目次
はじめに
はじめに
宗教的表現について
研究者の方々へ - 検証中の仮説
外部リンクの表記、Android対応、訂正箇所のご指摘のお願い
概略
現在の症状
息子の誕生
さらに遠い通院へ
知らされなかった検査結果
アミノ酸分画検査結果
タンデムマス検査結果
合っているかもしれない仮説
閑話休題:創作話 トリケラお母さんの悲劇(# ゚Д゚)
DNA検査の実体験と仕組み
ミトコンドリアDNAの検査
ヒットカウント分析および共起性分析
23andMeのDNAアレイによる検査 - 販売停止命令に至る経緯
遺伝病とコモンディジーズの違い - 優性遺伝と劣性遺伝
ヒトはヒトであるが故にヒトの病を患う
コモンディジーズの検査方式 - アバウトなGWAS
23andMeの深刻な検査結果 - 統計の改善による影響
23andMeのその他の結果
エクソームシーケンシング
コモンとレアの重症度分布 - アレル頻度とエフェクトサイズ
個人向け遺伝子検査の選び方 - 罹患人口カバー率指標
閑話休題:製作物 DNAツリー
希少疾患と難病の制度および数値
希少疾患と難病の違いと制度的起源 - 日米欧比較
赤信号みんなで渡れば - 真面目な日本人の最悪の集団行動
もっとも希少な希少疾患 - 70億人にたった一人
もっとも正確な希少疾患の数 - 毎日約1つ希少疾患が増える?
希少疾患全体の罹患率 - 全部合わせると10~14人に一人
診断に至るまでの年数、または遅延 - 28年?!
GINA(ジーナ) - DNA検査時代の国民、患者を守る法制度
国民皆保険の功罪 - 患者をチェリーピッキングする医師達
節としてまとまらなかった事柄
希少疾患と感染症
感染症と希少疾患の関係 - 未診断の希少疾患という重症化因子
予防接種の健康被害としての未診断の希少疾患
希少疾患としての感染症 - 米国のAIDSの歴史
見えないところに死体の山
医師に頼らない因果関係の追求 - 脳症の本当の原因
更に複雑な感染症の話
医療訴訟が生み出す二次被害 - 無過失賠償制度の必要性
辛い記憶
両親を批判することについて
両親への間違った説明
辛かった学校生活
体育の次の時間に倒れてしまう
電車とバス
繰り返し運動による寝られぬほどの筋肉痛
食事の前後の発作
進化と感染症の間の遺伝性疾患
進化と感染症の間の遺伝性疾患
仮説の更なる展開 - 発見され増加を続ける希少疾患
卵子と精子の間の変異の導入の違い
感染症と遺伝性疾患で重度となる役割 - 男性淘汰進化説
絶滅のシナリオ - 感染症と遺伝性疾患の袋小路
進化のスピード調節 - もっとも強く訴えたいこと
進化と遺伝性疾患の「必然性の枠内の偶然性」
ダーウィンのUNdiagnosed
そして各論へ
遺伝学用語の混乱
遺伝学用語の混乱:genetic、遺伝か起源か
de novo変異 - 両親から受け継がれない優性遺伝の変異
個人向け遺伝子検査のガイドラインの乖離
みんなが保因者の劣性遺伝病? - 平均約10個の遺伝的荷重
劣性病的変異の健常者への影響 - 遺伝子プールの浄化説
あとがき
あとがき
これ以降分冊予定
▲▼そして各論へ
検証実験の山 - バッチ型検証実験の提案
希少疾患の中の更なる希少な患者群についての予測
環境因子か遺伝因子か
代謝異常についての進捗
遺伝子検査の2つの嘘
生まれの平等性または不平等性
▲▼生まれの平等性または不平等性
新型出生前診断と着床前診断 - 技術的に◯、倫理的に☓
生まれる前のDNA検査 - 科学的因果関係の追求ライン
技術としてのNIPT - 生まれのDNA検査の技術予測
我が子に故意に良くない遺伝因子を許容する親の罪
ディストピアな未来像 - 生まれの平等性が崩れた世界
不妊という社会問題 - 男性不妊と父性年齢効果
中絶による母体へのダメージ - 次の妊娠がうまくいく確率
着床前診断の問題点 - NIPTとの倫理的違和感
不妊治療としてのPGD - 不妊としての遺伝性疾患
生殖医療のリアルの写真
男女産み分けの国際比較 - 海外での生殖補助医療のリアル
着床前診断の潜在的なリスク - 子と女性へのリスク
フィルターされた人々による生まれの平等性、不平等性の支配
遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か
人権に基づく多様性、人権に基づく変化性
男性不妊と劣性遺伝病の完全予防 - 22世紀の精子起源工学
その他 - うまく分類できずとも価値のあるトピック
DNA検査の結果の公開 - シーケンシング機会の平等性
進化における神の概念
mtDNAとY染色体の永代性 - 未来の血縁者の不利益
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生殖医療のリアルの写真

 本節では、生殖医療の写真をパブリックドメインから選んだものを示す。多少、グロテスクな部分が含まれてしまうが、高齢妊娠、高齢男性授精、不妊、遺伝性疾患について考える際には、これが産婦人科医の方々が夫婦に示さないリアルであろうと思われる。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


男女産み分けの国際比較 - 海外での生殖補助医療のリアル

 当初、この節では、医療目的でない男女産み分け、および、そのための海外での着床前診断(PGD)について、批判的な内容を記していたが、[仮説の更なる展開...]の節で記したように、遺伝性疾患の大多数で男子が女子よりも重度になるのが進化的に当たり前と思えるため、日本の夫婦の多くが希望すると言われている女子への産み分けについては、どうしても肯定的にならざるを得ない。現在の段階では、あくまで情報の提供、ウェブページの紹介に留めることにした。

 

“女性のいない世界”は絵空事ではない!?歪んだ未来をもたらす行きすぎた「男女産み分け」――『サイエンス』誌記者 マーラ・ヴィステンドール氏に聞く』 大野和基, 2012年8月7日, ダイヤモンド社

 

最も大規模に男女産み分けが行われているのは中国で、男子への産み分けである。中絶といった倫理的に問題のある措置がとられているとも言われる。

 

"Sperm sorting" Wikipedia

 

男女産み分けの新技術として、MicroSort社のフローサイトメトリーによる精子選別法。

 

Rorvik, David M., and Landrum Brewer Shettles. "Your babys sex: now you can choose." (1970).

 

日本で出回っているピンクゼリーが有効といった情報は、上記の文献で示されたもので、もはや古い。

  

Michelmann, H. W., G. Gratz, and B. Hinney. "XY sperm selection: fact or fiction?." Human Reproduction & Genetic Ethics 6.2 (2000): 32-37.

 

フローサイトメトリーの方が、他の方法よりも優れているが、決して100%ではない。

 

"ESHRE Task Force on ethics and Law 20: sex selection for non-medical reasons" W. Dondorp et al., Accepted March 19, 2013

 

EUでは、医療目的でない男女産み分けをこれまで否定してきたが、重度から軽度へと医療目的の範囲を広げて規制を緩和しつつある。フローサイトメトリーをPGDの前段として用いることで、男女産み分けが技術的に容易になるからである。多くの遺伝性疾患が女子より男子が重度なので、女子への産み分けが正当化しやすくなる。また、ファミリーバランシングという名称で、家族としての男子女子両方を得たいという夫婦の希望を、第二子以降に限るといった条件をつけながら、肯定する方向で話が進んでいる。しかし、まだ決定事項ではないようだ。

 

「代理出産は480万円」「男女産み分けは160万円」 年間100組以上の日本人夫婦が利用するタイの生殖医療事情』, リプトン和子, ウートピ, 2014.08.06より

 

国内でいくら規制されても、タイに渡れば生殖補助医療の多くが利用できてしまう。

 

韓国の生殖ツーリズムと生命倫理 ―日本人間の渡韓卵子売買をめぐって―』 渕上恭子

 

海外で生殖補助医療を受けた中に、日本に帰国して以降、特に患児が生まれて問題を起こすケースがあるようだ。

 

 LCCの登場で航空機運賃が安価になり、海外旅行者数が平成25年(2013年)の統計で1,747万人に上った。のべ人数を無視してざっくり試算すると実に国民の13%が1年間に一度は海外に出ていることになる。今や日本の国内で医療を国際基準よりも制限すればするだけ、日本の中だけで医療を考えている人口と、日本の外で医療の機会を探している人口の間で、巨大な格差医療が出現しようとしている。日本の医師は英語の壁にぶつかってまで国外に出ることにあまり興味がないため、多くは日本国内だけ見て、日本の平等医療を自画自賛し、自分達の苦労も報われていると考える方々が多いと思う。しかしその実、海外で医療を受けた人口は統計に出にくいだけで、毎年のように増えているのだ。その極端な例がPGDと言えるだろう。

 


着床前診断の潜在的なリスク - 子と女性へのリスク

 当初、この節では、着床前診断(PGD)の潜在的なリスクについて、PGDに批判的な内容を記していたが、[男女産み分け...]の節と同様に、[仮説の更なる展開...]の節で記した理由で遺伝性疾患の大多数で男子が女子よりも重度になるのが進化的に当たり前と思え、日本の夫婦の多くが希望すると言われている女子への産み分けによって多少なりとも遺伝性疾患のリスクが回避できるという事実が存在してしまっているので、どうしてもPGDおよび男女産み分けに肯定的にならざるを得ない。そういった男女産み分けの土台の部分で複雑さがあるため、現在の段階では、あまり詳しく調べても曖昧さが増すばかりなので、当初の節より小さくまとめ直すこととなった。

 

"Bust a Myth about PGD/PGS" Fertility Authority, 2014年10月7日閲覧 より

 

"The good news is that embryos damaged by PGD appear to experience an "all or none" effect — they stop growing, rather than sustain long-term damage," she says.

「不幸中の幸いと言えるのは、PGDにより傷ついた胚は、『全か無か』(ゼロか百か)で影響が表れることです - 長期にわたるダメージを受ける前に、それらは成長を止めるのです」とのことです。

Embryos that continue to grow after the biopsy do not become abnormal as a result of the biopsy and are not at greater risk for miscarriage or birth defects.

生検の後も成長を続ける胚は、生検の結果としては異常となることなく、流産や先天異常を引き起こすリスクがより大きくなることはありません。

 

PGDでは8分割ぐらいしかしていない胚から、8分の1を切除するので、言ってみれば、胚の大きさをヒトの体で考えたなら、手足をもぎ取られるぐらいの侵襲を受けることになる。この結果、他の7細胞に大きな傷を付けてしまうと、その胚はあっさり死んでしまう。だから傷がついた胚は排除されて患児として生まれないと言われているが、男性不妊や父性年齢効果で精子だった時の影響が自閉症や統合失調症などの形で及ぶことが統計として出てくると、やはり精子を含んで生じる胚にほんの僅かであれ傷がついたら、子が成人してからその後遺症に悩まされることは起こりうる。なにしろ、1990年に最初のPGDのあかちゃんが生まれて、まだ24歳なのである。人生の後期に患う疾患、特にアルツハイマー病について評価されるのは、ずっと時間がかかるということになり、その点に着目した学術文献がある。

 

Yu, Yang, et al. "Evaluation of blastomere biopsy using a mouse model indicates the potential high risk of neurodegenerative disorders in the offspring." Molecular & Cellular Proteomics 8.7 (2009): 1490-1500.

引用元 32(2014年12月9日)

 

The mice generated after blastomere biopsy showed weight increase and some memory decline compared with the control group. Further protein expression profiles in adult brains were analyzed by a proteomics approach.

割球生検の後に生まれたマウスは、コントロール群と比較して、体重増加およびいくらか記憶力低下を示した。更に、成体の脳におけるタンパク質発現プロファイルが、プロテオミクスのアプローチにより分析された。

A total of 36 proteins were identified with significant differences between the biopsied and control groups, and the alterations in expression of most of these proteins have been associated with neurodegenerative diseases.

全部で36種類のタンパク質について、生検を受けた群とコントロール群で有意な差異が認められ、これらのタンパク質の多くで発現の変化が神経変性疾患に関連付けられてきた。

Furthermore hypomyelination of the nerve fibers was observed in the brains of mice in the biopsied group.

更には、生検を受けた群のマウスの脳において、神経線維のミエリン形成不全が観測された。

This study suggested that the nervous system may be sensitive to blastomere biopsy procedures and indicated an increased relative risk of neurodegenerative disorders in the offspring generated following blastomere biopsy.

この研究は、神経系が割球生検の手順に敏感である可能性があることを示し、割球生検に続いて発生した子孫において神経変性疾患の相対的なリスクが増加したことを示した。

Thus, more studies should be performed to address the possible adverse effects of blastomere biopsy on the development of offspring, and the overall safety of PGD technology should be more rigorously assessed.

それゆえ、子孫の発達についての割球生検の有害作用を同定するため、より多くの研究が行われるべきであり、PGD技術の全体的な安全性をより精力的に評価すべきである。

 

この実験結果を読む限りは、マウスでPGDに似た実験を行うと、アルツハイマー病のリスクが高まるという結果になっている。この研究が中国の研究グループによって行われているのは皮肉で、まだ日本ほどアルツハイマー病が大問題になるほど高齢化が進んでいるとは思われないし、また、PGDというドラスティックな手段で特に不妊治療に関係して新しい生命を守らないといけないほど、子どもが少なくて困っている国でもない。日本の方がこういった研究の需要は高いはずで、ぜひ、日本でもこういった研究を行ったいただけたらありがたいと思う。もしもこの文献の実験結果が再現してしまうのであれば、とてもややこしい話になって、PGDなどとんでもないということになる。

 

 ここまではPGDによる子へのリスクについて述べたが、不妊治療ひいてはPGDによる母体へのリスクも存在する。

 

 男女の生物学的な役割の違いから、女性の方が責任と劣等感を感じて不妊治療に拘っている場合が多いと考えられる。不妊治療を行ううちに、35歳に達して、リスク的に限界と考えられる40歳に達するまでの5年間に、不妊治療として潜在的な遺伝性疾患の可能性を排除するため、海外でのPGDに手を出すのであれば、ここまで調べてきて分かるように、やはり相当に下調べをして慎重を期さないと逆に子や女性にとってリスクが高くなってしまう可能性がある。例えば排卵誘発剤の注射でアナフィラキシーを起こした場合は、抗体を通じて次の不妊治療のリスクへと反映されると考えられるため、アナフィラキシーを起こした薬剤の種類を教えてもらえないだけでも、後日におけるリスクとなってしまう。特に米国と違って英語で医師とやりとりができる保証がないアジアで安く受けるという選択肢は、安全を考える限り、アジアの安価なPGDを受けた者からのクレームやインシデントの件数が分かるまでありえないのではないだろうか。

 

 不妊治療は、真面目に妊娠しようとすればするほど、40歳という実際上の期限に向かって、35歳から苛烈に進んでしまうことが多いはずで、ある意味、希少疾患の診断と似ている。希少疾患の診断は歩いて自分一人で大学病院に通院できるのが診断の限界で、老化や症状の進行によって体力が衰え、通院中に事故を起こしたときが引き際である。私の場合はすでに通院中に自動車事故を起こしているので、半分引いた状態である。半分というのはまだ電車通院はギリギリできるので、DNA検査を自宅で受けて疑わしい変異を絞ってからいずれ通院することにして、今に至る。しかし、これはもしかしたら子に渡してしまった可能性がある病的変異を同定しようとして行っているのであって、子を直接的に危険にさらしているわけではないから、そこまでギリギリでも何とかなるのである。しかし女性が不妊治療を追求する場合は、自らが障害を負ってしまったら、将来妊娠する子にとってもマイナスにしかならない。不妊治療中にアナフィラキシーを起こしたりすれば、妊娠中に何か起こっても投与できる薬剤を制限してしまうだろう。女性が苛烈な不妊治療によって広い意味での障害を負い、その障害がさらに妊娠を困難にする可能性まで考えると、自然となぜそこまでの行為を男性側が止めないだと発想にいきつく。これは、もちろん、男性が女性を止めるべきなのである。本当にその女性のことを愛しているのならば。

 

 結局のところ、男性が女性を守るという役割が不妊治療において発揮されていないことが、日本の不妊治療を苛烈なものにしているのではないだろうか。私もここまで調べるまで、こういった観点から自らが妻の安全を考えて来なかったことに気付いた。何となくこのまま進むとまずいとは思っていても、不妊治療をやめようと言うと女性が怒り出すので、結果的に身を任せているナヨナヨした男性が日本で多いことが、おそらく問題の背景にある。日本では男子よりも女子を多く望んで男女産み分けをしようとしているということは、跡取りとして男子が欲しいという男性的な発想では考えられておらず、妊娠の行為の主体が女性で、もともと不妊治療は女性の意見の方が強く出る傾向があるのだろう。PGDをアジアで安価に受けるなどと、そこまで女性が自らの健康を犠牲にしてまで、と思える苛烈な発想が実行に移されてしまうのは、こういったことが背景にあるのではないだろうか。

 


フィルターされた人々による生まれの平等性、不平等性の支配

 [新型出生前診断...]の節と[着床前診断...]の節で、NIPTとPGDの間で格差を付けた導入のされ方が、既存の患者に対する配慮よりも採血で済むという便宜が優先されたように見受けられ、[遺伝学用語...]の節で、「多様性」という用語の導入のされ方として、単純な生物学的多様性よりも「人権に基づく多様性」が強調されるべきなのに、そうなっていないと述べた。こういったこと、つまり、遺伝性疾患の既存の患者を軽視したかのような意思決定が国の単位で次々になされること、しかも、学会のガイドラインや見解という形なので、国会を通っていないために民意が反映されずますます不平等に見えるという傾向、この現象を説明するために図を描いた。

 学会のガイドラインや見解が、生物学的・社会的フィルターを通り抜けた人々、つまり大学教授や医師の中の限られた層だけによる国民全員、その中で特に遺伝性疾患の患者の家系に対する意思決定を行っている現状を示したものである。私がNIPTとPGDの対象疾患についての国民投票などと持ちだしている理由である。[進化と遺伝病...]の節の「見えないフィルターによる必然性の増大」の図がすでに生物学的フィルターを描いたものなので、その後の過程として社会的フィルターを結合させたものである。つまり、何が言いたいのかというと、生物学的フィルターを基盤にして社会的フィルターが形成されることにより、遺伝性疾患を患うような家系は意思決定に参加できない仕組みが、学会によるガイドラインであり、見解なのである。むしろ、目に見えるような遺伝性疾患の要素が少しでもあったならば、結果として徹底的に排除される仕組みになっている。「目に見えるような」というのは後述する例外があるからである。

 

 図を上から辿ると、親の世代から来る卵子・精子から新生児までは、[進化と遺伝性疾患...]の節で述べた通りである。膨大な数の変異と淘汰が、出生までの間に起こり、生き残った胚だけが新生児となるが、その後も過酷なフィルターが待ち受けている。「遺伝病(先天性異常等)」により、小児のうちに天に召され、また「感染症(インフル等)」との闘いで、CPT2に変異があるとインフルエンザ脳症を起こして重度障害を負ってしまう方々もいる。「若年自殺(いじめや病苦)」の段階から、社会的フィルターの傾向が強くなるが、社会的フィルターと生物学的フィルターを完全に分離することはできない。例えば、自殺の中にも病苦によるものが含まれるからである。「進学高校入学試験」「大学入学試験」「医師国家試験など専門試験」と進んでいって、上司との人間関係などで「社会的挫折」を負わなかった者だけが医局に准教授などとして残れても、ここに至るまでのストレスなどで「うつ・自閉症悪化(理系の職業病)」して教授にまで登れない者も多いだろう。そうやって生物学的要素込みの社会的フィルターを生き残った教授陣とそのお気に入りの部下だけによって学会のガイドライン・見解というのは作られるので、「遺伝病(先天性異常等)」という早い段階で排除されてしまう遺伝性疾患の患者の考えから遠く外れた内容になるのは当たり前のことなのである。これが私が国民投票か、最低でも国会を通すべきと主張する根拠である。

 

 ここまでフィルターされた限られた人々で決めてしまっても、現場に出ている産婦人科医や小児科医といった責任が重くて、重症例を診ている人々が中心になっているのであれば、まだ納得いくのだが、[遺伝学的検査のガイドラインの乖離]の節で述べた10学会ガイドラインのように、本当に遺伝性疾患の悲惨な現場を知っているのか疑わしい人々、それも我々が接したことがないと思われる職業の人々が多く含まれていると、口を挟んで理屈をこねまわしているのは、実は軽症例しか知らない人々なのではないかと思えてくる。具体的には、もしかすると遺伝カウンセリング系の人々が、大きな障害になっているのではないだろうか。なぜなら、本当に悲惨な症例というのを経験したことがなく、現場を知らないからである。それにも関わらず対象の疾患を診ているからと主張してガイドラインに口を挟める。現場とは、具体的にはrare genetic disorders in babiesで画像検索した結果のような世界のことである。なお、このキーワードはグーグルのオートコンプリートによって得たもので、この手の検索キーワードとしては2014年11月現在世界的に最も頻度が高いはずのものである。こういった世界を知らずに、フィルターされた自分達が中心の世界観で判断すれば、「多様性」という言葉をありがたがって、生物学的多様性をそのままヒトに対して適用できるかのように誤解してしまっても無理はない。繰り返しになるが「人権に基づく多様性」と述べてもらわないと、まるで遺伝性疾患を持って生まれてくるのを運が悪かったのだから許容せよと言われているようだ。生存権を蹂躙するほどの多様性を誰も望んで生まれてきたわけではない。あくまでヒトの多様性は人権の幅の中に制限されるべきものなのである。

 

 小児科医や産婦人科医は、決して全てとは言わないが多くの医師が、遺伝性疾患の悲惨な世界を知っているはずである。なぜならこういった患児が生まれてしまったときにどうすべきか、責任問題でもあるし、想定しておく必要があるからである。そもそも生まれた時点で1年生存率が50%を切っていると予測できるような症例は、より重度の患児を厚く診るという倫理の観点から対応するのは限界があり、その限界に悔し涙を流した小児科医は多いはずだ。しかし、遺伝カウンセラーの口からはどうも具体例として軽症例ばかりを挙げていて、重度の例は統計でしか認識していない気がしてならない。今までに2回遺伝カウンセリングを受けているが、これが私の印象である。それなのに同じ疾患を診ているからと口を挟む権利だけは確保されている。理屈ばかりがこね回される事態の原因はこういった事情が主なのではないだろうか。複数の学会の間で学会間のパワーバランスに振り回されて、より重度の患児を厚く診るという倫理を省みる余裕がないまま、より重度の症例を診ている医師により大きな決定権が与えることができず、ガイドラインが作られているのではないだろうか。これが、最も重度の遺伝性疾患に対応できるPGDが規制され、比較的長期生きられるダウン症候群の間引きを主なターゲットとしてNIPTが実施されてしまう遠因なのではないだろうか。しかし、あくまで遠因であり、直接的に日本人類遺伝学会がPGDNIPTの見解に口を出したようには見えない。共著にもなっていない。むしろPGDという重度寄りではなく、NIPTという軽度寄りになっている原因は、最終的に重度の患児が天に召されるのを見とる現場の小児科医が口を出していないことに原因があるのかもしれない。産婦人科医は生まれた際の悲惨さは知っていても、患児が1年間闘って天に召される時のご両親の沈痛さは把握していない可能性が高い。組織のしがらみの中でバランスをとるのが難しいのかもしれないが、患児の出生と最期、両方に配慮してPGDとNIPTのガイドラインは制定していただけることを願ってやまない。

 

 もう一度、図の説明に戻って細かい点を述べると、遺伝病以降は、生きた人口が存在するが、社会的な意思決定の中央へと到達しにくくなってフィルターアウトされる、と考えている。若年自殺は亡くなった人口が多いので、例外として扱った方がいいようにも思えるが、未遂による後遺症も込みで考えると、必ずしも例外とは言えない。うつ・自閉症の悪化のうち、うつについてはよく知られていると思うが、先天性のものを含めて高機能自閉症は理系で罹患率が高い***、言ってみれば理系ひいては医師の職業病である***。これが本節の最初に「目に見えるような」遺伝性疾患は排除されるが例外があると述べたものである。なお、本著では、「遺伝病」を狭くて遺伝性の高い単一遺伝子疾患を示し、「遺伝性疾患」を疾患の範囲を広めにとって染色体異常症を含んで用いている。今回も後述する理由で遺伝性がそこそこ高いと証明されれば遺伝性疾患の範囲に含めていいだろうと考えた。図の最後の段階として、左側の細い線で描いたように、親から子へと社会的ポジションが受け継がれていく場合もあるだろう。それほど多くないと見込んで細い線として描いた。子で遺伝性疾患が発生して初めて、現在この生まれの平等性・不平等性を取り仕切っている社会の意思決定メンバー諸氏の中には、生物学的多様性など誰も望んでいないと気づくものがいるのだろう。

 

 だったら、多少は、生まれの不平等性を味わっていただいてもいいだろう。うつと高機能自閉症を医師法の相対的欠格事由の中に含めるのか、統計的かつ遺伝学的に調査をして、いずれ国会で議論するのだ。現在のところはうつも高機能自閉症も精神疾患ではないために該当しないが、近年、医師による不祥事や医療過誤の影に、統計をとると、うつや高機能自閉症を患っている一部の医師に偏って問題を起こしているのではないかと推測するのは、誰でも思いつくことだ。医師という画一化された職業に限ってGWASを実施すれば、一般人口よりもかなり正確に予測罹患確率が出るだろう。GWASで職業を限れば限るほど環境因子が排除されて数値が正確になることが分からないような馬鹿な医師がいらっしゃるとでも? 医師という人口を対象に研究すること自体が医学の進歩を加速するはずなのに、なんでこれをやらないのか、という話である。画一化されているという意味では、これ以上に理想的な職業は存在しない。図中で医師国家試験の段階までこんなにも狭くフィルターされたこと自体、理想的に一様な患者群であることの証明である。それなのになぜやらないのかというと、もちろん、やりたくないからだ。社会の辺縁の遺伝性疾患などに混じりたくない、そう思っているから、医学の進歩に結びつくのにやらないのである。将来的に准医師という資格など作られて、DNA検査の結果で同僚の後ろに格下げされるのもごめんだからだ。

 

 どうだろう? 遺伝情報差別される気持ちが少しは分かっていただけただろうか。途中、遺伝カウンセラーが重症例を重く扱っていないように見えることに医師と比較して不満を示したが、最後は医師制度を悪用して医師だけを批判する形になって、フェアではない展開になってしまったことをお詫びしたい。医師制度は画一化されているために何かと批判しやすく、遺伝カウンセラーは批判しにくいのである。遺伝カウンセラーと日本人類遺伝学会がどこまで関係しているのか、という点を誰もが読めるようにしていただきたいというのも要望したい。実は、他の遺伝カウンセラーの学会との関係も全体的によく分からない。

 

 なお、図を上ほど細るピラミッドではなく、逆ピラミッドとして描いたのは、ピラミッドで描いた方が食物連鎖を連想させるため説得力はあるだろうという考えが頭をよぎったが、科学的姿勢として混同を利用するのはフェアではないと考えたからである。しかし実際には、一部の医局に限ってはまさに食物連鎖として描いた方が適切かもしれない、とも想像した。遺伝カウンセラーの方々の組織は、医師ほど画一化されていない分、決してそこまで酷くないと思っていることを、フォローになっているかどうかは微妙だが申し添えておきたい。また、うつは私も患っている時期が多いし、自分では理系の自閉症傾向があるかもしれないと思っていたのに23andMeの検査項目に今のところGWASに成功していないからと含まれてなかったので、多少失望した者である。しかし、おそらく一般人口を対象にする群の決め方がまずいのであって、職業を徹底的に限ればGWASなどで比較的レアなSNPを含みつつ理系特有の自閉症について関係性がえられると期待している。

 

 なお、理系らしさをかもしだすために自称アスペを名乗るという妙なブーム*があったようなので、ここに注記しておく。やはり、真面目な話、大規模な統計が必要とされているのではないだろうか。妙なブームの影響もあると思われ、日本で本当に診断された患者人口、職業比率が数値としてはさっぱり分からない。海外でも関係しそうな論文は出ていても引用数があまり伸びていないようだ

 


遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か

 [遺伝学用語の混乱]のうち、特にvariationを多様性としている部分について、変化性という名称の方が本来の訳である根拠を示す。ただし、すでに多型とそれなりにうまく区別され、diversityとの混乱も比較的抑えられていることから、語源学的に変化性の方が適切と検証したところで、本当に改定しなければならないものかどうかは、正直なところ分からない。[遺伝学用語の混乱]よりも遥かに後ろに位置する節となったのは、NIPTと、[フィルターされた人々による...]の節の様々なフィルタリングにより事実上の選別が行われている考え方を必要とするためである。

 

(日本人類遺伝学会が2009年に行った改定§ より)

 

1. genetics 遺伝学「意味:遺伝と多様性の科学」 遺伝学「意味:遺伝の科学」

 

1.本来 heredity とvariationの科学の意味で定義されたgeneticsがheredityのみの科学と解釈されがちな「遺伝学」と訳されたため、カバーする範囲が狭く解釈される傾向にあり、日本社会では「遺伝」が暗いイメージに結び付きやすい。遺伝学という訳語を変化させることはもはや困難であるものの、遺伝学が「遺伝と多様性」の科学であると改めて明確に定義する。

 

 遺伝と多様性の両方が、英語から導入されたにも関わらず元のニュアンスが保存されていないため、この手の用語改定の中で、意味を確認したり定義したりせずに唐突に使用すべきでない用語である。本節では多様性の方にふれる。

 

2. variation 多様性(バリエーション)         変異(彷徨変異)

 

2.初期の日本の遺伝学者がvariationを「変異」と訳し、それを「彷徨変異」と「突然変異」に分類したため、その後の用語と概念が混乱している。また、mutationに「突然変異」という問題のある訳を当てたため、更に用語と概念が混乱した。「突然」の用語は適当ではなく、多くの現在の研究者は「変異」をmutationの意味に用いている。以上の混乱を整理し、世界的な用語と概念に矛盾しないようにするため、variationに「多様性(バリエーションも可)」、mutationに「変異(突然変異も可)」を当てる。これに合わせ、mutantは「変異体(突然変異体も可)」、variantは「多様体(バリアントも可)」の訳を当てる。多様体は数学では別の意味(manifold)を持つが、使用される分野の違いを考えれば、混乱することはまずないと思われる。また、「多様性」は生物学全体、あるいは生態学ではdiversityの訳に用いられているが、意味は類似しており、混乱は大きくはない。

 

 "2.variation"について、「多様性(バリエーション)」との改定は、理想を言えば「変化性(バリエーション)」であった。「多」「様」というのは"polymorphism"を連想させ、「多型」との間で多少の混乱を生み出しているが、それほど混乱は大きくないはずである。"variation"は、"vary"「変わる」が語源で、直訳は変化であり、連続的な変化をイメージさせ、「多」という状態の数が数えられるかのような表現とあまり一致していない。変化だけでは一般用語と混じるため、学術用語であることを示すよう「性」をつければ「変化性」ということになる。多型とニュアンスが混じりやすい多様性よりも変化性の方が本来は合っていると思う。

 

 問題はもう一つあって、『「多様性」は生物学全体、あるいは生態学ではdiversityの訳に用いられているが、意味は類似しており、混乱は大きくはない』と述べられている部分である。ヒトに対する多様性と、ヒト以外の動物、生物に対する多様性は、当然別のものである。ヒトは生命倫理と人権によって厳重に保護されるべき研究対象である。他の遺伝学的な研究対象とは当然異なる。

 

 次の図に示すように、新型出生前診断(NIPT)により個体差ひいては多様性を積極的に制限するということが行われている。2013年以来、事実上の生まれの選択、生まれの制限により、自然な多様性から、人工的な多様性へと大きく方向転換したのである。すでに我々は、最大多数の最大幸福の論理に基いて、皆が高齢化の中で幸せに暮らせるよう、医療的高負荷、短命患児を間引いている。これは患児や当該の家系、高齢出産の夫婦、産婦人科医だけでなく、医療の負担ということを通じて皆の問題なのである。短命と一言で言っても、症候群なので、重症度の幅が広く、どこまで短命か分からないまま今現在も間引きが行われている。本当に短命なのか、本当にそこまで重症度が高いのか、もっと基準と診断をはっきりさせるべきではないだろうか。

 

 このような現状があって、多様性という用語について考えた時に、ある程度は、ヒトに対する多様性は、人権の幅の中に制限するということを、我々は考えてもいいのではないか、と私は思う。やはり、障害があるから産まないという意思決定も、半分は遺伝因子、半分は環境因子によって構成されるまだ見ぬ我が子という存在に、意図的にその新しい生命に他人より劣った遺伝因子を与えて貶めるということもまた倫理的問題があるため、人権の観点を強調して、肯定されるべきだと思うのだ。ただし、問題は本当にそこまで大きな障害かどうかなのである。同じダウン症候群の方々の間でも、あまりにも軽度と重度が違いすぎる。18、13トリソミーについては、一年生存率が20%未満なので、産まないという判断を私個人としては妥当と思うが、ダウン症候群のうち一年間生きられないと言われている4~12%かどうかを、もしも事前にNIPTで一年生存率の予測が分かるようになれば、妊婦の方々自身に、より正確な予測を提供して、判断していただくしかないであろう。極端な話、そういう予測ができるのかどうか現時点では分からないが、50年生存率の予測が80%となった場合に、そういった生命を間引くのは、やはり間違っていると思う方々の方が多いのではないだろうか。

 

 大げさな言い方をすれば、NIPTによりヒトの生まれの定義が変わった。特定の特徴を持った個体がかつてないほど積極的に排除されている。これまで自然だった多様性の状態から医療的、積極的にフィルターして制限を設けようとしているのだ。ただ、自然だった多様性と思っているものも、実は社会的に高齢妊娠になってしまう状況が作られているという意味で、完全に自然だったわけではない。文明化で晩婚化し、社会保障の不安で高齢妊娠が増えて、人為的な原因でトリソミーが増えているのだ。しかし、やはり、医療的な手段によって、大多数の人口を対象として生命のフィルタリングが系統的に導入されたのは、NIPTが日本の、人類の歴史上、初めてと言ってよいであろう。

 

 こういった状況下で多様性という用語を考えるにあたって、厳しい言い方をしてみる。遺伝性疾患の変異と、生物多様性を生み出し進化を引き起こす変異の間で、発生の仕組みに違いがなく、遺伝性疾患の患者は主として感染症に勝つために生物多様性を獲得するための進化の犠牲者である。したがって、生物多様性をヒトに対して無条件に肯定するということは、遺伝性疾患で苦しむ患者がもっと増えてもよいのだと言っているのとあまり違いがない。また、そういった患者は生物多様性によって自然に発生したのだから、もっと放置してもいいのだと言っているのとあまり違いがない。つまり、生物多様性と、ヒトで人権に基いてNIPTといった手段で制限されようとしている多様性を混ぜてはならないのである。

 

 英語では生物全体に対してはdiversityという用語を用い、ヒトに対してはほぼ必ずvariationという用語が用いられている。それなりに区別されているのだ。だから、日本語でも本来は両方が同じ多様性という用語であってはならない。これらはほぼ同じ意味だと日本人類遺伝学会は説明しているが、語源学的ニュアンスの違う用語である。diversityについて調べる。

 

diversity=>divert

divert (v.)

early 15c., from Middle French divertir (14c.), from Latin divertere "to turn in different directions," blended with devertere "turn aside," from dis- "aside" and de- "from" + vertere "to turn" (see versus).

 

このdiveristyの語源に合致するように、Wikipedia英語版のGenetic diversityでは、系統樹の上での進化の「方向性」が様々なように説明されている。つまり、日本語に冗長であろうとも誤解の少ないように訳すとすれば、diversityは多方向性、または多向性である。多様性ではない。しかし、残念ながら、ヒットカウント分析で、他方向性や多向性は十分な検索結果数を示さない。

 

"多向性" 約 101,000 件

"多方向性" 約 53,200 件

"多指向性" 約 12,600 件

 

(グーグル検索、2014年12月15日)

 

多向性が一応、上位にあるため、多少中国語が混じっているという違和感はあるが、あえて言えば、Genetic diversityは遺伝学的多向性、または、起源的多向性である。遺伝的多向性では、geneticではなくhereditaryと対応してしまうため、厳密さを追求する限りは遺伝的多向性という訳はありえないだろう。実際問題として、便宜上はありうるが。geneticは継承に重きをおかず発生に重きをおいた用語なので、ニュアンスとしては後者の方が正確である。また、もともと漢字自体が中国のものだから、中国でマイクのdiversityが多方向であることを多向性と言っているようなので、意味としては、合致しているし、私自身としては、近年は日本語から中国語へと導入した工業用語が多かったはずなので、逆にdiveristyについてのみ日本語が中国語に合わせてもいいのではないかと思う。もっとも、NIPTもある中国人が米国で学んで作った技術なので、これからもいずれ徐々に中国語から日本語への用語の導入が進むものと思われる。

 

 variationのvaryの方は空間的に変わるのか、時間的に変わるのか、物理学的にはどちらなのか区別したいところだが、実際には両方の場合があるようだ。だから、変化性あるいは多様性と訳して問題ないが、空間的、時間的のどちらの場合も含めて英語では述べていることだけ頭に置いておいた方がいいと思われる。

 

 Wikipedia英語版のページで言うと、Human genetic variationは、ヒトの遺伝学的変化性、または、ヒトの起源的変化性である。Genetic variationは、あえて言えば起源的変化性である。Genetic variabilityは、あえて言えば起源的変化可能性である。Biodiversityは、あえて言えば生物多向性である。Species diversityは、あえて言えば種多向性である。

 

 Biodiveristyの中に、次の3つの成分があるそうである。

 

taxonomic diversity

分類学的多向性(種多向性)

ecological diversity

生態学的多向性

morphological diversity

形態学的多向性

 

3つの場合でdiveristyで統一されていることから、おそらくだが、variationというのは、ローカルな変化をイメージし、diveristyというのが、大きな方向転換を含むのではないだろうか。つまりBiodiveristyのトップに"degree of variation of life"とあるのは、導入として分かりやすい変化を思い浮かべさせる意図があると思われ、その後に、大きな方向転換の説明が来ているように思われる。読者に分かりやすい部分から説明を始めるという、英語の説明文の意図を汲み取れずに、Biodiversityが最初にvariationで説明されているから、この2つが同一であろうという話になってしまったのではないだろうか。

 

 結局のところ、生物界全体のgenetic diveristy、biodiversityとちがって、ヒトにいたってはhuman genetic variationという、種内のローカルな変化について述べるため、variationとしてあると思われるので、やはり、diversityを多様性としようが、多向性としようが、variationはdiversityとは関係なく原語に忠実である必要があり、変化性であろうと思われる。

 

 

 日本人類遺伝学会による「遺伝学」の用語改定に話を戻すと、「heredityとvariationの科学の意味で定義されたgenetics」というのは、確かに過去においてはそう*なのだが、シーケンシングによって父母由来の変異が見分けられるようになった現在では、既に時代遅れの話である。[コモンとレア...]の節で述べたように、一つだけでは良性と見られる、つまりどちらかというと多様性のイメージに近い、SNPsの集合によって、アルツハイマー病といったコモンディジーズが引き起こされ、その一方で稀な変異により重度の単一遺伝子疾患が引き起こされ、その中間にBRCA遺伝子による乳がんが存在する。これらは頻度も重症度も連続的に分布しており、重度だからheredityだ、軽度だからvariationだとはっきり区別できるものではない。更に染色体異常症や、ヘテロプラスミーによるミトコンドリア病といった、実に様々な遺伝性疾患が存在し、やはり様々という限りは、遺伝性疾患も広義の多様性の中に含まれるはずである。更には、多様性という言葉の本質として、様々なものを広く含む方向で解釈するのが妥当であり、狭く解釈するのであれば、それは多様性という言葉そのものと自己矛盾する。だから、heredityとvariationを合わせて遺伝学だというのであれば、その遺伝学が文脈が与えられないとheredityとしか日英翻訳できない方がおかしいのであって、variationを強調するほどvariationがdiversityと区別されずに多様性と英日翻訳されている曖昧さが更に導入されてしまう。

 

 だから、ヒトの多様性と動物の多様性が混同されかねないよう、他の動物のdiversityを多向性として、variationを多様性とするというのでも、状況は一応は改善される。しかし、もっともよいのは、polymorphismとも区別して、diversityを多向性、variationを変化性とする選択肢である。

 



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