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その国の名は、トウゼンダ共和国といった。


その国の空港に降り立ってみると、

待合ロビーから、レストラン、トイレに至るまで、

人々の会話の中から、「当然」という言葉が頻繁に聞こえてきた。

 

飛行機が予定時間に到着したと言えば、

相手は「当然だ」と応え、

 

ランチが美味しかったと言えば、

ウェイターは「当然です」と応え、

 

道でハンカチを落としたので拾ってもらい、

お礼を言うと、

 

「当然ですから」

 

と怒ったような応えが返ってきた。

 

それは、こんな風に、

二言目には、「当然だ」という言葉が

ひっきりなしに使われている国だった。

 

すべてが整然として機能的で、

とても衛生的でゴミひとつ落ちていなかったが、

それは、

何か大切なものの犠牲の上に

なりたっているという気がした。

 


それから数日して、

この国の人々は、みな真面目で働き者だけど、

嬉しそうな人、喜んでいる人には

一度も出合ったことがないということに、わたしはふと気がついた。

 

また、

お礼を言うと、ひどく悲しそうな顔をしたり、

耳を両手で押さえて逃げて行ったり、

怒ったように顔が赤くなることにも気がついた。

 

(そうか。

この国の人たちには、

すべての出来事や奉仕は、行われるべき、行われて当然のことなのだ。

 

それがわかることが、最高の悟りとされているのではないか...。

 

逆に、感謝することは、

最も警戒され、忌み嫌われることなのではないのだろうか?

 

感謝されて、心が愛で満ちてしまうと、

その悟りの境地からはなれ、全身が喜びに満ちてしまうから。

 

彼らは、そのことを最も恐れているのではないだろうか?)

 

わたしは、

まったく馬鹿らしいと思いながらも、こんな仮説を立ててみた。

それは、

わたしの住んでいる国の考え方では、まったくナンセンスに思われるものだった。

 

しかし、このひろい宇宙の中には、

そんな国が一つくらいあっても、大して不思議ではないはずだ。

 

ここの人たちの暮らしを見ていると、そんな風に思えるのだった。

 


それから三日後、

わたしは、ある地域のホテルに宿泊先を移し、

一息したあとで、何とはなしにベッド脇の小物入れを開けてみた。


そこには、

黒い革で装丁され、金色の文字で「トウゼンダ共和国憲法」と綴られ本が

一冊置かれていた。


その一ページ目には、

神からの五つの戒めとして、以下の言葉が重々しい筆致で綴られていた。

 


・汝、喜ぶなかれ

 

・汝、感謝するなかれ

 

・汝、感謝されるなかれ

 

・汝、奉仕することを欠かすなかれ

 

・汝、これらすべての戒めを守るために、

 神の真言「トウゼンダ」を、 日に、二百回は発するべし

 

 


喜ぶこと、

感謝することを最も恐れる世界...

 

そんな世界が、

この宇宙には、ほんとうに存在したのだ。


この本の内容は以上です。


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