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 どこかで鶯の鳴き声が聞こえたような気がして、明姫は緩慢に視線を動かした。いつまで待てども、鳴き声は聞こえない。やはり空耳だったのだろうと思い直し、また視線を足許の桜草に戻す。
 今日もまた、ここで随分と時間を費やしてしまった。これから部屋に戻って、また刺繍の続きをやらなければ。目下のところ、二人の暮らしは祖母の占いで得た礼金だけで賄われている。
 後宮を下がるに際し、明姫はかなりの慰労金を貰った。彼女はそれを当座の生活費に充てようとしたのに、祖母は笑いながら言った。
―それは、そなたがいずれ嫁ぐときの嫁入り支度に使いなさい。
 自分には生涯誰にも嫁ぐつもりなんてないのに、とは、とても言えなかった。結局、今までクヒャンの言葉に甘えてしまっている。
 それではいけないと四ヶ月ほど前からは明姫も刺繍を始めた。後宮にいたといっても、特に技術職の専門として働いていたわけではない。何か仕事をと思っても、なかなかこれといったものが見つからず悩んでいたところ、クヒャンに手慰みでやっていた刺繍を褒められ、これをやってみたらと勧められたのだ。
 早速、町の小間物屋に持っていって見せると、その場で買い取ってくれ、思っていた以上の礼金を弾んでくれた。以来、定期的に仕上げた刺繍をその店に持ち込み、幾ばくかの収入を得ている。
 今、刺しているのは桜草の図柄だ。明姫の刺繍は繊細で、まるで一幅の絵画を見ているようだと両班の婦人たちから大変評判が良いという。大きな作品を仕上げて持参すると、高値をつけても欲しいと買ってゆく人がいるのだと店の主人も歓んでいた。
 大作ばかりでは時間も手間もかかるので、今は手巾(ハンカチ)や髪飾り(リボン)に小さな刺繍を入れる作業をやっているところだ。丁度季節も合っているので、大好きな桜草をモチーフにして刺している。こういう小物は若い娘たちに人気があるとのことで、高値では売れないが、これはこれでまた売れ行きが良いらしい。
 需要に作るのが追いつかないほど好評なので、いつ行っても店の主人は愛想が良い。
「そんなに見つめていては、桜草に穴が空いてしまうよ?」
 唐突に背後で声がしたので、明姫はキャッと小さな悲鳴を上げて飛び上がった。
「あ、あなた」
 明姫は愕きのあまり、心臓が止まるのではないかと思った。一面に咲く桜草を背景に、ユンが立っている。そう、丁度一年前、宮殿の庭園で彼と初めて出逢ったときのように。
 あの時、彼は腕一杯の桜草を抱えていた。
「お祖母さまは、そなたがまるで愛しい恋人を見つめるように熱心に桜草ばかり見ているとおっしゃっていたが、なるほど、確かに、お祖母さまの言うとおりのようだ」
 ユンが笑いながら近づいてくる。
「幾ら相手が花だといっても、少し妬けるな。桜草が羨ましいよ」
「―これは夢なの?」
 明姫は呟いた。
 神さま、これは夢なのですか? 大好きな彼が今、私の眼の前にいる。
 明姫は思いきり頬をつねってみた。
「い、痛っ」
 ユンがとうとう声を上げて笑い出した。
「相変わらずだな、そなたは。全然変わってない。安心したよ」
「あなただって、ちっとも変わってないわ。相変わらず女タラシなのね。口ばかり上手いんだから」
 思わず頬を膨らませかけ、明姫はハッと我に返った。
「チ、殿下(チヨナー)」
 慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません。つい癖になってしまっているのもので、失礼を申し上げました」
 ユンが淋しげな表情になった。
「止してくれ。明姫にそんな風に言われると、逆に哀しくなる。私は今までどおりのそなたが良いんだ。私の前では、私のよく知っている明姫のままでいてくれないか」
「そうおっしゃいましても、あなたさまは国王殿下でおわします。私ごときが気安く対等にお話しできる方ではございません」
 下手な役者が芝居の脚本を棒読みするような科白に、ユンが眉根を寄せた。
「明姫、先ほどから、そなたは私の眼を見ていない」
 ユンは明姫に更に近づくと、彼女を引き寄せ力一杯抱きしめた。
「さあ、私の眼を見てごらん」
 顔を覗き込んで言われ、明姫はうつむいたまま嫌々するように首を振った。
「困らせないで下さい。私が宮殿を去ったのは、色々と考えた上でのことだったのです。私がいなくなることで、殿下や大妃さまもお心安らかにお暮らしになれるだろうと思いましたし、その他にも―」
 ユンは明姫に最後まで言わせなかった。
「誰が心安らかに暮らせるって? そなたが私の傍からいなくなれば、私が心安らかになるとでも? そなたは本当に心から、そう思ったのか、明姫」
 ユンの切なげな声が耳を打つ。
「そんなのは大間違いだ。そなたが突然宮殿から姿を消して、私がどれだけ落胆したか、そなたには判らないだろう。まるで別れを告げるように、そなたの部屋には私が贈った服が置き去りにされていた。そなたは、とうとう私の心を受け取ってはくれなかった、私の真心を置いたまま、宮殿を去っていったのだと思うと、絶望と哀しみで胸が張り裂けそうだったんだぞ」
 二人の傍を春の風が通り過ぎた。気まぐれな風は一面の桜草を揺らす。
「そこまで自分は明姫に嫌われてしまったのかと随分と落ち込んだ」
 ユンの呟きが春の風に運ばれて空へと消えていった。
「嫌いになったわけではありません」
 明姫は消え入るような声で言った。
「じゃあ、どうして? 何故、私に何も言わないで出ていった?」
「私がお側にいては、殿下のご将来の妨げになるからです」
「そんなことを勝手に決めるな! 私は言ったはずだ。ただ一人の女を一生涯かけて守り愛し抜くと」
「―どうか、もうお帰りください。そして、二度とここにはおいでにならないで下さい」
 心にもないことを言わねばならない自分が哀しい。本当はユンが逢いにきてくれて、飛び上がりたいほど嬉しいのに。つれない言葉を次々と繰り出しながら、心は血の涙を流していた。
「それは本心からの言葉なのか?」
 明姫が小さく頷いた。
 と、いきなり膝裏を掬われ、明姫は愕いてユンにしがみついた。
「それでも良い。仮にそなたが私を嫌いになってしまっていたのだとしても、私はそなたを宮殿に連れて帰る。たとえ、強引にそなたを抱くことになっても、私は今度は引き下がらないよ、明姫」
「殿下―、お許しください」
 明姫はユンに抱きかかえられたまま、眼を伏せた。眼を開ければ、真実を―彼をまだ愛しているという気持ちを見抜かれそうで怖かった。
「それとも」
 ユンの声が吐息のようにか細くなり、艶を帯びた。
「それとも、お祖母さまにお願いして、この屋敷のどこかの部屋を貸していただこうか? 今、ここですぐにそなたを私のものにしてしまえば、そなたはもう抗いようもないんだ。既に明姫には王命が出ている。宮殿を出てくる前、私は承旨を呼んで新しい側室を迎えることを内外に公表するよう指示を出してきた。そなたはもう、淑媛に任ぜられた、れっきとした王の妃なんだ」
「―!」


 自分が淑媛、王の側室? 俄には信じられないことだが、王であるユン自身が言うのなら間違いはないのかもしれない。
「明姫、私の眼を見て。もう一度だけ訊く。本当に私を嫌いになってしまったのか?」
 明姫はおずおずと眼を開いた。烈しさを宿したユンの瞳の底に蒼白い焔が燃えている。
 そのまなざしの烈しさに。真剣さに。
 また今日、新たに恋しそうになる。
 こんな真摯な瞳で語りかけてくる男に嘘は言えない。彼にここまで情熱的に求められることが嬉しくないはずがないのだ。
 何故なら、明姫もまた彼を心から愛し求めてやまないから。
 明姫は負けた。彼の一途に自分を求めてくれるその愛の烈しさに。
「私もあなたを愛しているわ、ユン」
 遅すぎた告白に、返事はなかった。ユンは返事の代わりに明姫の薄紅色の唇を塞ぎ、烈しく貪るような接吻(キス)をした。
 ユンは明姫を抱え直すと、庭を大股で横切り廊下へ上がり、そのまま明姫の部屋に彼女を運んでいった。

 あのひとの指が私を溶かしてゆく。
 お願い、もっと私に触れて。
 私の身体のすべてに触れて、甘く溶かして欲しいの。
 今日、私は生まれ変わるから。
 あなたによって生まれ変わって、新しい私になるの。
 もう迷わない。私はあなたのもの。
 あなたは私自身。
 お願いだから、もっと私に触って。
 髪も乳房も、私の身体がまるごと、あなたに触れられるのを待ちわび、歓んでいる。
 もう離れない。
 たとえ、あなたの心が私から離れるときがくるとしても、私の心はいつもあなたの傍にいる。
 もっと、もっと触れて触って。
 隙間がないくらい、私を満たして、私の中のあなたを感じさせて。
 私は今日、あなたの手によって、新たに目覚め生まれ変わったのだから。

 ユンの逞しい身体がのしかかり、秘めた場所をおしひろげてゆく。初めて男を受け容れる破瓜の痛みよりも、大好きな男とこうして繋がっていられることが嬉しい。
 ユンが明姫の両脚を抱え上げ自分の両肩に乗せた。彼女の華奢な肢体を二つに折り曲げるようにしてグッと強く引き寄せた刹那、烈しい疼痛がユンと繋がった場所から生まれていく。
 でも、次第に感じるのは痛みだけではなく、その中にほんの少しの気持ち良さが混じり始めた頃、ユンの動きがまた烈しくなり、明姫は彼自身で最奥まで一挙に刺し貫かれた。
「あぁっ―」
 悲鳴とも嬌声とも定かではない自分の声は、我ながら恥ずかしくなるほど艶めいている。
 その烈しすぎる声を自分以外の者には聞かせまいとするかのように、ユンが明姫の可憐な唇を己が唇で塞いだ。

 一刻後、明姫はユンの腕に肩を抱かれ、褥に寄り添って横たわっていた。
「迎えにくるのが随分と遅くなってしまったが、改めて言うよ。私の妻になって欲しい、明姫」
 本当はもっと早くに迎えにきたいという衝動と欲求を抑えるのに、ユンがどれほど葛藤したか。明姫は知らない。
 彼はこの一年という時間をかけて、頑なに明姫を側室とは認めぬと主張する大妃と向き合い、ついに母を説得したのだ。そのために、大妃は条件として、いまだに初夜すら迎えていないユン昭儀、及び兵曺判書の娘である曺昭容(ソヨン)の二人の側室の許に王が通うことを要求した。
 ユンは最初は抵抗したものの、直に、この要求を呑まなければ、明姫を手に入れる機会を永遠に失うことになると悟った。
 皮肉なものだと思った。生涯でただ一人の想い人だと思い定めた女を妻に迎えるために、愛してもおらぬ女たちを抱く。王は大妃の要求を受け容れて、ユン昭儀と曺昭容の二人の側室たちを次々と寝所に召した。
 ただし、彼女たちは気の毒に待望の王との初夜を迎えたものの、ただ一度きりで、その後は王に呼ばれることもなく過ごしている。
 だが、そのたった一度のお召しで曺昭容は見事に懐妊し、今、妊娠八ヶ月目に入っている。曺昭容はペク氏の娘ではないが。彼女の父兵曺判書は明らかに領議政派の官吏だ。大妃は曺昭容の懐妊に狂喜乱舞し、ここのところ、いつになく機嫌の良い日が続いている。
 いずれ後宮入りすれば、これらの諸事情はいやでも明姫の耳に入ることになるだろう。彼女のいない間に新しい側室たちと夜を過ごし、しかも一人は彼の初めての子を身籠もった。


 明姫がこの事実を知れば、必ず衝撃を受けるに違いない。もしかしたら、今度こそ、彼女は自分を嫌いになってしまうかもしれない。
 しかし、漸く晴れて明姫と結ばれた今この時、敢えて、そのような話を新妻に聞かせる必要はないとユンは考えていた。彼女にできれば聞かせたくない事実を隠して求婚し、抱いたことが卑怯な方法であることも判っている。
 ユンは腕に抱いた明姫の髪のひと房を掬い、そっと口づける。
「いつかそなたは言ったな。大勢の女たちと後宮で私の愛を分け合うのは嫌だと。だが、愛しい明姫、私は王だから、そなたのその望みは叶えてやれそうにない。たぶん、私はこれから先も新しい側室を迎えることになるだろう。だが、たとえ何人の女が後宮に来ようと、心の妻はそなただけだ。私の心を満たし、乾きを癒してくれるのは明姫だけなのだ。そのことを忘れないでくれ」
「判っています。それが王として生きるあなたの宿命であれば、私はその宿命に従うつもりでいるから、心配しないでください」
 愛しているなら、彼の傍にいたいのなら、彼の運命ごと受け容れねばならない。そして、彼の傍で生きてゆくのが私の運命だと思わねばならない。
 明姫はかすかに微笑んだ。ユンがまた彼女の長い髪を掬い、唇に押し当てる。あたかも髪の毛にまで研ぎ澄まされた神経が通っているかのようだ。そうやって口づけられる度に、ぞくぞくするような快感が身体中を駆け抜けてゆく。
 ユンはしばらく彼女の髪の毛を弄っていたかと思うと、急に手を放し真顔になった。
「それから、そなたに一つ言っておかねばならないことがある」
「―何ですの?」
 ユンの表情は髪を弄んでいたときと異なり、厳しささえ滲ませている。明姫の心にふと一抹の翳りが落ちた。
「そなたの身元のことだ」
「私の身元ですか?」
「それについて、私は明姫に詫びねばならない」
「何故、殿下が私に?」
 純粋に不思議だと思った。自分の身元とユンとどういう関係があって、彼が謝るようなことがあるのだろう。
 ユンが眼を細め、また明姫の髪を撫で始めた。何故かユンはしばしば、明姫をこんな眼で見つめる。以前から気づいてはいたけれど、まるで眩しい太陽でも見るときのように眼を細めるのだ。
 しかし、今のユンは明姫の想いとはまったく異なることを口にした。
「そなたの素性を私は知っている」
「―」
 刹那、明姫の思考は現実に引き戻された。
「ご存じだったのですか?」
 ああ、と、ユンが頷いた。
 その間もユンの手は動きを止めない。髪のから次第にゆっくりと下降し、咽、鎖骨を指でつうっとなぞり、ついには豊かな胸の突起に辿り着いた。
「明姫の胸の蕾は美しいな。桜草の色と同じだ」
 ユンの悪戯は度を超してゆき、乳房の突起を捏ねたり揉んだりする。
「殿下、話ができなくなります。今はお止めください」
 乳房から感じる快感に思わず声を洩らしそうになり、明姫はユンの手をそっと押しやった。
 大切な話の途中で、身体を弄られたら、頭がうまく考えを纏めれられなくなってしまう。
「いつからご存じだったのですか?」
 ユンがつまらなそうな顔で溜息をついた。
「私が九年前の火事の話をしたときのことを憶えているか?」
「はい。憶えております」


 ユンと初めて二人だけで過ごした日のことを忘れるはずもない。あの日、町へ出た時、両班の若者に絡まれていた明姫をユンが助けてくれた。あの後、二人でユンの隠れ家に行き、色々な話をし、彼の複雑で痛ましい生い立ちも知った。
 確かにあの時、九年前の火事の話が出たはずだ。
 ユンが明姫から渋々手を放し、上半身を起こした。武芸はあまりたしなまない王だと聞いていたが、服を脱いだ彼の身体はほどよく引き締まっている。逞しいというほどではないかもしれないが、筋肉はそこそこついていた。
 ユンはしばし明姫を見つめ、胡座をかいた。お互いに何も身につけていないため、姿勢によっては酷く淫らに見えることもある。今もユンは生まれたままの姿で無防備に座っている。
 視線はどうしても彼の下半身にいってしまう。つい今し方まで、明姫を何度も刺し貫いていた彼自身は再び勢いを取り戻し、隆と屹立している。明姫は眼のやり場に困り、さりげなく彼から視線を逸らした。
 男性は女と異なり、そういうことに関して、あまり注意を払わないものらしい。明姫の動揺などまるで意識にない様子で、ユンは淡々と続けた。
「そなたが事件の首謀者は領議政だと言い切った時、何かが引っかかった。私がまだ何も言わないのに、そなたはあっさりと領議政の名前を出した。そのことと、後はまだある。そなたの今の年齢や火事のあった九年前ーつまり捕盗庁の長官と副官が亡くなった年と、そなたが両親を亡くした年が一致したからだ」
 ユンが静かな声で言った。
「どうにも割り切れなかったから、あの後で役所の火事の記録を調べたんだ。そうしたら、亡くなった副官の娘が当時、六歳であったこともすぐに判った。そなたは私と出逢った時、十五歳だった。火事の時、副官の幼かった娘だけが奇跡的に助かっている。その後の娘の消息がそこからふっつりと途絶えているのが気になったが、副官の娘が生きているのだとしたら、そなたの歳と一致する」
 ユンが小さく息を吐いた。
「その瞬間、私はそなたが行方不明になった副官の娘だと確信した。それから先は、思ったより簡単だったよ。姿を消した幼い娘は実は母方の実家に引き取られていた。そこで何度か何者かに生命を狙われかけて、娘はまだ逃げるように姿を消した」
 明姫は小さく首を振った。
「今でもまだ、あの夜の夢を見るのです」
 真っ赤に夜空を焦がしていた焔が魔物のようにぱっくりと口を開け、自分を飲み込もうとしている夢を。
「とうに記憶の底に沈んでいると思ったものがある時、突如としてぽっかりと顔を出すのです」
「可哀想に」
 ユンは再び褥に身体を横たえた。背後から抱き寄せられ、明姫も押し倒されるような形で横たわる。彼の腕が乳房のすぐ下に回されていた。
「お祖母さまの家も、そなたには安息の地とはなり得なかった。副官の奥方の実家は崔氏、崔尚宮の里でもある。そなたは身元がバレることを怖れて隠していたが、崔尚宮はそなたの実の伯母に当たるんだね」
「そこまでご存じだったのですね。では、お祖母さまに対面したときも、すべての事情をお知りになった上でここにお越しになったのですか?」
 当然ながら、ユンは頷いた。
 あの時、明姫は喋り過ぎたと一瞬ヒヤリとした。確か、彼女は二度、口を滑らせて領議政の名を持ち出してしまった。が、彼は最初は特に怪しんでいる様子はなかった。、流石に二度目は剣呑な様子で追及してきたのだ。
 だが、その後で彼はこうも言った。
―今日、そなたは私に言ったね。私の正体を暴くつもりはないって。ならば、私も同じ科白をそなたに言おう。
 それから、ユンがその件について触れることは一切なかったので、すっかり安心しきっていた。しかし、やはり、彼は感づいていたのだ。
 彼女がぼんやり考えている間に、ユンは明姫の身体を軽々と持ち上げた。まるで猫の子を扱うように難なくくるりと回すと腕の中に閉じ込める。こんなときは、服を着ていれば優男に見える彼がやはり一人前の男なのだと痛感させられる。
 今、明姫は向かい合うような体勢でユンの膝に乗せられていた。
「そなたには本当に申し訳ないことをした」
 明姫がその言葉に、顔を上げて彼を見た。
「私が何も知らないと思っているのか? 両親やすべてを失い母親の実家に身を寄せたそなたに刺客を送って殺そうした者―。それが誰であるか判らないわけがない。崔尚宮は可愛い姪を守るため、そなたを後宮に仕えさせることを決意したに違いない」



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