たあと「やっぱあいつらだっせーわー」と配信で一言云えばいいだけである。の子はそれを言わなかった。の子は夢を見なかったのだ。夢に浸っていればそこでは自分は永久に勝者である。それをしなかった。

 これはの子が夢を与える者だからにほかならない。

 

「夢を与えるものは夢をみてはいけない」

 

 ロマン不足のロックバンドのなか、神聖かまってちゃんはロマンまみれである。

 

それは彼らが現実に即しているからだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うおお

 


奥付





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