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著者と作品について

 

 

ステファン・グラビンスキ(1887-1936)は「ポーランドのポー」、「ポーランドのラヴクラフト」と称されるポーランド文学史上ほとんど唯一の恐怖小説ジャンルの古典的作家です(写真は撮影者不詳、1920〜1930年頃のグラビンスキ。Wikimedia Commonsより)

 

ステファン・グラビンスキはガリツィアのインテリ家庭に生まれ、幼少期から宗教熱心であった。父親の死後、ルヴフ(現ウクライナ領リヴィウ)に移り、ルヴフ大学でポーランド文学と古典文献学を学ぶ。大学在学中、当時は不治の病といわれた結核にかかったことが、彼の世界観と文学の方向性に大いに影響を与えた。大学卒業後は1911年からルヴフのギムナジウムでポーランド語の教師として、1917〜1927年はプシェミシルで勤務。この間ヨーロッパのあちこちを旅した。一時期オーストリアに滞在、イタリアとルーマニアも訪れている。結核の症状が重くなったため教職を退き、1931年に療養のためルヴフ近郊に移住。一旦は作家として成功したにもかかわらず、これ以降忘れられ、生活は次第に困窮した。知人にも見捨てられ、貧乏のどん底で亡くなった。

 

ここに訳出した「音無しの空間」は、蒸気機関車時代の鉄道怪談集『動きの悪魔』(1919)に収録されたうちの1篇。廃線となり見捨てられた区間の見張りに志願した元車掌が待っていたものとは? 約100年前のヨーロッパの片田舎を舞台にしたノスタルジックな幻想譚をお楽しみください。

 

 


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音無しの空間(鉄道のバラッド)

 

 

 

 オルシャヴァ―ビリチ間の区間が新線に切り替えられた。ヴィェルシャ河畔の湿地を埋め立て、いわゆる〈岩棚〉の麓が地ならしされたおかげで、これが可能となった。その結果、鉄道路線はかなり短縮された。列車は大きく北に弧を描いて沼沢地を迂回する代わりに、いまやそこを突っ切って、矢のように真っ直ぐ目的地へ向かう。

 この短縮はあらゆる点で望ましいものだった。鉄道はかなり運行速度を上げ、これまで湿地の悪臭のせいで熱病に罹りそうな不健康だった地域が、じきに乾いて健康的な平野の趣を帯び、やがて豊かな緑に覆われた。

 かつての迂回路、いまや〈音無し〉と呼ばれる空間は、閉鎖されて孤絶した。線路の撤去と鉄道施設の解体に交通局が着手するのはしばらく後の予定だった。なにも急ぐことはない。ご存知のように、壊すのは簡単、建てるのは難しい……。

 さて、旧路線が公式に閉鎖されてから一年後、予期せぬ奇妙な出来事が起きた。

 ある日オルシャヴァの当該部局長のもとに、シモン・ヴァヴェラ某という、長年鉄道勤めをしたが身体障害で退職した車掌が、運行が止まった〈音無しの空間〉の管理を自分に任せてほしいと願い出たのである。それに対して局長が、まったくそんな必要はない、なぜならその路線はあと数ヵ月で撤去されるし、〈見張り人〉の職務はこの環境ではまったくのお笑いぐさでなければ、少なくとも幻想だろう、と言うと、ヴァヴェラは、古い線路を完全に無償で見守ります、と表明したのだった。

「だって局長さん」彼は熱心に説明した。「この苦しいご時世、世間の人はレールが欲しくて仕方ないんだ。鉄道にとって大きな損害になりかねない、局長さん、大損害だ。どうか計算してみてください。こんな良質の錬鉄! あそこの線路は長さ十二キロもある! 売ればたんまり稼げる。私は犬みたいに忠実に見張りますよ、局長さん。一メートルだって盗らせやしない! このベテラン車掌ヴァヴェラ様が! 見返りは一セントだって、折れた一シリングだって要りません。たとえ局長さん自らがこの手に押し込んだって受け取りゃしませんよ。私はただこの職務に対する大いなる愛と名誉のために〈音無しの空間〉の見張り人になりたいだけなんですから」

 局長は譲歩した。

「は、どうしてもと言うのなら、無償でなら、あの路線を時期が来るまで見張るがいいさ。それじゃ」ちょっと皮肉に微笑んで、彼の肩をたたきながら、こう付け加えた。「今日から君を〈音無しの空間〉の保線工夫に任命する」

 


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