目次
はじめに
はじめに
宗教的表現について
研究者の方々へ - 検証中の仮説
外部リンクの表記、Android対応、訂正箇所のご指摘のお願い
概略
現在の症状
息子の誕生
さらに遠い通院へ
知らされなかった検査結果
アミノ酸分画検査結果
タンデムマス検査結果
合っているかもしれない仮説
閑話休題:創作話 トリケラお母さんの悲劇(# ゚Д゚)
DNA検査の実体験と仕組み
ミトコンドリアDNAの検査
ヒットカウント分析および共起性分析
23andMeのDNAアレイによる検査 - 販売停止命令に至る経緯
遺伝病とコモンディジーズの違い - 優性遺伝と劣性遺伝
ヒトはヒトであるが故にヒトの病を患う
コモンディジーズの検査方式 - アバウトなGWAS
23andMeの深刻な検査結果 - 統計の改善による影響
23andMeのその他の結果
エクソームシーケンシング
コモンとレアの重症度分布 - アレル頻度とエフェクトサイズ
個人向け遺伝子検査の選び方 - 罹患人口カバー率指標
閑話休題:製作物 DNAツリー
希少疾患と難病の制度および数値
希少疾患と難病の違いと制度的起源 - 日米欧比較
赤信号みんなで渡れば - 真面目な日本人の最悪の集団行動
もっとも希少な希少疾患 - 70億人にたった一人
もっとも正確な希少疾患の数 - 毎日約1つ希少疾患が増える?
希少疾患全体の罹患率 - 全部合わせると10~14人に一人
診断に至るまでの年数、または遅延 - 28年?!
GINA(ジーナ) - DNA検査時代の国民、患者を守る法制度
国民皆保険の功罪 - 患者をチェリーピッキングする医師達
節としてまとまらなかった事柄
希少疾患と感染症
感染症と希少疾患の関係 - 未診断の希少疾患という重症化因子
予防接種の健康被害としての未診断の希少疾患
希少疾患としての感染症 - 米国のAIDSの歴史
見えないところに死体の山
医師に頼らない因果関係の追求 - 脳症の本当の原因
更に複雑な感染症の話
医療訴訟が生み出す二次被害 - 無過失賠償制度の必要性
辛い記憶
両親を批判することについて
両親への間違った説明
辛かった学校生活
体育の次の時間に倒れてしまう
電車とバス
繰り返し運動による寝られぬほどの筋肉痛
食事の前後の発作
進化と感染症の間の遺伝性疾患
進化と感染症の間の遺伝性疾患
仮説の更なる展開 - 発見され増加を続ける希少疾患
卵子と精子の間の変異の導入の違い
感染症と遺伝性疾患で重度となる役割 - 男性淘汰進化説
絶滅のシナリオ - 感染症と遺伝性疾患の袋小路
進化のスピード調節 - もっとも強く訴えたいこと
進化と遺伝性疾患の「必然性の枠内の偶然性」
ダーウィンのUNdiagnosed
そして各論へ
遺伝学用語の混乱
遺伝学用語の混乱:genetic、遺伝か起源か
de novo変異 - 両親から受け継がれない優性遺伝の変異
個人向け遺伝子検査のガイドラインの乖離
みんなが保因者の劣性遺伝病? - 平均約10個の遺伝的荷重
劣性病的変異の健常者への影響 - 遺伝子プールの浄化説
あとがき
あとがき
これ以降分冊予定
▲▼そして各論へ
検証実験の山 - バッチ型検証実験の提案
希少疾患の中の更なる希少な患者群についての予測
環境因子か遺伝因子か
代謝異常についての進捗
遺伝子検査の2つの嘘
生まれの平等性または不平等性
▲▼生まれの平等性または不平等性
新型出生前診断と着床前診断 - 技術的に◯、倫理的に☓
生まれる前のDNA検査 - 科学的因果関係の追求ライン
技術としてのNIPT - 生まれのDNA検査の技術予測
我が子に故意に良くない遺伝因子を許容する親の罪
ディストピアな未来像 - 生まれの平等性が崩れた世界
不妊という社会問題 - 男性不妊と父性年齢効果
中絶による母体へのダメージ - 次の妊娠がうまくいく確率
着床前診断の問題点 - NIPTとの倫理的違和感
不妊治療としてのPGD - 不妊としての遺伝性疾患
生殖医療のリアルの写真
男女産み分けの国際比較 - 海外での生殖補助医療のリアル
着床前診断の潜在的なリスク - 子と女性へのリスク
フィルターされた人々による生まれの平等性、不平等性の支配
遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か
人権に基づく多様性、人権に基づく変化性
男性不妊と劣性遺伝病の完全予防 - 22世紀の精子起源工学
その他 - うまく分類できずとも価値のあるトピック
DNA検査の結果の公開 - シーケンシング機会の平等性
進化における神の概念
mtDNAとY染色体の永代性 - 未来の血縁者の不利益
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遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か

 [遺伝学用語の混乱]のうち、特にvariationを多様性としている部分について、変化性という名称の方が本来の訳である根拠を示す。ただし、すでに多型とそれなりにうまく区別され、diversityとの混乱も比較的抑えられていることから、語源学的に変化性の方が適切と検証したところで、本当に改定しなければならないものかどうかは、正直なところ分からない。[遺伝学用語の混乱]よりも遥かに後ろに位置する節となったのは、NIPTと、[フィルターされた人々による...]の節の様々なフィルタリングにより事実上の選別が行われている考え方を必要とするためである。

 

(日本人類遺伝学会が2009年に行った改定§ より)

 

1. genetics 遺伝学「意味:遺伝と多様性の科学」 遺伝学「意味:遺伝の科学」

 

1.本来 heredity とvariationの科学の意味で定義されたgeneticsがheredityのみの科学と解釈されがちな「遺伝学」と訳されたため、カバーする範囲が狭く解釈される傾向にあり、日本社会では「遺伝」が暗いイメージに結び付きやすい。遺伝学という訳語を変化させることはもはや困難であるものの、遺伝学が「遺伝と多様性」の科学であると改めて明確に定義する。

 

 遺伝と多様性の両方が、英語から導入されたにも関わらず元のニュアンスが保存されていないため、この手の用語改定の中で、意味を確認したり定義したりせずに唐突に使用すべきでない用語である。本節では多様性の方にふれる。

 

2. variation 多様性(バリエーション)         変異(彷徨変異)

 

2.初期の日本の遺伝学者がvariationを「変異」と訳し、それを「彷徨変異」と「突然変異」に分類したため、その後の用語と概念が混乱している。また、mutationに「突然変異」という問題のある訳を当てたため、更に用語と概念が混乱した。「突然」の用語は適当ではなく、多くの現在の研究者は「変異」をmutationの意味に用いている。以上の混乱を整理し、世界的な用語と概念に矛盾しないようにするため、variationに「多様性(バリエーションも可)」、mutationに「変異(突然変異も可)」を当てる。これに合わせ、mutantは「変異体(突然変異体も可)」、variantは「多様体(バリアントも可)」の訳を当てる。多様体は数学では別の意味(manifold)を持つが、使用される分野の違いを考えれば、混乱することはまずないと思われる。また、「多様性」は生物学全体、あるいは生態学ではdiversityの訳に用いられているが、意味は類似しており、混乱は大きくはない。

 

 "2.variation"について、「多様性(バリエーション)」との改定は、理想を言えば「変化性(バリエーション)」であった。「多」「様」というのは"polymorphism"を連想させ、「多型」との間で多少の混乱を生み出しているが、それほど混乱は大きくないはずである。"variation"は、"vary"「変わる」が語源で、直訳は変化であり、連続的な変化をイメージさせ、「多」という状態の数が数えられるかのような表現とあまり一致していない。変化だけでは一般用語と混じるため、学術用語であることを示すよう「性」をつければ「変化性」ということになる。多型とニュアンスが混じりやすい多様性よりも変化性の方が本来は合っていると思う。

 

 問題はもう一つあって、『「多様性」は生物学全体、あるいは生態学ではdiversityの訳に用いられているが、意味は類似しており、混乱は大きくはない』と述べられている部分である。ヒトに対する多様性と、ヒト以外の動物、生物に対する多様性は、当然別のものである。ヒトは生命倫理と人権によって厳重に保護されるべき研究対象である。他の遺伝学的な研究対象とは当然異なる。

 

 次の図に示すように、新型出生前診断(NIPT)により個体差ひいては多様性を積極的に制限するということが行われている。2013年以来、事実上の生まれの選択、生まれの制限により、自然な多様性から、人工的な多様性へと大きく方向転換したのである。すでに我々は、最大多数の最大幸福の論理に基いて、皆が高齢化の中で幸せに暮らせるよう、医療的高負荷、短命患児を間引いている。これは患児や当該の家系、高齢出産の夫婦、産婦人科医だけでなく、医療の負担ということを通じて皆の問題なのである。短命と一言で言っても、症候群なので、重症度の幅が広く、どこまで短命か分からないまま今現在も間引きが行われている。本当に短命なのか、本当にそこまで重症度が高いのか、もっと基準と診断をはっきりさせるべきではないだろうか。

 

 このような現状があって、多様性という用語について考えた時に、ある程度は、ヒトに対する多様性は、人権の幅の中に制限するということを、我々は考えてもいいのではないか、と私は思う。やはり、障害があるから産まないという意思決定も、半分は遺伝因子、半分は環境因子によって構成されるまだ見ぬ我が子という存在に、意図的にその新しい生命に他人より劣った遺伝因子を与えて貶めるということもまた倫理的問題があるため、人権の観点を強調して、肯定されるべきだと思うのだ。ただし、問題は本当にそこまで大きな障害かどうかなのである。同じダウン症候群の方々の間でも、あまりにも軽度と重度が違いすぎる。18、13トリソミーについては、一年生存率が20%未満なので、産まないという判断を私個人としては妥当と思うが、ダウン症候群のうち一年間生きられないと言われている4~12%かどうかを、もしも事前にNIPTで一年生存率の予測が分かるようになれば、妊婦の方々自身に、より正確な予測を提供して、判断していただくしかないであろう。極端な話、そういう予測ができるのかどうか現時点では分からないが、50年生存率の予測が80%となった場合に、そういった生命を間引くのは、やはり間違っていると思う方々の方が多いのではないだろうか。

 

 大げさな言い方をすれば、NIPTによりヒトの生まれの定義が変わった。特定の特徴を持った個体がかつてないほど積極的に排除されている。これまで自然だった多様性の状態から医療的、積極的にフィルターして制限を設けようとしているのだ。ただ、自然だった多様性と思っているものも、実は社会的に高齢妊娠になってしまう状況が作られているという意味で、完全に自然だったわけではない。文明化で晩婚化し、社会保障の不安で高齢妊娠が増えて、人為的な原因でトリソミーが増えているのだ。しかし、やはり、医療的な手段によって、大多数の人口を対象として生命のフィルタリングが系統的に導入されたのは、NIPTが日本の、人類の歴史上、初めてと言ってよいであろう。

 

 こういった状況下で多様性という用語を考えるにあたって、厳しい言い方をしてみる。遺伝性疾患の変異と、生物多様性を生み出し進化を引き起こす変異の間で、発生の仕組みに違いがなく、遺伝性疾患の患者は主として感染症に勝つために生物多様性を獲得するための進化の犠牲者である。したがって、生物多様性をヒトに対して無条件に肯定するということは、遺伝性疾患で苦しむ患者がもっと増えてもよいのだと言っているのとあまり違いがない。また、そういった患者は生物多様性によって自然に発生したのだから、もっと放置してもいいのだと言っているのとあまり違いがない。つまり、生物多様性と、ヒトで人権に基いてNIPTといった手段で制限されようとしている多様性を混ぜてはならないのである。

 

 英語では生物全体に対してはdiversityという用語を用い、ヒトに対してはほぼ必ずvariationという用語が用いられている。それなりに区別されているのだ。だから、日本語でも本来は両方が同じ多様性という用語であってはならない。これらはほぼ同じ意味だと日本人類遺伝学会は説明しているが、語源学的ニュアンスの違う用語である。diversityについて調べる。

 

diversity=>divert

divert (v.)

early 15c., from Middle French divertir (14c.), from Latin divertere "to turn in different directions," blended with devertere "turn aside," from dis- "aside" and de- "from" + vertere "to turn" (see versus).

 

このdiveristyの語源に合致するように、Wikipedia英語版のGenetic diversityでは、系統樹の上での進化の「方向性」が様々なように説明されている。つまり、日本語に冗長であろうとも誤解の少ないように訳すとすれば、diversityは多方向性、または多向性である。多様性ではない。しかし、残念ながら、ヒットカウント分析で、他方向性や多向性は十分な検索結果数を示さない。

 

"多向性" 約 101,000 件

"多方向性" 約 53,200 件

"多指向性" 約 12,600 件

 

(グーグル検索、2014年12月15日)

 

多向性が一応、上位にあるため、多少中国語が混じっているという違和感はあるが、あえて言えば、Genetic diversityは遺伝学的多向性、または、起源的多向性である。遺伝的多向性では、geneticではなくhereditaryと対応してしまうため、厳密さを追求する限りは遺伝的多向性という訳はありえないだろう。実際問題として、便宜上はありうるが。geneticは継承に重きをおかず発生に重きをおいた用語なので、ニュアンスとしては後者の方が正確である。また、もともと漢字自体が中国のものだから、中国でマイクのdiversityが多方向であることを多向性と言っているようなので、意味としては、合致しているし、私自身としては、近年は日本語から中国語へと導入した工業用語が多かったはずなので、逆にdiveristyについてのみ日本語が中国語に合わせてもいいのではないかと思う。もっとも、NIPTもある中国人が米国で学んで作った技術なので、これからもいずれ徐々に中国語から日本語への用語の導入が進むものと思われる。

 

 variationのvaryの方は空間的に変わるのか、時間的に変わるのか、物理学的にはどちらなのか区別したいところだが、実際には両方の場合があるようだ。だから、変化性あるいは多様性と訳して問題ないが、空間的、時間的のどちらの場合も含めて英語では述べていることだけ頭に置いておいた方がいいと思われる。

 

 Wikipedia英語版のページで言うと、Human genetic variationは、ヒトの遺伝学的変化性、または、ヒトの起源的変化性である。Genetic variationは、あえて言えば起源的変化性である。Genetic variabilityは、あえて言えば起源的変化可能性である。Biodiversityは、あえて言えば生物多向性である。Species diversityは、あえて言えば種多向性である。

 

 Biodiveristyの中に、次の3つの成分があるそうである。

 

taxonomic diversity

分類学的多向性(種多向性)

ecological diversity

生態学的多向性

morphological diversity

形態学的多向性

 

3つの場合でdiveristyで統一されていることから、おそらくだが、variationというのは、ローカルな変化をイメージし、diveristyというのが、大きな方向転換を含むのではないだろうか。つまりBiodiveristyのトップに"degree of variation of life"とあるのは、導入として分かりやすい変化を思い浮かべさせる意図があると思われ、その後に、大きな方向転換の説明が来ているように思われる。読者に分かりやすい部分から説明を始めるという、英語の説明文の意図を汲み取れずに、Biodiversityが最初にvariationで説明されているから、この2つが同一であろうという話になってしまったのではないだろうか。

 

 結局のところ、生物界全体のgenetic diveristy、biodiversityとちがって、ヒトにいたってはhuman genetic variationという、種内のローカルな変化について述べるため、variationとしてあると思われるので、やはり、diversityを多様性としようが、多向性としようが、variationはdiversityとは関係なく原語に忠実である必要があり、変化性であろうと思われる。

 

 

 日本人類遺伝学会による「遺伝学」の用語改定に話を戻すと、「heredityとvariationの科学の意味で定義されたgenetics」というのは、確かに過去においてはそう*なのだが、シーケンシングによって父母由来の変異が見分けられるようになった現在では、既に時代遅れの話である。[コモンとレア...]の節で述べたように、一つだけでは良性と見られる、つまりどちらかというと多様性のイメージに近い、SNPsの集合によって、アルツハイマー病といったコモンディジーズが引き起こされ、その一方で稀な変異により重度の単一遺伝子疾患が引き起こされ、その中間にBRCA遺伝子による乳がんが存在する。これらは頻度も重症度も連続的に分布しており、重度だからheredityだ、軽度だからvariationだとはっきり区別できるものではない。更に染色体異常症や、ヘテロプラスミーによるミトコンドリア病といった、実に様々な遺伝性疾患が存在し、やはり様々という限りは、遺伝性疾患も広義の多様性の中に含まれるはずである。更には、多様性という言葉の本質として、様々なものを広く含む方向で解釈するのが妥当であり、狭く解釈するのであれば、それは多様性という言葉そのものと自己矛盾する。だから、heredityとvariationを合わせて遺伝学だというのであれば、その遺伝学が文脈が与えられないとheredityとしか日英翻訳できない方がおかしいのであって、variationを強調するほどvariationがdiversityと区別されずに多様性と英日翻訳されている曖昧さが更に導入されてしまう。

 

 だから、ヒトの多様性と動物の多様性が混同されかねないよう、他の動物のdiversityを多向性として、variationを多様性とするというのでも、状況は一応は改善される。しかし、もっともよいのは、polymorphismとも区別して、diversityを多向性、variationを変化性とする選択肢である。

 


人権に基づく多様性、人権に基づく変化性

 本節では、多様性という用語に関して、まさに文字通りの意味で様々な用いられ方をしているために、[遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か]の節で述べるような、やっかいな状況となっているのを受けて、生物多様性とヒトの多様性を明確に区別するために、人権に基づく多様性という考え方を提案する。

 

 遺伝学が、英語本来の意味では起源学であったのに、日本でいつの間にか遺伝学となりheredityといっしょになってしまって、ニュアンスが違うことになった結果、遺伝学という用語のイメージを良くするために、強引に「遺伝学:遺伝と多様性の科学」としてしまったのは、調べれば調べるほど違和感がある。やはり、遺伝学の遺伝の印象が気に入らないなら語源にしたがって起源学とすべきであった。

 

 [フィルターされた人々による...]の節でも述べるように、多様性というのは、取り扱いが極めてデリケートであるべき用語である。生物の進化史の中では多様性はロマンを感じることができる言葉だが、ヒトにおいては、生死をかける形の、多様性の最も明確な表れが遺伝性疾患なのだということに、あまりにも配慮がなされていない。よい方向に受け取れば、生き方は多様でよい、疾患を患っていても自分なりにがんばればよいと言われているようで、生きることを許されている気がすると同時に、悪い方向で受け取れば、生き方は多様なのだから患者に対する社会的支援もなくてよい、患者は患者なりに最低限の人生を送ればよい、と無責任に言われている気もする。ヒトでも他の動物と同じだけ生物多様性を許容していいのだという考え方が広まると、遺伝性疾患は多様性や個性の一部だからという自己責任論が持ち上がり、遺伝性疾患と進化の恩恵の享受という本著の主要テーマの因果関係の議論がなされず、結果的に遺伝病やダウン症候群の患者、身体障害者、精神障害者への社会保障の軽減理由として利用されてしまう恐れがある。

 

 もちろん、学会は良心に基いて多様性と述べているのは分かっているのだが、時期が悪すぎる。いろんな疾患がGWASにより遺伝性を持っていることが次々に数値として明らかになっている現在では、多様性というただ一言がいろんな疾患の患者の生活に影響を及ぼしうるのだ。社会が原因ではなく、家系が原因であると証明されればされるほど、自己責任論は今後一部の疾患で強まっていくと予想される。実際に障害者自立支援法*は成立してしまった。本著では私が既に身障手帳を返却したので、障害者自立支援法の中身は全く触れないが、やはり、患者の自己負担を増す方向での法改定が今後も起こってくるはずで、そういう状況の中で多様性は結果的に格差を許容してしまうキーワードである。「日本人類遺伝学会」と、「人類」さえついていなければ、もちろん、こんなことは問題になるはずもないのだが、ヒトに対して用いるからには、多様性ということの定義を明確にすべきと思われる。

 

 定義を示さずに多様性と言及されると、三つ葉の野生型クローバーの間に、変異体である四つ葉のクローバーを発見して大喜びするような、子供じみた質(たち)の悪さを感じる。三つ葉のクローバーが多数派で、四つ葉が少数派なのは、何らかの理由で三つ葉のクローバーの方が生存にとって有利だからである。四つ葉のクローバーは幸福を呼ぶとされるが、四つ葉として生まれてしまったことがクローバー自身にとって幸福とは限らない。すぐに思いつくのは、四つ葉のクローバーで葉と葉の根本の部分が三つ葉よりも谷間の表面積として大きくなり、そこに病原微生物といったヒトの感染症に近い疾患として病原体が溜まって、免疫でカバーできずに絶滅するパターンである。これはヒトでも似た状況で、感染症に対抗できる新しい形質を獲得するために、膨大な数の遺伝性疾患の患者をいきあたりばったりな変異により生み出し続けている。我々は科学によって感染症に強い形質にはどんな変異が必要か、逆にインフルエンザ脳症となるCPT2といった変異をどうやって見分ければいいのか、年々明らかにしつつある。それほど科学の発展に成功した現代社会で、進化というあまりにも原始的で過酷なプロセスを用いて、人類全体を存続させるために、新生児の生存権や個人の人権を踏みにじり続けなければならないのだろうか。科学によって20年前なら信じられない数のセンテナリアン*を世界最大の人口比で生み出し続けるこの国で、なぜ科学によって遺伝性疾患の患児を生み出さないように欧米と同じだけの努力がなされないのか、そこに多様性だ、家系の問題だと、社会の研究投資や努力の問題にしない論調が学会レベルで形成されているせいではないのか。私はそう思っている。

 

 具体的に発生している問題を[新型出生前診断...]、[着床前診断...]の節で述べているが、概要としては、21万円を支払えず大きな病院へ何度も通院できないような貧しい夫婦ほど新型出生前診断が受けられず染色体異常症を患い、それに高齢妊娠・高齢男性授精という夫婦独自の事情が入っていると、生物学的多様性を理由にして、適切な助成を与えられなくなる可能性が生じる。これは今後技術が進んで新型出生前診断が高度になるほど深刻な問題になり、しかも本著では海外へDNA検査を発注するやり方が一つのテーマであるため、血液の場合については詳しくは述べていないが、それでも、いずれ高齢化により日本の医療はパンク状態となり、海外へより頻繁に検査の発注が行われることは間違いないと思われる。その中でも日本国内の検査の範囲だけでも生まれの平等性を貫こうとすれば、かなり早い段階からヒトに対する多様性をどの程度許容するのか、つまり、具体的にはどの疾患からどの疾患まで妊娠中絶といったことをしていいか、そういった生まれの検査のために貧富の差を含んでしまっていいのか、そういう民意への問いかけが本来は新型出生前診断の導入前に必要であった。それが問いかけられずに物事が進んでいるのは、遺伝性疾患を家族が患ったこともない人々が中心になって物事を決めているからとしか思えず、そうではないと反論するならば、無条件に多様性を肯定しないでいただきたいのだ。

 

 そこで提案として、ヒトに関する文脈だけは「人権に基づく多様性」とするのはどうだろうか。基本的人権、特に生存権を蹂躙するほどの生物多様性など、誰も望んで病気になるわけがないのであって、ヒトに対する多様性は人権の幅の中に制限されるべきものと考えるのが、適切とは考えられないだろうか。人権の方が多様性より優先することを、ヒトに対して多様性と言及する前に念押しすべきである。そうでないと助成や支援を減額する口実、新型出生前診断の高度化に伴う検査費用の高額化、ひいては貧富の違いによる生まれの差別化の口実を与えてしまう。口実とは言っても、誰かが悪意をもってそういう方向に向かわせるわけではない。基本が資本主義国の日本では、遺伝性疾患の予防目的でない男女産み分けのために、海外で着床前診断を受ける人口が存在するように、漠然と、しかし結果的に平等性が軽視される要素が至るところに存在し、かと言って希少疾患を診断せずに5000疾患を超えるところを705疾患までしかカウントしないような日本の医療に、夫婦が海外で医療を受けるのを制限する正当性は既にない。妊娠しにくい原因について、日本国内では診れない劣性遺伝の希少疾患の可能性があると主張すれば、多くは男子の方が重症化するのが進化的に当たり前なのだから、海外での着床前診断と女子への産み分けについて倫理的にも批判が難しい状況なのである。

 

 "1.genetics"について、『遺伝学「意味:遺伝の科学」』から、『遺伝学「意味:遺伝と多様性の科学」』へと改定したのは、やはり、多様性を具体的に限定する注釈が必要である。人権に抵触するような多様性を説明なく肯定すべきでない。繰り返しになるが動物を対象にして研究しているのなら何も問題はない。しかし、人類を対象に研究する人類遺伝学会なのだから、この遺伝学は主に人類遺伝学のことである。そして人類遺伝学というのは、学会のテーマとして相当頻繁にその意味を説明する必要があるから、わざわざ「意味:」と記したはずである。いったん説明すると決めたら、その説明を都合良く中途半端で終わらせるべきではない。その中途半端は遺伝性疾患の患者にとって都合が悪い。研究対象の検体に対して基本的人権という社会の誰もが守ることになっているルールに基づいた配慮があるべきではないだろうか。

 


男性不妊と劣性遺伝病の完全予防 - 22世紀の精子起源工学

 男性不妊と劣性遺伝病を完全制圧するため、また、現在NIPT(新型出生前診断)とPGD(着床前診断)で生じている中絶や卵子の選別という問題を解決するために、全ての選別過程を精子側で行う、精子起源工学を提案する。基礎技術の蓄積は順調に進んでいるが、全ての夫婦が同じ負担で平等に受けられるよう差別なく導入するには、22世紀に向けてのコンセンサスをなるべく早期に開始することが必要と考えられる。本節がその先駆けとならんことを願う。

 

 精子起源工学は、英語にするとSpermatozoa Genetic Engineering(SGE)と表すが、本著で日本語訳を問題にしているGeneticについて、遺伝ではなく起源とすることにした。[遺伝学用語の混乱:genetic、遺伝か起源か]で述べたように、geneticを親から子への遺伝的と訳しているのは誤訳または過剰修飾である。本来は親から子への遺伝という意味はなく、genusに由来する起源的という意味の方が適切である。ヒトが赤ちゃんとなって生まれてくる発生学的な意味で、根源という意味である。現在通用している訳で言うと精子遺伝工学ということになるが、精子起源工学とする方が名称が意味を表している。

 

 この技術はヒトの生まれによる疾患を予防するための、NIPTやPGDと同じ目的の技術であり、したがって貧富の差別なく全ての夫婦に利用する機会が与えられる必要がある。その実現には22世紀までかかると予測されるため、その頃になっても日本人は日本語を話しているであろうから、やはり英語と日本語の整合性をとりながら日本語で全ての情報が表現される必要がある。これから2050年と2100年の二回、SGEの実現まで半世紀の区切りが訪れることになるが、そのどちらかで、あるいはもっと早期に、英語から日本語へ導入されてしまった誤訳は修正すべきである。そう考えて、先取りする形で、精子起源工学と述べることにした。以降ではSGEと略称する。

 

Hayashi, Katsuhiko, et al. "Offspring from oocytes derived from in vitro primordial germ cell–like cells in mice." Science 338.6109 (2012): 971-975.

『体外培養にて得られた始原生殖細胞に由来する卵子からのマウス産出に成功』

引用元 143(2015年1月時点)

 

これが現在のところ、SGEに最も関係する最も優れた学術論文である。引用形式の都合上、先頭著者のみ示したが、実際には、京大の斎藤通紀(さいとうみちのり)さんのグループによる成果である。私はこの研究が山中伸弥によるiPS細胞の開発に匹敵するぐらい偉大な成果だと思う。以降でも著名人については敬称を略させていただいている。日本語のプレスリリースから引用する。

 

(『多能性幹細胞から機能的な卵子を作製することに成功』 京都大学, 2012年10月5日 より)

 

マウスで多能性幹細胞であるES細胞とiPS細胞から卵子を作製し、それらの卵子から子供を産み出すことに成功しました。これまで同研究グループは、雄のES細胞やiPS細胞から精子を作製することには成功していましたが、雌のES細胞やiPS細胞から機能的な卵子を作製した成功例は世界でもなく、その技術開発が望まれていました。

 

 研究グループは今回、雌のマウスのES細胞やiPS細胞を卵子や精子を作る元となる始原生殖細胞に試験管内で分化させて、それらをマウス胎仔の中から取り出した将来の卵巣になる体細胞と共に培養した後に、雌マウスの卵巣に移植することで未成熟卵子を得ました。それらの未成熟卵子を体外培養により受精可能な卵子にまで成熟させた後に、体外受精させることにより健常なマウスを得ました。これらのマウスは正常に成長し、子供を作る能力があることも分かりました。

 

 この技術の開発により、卵子が形成されていくメカニズムの解明に貢献するものと期待されます。また、この技術を応用することで不妊症の原因究明などにも役立つものと期待されます。

(略)

研究のポイント

 

マウスのES細胞、iPS細胞から卵子を作製

作製された卵子から体外受精により健常なマウスを得ることに成功

卵子形成メカニズムの解明、不妊症の原因究明などに貢献

 

解決しようとしている課題が皮膚といった体細胞から卵子や精子を作るという、誰でもわかるシンプルなものであるのに対し、その過程はかなり複雑であるため、この引用以降も細部の説明が続くが、私もよく理解できていない部分が多い。研究のポイントは控えめに慎重に述べられているが、実際には、これはヒトの生まれの仕組みを革新し、男性不妊だけでなく、全ての劣性遺伝病を制圧することが期待される、今後開発される巨大な技術体系の先駆けである。全ての劣性遺伝病とは、希少疾患の8割を占める単一遺伝子疾患のうち、特に重度となる約半分の成分で、実際に生きている人口が少ないため我々はあまり認識することがないが、新生児の死亡原因のおよそ8割である。今までご夫婦が泣いて諦めていた、生まれてすぐに失われる生命を、SGEの実現により一気に2割にまで抑制することができる。22世紀に向けてますます少子化に悩む日本にとって国家の生き残りをかけて開発すべき技術であり、この技術が実際に日本の研究者の成果によって実現に近づいていることも、素晴らしいことだ。それにも関わらず、現在の世間からの注目度はあまりにも低く、22世紀の日本民族の生き残りを決定する技術であるにも関わらず、まだまだ真剣に取り組んでいただいている研究者は少なく、予算的にも余りにも少なすぎる。iPS細胞は導入リスクの少ない成人の再生医療ばかりが注目されているが、生殖の生命倫理にまつわり、こういった技術開発が異端視されることになってしまうと、日本人としてあまりにもデメリットが大きく、生命倫理に外れないように研究予算の方向性を明確にした上で、より積極的に研究開発を促進すべきである。

 

 「生命倫理に外れないように」というのは、ES細胞であかちゃんの素である胚の転用と女性の肉体的負担が問題になって開発ペースが停滞した例があるため、生命倫理と開発ペースを両立させるには、研究予算の審査の段階で、生命倫理的な審査も兼ねることが理想的である。大変な予算が必要な研究であるだけに、倫理的に問題のある研究は予算審査の段階で排除できる点を本節では強調しておきたい。そのためには、審査員に国会の投票で専任された者を加える、議事録だけでなく録音や録画を公開するといった、よりオープンな形に向かっていった方がよい。技術的な部分はわかりにくい割に、倫理の問題は分かりやすいため、報道で取り上げられやすく**、 話が複雑化しないうちに、オープンにシンプルに、そして結果的に速く審査する体制が整えられると理想的であろう。

 

 技術的な課題として、皮膚といった体細胞から精子を作るというのは、体細胞というのはがんを生じることからも分かるように、変異が大量に導入されてしまっているため、実際問題としてリスクが高すぎてそのままでは使えない。ちゃんとした精子をつかって自然生殖しても、希少疾患が人口の7~10%を占めるほど多いのに、どんな変異がどれだけ蓄積されたか保証できない体細胞が使えるわけがない。がんが制圧されたならまだしも、成人の死因の第一位で、若年で発症する稀な種類のがんが現在も次々に発見され続けている。がんを発症するのは相当な程度まで変異が蓄積された後であり、単一遺伝子疾患の原因となるような変異はあなたの体にも現在も蓄積され続けていて、そのうち何割かは老化の形で表れているが、生殖細胞系列でないので子に伝わらないため我々は認識しないだけである。男児が生まれたときに臍帯血か皮膚繊維芽細胞を採取して冷凍しておくという方法が考えられるが、それらから精子を作る過程が複雑なので、将来の話である。当面の間、我々が男性から必要なのは、やはり、変異の程度を自然生殖と同じであると保証するために、コンドームなどから採取する精子そのものであり、理想を言えば、精巣生検による精原細胞である。そうしないと、生まれた子が遺伝性疾患を患ってしまった場合の原因として、SGEが追求されることになる。

 今までのNIPT、PGDでは「胚」または「胎児」そのものを「選別」、厳しい表現をすれば「間引き」していたことに、大いに倫理的な問題がある。ならば、圧倒的に数の多い「精子の側で選別」すればいいのではないか。その方が、女性の体に負担を強いて排卵誘発剤により採取する卵子の数も、PGDより遥かに少なくて済むのではないか。これがSGEで最も重要な点である。そして考えてみれば、精子の側でもしも劣性病的変異を完全になくすことができれば、両方の染色体に変異がなければ発症しない劣性遺伝病は生じない。さらには、Y染色体が世代を減る毎に欠失を受けて男性不妊の割合を年々増加させると予測されているのだから、精子の品質も向上させて、ちゃんとした生殖ができる状態の精子に作り変えることはできないだろうか。整理すると、次の3点のメリットとなる。

 

・精子の側で選別することにより、女性から得る卵子は選別しない。その分、排卵誘発剤の負担も少ない。

精子選別、卵子非選別

・精子の側で劣性病的変異を完全に排除することで、全ての劣性遺伝病を予防する。

劣性遺伝病の予防

・精子の品質低下による男性不妊を、精子の品質を向上させることで、根治する。

男性不妊の根治

 

しかしながら、最初に精子と受精するのは、女性から取り出した卵子ではなく、モデル卵子と呼ぶ理想の卵子である。つまり、モデル卵子とは、iPS細胞とゲノム編集の技術を使って、よりすぐってつくり上げる、日本人にとって理想の卵子のことである。これはつくり上げるのには極めて膨大な予算と時間がかかるが、一度作り上げてしまえば基本的に卵子とはES細胞なので、いくらでも量産することができる。つまり、量産すること自体を目的として、最初の段階では誰か一人の女性から排卵してもらう必要があるが、その一度の排卵さえ済めば、誰もその卵子の倫理について悩む必要はない。あくまでそれは、自分をES細胞として分化させて作る精子と、自分をES細胞として分化させて作る卵子と、いろんな膨大な手順を経てゲノム編集により劣性病的変異を排除した、量産目的のモデルである。もしもゲノム編集の技術が著しく発達すれば、母親か父親の体細胞から作成することが可能となるが、手順を少しでも減らして何百億円という予算を減じるためには、やはり一人の女性の卵子を元にするのがベストである。

 

 そしてその最初の一人の女性とは、言ってみれば、22世紀に生まれる日本人全ての祖母となる存在である。この構成だと、実は男性の方も祖父となってしまう。では、父は誰なのかというと、男性の精子とモデル卵子が受精して作られるES細胞である。量産可能なモデル卵子と、精子を元にしたES細胞もまた量産できるため、このES細胞の選別は既存のPGDの技術によりいくらでも可能である。つまり、最も品質がよい精子と受精したES細胞を選べば、Y染色体の欠失を受けていないベストな状態のY染色体を含むES細胞が得られる。そのES細胞を精子へと分化させ、女性から取り出した2~3個の卵子と受精させる。精子選別、ES細胞選別の2段階の選別がなされることにより、男性不妊は排除されるため、この受精がうまくいく確率は高いはずで、女性側に不妊の問題がない限り2個の受精卵を胚移植できるはずである。このうちどちらか一つが着床すれば、一人の子を授かり、2つともが着床すれば、同じ父系DNAを持つ二卵性双生児となる。つまり、一卵性双生児と自然受精の二卵性双生児の中間の、非常によく似た同性の二卵性双生児となる。

 

 この話から分かるように、最大の不利益は男性にあり、彼の遺伝情報は最終的には四分の一しか子にもたらされない。つまり、祖父である。しかしモデル卵子が全出生で共通であれば、生まれた赤ちゃんが成長して顔かたちがはっきりしてきたとき、祖父と父の中間の存在という程度に、子と男性は似ていると感じられるだろう。しかし、それでも、その子が自分の子孫であることは間違いないが、現在の意味での子と同程度の愛着を感じるかどうかは疑問である。やはり、祖父から孫への愛という程度にしか感じられない場合も多いであろう。この不利益を補填するため、子の性別決定権を、男性に付与するのだ。更には、モデル卵子として複数の候補があれば、モデル卵子の決定権も男性に付与することができる。男性の精子の側で選別を行った結果、男性の遺伝情報が減じられるのだから、性別決定権とモデル卵子決定権を、女性ではなく、男性に付与するのは、私はフェアだと考える。

 

 次なる問題は、果たしてモデル卵子となる女性は誰かということである。すぐに思い浮かぶのは、全ての日本人の祖母となるに最もふさわしい女性とは、皇族の中でもっとも国民の支持を受ける適齢期の女性である。現在の皇族の中で言えば、佳子内親王ということになるのだろうか。しかし、これは私の好みかもしれないので、実際に国民投票をしないと決まらないだろう。もう一つ問題があって、そういった国家の重要人物のDNAを研究のために公開してしまって、テロ対策として大丈夫なのかという心配が生じる。テログループにとってパーソナルゲノムウェポンの対象にしやすくなってしまうため、ずっと昔に冷凍保存された、皇族の女性の誰かの卵子という方が問題が少ないであろう。お世継ぎが常に問題となる皇族の女性に関しては、既に何度も採卵と冷凍保存が行われている可能性が高い。その中で、最も古い時代のもの、すでにご本人が天に召されてテロの対象とすることができないものを用いる方が賢明である。世代が古いほど、現在の世代の皇族の遺伝情報を推測することが難しくなる。理屈の上の話だが、イザナミの尊の遺伝情報を得ることができれば、もちろん、それがモデル卵子としてベストである。しかし、墓所さえも確かでないのに、いきあたりばったりで墓らしき場所から手当たり次第に骨へんを集めて環境サンプリングをやっても、ネアンデルタール人のようにうまく全ゲノムシーケンシングできるとは思えない。

 

Fu, Qiaomei, et al. "Genome sequence of a 45,000-year-old modern human from western Siberia." Nature 514.7523 (2014): 445-449.

『西シベリアの4万5000年前の現代人のゲノム』*

 

墓所の判明している中で最古の女性は、西暦600年付近の推古天皇なのではないかと思われる。ただ、得られるのは卵子ではなくあくまでゲノム配列なので、ゲノム編集で卵子として再構築するのに何百億円、何十年かかるかという話になる。まずは予備的研究を行ってプロジェクトの規模を明確にせずには行うことができないだろう。私の現在の予想としては、再構成に必要な予算規模を計算してみると非現実的という結果になるのではないかと思われるが、少なくともネアンデルタール人と同程度のゲノム解析までは比較的小規模で済むので、先行して行うべきではないだろうか。ネアンデルタール人のゲノム解析が成功してしまった今となっては、せいぜい1400年前ぐらいの骨など、技術的に難しくないように思われるため、もうどなたか専門の研究者が科研費の申請を検討していると思われる。しかし、世代を経るたびに起こった組み換えにより実質的には非常にわずかとなっているはずだが、現在の皇族が遺伝情報を受け継ぎ、利害関係を有する子孫と考えられるため、宮内庁に問い合わせた結果、稟議だけで何十年か待たされてしまう可能性もあって、まずは、推古天皇を日本女性の遺伝的モデルとしていただきたいという希望が国民の側にあることを、何らかの形で皇族および宮内庁にアピールする必要があるのではないかと思われる。

 

 他にもいくつかの考え方があって、単純に卵子を冷凍保存した女性のうち、国民の中で人気の高い女優や歌手といった非常に安直な考え方もできる。立候補する女性がいると、更に盛り上がるだろうが、収拾がつかない事態にもなりかねない。日本人以外の人種だが、正解一IQの高い個人である女性*の卵子がもしも得られるなら、たしかにそれも、科学的根拠として一理ある。より頭のよいあかちゃんが生まれた方がいいに決まっている。ただ、どう見ても日本人とは顔形が違うため、心情的に受け入れられないだろう。顔形が日本人に近いといえば、実は韓国人の方が古来の近親婚によって新生児の死亡の形で劣性病的変異が排除されて、わずかだが日本人よりも優秀な可能性が高いが、これは、実は天皇家にも近親婚が多かったため、同じ程度の優秀さなら、やはり天皇家の方がよいという話になるであろう。現在に至っても近親婚を続けていると劣性遺伝病を患ってしまって、しかも高度な現代医療により生殖年齢まで生き延びてしまう患者人口が増えているため、極めて苦しい人生を歩むことになるが、過去において近親婚をおこなって、それを現代に至って突然に停止した場合、近親婚の時代を生き残った子孫は集団遺伝学的に劣性病的変異が少なく優秀であることが知られている。一部の文学作品、アニメ作品*で科学的根拠なく描かれ、一般的に抱かれている先入観とは異なるため、いろいろな意味で物議をかもしそうな話であるため、こういった観点から深入りするのは、今のところ避けたい。

 

 モデル卵子を含んだSGEにより生まれた子では優性遺伝病についても改善されているはずで、更にSGEを介して2世代を経たなら、もっと優性遺伝病が抑制されると考えられる。世代を経て、モデル卵子に似るほど、理想の遺伝情報に近くなるためである。これにより男性不妊だけでなく女性の不妊も減る。ただし、世代を経る毎に、DNAの一様化が進み、単一の感染症のパンデミックに対して集団として弱くなるため、世代を経る前にモデル卵子のラインナップを拡張していく必要がある。一世代につき約25年、四半世紀かかると思われるため、一度それなりに高品質のモデル卵子が実現されたなら、それを改良、拡張していくのは時間的余裕もあるため容易であろうと予想される。

 

 実際問題として夫婦レベルでどこからとりかかるかという話になると、あかちゃんが生まれた時に臍帯血を保存しておいた方が有利である。そういった変異の導入された数の少ない、iPS細胞に近い幹細胞を利用した方が、あかちゃんが成人した将来、より安全に子を残せる可能性が高い。そもそも、NIPTやPGDなどという、間引きや選別を経ずとも、今生まれた新生児の臍帯血を冷凍保存しておけば、今から40年後にそろそろ仕事も安定したので、子を作ろうと思ったときに、臍帯血から、造血幹細胞、改良型iPS細胞、ES細胞を経て、高品質の卵子や精子へと分化できる技術が完成している可能性が非常に高く、そうすると不分離によるダウン症候群といった染色体異常症のリスクも最小化できると考えられる。ベストの健康状態の卵子へと分化させるのだから。盲腸といった全身麻酔手術を若年で受ける時に、卵巣生検、精巣生検で卵原細胞、精原細胞を採取した方が、造血幹細胞よりも更に変異は少ないはずであるが、機会の平等性を確保することができない。金額がばらつく可能性も高く、実施実績も臍帯血の方がはるかに上であるため、臍帯血移植にまつわり資金難*となっている公的臍帯血バンクを転用する方が、日本の医療全体にメリットが大きい。低コストで平等に半世紀を見込んだ臍帯血の冷凍保存をするための、公的臍帯血バンク、それも将来の個人利用を目的とした利用規定の策定が、急務であろうと思われる。ほぼ同じ目的のために、民間の臍帯血バンクも米国で普及し始めている*が、日本で今から資本主義的なやり方を採用するのでは、希少疾患を犠牲にしながらも作り上げた、日本の優れたコモンディジーズの国民皆保険医療と整合性がとれなくなってしまう。

 

 個人的な考えとしては、あくまで特別な経済階級の人たちに限られてしまうが、米国の臍帯血バンクを日本から利用しようとするのは、それなりに理にかなっていると思う。日本で個人利用の臍帯血バンクを新しく検討するよりも、米国のPGDを紹介している斡旋業者が既に存在するわけだから、彼らに英語書類を手伝ってもらいながら米国の臍帯血バンクと契約する方が、米国の圧倒的なスケールメリットを享受しながら、自由に利用できるはずなので優れた選択肢と思われる。米国のエクソームシーケンシングを受けた立場からすると、臍帯血バンクの方がシーケンシングよりもよほど金額はかかるが、日本語で米国の医療技術を体験して報告することにそれなりに価値があり、日本の公的臍帯血バンクの問題点を評価する意味から、完全に個人で受ける限りはそれほど悪いこととは思わない。少なくともコルベットやハーレーなどを買って米国車の排気で日本の皆が吸っている空気を汚染してぜんそくを促進するよりもよほどましである。コルベットやハーレーのサウンドにアメリカンを感じるよりも、米国のテイラーメイド志向の医療の質の高さに感動する方がよほどよいはずだ。日本の量産型ベルトコンベヤー方式の医療に慣れていると、払った金額の分は何を尋ねてもちゃんと考えて応じようと努力してくれることに、間違いなく感動するはずである。

 

 さらには、E-Cell**といった計算機的手段をもちいて、体細胞だけでなく、卵子や精子の挙動をシミュレーションする技術が、倫理に抵触しやすい実際の卵子の実験的研究に先行して安全性を確認するために開発されるべきであり、卵子や精子、受精卵といった、体細胞と比較して極めて種類の限られた単一の細胞を、さらにモデル卵子という限られたゲノム配列でシミュレーションすることになるため、一回だけ高精度なシミュレーションが行えれば、その計算結果の応用は無限大である。何十年かかる計算であろうとも、たとえ、グリッドコンピューティングといった日本中のパソコンの待機時間を利用しようとも、推古天皇の卵子の挙動はシミュレーションする価値があると思われる。なにしろ、すでに我々は日本史の江戸時代も鎌倉時代も含め1400年あまりも超えて、祖先のDNAをどうやって得て、どうやって我々の子孫の健康へと活用しようかという話をしているのだ。何十年かかろうが、実際の女性に胚移植するまえに、徹底的にシミュレーションで安全性を検証すべきではないだろうか。

 


DNA検査の結果の公開 - シーケンシング機会の平等性

 [遺伝情報差別...]の節で調べたように、日本では遺伝情報差別から患者を保護するための、米国のGINAに相当する法律がない。希少疾患が5000もあるとは考えられていないこの国で、少しでもましな診断を受けるためには、不安に思いながら、シーケンシング結果を公開するしかない。このようにかなり悲観的な考え方が基本になり、しかも日本人口の推定900万人とは言え、希少疾患は14人に一人という社会の少数派となるので、そこまで限った話を書いてもしかたないと悩んだ結果、本節では、DNA検査の結果の公開と機会の平等性について、それなりに共通性の高いトピックを挙げていくことにしたい。

 

 本著のテーマであるDNA検査の検査結果は、究極の個人情報とも呼ばれて、特に厳重な管理が必要と考えられている。2012年に冨田勝教授がご自分の全ゲノムシーケンシング結果を公開された§際は話題を呼んだこういった行為をするのは、利益にならないからだ。しかし、特別な場合には自分のゲノムは他人のゲノムよりも様々な議論を行うのに制限がないという利点がある。これによって冨田教授は教育目的として、自分のゲノムを教材として講義を行った。私は自分の検査結果を紹介しながら本著を書いている。もちろん、最終的には疑わしい変異を絞り込んで診断を得たいとも思っている。ただし私の場合は、本著を表すにあたって、著作権上の問い合わせを行った各所は私の本名を知っているが、本著自体は作家名で書いている。これは[あとがき]の節に示すように、私の変異のdbSNP登録をプライバシーポリシーの条件を満たして円滑に行うためである。加えて、多少は自分や家族の生活を守るという面もある。

 

 冨田教授のゲノム公開について、気がついたことがある。公式発表の資料には含まれていないが、公開は日本のデータバンクで行なわれているものの、全ゲノムシーケンシングそのものは日本の検査会社ではなく、中国の検査会社が行った。

 

本研究には、BGIの全ゲノムシーケンシング技術を用いられました。BGIのNGS技術サポートについて、慶應義塾大学荒川和晴研究員は「当研究所で日本初の実名ゲノム公開及びその教材利用を行う際に、BGIに解析をお願いしました。ヒトの全ゲノムリシーケンスのように大規模かつ精度を要求する解析を、限られた予算内で実現可能なパートナーとしては、BGI以外に事実上選択の余地がほとんどありません。そして、当然ながらその戦略的な価格だけでなく、ライブラリ作成やシーケンシングに関するBGI独自の高度な技術やノウハウがBGI信頼を確固たるものにしています。」とコメントしています。

 

いくらなんでも、「BGI信頼を確固たるものにしています」なんて、ここまでBGIを持ち上げるコメントを日本の大学の研究員がコメントしたとは思えないので、多少BGIによる脚色が含まれているものと思われる。しかし、私の場合も米国の検査会社でエクソームシーケンシングを行ったので、日本の検査会社のことを、総じて値段が高い割にパフォーマンスが低いという評価はできると思う。

 

 もちろん値段が高いのは患者のためにならない。患者としては、中国や米国の検査会社の参入は歓迎する。おそらく、世界の工場である中国との差はますます開くことになる。重要なのは、中国の検査会社で行ったシーケンシングの品質評価の基準と、基準に見たなかった場合のペナルティを決めることだと思う。大きな検査会社に対しては品質を下げないが、小さな検査会社に対しては、気を許していると中国の場合、米国や日本と比較すると大きな程度で品質を下げてくるはずだ。これは中国人が意地が悪いということではなくて、中国が10億人の競争社会なのだから仕方がない。日本で小規模のベンチャーなDNA検査会社が安心して中国の大きな検査会社に外注できるように、日本から中国に発注する場合のペナルティの基準を決めるべきだと思う。

 

 その上で、中国へ外注を行う日本の検査会社には、シーケンシング結果の解釈の精密さと、新たに見つかった変異の検証実験への仲介を行うことを期待したい。どうあがいてもコストパフォーマンスで中国には勝てない。分かり切っていることだ。ムーアの法則が働いた半導体産業でそうだったのだから、同じように幾何級数的拡大を続けるDNA検査でも同じことが起こる。中国へと外注しながら別の品質の高さで勝負するしかない。

 

 逆に中国に外注しない未来になってしまったら、日本の患者にコストの上乗せを押し付けて、他国の患者より不利な立場に貶めているのだと思う。

 

 また、冨田教授ご自身が分かって言っておられるのだと思うが、冨田勝教授の以下のコメントは、あまりにも説明が不足している。

 

最終発表会では、私の遺伝的な身体能力や知的能力、体質や病気のリスクなどの考察・議論がなされ、とても興味深いものだった。当たっていると思われるものや外れていると思われるものもあり、『ゲノムを見ればなんでもわかってしまう』ということでは決してないということが学生たちは体感できたと思う。一方で、体質や能力について統計的な傾向が分かるということも確かであり、それをどのように生活向上のために利用していくかが今後重要になる。

 

[フィルターを通り抜けた人々...]の節で図として示したように、生物学的フィルターを基盤として社会的フィルターが形成され、そのほぼ頂点にいる人々の中に冨田教授ご自身も入ってしまうのだ。これだけ社会的に成功した理系の成人を全ゲノムシーケンシングしても、うつや高機能自閉症以外何も大きなことは分からないのは当たり前だ。もっとも何も出なさそうな個体という特殊な全ゲノムシーケンシングなのに、全ゲノムシーケンシングなど意外なことは何も出ないと結論を一般化しすぎではないだろうか。本来は、自分がフィルターされた存在であることの特殊性についても言及すべきであった。ご自分のことをよく言うのは難しかったのかもしれないが。

 

 何かが出る全ゲノムシーケンシングとは、患者や小児だけのことを言っているのではない。綺麗事を抜きにしてはっきり言ってしまうと、社会的に成功していない人間ほど、全ゲノムシーケンシングをすれば思わぬ変異がみられるはずだ。いい意味で言えば、ひきこもりのニートをシーケンシングすれば、実は慢性疲労症候群や自閉症の因子が見つかると思う。治療すれば社会に復帰できる者もいるだろう。悪い意味で言えば、犯罪者をシーケンシングすれば、いくらでも罪の免責に使えそうな因子がみられるはずだ。疑わしきは罰せずという原則に従うと、病因性は証明されていなくても、精神障害と強く連鎖しているSNPsを持っているだけで、十分に罪は軽くなってしまう可能性がある。重い犯罪を犯した者ほど被告弁護士がゲノムシーケンシングを提案して、罪状の軽減を狙うのが普通の社会になってくるはずだ。

 

 道具は研究機関によってただ発明される。例え善意によって発明されても、特許という仕組みで商品にしてしまった以上、想定した使われ方にならなくても文句を言える立場ではない。後で悪魔に魂を売ったような気持ちになっても、自分の銀行口座に特許補償金が振り込まれているの気付けば、たいていの人間は気にしてもしょうがないと諦めるのだ。

 

 しかし、予防線を張ることはおそらくできる。何も統計や数値的根拠なきまま規制するのはもっともいけないことだが、DNA検査の結果が罪状の軽減といった利用のされ方をするであろうことに、将来のガイドラインを作るための統計を収集し、また注意を喚起するための最低限の予備的なガイドラインを設定することはできると思う。日本版GINA(遺伝情報差別禁止法)の検討と合わせて、統計を収集するための準備はできるのではないだろうか。

 

 エクソームシーケンシングの結果を、公的データベースに登録しようとしているが、前例がないため時間ばかりがかかっている。少なくとも、富田教授という健常者の例は見つけられるが、患者は難しいのかもしれない。冨田教授の場合、公開は日本のDDBJというデータバンク上で行なわれているので、私もそれに申し込んでいる。他にも健常者のエクソームシーケンシングの結果を登録できるサイトはあっても、患者は登録することができないようだ。ドイツのGene-talkのサイトでエクソームシーケンシング結果を登録する場合、次のように申告する必要がある。

 

I read and understood the information material about the purpose of the personal exome project and I am not affected by a genetic disorder.

私はパーソナルエクソームプロジェクトの目的についての資料を読んで理解しました。私は遺伝病に罹患しておりません。

 

良性の多型の情報だけを収集して、後に患者の結果からそれらを除外し、病的変異の抽出に役立てるためだ。患者に対するサービスの方は、民間のものは残念ながら全てそれなりの費用がかかるようで、登録したい者ほど遠ざけられている気がする。

 

 これは公的な全ゲノムシーケンシングについても言え、日本人健常者の全ゲノムシーケンシングは1000ゲノムプロジェクトの頃から行っている。具体的には前のリンクの中で"Japanese in Tokyo, Japan (JPT)"という記述があり、105名の日本人が登録されたようだ。しかし、患者が求めて全ゲノムシーケンシングを受けたいと思っても問い合わせる窓口さえない。また、日本の巨大複合プロジェクトである、ゲノム支援のサイトには、2011年度のある報告書の中で、「健常者データとしては新学術領域研究「ゲノム支援」で産出された exome 68 検体」§という記述がある。2011年以前に、およそ70名の健常者ばかりをエクソームシーケンシングにかけたということだと思うが、本当に無作為抽出で選んだのだろうか? 自費で受けなければならない患者の身としては、公費で健常者の全ゲノムやエクソームのシーケンシングを行うのに、どんな方法で無作為抽出を行ったのか知りたい。本当は健常者と言っても、特定の遺伝病の患者の親族とか、完全に無作為には選び抜いていないのではないだろうか?

 


進化における神の概念

 進化における神についての考えは、まだ固まっておらず、日を改めて後日検証しながらまとめるつもりであったが、それっぽい方に連絡をとる必要が生じたため、急遽まとめたものである。あくまで、途中経過なので、[ダウン症候群...]の節で述べる他種への愛について皆様といっしょに調べる際には、本節は一応、関係ないことにして議論させていただきたい。そうしないと、そこまで固まっていないところに、更に固まっていないものを載せてしまうので、混乱の元である。本節はあくまで備忘録的なものである。

 

 しかし、結局のところ、他種への愛と、進化における神とは、同じ現象を両側から見たものだというのが私の主張なので、一方通行で申し訳ないが[ダウン症候群...]の節に基いて話を進める。ヒトとチンパンジーの共通祖先様になる際に、間に染色体異常症の中間種を介して、その前の染色体が1対少ない種から進化したと考えると、この染色体1対分の大進化は2段階で起こっている。つまり、前種から中間種、中間種から共通祖先様という2段階で、その間に、前種が中間種を哺乳類的に可愛らしかったので狼などの捕食者から保護し、中間種、または前種と中間種の両方が共通祖先様を哺乳類的に可愛らしかったので同様に保護した、その結果、他種への愛をもった集団だけが共通祖先様への進化の階段を登れた。これが染色体異常症が連続して起こる形であっても、自然環境で生き残れた理由であろうと推測した。

 

 これは前種や中間種から見た場合なので、他種への愛という形、姿形が多少ちがっても哺乳類的に可愛ければ愛するという行動であったが、保護される側の立場になって考えれば、まるで前種や中間種が神の様に強い存在に思えたことだろう。何しろ、染色体異常症は10以上の比較的軽度の優性遺伝病の合併症である。それが比較的短い期間で二重に起こっている。合計した重症度としては相当なもので、いくら運がよくとも、狼といった捕食者と闘って食べ物や水を手に入れるには、やはり誰かが助けたから生き残ったと考える方が、誰も助けなくても生き残ったと考えるよりも尤もらしい。その助けた前種や中間種が神なのである。つまり、全種や中間種といった、自分達と姿形は多少違っていても、基本的には似ていて、しかも強くて賢い存在、これはまさに我々のイメージする神そのものである。

 

 こういった神を称え、従順であった集団だけが、前種からの保護を受け、生き残り、前種に対して容易に攻撃的姿勢を取る集団は、保護を受けられずに、淘汰されたのではないだろうか。つまり神の概念を欲し、神を称えることで、自らの安心と安全を確認しようとする、我々の習性は、自分達と似て異なるが力強い別の種に対して、従順であればあるほど、生存率が向上したという過去の現象の、適応の結果と言えるだろう。

 

 しかし、いずれは、共通祖先様が大集団となった際には、食べ物、水、土地をめぐって、中間種を見捨て、前種を裏切って攻撃しただろうと思われる。これが世界中の伝説で語られる「神殺し」に通じるのではないかと思われる。しかし、言語が発達していなかったであろうから、直接的に前種の時代まで神殺しの歴史を遡れるとは思えない。伝説における神殺しは、基本的には前種に対する神殺しと現象として同じはずだが、もっと後の時代に起こったものと思われる。強い力をもった自分達と違う種族、それも孤立して自分達の近くで山中など目立たずに生活している個人が神に見えて、それを豊作の間は神と称えていたものを、洪水や干魃といった自然災害が起こった途端、愚かにも原因を取違え、退治してしまった比較的後期の現象が、現在伝説で言う神殺しであろう。具体的には、天狗は一人漂流して流れ着いたヨーロッパ人*だと引き合いにだされるが、山神*とも台風を呼ぶため討伐の対象とも見做された点で、古来の前種と共通の特徴がある。実際、[ミトコンドリアDNAの検査]の節の最後に示したように、人種として中期に発生したヨーロッパ人は人種として後期に発生したアジア人にとって前種の概念に近い。強く、たくましく、そして縁起がよいことに白い、日本文化が好みそうな神のイメージと一致している。

 

 しかし、これでは、犬や猫にとっても、飼い主が神だということになってしまう。従順であればあるほど食事や棲家を与えてくれる強い存在だからである。同じ哺乳類なのだから、多少似ているのも事実で、犬の場合は稀にヒトの真似をして前足で手の動きを表現したりする。猫を含めると決して従順でなくマイペースなところもあるため、やはり当てはまりにくいのだが、犬については、より従順で愛想のよい種、しかも哺乳類的に可愛らしい種しか、現在我々の目の前にはおらず、資本主義的な商品価値という理由から繁殖が推奨されないうちに消えてしまった種も多いはずである。犬の場合は、まさにヒトに対して基本的には従順で、しかも時々いたずらをして子供らしい愛されやすい行動をとることが適応の結果と言えるだろう。

 

 まとめると、神の概念は、染色体1対分の進化の過程で、弱い自分達が、姿は多少違ってもよく似ていて強い前種から、保護を受けるために従順に行動するという適応の結果である。おそらく、共通祖先様が経験した染色体1対分の大進化の際が、もっとも近年、そういった保護がなければ生き残れなかった機会であろうと思われる。

 

 しかし、いずれにしても、どんな仮説を立てるにしても、その共通祖先様ってどんなの? という疑問が次々に湧いてくる。発見されている化石の種の中で、一番近いのはどれなのだろうか? ネアンデルタール人のDNAでさえmtDNAしか読めず核DNAが得られないとか、最近まで言われていたので、染色体1対増えた直後の共通祖先様がチンパンジーやヒトとどのぐらい違う存在であったのか、分かってくるのは非常に時間がかかるのかもしれない。

 



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