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 早朝の引き締まった空気が頬を刺す。ミリアムは赤縞瑪瑙サードニクスにキスをして、天に祈りを捧げた。リブヌール州境、リヒトフォーヘンの春は、ブラオフルスより幾分肌寒い。
 白羊月五日。明け方は霧が出ていたが、ほどなく天気は回復した。北風がやや強い。
「おはようございます、ミリアム様」
 戸口で待機していた従軍告解師のヤコブが、手にしたコートを肩に掛けてくる。そんなに気を遣わなくても、と思いつつ、ミリアムは微笑を返した。
(そういう立場だものね……)
「準備はよろしいですか? 聖霊会士様」
 馬車の前で待ち構えていた隻腕の騎士、リブヌール騎士団長アルノーが、慇懃に頭を下げた。補佐だけど、と言いかけて、ミリアムは口を噤んだ。
 堅物のアルノーのことだ。今日に限って、ああ、そうですね、と素直に頷く訳がない。下手に訂正すれば、穂が付いていようといまいと、麦は麦に変わりない──から始まる説教が、クダクダと始まってしまう。それだけは、避けたい。
「皆様、ご苦労様です。さあ、参りましょう」
 ミリアム、ヤコブ、そしてアルノーを乗せた馬車は、前線へと走り出した。
 路傍で屯している兵士が、すれ違い様に敬礼をしてくる。ミリアムはグリエルモの指示通り、ひらひらと手を振り返した。アルノーが咳払いをした。
「――正直に申しまして、ミリアム様をお連れするのは気が引けます」
「アルノー様……?」
 この騎士は、何を今更なことを言っているのか。
「訓練とは違い、戦場は……厳しい場所でございますゆえ」
「大丈夫だと思います。祓魔師の仕事でその……慣れましたから」
 歴戦の勇士は、畏まって目礼してきた。
「それに……私が行かなければ、作戦が成り立たないじゃありませんか」
 今度こそ、本当に自分の力が役に立つ。ミリアムはそう信じて、ぎゅっと手を握り締めた。アルノーが苦笑いを浮かべる。
「いやはや、仰る通りでございますな……分かりました。もう何も申しますまい。さりながら、このアルノー・リヒテンベルク。天地神明に賭けて、御身をお守りする所存でござる。万一のことあらば、カール中尉やエレイン姫に、合わせる顔がございません」
 そう力強く宣言したアルノーの瞳に、ほんの一瞬影が差す。すぐに力強い戦士の顔に戻ったが、三ヶ月前の打ちひしがれた彼の姿を思い起こしてしまった。
 ミリアムとエレインが、リブヌールの州境に駆けつけたとき、ガトランド戦役は幕を閉じ、陸軍とリブヌール騎士団は、命からがら後方に退いてきたところだった。アルノーにせよ、カールにせよ、目には精気が全くなく、戦士の魂がへし折られたという意味では、生ける屍同然だった。
 同郷の仲間が無碍に死んでいく様を見せつけられ、無力感に苛まれていたことは想像に難くない。血を吹き出して倒れていく戦友をそのままに敗退してくれば、意気消沈どころではないだろう。
「平気です。大尉さんやマルコと一緒なのでしょう? 火薬の臭いにも慣れましたから」
 にっこりと微笑むと、アルノーはまたしても頭を垂れた。
「真に剛胆な御方だ! まるで姫様と話しているようです」
「光栄ですわ。私が祓魔師になったのは、エレイン様に憧れたからですもの」
 その気持ちはブラオフルスで出会った頃から変わらないし、負傷したアイネアスの手当をしながら、陣中を叱咤激励してまわるエレインの姿を目の当たりにして、ますます強くなった。彼女の姿は凛々しくて、輝いていて、この女性には敵わないと思った。
「しかし、困ったものですな。姫様もミリアム様くらいの嫋やかさというか、か弱さがおありなら……」
 アルノーが感慨深そうに呟く。うっすらと眦が光っているのに気付いたのか、火薬の臭いと砂埃が目に染みた、と彼は顔を背けた。ヤコブが意外そうに、片眉を吊り上げる。
「――軍曹。今のはくれぐれも内密にだ。特に中尉にはな」
 心得ました、というヤコブの声を聞きながら、ミリアムは、窓の外を眺めた。
 エレインは今頃、どの辺りにいるのだろうか。アイネアスと共に帝都に向かったのが一週間前だから、そろそろ着いているかもしれない。
(戦場、か……カールとエレイン様は、最後まで反対していたけれど)
 ミリアムは力を持っている。種類は違えど、アルノーもヤコブも、それにカールだってそうだ。いや、皆そうなのだ。力というより役割といった方が、いいかもしれない。背負っているモノは、人それぞれあるだろう。
(私はそれを、全うできているのかな……)
 ドミニクを救えなかった。ロマーナを見殺しにした。ベスターを守れなかった。ルドミラの行方も分からないし、自分にもっと力があれば、エレインだって、ハーゲンで怪我をせずに済んだだろう。
(自分の力が災いを呼んだのかもしれない……)
 最初の小さな異変を感じたとき、ミリアムは地霊ゲニウス・ロキのネストリが悪戯をしているのだと思った。しかし、問い質してみても、大梟は首を傾げるばかりで要領を得なかった。その内それは、ハッキリと聞こえるようになった。
『……ミリアム? 来たのか』
(そう、こんな風に……)
『何だ? 何か言ったか?』
(ううん? 別に――)
 始まりも、確かカールの声だったと思う。ミリアムに起きた異変にまず勘付いたのは、グリエルモだった。彼もまた、ミリアムと同じように、声を聞き取ったらしい。
「どうしました?」
 アルノーが酒瓶から口を離した。
「いえ、カールから交信が」
 幾望の盾サトゥルヌスは、正常に機能しているらしい。
「ああ──騎兵連隊は、あの尾根の向こうで待機していますから」
 ヤコブが地図を取り出してみせた。
「なるほど。もうすぐ大尉殿と合流できますな」
 アルノーが表情を引き締める。もう戦線に入ったのだ。
(カール? 皆の様子はどう?)
『俺たちなら平気だ。調子も上々』
 しかし、カールの声に張りがない。
(ねえ、まだ怒ってるの?)
『怒っちゃいない。ただこれは、俺たち軍人の仕事であって、ミリアムには関係ないだけだ。何度も言っただろう』
(そんな言い方! 私が居なくちゃ、何もできないくせに! そのための訓練――)
「ミリアム様」
 アルノーが突然声をかけてきた。
「カールはなんと?」
「準備万端だそうです。騎士団の皆様も」
 ふむ、と頷いて、アルノーは右手を差し出した。
「お手を拝借できましょうか?」
 差し出された傷だらけの手を握りしめた。
『カール、聞こえるか?』
『アルノー様! こちらは――』
『この戯け! 勝利の女神を凹ませて、一体どういう了見だ!』
(アルノー様……)
『気の利いた台詞は出んのか?』
『……は?』
『出せ、と言っとるのだ』
 一瞬、カールの息が詰まった。
『……奴らをここから追い出して、君をブラオフルスに送り届ける。絶対に』
(カール……)
 それきりカールの声は途絶えた。仕方ない奴だ、とアルノーがため息をついた。
「中尉は何気に堅物でね。たまには、搦め手から攻めてみるとか?」
「ヤコブさん! そ、そんな私」
「お顔が柔らかくなって、なによりです」
 従軍告解師はウィンクをした。
「全くだ。我らの希望だからな。貴女様は真の希望を与えてくださいました」
 希望――と言われれば、そうなのかもしれないと思う。そっと、アルノーが手を離した。
「しかし、いまだに不思議でございますよ。遠く離れた人間と話ができるなど……聖霊会の秘術には、恐れ入るばかりでございます」
 ミリアムは静かに微笑んだ。
 何も答えられない。何がどうなって、離れた相手の声が届くようになったかは分からない。分かっているのは、どうすればそうなるか、だけだ。奇妙な交信状態は、幾望の盾サトゥルヌス――聖ユーリーの聖陣術パトロヌスを使ったときだけ発現する。
 最初は、ミリアムと相手だけが言葉を交わせた。それが次第に、ミリアムを介して、相手と別の相手の意志が繋がるようになっていった。
 今、アルノーがしたように、ミリアムの体に触れていなければ、離れた相手と疎通できないのが殆どだが、カールを筆頭にシリル中隊の何人かは、接触していない同士でも意志を共有できる。しかも、ミリアムの集中力如何で、言葉だけでなく情景ヴィジョンの共有すらできるようになった。
 情景ヴィジョンは風に揺られながら、ミリアムの元へやってくる。それはまるで、光り輝く水晶の帯だ。そのうねりに乗って、カールの意志が、マルコの言葉が、シリルの眼前に広がる光景が、ミリアムの中を吹き抜けながら、他の誰かに繋がっていった。
 ただ一つだけ確かなのは、ミリアムを介さなければ、意思の疎通は成り立たないことだろうか。つまり、この現象の原因は、自分にある。それは間違いない。
 果たしてこれは、アルノーの言うように聖霊会の秘術なのかどうか。黒陣エブリスのような禁呪の類なのか、それすらも不明だ。ネストリに尋ねてみても、目を細めるだけで話にならない。しかも、最近は黙って付いてくるだけで、今も恐らく馬車の屋根の上で眠っているだけだろう。
(グリエルモ様は『共鳴』だと言ったきりだったし)
 そのグリエルモと言えば、ミリアムに聖霊会士補の称号を与えて、アルフォーティアの教皇庁に出立してしまった。去り際に命令を一つ残して。
 聖霊会士の権限を駆使して、中隊との接触を続け、現象の経過を事細かに報告せよ――
(何だって構わない。カールの役に立てるなら)
 だから、ミリアムは大人しく命令に従った。足手まといと疎んじられるかと思いきや、シリルにしてもこの現象は渡りに船だったらしい。というのも、彼は彼で前々から青写真があったらしく、騎士の誇りを傷付けられたリブヌール騎士団の生き残りを巻き込んで、絵空事とも言うべき作戦を立てた。
 カールとマルコは眉を顰めたが、シリルの話を聞くや騎士の瞳には、生き生きとした光が戻ってきた。中隊のみならず、騎士団にとっても魅力的な話なのだろうが、ミリアムは作戦の内容に、正否も甲乙も付けられなかった。
 それでも、天から降ってきたこの贈り物は、戦場で生き残るための希望となるに違いない。だからこそ、この奇蹟が続く限り、ミリアムは全員の無事を祈り、滞りなく思いを届けると決めた。


   *

『二線配備の騎兵隊。半分はグレノーンの竜騎兵だ』
 カールの声が頭に響く。冷静な声色だった。同時に、緩やかに下っていく草原の様子が流れ込んでくる。綾なす野花が風に揺れ、その向こうで翻る太陽十字サンホイールの紋章旗は、陽春の情景ヴィジョンを台無しにしていた。
『予想通りの布陣だな。こっちからも、山砲がよく見える。抜かるなよ?』
 シリルは無言で望遠鏡を覗き込みながら、それでも意識はミリアムを伝って、カールへと向けられている。
『当然だろ。何のための三ヶ月だ? 奴らを俺たちの国から追い払う。以上だ』
『気負うな。健闘を祈る』
 望遠鏡をしまいながら、シリルが振り向いた。
「しかし、ウチの布陣は頂けねぇな」
 火薬と弾丸を装填する込め矢をグルグル回しながら、カーティス曹長が顔を顰めた。
「同感だね、曹長」
 マルコが砲身にもたれながら、肩をすくめた。
歩兵連隊ハコを並べただけじゃあな」
 カーティスは込め矢を振りかざし、ひい、ふう、みぃ、と味方の歩兵大隊を数えだした。最初の六個連隊は小高い丘、残りの三個連隊は、丘の背後にという配置らしい。
「参謀殿も考慮の末だ」
「土地の起伏をか? にしても、並べ方が前回と似たり寄ったりではないか! 参謀部は何を考えとる!」
 アルノーが口角泡を飛ばした。
「同じではない、というのが参謀部の考えです。狼と同じように、新型砲が供給されている。内務卿の独断で、カロスクロナ共和国から、最新重火器を買い込んだのです」
 火力勝負ってことかい? カーティスが、込め矢でペシペシ砲身を叩いた。
 戦列中央沿いには、グノーベルト山砲改式と同型の九門が配備されていて、両翼は申し訳程度に騎兵部隊で固めている。その右翼にカール率いるリブヌール騎士団がいるのだ。
「この大砲が教訓だと? 何もわかっとらん!」
 荒れ狂うアルノーから、ミリアムはさりげなく身を退いた。
(ジルベルト親方みたい……年を取ると、皆こうなるのかな? もしかすると、アルノーさんも金牛月生まれかな)
『ミリアム。余計なことを考えるな』
 呆れたようなカールの声が頭に響いた。マルコとシリルが、一瞬目を逸らした。
「アルノー殿の仰る通り。ただ、我々の作戦を参謀部に具申したら、鼻で笑われましたよ。特に元朱籠手ガントレットの連中にね。貴様らこそ、教訓を得ていないのか、と」
「何だと?! それでは今までの苦労は――作戦はどうなる!」
 アルノーのキンキン声が、鼓膜をつんざいた。
『大尉。アルノーさんが吠えてるなら伝えて欲しい――』
 シリルはアルノーの顔色を窺いながら、カールの言葉に耳を傾けている。
「勝手にしろ、と兵部卿閣下は仰ったので、俺たちは好きにやるだけだ――カールがそう言っています。あと……落ち着いて欲しいと言っている」
 目玉をひん剥いて、アルノーが絶句した。忙しい人だ。
「……やれるのか? 大尉」
 シリルは黙って、カールのいる右翼を指した。カールの情景ヴィジョンが流れてくる。
 騎兵部隊正面の生垣に沿って、銃兵が並んでいく。その背後の野砲五門にも、砲弾が詰め込まれているようだ。
 今度は、マルコの情景ヴィジョンに切り替わる。彼は左翼の様子を、望遠鏡で眺めているらしい。そちらの方は、騎兵援護の銃兵を、茂みに伏せているだけだ。
『右翼の砲兵隊は手際がいいね』
 マルコが言った。お前も頼むぞ、とカールから返事が来る。
「――分かってますよ、と。では隊長、指示は頼みます。とりあえず、左翼に火線を集中させますが……行くぞ!」
 マルコの指示で、カーティスやヘイデンが、野砲を押していく。
「我が軍は敵を左翼に釣り込んで、砲弾をしこたま浴びせる」
 シリルは下唇を指でいじりながら、ミリアムの隣に腰を下ろした。
「むぅ……しかし」
 アルノーは、納得がいかない様子だ。
「この前の勝利で、敵には勢いがある。罠だろうと構わず来ますよ」
「一理ある、かもしれぬな」
「それに、この状況はむしろ好都合。期せずして、敵を騙すには味方から、という状況ができあがった。この作戦は、タイミングが肝となります。冷静にいきましょう」
「……うむ。任せた」
 ドスリ、とアルノーがシリルの隣で胡座をかいた。
『――こちらは落ち着いた。そっちの騎士たちはどうだ?』
『さっきまで、とっとと火蓋を切れって騒いでたが……今は集中してる。多分そろそろ――』
 左翼から炸裂音が響いた。ついに戦いの火蓋が切って落とされた。
『歴戦の猛者は鼻がいい……やるぞ!』
(カール! 皆さん、どうか無事で!)
『ミリアム――大尉、彼女を頼みます』
『当然だ。アルノー殿もいる』
 肩にアルノーの手の重みを感じた。
『我々にはミリアム様がいる! 皆、臆すな!』
 おう! とカールやマルコの声が響き、続いて銃声が被さってきた。
「さて……猪口才なグノーベルトの騎兵が、銃兵と展開しよるわ……歩兵の隊列も、騎兵が通り抜けられるように間隔を取っておるな。前面に沿って火砲がずらり――」
 左翼の敵軍を眺めながら、アルノーがシリルに話を振った。
「騎兵、歩兵、砲兵の三兵科連携戦術ですね。砲兵の射撃で、我が軍の統制が乱れるのを、虎視眈々と窺っている。隙あらば、すぐさま接戦に持ちこむ、という布陣でしょう」
「となると……やはり、左翼に騎兵の突撃でくるだろうな、大尉?」
「そうなります。対して、参謀部は火砲で返り討ちにしてやる、と思っている。射撃戦で歩兵に分があるのは、前回身を以て知った。それに攻撃目標の大きさを加味すれば、歩兵の有利は圧倒的」
「全くだ。騎兵など、大人の倍ほどかさばるからな」
「こちらの歩兵は、火力重視の戦術。奴らよりも、さらに浅い隊形で展開している。背進射撃カウンターマーチで押し返す算段です」
「あとは……狼どもの旋回射撃メリーゴーランドを待つだけか」
「それはない」
 冷淡なシリルが言い放った。その場にいた全員が、振り向いた。
「ない……? ないとは何だ、大尉!」
「参謀部は二つ見誤っている」
「何だと?!」
「まず、グノーベルト騎兵は、旋回射撃なんて、バカな真似はしない。突撃して、接戦に持ち込んでくる」
 口をあんぐり開けたまま、アルノーが不意に笑った。
「……何故わかる」
「私ならそうする。いや、実戦で何度も試みた。有効な戦術です」
「言われてみれば――」
 ヤコブとマラードが顔を見合わせる。心当たりがあるのだろう。なるほど、とアルノーは顎を擦った。
「……脈々と受け継がれる謀略の才。フォートマン家の血が騒ぐ――か?」
 ミリアムが首を傾げると、初耳だと言わんばかりにヤコブが肩をすくめた。シリルもヤコブに同調する。
「さてね……親父殿は親父殿ですよ。話した記憶も朧気なのに、何かを継いだ覚えはない」
「半分も狼の血が流れておれば十分だ。血脈とはそういうものだからな――それで? 具体的に、奴らはどう来る?」
「近距離から短銃攻撃を加え、それから突撃してくるでしょう。前回捕虜としたグノーベルト騎兵は、二挺の短銃を所持していましたが、一挺しか使っていなかった。突撃時に発砲するのは一挺だけで、残りは、非常時用と判断します」
 そう言いながら、シリルは望遠鏡越しに、左翼を臨んだ。ミリアムは、シリルに意識を集中させた。頭の中にレンズの先の情景ヴィジョンが、雪崩れ込んでくる。
「戦闘の初期段階で、騎兵の衝撃効果を用うべし――古典的だが、今や一周回って意味を持つ戦術になった」
 新太陽十字軍ネオクルセイダーは、騎兵の翼を動かそうとしている。第一線の五個連隊、さらに第二線の一個連隊の騎兵旅団が、両翼で雄叫びを上げた。
「我が軍の両翼では、接敵した頃か。グレノーン竜騎兵連隊が、牽制を掛けているでしょう。流石に参謀部も、ここまでは読んでいる。こちらの銃兵とで根比べだ」
 今まで聞いたことのない調子で、高らかにラッパが鳴り渡った。明らかに帝国軍のそれとは違う。
「――突撃の合図だ」
 最初は常歩ウォーク、次に緩やかな速歩トロットから速めの速歩トロットへ、続いて拍車が掛けられて駈歩キャンターから襲歩ギャロップに移っていく。思いがけない騎兵の突撃に動揺した陸軍銃兵は、遠く離れた射程外から発砲を始めた。
「バカな! 何をやっているッ!」
 望遠鏡を落としそうな勢いで、アルノーが絶叫した。至近距離に迫ったグノーベルト騎兵は、短銃で前列の銃兵を屈服させ、その勢いのまま、浅い陣に突き刺さった。
「火力重視の布陣で、槍兵の密度が足りなかったのが裏目にでたな。参謀部では、怒号が飛び交っているだろう」
 シリルが舌打ちする。
(何? どうなってるの?)
敗戦の外傷トラウマを拭いきれてないところに、予想外の突撃だ。重圧に押し潰されたんだよ』
(カール!)
『火力で防御するには、弾丸の大半が標的に命中するだけじゃ足りないんだ。貫通して殺傷させなければ、意味がない。要は、敵を引きつけるまで、発砲を我慢するだけの度胸がなかった』
 今度はマルコの声だ。斜面下の砲兵陣地から、盛んに砲煙が上がり始めた。一斉射撃によって、黒煙が戦場を覆っていく。
「こうなったら、前線で目視は不可能だ。ミリアム、頼むぞ」
「はい、大尉――」
 今の戦況が、シリルの見ている情景ヴィジョンが、カールやマルコ、他の中隊のメンバーへ、しっかり届いているだろうか。火炎と煙を吐き出すど迫力の大砲や、殺到する騎馬の大軍の流れは、伝わっているのだろうか。
『――大尉の読み通りですかね。発射速度を落とします』
(え?! マルコ?!)
『そうしてくれ――結局、適切な時機に発砲できず、火力を行使する機会を棒に振った訳だが……そろそろ右に来るぞ』
 陸軍銃兵は、敵にほとんどダメージを与えられない距離で、空しい発砲を続けている。敵の突撃の速さと、防御射撃の効力の薄さと、受けた衝撃のすさまじさは、勇敢ではあっても経験不足の陸軍騎兵を、大いに動揺させた。左翼の陸軍騎兵は押し戻され、ついには総崩れになりかけたとき、右翼でラッパが鳴り響いた。
 帝国軍の、いや作戦の合図だ。
『大尉! 出るぞ!』
 瞬時にカールの情景が飛び込んできて、鮮烈に網膜へ突き刺さった。
 速歩トロットを始めた敵兵の眼前に、カールの騎兵中隊が飛び出して、襲歩ギャロップで斜行していく。水鉢兜バシネット黒皮長衣バフコート――斬撃を吸収し、刃の貫通を防ぐ厚い黒革のコートが、馬上で揺れる。速度を稼ぐために、カールたちは胸当てすら捨てたのだ。手綱を握る左手に、鉄製の長籠手が光る。
(神様――)
 シリルが測距儀を覗き込んだ。後方の見通しのいい丘に陣取ったのは、何もミリアムを護るためだけではない。カールの情景ヴィジョンから移動速度をも勘案し、シリルが瞬時に計算して、観測値をマルコに流すためだ。
『二時の方向、距離六〇〇――六五〇!』
『了解! 二時、距離六五〇! 一砲、撃てッ!』
 爆音と共に砲身が反動で下がった。大きく弧を描きながら、砲弾はカールの左前方に着弾して爆発した。
『一時、八五〇!』
『二砲ッ!』
 さらに三砲、四砲の号令で、斜行していく騎兵中隊の左側面に煙幕が出現した。漆黒のコートを纏った騎兵の一団は、黒煙に紛れて稜線の向こうへ駆け抜けた。
『撃ちまくれッ! 中央から右翼後方にぶちかませッ! 敵砲兵を黙らせろ!』
 シリルの声が響く。
 敵軍砲兵が陣取るのは、なだらかな丘陵の中腹だった。その前に広がる丘の麓には、小川が流れている。さらに小川の前面と左手には、生垣があった。叩き込めば容易に追い込めると、シリルは判断したのだろう。
 砲兵陣では、ヘイデンが湿らせた海綿で砲身の中をかき回して、燃えかすを掻き出していた。カーティスが砲弾を装填し、込め矢でしっかりと砲身の基部に押し込む。てこ棒を使って大砲を元の位置に戻し、マルコが照準を確認していく。
『撃てェッ!』
 マルコの砲兵隊は、的確に敵砲兵陣に着弾させていく。一方の中央部では、陸軍と新太陽十字軍の歩兵連隊が拮抗していて、ややもすると陸軍が盛り返すか、というところまで漕ぎ着けていた。
 戦闘の初期段階では、攻撃に加わる兵士の数が少なく、正面の幅も狭かった。しかし、奇しくも蹴散らされた陸軍左翼は、三列横隊の隊形をとっていたため、敵軍の翼よりも外に広く張り出す格好になったのだ。新太陽十字軍は生垣の障壁を過信し、戦線をかなりの幅に広げることを余儀なくされた。釣られて、中央の歩兵の密度は低下しているのが、今の好機を呼び込んだようだった。
『――撃ち方やめえ! 稜線上に確認!』
『了解! 撃ち方やめだ!』
 シリルの号令で、一瞬水を打った様に、砲兵陣が静まりかえった。
 黒煙が徐々に薄くなっていき、新太陽十字軍ネオクルセイダーの背後、稜線の上に、黒い騎兵がずらりと並んでいた。リブヌール騎士団の戦旗、灰色熊の紋章旗グリズリーがたなびいて、カールの右手に刺突剣が閃いた。さらに、カールの騎兵中隊の後ろには、続々と他の騎兵が集まってきている。
朱籠手大隊ガントレット・バタリオン! 流石に鼻が利く!」
 はためく朱い戦旗を目にして、興奮したシリルの声が裏返った。漆黒の騎兵隊は朱籠手の騎兵を傘下に加え、常歩ウォークから速歩トロットへと速めながら、隊列を整えて斜面を下っていく。
「おお……カール! 正しく、これぞ正しく騎兵だ!」
 アルノーが天を仰いだ。拍車がかかった。襲歩ギャロップによる怒濤の突撃へと展開した。カールたちは射程距離に入っても、誰一人短銃を構える素振りをみせない。
「――この様式が騎兵の規範となるでしょう。火力による支援を断念することで突撃速度は増し、接敵までに要する時間が短縮できる。つまり、騎兵が敵とのスペースを素早く移動すれば、一斉射撃の被弾を抑えられる」
「なんと……」
 顎を撫でながら、アルノーは何度も頷いた。
「我々はミリアムの力で、とっておきの飛び道具を得た。神出鬼没の巨大な槍は、戦神ヴォーダの死の宣告グングニル。狙った獲物を外しはしない」
 黒い風が戦場を駆け抜けた。あっさりと敵軍中央は砕け散り、カールらは、最も効果的な騎兵流の方法で敵砲陣を沈黙させた。蹄鉄の釘を加農キャノン砲に打ち込んで、無力化したのである。


   *

『エレスベン修道院気付 グリエルモ・ゼーベック様

謹啓 薫風の候、殿下におかれましては、ご健勝のことと存じ上げます。
 去る白羊月五日、リヒトフォーヘンの激戦は、帝国軍の勝利に終わりました。お耳の早い殿下のこと、既に十分ご存知かと思います。
 帝国、グノーベルト双方において、この戦いで雌雄を決した訳ではございませんが、我々にとって状況は好転しつつあると聞き及んでおります。
 一時はガトランド州のほぼ全域を制圧されておりましたが、この勝利を皮切りに、帝国軍の勢いは留まるところを知らず、今や州の殆どを奪回しつつある、とシリル大尉から説明を受けました。このまま押し返し講和に向かえば、犠牲も少なく済むのですが……
 ところで、一つ気になる噂を耳にしました。グノーベルト軍の捕虜の間で、戦場にあの御方が再来された、と囁かれているのです。彼らは口を揃えて、黒騎士の恐怖を語る始末です。
 黒騎士――それは、黒皮長衣バフコートを纏った灰色熊中隊グリズリー・カンパニーの異名らしいのですが、彼らは特定の個人――カール・フレッチャー中尉を、特に黒騎士と畏れているようなのです。
 何故、中尉が黒騎士と呼ばれているか。これがこの書状の本題でございます。グリエルモ様の忌憚なきご意見を頂ければ幸いです。
 この件に関して、疾風迅雷の活躍をみせる灰色熊中隊への畏怖と、一騎当千の武功を上げた中尉の勇敢な突撃にある、と陸軍では考えているようです。
 しかしながら、グリエルモ様。私はそう思いません。そうは思えないのです。
 黒騎士たる所以は……彼の持つ剣にあると思うのです。件の剣は、ホルン騎士団朱籠手隊隊長であらせられたアルベール・デュラン様の愛剣『梟首の麗人デュラハン』に瓜二つなのだそうです。
 新太陽十字軍にはアルベール様への畏怖があり、それを中尉に投影しているとしか思えません。でなければ、あの御方スレイヤーの再来などと言うでしょうか。これは私の個人的な推察ではございますが、ご同意頂けると思っております。
 昨今の中尉の活躍――灰色熊中隊が赴いた戦いは、ことごとく勝利し、カール中尉が帝国軍のムードを支えているといっても、過言ではありません。
 それだけに、気に掛かるのです。
 どうして、剣の形が変わってしまったのか、と。エレスベンの不死者イモータルを倒すために、彼の剣には私が陣術を施しました。これはご承知の通りと思います。
 その折りに、はっきりとこの目で剣を見ました。エレスベンの時分では、幅広のブロードソードに相違ありませんでした。しかし、リヒトフォーヘンで目の当たりにしたのは、槍の穂先の様な刺突剣でした。別の剣ではありません。剣から感じる聖詠ムジカの波動は、両者が同じだと証明しております。
 殿下。私は不安でなりません。彼の剣が変わってしまったのには、何か理由があるのでしょうか? もし、お心当たりがありましたら、ご教示願えれば幸いです。
                        頓首
 一六四〇年金牛月七日 ブルージュ修道院にて
 教皇庁所属聖霊会士補 ミリアム・フィンチ』


   *

 去る金牛月五日。帝国軍はガトランド州都ブルージュの奪還に成功した。
 戦略拠点を得た諸侯軍と陸軍の連合軍は、さらに三個旅団を投入し、新太陽十字軍を辺境伯領境まで追い込んでいる。しかし、伯領へ攻め込もうにも、州境に設置された複合砲座に阻まれて思うようにいかず、狭隘な峠は堅固な要塞と化していた。
 地形を考慮すれば、騎兵の突撃など言うに及ばず、というのが常識だろうが、灰色熊中隊が編入された朱籠手大隊には、突撃待望論が根強くはびこっている。ブルージュに駐留して二週間が過ぎたが、欲求は収まるばかりか、次第に熱を帯びていった。
「――このまま睨み合いが続けば、グスタフ・レーヴラインは勢いを取り戻す。そうだろう、中尉?」
 と凄まれるのも、もう慣れた。
 その話は参謀部に持ち込むのが筋だろうに、何故自分が詰め寄られるのだろうか。納得できないが、顔見知りの朱籠手隊士を袖にするわけにもいかない。今日も今日とて、わざわざ修道院まで探しに来て、管を巻かれる有様だった。
「峠には、歩兵大隊が進軍しているでしょう? 時間の問題ですよ」
「甘いな。最後の詰めは騎兵に限る! 違うか?」
「……そうかもしれません」
 言いたいことは分かる。
「完膚なきまでに叩き潰さなければ、また同じことの繰り返しだ。奴らの足りてない脳味噌に、絶望的な恐怖を植え付けてやるのさ。なあ、中尉。戦場で最も忌むべき敵は、誰だと思う?」
 かつてホルン騎士団の正騎士だった男と、こうして普通に会話している。どこか現実感覚とかけ離れたところに、自分はいるのではないか。最近、よくそう思う。朱籠手の大尉殿は、目を血走らせてカールの答えを待っている。
「一昔前なら、アレッティーノ連邦の槍兵か、カルハラの軽騎兵ってところでしょうが――」
灰色熊グリズリー
 大尉はカールの言葉を遮って、語気を強めた。その目には、羨望の影すら混じっている。
「不死身の突撃隊は、恐怖以外の何者でもないだろうよ」
「まるで、化け物みたいな言い草ですね。生憎、中隊の三分の一は、突撃で戦死してますよ」
「なあ、中尉。次の襲撃はいつだ? 参謀部から指令が出てるんだろう?」
(この男――)
 功を焦っている。そんな次元の目つきではない。狂人のそれだ。
「……命令があれば出ますよ」
「そのときは――」
「覚えておきます。そちらの中隊と連携したいと上申しましょう」
 必ずだ、と言い残して、大尉は消し炭の残る修道院の中庭を横切っていった。
 リヒトフォーヘンの戦いからこれまで、灰色熊中隊グリズリー・カンパニーは五度の任務を遂行し、敵の拠点を潰してきている。それは紛れもない事実だ。カールにとって、斬るのが日常の一部といっても、過言ではない日々が続いている。
 陸軍の上層部は、灰色熊の功績を高く評価しているらしく、兵部卿セレスタンの肝煎りで、既に三つもの殊勲賞を下賜された。驚速の叙勲は、かの梟雄以来とも言われている。
(アルベール・デュラン……)
 彼の強さはホルン騎士団のみならず、武芸に通じる者の間において、伝説と化している。そもそも、ホルン騎士団の強襲部隊に、朱籠手ガントレットというイメージを定着させたのは、他でもない彼なのだ。
 案山子の乱の発端であるエレスベンの事件――聖霊会士投擲事件に居合わせ、武装した太陽十字軍クルセイダー一〇〇人に取り囲まれながら、丸腰の状態から立ち回り、たった一人で、ほぼ全員を斬り捨てて、窮地を脱したという逸話を皮切りに、以後枚挙に暇がないが、籠手にこびり付いた返り血を落とす間もなく、アルベールは戦場を駆け抜けたのである。後に残るは死体のみ、とさえ聞く。
(絶望的な恐怖、か)
 アルベールにこそ、その言葉は相応しいと思えるが、そんな得体の知れない感情を、自分たちがばらまいているとは到底思えない。しかし、周りは違う。灰色熊中隊だと気付いた途端、逃亡を図る敵兵もなくはないのだ。
(そりゃ、当然だろうさ)
 完全に虚を突いた上で、背後から突撃を喰らえば、人間誰しも動転する。そして、彼らの大多数は是非もなく死んでいくのだ。逃げ延びた兵士たちは、目の前で繰り広げられた惨劇を仲間に吹聴し、新太陽十字軍ネオクルセイダー内で尾鰭がついて、ことさら恐怖を駆り立てるのだろう。
 畏れられる、というのは戦術的に有効な要素だ、とシリルも言っている。戦わずして勝つのが、軍略の目指す一つの極なら、シリルの話は納得できる。剣を振るわなくて済むなら、それに越したことはない。
 しかし、何故だろう。最近よく分からなくなった。
 頭ではシリルの言葉を理解している。だが、戦場に立つと、無性に気ぜわしくなるのだ。気付けば、誰よりも速く斬り込んでいる。
 それは多分苛つくからだ。誰かの影が、目の前をちらつくのだ。その影を振り払うように、カールは剣を振っている。
(奴より速く、多く、斬れば――)
「大丈夫?」
 心配そうな声が、横っ面を叩いた。カールはゆっくりと顔を上げた。
「ミリアムか。どうした?」
 彼女は小さな悲鳴を上げた。無意識に睨み付けていたらしい。ここが修道院だと思い出した。
「ごめん。少し上の空だった」
「そう……本当に大丈夫?」
「平気だ。ところで――」
 わざわざ呼びつけた理由は何だろうか。
 被災した修道院は野戦病院と化していて、猫の手を借りたいほど忙しいはず。例の交信術を使えば済みそうなものだが、生憎ミリアムにその気がないらしい。ともあれ、使者を仕立てて呼びにくるとは、並大抵な話ではなさそうだ。そう思ったからこそ、カールはここに来た。
「ちょっと心配になって……」
「心配?」
 何の心配だろうか。ブルージュを解放してから、前線へも行っていない。
「かすり傷一つないよ。何も心配なんか要らない」
 ならいいけど、と微笑を浮かべながら、ミリアムは日当たりのいいベンチの方へ歩いていく。
 爽やかな日差しが、目に突き刺さる。実に鬱陶しい。どこの隊か知らないが、額を包帯で巻いた下士官が、敬礼をしてきた。
「あ、あのね? 大事な話があるの」
 ミリアムが振り返る。空気を読んだのか、下士官はそそくさと中庭から消えた。ベンチに腰掛けると、ミリアムも隣に座ってきて、ピンと背筋を伸ばし、力強い眼差しを投げてくる。
「剣の調律をさせてもらいたいんだけど」
「調律?」
 そう聞き返すと、ミリアムはこくりと頷いた。
「その剣は、闇夜に針の穴を通すくらいのバランスで、力を繋ぎ止めているの。火、水、風の大天使様の力で――ううん、本当は違うんだけど」
「違う? 違うって何がだ?」
「あのね、違うっていうか、少し込み入った話になっちゃうし、正直、私の権限で説明していいものかどうか……でも、カールには知っておいて欲しい」
「君にも立場があるんだろ? 無理に聞く気はないよ」
 それで? と尋ねると、ミリアムは聖霊会士グリエルモからの手紙を差し出した。そこには、クロフォード村で火蜥蜴ウルカナレスと対峙したとき、カールが取った行動について書かれていた。
「……彼に証言した通りだよ。火蜥蜴を倒したとき、黄金の矢が現れた。それは確かだけど?」
「可能性として、黄金の矢は剣の力に誘発された、というのが聖教会の見解です。多分、カールの誕生月と事件の起きた人馬月が重なって、力が増幅したせいもあると思う。それで、人馬宮サギタリウス火象宮フォティアに属しているから……だからね、今、その剣は火の力が強いと思うの」
「――つまり?」
「聖ウォラスの陣で、剣を調律させて欲しいの。風の大天使ラファエル様の加護で、火の力を弱めなければ」
 ミリアムは真剣だ。それに断る理由も見当たらない。カールは担いでいた剣を、彼女に手渡した。ミリアムの顔が引きつる。ミリアムの視線は、じっと碧血刃ノスフェラトゥに注がれている。
「どうした?」
「――え? べ、別に何でもないよ? なんかちょっと形が気になって……」
 ミリアムは照れ笑いを隠しながら、真理の杖カドゥケウスの聖詠を唱え始めた。
(――剣の形?)
 碧血刃は、昔流行の刺突剣。何の変哲もないありきたりな騎兵御用達の剣だ。しかし、ミリアムに言われてみれば……
(こんな剣を、ベスターが使おうとするだろうか?)
 しない。絶対に有り得ない。ベスターは剣士を夢見ていた。これは騎兵の剣じゃないか。
「剣の形、変わったのか? ……よく思い出せないな。同じだよな?」
 ミリアムは聖詠を詰まらせた。
「思い出せないって――カール?」
 ミリアムの表情が曇る。
(何故だ? どうして、ミリアムはこの剣に拘る?)
「……何か問題が? まさか、あの術に欠陥でも? だから、調律だ何だって言い出したのか?」
 魔女ウィッチ
 不意にそんな言葉が過ぎる。自分の掛けた術が気になって、様子を窺いに来たのか?
(やはり、俺を騙している?)
「欠陥なんてそんなこと……! だって現に不死者を倒したし、火蜥蜴だって!」
(それは確かにそうだが……)
 ミリアムが悲しそうに俯いた。カールは目を逸らした。
「俺の心配より、自分の心配をしろよ。いつまで戦場にいるつもりだ?」
 ミリアムの肩がピクリと震える。
「いつまでって……私は中隊のみんなのために!」
 彼女の声も震えている。どうしてだ? 何でこんな話になった。
「分かってる。けど、最初から、俺は反対だっただろ? 君が居るには危険過ぎる。このブルージュだって」
譜面師パルナッソスの仕事だって同じだよ!」
 眉間に皺を寄せながら、ミリアムは立ち上がった。彼女は猛烈に怒っている。だが、カールも間違ったことを言ったつもりはない。
「同じじゃないさ。陣術で戦争は終わらない」
「それは――」
 ミリアムは目を伏せて、またベンチに腰を下ろした。
「俺たちが何とかする。だから君は、ブラオフルスに戻るんだ」
「変だよ……おかしいよ、カール。どうしてそんなに、イライラしてるの?」
「ここは戦場なんだぞ? 任務だってこなしてる。昂ぶってるだけさ」
「任務? 嘘。シリル大尉から聞いたわ。最近は志願してるって! まるで、その剣に引き摺られて――」
「君が言うのか! こいつは君が!」
 馬鹿なことを言ったと思ったが、もう遅い。ミリアムは泣きそうな顔をしながら、無理矢理笑みを浮かべた。
「ごめんなさい……」
 ごめんね、ともう一度。彼女は消えそうな声でそう言った。
「……今踏ん張れば、押し戻せるんだ。クロフォードの前線には、主戦力を投入してる。もうケリはつく。そうしたら、君をブラオフルスに――」
「中尉! カール中尉はいるか!」
 野太いカーティスの声が、修道院の中庭に響き渡った。立ち上がって手を上げると、カーティスは険しい顔で駆け寄ってきた。
「緊急招集だ。前線の大隊が壊滅した」
「……嘘だろ? ヴェジェ連隊の精鋭が?!」
 信じられんのも無理はない、と言いながらカーティスが首を横に振った。
「聖霊会のお嬢さんにも、お呼びが掛かった。詰所まで頼ンますわ」
「私もですか?」
 ミリアムと目が合ったが、彼女はすぐに視線を外した。
(――もしかして?)
 声と視覚が伝達できるミリアムの力は、中隊だけの秘密だ。目が合ったカーティスは、さらに首を振る。誰かが上層部に漏らした訳ではないらしい。
「どういうことだ、曹長」
「どうもこうもねえよ。魔女狩りだ」



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