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 やはり二郎にとって美しさが全てだったことがわかる。新型航空機の必死の製作作業は、菜穂子のためではなく自分のためだったのだ


 新型航空機の必死の製作作業は、菜穂子のためではなく自分のためだったのだ。美しさを探求することに(しか)興味がない二郎はそれ以外のことに関心を示すことができない。

 ある種、ロマンをもつ男よりも狂っている。なぜなら、「自分は女性を幸せにすることができない」と罪の意識にも似た感情で、男というのは女性に別れを告げる。そしてロマンを追っていく。七〇年代歌謡曲によく描かれる男の心情である。

 

ところがどっこい、宮崎駿の描いた二郎はちがう。

菜穂子が居なくなったあと別の女性とコロっと結婚するはずだ。もちろん美しい女性(あたりまえだろ!二郎さんだぞ)。数年後に離婚、また別の女性と結婚する。それを二郎は繰り返すだろう。美しいものを探求する(航空機)という価値基準で動いているからだ。


 二郎の美しさを求める姿はやはりクリエーターに重ね合わせることができる。人間は遺伝子レベルでインプットされている子孫を残す意識があるという。それが生物だ。しかし、真っ当に家族を作っていくよりも優先すべきことをみつけた人間がいる。それはいろんなレベルがあるだろうが、クリエーター(表現者)だ。

 まったくお金にならないのに、「ふむふむ、これは使えそうなアレンジだな」と謎の探求を試みる人種、それがミュージシャンだ。ときにはアダルトビデオを観て「なるほど、このオーガズムはロックンロールに通ずる!」と足をブイの字にする人種、それがミュージシャンだ。

 

 

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 『神聖かまってちゃん』のの子は引きこもりの経験があるという。の子の作った楽曲をみてみると、内向的で自傷的な歌詞が目につく。その深い人生経験があるから出る言葉は、浅はかな言葉をくりかえすセツナ系サワヤカポップ歌手群とはまったく接続しない。だからこそ、孤独を心に宿す者に強くつき刺さる。

 の子には独自の美意識があるように感じる。↓


 の子には独自の美意識があるように感じる。例えば、『天使じゃ地上じゃちっそく死』では「もういやだ/死にたいなあ」という自傷的な歌詞とは対照的に、サウンドは高音のコーラスとシンセが終盤に神々しさを放つ。

 『コンクリートの向こう側へ(デモ版)』ではロックサウンドではないクラシカルな、賛美歌を思わせる曲になっている。終盤には賛美歌を思わせるコーラスはいつのまにか絶叫(ノイズ)に入れ替わっていて、聴いた後のリスナーの気持ちをざわざわさせる。

 俗にあるロックンロール的なバンドサウンドが彼らの美意識の根幹ではないのだ。↓

 



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