沖縄県:首里城
別名 :御城(ウグシク)
所在地:沖縄県那覇市首里区当蔵町
種類 :平山城(丘城)、山城
築城者:察度王統?
築城年:14世紀末(推定)
遺構 :石門、石垣
首里城は、琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)であった。
創建年代は明らかではない。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていた事が確認されている。
尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城が王家の居城となった。首里は首府として栄え、第二尚氏においても変えられる事はなかった(第一尚氏はクーデターにより7代で滅び、クーデターを主導した重臣が「尚氏」を名乗って第二尚氏が発足)。
首里城は数度にわたり焼失しており、その度に再建されてきた。一度目の焼失は1453年に第一尚氏の尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。二度目の焼失は1660年(万治3年)で、再建に11年の年月を要した。1709年に三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿等が焼失した。この時は財政が逼迫しており、1712年に薩摩藩から2万本近い原木を提供された。現在見る首里城の建築は、三度目の火災の後再建された1715年から1945年までの姿を基にしている。
1879年の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城の建物は政府の所在地としての役割を喪失し、日本陸軍の第6師団の軍営として、その後は首里区(後の首里市)に払い下げられ、学校等として利用された。戦前は正殿等が国宝であったが、沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊されてしまい、僅かに城壁や建物の基礎等の一部が残っている。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転に伴い、本格的な復元が1980年代末から行われ、1992年に、正殿等が旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたが、登録は「首里城跡(シュリジョウアト)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。
最寄り駅はゆいレールの首里駅(2012年時点では終着駅)。そこから徒歩15分程度の場所にメインの入り口があるが、城自体は徒歩5分くらいの距離にある。専用駐車場もあり、そこからなら徒歩直ぐ。
城の大部分は無料開放されており、充分楽しめるが、復元された正殿や御庭(ウチナー)を見るには入場料が必要。正殿と連結した鎖之間では、有料で琉球菓子付きの呈茶サービスを受けられる。
復元工事が進められる為、立ち入り禁止区域も多い。
石垣は、本土の城の石垣とは全く概念で建てられているのが分かる。復元された建物も、日本の城とは全く異なる雰囲気。
城全域が元々高地にあり、門から潜ってから更に高い場所を巡るので、動き易い格好をする必要がある。
沖縄らしく、「ハブに注意」の警告がある。
沖縄は現在日本の一部だが、元はそうでなかった、という事を実感させられる城である。