目次
目次1
目次2
近畿地方
近畿地方の城
滋賀県:安土城
滋賀県:安土城
滋賀県:彦根城
滋賀県:彦根城
滋賀県:水口城
滋賀県:水口城
京都府:二条城
京都府:二条城
大阪府:大坂城
大阪府:大坂城
兵庫県:明石城
兵庫県:明石城
兵庫県:赤穂城
兵庫県:赤穂城
兵庫県:篠山城
兵庫県:篠山城
兵庫県:竹田城
兵庫県:竹田城
兵庫県:龍野城
兵庫県:龍野城
兵庫県:姫路城
兵庫県:姫路城
奈良県:大和郡山城
奈良県:大和郡山城
和歌山県:和歌山城
和歌山県:和歌山城
中国地方
中国地方の城
鳥取県:鳥取城
鳥取県:鳥取城
兵庫県:米子城
兵庫県:米子城
島根県:松江城
島根県:松江城
岡山県:岡山城
岡山県:岡山城
岡山県:津山城
岡山県:津山城
岡山県:備中松山城
岡山県:備中松山城
広島県:広島城
広島県:広島城
広島県:福山城
広島県:福山城
広島県:三原城
広島県:三原城
山口県:岩国城
山口県:岩国城
山口県:萩城
山口県:萩城
山口県:山口城
山口県:山口城
四国地方
四国地方の城
徳島県:徳島城
徳島県:徳島城
香川県:讃岐高松城
香川県:讃岐高松城
香川県:丸亀城
香川県:丸亀城
愛媛県:伊予松山城
愛媛県:伊予松山城
愛媛県:宇和島城
愛媛県:宇和島城
愛媛県:大洲城
愛媛県:大洲城
高知県:高知城
高知県:高知城
九州・沖縄地方
九州・沖縄地方の城
福岡県:久留米城
福岡県:久留米城
福岡県:小倉城
福岡県:小倉城
福岡県:福岡城
福岡県:福岡城
佐賀県:佐賀城
佐賀県:佐賀城
佐賀県:名護屋城
佐賀県:名護屋城
長崎県:島原城
長崎県:島原城
熊本県:宇土城
熊本県:宇土城
熊本県:熊本城
熊本県:熊本城
熊本県:人吉城
熊本県:人吉城
熊本県:八代城
熊本県:八代城
大分県:臼杵城
大分県:臼杵城
大分県:岡城
大分県:岡城
大分県:暘谷城
大分県:暘谷城
宮崎県:飫肥城
宮崎県:飫肥城
宮崎県:延岡城
宮崎県:延岡城
鹿児島県:鹿児島城
鹿児島県:鹿児島城
鹿児島県:舞鶴城
鹿児島県:舞鶴城
沖縄県:首里城
沖縄県:首里城
沖縄県:中城城
沖縄県:中城城
沖縄県:今帰仁城
沖縄県:今帰仁城

閉じる


<<最初から読む

24 / 110ページ

試し読みできます

兵庫県:姫路城

別名 :白鷺城(ハクロ)
所在地:兵庫県姫路市本町68
種類 :平山城
築城者:池田輝政
築城年:1601年
遺構 :備前丸、西の丸、三の丸、石塁、内堀、木造5層6階地下1階天守(国宝)、小天守、重要文化財櫓多数

 

 姫路に城を築いたのは昔から多くいたが(1333年に赤松氏が姫山に城を築いたのが最初と伝えられている)、現在の城は池田輝政が1601年に徳川家康に命じられて築いたものである。その前には1580年に豊臣秀吉が築いた三層天守の城があった。
 豊臣時代の姫路城の規模や外観は不明な点が多い。名将黒田如水が縄張りしたとされている。現在の姫路城も、如水の縄張りをそのまま使っている部分が多いらしい(特に本丸辺り)。
 輝政は52万石の居城としてふさわしく(後には87万石、その他の領地を合わせて100万石近くになった)姫路城を改築したが、1617年に池田氏は鳥取や岡山に移され、姫路城主は本多、松平、榊原、酒井など、15万石程度の大名の城となっている。
 姫路城は難攻不落の城として設計された(易功有落の城なんかないと思うが)。しかし、戦を見る事なく明治を迎えた。その後、三の丸に兵舎が建てられた為、東端にあった出丸は潰され、三の丸の建物全てが取り壊された。現在、三の丸に広大な広場があるのはこの為。

 姫路城は一般的に多くの建造物が残っているとされるが、それは現在の視点からで、幕末と比べると何分の一にしか過ぎない(幕末の姫路城を描いた看板が菱の門を潜った後にある)。

 

 今は、天守群がメインアトラクションとなっているが、他にも西の丸の渡櫓など、見所が多い。

 姫路城は姫路駅から500メートルほど離れているが、行くのに困難しない。駅を出た時点で天守が望めるから。また、城の周辺には高層ビルが建っていないので、かなり遠くからでも城を展望できる。


試し読みできます

兵庫県:姫路城

  

天守群

 

  

天守群と三国濠。菱の門

 


試し読みできます

和歌山県:和歌山城

別名 :虎伏城、竹垣城
所在地:和歌山県和歌山市一番丁
種類 :平山城
築城者:豊臣秀長
築城年:1585年
遺構 :石垣、水壕、復元天守群


 和歌山城は弟秀長の為に豊臣秀吉が建てた城である。秀吉は和歌山に1ヶ月ほど滞在して縄張りし、1585年に本丸と二の丸の工事を終えた。
 秀長は当時大和郡山城に在城していたので、和歌山には重臣桑山重晴を城代とした。
 1600年の関ヶ原の合戦後、浅野幸長が37万石で和歌山に入った。この時、天守、二の丸、三の丸などが築かれた。
 1619年、徳川頼宜が55万5000石で入り、城を更に拡大したが、あまりにも大規模な工事だった為幕府の疑惑を招き、城代家老が江戸に出向いて疑惑を解く、という事件が起こった。天下の御三家も幕府を恐れていたのだ。
 和歌山はその後数回の火災に遭い、天守や御殿などを失った。御三家の為、特別に天守再建が許可されたが、藩主が幕府に遠慮した為最初に計画された5層天守ではなく、元と同じ3層天守が再建された。
 この天守も第二次世界大戦で焼失してしまい、現在そびえる天守は1958年に外観復元したものである。

 和歌山城に最も近い駅はJR和歌山駅ではなく南海和歌山市駅。それでも徒歩で15分ほど離れている。和歌山は幕末で活躍した勝海舟が一時住んでいたらしい。元住居後を示す石碑を途中見た。
 本丸は二つに分かれていて、一方(天守曲輪)には天守や櫓等が再建されているが、もう一方(本丸御殿曲輪)は何故か給水場のタンクが置かれ、入れないようになっていた。
 天守曲輪は有料。350円。
 和歌山市には、JR和歌山駅を挟んで、もう一つ城がある。現在は来迎寺となっている太田城である。そちらは城に関する説明板があるだけで、城として整備されてはいない。


追記:

 2014年に再訪したところ、和歌山市の鉄道の玄関は完全にJR和歌山駅となっていて、南海和歌山市駅はかなり寂れていた。
 駅周辺も同じ事がいえる。
 本丸御殿曲輪に給水場のタンクが置かれている状況は、相変わらず。
 天守曲輪の入場料は410円に値上げされていた。
 濠の一部を池としている点で全国的にも珍しい西の丸庭園は、かなり整備されている。秋頃は別名紅葉渓庭園の通り、紅葉が素晴らしい。
 藩主が西の丸と二の丸を行き来し易くする為に建てられた御橋廊下も復元されている。


試し読みできます

和歌山県:和歌山城

  

和歌山城概観復元天守。岡口門(現存建築)

 

  

鳶魚閣と御橋廊下。北側から望む天守と御橋廊下


試し読みできます

島根県:松江城

別名 :千鳥城
所在地:島根県松江市殿町1-5
種類 :平山城
築城者:堀尾吉晴
築城年:1611年
天守閣:本丸、二の丸、石塁、濠、現存天守五層六階(重要文化財)、復元櫓

 

 松江城は、23万石の大名堀尾吉晴が、1611年から5年の歳月をかけて築いた。堀尾氏は3代目に絶え、代わりに京極忠高24万石が入城。しかし、たった4年で死んだ。子がない為断絶となった。その後、家康の孫松平直政18万石が入城した。直政は、結城秀康の3男で、14歳の時、大坂冬の陣で真田丸を攻撃し、初陣を立てた人物である。松平氏による治政が10代続いて明治を迎えた。

 城の殆どは史跡に指定され、保存されている。しかし、三の丸は濠の一部が埋め立てられ、県庁が建てられている。城内の建築物は壊されたが、天守だけは残された。

 天守の鯱は木製で、2.08メートルもある。木製としては、現存天守の中で最大である。

 

 松江城は、人柱の話で有名。

 築城には困難が多かった。そこで堀尾吉晴は、盆踊りを催し、領民を招く。人柱に使う為の女性を捜す為だった。その結果、お松という娘が選ばれた。奥女中にしてやると騙して城に招き、人柱にしてしまった。

 城は無事に完成した。吉晴は領民の入城を許可し、完成祝いが始まった。

 満月が雲に隠れると、風が吹き始め、篝火が消えてしまった。天守の周りを人魂が飛び回ると、天守は大きく揺らいだ。

 これを見た領民はお松の祟りだと言って逃げ帰ってしまった。

 吉晴は急死した。跡継ぎにも早死が相次ぎ、堀尾家は断絶した。その後、京橋忠高が入城したが、彼も急死し、京橋家は断絶となった。

 1638年、松平直政が入城した。天守を上がると、娘の幽霊が現れた。何者かとの問いに、お松はこの城は自分の城で、去らないと家を断絶させると脅した。

 直政はコノシロが欲しければ、湖から取らせてお前にやると言うと、お松の姿は消えた。直政は「この城」を魚のコノシロとすり替えたのだ。

 直政は一つの櫓をコノシロ櫓と改名し、お松の霊を祭った。その後城で異変は起こらず、松平氏は無事明治を迎えた。

 

 天守は5階だが、何層なのかは書物によって分かれる。5層天守と記すのもあれば、3層天守、もしくは4層天守と記すのもある。

 天守は高さ30メートル。現存天守の中では姫路城と松本城に続いて3番目。床面積では姫路城に続いて2番目である。


試し読みできます

島根県:松江城

  

天守。復元櫓群

 

  

二の丸から天守を見上げる。天守最上階



読者登録

湖南徹さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について