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 歌詞の面でもサウンドの面でも、神聖なものと自傷的なものを組み合わせているのが『神聖かまってちゃん』の特徴だ。彼らの楽曲にはなぜか「美しさ」を感じる。楽曲に正と負が混じっているからだ。の子は神聖なものへの「憧れ」と、「おれはぐちょぐちょの人間である」という負がある。ひとつの曲のなかにその相反する二つの属性がブチ込まれている。自分の自意識と葛藤しているのだ。

 

それをキレイに整理せず、その葛藤をあるがまま出してる点が『神聖かまってちゃん』の良さだ。彼らの楽曲を聴いていると「その二つがあって人間だよ」と言われているような感覚になる。だから、の子の楽曲は「美しい」と感じるのだと思う。《キレイはキタナイ》という格言が(わたしが勝手に思っていることですが)あるように、「人間」の本質をの子は突いている。

かつて「ブルーハーツ」が『リンダリンダ』でやったことをの子はちがう形でやってのけたのだ。


『風立ちぬ』は「美しさ」につきまとう人間の業を描いていた。二郎の作る航空機はやがてゼロ戦として戦闘特化し、第二次世界大戦に投入され、多くの人の命を奪うことになる。二郎の求めた美しさは自動的に負をまとう。美しさには必ず正と負があるということだ。言い換えると、正と負がないものは美しくないということでもある。『神聖かまってちゃん』はそれが一曲のなかにお互い高い純度でぶつかりあっている。

 自身と向き合うことが人間の本質にせまるのだ。↓


自身と向き合うことが人間の本質にせまるのだ。ふつうはアウトプットするときそれをぼかすだろう。の子は消しゴムを使わず、どんな間違った色もおかまいなしに、その瞬間思った通り、絵の具を上から重ね塗っているかのような曲を生み出す。だから曲に誠実さを感じる。

 

「ウソは付かないようにしている」と発言するバンドは多い。そういうものに限ってつまらない。同じようなところをいつまでもぐるぐる回って、肝心なことは言わないままだからだ。↓


ウソはついていい。誠実で正直でありさえすればいい。しかし、それがなかなかむずかしい。

『神聖かまってちゃん』の優れているところはそれをしてるところだ。

自分の内部にあるものを世界の要求する形にして出すのではなく、内臓をそのまま見せる。それが誠実さだと想うのだ。そんなバンドこそ時代を変えていく。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

うおお



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