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眠れない夜に見るもの

 ここ最近、眠りが浅い。深夜、変な夢を見て目を覚ますと、再び目を閉じても妙に目が冴え

て眠ることが出来ない。そして、そんな夜は、ドサドサッという重いものが落ちる音と、

バシャバシャッという水音がするのだ。この音を聞いたのは、数日前からだ。

 そして、この音を聞くようになってから、このアパートの道路を挟んで、すぐ横にある

川が白く濁り始めた。いつも濁っているのではなく、この妙な音がした次の日、川の色が

おかしくなることに気づいた。

 

「だから、市役所に話したのよ。川の色がおかしくなる時があるって」

 私の住むアパートの隣の部屋に住んでいる三島さんは、独身の推定30代後半の話しや

すい人だ。世話好きな人という印象で、あまり気を使わず接することができる。

 川の色がおかしいと私が思うよりも先に、三島さんは気づいていて、いろんな人に話を

聞いていたようだった。

「でね、面倒そうに濁った水を取りに来て、調査したみたいなんだけど、返答がね、特に

異常ないって。毒物が混入されてるわけでも、環境を脅かす成分もないから大丈夫だって。

でも私、毎晩見るのよ」

 見るのよ、という言葉だけは、声を落として私に顔を近づけて、三島さんは囁くように

言う。三島さんの甘ったるい香水の香りがして、私は一瞬、顔を顰めたが、気づかれない

ようにすぐに表情を戻す。

「見たって、何をですか」

 私は、顔を少し三島さんから遠ざけて、口で息をしながら話す。

 

 

 三島さんは、目を大きく見開いて、瞬きを数回繰り返した後、話を始めた。

「私、見たの。黒いフードつきのレインコートを着た集団が、川に何か落としてるのを」

 黒いレインコートの集団と、私が呟くと、三島さんは数回頷いた。

「最初は、遠くから川の方を見てたんだけど、橋についてる照明の光だけで、人らしきも

のが蠢いている感じにしか見えなくて、川の近くまで行ったの。それで、大型トラック

から、何か重そうな物を地面に落として、川まで引きずって行って、川にそれを

落としてるのよ。何だか気味が悪いから、あんまり近づけなかったんだけど」

 話をしている間、三島さんは、誰かに話を聞かれるのを恐れるかのように、何度も辺り

をキョロキョロと見回して、その大きな眼で辺りを伺いながら私に話した。

「三島さん、夢でも見たんじゃないですか。黒い集団って、いかにも悪い夢にでてきそう

じゃないですか」

「夢なんかじゃないわよ。私、本当に見たんだから」

 大声でそう私に言うと、両手で私の腕を掴んだ。その力が強くて、私は思わず顔を顰め

た。私の表情を見て、三島さんは慌てて手を放す。

「とにかく、気をつけなさい。あの人たち、普通じゃないわよ。何か集まって、儀式みた

いなことしてたのよ。それから、気になるとは思うけど、見ない方がいいわよ。あれを見

たら、きっとあなたの身に良くないことが、起こるわ」

 三島さんは、大きく目を見開いて、私にそう忠告する。この人ってこんなに神経質そう

な人だったっけと、ぼんやり思いながら私は、頷いた。満足そうに三島さんは頷いて、私

を廊下に残して、隣の部屋に戻っていった。

 

 アルバイトを終えて、部屋に入ると、室内の空気が変わっているような感じがした。先

ほどまで、誰かがいたような、そんな感じがする妙な空気が立ち込めている。ベッドの

横にある窓を開けると、ひっそりと佇む街灯と、黒々とした道路が見える。

  私の部屋は、アパートの二階にあり一番端にあるため、窓も多く日当たりもよく、夏は

暑いが、冬は暖かい。アパートの隣にある道路は、夜になるとあまり車が通らないので、

静かでいい。けれど、妙な噂もよく聞く。このアパートは、悪いものを集めてしまうよ

くない場所であるとか、以前、霊感の強い住人が住んでいて、その人が毎晩変なものを

見ては苦しめられたとか。そんなオカルトめいた話を、三島さんが聞かせてくれた。

  それが本当なのかどうかは分からないけれど、このアパートは、何かあるとは思う。私

は霊感など、まったくないけれど、不思議な気配は感じる。

  開けた窓から、ひんやりした空気が入ってくる。街灯の光のせいか、闇を含んだ道路が

より黒々として見えた。なぜかそこから、しばらく目を離すことができずにいた。

 

  友人に頼まれていた写真のプリントアウトを終えて、壁掛け時計を見ると、日付けが変

わっていることに気づいた。ベッドに横になると、疲れているはずなのに、眠気はあまり

感じなかった。何度も寝返りを繰り返すうち、うとうとして、やがて浅い眠りについた。

 

 


私が見る夢

 最初から夢だと分かる夢というのは、あまりないように思う。途中で、あっ、これは夢

だと気づく場合が多い。けれど、ごくたまに夢だと最初から分かるものもある。

そういう夢は、色がないのだ。モノクロの支離滅裂な夢を見る。今、私が見ている夢も、

 モノクロだった。

 私の目の前には、数人のレインコートのような黒いフードを被った集団が、何やら大きな

麻っぽい質の茶色い袋を運んでいる。袋はこれ以上入れられないほど、パンパンに膨れて

いる。それを重みを感じていないかのように、フードを被った者たちは、スイスイと運んでいく。

そして、袋をどんどん山のように積み上げていく。一体何があんなに詰まっているのだろう。

どうしてこの人たちは、こんなにたくさん積み上げているのだろう。

 

  私は、黒いフードの集団が、黙々とその作業を繰り返しているのをぼんやりと見ていた。

この人たちはどこからこの袋を運んでいるのだろうと、袋を運んでくる人達を目で辿って

いくと、大きく頑丈そうな扉のついた倉庫から、何人もの黒いフードの集団が、吸い込ま

れては、吐き出されてくる。

「あの人たちはね、依頼されてるのよ。この世の中のいらないものをあの袋に詰めて、そ

れを処分するように言われてるの。それを黙々とこなすのよ。永遠に終わりのない作業を

させられるのよ」

 いつの間にか私の後ろに、三島さんが立っていた。三島さんは、何の感情も読みとれな

いくらいの無表情で、私の方を見つめて言った。

「ねえ、不思議だと思わない。あの人たち同じ作業を繰り返しているのに、まったく不満

を言わないの。きっと感情をどこかに置いてきてしまったのね。例えば、自分の運んでる

袋に詰めて捨ててしまったのかもしれないわ」

 三島さんは、大きく目を見開く。彼女は、感情が高ぶってくると、目を大きく見開く癖

がある。けれど、いつもとは違い、彼女は冷静そうに見える。しかし彼女は、いつもより

 

 

 

  目を大きく見開いて、私をまっすぐ見つめている。これ以上無理だろうと思うほど、彼女

が目を見開いて話すので、私は彼女の大きな目が、そこからこぼれ落ちるのではないかと、

心配になるくらいだ。だんだん、彼女を見ているのが恐ろしくなり、私は視線を逸らした。

黒いフードの集団は、積み上げた袋を今度は、またどこかへ持っていく。目で追っていく

と、その人たちが運んだ先には、キラキラと光輝く細長い帯のようなものがある。目を凝

らして見ていると、それがやがて川に変わる。澄んだ水は、光を放ち緩やかに流れていく。

黒いフードの集団は、ドサッと袋を乱雑に下ろし、今度は頭上に高く持ち上げ力いっぱい

放り投げる。バシャッという水音とともに、水が大きく跳ね上がる。ゆらゆらと袋は川の

水を含みながら、流されていく。流されるごとに、袋が徐々に平たくなっていく。

  そして、あれだけ澄んでいた川が、どんどん白く濁っていく。あれだけ綺麗だった川が、

どんどん薄汚く濁っていく。その光景を見ながら、切なく辛い気持が募っていく。

 気づくと、やめてよ、やめて、と私は叫んでいた。どれだけ大声を出しても、黒いフード

の集団は振り返ることも、手を止めることもなく、淡々と作業を続ける。その間も、川は

どんどん濁っていく。私は、訳の分からないことを大声で叫びながら、その集団に近づこ

うと走り出した。けれど、どれだけ走っても、その人たちには近づくことが出来ない。た

くさんの袋を放り込んでいるはずなのに、袋の山は減ることはない。倉庫からまた新たな

袋を運び、山を作る。川だけが、どれだけ袋が投げ込まれたかを理解させた。私は、必死

でその集団に少しでも近づこうと走り続けた。


やがて訪れる長い夜

 目が覚めると、ぐったりするほどのだるさを感じる。さっきまで、本当に全速力で走っ

ていたように思えるくらいだった。体から嫌な汗が噴き出していて、下着がしっとりと

肌に吸いつき気持ち悪い。体を起こすと下着を着替えた。それと同時に、ドサッという

ものが落ちる音と、バシャッっという水音がする。ゆっくりと顔を窓の方に向ける。締

め切った窓とカーテンは、外の街灯の光を吸い込んで、ぼんやり白っぽく見える。窓を

そろそろと開けて、外の様子を見る。寝る前と変わらず、街灯と、黒光りして見える道

路しか見えない。その間も、ものが落ちる音と、水音は止むことはない。

  音に耳を澄ませていると、やはり川の方から聞こえるような気がする。水音がした時、

川であるとは思っていたが、何となく直視するのが嫌だった。黒い集団の話を聞いた時、

私の夢と同じだと、三島さんに言えずにいた。ただの偶然だと思いたかった。そんな怪

しい集団が、実際にいて、私のアパートのすぐ近くで、意味不明な行動を繰り返してい

るなどと、到底信じたくなかった。

 

  そろそろと窓を閉めて、カーディガンを羽織ってベランダに出る。すると音は、止ん

だ。ベランダ用のサンダルに足を入れると、ひんやりとした感触が足の裏に伝わってく

る。橋の上にある街灯がポツポツと光を放ち、橋の上を寂しげに照らしている。川は、

闇を吸い込んで黒々として見え、表面が街灯や月明かりで、ゆらゆらと頼りなげに光を

放ち、揺れている。耳をすますが、何の音も聞こえてこない。じっと見ていると、川の

傍で何かが蠢いているようだが、気のせいでもあるように思えた。

  三島さんから聞いた話と、変な夢を見たせいだろうと思い、寒気を感じて肩を竦める。

カーディガンに腕を通して、ベランダから部屋に戻る。カーテンを閉める前に、川の方

を見たけれど、いつもの静けさがそこに広がっているだけだった。

 

 

 しばらく三島さんを見ないなと、不思議に思い管理人に話を聞くと、三島さんは引っ越

したと言った。何でも、連日妙な夢と、変な音がするから嫌だとか、三島さんの隣の空

き部屋に誰か住んでるみたいだと、おかしな話ばかりして怖がるから引っ越してもらった

と、眉を顰めながら管理人は、数回頭を振った。

 

  管理人は、三島さんが引っ越したと言ったけれど、私はいなくなったのではないかと思う。

確かに、最近の三島さんはおかしかった。急に、怒り出したり、玄関の前に誰かがいて、い

つも迎えに来るような気がすると言っていた。そして、見なくなる前に一度話をした。川が

濁る理由がついに分かった、と言っていた。私が聞くと、その証拠をしっかり掴むために、

今日、調べに行くのだ、と言っていた。三島さんは、目を大きく見開いて、何度も頷く。何

かを恐れるように、声が聞き取れないほど小さな声で、三島さんは、最後に言った。

  夢を見なくなった時が怖いのよ。それから眠れなくなる。あの人たちには、言い訳を並べ

立てない方がいい、とも言っていた。正直に言うのよ。何のことか聞こうとしたが、三島さ

んは、それだけ言うとすぐに部屋に戻っていった。閉められた三島さんの部屋の扉は、何か

を拒絶するかのように、重たげにそこにあった。

 

  今日は夢を見なかった。三島さんの部屋に人の気配を感じる。妙な胸騒ぎがして、カー

ディガンを羽織って、そろそろと玄関を開ける。アパートの外にある蛍光灯の明かりが、

点いたり消えたりを繰り返している。私は、三島さん、と気配のする彼女の部屋の中に向

かって声をかける。けれど、声が返ってくることはない。ひっそりと静まり返っていた。

ドサッという音とともに、水音が聞こえ始める。私は、アパートの階段を駆け下り、走

って川に架かる橋を目指す。川の方に目を凝らすと、夢で見たような黒いフードを被っ

た人たちがいる。黒いフードを被った集団は、川に何か放り投げている。川が濁ってい

るかどうかは、暗くてよく分からない。その集団の中に、三島さんがいるような気がし

た。人がいらなくなったものたちを集めて、ここに捨てに来る。もし、それが本当だと

したら、ここは、行き場のない感情の掃き溜めみたいなものだろうか。ふとそんなこと

を思った。

 

  ふいに誰かの気配を感じて、振り返ると黒いフードを被った人が、私の後ろに立って

いた。どんどんと私に近づいて、私に袋を手渡そうとする。いえ、私はただ見ているだ

けです、と呟いたつもりが、上手く言葉になっていなかった。

  私は何か言わなきゃと思って、頭の中で言葉を組み立てようとする。けれど、どれも

言い訳めいて、白々しい言葉ばかりだった。三島さんの言った言葉が、頭の中を駆け巡

っていく。夢を見なくなった時が怖い、それから眠れなくなる。言い訳は駄目。

  ゆっくりと口を開いて、私はまだ眠れるわ、そんな言葉を言おうとしている。私は、何

でこの人を納得させる言葉を探そうと、必死になっているのだろう。なぜ、夢と現実の区

別が、つかなくなってきたんだろう。私がグルグルと意味不明な言葉を思い浮かべては、

混乱していく中でも、黒い集団は淡々と、袋を川に投げ込んでいく。あの袋は一体どこか

ら来るのだろう。山になった袋は、どうやって運んだんだろう。なぜあんなにもあるんだ

ろう。三島さんは、トラックを見たと言っていたが、そんなものは見当たらない。

  それが知りたくて、私は必死に袋の傍に目を凝らす。ドサッというものが落ちる音が、

どこからするのか分からない。音のする辺りには、闇が広がっているだけだ。やがて集

団の何人かが、私を見ていることに気づいた。振り返ると、私の傍に袋が置いてある。

そっと触れると、袋のざらざらした感触が、伝わってきた。私の後ろに立っていた人は、

いつ間にかいなくなっていた。どうすればいいのか、分からないまま、適当に誤魔化して

ここから立ち去ろうか、ふいにそんなことを思う。そうして、考えあぐねている間も、私を

急かすようにものが落ちる音と水音は、止むことはなかった。


この本の内容は以上です。


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