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先の見えない不安

義父は一週間に一度のデイケアを楽しみにしていた。もともと絵を描くのが得意な義父は折り紙や塗り絵など楽しんできたようだった。旺盛な食欲は変わらず、ときどき昼夜逆転することがあっても、良く寝て良く食べてくれていればこのままずっと長生きをしてくれるんじゃないか、と思って安心していたある日、たまたま往診の先生の診察で軽い肺炎を起こしているようだとわかった。もう歩けなくなっていた義父を病院に連れて行くには救急車を要請するしかなく、けたたましいサイレンをならしながらやってきた救急車に義父をお願いした。救命救急センターでレントゲンなど検査をしてもらうと、軽い肺炎なので家で点滴を続けてくださいとのこと。数時間後に帰ってきた義父はとても元気そうに見えた。呑み込む力が弱くなった高齢者は簡単に誤嚥性肺炎を起こすのでその後も気をつけなければいけなかった。ところが僅か一週間後、今度は脳梗塞を起こした。その日はいつも通りお昼ご飯をベッドで取り横になって少しすると足に痙攣がきた。痙攣は全身に広がり、お父様、お父様と呼んでも反応がない。ただごとではない症状に先生と看護士さんに連絡を入れた。待っている間も義父の両目は片方に寄ったまま動かない。もうダメだと思ったので身内の者に連絡を入れた。看護士さんも義父を診るなり脳梗塞を疑い先生に電話で指示を仰ぎ、点滴を開始してくれた。皆が義父の回りに集まっていよいよ最期だと覚悟を決めて見守る中、なんと義父は目を覚まし何事もなかったようにニコニコしてこちらを見ている。やっと都合をつけてかけつけてくれた先生もこれには驚いた。本人はいつものように目が覚めたという顔をしている。なんと生命力の強い人か。そしてまた一週間後、私が仕事で家を空けている間に義父は生死をさまよった。ちょうど手伝いに来ていた義理の妹が一人で義父の傍についていた時、義父の血圧が急に下がり始め、このまま何もしなければ持ち直すことはないという医師の説明に、妹は点滴に一途の望みをかけてみるという判断をした。普段からその時が来たら延命はしないと家族で決めてあったが、娘として、一日でも一時間でも父に長く生きていて欲しいという心情を察すると当然のことだし、それで義父がまた元気を取り戻してくれたので良かったと思った。

 

それから2週間ほど義父はまた以前のように元気でいてくれた。肺炎、脳梗塞、血圧低下、3度の危機を脱した義父の生命力にただただ感心するばかりの私だったが、いつもの介護に戻ったときの何とも言えない重苦しい気持ち、この先いつまでこんなことが続くのだろう、と不安はつのるばかり。一生懸命面倒を見る私に、看護士さんの一人が、「大丈夫ですか」と聞いてくれた。それまで誰にも言えずにいた気持ちに、その時初めて自分で気がついた。胸が詰まって涙が溢れそうな思いをこらえて、「大丈夫、がんばります」とだけ答えた。

 

3度の危機を脱した義父も最期は呑み込むことができなくなり呼吸不全で亡くなった。それでも亡くなる日の朝までなんとか食事を取ることができた。亡くなる数日前は朝からご機嫌で、「アイスクリームが食べたい」「うなぎが食べたい」「コーヒーが飲みたい」などと訴えるので、私がその都度用意をしてベッドに運んで行くと、嬉しそうに食べながら満足そうな笑みを返してくれた。以前の義父のように、食事を取りながら冗談も交え私たちとの最後の会話を楽しんでいるようだった。こんなに嬉しそうな義父は何ヶ月ぶりだろう、まるで小さな子供みたいな屈託のない笑顔がずっと心に残っている。


在宅で看取ること

人も動物も自分の死が近づくと本能的にわかるんじゃないかと思う。その時をどこで過ごしたいか、誰といたいか、答えは皆同じではないか。介護用ベッドを置く部屋がないとか、同居でないので面倒を看たくても叶わないとか、物理的なことはさておいて、人は最期に何を望むのだろう。介護する側も後悔を引きずらないためにどうしたらいいのだろう。

 

私は、一匹のシーズー犬をたとえ2日でも病院に預けた後悔を今でも引きずっている。犬のことで何を言うかと思う方も多いと思う。でも犬は口がきけない、従って理屈でなく感情だけで飼い主と繋がっている。こうして欲しいと訴えるとき目を見てワンワンと吠えるしかない。病院のケージに預けたショーンが「一緒に連れて帰って」と悲痛な鳴き声で訴えていた。その声がずっと耳に残って今も後悔しない日は一日だってない。アルツハイマー病や認知症の人はどうだろう。まるでもう人にあらずというような扱いを老人ホームなどの施設で受けている高齢者のことが時々テレビのニュースで流れる。それを見て心を痛めない人はいない筈だ。

 

母が最後に腸閉塞で入院したとき一冊の小さなノートに日記を綴っていた。口では私に忙しいでしょうから毎日来てくれなくていいのよ、と言っていた母がノートには「今日は誰も来ない日、淋しい...」と書いていた。母は献身的に介護する私に痛いだの、辛いだの、不安だというような言葉を吐かなかった。終末期だと伝えられずにいた私への母の気遣いが感じられて、思い出すと切なくなる。母もまた最期が近いことに気づいていて、それでも私や妹のために一日でも長く生きようとしてくれていた。

 

アルツハイマー病の義母は入院していた一ヶ月間で表情がなくなり言葉を発することもなくなった。本人に家に帰ると伝えても事情が良くわからない様子だった。もしかしたら自分の子供の名前すら忘れているんじゃないだろうか、そんな疑問がわくほど義母は無表情で退院した。それでも前に書いたように、退院してからは時々好きなものは「おいしい」と言って食べてくれたし、義父の我がままに私が「困ったお父様だわ」と言うと申し訳なさそうな顔をして見せた。病気が進行していても決して感情がなくなったわけではない、そう確信していた。

 

我がままな義父も、人に対しては礼儀をわきまえるところがあって、機嫌の良い日には私や看護士さんに向かって、「いつもすまないねー ありがとう」と言った。認知症が進んだ義父でさえ理性を見せることがあったので、高齢でも、認知症でも、末期癌でも、人は最期まで人、だから人として接してあげないとだめなんだと心からそう思った。

 

最初の質問にもどって、人は最期をどこで、誰と迎えたいだろうか。人は生まれてきた瞬間から親に守られ大事に育てられて大人になった筈。そして亡くなるまでの長い人生を愛する人と共に送ってきたのではないか。最期だけ一人になって良い筈がない。家族が見守る中で、或は家族がいる住み慣れた家で、安心して最期を迎えることができたら、「良い人生だった」とそう思いながらこの世を離れることができると私は確信している。

 

介護する者が後悔を引きずらないためにも、誰もが在宅で、本当の意味の終の住処で、看取ることができたらいいと思う。それがきっと誰もが望む最期ではないだろうか。

 

生意気に書いてきた私も決して一人でできたわけではない。訪問してくださる先生や看護士さんたち、ケアマネージャーさんやヘルパーさん、義理の妹や夫、みんなの助けがあってこそできたこと。高齢者の介護は赤ん坊の世話とはわけが違う。腕力や工夫も必要、資金も必要だ。高齢者を食い物にする業者がないとは言えない世の中だからこそ、皆が自分の最期を考え、最期を迎えている人の気持ちを理解することが必要だと思う。誰の未来にも、いつか自分の番が来て介護される立場になるのだから。

 

 

 


この本の内容は以上です。


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