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全18作品試し読み

■紅侘助『刻の彼方より』(弥生時代)

 照りつける日差しは剥き出しの肩を背中を灼く。辛うじて水面に出た肌は耐え難く火照り、茫洋とした眼差しを向けた先には、赤く腫れ上がった二本の腕が力なく流木に身を委ねている。
 時折立つ微かな波は身を洗い、ささやかな清涼感を与えてはくれるが、真夏の太陽は容赦なくそれを奪い去り、後に塩の沁みる激痛を置き去りにしていく。
 いっそのこと、和邇(ワニ)に喰われてしまった方が楽なのではないか。ヒダトキはぼんやりと思った。
 こんなはずではなかったのだ。上手くいけば、今頃は壱岐國(いきこく)あるいは對馬國(つしまこく)に辿り着き、倭人に紛れて新たな暮らしを始めるべく、準備に取りかかっていたであろうに。


■白藤宵霞『あかのくさび』(古墳時代)

 その色は、眉輪(まよわ)にとって、とても懐かしい色だった。
 年若い乳母に手を引かれたまま、幼子は目の前の光景に目を奪われた。
 それまで眠気で重かった瞼が、嘘のように軽くなる。母親似と言われる目許を興奮に染め、言葉もなく、ただその色彩に魅入った。
「ごらん、眉輪」
 微かな笑みを漂わせ、壮年の男が手招く。眉輪は嬉しくなって、飛び跳ねるように駆け出した。寝起きのままの髪が不揃いに揺れる。
「おとうさま」
 舌足らずに、名を呼ぶ。それだけで、眉輪の心は踊った。
 部屋の中央に敷かれた褥(しとね)の上、重い病身を母に支えられながら、父が優しい眼差しを庭先に向ける。その隣にちょこんと座ると、眉輪も彼に倣うように視線を移した。
「うわぁ……きれーい……」
 生駒山(いこまやま)から昇った朝陽が、日下(くさか)の里を照らし出す。
 小さな海のように広がる日下江(くさかえ)は、空を映して燃え上がり、天に焦がれて背を伸ばした蓮花(はちすばな)は、その真白の花びらを同じ色に染めた。朝焼けが、日下を、父を、母を、そして眉輪を包み込む。それは、眩しいほどの赤一色の世界だった。


■ななつほしなみ『楽土の幻』(飛鳥時代)

 濁った、冬の嵐の夜だった。泥濘を奔馬の蹄が掻き乱し、ざあざあという強い雨音にも負けず、嘶きと共に疾駆してゆく。手綱を取る男は泥だらけの甲冑姿だったが、兜を何処かへ置いて来たらしい、雑な角髪(みずら)はじっとりと水を含み、且つ毛羽立って居る。粗悪な拵えの太刀が、馬の躍動と共に緩慢に揺れた。何処かで流れ矢が走ったのだろう、右の顎筋に、長い切り傷が見えた。乾き切らない傷口だったが、雨は血さえも流してゆく。
「広足(ひろたり)、後どれ程か」
 かっ、と雷が空を貫く。鞍に跨った男の背に掴まる、稚い手が雷光で白く映えた。申し訳ばかりに蓑を被り、縮こまって背に掴まって居る。蓑からはみ出た袖口には、豪奢な金糸の刺繍が施してあった。か細い、高い声は辛うじて男の耳に届く。その不安げな響きが、広足の心を締め付ける様に苦しめた。
「王(みこ)さま、お静かに。悪路故、話せば舌を噛みまする。飛鳥の宮が見えて参りました故、今暫くの辛抱に御座居ます」
 小さく頷くと、王、と呼ばれた少年は、只黙って男の背に身体を預ける。寒さ故か、それとも恐懼故か、微かに震えて居るのが広足にも分かった。馬は苦しそうに息をしながら、鞭を恐れて速度を緩めずに居る。また一閃、雷が夜闇を切り裂いてゆく。雨脚は緩まず、雨粒は叩き付ける様な勢いで、風景を濡らし、混濁させてゆく。
 急がなくては、と心ばかりが逸った。馬にも限界が近づいて居たし、追手が来ないとも限らない。
 斑鳩宮(いかるがのみや)には多数の王、女王(ひめみこ)が居たけれど、その数が一人足りない事に気付かぬ蘇我林臣(そがのはやしのおみ)でもあるまい。怪しめばすぐさま姿を求めるであろうし、そうなれば仮令七歳にもならぬ幼子であろうと、見つかった上は殺される。


■唐橋史『袈裟を着た人』(奈良時代)

 夜明けまではまだ少し間があった。若草山にかかる薄雲が白んでいる。
 猪麻呂(いまろ)は腹がすいていた。
 まだ肌寒さの残る時分である。猪麻呂は築地の崩れたその隙間に身を潜め、頭からかぶった襤褸をひきそばめて膝を抱いていた。
 腹がすいて、眠るに眠れずにいた。寝返りを打った拍子に、築地の崩れた箇所から土の固まりが膝に転がり落ちたので、猪麻呂は舌打ちした。腹がすいた。
 柳の木陰の薄暗い中から、痩せた沙弥がおずおずと寄ってきたのはそのときだった。沙弥は猪麻呂の傍らにじっとりと立つと、骨と皮だけの赤黒い腕で、すすけた鉢を額に掲げて恵みを乞うた。
 猪麻呂は腹がすいていたのだった。思わず何度も手の甲でその鉢を押しやるが、沙弥は盲目なのか、視線を地面に落としているだけで、そこに根を張ったように動かない。猪麻呂はまた舌打ちをした。何度も鉢を手の甲で押し戻し、そうこうしているうちに、親指の爪が鉢の縁に当たって欠けた。拍子に思わず声が出て、猪麻呂は立ち上がっていた。
 太鼓の音が聞こえてきた。かすかな響きだったそれは、次第に重い振動を伴って大きくなっていく。
 猪麻呂は沙弥の腹を蹴り上げた。枯れ薄のような沙弥の体は、ぬかるんだ地面にへばりついた。猪麻呂は空腹にまかせて、沙弥の腹を、背を、頭を、何度も蹴った。沙弥の命乞いをする声が次第に大きくなっていく。猪麻呂もまた怒声を上げた。
 最後の太鼓の音が響き渡った。
 寧楽(なら)の都に朝が来る。
 太鼓の音を合図に、まだ薄暗い空に、錆びた蝶番の鈍い音がごうごうと響き渡った。内裏の朱雀門、壬生門、若犬養門、大路小路の各門に、朱雀大路の羅城門が一斉に開け放たれたのだ。それは都の目覚めを告げる長くて鈍く重たいあくびだった。


■たまきこう『闇衣』(平安時代初期)

 夜の闇は深く、全ての物を包み込んでいるようだった。草木も眠る丑三つ時。心地良い静けさに包まれながら、彼女は最後の一文字を書き上げ、そっと筆をおいた。墨の濃淡のせいか、蝋燭の炎に合わせて文字が生きているように揺れていた。彼女の両脇に置かれた灯りは、黒々とした影を落とす。
 強すぎる光は、強すぎる闇をもたらすのだと、達成感の中で彼女は思った。もう少しだけ、この心地良い時の中に身を委ねて居たかったが、そのような訳にはいかなかった。彼女にはまだ、やり残したことがある。そして、それが最も重大なことだった。
 乾かすためにと、辺りに遊ばせておいた紙を集め、文箱の中にしまう。元々中に入っていたものは、こちらに移ってきた時に全て燃やしてしまっていた。もしかしたら、その時にはもうこうなることは分かっていたのかもしれない。
恐らく、と彼女は心の中で呟いた。わたくしと、兄上がきちんとしていればこのようなことにはならなかったはず。「すまぬ」とあの方はわたくしに絞り出すような声でおっしゃってくださったけれど、全てはわたくしの責。
 長く浅く息をつくと、彼女は目を閉じてその時を待った。思い浮かぶのは、今まで関わった人々。そして、愛する人とも家族とも異なるような存在。
――わたくしは、薬子(くすこ)は、お仕えできたことを嬉しく思っております。


■斎藤流軌『賭射』(平安時代初期)

 枝に積もった雪が、冷たい吐息に吹かれて宙を舞う。
 青空に銀粉が散りばめられ、馬のたてがみを濡らす。
 馬上には帯剣した狩衣姿の男たちが乗っており、行列の前後を守っている。間には、枇榔毛(びろうげ)のかかった牛車や、荷車などが連なっていた。
 牛車の前簾が持ち上がり、大きな手のひらが差し出された。
 その手にふれるとたちまち、粉雪はとけ、年輪を重ねた手がむなしく空をつかむ。
「帥宮(そちのみや)様、お体が冷えます」
 牛車を引く車副(くるまぞい)の若者が声をかける。
 帥宮と呼ばれた初老の男は、この初々しい従者の忠告に苦笑した。
 髪には白いものが混じり、目のまわりにも細かいしわが寄っている。けれど瞳のなかには、豪放な気性が輝いていた。
「筑紫の寒さなど、東国に比べたらかわいいものだ。それより、花は咲いておらぬか」
 従者は思わずさすり合わせていた手を隠しながら、路傍に伸びる梅の枝を見上げた。
 枝の節々に、乙女の唇のようなつぼみがなっている。早朝の雪に驚いたのか、どのつぼみも身を縮めていた。
「今年は遅咲きのようですから」
「遅咲き、か――」
 透き通った青空にぽつりぽつりと浮かぶつぼみに目を細め、男は前簾を下ろした。


■翁納葵『祈りの焔立つ時~俊寛異聞~』(平安時代末期)
 
 なに、取って喰らいなどせぬ。語らいたいだけよ。安堵してその辺りにある酒でも遣りながら聞いてくれ。まあ聞き流してくれても構わぬ。
 これは薩摩国鬼界ヶ島(さつまのくにきかいがしま)に住まいする者にて候。こんにったこの島にて果てし男の生を物語せばやと存じ候。
 いや、そう畏まるでもないか。我も酒を食びょう。ささ、そなたらも一献。
 その男には地位も金もあった。血筋は村上天皇第七皇子二品中務親王村上源氏、祖父は京極源大納言雅俊(きょうごくげんだいなごんまさとし)、父は仁和寺法印寛雅(にんなじほういんかんが)、母は宰相局、男の名を俊寛という。この世に生を受けたは康治二年、僧都の位を持つ真言宗の僧であり、後白河法皇が側近を務める法勝寺執行(しゅぎょう)の役にあった。その様な者が何故荒涼たる風吹き荒ぶこの島へ来たか。それにはこんな訳がある。


■緑川出口『おやこ六弥太』(平安時代末期)
 
 死んだものを弔うための手段の一つに、墓をつくることがある。死んだものの体をどうにかして埋めておくのが主だが、時には墓の下に何もないということもある。埋めたら埋めたで、そのまま埋めっぱなしということもあるが、土を盛るなり、石で造ったものを置くなり、何かしらの目印をつくることが多い。石で造ったものの中には、それそのものが死体を入れておく容器の役割を果たす場合もある。こういった墓の目印、ひいては墓そのものは、葬られたもの自身が特別であればあるほど、特別な意味を持つ。力を持った者が葬られた墓は、その墓石さえも力を持つと考えられることが、ままある。
 たとえば、畑の真ん中に建っているこの石塔も、特別な意味を持たされた墓石である。この石塔を削り取って粉にし、それを煎じて女が飲めば、子を持たない女は間もなくして子を授かり、子があっても乳の出が悪い女はたちまちに乳の出がよくなるという。付近の村々では長きにわたって信じられていた話であり、妙薬に等しいものとして何度も削り取られてきた石塔は、不自然にへこんでいる。
 ここに葬られている人物は、いつ生まれいつ死んだのかよくわかっていない。はっきりわかっているのはこの辺りに住んでいたということ、保元の乱と平治の乱そして一ノ谷の戦いに参加していたこと、などである。


■すと世界『業火に咲く花』(鎌倉時代)

 男は草むした山道を突き進む。男が一足を置くごとに、葉の裏にしがみついていた蛍が、淡い光を明滅させながら一匹二匹と舞い上がった。
 闇夜である。男の掲げた松明(たいまつ)だけが彼にとっての道標であった。
 男は黒の直垂(ひたたれ)に、白の行縢(むかばき)姿である。直垂は一見地味に見えるが、紗の上に細々とした縫い取りがされた手の込んだものであった。行縢は水豹(あざらし)の毛皮で出来ていた。
 端正な顔立ちに自信と不遜さをにじませた表情が、松明の炎に浮かび上がる。細面に東国武者らしい奥目の面構え、口の端がつり上がった様は、どこか山犬を思わせる。
 男は能登前司(のとのぜんじ)にして、讃岐守護(さぬきのしゆご)、三浦光村(みうらみつむら)である。齢は四十。一人で山道を歩き、供の者はいなかった。
「お止めくださいませ、光村様も目が潰れてしまいます」
 山の麓まで一緒であった、瞽女(ごぜ)のらんの声が脳裏に蘇る。だが光村は止めろと言われたことほど、行いたくなる質の人間であった。


■向日葵塚ひなた『歌え、連ねよ花の笠』(室町時代)

 淡く、白い花をたっぷりつけた、枝垂桜の下。村の守り神を祀っている神社の境内を、より一層華々しく彩っている。上を見上げると、青く澄み渡った空に広がる雲のようであった。自分が寝転がる地に広がる桜の花びらもまた雲のようで、春の心地よい風に当たっていると、空を飛んでいるように感じた。雀の鳴き声も、冬の重苦しい空気を吹き飛ばしたような、軽やかな歌に聞こえる。
「地主の花下にて春ぞみる白きは滝の糸桜」
 自然と声が出る。鼻の上に一片の花びらが舞い降り、くしゃみが出た。続きを詠もうと思ったが、くしゃみで止まってしまったので、そのまま口を噤んでしまった。
 春眠暁を覚えず、である。眠気を誘う風に身を委ね、笠で顔を覆うと、上から声が降ってきた。
「糸桜よるまで見るは誰ならん」
 笠を取られ、大きく広げた枝の間から差し込む朝日の光に目を細める。
「寝ていないよ、まだ寝てないよ。梧昌(ごしよう)か、その声は」
 けらけらと、笠に隠れてと笑うのは、同じ村に住まう若い男の梧昌であった。齢は二十の手前である。膝丈まで袴を持ち上げ、袖も襷がけし、すらっとした手足が剥き出しになっていた。
「まさか、発句人(ほっくにん)が連歌も聞かず、詠むだけ詠んで寝るなんてことないよなあ。それに祭りは夜だぞ。是光(これみつ)、お前、気が早いんじゃないか。酒も料理もまだ準備出来てないようだ……ひっく」


■上住断靱『銀蛇』(戦国時代)

 三の丸まである縄張りの中を人夫が忙しく動き回っている。コォーンコォーンと鳴る木槌の音を聞きながら、滝川雄利(たきかわかつとし)は目を細めた。
 雄利は伊賀丸山城の築城を命じられている。
 彼自身は伊勢を任されている織田信長の次男、織田信雄(おだのぶかつ)に仕えている。この築城は存分に危険が伴っていた。彼がいる伊賀はまだ織田の配下にはなく、織田に対しては予てより敵対行動を取ってきたからだ。
 しかし、畿内の重要地点である伊賀を空白にしておく事は出来ない。
 信長は来たるべき伊賀侵攻の為に出城を作っておきたかった。丸山城は完成すれば、三の丸まであり、三層の天守を持つ美しい城になるはずであった。全てが単隔の屋敷のような城しかない伊賀土豪は、それだけで織田家の威光を感じるであろう。
 築城は滞りなく進んでいた。先に織田信雄の部将として仕えている柘植三郎左衛門保重(つげさぶろうえもんやすしげ)のお陰である。彼は、伊賀柘植衆の出身であり、信雄が伊賀侵攻の総大将になった際は大きな力になると期待されている。保重は自らの兵を差配して、伊賀衆から丸山城を守っていた。
「気に入らん」
 歯軋りをして床を叩いたのは百田籐兵衛(ももだとうべえ)であった。齢三十。幼少から「悪たれ籐兵衛」と言われ、あちこちでうつけをし、家を潰すと言われたこの悪童は、今や伊賀で怖いもの知らずの猛将に育っている。
「このまま黙って織田に頭を下げよというのか。何より信雄は悪銭(びたせん)と評判の男ではないか。伊賀衆として情けないと思わんのか」


■狩生みくず『奥州女仇討異聞』(江戸時代初期)

 時は寛永から慶安に移り、人々がその名に慣れ始めた頃。北より遠く旅をしてきたらしい尼僧姿のまだ若い女人がふたり、連れだって歩く姿があった。よほど深く思うところがある様子で、駿府の弥勒町の河原にしばし留まり、やがて正念寺を訪ね、その一角に出来たばかりの堂に向かい、二人は熱心に手を合わせている。
「ああ。やっとここに来ることが出来ましたよ、先生」
「お姉ェ。……先生は、私たちのことは知っていたのかなあ」
「どうかしら。誰にも聞けないわねえ、先生も、あの時の門下生も、もう誰も居ないのだもの」
「こんなの、嘘みたいだね。はじめて江戸に行ったのも、夏の終わりだった」
「ええ。あちらにも、こんなふうに大きな白樫の木があったわ。懐かしいこと……しの、きちんと報告しましょうね」
「うん」
「先生にお力添え頂いたお陰で、私たちは本懐を遂げることが出来ました」
「かつて、無礼討ちに父を斬って逃げた男があり。弱った母をも失い、遠くの姉を訪ねて」
「……十二で売られた花街で、妹の姿を見つけて、父母の死を聞いて」
「女子がと言われ、百姓の子がと言われて」
「遊女がと言われて。……そんな、ふたりの姉妹で手に手を取り遂に、先生の奥様が下さった白無垢小袖を着て」
「――父の仇を! お城の剣法指南役を、私たちがついに討ったのです!」
「私たちを迎えて下さった、先生の、先生のお陰ですよ……」


■庭鳥『白い脚』(江戸時代前期)

 その朝、天神の森を通りかかったのは偶然だった。
 知人の別邸で開かれた句会に行き、夜遅くまで酒を酌み交して泊まった翌日。朝日を浴びながらのんびり歩いていたとき、露天神社(つゆのてんじんじや)に人ごみを見つけた。
 興味を引かれて近寄ってみると。どうやら、天神の森で死人が出たらしい。殺人ではなく、若い男女の情死だとだれかの囁き声が耳に入り、さらに足を進めた。物書きとしての性(さが)なのか、我ながら物見高いものだと思いながら。
 群れ集う見物人の間から様子を窺うと、奉行所役人の手で戸板に乗せられた死体がふたつ見えた。といっても、どちらにも筵がすっぽりと被せられていて、死人の年齢や風体は分からなかった。
「もうし申し、お役人様、お尋ねいたします。死んだ女は美人でございましょうな?」
 読売屋だろうか、役人と顔見知りらしき男が声をかけている。
「これ、阿呆め。死んだ女郎に美人もへちまもあるものか。こんな惨めな死に様をして」
 話しかけられた役人は、心底嫌そうに吐き捨てた。筵で隠された死に顔は、相当に無残であったのだろう。生前は、若く美しかったのだとしても。
 女郎……そうか、女郎が死んだのか。若い男と共に。女郎を身請け出来ず思いつめたお店者(たなもの)が相手なのだろう、おおかたは。芝居でもよくある話だ……周囲からの囁きを胸の中に書きとめていく。


■巫夏希『二刀流の提灯男』(江戸時代中期)

 むかしむかしのそのむかし。
 そうだな、時代的には江戸時代も中頃にまで入った時のお話だ。この頃にもなれば農村にも貨幣経済が雪崩込んできた。そんな頃だ。
 江戸幕府八代将軍吉宗が改革をして米価の安定を図ったのもちょうどこの時だったといえるだろう。
 ここは、そんなものともまったく関係のないくらい遠い遠い場所のことだ。とはいえ、海外だとかそういうわけでもない。別にまだ黒船も来航していないからな。
 さて、ここからが本題だ。
 今からの話は、江戸時代とある宿場町で流行った噂の話だ。
 そしてそれに信じられなかった男が、噂を検証した話だ。
 さてさて。
 これからが漸く物語の始まり。
 この話をどう取るかは――この物語を読んだ、あなた次第だ。


■鋼雅暁『異国の風』(江戸時代末期)

 この佐々木邸の枝折戸(しおりど)は見た目以上に傷んでいるので扱いは慎重にしなくてはならない――そう心得ている太一郎は、丸々と太った体を俊敏に動かして枝折戸を通過した。
 通過してからそっと振り返ると、枝折戸は怪しく不規則に揺れている。
「頼む、持ちこたえてくれ……」
 思わずつぶやいてしまった。これを壊すと、この屋敷の住人に――ことに、修復を担当する次男坊・英次郎に――さんざん文句を言われるのだ。
 文句だけで済めばいい。うっかりすると、戸をすぐに直せと刀を突き付けられるかもしれないし、真新しい戸を直ちに持ってこいなどと無茶を言われるかもしれない。
 やくざ者を平気で脅す御家人の次男坊など、お江戸広しといえどもそうそう居るものではない。


■なぎさ『海より深く空より青く』(幕末~明治)

 その日、私は、激動する日本から離れようとしていた。特別裕福な家庭でもなかったけれど、貧乏というほどでもなかった。ただ、それでも両親は激動の時代を乗り切ることが出来ず、歳の離れた兄と私を残してこの世を去ってしまう。
 後に戊辰戦争と言われる争いの中、日本に未来はないと感じた兄が、日本を出ようと言い出したことに、私は静かに頷く。兄とふたり、人と人が争うことのない土地に出発する日、上野に人が集まっていると聞いた兄が家を飛び出し、帰ってこない兄を捜しに上野に行く。そこで見た惨劇の中に、あの人を見つけたのが、私と彼との物語の始まりになる。


■アルト『沼辺に佇む』(大正時代)

「ああ、冷えると思ったら」
 総裁室のカーテンをひらりとめくり、西園寺は独りごちた。
「かなり積もりそうだねぇ」
 朝から厚い雲に覆われて薄暗かった空から、雪が降ってきている。
「ええ。…どうにも、厄介なことです」
 政友会本部から見える街並が、だんだんと白く覆われていく。
 原は、止む様子のない雪に、小さく舌打ちした。
「冬枯れた色気の無い景色よりいいじゃないか。雪化粧とはよく言ったものだよ」
 ふうっ、と吐く息が、互いに白い。
 原は思わず手を擦り合わせた。
 寒さには慣れているつもりだったが、十二月の東京にしては格別の冷え込みである。
 そしてその日の西園寺は、彼にしては妙に饒舌であった。
「こんな日は、唐傘片手に花街を歩いてみたいもんさね」
「何を呑気な……。尻もちついても知りませんよ」
 会話が途切れると、…正確に言うと、西園寺が口を噤むと、総裁室は静まり返り、慌ただしい党本部内の動きが遠く聞こえてくる。
 師走に入り、党内外の動きはさらにせわしなくなっていた。
 しかし、選択肢は多岐に渡るように見えて、実は僅かしか無い。


■保田嵩史『端倪すべからず』

 小学校教師の家には、もう二度と強盗へ這入るまい、と説教強盗――近藤松吉は思った。
 昨年の暮に這入ったときは、家中漁っても七円で、加えて彼は妻帯者というのだから、奪った金を返そうと考えたほどだ。そこから学んでおけば良かった、今日は八円と丸眼鏡だった。近藤は目の良い方だから、眼鏡を奪ってもどうしようもない。序でにその隣家へ這入って、十一円得たから良いものの――隣家に入るまでに、庭内の桜へ立掛けられたスコップに躓いて、雑草の臭いを嗅ぐことになる始末だ。八つ当たりでもするように、駅の屑籠へ眼鏡を捨てると、なんだか滑稽に思えてくる。
 近藤は所謂ところの、帝都を揺がす説教強盗というやつだ。大正十五年の八月頃に、米屋に入ったのがことの始まりだった。その頃は普通の、なんの変哲もない強盗だったが、翌年五月に強盗へ入ろうとした際に、近藤はふと、家人へ説教して時間を稼ぐことを思いついたのだ。それから現在、一年と三ヶ月ほどが経ち――新聞には毎回のように「説教強盗現る」と大見出しが出たり、子どもを叱るのに「説教が出るぞ」と言ったり、社会問題にまでなっていた。長く続けるにつれて、慣れてきたのか腕は上がって行ったし、名案と呼べるものも段々思いついていく。這入る件数も徐々に増えて行き、確かこの時、既に四十件ほどの家に這入っていた。


この本の内容は以上です。


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