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の子はときには爆笑したり、ときには号泣したり、ときにはメンバーと殴り合いのケンカをノーカットでリスナーに届けるからだ。

“神聖かまってちゃん”の裏側は、バンドの裏側であり、人間の裏側でもある。そのドキュメンタリー性が彼らを物語として構築していく。

 

 

 

ドキュメンタリーは所詮ドキュメンタリーの粋を出ないと思われる。峯田のいうように、真正面からぶつかれば、エンターテイメントに負けてしまう。

 しかし、“神聖かまってちゃん”を追っていくと、彼らの姿に心を打たれる。

 奇跡が約束されないのがドキュメンタリーだが、彼らのそれはエンターテイメントに満ちていた。

 

 

千葉県のかつてひきこもりだった少年が


ドキュメンタリーは所詮ドキュメンタリーの粋を出ないと思われる。しかし、彼らのそれはエンターテイメントに満ちていた。

千葉県のかつてひきこもりだった少年がバンドを組み、ネット投票のサマソニ新人枠に実力派バンドを出し抜いて見事出場決定、NHK音楽番組になぜか出演、フェスで坂本龍一と肩を組む、アニサマに出演、ライブ中に殴り合い、『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』という入江監督の映画に出演、いまではきゃりーぱにゅぱにゅと焼肉へ行く仲に。

人生はこんなにもダイナミックで面白いものなのかとリスナーは感じたはずだ。

 

 

エンターテイメントはドキュメントを↓


人生はこんなにもダイナミックで面白いものなのかとリスナーは感じたはずだ。

 

エンターテイメントはドキュメントを食いつぶす力があるから価値がある。

しかし“神聖かまってちゃん”は、ドキュメンタリーはエンターテイメントであることを教えてくれた。くだらない現実を自分から変えていこうとすれば、エンターテイメントになるということだ。

 

 

 

 “SEKAI NO OWARI”が↓


SEKAI NO OWARI”が行うファンタジーもエンターテイメントである。でも“神聖かまってちゃん”はファンタジーには頼らず現実とロマンを歌って、自身のドキュメンタリーを積み上げることによってエンターテイメントの力を得たロックバンドだ。

 一〇年代、そんなロックバンドが世界を塗りかえる光景をはやく見たい。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うおお



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