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プロローグ

 好きな人がいる。

 どれくらい好きかなんて、もう上手く伝えられないくらい好きで――。

 私はいつも、彼の事だけ見ていたんだ。

 

 私は読みかけていた小説を投げた。ベッドの上で本が小さく跳ねた。

「疲れた」

 呟いた。

 生まれてそろそろ十四年。人を好きになるという気持ちが未だに判らない。取り残されるのが嫌で怖くて、読みやすそうな恋愛小説を開きかけてみたけど、なんか腐ってた。つまらない。

 好きな人を作ったことがない。

 それ程苦に思った事は無かった。別に、いいじゃんって。そもそも、問題視もしたことがなかった。

 中学校に入って数ヶ月――周りの女の子達が、リアルの恋愛話に花を咲かせはじめるまでは。会話といえば、漫画と、ドラマと、好きな人の話。好きな人の話は小学校の頃よりずっと比重が高い。

 人を好きになる。

 そもそも。憧れる芸能人すら居ない私にとって、クラスの男子が好きとか、理解に苦しむ話で。

 話についていけないのが嫌で、恋愛漫画を読んだ。恋愛ドラマを見た。恋愛小説を読んだ。

 ――飽きた。

 部屋の本棚にふと視線を向けると、私が大好きなファンタジー漫画が並んでいる。つい、手に取った。

 ページを捲る。

 勝手に笑みが零れた。

 

 やっぱり、こっちの方がずっとずっと、面白い。

 


好きな人が欲しい

「でね。おはようって言ってくれたの」

 学校が終わって家に帰る帰り道、私の隣を歩いているクラスメイトの真奈美が、ほわほわとした顔を浮かべて話している。

 今日一日の中であった、真奈美の好きな人のお話。好きな人にあいさつをしたら、返してくれたというしょーもない話だ。

 真奈美はクラスで一番目立っている大久保って奴が好きらしい。そこそこ格好良くて、スポーツも出来て、ちょっとやんちゃで目立っている奴だ。マンガで言うなら、王道な部類だろうな。

 真奈美とは顧問も厳しくない、気楽な天文部という部活も同じで、帰る方向も同じで、ここ最近学校の休み時間はもちろん、部活中も、帰り道などは延々好きな人の話をされる始末だ。

「すごいと思わない?」

 目を輝かして言われる。

 何がすごいのか不明だ。あいさつをしたら返すのは人の道だろう。もっとも、クラスで目立っている男子の事だ。性格によっては変にテングになって、地味なクラスの女子のあいさつなど無視する輩もいないわけではない。真奈美の好きな大久保は、そういう輩じゃあないらしいことは、わかった。

「良かったねぇ」

 私は目を合わせる事無く言った。これが、精一杯だ。何が良かったのかわかりゃしない。

「でも、私ホント大久保くんと同じクラスでよかった~って思ってさぁ。毎日見られるのって、やっぱ……嬉しいもんね」

 真奈美は隣でほこほことほっぺたを赤くして笑った。

 はて。毎日見られて嬉しいものが、私にあるだろうか? ない。

 ここ最近身の周りでこういう恋愛話に花を咲かせる子が増えてきた。多少変わっていると言われている私でも、こんな状況で“人が好きとか意味わからん”と素直に言うことが、KYと呼ばれることになることくらいは、解る。

 つまりはさ。

 私も好きな人を作っちゃえばいいんだよ。

 という浅はかな結論を出してみたけれど、実行するのは難しい。てーか。好きって何だ?

「トモはさぁ? 好きな人、いないの?」

 大沢 智――これが、私の名前…いよいよ、いつ触れられるのだろうとドキドキしていた問題に、真奈美は直球で突っ込んできた。

 私は真奈美を見る。真奈美は、真剣な顔で私を見ていた。

「いつも話聞いてもらっているしさ? だから私、協力するよ?」

 協力って何だ? どうやって協力するつもりなんだ? なんか凄くふわっとした話に聞こえたけど、真奈美はどうやら真剣みたいだ。

「ホラ。言いなよ」

 真奈美は私のわき腹をつついた。やめてよぉ、とふざけて笑って見せながら、ちょっとドギマギした。

 好きな人なんて居ないって、言っていいのかなぁ? なんとなく、言い難かった。

「協力とか、そんなんいいよ」

 私は真奈美から視線をそらして言葉を濁した。チラリと真奈美を見ると、目が尖っているのが見て取れた。

「私には、言えないの?」

「そ、そうじゃないよ」

 言うも言わないも、いないだけだし。

「じゃ、言いなよ」

 最悪だ。ホント、最悪。やっぱり、本当のこと言おう。

「まだ、いないんだ」

 困り果てて言うと、真奈美は更に詰め寄ってくる。

「いないってどういう意味? じゃ、気になる人は? そのくらい、いるでしょ」

 そのくらいいなくちゃ駄目なんですか? 誰が決めたのよ、そんなこと。って、言えたら気楽なのになぁ。いや、そもそも気になる人すらいない私がおかしいのかなぁ?

 真奈美はもう絶対に誰かの名前を聞かなくちゃ気がすまない感じになっている。面倒だ。

 真奈美が詰め寄る。私は苦笑いを浮かべた。

 これは適当な誰かの名前を言うしかないのか。私は口の中で溜息をかみ殺した。

 ええと――誰にしようかなぁ? 適当にクラスの男子を思い浮かべる。地味すぎる男子だと、気になると言ったら理由を求められそうだしなぁ。かといって、目立つ奴は真奈美や他友達とかぶると面倒だしなぁ。

「ほら。言いなよ」

 真奈美がせかす。

「えと……」

 待ってよ。私の頭の中は誰が誰を好きだったか情報を頭から全部思い出しているんだから。えと、誰が一番無難だっけ――?

 クラスの目立つ男子グループの休み時間中の光景が頭の中に浮かぶ。真ん中で騒いでいる真奈美の好きな人、大久保が居て、その隣には他の誰かが好きと言っていた伊藤が居て――ふと、グループの中の淵にひっそりと居る、目立つグループの中でも一際物静かそうな男子が頭の中でクローズアップされた。

 ――猿投 裕也。

 目立つグループのいつも端っこにいる、顔は悪くない割りに目立つような素振りはあまりしないタイプの男子だ。確か、私の周りでは好きだと言っている子が居なかったはず。目立つグループには属しているわけだから、それほど気になる理由も求められることはないだろう。うん。好きな人とか、気になるとかには最適な人材だ。

「ほら。はや―

「猿投」

 真奈美がせかそうと口を開いたところで、私は猿投の名前を口にした。

 真奈美は目をくるくると動かして、私の言葉を理解しようとしているようだった。

 ああ、やばい。気になる人だったら呼び捨てはまずかったのかもしれない。つい男子は呼び捨てといういつものクセが出てしまった。

「猿投くん」

 もう一度名前を言った。

 真奈美はしばらく間を置いて、満足そうに目を輝かせて大げさに頷いて見せた。それから、私に満面の笑みを見せる。秘密聞いちゃった的な、満足感だろうか。

「猿投君って、よく見ると結構カッコイイもんねぇ」

 そうだね。と私は頷いて見せた。

 まぁ、顔は整っている方なんだろうとは思う。だからといって、これっぽっちも興味の無い男だが、真奈美は納得してくれたらしい。

「そっかそっかぁ。これからトモには猿投くんの情報をたーくさん調べて教えてあげるからね」

 真奈美が嬉しそうに隣で笑う。

 好きな人に対する女の子情報ネットワーク――に、入れられるって事ですか? 興味もない男の情報をこれから事あるごとに聞かされるのか。

 笑顔を浮かべながら内心ゾッとした。

 私も一応女の子集団の中には居るからどんな情報がやりとりされているかは知ってる。こう言ってはなんだけど、ぶちあけてどうでもいい情報ばかりだ。

 例えば、他のクラスの男子がターゲットなら、『○○くんが三階の渡り廊下歩いていたよ』とか。『○○くんは今日購買で消しゴム買ってたよ』とか。そら、渡り廊下くらい歩くだろーし、たまには購買で消しゴムだって買うだろうよっていう。

 しかも、だ。ターゲットを好きだと言う女子達はその情報を貰うと、さも嬉しそうな表情を浮かべるのだ。理解が出来ない。何が嬉しいのか、さーっぱり理解できない。

 つまり。私はこれから、真奈美から猿投のどーでもいい情報を聞かされ続け、その度に嬉しそうな表情を浮かべなくてはならないという事態に陥ってしまった訳だ。面倒くさ。

「あの、さ。今の、二人の内緒ね」

 私は真奈美に小声で言った。

 “二人の内緒”という言葉に、真奈美は目を輝かせてこちらを見た。他の仲のいい女子にも言わない、二人だけという特別な感じが嬉しかったようだ。これで、他の女の子が私に好きな人を尋いてくることがあっても、真奈美がフォローを入れてくれるかもしれない。

「言わないから、信じて」

 真奈美は真剣な目で私を見返した。

 真奈美以上に猿投の情報提供元が増えては困るし、元々興味も無い男子を気になるだの好きだのと話が女子の間で飛躍していくのは面倒なのもある。

「うん。信じてるからね」

 私は笑顔で念を押した。

 真奈美は嬉しそうに私の腕をつついて笑った。女の子同士の好きな人打ち明けっこ的な、そんなノリなんだろう。本当に私が猿投の事を好きだったなら、私の方としても真奈美に対する親密度が増したのかもしれないけど――。嘘を吐いた私にとっては気が重くなるばっかりだ。罪悪感すら覚える。真奈美、ごめん。

 夕日が沈む街を眺めて、私はばれないように溜息を吐いた。

 ――はーぁ。好きな人、欲しいなぁ。

 

 

 予想はしていたが、悪夢は翌朝からはじまった。

「ホラ。猿投くん来たよ」

 朝から教室で真奈美が私の腕を突いた。

 そら学校なんだから、朝の時間になれば登校してくるっての。同じクラスだから同じ教室にだって入ってくるしさ。しかも、猿投に気付かれたら私が気があるんじゃないかとか思われるかもしれないじゃん。それは、本当に好きでもなんでもない私にとってプライドが許さなかったりする。

 とは思いつつも、気遣って知らせてくれた真奈美の手前、猿投がいるのだろう教室出入り口に顔を向けた。

 猿投は茶色がかった長めの髪の後ろに寝癖をつけて、眠そうにあくびをしながら黒板の前を歩いているところだった。

 寝グセでピンと立った髪の毛が、近くに妖怪が居ることを知らせているように見えてならなかった。

「ふふ。寝グセついちゃってるよ。かわいいね」

 真奈美の言葉に私は耳を疑った。

 私が視線を向けたことを違う意味で捉えた真奈美は、慌てて両手を振って小声で言った。

「あ、私が好きなのは大久保くんだから、大丈夫だよ、トモ」

 私は適当な返事をして、真奈美から視線をそらした。

 違うのよ。今、あんた、“かわいい”って、そう言ったのよ。妖怪の出現を知らせるアンテナを、“かわいい”って。かわいい? 何が? かわいいって、どこが? 近くに妖怪が居そうなところが?

 私はもう一度猿投を見た。

 目立つグループの奴らに声をかけられて、猿投はけだるそうに片手を軽く挙げて適当なあいさつを返していた。

 どんなに見ても、奴の頭にはアンテナが立っているようにしか見えなかった。

 よくわかんない。よくわかんないや。

「なに? ちょっと猿投くんの近くに行く?」

 ふと真奈美が小声で言った。

 だから簡便してくれ。私が口の端を引きつらせて笑顔を浮かべたところでホームルーム開始のベルが鳴って、私は救われた。

 先生がやってきて、朝のホームルームが終わって、1時限目が始まって。

 私は教室一番後ろの席で、じっくりと教室内を見渡した。

 黒板の前で先生が古語の五段活用だか何だかを話している。

 教室左側中央付近に、クラスで一番目立つ大久保が居る。相変わらずじっと座っていられないのか、椅子に浅く座って時折振り返って後ろに話しかけている。後ろの席に居るのは猿投だ。

 大久保を好きな、真奈美。

 大久保の何処がいいんだろうなぁ。騒がしくしていて、目立つっていうより目立ちたいっていうのは丸分かりなんだけどなぁ。

 チラと私の斜め前方の席に座っている真奈美を見た。

 ――真奈美、大久保を見てるよ。

 授業中まで見てるのか。暇だな、ホント。そんなに見たくなるモノなのかなぁ。

「おい。大沢」

 隣から小声が聞こえた。見ると、隣の席の地味メン代表近藤がこちらを見ていた。

「消しゴム貸して。見つからん」

 背が高いわけでも低いわけでもなく、あまりに地味すぎて、紹介するのにもコメントに困るのが近藤だ。

 私は無言で筆箱から最近おろしたばかりの消しゴムを出すと、ほいっと相手の机の上に転がした。

 近藤は消しゴムを掴むと、すぐに使った。

 こんな地味な近藤の事を好きになる女の子ってのも、居るんだろうか? 悪いやつではない。あんまり仲良くしているわけじゃないからわからないけど。

「わりぃな」

 近藤から返された消しゴムは、私が使わずにとっておいた片方のまだ穢れていない角っこを見事に使われて返ってきた。片方しか使われてないんだから、察しろよ。気が利かない。

 私はかわいそうな消しゴムを眺めながら、聞こえよがしに舌を打った。

 

 

 一日の授業が終わって、部活もようやく終わって――私は許されることなら、昨日の同じ時間まで時間を戻して欲しいと本当に思った。

 そりゃ、部活っていったってうちの天文部は、気楽な部活だ。第二理科室で真面目な三年生の先輩三人や、天文オタクで真面目に活動している同学年男子一人の邪魔にさえならなければ、何をしてたって文句は言われない。ただ仲のいい友達と何故だか置かれている地球儀持ち出して遊んだり、天文図で遊んだりしてたって文句言われないから、いつもは割と楽しいんだけど――つまりは、部活の最中はずっと真奈美の総攻撃を受けるという事に他ならないのだ。

 朝から晩まで、部活の時間に至っても、真奈美は私に向かって猿投猿投と言い続けた。もう、耳にタコなんてモンじゃないだろう。

 真奈美の好きな大久保の話を聞き続けていた時も、うんざりはしていたけれど、ずっと良かったと思い知る。しょーのない情報提供にいちいち喜んだフリをしたり、ありがとうと感謝をしなくてはならない心労が激しく、嫌悪感に拍車をかけていた。

 私の中で普通の評価を得ていた猿投は、この一日で私に嫌われてしまいそうだ。まぁ、どーだっていいんだけど。そこは。

「猿投くんって、彼女いるのかなぁ?」

 帰宅時間になると、疲労もピークでたいした反応を返せなくなってしまっていた。途中まで真奈美とは帰り道が一緒だから、まだまだ続くと考えるとため息が出そうだ。

「大久保くんは、ついこの間別れたって聞いたモンね」

 真奈美が隣で嬉しそうにスキップしそうな勢いで言った。

 中学生の分際で何がつき合うだ。そもそもつき合うって意味わかってんのかって話よね。私も中学生だけど。だから、つき合う意味なんかわかっていませんけど。ていうか、人を好きになった事もないけどさ。

 大久保はクラスでは勿論、他のクラスや上級生女子にも人気があるようで、結構つき合ったり別れたりのサイクルが早いらしい。女好きだなぁと、他の女子が情報提供しあっているのを聞いてそんな事を考えたもんだ。

「さぁ、どうなんだろうね」

 私はあいまいに返した。

 別に猿投に彼女がいようがいまいが、知ったことではない。いてもいなくても、今の状況が面倒くさいことに変わりは無いのだから。

 真奈美は急に立ち止まって、私の方を向いた。

「気にならないの?」

 ――えっ。

 隣で立ち止まられてしまったので、私も一緒に立ち止まらざるを得なくなってしまった。

 学校近くの道端で立ち止まって、私達は向き合う形になる。

「だって、猿投くんが他の人とつき合ってたら嫌でしょ?」

 嫌――なんだろうね。とは思う。今まで見てきたドラマや映画、漫画や小説なんかの情報から考えれば、好きな人がつき合っていたら嫌なんだろうさ。けど、今の私にとって、別に猿投が誰とつき合っていたってどうでもいいもんね。

「うん」

 頷くしかなかった。

 っていうか、さ? 私は昨日の時点で猿投の名前は確かに出した。出したけど、“気になる人”という形で出したよね? 別に好きって言った訳じゃないんだけどな。まぁ、気になるも好きもどう違うのかよく判らないんだけどさ。

「やっぱ、気になるよね」

 真奈美は満足げに頷くと、また前を向いて歩き出した。

 ほっとして私も隣を歩くと、

「猿投くんに彼女がいるか、調べておくから」

 知りたくないし、別に。とは言えなかった。もう、限界だ。

「あのさ、真奈美」

 私が立ち止まって声をかけると、真奈美は数歩進んだ先でキョトンとした表情を浮かべてこちらを振り返った。

「私、ちょっと買い物するの忘れてた。ゆうひ屋行って来るわ」

 伝えるだけ伝えて、真奈美に背を向けてゆうひ屋を目指した。

 ゆうひ屋っていうのは、学校裏にある小さな個人文房具店だ。下校の時間帯になると、うちの中学の生徒がちょくちょく買い物に訪れる。が、別に今日は買いたいものがあったわけではない。真奈美とは帰りたくなかった。

「え? 戻るの? 私もつきあうよ?」

 真奈美の声が背中から聞こえたが、ついて来られないよう小走りになって振り返って見せた。

「いいよ、いいよ。悪いから! じゃ、今日はコレで! また明日ね!」

 私が強引に手を振ると、真奈美は不思議そうな表情を浮かべて手を振り返してくれた。

 ちょっと真奈美には悪い事をしたな、と思いはするものの、もうこれ以上猿投の名前を聞くのはうんざりだった。

 

 もうそろそろ夏がやってくる。

 学校の校舎横に植えられた木々に夕日が当たって、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。真奈美に捕まって部活の時間も長引いたからかも知れない、校舎付近にまで戻ってきたけれど、他の生徒はほとんど見られなかった。

 人がいない方が落ち着ける。

 のんびりと歩きながら、私は仕方なく学校裏のゆうひ屋を目指した。別に本当に欲しかったものがあるわけじゃない。ただの口実だったけど、真奈美とは方向が同じなだけにいつ引き戻していいのかわからなくなってしまった。

 陽が落ちかけた校舎の横は結構好きだ。人通りがなくて静かで、片側から学校の植物がフェンス越しに緑をキラキラと見せてくれる姿が、なんとなく落ち着いた。

 ま、これを見つけたのは真奈美にゆうひ屋の存在を初めて教えてもらった日だったりしてるんだけどね。

 ほんの二十五メートル程の好きな空間を歩いている最中、不思議な物を見かけた。

 いくつかの枝が、フェンスを越えたこちら側に不思議な形で垂れ下がっている。なんだか、見えない何かで引っ張られているような力が加わった様に歪んでいた。いくつかの枝が重なっているように見えるところでは、陽炎の様な不思議な空気の揺らめきが見える。

 何だ? 一体、これは何の現象なわけ?

 恐る恐る手を伸ばしてみる。丁度自分の頭より少し上のところだ。軽く手を伸ばせば届きそうだった。けれど、さすがに陽炎みたいにもやもやしているところは怖くて手を伸ばすことが出来なくて、変に曲がっている一番近い枝を指先で触れた。

 指先に感じたのは、想像した通りの木の感触。

「なんだ」

 何でもないんじゃない。変なの。

 もう一度、今度は少し強めに力を入れて、変に曲がった木の枝を軽く叩いた――次の瞬間。

 物凄い勢いで木の枝達が元に戻っていく。まるで、加わっていた無理な力から解放されたかのように、バインっとバネの音が聞こえて来そうな勢いで戻っていった。

「うごっ!」

 突然の予想外の出来事に、私は蛙が潰されたような野太い声を出してしまった。冷や冷やと心臓が高鳴っている。

「はぁー、びっくりした」

 胸を押さえると、添えた手からも心臓がバクバクと鳴っているのが感じられた。

 ようやく気持ちが少し落ち着いた頃には、なんか一つ物事を終えたような気分にになってしまって、用事も無いゆうひ屋へ寄り道する気持ちはすっかりなくなってしまった。

 私はくるりと方向転換をして、帰宅の道へとついたのだった。

 


ファンタジーですかっ

 私は真っ白な空間に立っていた。

 上も横も下も真っ白で、床なのか天井なのかも判らない。小さな部屋なら壁の隅とかが見えて、ああ、天井だとか床だとかわかるのかもしれない。けど、ただただ何のつなぎ目も無い、白だけが広がっていた。体にかかる重力と、足の裏が何かに接触している感じからして、私は立っていると思うだけで。服は寝た時のパジャマのままだ。

 一体ここは何処なんだろう。

 少し歩いてみた。歩いた感触は足の裏に伝わってくる。けれど、景色はただ白いだけだから、進んでいるのか本当に歩けているのかは、判らない。

 突然ふと思った。これは、夢なのか? だとしたら、全ての事に納得できる気がする。こんな不思議な空間に突如居たとしても、どことなく受け入れている自分が存在しているってのは、まさに夢の特徴的なところだよね。

「夢、か」

『良くわかったねぇ』

 私が何気なく呟いた言葉に、誰かが声を発した。

 誰だ? 幼い男の子の様な声だったけど――誰?

 辺りを見渡してみる。誰も居る様子は無いけど……。

『後ろ、後ろ』

 言われたとおり振り返ると、そこには金髪で色白の幼稚園に入る前かと思えるほどの小さな青い目の男の子が立ってこちらを見上げていた。

 ふよふよとさわり心地のよさそうなふっくらした肌、そして赤く染まったかわいいほっぺた。子供は白い布を巻きスカートみたいにしてつけている以外は、何も身にまとっていないように見えた。

「変な服」

 言うと、子供は小首を傾げた。

『そう? これ、僕らの制服だよ?』

 見た目の年齢の割には、しっかりした喋り方をしているように見えた。

『まぁいいや。今日は僕、夢の中にちょっとお邪魔することにしたんだ。僕らそれほど力があるわけじゃないから、きちんとした世界が作れなくて、真っ白』

 おかしいね。というように、子供は屈託なく笑って見せた。

 言っている意味がわからないけど、夢だから仕方ないか。

「こういうのって、確か、明晰夢って言うのよね? 前、本で見た」

 私の言葉に少年は楽しそうに笑った。

『夢を夢ってわかっている夢のこと? 人間の言葉でそう表現するんだよね? 中学生なのに、よく知ってるね!』

 幼稚園入学前の様な子供に、中学生なのにと子供扱いされるとは思ってなくて、私は鼻を鳴らした。

『まぁそんな事はいいや。時間がないんだ。今日はね、お礼をしようと思って来たんだ』

 何の話?

 私の返答も聞かずに、子供は無邪気に笑いながら話し続けた。

『今日、木の枝にひっかかっちゃった僕を助けてくれたでしょ? 僕らキューピッドはまだ羽が小さくて、飛ぶのが苦手でね。時々ひっかかったりしちゃうんだ。もう、どうしようかと思ってたんだよ』

 キューピッド? キューピッドって、あの? 神様の近くを飛んでいて、人を惚れさせる弓矢を放つという、あの?

『ほら。小さいでしょ』

 そう言って、子供は私に背中を向けた。ぽよぽよして柔らかそうな背中には、手のひらみたいな小さな白い羽根が二つ生えている。

 本当だ。けど、それほどの驚きはない。なんせ、夢だ。何が起こったっておかしくはないもんね。

 だけど、木の枝にキューピッドが引っかかっていた、かぁ。あの木の枝の事件は余程衝撃だったんだろう。だから夢にまで見るのね。けど、その原因がキューピッドだったなんて、最近焦って恋愛漫画とか読んでいたからかな? 私、そんな乙女チックな夢を見る人種じゃないと思っていたんだけどなぁ。

『なんか物思いにふけってるみたいだけど、この小さい空間でも作り続けるのには僕ら限度があるから、端的に話をするね』

 目の前のキューピッドと名乗る子供はさくさくと話を進めた。

『僕は人を惚れさせることが出来ます。そういうお仕事なんだ。人間も、それは知ってる人が多いよね。けど、認識に違いがあってね。僕らキューピッドは神様と違って、きっかけを人間に作るの。弓矢を放って、人がトキメク期間は一週間なんだ。そのきっかけを使って、成就させていくか、一時で終わるかは人間の努力次第なんだけど』

 私は適当に頷いて見せた。そこまで真面目に聞く気はないもん。だって、夢だし。

『助けてくれたお礼に、君が望む人に君を好きになる弓矢を放ってあげる。ただし、もう一度言うけど、効き目は一週間だからね。その間に、どう頑張るかって事だからね。でも、きっかけが貰えるんだから、これは成就させるチャンスだよ!』

 目の前の子供は興奮したように話しながら、目をキラキラ輝かせた。

『さ、誰を惚れさせる?』

「誰って、別に誰に惚れられてもあんま嬉しくないんだけど。だって、私、誰も好きじゃないし」

 私の言葉に、キューピッドはわかりやすく顔を強張らせた。表情がこれだけ読みやすい子も珍しい。

『嘘っ! だって、もう十三歳でしょ? 女の子なら』

 言いながら、キューピッドは目の悪い人が遠くを見るような険しい表情で私を見つめ、それから目を大きく見開いて驚いて見せてから、大げさなほど落胆した様子でうなだれた。

『本当だ……好きな人、いないんだね。気になる人もいないなんて……僕、どうやってお礼すればいいんだろう』

 そんな事を言われても。

 がっくりと肩を落とし、分かり易すぎるほどにキューピッドはあれよという間に目にいっぱい涙を溜めた。

『どうしよう』

 ひっと泣きだす前の様な息の吸い込み方を見て、私は慌てた。

「ああ! 泣かないでよ。私、悪者みたいじゃん」

 でも。と、キューピッドは目にいっぱい涙を溜めて、こちらを見る。

 どうしよう。いくら夢でもなんか気分が悪いぞ――と、焦っていると、いい案が頭に浮かんだ。

「じゃ、私を惚れさせてよ」

 目の前のキューピッドはきょとんとした。

「効き目は一週間でしょ? 一週間、恋をしてみるってのも面白そう」

 いいじゃない。一週間だけ。限定で楽しそうだ。それに、女子トークにも参加できる。最高じゃないか。

 不思議そうな顔をしながらも、お礼の方法が見つかったことでほっとしたのか、キューピッドの涙は引っ込んでいく。

『わかった。じゃあ、誰の事を好きになるの?』

 答えは決まっている。ここにきてまた誰か別の人間を指定すると、女子トークのときに面倒になる。

「猿投。クラスメイトの猿投裕也」

 キューピッドは頷くと、こちらに向けて弓矢を構える真似をした。すると、みるみるうちにキラキラした光の粒子みたいなものがキューピッドの手元に集まり、やがて黄金色に光る弓矢に変貌していった。

『じゃあ、いくよ』

 キューピッドが矢を放った瞬間と、私の胸に矢が刺さったのとはほぼ同時に見えた。何の衝撃も無かったのに、私のパジャマの胸あたりにしっかりと矢が刺さっている。

 痛くもないな。

 手で触ろうとした瞬間、胸に刺さった矢は光の粒子となってぱっと消えた。

『これで、君は猿投くんの事を好きになっているはずだよ。一週間、彼の事が気になって、好きで好きでたまらなくなる』

 キューピッドは嬉しそうに笑った。

 それは、なんだか面白そうだよね。と、言おうと思ったのに、なんだか体が重くて、口が思うように開かなくて、視界がぼんやりとぼやけてきた。

 白い空間にぼんやりと肌色が見えて、まだキューピッドが居る事は認識できたけど、もうどうすることも出来なくて――。

 

 チチチチチチチチチ。

 チチチチチチチチチ。

 電子音が聞こえて、私は目を開けた。

 自分の部屋の天井が見える。頭の上で電子音が鳴っている。私は目覚まし時計が置かれている場所と思わしい方向に手を伸ばした。案の定、手に四角い時計の感触を感じて、オフの場所を指先で探る。

 チチチチ、チ。

 電子音が止まった。

「おぉーーーー……」

 私は意味の無い唸り声をあげてから、どっせいと体を起こした。まだ起き切っていない頭を起こすために、のそりとベッドから起き上がってカーテンを開けた。

 眩しい朝日が全身を照らしていく。今日もいい天気だ。

 ぐっと伸びをしてやると、いよいよ頭も覚めてくる。

 そこでようやく、夢の事を思い出した。

「キューピッドだって」

 笑っちゃうね。とか言いながら、カレンダーをチェックしてみる。今日は水曜か。こっから一週間。なんちゃって。乙女だな、私。

 さ、今日も学校へ行かなくちゃね。

 

 不思議な夢を見た朝はなんか面白い気分でいい。昨日の気の重い一日のことなんか吹っ飛んだみたいに、真奈美の顔を見て笑顔でおはようが言えた。勿論、内容が内容なだけに、夢の話は誰にも言えないけどさ。

 教室で自分の席に鞄を置くと、待っていましたというように真奈美が走り寄ってきた。

「猿投くん、まだ来てないね」

 言われた瞬間、心臓がハイジャンプを決めた。

 な、何だ? 今の。

「そ、そうだね」

 なんかドギマギしてしまって、返事の歯切れが悪かったのを自分で感じた。けど、真奈美の方は気付いていないようで、いつもどおりに返してくる。

「猿投くん、いつもちょっと遅めだもんね」

 そっか。猿投の奴、いつも遅めなんだ。私、全然見てなかったな。

 ――て、待て? 一体何を猿投情報メモしてるんだ? 私。

「トモ?」

 さすがの真奈美も私の変調に気付いたのか、不思議そうに私をのぞき込んできた。

「え? なに?」

 すっとぼけて答えるのがやっとだった。何故か猿投のキーワードを聞くたびにドギマギしてしまうようだ。

 私は真奈美に気付かれないよう出来る限りそ知らぬ顔をして、鞄から教科書を取り出して机の中に突っ込んだ。

「あ。猿投くんだ。今日はちょっと早めだね」

 心臓が口から出てきそうだった。何故か教室出入り口に視線を向けることが出来なくなってしまった。見られない。見ちゃいけない。そ知らぬ顔をするのに必至で、鞄を閉める手が少し震えているように思えた。

 真奈美が肘で私を突くのを感じた。登校してきた猿投を見ないのか? という意味だ。

 私は曖昧に返事をした。そろそろと見てはいけないものを見るように、視線を向けるのがやっとだった。

 猿投は、昨日と同じように眠そうにあくびをしながら席についた。大久保が猿投に近寄って行って、あいさつらしき言葉をかけると、小さく笑って見せた。

 私は慌てて視線をそらした。

 猿投の奴、わ、笑ってんじゃん。

 ――って、何を考えているんだ、私は! そりゃ、目立つグループでも大人しい奴だけど、人間だから笑いもするっての! 何をいちいち反応してんだか、意味わかんないっ!

 心臓が鳴り止もうとしなかった。もうどうしていいかが解らないくらい高鳴って、指先が変にしびれてやたらと喉が渇いた。

「どうしたの? なんか、変だよ?」

 真奈美の言葉に、私は適当に返す。精一杯だ。

 ――これで、君は猿投くんの事を好きになっているはずだよ。

 ふと、夢の事を思い出した。ぽよぽよしたほっぺを赤くして、満面の笑みを浮かべて言っていた自称キューピッドの言葉が、頭をかすめる。

 あれ、ただの夢じゃなかったの?

 私は猿投の方を見て確認をしようとして、やめた。心臓が持たなさそうだ。って、心臓を心配している時点でなんていうか、もう、認めちゃっているっていうか……。

 夢じゃなかったんだ。事実、昨日までは何とも思わなかった猿投を私はやたら気にしている。そうか。これが、好きって事なんだ。

 爆弾みたいな心臓を抱えているのは、正直あまり気持ちのよいものじゃない。なんかさっきは飛び跳ねたかと思ったのに、今度はキュウキュウ締め付けてくる感じ。気分はふわふわしているような、なんかそわそわしているような。

 恋の病とはよく言ったと思うよ。こりゃ、病的症状じゃないか。最低だ――。

 私は胸の前で拳を作った。

 でも、期限がある。終わりが見えているものは、割と耐えられるってもんだよね。一週間。私はこの病的症状を体感するという事か。

「あ、大久保くんがこっち見た」

 私の背後に小さく移動しながら、真奈美が嬉しそうな小声をあげた。

 私は確認しようにも、大久保の方を見られないでいた。大久保の近くには、絶対に猿投が居る。私は逃げるように真奈美の顔を見た。

 真奈美は嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「よかったじゃん」

 と、声をかけると、真奈美はへらりと笑った。

 これから私は心から共感を出来るって訳だ。一週間限定の病なら、まぁ、悪くない。

 


告白されたらしいよっ!

 部活の時間を途中で抜け出して、私は人の居ない校舎横へと急いでいた。昨日学校の外側から通ったキューピッドが引っかかっていたと思わしき場所を、学校敷地内から見てみようと思ったのだ。

 人が通ることのほとんど無い校舎横スペースは、人がギリギリすれ違えるくらいのスペースがとられている。多分、フェンス側に植えられている木々の管理をするためのスペースでもあるんだろうけれど。

 敷地内から校舎横に来たのは初めての事だった。特に便利な通り道になっているわけでもないから、足を踏み入れる必要が無かった。

「案外、いいかも」

 足を踏み入れて、呟いた。すぐ横にある校舎の一階は、放課後になってしまうと殆ど生徒は通らない。右側には木々が植えられていて、木々とフェンスの間から見える道路は、人のあまり通らない静かな空間がある。

 いつも通う学校の違う側面を見た気がして、ちょっとドキドキした。

 木々とフェンス越しに見る校舎横に並んでいる民家は、なんか景色として新鮮な気がして、じっくりと見ながら歩いていた最中、ふと前方に校舎を背もたれにして地面に座っている黒の学ランを見つけた。

「ぅあっ!」

 心臓が口から出そうになって、驚いた私は変な声を出して身構えた。顔が熱を持つのが自分でわかる。

 学ランの相手は私の声に気付いたらしく、こちらを向いてゆっくり立ち上がった。

 ああ、何で私変な声出しちゃったんだろ。最悪だ。すっげぇ最悪。ていうか、お前が何でここに居るのよ――猿投っ!

「大沢?」

 静かに名前を呼ばれて、私の心臓は再びハイジャンプを決めた。この病はなかなか体によろしくない。

「何しに来たの?」

 何てことの無い問いかけに、私の頭はあっという間にショートした。な、な、何をしに来たって、何って、何? な、なんなわけですか?

「別にいいでしょ! あんたこそ、ここで何してるのよ!」

 威嚇するように指しながらぶんぶん腕を振ってしまった。駄目だ。もう、ホント、駄目だ。自分で自分が操作不能――思考もやられちゃって、どうしていいかわかんない。

 私の言葉に、猿投は少し不服そうな表情を浮かべた。そりゃ、そうだ。私もなんで突如攻撃に出ちゃったんだろう。

「別にいいじゃん」

 ふんという感じで猿投が言い放つ。それから、私の事なんて知らないって素振りで再び座り込んだ。

 胸がぎゅっと締め付けられる。嫌われただろうか? 緊張と不安で指先が冷たくなるのを感じた。どうしよう。何か言わなくちゃ。

 カラカラの喉から声を絞り出した。多分、二人だったから出来たこと。他に誰か居たら、私はきっと不甲斐なくも逃げていたのに違いない。

「よく、ここに居るの?」

 猿投は仏頂面のままチラとこちらを見て、それから少し口をすぼめて小さく溜息を吐いて見せた。

「うん。なんか、ここ、落ち着くから」

 猿投の言葉に、私の胸がほこほこと温かくなってくる。地味にテンションが上がってくるのはなんとなく自分で解るけど、制御が一切利かなかった。

「こ、ここに来たのは初めてだけど、外の通りを歩くのは凄く好きだったの。今日発見したけど、ここ、私も凄い落ち着くなって思って!」

 まくし立てるように喋っていた。もうただの大馬鹿野郎だ、私。

 と、猿投はふとこちらを向いて驚くほどの笑顔を見せた。

「あ。俺もここの外の通り歩くの、好き」

 ――好き。という言葉に驚くほど反応を示して、もう体中の血液が沸騰しそうな勢いだった。駄目だ。悩殺だよ、アンタ。もう、どうにでもしてくれ。

 そうなんだ。一緒だね~。とか、恋愛小説やドラマに出てくる女の子みたいに上手く返せない自分が、苛立たしかった。

 どうしていいのかわからない。近くに居たいななんて思いながら、けど、なんだか近くに居るのがすごく怖くて。制御不能な私は何をしでかすのかわからなくて。

「じゃ、私、行くから」

 よくわからない宣言をして、身をひるがえした。

 猿投は何か反応をしたのか、しなかったのかも確認できないまま、私は足早に猿投ゾーンから遠ざかっていた。

 結局、キューピッドが引っかかっていた枝を調べるなんて事は出来ないまま。一体何をしに行ったのか――ただ、“猿投は放課後一人で校舎横に居ることがある”と、メモした情報が頭の中でぐるぐる回っていた。また、理由を見つけて来ようとか考えている自分が、なんか、頭腐っちゃった気がして、仕方なかった。

 部活に戻った私の態度がおかしかったらしくて、真奈美はしつこく聞いてきたけど、私は適当にはぐらかした。猿投に会ったなんて言ったらきっときゃあきゃあ言われることだろうし、恥ずかしくて耐えられそうになかった。

 恋の病は自分が制御不能になる。

 一日を終えて、私はぐりぐりの太字で頭の中でメモをした。他の女の子達も……真奈美も、制御不能になったり、するんだろうか?

 

 翌日。いつもどおりに真奈美に肘でつつかれて、猿投が朝登校してきたことを知った。爆弾の様な心臓を抱えて見た猿投は、いつもどおり眠そうで、何食わぬ顔であくびをして席について、昨日と同じように大久保に声をかけられて笑っていた。

 昨日のことなんて、無かったみたいに。

 そりゃ、そうか。クラスの女子と放課後学校で会ったくらい、なんてことのないことだ。頭のどこかで冷静な私が答えをはじき出すのと同時に、なんだか寂しさを感じている私が居たり、ほっとしている私が居たりした。

 一応クラスで目立つグループに属しているような男子に、地味なポジションの私が声をかけるタイミングはほとんど無い。

「大久保くん」

 可愛らしい声がしてそちらを見ると、クラスで目立っている女子水野さんが大久保に声をかけていた。クラスでモテる女の子の称号を手にしている女の子だ。肩下まで伸びた、天然届けをしてある美容室でパーマをあてたのだろう髪の毛は、雑誌に出てくる女の子みたいだ。

 私のそばで大きな溜め息が聞こえた。真奈美だ。

 水野さんは一時大久保とつき合っているという噂が流れていただけに、大久保が水野さんと話をしている姿を見るのは辛いのだろう。

 大久保がフったとか、水野さんが浮気をしていたとか事情にはいろんな説があったが、結果的に今は別れているはずだ。別れた話を聞いた時の真奈美は、驚くほど嬉しそうな顔をして跳ねていたのを覚えている。

 ただ、最近異様にまた水野さんが急接近しているのは、何度か目撃している。周りの女子が言い出すまで私は気付かなかったけど。真奈美には内緒だけど、周りの女子の間では、水野さんが元サヤを企んでいるんじゃないかって噂が立っているくらい。まぁ、真奈美の耳にも入っちゃっているんだろうけど。

「大丈夫だよ」

 私は真奈美を元気付けるように言ってから、ちらと水野さんの方を見た。

 テレビや雑誌で今時の中学生はなんて言われるのは、ああいうタイプの子なんだろうな、なんて思う。コロンだか香水だか知らないけど、時々なんかいい匂いがするし。軽く化粧をしているのも知っている。私達みたいな地味な一般中学生とは全然違うのよって事を、当人も自覚している事だろう。その見下した感じはあんまり好きじゃないんだけど、男子が“かわいい”って言うのは、ちょっとわかる気は、する。

「やだぁ」

 水野さんがくすくす笑って、猿投の体を叩いた。

「いてっ。何で俺なの? 今の、大久保じゃん」

 猿投が水野さんに笑って見せたのを見て、私は目を逸らした。ズシリと胸が重くなって、直視出来なくなっていた。

 何だ、今の。嬉しそうに笑っちゃって。

 猿投の注意を引きたくて、冗談を交えてわざと猿投の体を叩いたのは見て取れた。悔しい気持ちと、やるせない絶望感と――私と猿投のクラスの立ち位置が違いすぎる事をなんか見せ付けられる気がした。

 横を見ると、真奈美が悲しそうな顔でうな垂れていた。

 今は、真奈美の気持ちが痛いほど解る。そして、私が思う以上に水野さんが私達地味な女子に嫌悪されている理由も、理解出来る気がした。見下した態度がキライだという以上に、それは、しょーもない嫉妬かもしれないけど、嫉妬するだけのポジションに、彼女は君臨しているのだ。

 私はそっと真奈美の肩に手を置いた。

 

 昼休みの事だった。お弁当を食べ終えた私と真奈美は、教室前の廊下で部活で仲のいい他の女の子達と話をするのが日課になっていた。

 廊下談義では、誰が誰を好きだとか、誰かの好きな人の話だとか、基本的に恋の話になることが多い。

 メンバーはいつも決まっていたが、今日に限って一人来るのが遅かった。

「かおちゃん何してんだろねぇ」

 かおちゃんは他のクラスの香織ちゃんの事だ。一番の情報通で、私たちの中で彼女の右に出る者はいないってくらい、素晴しい情報網を持っている。噂のある場所かおちゃん有りといったところで、彼女はいずれ芸能リポーターになるんじゃないかなんて、私は密かに思っていたりするのだ。

 と、丁度その時だった。遠くからかおちゃんがバタバタと足音を響かせて走ってくるのが見えた。廊下を歩いている男子達、女子達、たむろしている人たちを上手く身をひるがえして避けながら、一目散に走ってくる。

「かおちゃん、どうしたの?」

 かおちゃんが私達の輪に到着すると、周りの子が心配して声をかけた。かおちゃんは肩で息をして、ちょっと待ったポーズをして見せた。

 何があったんだろ? と、私達が顔を見合わせていると、荒い息をしながら、かおちゃんはニヤリ笑いを浮かべて言った。

「す、すごいの、み、見ちゃった。大久保くんが、なんと、二年の女子に渡り廊下でコクられてたんだよ~」

 二年の女子?

 確かに、噂では放課後上級生の女子達と話をしているとかって噂は聞いたことあるけど――そこまでぼんやり考えてから、ハッと気がついて真奈美を見た。

 真奈美は、酷く暗い顔をしていた。真奈美が大久保を好きな事を知っている周りの女子も、真奈美を気遣うような哀れんだ空気を出していた。

 情報を入手したことに喜びを感じていたらしいかおちゃんも、しまったと我に返って気まずそうな顔を浮かべて言った。

「ご、ごめん、真奈美ちゃん。大久保くんはすぐ答えなかったみたいだし、別につき合うって決まったわけじゃないからさ」

 真奈美はうつむいたまま微かに頷いて見せたが、何も答えなかった。

 気持ちは、今の私ならなんとなくわかる気がした。

「ご、ごめん。私、教室戻るわ」

 真奈美は今にも泣き出しそうな顔をしてそう言うと、私の方を見ることもなく教室の中へと走っていってしまった。

 追いかけなくちゃ。

 と、思った矢先だった。かおちゃんたち、他の女子が呟く様に言った。

「大久保くんは諦めた方がいいよね。真奈美ちゃんには悪いけど。だって大久保くん、凄いモテるし。つりあわないっていうか、さ」

「真奈美ちゃん、目立つ子が好きだからねぇ。難しいよね」

 つりあわない。

 なんだか、私の胸をぐさりと刺し込む一言だった。つりあわないと言えば、私と猿投だってそうだ。私はクラスで地味に過ごしている一般女子――対して向こうは目立つグループで……端に居るとはいえ、目立つグループ所属だ。同じクラスでありながら、会話をする機会すらほとんどありはしない。

 私は何も言わずに、真奈美を追いかけて教室に入った。

 自分の席でうな垂れている真奈美を見て、私は何をどう声をかけていいのか解らなかった。どうすることも出来ずに、私は自分の席に着いた。

 教室を見回すと、大久保の姿は無かった。クラスで目立つグループの伊藤他と、そのグループの近くでニヤニヤと話を聞いて笑って、時折突っ込んでいる猿投の姿が見えた。

 なんだか、ほんの数メートル先の場所に居るっていうのに、やけに遠く感じた。

 私は――どうしてキューピッドに猿投を指名してしまったんだろう?

 

 真奈美は部活を休んだ。ずいぶん凹んでいる真奈美の姿を見て、一緒に帰るとも言えなかった私は、とりあえず部活に出る事にしてはみたけど……他の部活メンバーと馬鹿な話に花を咲かせる気にはなれなくて。

 また、猿投が居るんじゃないかなんてよこしまな下心を抱えて、私はそろそろと学校横の木々の植えられた“猿投が居るかもしれない秘密の場所”へと向かった。

 秘密の場所には、期待通り猿投の姿があった。

 座り込んでぼんやりと外の景色を眺めている猿投の姿を見つけると、私の胸はムカつくくらいに激しく鼓動した。

「ま、また、居るの?」

 座ったまま気配に気付いたのか、こちらをチラと見てまた何事も無かったかのように景色を眺めている猿投に、何故か仁王立ちをして挑戦的な物言いで声をかけていた。

 何故、自分がそんな勇ましい姿で好きな人に挑んでいるのかはわからなかった。今まで読んだ恋愛小説とか漫画とかじゃ、こんなシーン、出てこなかった。私って、ホント駄目だ。

「何で来るの?」

 猿投はさらりと訊き返してきた。あんたが居るからだ。とは、言えるはずも無い。棺桶まで持って行きたい秘密だ。

「気に入ったからよ。この場所が。言ったでしょ。外側の通りは元々好きだったって」

 私の言葉に、猿投はふぅんと口の中で小さく音を鳴らした。

 暫くの間私は猿投の方を向いて仁王立ちを決めていたが、いつまでも立っているのもおかしな話だと気がついて、猿投から距離をとって私も校舎にもたれかかるようにして座った。

 私が座った事に気がついたのか、猿投がこちらをチラと見た気がしたが、私は自分の顔がどんどんと熱を持っていくのを感じて、猿投の方を見ることが出来なかった。

 猿投から逃げるようにして見つめた、敷地際に植えられた目隠しのための木々と、フェンスの向こうに見える静かな民家は、やはり落ち着いて静かな空気を放っていて、爆弾の様に鼓動する心臓を抱えて焦っていた私の気持ちが、幾分か穏やかになった気がした。

 沈黙が流れる。元々、クラスで殆ど会話を交わさない私と猿投では、共通する話題なんてない。ただ沈黙が異様に気まずくなってきた。

「あのさ、今日、大久保って告白されたんだよね? つき合ったのかな?」

 真奈美の事をふと思い出して、そんな会話を振ってみた。ひょっとして何かしら真奈美によい情報が提供できるかもしれないし、とか、どっか冷静な私がいる。もっとも、イケてる情報を入手したとしても出所は言えないけど。

 猿投から何の反応もなくて。何で何も言わないのだろうと、猿投の方をチラと見ると、私の心臓は新記録を叩き出しそうなハイジャンプを決めた。

 猿投が薄笑いを浮かべて、こちらを見ている――。

 猿投は、私と視線が合うと小首を傾げた。

「そっか。大沢、大久保が好きなんだ?」

 ――そうきたか。つい、失笑が漏れた。誤解とはいえ、調子づいている大久保に思いを寄せていると思われるのは気に喰わない。真奈美には悪いけど。

「大久保とか、マジ興味ないし。モテてるみたいだけど、何処がいいか私には理解できないしさ」

 ふぅん。と猿投は口の中で興味なさそうに小さく言った。

 猿投は特に何も返さなくて、また沈黙がやってきてしまった。気まずいじゃん。なんか。

「二年の女子に告白されるって、ちょっとビックリだ」

 つい、本音で話した。なんか、ダサい事言った気がする。でも、あんまり気まずいから。

「大久保は顔、広いから。色々自分から話しかけたりとかする明るい奴だしね」

 なんか、さらっと流されたみたいで悲しかった。わたわたしている私が馬鹿みたいだ。さわさわと落ち着かない胸がキュッと締め付けられる気がした。逃げ出してしまいたい気分だけど、逃げ出すタイミングも見つからない。

 一週間。一週間で効き目は切れる――我慢だ。

「でも、猿投だって色んな子と話したりするじゃん? 水野さんとかさ」

 今朝の事がふと頭をよぎって、自分で変な事を言ったと思った。駄目だ。人を好きになるって、馬鹿になるって事なんだ。きっと脳味噌が溶けてしまうという事なんだろう。

 猿投がチラとこちらを向いた気配がした。けど、私は見ることが出来なかった。

「だって、水野は自分から声かけてくるから。俺から話かけないよ?」

 そうなんだ、と口の中でモゴリと言った。沈黙が嫌で何気ない会話をしたいのに、何も浮かばない。“猿投は別に水野さんの事は好きじゃないんだ”とかそんなことしか考えられない。大久保の情報が得られなかったことについてはチラッと考えた程度の、非道な私が居て。

 人を好きになるって、馬鹿になって、友達に対して冷たくなることなんだ。なんて事をほんの少し考えた。

 隣で立ち上がる気配がして、猿投の方を盗み見た。猿投がこちらを気にする風もなく、何事もなかったかのように立ち去っていくのが見えた。

 私は校舎にもたれ掛かって座ったまま――チクリと胸が痛むのを感じた。やるせない気分にさせられて、何だか自分が情けなく思えてきた。

 でも、一週間の我慢なんだ。全て、一週間だけ。私は必至に言い聞かせた。

 


秘密の場所で

 翌日、真奈美は朝から随分と沈んだ様子だった。

 大久保が昨日二年生の女子から告白されたことは、翌日にもなると噂好きとされる誰もが知っている事実となっていた。

 クラスメイトの噂好きの女子も“ねぇねぇ知ってる? 昨日大久保くんて”と話しかけてくる始末だ。比較的噂好きのポジションに居る真奈美は、いつもならクラスメイトの噂好き女子と一緒になって情報交換をすることろだが、今日ばっかりは教室にやってくるなり自分の席について動こうとしなかった。

 私は自分の席に荷物を置くと、朝のホームルームチャイムが鳴るまで真奈美の前の席を借りて、ただ何も言わずに座っている事しか出来なかった。

 何も言えない自分にもどかしく感じる反面、人を好きになって、よかったのかもしれないと、考えている私が居た。

 今までの私なら、間違いなく『大久保なんて女好きやめちゃいなよ。すぐつき合って別れてとかしてるじゃん』って言い放っていたのに違いない。もちろん、その意見が全くの間違いであるとは思ってはいない。けど、不可思議なキューピッドの力を借りて猿投を好きになっている今の私は、そのセリフがどれだけ逆撫でする言葉かを知っている。

 元々噂の多い大久保だ。つき合った別れたの噂に耐えられないくらいなら、とっくのとうに大久保の事など諦めているだろう。

 男子の笑い声が聞こえてそちらを見ると、大久保達が教室の窓側に集まって、なにやらくだらない冗談を話して笑いあっていた。

 いつもなら、大久保の方を見てニヤニヤしている真奈美が、今日は見ようともせずにうつむいていた。

 同じ教室に居ながら、“昨日、告白されてどうなったの?”とも尋けない距離に居る。

 いけ好かない大久保が、やたらと遠かった。

「大久保くぅん」

 小さな“ぅ”をつけたような、甘えたような声が聞こえた。

 見れば、案の定水野さんの登場だ。私は気付かないけど、水野さんが声をかけると男子は嬉しそうな顔をするのだそうだ。水野さんは大久保集団に近づいて話しかけた。

 水野さんの声には気付いているのだろうけれど、チラリと見た真奈美は何の反応も示す様子が無かった。

 遠い。

「え? そうなのぉ? ホントぉ?」

 水野さんの少し大きな声が聞こえて、私はもう一度目立つグループに目を向けた。

 大久保は得意げに窓にもたれながら、水野さんの方を向いて笑って見せた。

「別に俺、興味なかったもん。最近色々声かけてきてたけど、あんま好みじゃないし」

 会話が聞こえて、大久保が二年生の女子とつき合っていなかった事がなんとなく想像できた。けど――水野さんが大久保に対して興味を示していることも、大久保がまんざらでもなさそうだという事も、今の私には理解が出来た。

 もう一度真奈美を見る。真奈美は少しうつむいたまま、微動だにしなかった。

「大久保、つき合ってなさそうだよ」

 私が小声で言うと、真奈美は微かに頷いて見せた。きっと、大久保が水野さんに対してまんざらでもなさそうなことは、真奈美も気がついているのだろう。いや、多分私よりずっとずっと早く気付いていたのかもしれない。

 なんか、遠いよね。

 真奈美にどうしてあげればいいのか、私には解らなかった。

 

 真奈美はいくら大久保がつき合わなかったとはいえ、昨日の今日で意気消沈しているからか、今日も部活を休んでしまった。元々出席率に対してうるさくない、顧問も顔を出さない部活だから、誰も文句を言う人も居ない。

 私はやっぱり猿投の姿を探して、学校横の秘密の場所へと足を運んだ。

 猿投が居るものだ――と、ドキドキしながら顔をのぞかせたものの、猿投の姿を発見することが出来なくて、私は大きく溜息を吐きながら一人で校舎にもたれて座った。

 また、猿投に会えるんじゃないかと思っていた自分がなんだかアホに思えた。いや、アホなんだろう。

 別に猿投が居なかったなら用事はない。という事を、自分で思い知るのが嫌でとりあえず座りこんでいる自分が居ることを知ってる、私……って感じ。

 また、深い溜め息がもれた。

 目の前の風景を見ると、植えられた木々と、フェンスの向こうに並ぶ民家が見えて、少しばかり癒された。

 猿投がここに来るのはいつもじゃないのかもしれない。でも、今日はちょっと早めに来ちゃったから、少ししたらやってくるのかもしれない。

 結局猿投の事を考え出している自分が居て、馬鹿みたいだった。

「何が~悪いんだ~♪ 一生懸命やってやる~そう決めて~♪ 頑張ってきたっていうのに~」

 最近親が寝てからこっそり起きて観ている深夜アニメの主題歌をなんとなく口ずさんだ。最近ハマっているアニメだ。シュールで馬鹿みたいで、変に知性的で面白くて、私は深夜声を殺して笑って見ていた。クラスの女子はきっと誰も見ていないだろう。なんか、すごく独特な世界観があるアニメだ。

「花束談義?」

 ふと声が聞こえて、私は慌てて声のする方を見た。

 そこには、ニヤついた顔を浮かべている猿投が立っていた。

「知ってるの?」

 ――『花束談義』。先程歌っていた主題歌を持つ深夜放送のアニメの名前だ。

 猿投は嬉しそうに笑って見せた。

「知ってる。俺、好きだモン。月曜だよね?」

 私は思わず立ち上がっていた。

「そう! クラスで観ている奴がいるなんて思わなかった!」

「俺も」

 飛び上がるくらい、嬉しかった。花束談義を知っている奴が居た。しかも、それが猿投だったなんて! あのシュールなアニメをいいと思っているだなんて!

「先週見た?」

 先週は主人公が変な占い師に訳のわからない予言をされて、翻弄され、毅然とした態度のちょっと特殊なヒロインと不可思議な関係がもっと不可思議な関係に進展していく話だった。

「見た見た! あの主人公マジウケるよね。ヒロインも凄いシュールだし、変わり者」

 猿投は楽しそうに笑って見せた。大久保達と居るときに時々見せる、素直で屈託の無い笑顔だった。

 ちょっとアウトローだけど好きなアニメを同じように好きだという人が居たという嬉しさと、相手が猿投で、猿投も嬉しそうにしてくれているという興奮とで、もう、訳がわからなくなってきた。体中がフワフワした。

「あれって深夜だから、翌日超眠いんだよなぁ。あ、水曜深夜二時からやってる“おお夢物語”ってアニメ、知ってる?」

 知らない。私が頭を振ると、猿投は子供みたいに嬉しそうに笑った。

「花束談義好きなら、おお夢物語も多分ハマるよ。ちょっと暗い話だけど、面白い」

 勧められたことが嬉しくて、勝手に笑えてきた。観るよ、絶対に観る。

「だからいつも朝眠そうなの?」

 猿投は笑って肩をすくめた。

「最近深夜アニメ熱いじゃん。激アツだよ?」

 嬉しかった。なんか、凄く普通に会話を出来ている事が。校舎横のこの場所は、不思議な場所だと思う。教室ではあんなに遠く感じる猿投が、なんだか近く思えた。

「そういえばさ?」

 猿投がふと私を見て言った。

「なんか、大沢って花束談義のヒロインにキャラがちょっとかぶるよね」

 ――え? 心臓が小さく跳ねた。

「それって、どういう意味?」

 私の言葉に猿投は楽しそうに笑った。

「なんか、変わってる感じ。あんま喋ってないから知らないけど、ちょっと変わってるじゃん、お前。そもそも花束談義好きな時点で変わってるし」

 なんか、嬉しかった。例えば好きな人が出来なくて、クラスの女子になじめないでいた自分とか。まぁ、キューピッドとか訳のわかんない奴の力を借りて、一週間限定でこうやって猿投を好きになってはいるんだけど。何処か浮いた気がしていた私に、気付いてもらえたような不思議な感覚。

「私のどこが?」

 猿投は小首を傾げて小さく笑った。

「知らないけど、なんとなく」

「なんとなくって、何よー?」

「なんとなくは、なんとなくだよ。っていうか、そういう感じじゃね?」

「意味わかんない」

 なんか、心地よかった。

 

 猿投とアニメの話で盛り上がって、気がついたら夏もすぐそこだというのにもう陽が落ちてきて――。

 家に帰ってからもなんだか気持ちはふわふわしていた。

 恋をするって楽しい。スキップしてしまうくらいのテンションの上がり具合に自分でも驚いていた。夕飯を食べながらもニヤニヤしてしまう私が居て、家族にちょっとばかり不気味がられてみたりもしたんだけど、明らかにウキウキしながら「なんでもない」とか答えている自分が、馬鹿っぽかったけど、悪くはないなとどこか思っていた。

 ルンルンしながらお風呂から出て自分の部屋に戻ると、携帯電話が光って着信メールがあることを知らせていた。

 見てみると、真奈美からのメールだった。

“水野さんは、大久保くんが好きなのかな?”

 着メール時間は十時を示していた。ずっと考えていたんだろうかと思う。もう一時間近くも経っている。猿投のことで浮かれてしまって、携帯を部屋に放置した事を少し後悔した。

“遅れてごめんね。お風呂だった。好きかなんてそんなの、わからないよ。だって水野さん男子好きじゃん”

 水野さんは男子が好きだ。目立っている男子は全部自分の物だと思ってるんじゃないかなんて思えるくらい、好きなんだと思う。だから、大久保のこともそれなりに気に入っているのは間違いがないとは思う。

 けど、水野さんは今私が猿投を好きなくらい大久保の事が好きなんだろうか? 少し、疑問を感じはする。けど、興味はあるんだろうし、大久保はまんざらでもなさそうだったのは確かで。

 じゃ、水野さんから告白されたらつき合うんだろうか?

 真奈美には悪いけど、真奈美が告白して成功するよりは確率的に高そうだとは思う。それは、真奈美自身も痛いほど気がついていることだろう。

 メールが真奈美から返ってきた。

“私、水野さんて好きじゃない”

 水野さんが嫌いだとか、苦手だとかが嫉妬なのは、直視したくないながらも薄々自覚している。勿論、真奈美だって知っているだろう。

“私も苦手”

 メールを返した。

 クラスの目立つグループと、クラスで地味な私達との埋まらない距離に対する苛立ちを埋めるように、“キライ”というような言葉を使う自分が酷くみじめだった。

 それと同時に――

 あのね。今日私、猿投とたくさん話をしたんだ。

 という、真奈美の話よりも、自分の嬉しい報告をしたいと心のどこかで思っている自分が、酷い生き物に思えた。

 

 



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