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世の中美しいものは様々ある。けれど、ふつうなら捨ててしまう魚の骨を見て、その曲線を航空機に重ね合わせてしまうところが、彼の航空機にたいする情熱の深さを物語っている。情熱といえば聞こえはいいが、単にそれに「興味」があるだけだ。

彼は航空機が好きということはもちろんだが、きっと航空機以外のものに興味がないだけだと思う。

 

 

 彼は航空機が世界でもっとも美しいと感じている。


彼は航空機が世界でもっとも美しいと感じている。だから、菜穂子が病気になり、血を吐いても仕事を休まなかった。職場の人間に彼女のことを言えばそばについてあげられることは可能だったはずだ。二郎は(後の)ゼロ戦の設計に成功することが、菜穂子の病気に報いる唯一の方法だと感じてたから仕事に情熱を傾けていたと考えることはできる。しかし、物語の終盤、菜穂子は二郎の家を出て行ってしまう。

 

 

お世話をしていた黒川婦人は一言、「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね。」と言う。↓


 お世話をしていた黒川婦人は一言、「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね。」と言う。いろいろな受け取り方はあるものの、こちらの考え方に引きつけて考えてみる。美しい姿を最後に消えるということは、永久に美しいことを意味する。

 菜穂子は病気にかかっている自分が美しい姿のままでいられないことをさとったから、家を出て行ったのだ。衰弱していく姿を見せるだけだからである(劇中、菜穂子は病気にもかかわらず、姿や表情は登場してから美しいまま最後ままだ)。

 なぜ家を出る必要があったのか。

 二郎は美しいものしか興味がないからだ。

 美しくないものは好きではない。それを菜穂子は理解していた。それならばと、美しい姿のまま二郎の前から姿を消したのだ。

 やはり二郎にとって美しさが全てだったことがわかる。

 


 

 

 

 

 やはり二郎にとって美しさが全てだったことがわかる。新型航空機の必死の製作作業は、菜穂子のためではなく自分のためだったのだ


 新型航空機の必死の製作作業は、菜穂子のためではなく自分のためだったのだ。美しさを探求することに(しか)興味がない二郎はそれ以外のことに関心を示すことができない。

 ある種、ロマンをもつ男よりも狂っている。なぜなら、「自分は女性を幸せにすることができない」と罪の意識にも似た感情で、男というのは女性に別れを告げる。そしてロマンを追っていく。七〇年代歌謡曲によく描かれる男の心情である。

 

ところがどっこい、宮崎駿の描いた二郎はちがう。

菜穂子が居なくなったあと別の女性とコロっと結婚するはずだ。もちろん美しい女性(あたりまえだろ!二郎さんだぞ)。数年後に離婚、また別の女性と結婚する。それを二郎は繰り返すだろう。美しいものを探求する(航空機)という価値基準で動いているからだ。