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まえがき

国家崩壊が俄かに現実味を帯びている。

つまるところ3.11以降の政策群は「大規模災害の混乱に乗じ平時では実現困難な改革を一挙に推進する」というショック・ドクトリンだったわけだ。換言するならば「近代国家が衰退し帝国へ主権が転位していく、一種の中世が回帰したとも指摘される現代的文脈」であり「国際資本は国境など無視しながら、世界を諸国家ではなく諸コミュニティへと変容させる」ということであり、我々はその仮説が実説となる現場を目撃しているのだろう。

すなわちニホンという城壁国家は多国籍企業軍に包囲され滅亡寸前でありながら、政治家、官吏、マスコミが既得権益を担保として侵略者を怒涛の如く入城させ、国民の諸権利、経済市場、公共資本の一切を献上し、新レジーム(植民地)における中間支配者として君臨しようとしているわけだ。

政治科学でも社会科学でもImplication(行為がもたらす結果)という概念があり、それは早い話「その結果としてどうなるか」という定理に他ならない。すなわち支配勢力が邁進するイデオロギー(新自由主義)は人間の自由ではなく資本の自由を絶対とするのだから、福祉国家と民主的諸権利の解体は必然なのだ。

その前提において労働法の改正などは日本版「コード・ノワール(奴隷法)」として捉えるべきである。もともと日本の労働慣行は不確実性を最小化するよう設計され、終身雇用、年功序列、系列化、規制など競争回避的な制度とともに共生的な社会システムを構築していたのだが、それは特区構想によって完全に粉砕されることになるだろう。すなわち「特区」とはあからさまに現代の「租界(外国人が跋扈する治外法権区域)であるにもかかわらず、メディアによって精神解体された我々はそれが植民地世界の象徴であるという認識すら叶わないのだ。

かつてイギリスの名門大学では「エコノミック・ジオグラフィー(経済地理学)」の識者が最高の権威とされたのだが、それはターゲット(被侵略民族)の文化や社会を分析し、植民地統治の手法を策定するポストであり、すなわち欧米社会においては搾取を最効率化する方法論がアカデミズムとして確立されているのである。あらためてバラエティ番組やスポーツ中継による愚民化とは、そのような研究機関(シンクタンク)において周到に立案された「意識の収奪プログラム」であることを理解しなくてはならない。かくして我々が陥ったモボクラシー(反知識主義)とはドクトリン(対外戦略要綱)の結実なのである。

なおシリーズ三作目となる本書はグローバリゼーションを主題とし、政治科学、社会科学、歴史科学、さらには認知心理学などの視点から多面的に検証を試みた次第だ。すなわちマルチテクスチャ(複数の領野からの考察)によって論理を精緻化し実証主義を貫きつつ、より説明力の高い仮説を導出できたのではないかと考えている。

政治・経済という学問は権威の粉飾に利用され、むしろ難解であることが美質であるかのような風潮の中で腐朽しているのだけれど、それはおおよそ「カネ(0)と暴力(1)」が対合する欲望の営(システム)であり、人間悪の抽象なくして核心に到達することなど到底不可能なのだ。つまるところ本質はアカデミズムの領域には無く、むしろパンキッシュ(野卑的)な本音と悪辣な現実の中に潜むのであり、本書で掲げた214の言葉たちは理性ではなく直感による覚醒を可能にするのだと思う。バラモンの経典が教えるとおり「言葉だけが未来のてがかり」であり、我々は知的衝撃波によって五感の全面を覆いつくした虚構を粉砕するのである。

2014年 5月 19日   響堂雪乃


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