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序章~登場人物~

都内、新宿駅から三鷹の森の少し手前JR高円寺駅――。

駅の目の前には漫画が読んで描ける漫画喫茶、「漫画空間」がある。今回のインタビュー場所はここである。

 

樹崎先生と店前で合流し、インタビューに移る――。店内には既に絵を描いている方が数名……、そして深谷先生も自身の原稿にペン入れを行っていた。各々が自分のペースで作品制作を進めている。

 

 

漫画空間の店長である深谷陽先生が淹れてくださった紅茶を飲みつつ、インタビューは始まった。

 

【ヒカル】

今回はよろしくお願いいたします。

 

【樹崎】

こちらこそ、よろしく。

 

 

【今回の登場人物】

樹崎聖先生(漫画家)

経歴:週刊少年ジャンプにて『ff(フォルテシモ)』にて、ホップ☆ステップ賞を全項目満点で受賞した。その後、ジャンプでの連載『ハードラック』、『とびっきり!』を終えた後にはスーパージャンプ紙面にて『交通事故鑑定人 環倫一郎(全18巻)』を長期に渡り連載する。以後、アフターヌーンにて『ZOMBIEMEN(以下、ゾンビメン)』を不定期連載。現在では漫画業界の活性化のため漫画元気発動計画を主催し、電子書籍Domixの編集も兼務している。

 

 

深谷陽先生(漫画家)

経歴:元特殊メイクアーティスト。現在では漫画空間:高円寺店にて店長に就任している。樹崎先生曰く、日本で3番目に絵がうまい漫画家さん。

 

 

ヒカル(インタビュアー)

経歴:電子上にてインタビュー記事などを掲載している関西在住の21歳。詳しくは私のTwitterなどへからどうぞ。

Twitterアカウント @fasdrew

 


先生の学生時代のお話など

Q:同期(自分とキャリアが同じくらい)に絵がすごく巧い人がいると、プレッシャー感じますか?

その他、先生の学生時代~連載デビューまで

 

 

【ヒカル】

では早速、インタビュー始めていきます。まずは軽い質問から……

自分の同期(デビュー時期なども近い)に絵が凄く巧い方がいるとプレッシャーを感じることってありますか?

 

【樹崎】

プレッシャーですか……

まず高校、当時3年生のときにナカタニD.っていう奴と出会ったんですね。美大の予備校に通い始めたら、彼は高校生なのにプロ並みに絵が巧かったんですよ。

抜群の迫力と美しい線があって。まぁ当時はデッサンすると、彼の絵もデッサンとしての絵ではなくて、彼もまだまだ(デッサンの絵は)巧くはなかった。デッサンではいい勝負だったんです。ただ、これが漫画を描くとなると彼と僕には大きな差があって、「これは天性の才能だなぁ」って感じたなぁ。

 

【ヒカル】

やはり高校時代でもナカタニさんの様に飛びぬけた実力の持ち主はいて、年齢関係なくそういう人は凄い実力を持っているんですね。

 

【樹崎】

そういう人はいますね。

ナカタニとは一緒に夏休みは東京のレベルの高い予備校に行ってたんです。そこで、ついでにジャンプや何誌かに持ち込みに行ったんです。そのとき、ナカタニには担当がついたんですけど、僕は鼻も引っ掛けられなくて(笑)

 

【ヒカル】

普通は何回も持ち込んだら、担当がつくんでしょうか?

 

【樹崎】

いや、ナカタニの様に最初から能力が高ければ、担当は一度でもつきますよ。その時は僕の実力がその域まで達してなかったので・・・。

 

【ヒカル】

なるほど……その後、高校を出てデビュー作『ff(フォルテシモ)』になるわけですか?

 

【樹崎】

いや、そのあとはまだまだ長い時間がかかります。大学に行きましたし。

 

【ヒカル】

先生は大学では漫画同好会などに入っていらっしゃいましたか?

 

【樹崎】

大阪芸術大学には『アオイホノオ』にも出てくるCASっていう有名な漫画・アニメの研究会があるんです。

僕も当時はそこに名前だけは所属していました。……っていうのも克・亜樹さんもCASに所属していたんです。克・亜樹さんのことは僕も尊敬していたんで、克・亜樹さんと会うためだけに、しょっちゅう部室の前にだけは顔出していました。

 

【ヒカル】

漫画『ふたりエッチ』で凄く有名な作家さんですよね。コンビニでコミックスよく見かけます。

 

【樹崎】

ただ僕やナカタニからしたら、漫画家っていうのはカッコいい仕事であって欲しいという考えがまずあったんです。漫画家=いじめられっこという風潮もありがたくなかった。

アニメとかが流行り出して気持ち悪いオタク野郎がどんどん増えていた時代でね……そういう新しいオタク層が許しがたい時期が僕にはあったんです(笑)一般人から見たら自分も大差なかったとは思うんですけどね。今は「そういう人こそがありがたいお客さまじゃん」って感謝すらしてるしね(笑)

 

【ヒカル】

80年代後半は一般にもアニメが浸透してきて、軽い感じでアイドルやアニメに入ってくる時代とお聞きしています。

(そういう文化がポピュラーになったというべき?)

 

【樹崎】

そうですねぇ……

僕やナカタニは世代的には第1次オタク世代で、僕らが中学ぐらいに『宇宙戦艦ヤマト』が映画化されヒットし、ガンダムが始まってるんです。だからそのあたりの作品の影響を凄く受けて熱中しているんです。

だからオタク第一世代としては、最初に本当に面白いモノ(アニメや漫画)ってジャンルを見つけたのは僕たちだ!っていう意識を持っていたし、さらに言うとオタク第一世代は自分の目でいいものを見つける能力がある人だったので

そんなには気持ち悪くはなかったんです。気持ち悪いにしても質がちがったというか(笑)。

 

【ヒカル】

僕は当時を生きてないので詳しいことは分からないのですが……

1次オタク=SF論や未来などの話題で盛り上がる。

2次オタク=キャラの表現(可愛さ)などを仲間内で語り合うことが増えてきた。今で言う、「萌え」に路線変更してきた。

……こんな印象を受けるのですが、合ってますか?

 

【樹崎】

うん、まぁそんな感じかな(笑)

僕も第2次オタク世代の文化は好きだったんだけど、それを表に押し出すのはどうよ? ……とはあの頃、感じていたんです。

だから第2次オタク要素が強かったCAS内での会話にはあんまり割っては入れなかったなぁ。彼らはアニメが好きなだけで漫画家もアニメーターも目指していない連中だったんですよ。

 

【ヒカル】

作品を見る専門の人達が大半を占めていたんですね。

 

【樹崎】

そういうぬるま湯な空間に入りたい気持ちもあったんだけどね(笑)。

でも僕は漫画家になりたかったから、それは駄目だと思い、遠慮した。

 

【ヒカル】

そういう場に入ると自分が駄目になると感じたんですね。

 

【樹崎】

そうなんですよね。それは駄目だと思い、輪の中には入らなかった。

で、僕は覚えてないんですけど(笑)。克・亜樹さんに「どうして克さんは、あんな奴らと一緒にいるんですか?」って言っちゃったらしいんです。僕は覚えてないけど(笑)。

 

【ヒカル】

だいぶ、ぶっちゃけましたね()

 

【樹崎】

でも、克さんの中ではそのことで「樹崎は漫画への情熱が凄いある」っていうを思ってもらってるみたいなんだけどね(笑)

僕はそんな酷い事言った覚えはないんですけどね(笑)

 

【ヒカル】

克先生は今では超有名漫画家さんですもんね。

克先生は、そのあと本格的にデビューという形でしたっけ?

 

【樹崎】

克さんは僕が知り合ったとき、既にデビューしてて大学中もずっと月間連載していたね。

で、卒業後にさらに週刊連載が増えてましたね。月間連載中には僕もたまに遊びにお邪魔するついでに、たまにアシスタントしていました。本格的はアシスタントではないんですけど。助っ人みたいな感じです。

 

【ヒカル】

先生は本格的なアシスタント(同じ先生の元で、数回単位の作画補助)は経験していないんですよね?色んなところで助っ人のようにアシスタントしてから連載に至ったとお聞きしました。

 

【樹崎】

そうですね。色んな先生のところで助っ人でアシスタントしました。次原先生(代表作:『よろしくメカドック』)のところでは2週だけだし、他の先生の現場でも同じような感じでちょこちょこアシスタントしていました。

次原先生のアシスタントをしていたときはデビュー作の『ff』も完成して、結果待ちの状態でした。そのとき、原稿の背景のビルに「ff」って文字を入れたりね(笑)

 『スーパーパトロール』の第1話だったかなぁ……忘れましたけど、書き込みました。消されてる可能性もありますけどね。みんな、そういうことをやりたがるので(笑)。

大体、怒られるんだけど僕の『ff』はまだ世に出ていなかったので、まぁ描いてもバレないだろうと思ってね。本当はやったら駄目だよ(笑)。

 

【ヒカル】

昔のコミックスとか読むと他作品のキャラを無断で使ったり、随所に遊びのような落書きがあったりしますよね。

 

【樹崎】

当時は今より規制が緩くて、版権にうるさい人がいなかったから……そういうことはよくありました。

 

【ヒカル】

高橋留美子先生のラムちゃんっぽいキャラが古い別の漫画に出てるのも見たことありますし、そういう雰囲気は昔の漫画ならではですよね。最近は版権が厳しくて、他作品のキャラの名前を出すだけでもアウトっぽいですけど。

そのアシスタント経験後は『とびっきり!』や『ハードラック』を連載に入っていった感じでしょうか?

 

【樹崎】

そんな感じですね。その2作品の間にもアシスタントしたこともありましたけど。

思い返すと、大学には克・亜樹さんやナカタニDの他にも田中政志(代表作:『ゴン』)さんもいたし、meimuさんもいたし他にも沢山デビューした人がかなりいましたね。

 

【ヒカル】

色んな方々が大阪芸術大学から巣立っていった時期なんですね。

 

【樹崎】

結構な大物が多く出た時期でしたね。そのときは作品しか知らなかったけど、庵野監督もいた。

庵野監督の『帰ってきたウルトラマン』知ってますか?

 

あの作品の巨大なモノの見せ方に影響を受けてね。あれを見てから、ずっと巨大なモノを描きたいと考えていたんです。で、だいぶ後に描きました(笑)


映像メディアと講師体験を通じて……

Q:映像メディアについて

 

【ヒカル】

先生は今では映像、漫画、音楽を組み合わせ作品作りを手がけていらっしゃいますが……大学在学中は映像メディアに進もうとは考えていなかったのですか?

 

【樹崎】

僕はチャップリンの『独裁者』に影響を受けたんです。おばぁちゃん子だったのでハリウッド映画だとか外国の映画を、おばぁちゃんと見てたんです。父親や母親にかまってもらえなかったから、おばぁちゃん子ってことでもあるんですけどね(笑)

なのでおばぁちゃんの世代でも馴染みのあるチャップリンが好きで、一緒にチャップリンの映画をおばぁちゃんと見ていました。

中学2年のときに『独裁者』でのチャップリンの演出(普段喋らないチャップリンが喋る)に刺激を受けてね。『独裁者』はヒトラーが勢力を伸ばしていた時代に、ユダヤ人のチャップリンがヒトラーを皮肉った映画を作ったんです。

チャップリンは基本的に体の動きだけで表現する方なので、普通は映画内で喋ったりしないんです(同時期の映画では、もうサイレント映画の時代ではなく俳優のセリフ付き映画があったのにも関わらず)。なのに、この『独裁者』という映画ではチャップリンは喋るんですよ。最後に一気に長々と演説をして、それが映画の締めになるんです。作品でヒトラーと戦い、平和を謳っているんです。

 

【ヒカル】

それは痺れる演出ですよね。

そういった映画から刺激をもらうことは多いですか?

 

【樹崎】

そうですね。映画からは影響を受けやすいもので。

 

【ヒカル】

そこにいくと最近、僕の周りの話になるんですが、世間一般的に洋画映画は見てないけど、アニメだけはずっと見ている人も増えているような印象を受けます。

もしくは昔の古典的な作品を見ていない人も増えているように感じます。

樹崎先生としてはやはり、映画(洋画など)をどんどん見て欲しいですか?

僕個人としては当然、アニメも好きですけど映画から学べることも多くあるので。漫画家志望の方だとか、芸術に関わる人ならば古い洋画もジャンジャン見たほうが良いかなぁとは思うんですけども……

 

【樹崎】

はい。そうですね……

僕はチャップリンの映画を見て、「こういうチャップリンみたいな生き方をしたいな」と思って、そこが自分の活動にも繋がっていると思うんです。映画を創る機会があれば、映画もしていたかもしれない。

でも、当時の日本映画って目指したいとは思えないくらいには最低……だったので(笑)

 

【ヒカル】

80年代には僕は生まれてはいないですけど、その時代は映画業界が斜陽(?)だったのかなぁと考えています。

リアルタイムで経験していないので、分からないですが。

 

【樹崎】

斜陽ですね。『セーラー服と機関銃』よりも少し前ぐらいの日本映画です。

当時は映画監督になれる人は完全に年功序列や学閥重視だったので……、その結果なのか酷い出来のモノが多かった。

映画における才能が重要視されない時代だったのかもしれないですね。その時代の邦画はB級すぎて笑えるところもあるんでタランティーノなんかには愛されてるわけだけどね(笑)

昔の邦画は今見れば、違う意味での味はあるんだけど同時期のハリウッド映画と比べると熱意に雲泥の差があって、酷かったんです。

 

【ヒカル】

海の向こう、ハリウッドでは豪華なセットや撮影機材で撮っているのに……こちらでは限られた資材で勝負。そこで創意工夫もない商業重視な作品ばかりになると、見てられないわけですね(勿論、そうでない素晴らしい出来の作品もある)。

 

【樹崎】

ハリウッド映画では『スターウォーズ』、『未知との遭遇』などでスピルバーグやルーカスが台頭してきたわけです。

『レイダース』のような格好良いアクションもありましたから。でも日本ではTさんのB級アクションなんです(笑)。

 

【ヒカル】

80年代も後半になると、海外ではCG技術も使い始めようというときでしたから、どうしても見栄えに差は出ちゃうかもしれないですね……。そこで先生は漫画で作品を表現するに至るわけですね。

 

【樹崎】

そうなんです。ハリウッド映画みたいなことを日本でするにはどうしたらいいんだろうと考えたときに

「日本人には漫画があるじゃん」って思ったんです。

 

【ヒカル】

そこが先生の漫画の原点になったのですね。

 

【樹崎】

そこが僕の原点ですね。当時は絵はそこまで巧くなかったけど。それでもクラスで2番目くらいの自信はあったけどね。高校では学校で1番巧いと思ってたけど(笑)

でも美術系の受験予備校に通いはじめてみると、僕は最下位くらいに下手くそでした。またそこの予備校が特別レベル高かったんです。

 

【ヒカル】

やはり予備校とかはレベルの高い子が集まりますもんね。当時って、そういう美術系の予備校は多かったですか?

今でこそ漫画入門コースみたいな教室もありますが……

 

【樹崎】

当時でも芸大、美大とかに行く人は、そういう予備校だとかに1年くらい通ってましたよ。

漫画の学問はありませんでしたが。それでも芸大だと7~20倍くらいの倍率だったと思います。本音を言うと、東京の大学に行きたい気持ちはありました(笑)。絵の勉強はすぐには活かせないかもしれませんが基本からやることが重要ですね。

 

 

【ヒカル】

中には美大や芸大を経由せず、漫画業界に入ってきた先生方もいますよね。次原先生も理工系の学科卒業と聞いてます。

 

【樹崎】

そうですね。芸術以外の学科卒業だと、色んな知識を得られますからね。マンガ学科に入るのは本当に得なのかっていう疑問は僕も持ってます。

でも今時の漫画学科を開いている大学はレベル高いみたいですよ。何より良い仲間に恵まれて、切磋琢磨できるメリットがありますよね。

先日、よしまさこ先生とお話したんですけどね。よしまさこ先生の教室の生徒さんは本当にレベルが高いんですよ。僕の教え子もかなりの確立で漫画家としてデビューしましたけど、よしまさこ先生の大学のデビュー率の高さには負けるなぁって思います。

 

【ヒカル】

やはり絵は良い仲間がいると、より成長しますかね?

互いの絵を見て、学びあったり。絵の力って、自分では気づけなかったりしますもんね。勘違いしてしまったり、逆に人の原稿ではあざとく弱点を見抜けたり……

 

【樹崎】

そうですね。……でもどうしても専門学校という空間では、やる気のない奴が出てくるんです。そういう子がいると、足を引っ張るんです。教室の雰囲気も大学の方が意識のレベルは高いかもしれませんね。

 

【ヒカル】

そればっかりはどうしようもないですもんね。

専門学校だと、中には大学に行けるほど勉強してないけど、働く気もないので……、とりあえず専門学校に来る人もいるでしょうし。勿論、やる気が凄い人もいるでしょうけど。

 

【樹崎】

やる気がない奴に、やる気を教えるのは不可能ですからね(笑)

 

【ヒカル】

絵にはそこまで興味ないけど、とりあえず入学だけした人も多いのかもしれませんね。今時は大学でもとりあえず入学だけしたという人が大半ですし……

 

【樹崎】

僕が講師時代もそういう人もいましたよ。

講師2年目には投稿クラスってものを作ってもらいました。本音を言わせてもらうと、講師としてもやる気がない人には教えたくはないですよからね(笑)

やる気がない人の面倒を見るのは、サービス業ですから。

漫画家を目指すということを体験してもらおう。……っていうところで終わることを教えるのはつまらないので。

 

【ヒカル】

最初からやる気がない人も多かったですか?

 

【樹崎】

ただ最初に学校に来たときは、皆やる気はあるんです。

 

そこでやる気を無くさないうちに、基礎から教えてあげれば大丈夫とは思います。最初は2年生と1年生の授業を受け持ったんですけど……2年生には既にやる気の無さが植えつけられていたんです。でも、1年生の子はかなり食いついてきてくれたので、かなりの子がデビューしましたよ。4人は連載を持って、単行本まで出した子もいますから……教え方次第だと思いますね。


漫画元気発動計画やフォルテシモについて

Q:漫画元気発動計画の起こりについて――

 

【ヒカル】

先生は今、漫画元気活動計画やDomix、姉っくすなどネットや映像方面での活動が非常に多くなりましたが、このような企画はいつごろから始まったんでしょうか?漫画家さんやアシスタントさんはどちらかと言えば、メディアへの露出を嫌がる方も多いとは思うので。先生みたいにメディアに進んで出て行く方は多くはないとは思うのですが……

 

【樹崎】

元々はmixiSNS)からですね。そこで漫画家の友人が出来ていくのが楽しかったんです。根はオタクですから好きな漫画家と話せるのは楽しくて・・・

 

【ヒカル】

なるほど、始めはSNSからスタートだったんですね。

最初は割と軽いノリで始めたんでしょうか?

 

【樹崎】

順を追って話しますと……、SNSを始めたときは僕は専門学校の講師をしていたんです。SNSでは漫画家さんの知り合いが多かったんですが、講師としての体験記みたいなものをSNSの日記に書いたら凄くウケてたんですね。そうして、友達もドンドン増えていったんです。

僕はそこまで一般に知名度のない漫画家だと思うんですけど、僕はデビュー当時は『ff』という作品でジャンプの賞を全項目満点で受賞したので、ある一定の年代の作家からしたら一時期の僕はベンチマーク的なポジションでもあって、一瞬だけ憧れの的であったようなんです。

それもあって漫画家さんの間ではそれなりに知名度があるようなんです。一般には知られてないのに(笑)けど、そういうことがあって漫画家さんの知り合いが増えて行ったんですね。

 

【ヒカル】

SNS上で徐々に横の繋がりが拡散していったのですね。

 

【樹崎】

中には「実際、会ってみよう」とまで言ってくれる人も多かったんです。でも、当時の僕はそこまで行くとメンドくさいとも感じたし、コミュ障だし人と喋るの苦手だし(笑)

 

【ヒカル】

いやいや、先生はとても社交的ですよ。

 

【樹崎】

今は随分、慣れてきたんです。講師時代に色んな人と話して、人前で喋るのも慣れてきたんです。でも、未だに頭の中が真っ白にもなりますし、どもりますから……(笑)

関西出身なので、関西弁ならまだマシなんですけどね(笑)

 

【ヒカル】

僕も関西人なので分かります(笑)

今日、東京に着いたら当たり前ですけど標準語の人ばかりで「うわぁアウェーな環境や」って思いましたもん。

 

【樹崎】

で、そういう人たちとでも一度に会ってしまえば楽だなぁと思って、規模は30人くらいのオフ会を開いたんです。

そしたら、結構評判が良くて・・・。「またオフ会してくれ」という声も多かったんです。でも毎回、幹事はしんどいので人がやってくれるならという感じで、発起人という役職をもらって(笑)

 

【ヒカル】

そして、さらに回数も規模も増えて行ったんですね。

 

【樹崎】

それが年に12回ぐらいはオフ会を行うようになりました。

人数もあっという間に100人超えました。そこで人の繋がりが広がったんです。それ以前に漫画業界の友達が多いというわけではありませんでした。

 

【ヒカル】

それ以前は漫画家さん同士の横のつながりはなかったのでしょうか?

 

【樹崎】

ネットもないし、出版社が漫画家さん同志のつながりを良く思ってなかったので……。漫画家の横の繋がりはなかったです。今はそんなことないですけどね。会う機会がほとんど無かったんで。

 

【ヒカル】

昔は本当に仲が良い漫画家さんとたまに会うか、新年会やパーティで他の作家さんと会う程度だったんでしょうか?

 

【樹崎】

そうですね。僕はジャンプ系列の人しか面識なかったですね。他の出版社は完全に別世界ですね。関わりがほぼなかったです。

 

【ヒカル】

90年代では作家さんが他誌で連載するってのも、あんまりなかったですか?

今じゃ作家さんの移動もよく見かけますけども。

 

【樹崎】

そうですね。ネットとか出てきてから、情報が広がりましたから。

けれど今でも人気作家さんが他誌で連載持つのは難しいですよ。

例えば、とある出版社Aの作家さんが他誌Bのマンガ賞を取ったときなんて、授賞式ではしっかりガードされてますからね。

 

【ヒカル】

引き抜かれないように……ですね。

 

【樹崎】

まぁでも裏から他誌のマンガ賞をもらえるということは、「次はうちの雑誌で連載してね」っていう出版社からのアプローチがこっそりあったりするらしいです(笑)

そのあたりは編集者の噂話を真に受けた憶測なので真相は分からないですけど(笑)

マンガ賞はほとんど自社に所属する漫画家さんにしか与えることはないので……けれど、個人的にそれは間違ったシステムだと思いますので……、そこは批判しておきたいことですね。

 

【ヒカル】

なるほど、例えばなんですが……とある少年誌(A)の連載作品が他誌(B)のマンガ賞を取るのはそんな難しいことなんですか?

 

【樹崎】

滅多にないことですよ。

大抵は自分の雑誌で連載している作家さんだけです。

とある雑誌で連載していた漫画家やぶのてんや先生が他誌のマンガ賞を受賞したんですね。やぶの先生は編集には、「受賞の候補になってるらしいけど。かませ犬になるかもしないし、断っとく?」と言われたらしいんですけど。

やぶの先生は「いや、かませ犬でもいいんで受賞候補に残しといてください!」って言ったら、結果として受賞に繋がったらしいんです。だから、それぐらい業界の多くの人間は「他誌でのマンガ賞受賞なんて無理だ」と思っているんです。

 

【ヒカル】

現状では全ての出版社の作品から受賞作を決めるマンガ賞は多分ないですよね。

「このマンガが凄い!」っていうアンケート本(?)のようなものはありますが……今のお話を聞いた限りではそういう類のマンガ賞はなさそうです。

 

【樹崎】

書店が決める賞とか、公平に扱おうという本はいろいろありますね。

 

【ヒカル】

そこで全ての出版社、雑誌が共同出資して一大マンガ賞を作ると楽しそうですよね!

そこで1位だとか2位の漫画は当然、注目されますし。

 

【樹崎】

これだけ出版不況なんだし皆で手を組んでもいいはずなんだけどね。

 

【ヒカル】

先生がおっしゃっていたのをお聞きしたのですが、やはり日本の少子化だとかで漫画なども売れなくなってきてますもんね。

そういうどうしようもない流れ(少子化)があるなら、新しい取り組みが必要かもしれませんね

 

【樹崎】

そういうマンガ賞で日本を代表する漫画を決めて、世界に売り出せばいいとは思うんですけどね。

 

【ヒカル】

実際面では難しそうですか?出版社が手を組むのは。

ニュースで一部の出版社のプロダクションが合併したとかは稀に聞くんですけど、多くの会社はまだまだ独立して出版している形ですし。

 

【樹崎】

昔よりかは出版社同士で手を組んでますよ。単行本のフェアを2社で行ったりもしてますから。

まぁ……でもやっぱり、そういうことは難しいでしょうね。

 

【ヒカル】

単行本の話になりましたが、先生の短編集『ff』は長い期間ジャンプコミックスのカバーなどのコミックス情報欄に掲載されていましたのを覚えています。『ff』は短編集としてかなり売れたり、話題になったりしたのでしょうか?

なかなか短編集の話や売り上げについて聞くことがないので。特に今は少年誌から短編集はあんまり出ない印象ですし。売上とかが良かったんでしょうか?

 

【樹崎】

いや、そんな売上だとかが良かったとは聞かないけど。

ジャンプのマンガ賞で全項目満点で入選は多分『ff』だけなので。いきなりの本誌デビューでしたし……受賞時も誌面では異例の見開きでの受賞発表されて、破格の扱いではありましたね。それもあって色んな人の印象には残った作品にはなったと思います。

当時としては色んな意味で新しい漫画だったので……新人で見開きページを使うのがほとんど許されない時代でしたので。

 

【ヒカル】

そうなんですか?

見開きを使うことが制限されたりしていたのでしょうか?

 

【樹崎】

編集さんからは、「ページが短いのに、ページ数を食う見開きを使うな」的な指摘はありましたね。

僕も当時は「見開きはいらないだろ」と言われたんですけど。僕は「いや、絶対に見開きが表現として必要だ」って自分の意見を押し通しました。見開きは削らないでそこを引き立てるように他を直したら何も言われませんでした。

 

【ヒカル】

新人の見開き使用についても今と昔では違うんですね。

 

【樹崎】

何せ新人の投稿作だったから、見開きよりも内容を詰めることを求められてたんですね。さらに言うと僕は『ff』に色んな試みを盛り込んでて、青年漫画では江川達也先生がやっていたみたいにフリーハンドでの効果線をさらにグチャグチャに入れてみたり……、そもそも漫画の題材自体もクラシックピアノだったんです。

音楽を扱うこと自体が間違っていると言われた時代です。クラシックピアノを少年誌でやるのは相当常識はずれなことではありました。

 

【ヒカル】

90年代ごろはバトル漫画でトーナメントが流行ったり、超能力バトルがメインでしたもんね。

 

【樹崎】

うん。だからこそ、クラシックピアノという題材で作品を描いたことは、漫画志望者の人たちの心に刺さったと思うんです。

 

【ヒカル】

先生は最初から、普通の投稿作品とは違う方向性で作品を描こうと決めていたんですか?

 

【樹崎】

勿論、普通にやっては駄目だと思っていました。

ナカタニD.や克・亜樹さんを見ていたので、僕も工夫しました。ナカタニの描く線の凄さや克さんの描く物量に対抗するために、自分にできることを探したんです。他の人でしてない、できていない部分をやらなくちゃいけないんで。

普通の作品を描いても駄目、迫力のある線で勝負してもナカタニの線には勝てない。僕にとってのベンチマークはナカタニだったんです。あいつを超えるにはどうしてやろうといつも考えてたんです。

 

【ヒカル】

その試行錯誤の末にクラシックピアノを題材に、見開きを使うなどの創意工夫が生まれたのですね。今でこそ、青年誌では『ピアノの森』みたいにピアノを題材にした漫画も増えましたけど、当時は他にそういう漫画はなかったんですか?

 

【樹崎】

青年誌でも、そういう漫画はなかったと思います。

「漫画で音楽を表現をするって、どうなの?」みたいな時代だったので「音のでない漫画で、音を表現するのは変じゃないか?」と考えられていましたから。今となっては、そこが漫画の表現の面白みだと分かってるんだけどね(笑)

 

【ヒカル】

そこは先生がデビューした80年後半~90年前半ごろでは漫画界でも「こういうことを描いた方が良い」っていう流れがあったんでしょうか?

一般にも知られている話だと、『北斗の拳』が流行った後には劇画の作品が増えたとか聞きます。もしくは編集さんから絵柄などで指示を受けたことはありますか?「美少女を出せ!」だとか……

 

【樹崎】

いや、僕は『ff』を描いていた頃に編集さんから「君は男を描く漫画家だから、女性キャラを出さなくてもよい」って言われてましたよ。

内面の描写まで含めての話になりますが、そもそも今みたいにカッコイイ男性と可愛い女性のイラストを両方ちゃんと描ける作家さんが圧倒的に少なかった時代なんです。

現代では男性キャラも女性キャラも描ける作家さんは普通なんですが、昔はそれができる作家さんが少なかったんです。

 

【ヒカル】

そうなんですか!それは初めて聞きました。

 

【樹崎】

でも僕は可愛い子を描けないことが悔しくて、意地になって凄く練習したんですよ。

それで初連載の頃には、当時のジャンプでは可愛い女の子を描く作家の第一人者だった金井たつおさんっていう可愛い女の子を描ける作家さんが、僕の描く女の子を可愛いと言ってくれるまでのレベルに達しました。そしたら担当さんも「女の子もバンバン描いていいよ」と言ってくれるようになりましたね(笑)

連載では女性キャラを描くようになりましたよ。その時代ごとに色々な風潮はありますからね。

 

【ヒカル】

今はそういう風潮はないですよね?たぶん。

 

【樹崎】

うん。まぁ担当さんによっては色々あるでしょうけど。

結局のところ人次第だから。僕の担当さんがそうであっただけかもしれないし……。そもそも担当さんに言われたからと言って、100%直す必要はないんですよね。

指摘されたら、どっかしらは悪い部分があるので直すべきなんだけど……自分がやりたいことに関しては決して曲げる必要はないんです。このことについてはトキワ荘プロジェクトさんが出した『マンガで食えない人の壁』って本でも言及しています。

狙ってそういう構成にしたはずはないのに多くの作家が経験談として違うエピソードで同じ話をしています。

 

【ヒカル】

担当さんの意見も上手に取り入れて、自分の持ち味を活かすということですね。

 

【樹崎】

先日、新條まゆ先生とネット上の番組で対談したんですけどね、新條先生もやっぱり同じようなこと言うんです。売れてる漫画家さん、いや生き残ってる作家が皆同じことに行き着くのかな……

「自分のやりたいことは決して崩さない。でも言われたまんまで置いといても良いわけはない」

 

【ヒカル】

中には迷走しちゃってる人もいますもんね……。読み切り作品見るたびに方向性が違う方に伸びている人だとか。

 

【樹崎】

自分の描きたいことを見失ったら、モチベーションや情熱も消えて失せてしまうじゃないですか。それこそ何のために漫画家になった理由が分からないってもんです。

それで1流になれるわけもない。何かを言われたら、「自分の伝えたいことが伝わってないんだ」と反省して、どうしたら伝わるのかを考えなくちゃいけないんです。

 

【ヒカル】

担当さんから意見をもらい、でも自分の中で芯となる描きたいこと。それを自分の中で上手く調理して作品を完成させる。これが漫画家として成功する秘訣なのですね。通過点とも言えるかも。

 

【樹崎】

これはそれほどにどの作家さんも言うことなんので、一番大事と言ってもいいことなんじゃないかと思うんです。まぁ担当さんがついてからの話にはなるんですけども。

 

【ヒカル】

担当さんとうまくやっていくコツとかありますか?

時代によっても変わるとは思うんですけど。

 

【樹崎】

んー、まぁ良い編集と悪い編集どちらに出会うかは分かりません。漫画をずっと見てきた点に関しては多くの編集よりも漫画家の方が上だと僕は思うんです。

だから間にうけすぎない。でも他人・第3者の目は必要です。大抵の出版社の人間は勉強ができて常識がある人だから、そういう目線は入りますよね。でも頼りになる部分とそうでない部分がある。100%信用しろとは言いません。でも仲良くするにはとにかくコミュニケーションはちゃんと取りましょう(笑)

「こいつと仕事していこう」と思ってもらわないと、そもそも使ってもらえないですから。

 

【ヒカル】

どんな仕事でもコミュニケーションは大事ですよね。

 

【樹崎】

「コミュニケーションが凄く大事」っていう作家さんは多いですよ。僕はそこまでコミュニケーションを意識してないですけど、全然喋れないのは良くないと思います。

中にはそういったとこを凌駕する人もいますが、それはごくわずかの選ばれた天才ですからね(笑)

 

【ヒカル】

それは生まれついて、凄くスペックが高かったり……個性がとんでもなく強烈な人ですよね。

 

【樹崎】

「最初から人の言うことは聞かない」っていう人ではなくて。「人の言うことを聞けない部分」を持っている人が天才だと思います。

天才といえば、今や『ジョジョの奇妙な冒険』で有名な荒木先生はデビュー作『魔少年ビーティー(以下、ビーティー)』は正直かなり下手なんですけど、当時の漫画家志望者の中では「これは凄いな、新しい」という評価を得たんです。

 

【ヒカル】

 

……と言いますと?


読者の度肝を抜けっ!先生が語る「ギョッ」な体験

Q:キーワードは「ギョッ!」……読者の度肝を抜けっ!

 

【ヒカル】

荒木先生の連載デビュー作『ビーティー』はそれほどまでに画期的だったんですか?

 

【樹崎】

デビューしたての頃の荒木先生ですから

『ビーティー』はクールな作風ではあるんですけど内容が伴ってなかったりしてるんですよ。絵はまだまだ巧くないし、キャラは斜め立ちしてる。ただ、とにかく心に残ったんです。

「これは凄いな」……と。多くの漫画家志望者の家には『ビーティー』がありましたよ。そこから荒木先生がすごいのは、あの特徴的な斜め立ちを直さなかったんですよ。

 

【ヒカル】

斜め立ちは荒木先生固有の表現ですよね。

 

【樹崎】

担当さんなどに斜め立ち(人物が傾斜のない地面に対して、斜めに立っている)なんて、「なんでキャラが斜めに立ってるの?直したほうがいいんじゃない?」って絶対に注意されてると思うんです(笑)

でも明らかにおかしくても荒木先生は直してないんです。

 

【ヒカル】

でも先生は未だにキャラのポージングや立ち姿を斜めにしていますよね!

上手くいけば、そういう表現も持ち味(個性)になるということなんですね。一見、弱点に見えても貫き通して昇華していけば個性になってしまうわけですか……

 

【樹崎】

そういうことですよね。

悪いとこ全て直すということは個性が失われることでもありますので。

 

【ヒカル】

新人さんの読み切りでも絵は下手だったり濃いすぎても、その作品は印象に残ります。そこで絵も話も平凡だと僕ら一般読者からすれば、微妙な印象を持ちます。

 

【樹崎】

自分にとって何が武器なのかを理解できるいいんですけどね。『10年大盛りメシが食える漫画家入門』でも書いたんですけど、現代でモノが売れる要素って「ギョッ!」とすることが重要なんですね。

 

【ヒカル】

インパクトが重要なんですね。

 

【樹崎】

まさに荒木先生が出てきたとき、僕らは「ギョッ!」としたわけです。

元を辿るとジャンプという雑誌もそうだと思うんです。革命的なことや、新システムを打ち出す。良い意味でゲリラ的なことで、ジャンプはのし上がっていったはずなんです。

 

【ヒカル】

衝撃でいうと、車田正美先生の登場も漫画家志望者にとっては鮮烈だったのではないでしょうか?

 

【樹崎】

そうですね。

先生の代表作である『リングにかけろ』も初期は割と普通のボクシング漫画で、あんまり面白くないんですけど。これが必殺技:ギャラクティカマグナムとかが登場し、技名を叫んで殴ると相手が吹き飛んでしまうような表現が出た途端、作品は一気に人気爆発したわけです。

あれも、まさに「ギョッ!」とする話ですよね。ただのパンチで、人が死にかねないのは正に驚きの事態ですよね。やはり漫画には少なからずインパクトがいるのです。

どこに「ギョッ!」とする部分を盛り込むのかが重要ですよね。

気持ち悪かったり、馬鹿じゃないかと思われてちょうどいいんですよ。

では技巧は関係ないのかと言われるとそうじゃなくて、絵が尋常じゃない巧さを持っていたら、それだけで「ギョッ!」とするんでいいんですよ。大友克洋先生の『童夢』なんて、本当に驚きましたね(笑)

 

【ヒカル】

前回のインタビューをお受けしてくださった方もおっしゃっていたのですが……

やはり大友先生の絵は凄まじいわけですね。

 

【樹崎】

あの絵は凄いですよね。『童夢』を読んだときは、「うわっ、すっげぇ」って驚きました。

大学のときに電車の中で先生の新刊を読んだとき、電車を降りるよりも漫画に集中する方が重要になってしまって、そのまま終点まで行っちゃったんです(笑)

で、折り返して電車で戻ってきちゃいました(笑)

 

【ヒカル】

これは読むの止めたらアカンわ!……という状態ですね。

 

【樹崎】

そうそう(笑)「途中で降りられへんわ!」ってね。

それぐらいに衝撃的でした。

 

【ヒカル】

大友先生と言えば、いつも話に挙がるのは凄まじく緻密な背景ですよね。

アシスタントさんが過労死するレベルの背景ですよね。

 

【樹崎】

あそこまで書き込んだ背景はとてつもないですよね。大友先生の背景のおかげで漫画の可能性がグッと広がりましたよね。

普通、漫画といえばキャラがいて次に背景があるのが当たり前なんです。でも大友先生は漫画の中がまるで映画のワンシーン(映像の中)みたいなんです。『童夢』でキャラが空を飛ぶシーンなんて、背景が凄すぎてどっちが上か下か平衡感覚が分からないくらいの感覚になりました。

 

【ヒカル】

それでいて背景が崩れていないですもんね……。素人目に見ていても、現代のデジタルで描いたり、写真をコピーした背景よりも凄みがありますもん。圧倒されます。

 

【樹崎】

構造をしっかり理解しての作画だからですね。あれは本当に凄かったですねぇ……

 

【ヒカル】

そこにいくと、キャラの絵の話になりますと。人物を格好良くしたのは上條淳士先生でしょうか?個人的に僕が上條先生を好きなんです(笑)

 

【樹崎】

上條先生より元祖は江口寿史先生だと思うなぁ。

僕らの世代で一番センスの面で影響与えた作家さんだから。

 

【ヒカル】

江口寿史先生(代表作:『ストップ!! ひばりくん!』)の絵は可愛いですよね。たまらなく好きです。

 

【樹崎】

江口先生が頭角を表したのは、『ひばりくん』よりもその後の『ひのまる劇場』あたりと言った方がいいかもしれないなぁ。

絵が凄く、おしゃれで……どんどん進化していった。上條先生は江口さんから影響を受けた作家さんだから、江口先生のときほどの衝撃はなかったんだけどさらに突き進めたものでしたね。江口先生の絵は毎月、切り抜いて眺めたもんですよ(笑)

 

【ヒカル】

江口先生の絵は漫画というよりもポップアートに近いものがあるかもしれませんね。

 

【樹崎】

グラフィックデザインの影響をありますね。

色んなポップアートの痕跡が見える画風ですよね。先生はアートにもかなり通じてる作家さんなので、見てる側からしても「この絵はこういう技術は、こんなところから持ってきてるのか」とアレコレ感心しましたね。

 

【ヒカル】

それとなく漫画からアートへのオマージュを感じさせる点はまさに

「凄い」の一言ですよね。

 

【樹崎】

あの時代はポップアートが面白かった時代でしたしね。ヘタウマな画風が流行ったりも面白かった。

 

【ヒカル】

読み返すと、漫画雑誌にしても昔は表紙がもの凄いセンスのものがありましたよね。ガロだとか少年誌の表紙が目を引くものばかりです。少年誌とは思えない表紙も多かったり、今ではグラビアも多いですけど。

キャラの話になると、漫画として外せないのが「コマ割り」の話になりますが、樹崎先生からするとコマ割りのセンスが凄い漫画って何でしょうか?僕個人としては高橋陽一先生の『キャプテン翼』が今見ても、コマ割りがとんでもなくダイナミックに感じます。

 

【樹崎】

『キャプテン翼』の画面は凄かったですね。

僕自身も『キャプテン翼』からは大きな影響を受けましたよ。コマ割りも然ることなんですが、僕が『キャプテン翼』で凄いなと思ったのは効果音のデカさなんですよ。効果音が見開きで上下左右に突き抜けるんですよ。

 

【ヒカル】

効果音もコマ割りも見開きで色んなところに飛び散っているのに、視線がちゃんと次のコマへ移動してしまう流れが高橋先生の漫画にはありますよね。

 

【樹崎】

先生の作品は、キャラのセリフとか文字での説明が多いんですけど……パッとページをめくったときの迫力が随一ですよね。だから言って、当時のジャンプの中で絵柄が特別に迫力を持っているタイプではないんですよ。

『キャプテン翼』などの高橋作品の迫力の凄さはやっぱり書き文字ですよね。実際に生原稿に描くとき、あのレベルの書き文字の効果音って物凄く巨大なんですよ。印刷前だから、文字のサイズが凄まじくデカいんです。生原稿に向かうと書き文字の効果音がデカすぎてビビるから、多くの人はあんな表現はなかなかできないんですよ。

僕もナカタニも「そういうことをしなくちゃいけないな!」と話してたんです。色んな先生のレベルの高い表現をずっと探して、研究していましたね。その時その時代にヒットしてる作品から常にそうした影響を受けてきました。

 

【ヒカル】

様々な先生から技術を学ぶのも作家にとっては重要なのですね。

 

【樹崎】

ナカタニが高橋先生と確か、担当が一緒だったんじゃないかな。

だから、色々担当から聞かされた中で……表現として凄いと感じたのは……スポーツ系の作品で雨や雪を降らせることってです。単純な背景描写に見えて、実は奥が深いことなんです。

なぜなら、特殊なシチュエーションになることで弱い主人公が強い敵に勝てる状況が作り出せるわけなんですね。そういう仕組みを新人が作品に入れるのは凄いですよね。

 

【ヒカル】

そのようにして、先生たちが成長していったのですね。

 

【樹崎】

同じように、同期の新人の作品にも注目はしていましたね。

 

【ヒカル】

新人自体には競争意識のようなものは持っていましたか?

俗っぽく言うと「こいつは凄いな」とか「こいつには勝てる!」みたいな。

 

【樹崎】

そりゃもう、ぶっちゃけ当時は同世代の漫画家志望のほとんどには勝てるんじゃないかと思っていたんですけどね(笑)

色んな人から影響も受けたけど、身近な人間から特に影響を受けましたね。克・亜樹さんの『僕はこうしてキスをした!』っていう16ページぐらいの漫画が雑誌の増刊に載ったことがあるんです。それを見た瞬間、感動しましたよ。「うわぁ、やっぱり克さんは凄いなぁ」てね(笑)

その漫画の表紙に、先生が自分でつけたキスマークがあるんです(笑)自分の唇に墨をつけて原稿にブチュッとつけるんです(笑)

その作品は原稿にキスしたところが凄いわけではないんですけどね。

 

【ヒカル】

漫画原稿に自らキスですか!!?

 

【樹崎】

原稿にキスをしたのは別として、後の『ふたりエッチ』に通じるシチュエーションに関する考察が凄くてね。これはキスを題材にした漫画なんだけど。

「何%のカップルはこういう場所(映画館や体育館裏)でキスをする」みたいなデータが描かれているんだよ。そういうシミュレーション作品は面白いと感じましたね。

そしたら、ずっと後に発表した同じような『ふたりエッチ』が大ヒットしたわけです。あのとき『僕はこうしてキスをした!』に抱いた面白いって感想は間違ってなかったんだと思いましたね。

 

【ヒカル】

面白いものは時代を超えても読者の心を掴むんですねぇ。

 

【樹崎】

作家さんの多くは色んな能力が飛び抜けてるわけではないんで、特に現代の作家さんは1つの方向性に向かって能力を伸ばすべきだと思うんですよ。

手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生の時代は、云わば「どこを踏んでも新雪な時代」だったんです。けれど今の踏み荒らされた時代は1つの分野に秀でていないと受け入れてもらえない。

 

【ヒカル】

単にそれは職業漫画を描くとか、スポーツ漫画で頂上を目指すわけではなく?

 

【樹崎】

そういう意味ではないですね。

自分の魂の方向性を打ち出して描くことが大事だと思うんですよ。感覚を研ぎ澄まして、作家性を研ぎ澄まして勝負しないといけないわけです。これは田中ユタカ先生が「作家は一生同じことをずっと描き続けるべきだ。そうでないと読者への裏切りになるから」とおっしゃっていたことから学んだんですが……今はそういう時代だと考えています。

 

【ヒカル】

大事なのは自分の個性をひたすらに持ち続け、曲げないことですね。

新人の方にもそういうことを要求したいですか?

 

【樹崎】

色んなことを書かなくていいんです。

小池一夫さんは新雪の時代の人だし、原作者さんだから「自分のことを描いたら駄目だ」だとか言うんですが……でも僕としては作家は自分のことを描かないと駄目だと思うんです。

多分、ここ数年で一番漫画家さんと会って対談してるのは僕だと思うんですが……そうして多くの現代の作家と話した上でハッキリ言い切りますが……作家さんは皆、自分のことを描いてるんです。

 

【ヒカル】

樹崎先生が著書の『10年メシ』でも書いた自分の好きなことを作品に出すことで、作品に説得力が生まれるということですね。

 

【樹崎】

昔の作品でも人気があるものは作者さんが自分のことを描いてるパターン多いですよね。藤子F不二雄先生の『ドラえもん』は藤子先生のいじめ体験から来ている漫画ですよね。

先生はいじめられっ子で、何をやっても駄目な子供だったらしくて。そのとき誰かに助けて欲しかった。それを描きたかったらしいんですね。後は誰が助けにくるのかを描くだけの問題で、誰が問題を解決してくれるのかが問題だった。それが猫型ロボットのドラえもんになったんですよね。正に魂の作品でだからこそ時を越えている。

 

【ヒカル】

今でこそ、『ドラえもん』は漫画の基本、古典とも言える教科書的な作品ですけど、設定としては斬新ですよね。ありそうでなかった。

 

【樹崎】

富野由悠季監督(代表作:『機動戦士ガンダム』など)もおっしゃってるんですけど。

「作家は子供の頃の自分を助けに行くんだ」と述べています。まさに藤子先生は子供の頃、自分(=のび太)を助けるべく、ドラえもんを作り出したわけですよね。富野作品も大体、描いていることは同じですよね。大体、父親と母親が酷い奴なんですよね(笑)

 

【ヒカル】

そこで葛藤する少年が描かれますもんね。

 

【樹崎】

出てくる奴ら、ろくでなしが多いですよね(笑)

 

【ヒカル】

昔の漫画作品って、父親や母親がとんでもない奴っていうパターンも多いですよね。

今ではそれが物語を作るときの定石になっているとは思うんですけど。

 

【樹崎】

勿論、全ての作家さんがそうだとは言いませんけど、今ほど昔は裕福だとか幸せな家庭は少なかったですからね。そういう時代を過ごしてきた作家さんは子供時代に感じた何かを描かずにはいられなかったんだろうね。僕もそうでしたからね。

 

【ヒカル】

最近は漫画家さんもメディアに出るようになって、待遇は良くなったとは思うんですが……昔はまだ絵を本職にするという考えがなかったせいか、扱いは良くはなかったですもんね。先生も親からは漫画家になることを反対されましたか?

 

【樹崎】

ずっ~と無言の嫌がらせはありましたよ(笑)

描く邪魔まではされなかったけどね。向こうもそのうち僕が漫画家を目指すの止めるだろうと考えてたんでしょうね(笑)

 

【ヒカル】

けれど、そこを乗り越えれば良い作品ができますもんね。話をまとめますと……樹崎先生としては新人さんにはもっと自分のことを描いて欲しいわけですね。

 

【樹崎】

現代は昔ほど貧窮もしてないだろうし、不幸な生い立ちの子は少ないとは思うんです。親も子供を大切にはしてるし、親がそうでなくても祖父母がカバーする時代にもなっているはずですから。

 

【ヒカル】

時代も変化してきて作家性の傾向も変わってきたんですね。

 

【樹崎】

でも、「俺は人とここが違うんだ」っていう変態性は秘めているはずなんです。そこで勝負しないと!

変態な部分=人と違う価値観、人と違う逃れられない思いみたいなもの。そこが作家性の美味しいところですよね。

 

【ヒカル】

ある種のコンプレックスや葛藤……とも言えるでしょうか?

 

【樹崎】

コンプレックスと向き合うのは、凄く心や精神を削る作業なので、大変なんですけど。でも、それが作家ですよね。

 

【ヒカル】

先生も連載中は魂削って作品を描いたと著書『10年メシ』の中で見たのですが、連載中は色んな苦労とかありましたか?

 

【樹崎】

萩原一至先生の『BASTARD!!-暗黒の破壊神-』の元でちょっとだけ1話目と途中何話か助っ人アシスタントしたんですけど……萩原先生の絵へのこだわりに圧倒されて(笑)

これは自分も負けてられないと思って次の連載は気合入れました。萩原先生の13時間しか寝ない人で、寝るときも寝すぎたらいけないからって机の下で寝てたんです。苦しくてすぐ起きられるからって。そしたら萩原先生は本当に3時間で起きてくるんです。

 

【ヒカル】

萩原先生は描き込み量がとんでもないですよね。

 

【樹崎】

凄いのは描き込みだけじゃないんですよ。

ボツになった絵もページ量も凄まじいんです。1話目から原稿が落としそうと担当に聞いたんで、僕はアシスタントに立候補したんです。「俺、手伝いに行きます」って。萩原先生と言えば、当時のジャンプでもトップクラスに絵がうまい新人でしたからね。

僕としては間近で、その実力の程を見たかったんです。僕はそのとき最初の連載が終わった直後で、すぐにアシスタントに行けって言われるような状態ではなかったけど自ら進んでアシスタントに立候補しましたよ。アシスタントしに行ったら、部屋中にボツになった小さなコマの絵などが切り貼りしてありました。

 

【ヒカル】

萩原先生の話になると、どうしても休載のお話しにもなってしまうんですが……萩原先生はその強い絵へのこだわりゆえ原稿を落としてしまうこともあるんでしょうか?

 

【樹崎】

こだわりも凄いんですけど、当時のジャンプは1話目はオールカラーなんですね。フルカラーではなく、2色カラーなんですけどね。萩原先生は表現のために、1コマ1コマごとの表現のために紙を変えて、それを原稿に切り貼りしていたんです。

そうしてできた完成原稿は長方形じゃなくて、ガタガタの形で印刷所に出すんです。端っこがガタガタでも印刷には出ないのでお構いなしでした。紙くらい切り揃えようよ!とは思いましたけどね(笑)でも、そんなところより原稿の絵の質にこだわったんでしょうね。コマ単位で切り貼りしますから、1枚の原稿用紙の中にも薄い部分や厚い部分が出てきたんです。そこまでこだわるのは萩原先生くらいだなと思いましたね。あらゆる表現を使っていましたね。

 

【ヒカル】

それでも、なかなか休載って許されないですよね。

 

【樹崎】

まぁ普通はないことだからね。萩原先生はまつもと泉先生の元でアシスタントしていたので、どれだけギリギリまで行けるかも計算のうちだったといいますか(笑)

先生の元へアシスタントしたとき「本当の締切が、いつなのか知ってますか?」と言われてね(笑)

「本当の締切まで粘ろう」……ということがあったんですよね。あと今では許されないんですけど、どのコマにもマニュアルみたいなものがあったんです。とんでもない大量の資料があって、このコマはこれを元に描いて、別のコマではこの資料を描こうという感じで。萩原先生の凄いところは情報整理なんです。

 

【ヒカル】

情報整理……と言いますと?

 

【樹崎】

萩原先生の師匠であるまつもと泉先生も、萩原先生の凄いところはその情報整理能力にあるとおっしゃっていましたね。

色んな資料が必要なときに出せるようにしてあるのはパソコンが家庭にない時代、地味だけど手間がかかる作業で、でも必要なことだったんです。萩原先生は本当にそういうあらゆる努力をしていたと思うんです。今だとどのコマにもマニュアルがあるなんて言うと、怒られますけどね(笑)

時代はそれを求めていたしそうして漫画の技術は急速に伸びたわけです。

僕も構図や話とかを他所の有名な作家さんにパクられたこともあるんですけど。それは前向きに・・・「俺も表現を有名な作家にパクられるようにまでなったか」みたいで嬉しく思ってました(笑)

 

【ヒカル】

昔は参考資料が少なかったですし、週刊連載でどうしても資料が必要な時なんかはAmazonで頼むこともできないですもんね。それは仕方ないですし。それはそれで良い文化かと思います。

 

【樹崎】

昔は規制とかが緩くて、互いにこっそり文化や表現を盗み合って成長も出来ていましたから。良い時代・文化ではありましたね。ただ、僕も当時パクって描いた表現については今は恥じてるんですよ。だから、昔の連載作品はあまり外に出したくなぁ……。『ハードラック』ぐらいならいいんだけど。ある作品は二度と表には出したくない(笑)やっぱ作家としてね……残念なんです。

気が向いたら、出すかもしれませんけど。

 

【ヒカル】

自分の作品というのはキャリアが上がるにつれて、後悔も出てくるのですね。

 

【樹崎】

自分の憧れの作家さんが開発した話の構図を安易に使っちゃったなぁ……っていう後悔はあります。もう、そういうことはしないに限りますね(笑)当時はありでしたけどね。自分の心根が貧しかったなと。

 

【ヒカル】

でも、そこにいくとアフターヌーンで不定期連載の『ZOMBIEMEN(以下、ゾンビメン)』は納得した出来になったとネット放送でお聞きしました・

 

【樹崎】

はい。あの時は誰の影響も受けない、良い環境がありました。原稿料も描く時間もページ数も貰っていましたから……人気もあったので、あれを一生できたらとは思うんですけど、そうは思ったとおりには行かないですね(笑)

 

 

 

 

 



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