目次
はじめに
はじめに
宗教的表現について
研究者の方々へ - 検証中の仮説
外部リンクの表記、Android対応、訂正箇所のご指摘のお願い
概略
現在の症状
息子の誕生
さらに遠い通院へ
知らされなかった検査結果
アミノ酸分画検査結果
タンデムマス検査結果
合っているかもしれない仮説
閑話休題:創作話 トリケラお母さんの悲劇(# ゚Д゚)
DNA検査の実体験と仕組み
ミトコンドリアDNAの検査
ヒットカウント分析および共起性分析
23andMeのDNAアレイによる検査 - 販売停止命令に至る経緯
遺伝病とコモンディジーズの違い - 優性遺伝と劣性遺伝
ヒトはヒトであるが故にヒトの病を患う
コモンディジーズの検査方式 - アバウトなGWAS
23andMeの深刻な検査結果 - 統計の改善による影響
23andMeのその他の結果
エクソームシーケンシング
コモンとレアの重症度分布 - アレル頻度とエフェクトサイズ
個人向け遺伝子検査の選び方 - 罹患人口カバー率指標
閑話休題:製作物 DNAツリー
希少疾患と難病の制度および数値
希少疾患と難病の違いと制度的起源 - 日米欧比較
赤信号みんなで渡れば - 真面目な日本人の最悪の集団行動
もっとも希少な希少疾患 - 70億人にたった一人
もっとも正確な希少疾患の数 - 毎日約1つ希少疾患が増える?
希少疾患全体の罹患率 - 全部合わせると10~14人に一人
診断に至るまでの年数、または遅延 - 28年?!
GINA(ジーナ) - DNA検査時代の国民、患者を守る法制度
国民皆保険の功罪 - 患者をチェリーピッキングする医師達
節としてまとまらなかった事柄
希少疾患と感染症
感染症と希少疾患の関係 - 未診断の希少疾患という重症化因子
予防接種の健康被害としての未診断の希少疾患
希少疾患としての感染症 - 米国のAIDSの歴史
見えないところに死体の山
医師に頼らない因果関係の追求 - 脳症の本当の原因
更に複雑な感染症の話
医療訴訟が生み出す二次被害 - 無過失賠償制度の必要性
辛い記憶
両親を批判することについて
両親への間違った説明
辛かった学校生活
体育の次の時間に倒れてしまう
電車とバス
繰り返し運動による寝られぬほどの筋肉痛
食事の前後の発作
進化と感染症の間の遺伝性疾患
進化と感染症の間の遺伝性疾患
仮説の更なる展開 - 発見され増加を続ける希少疾患
卵子と精子の間の変異の導入の違い
感染症と遺伝性疾患で重度となる役割 - 男性淘汰進化説
絶滅のシナリオ - 感染症と遺伝性疾患の袋小路
進化のスピード調節 - もっとも強く訴えたいこと
進化と遺伝性疾患の「必然性の枠内の偶然性」
ダーウィンのUNdiagnosed
そして各論へ
遺伝学用語の混乱
遺伝学用語の混乱:genetic、遺伝か起源か
de novo変異 - 両親から受け継がれない優性遺伝の変異
個人向け遺伝子検査のガイドラインの乖離
みんなが保因者の劣性遺伝病? - 平均約10個の遺伝的荷重
劣性病的変異の健常者への影響 - 遺伝子プールの浄化説
あとがき
あとがき
これ以降分冊予定
▲▼そして各論へ
検証実験の山 - バッチ型検証実験の提案
希少疾患の中の更なる希少な患者群についての予測
環境因子か遺伝因子か
代謝異常についての進捗
遺伝子検査の2つの嘘
生まれの平等性または不平等性
▲▼生まれの平等性または不平等性
新型出生前診断と着床前診断 - 技術的に◯、倫理的に☓
生まれる前のDNA検査 - 科学的因果関係の追求ライン
技術としてのNIPT - 生まれのDNA検査の技術予測
我が子に故意に良くない遺伝因子を許容する親の罪
ディストピアな未来像 - 生まれの平等性が崩れた世界
不妊という社会問題 - 男性不妊と父性年齢効果
中絶による母体へのダメージ - 次の妊娠がうまくいく確率
着床前診断の問題点 - NIPTとの倫理的違和感
不妊治療としてのPGD - 不妊としての遺伝性疾患
生殖医療のリアルの写真
男女産み分けの国際比較 - 海外での生殖補助医療のリアル
着床前診断の潜在的なリスク - 子と女性へのリスク
フィルターされた人々による生まれの平等性、不平等性の支配
遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か
人権に基づく多様性、人権に基づく変化性
男性不妊と劣性遺伝病の完全予防 - 22世紀の精子起源工学
その他 - うまく分類できずとも価値のあるトピック
DNA検査の結果の公開 - シーケンシング機会の平等性
進化における神の概念
mtDNAとY染色体の永代性 - 未来の血縁者の不利益
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更に複雑な感染症の話

 感染症対策としての予防接種の義務、任意の話は、公共の利益、あるいは国益と言い換えてもいいと思うが、あるいは個人の自由かという、義務と権利の話になるため、もともと比較的複雑である。しかし、日本の現状では次の3点が新しく加わっている。

 

(1) 天に召されたり、障害をもたれたりした両親による訴訟が、他の小児の首をしめ、さらに被害を大きくしている。予防接種の国際基準からの後退が起こっているが、感染という見えない現象だけに、数値で理解しなければどのぐらいの被害が起こっているか非常に分かりにくい。

 

(2) 末端の病院では、小児科医自身が、ウイルスや細菌を媒介させている。患児が怯えずに素直にいうことをきくようにマスクをせずに患児を診ているが、その自己犠牲の精神は結構なのだが、周囲はその意味を理解していないことが多く、感染症対策に穴ができている。経営安定化のために患児だけでなく高齢者も診る病院だと、患児に囲まれてマスクをしていない高齢者が狭い待合室で待つことになる。この高齢者は、医師がマスクをしていないので自分もマスクをしなくても大丈夫なのだと思い込んでいる。

 

(3) 日本で感染症対策が杜撰であるにも関わらず、100歳を超える長寿者、センテナリアン10万人あたり35人と世界ダントツに多いという現象があるため、日本の医療そのものに問題があるとは皆が考えていない。これはおそらく逆で、センテナリアンとなるような免疫がもともと強い体質の者だけにとって、周囲が予防接種を受けておらず感染症が適度な頻度で起こることが有利に働いている可能性がある。何度も抗原にふれた結果アレルギーを患うのと逆の現象で、免疫系が重症度の低い感染症のウイルスや細菌にわずかずつふれつづけることで、致死的な病原体に対する免疫が強化されているのではないだろうか。つまり、エンドトキシンによりIgGを活性化するようなもので、ヒトがかつて住んでいた原始的環境に近い状態に免疫系を保つという、言ってみれば弱い病原体が天然のワクチンとして働いているのではないか。たとえ、小児にとっては必ずしも弱いとは言えず、他国では予防接種を義務化しているような感染症であっても。

 

 もっとも問題なのは(3)の場合で、もう、これは、誰の寿命を短くして、誰の寿命を長くするかという議論になるので、単純に予防接種を国際基準にすればいいという話ではなくなっている。もう1段階複雑な話なので、予防接種を国際基準にすればセンテナリアンがどのぐらい減るか予測した上で、あるいは、齟齬を残さぬようあえて一切予測を出さずに、国会かできれば国民投票で決めるべきなのかもしれない。もちろん私は遺伝病と疑わしい変異を持っている立場からは、センテナリアンに不利でも、小児にとって有利であれば、国際基準の予防接種は実施すべきだと思う。それ以上に、どうやってこの現象を証明すればいいのだろうか。感染症対策が非常に緩いということと、センテナリアンが非常に多いという現象が日本で両立しているという状況証拠はあるが、日本の中の海で隔離された沖縄の島などを特区に指定して、他から感染症が混じらないようにしながら、国際基準の予防接種を実施するなどしなければ、証明することはできないと思われる。いや、全国的に予防接種を国際基準まであげてしまって、センテナリアンの希望者のみ、予防接種を現在の基準のまま残した暖かい気候の特区に移住してもらった方が、国として長寿の記録を維持する意味でも、いいように思われる。しかし、そこまで高齢になってから移住すること自体が逆にマイナスなのかもしれない。

 

 血液中の抗体をELISAにより測定し、交叉性から推測することができるのだろうか。

 

 一応、調べた中でもっとも関係すると思われる学術論文を示しておく。

 

(免疫力弱い方が長生き? 百寿者に免疫応答弱い遺伝子変異が多く存在中沢真也, 日経メディカル, 2004.11.24 より)

 

衛生状態が良く、抗生物質によって感染症の脅威から守られている現代社会では、免疫力の強さが長生きにむしろ不利に働く場合があるようだ。イタリアの住民を対象とした観察研究で、100歳前後の健康な超長寿者では対照群に比べ、免疫応答が弱い遺伝子変異を持つ人が有意に多いことが分かった。イタリアのPalermo大学免疫老化学教室のCarmela Rita Balistreri氏らの研究研究成果で、米国医師会誌のJournal of American Medical AssociationJAMA)誌20041117日号にリサーチレターとして掲載された。

()

本研究の結果からBalistreri氏らは、感染の機会が少なく、仮に罹患しても抗生物質によって重症化を免れることができる現代の(先進国)社会では、Asp299Gly多型は、むしろ長寿に有利に働くと指摘している。

 

 本論文の原題は、「Role of Toll-like Receptor 4 in Acute Myocardial Infarction and Longevity」。

 

 もう一つの情況証拠としては、失礼ながら比較的感染症が多い地方であるにも関わらず、発展途上である国々からもセンテナリアンがそれなりに多いという数値がある。逆に、先進国で予防接種が国際基準で行われているにも関わらず、センテナリアンが少ない国もある。ただし、例外もあって、その最も大きいのが米国なのだが、これについては国として大きすぎてきっと事情が違うのだろう。

 

国 平均寿命 センテナリアン人口(人口10万人当たり)

ブラジル 74 12.46

中国 76 1.32–3.63

アルゼンチン 76 8.69

ペルー 77 5.58

日本 83 34.85

 

(国の平均寿命順リスト WHO(2011)による表 Wikipedia日本語版より数値を抜き出し)

 

調べた範囲で、平均寿命とセンテナリアン人口の食い違いがもっとも大きいのはブラジルのようだ。ブラジルの予防接種と日本の違いを具体的に調べられたら何か分かるかもしれないが、ただ、日本と同じで裁判などで負けた時だけ一時的に義務化が解除されたりと、時代によって異なった予防接種政策をしてきた可能性があって、それがセンテナリアン人口に免疫の履歴として残っていて、しかもその上に過去のパンデミックの影響が載っているはずなので、そこまで詳しく数値を調べても、もしかしたら、複雑すぎて何もわからないかもしれない。

 

 当初、多くが希少疾患である遺伝性疾患に比べると、コモンディジーズである感染症は情報が多くて結論が出ているかのように思えたが、実はとんでもなく複雑だ。感染症の健康被害として診断されていない遺伝性疾患が載ってくるので、結局はどちらも独立で考えることができない。ヒトという存在を、遺伝性疾患と感染症、希少疾患とコモンディジーズというように、分けて考えようとする長く続いてきた西洋医学のパラダイムが、あまり通用しない。昔は因果関係など考えずに健康被害と認識していたものが、DNA検査によって健康被害の原因である特異体質や未診断の遺伝性疾患がある程度見抜けるようになりつつあるからだ。すべて一人のヒトの体の中で同時進行する話だという前提で、考える必要があるが、学ばなくてはならない範囲は膨大だ。言ってみればこの領域では誰もが素人なのだろう。

 

 

 感染症の話には制度の柵の中で互いに首を締めあった結果、人死にばかり多くて未来が見えないため、本当に救いがない。これ以上扱っても希少疾患、遺伝性疾患の全体像を見失いそうなので、ここで一旦筆を置かせていただきたい。


医療訴訟が生み出す二次被害 - 無過失賠償制度の必要性

[感染症と希少疾患...]の節で述べた無過失賠償制度が日本で整備されていない以上、医療訴訟になるのは仕方がない。しかし、それでも、本著の冒頭で、科学的因果関係の追求はヒトの心を救わないと申し上げたが、医療訴訟の多くは、科学的「でない」因果関係の追求であり、ヒトの心を救わないだけでなく、ほぼ必ず二次被害が出ているはずだ。ノイローゼになったり、職を失ったり、離婚したり、自己破産したりといったことは頻繁に起こっているはずで、これらに比較すれば、科学的因果関係を追求して自殺したりといった方が、まだ最大の損失が本人に留まる分、ましと言えるかもしれない。冒頭では述べなかったが、すでにお察しのように科学的因果関係の追求とは、自身が生まれながらにして持っているDNAに希少疾患や特異体質が刻み込まれており、それが人生で経験する健康障害の根本部分を形成しており、ひいては自分の周囲に社会的マイナス面を生み出し、さらに子にもそのリスクを負わせている全ての原因だということである。これを診断できないとか治療できないとかいうのは医療の責任だが、大もとの部分は、やはり14人に一人とかいう希少疾患の患者自身の存在が問題で、これらの患者がもしも全部消えてくれたら、他の14人中13人の医療費は非常におおざっぱに言って25割安くなるであろうと推測できる。一部の患者のみに膨大なリソースが投入されていて、他の13人がその負担を負っているのに、希少疾患の患者自身の多くも、自分でそんな事実を調べずに多くは他人任せである。たまたま患ってしまったのだから、私は何も悪くないと言えば、それはそうなのだが、だったらたまたま患っていない方の13人にも医療費を負担する義務はないわけだ。私が言いたいのは、これは決して「たまたま」などではない。統計的には現在の自然生殖だと「必ず」7%が希少疾患を患うのである。希少疾患が親から子へと引き継がれてしまう不幸の連鎖、因果の鎖を断ち切ることが必要で、NIPTPGDに期待ができるが、それでも対象疾患の既存の患者に何の配慮も行わずに国民投票といった合意なく導入すべきでない。これが本著を通じて主張していく骨子である。

 

 本著で登場した医療訴訟の1つ目は刑事裁判で、[ミトコンドリアDNAの検査]の節で述べた、2001年に報じられた有名な「北陵クリニック事件」に診断されないミトコンドリア病患者が巻き込まれて亡くなりかけた件である。これは、当初の報道では「仙台筋弛緩剤事件」と呼ばれ、恥ずかしながら今頃になって当初報道での名称が適切でないことに気付いて、本著でも慌てて名称を訂正したものである。もう三度も本著に登場すると、未だに治療が得られない理由について気づかぬふりも無理になってきたので、もっとも可能性の高い推測を申し上げると、これは、おそらくご親族のどなたかにとって、ミトコンドリア病という遺伝病の診断名が、不名誉あるいは不都合なので、当初の筋弛緩剤中毒という当初の診断の方を信じたいご親族がどなたかおられるために、未だに診断ができていない状況で、なおかつ、医師の方々も遠巻きに眺めているしかない状況なのだろうと思われる。ご親族が当初そういった反応を示すことは、決して特別なものではない。私も遺伝病ひいては希少疾患が10人に一人や14人に一人という罹患率であることを調べるまでに、遺伝病に対して偏見をもっていたし、私の父は未だに偏見を持っている。本著の中盤でご説明した通りである。[希少疾患全体としての罹患率...]の節で述べたように、EURORDISの啓蒙用文書の中でも息子が遺伝病で天に召され、更に遺伝病を疑うべき娘がいるのに離婚した夫婦の話が出てきてしまった。また、日本で娘が優性遺伝の筋疾患とわかり娘と両親を遺伝子検査したところ父親も軽度に発症している可能性が指摘されて、その父親が失踪してしまった知人もいる。たしかに、偏見をもっていても何の不思議もないことだが、遺伝病はご親族の健康と生まれに関わるだけに、一部の医師から診断可能と言われるほどの重症度の状態を放置することは患者にもご親族全体にとっても不利益であろうと思われる。何の対策もしなければおよそ一世代、約25年以内にご親族から別の発症者が出る可能性が高い。これは遺伝病のことを希少疾患というあまり日本では聞かない名称を方便として使ってでも、診断を得るというのではだめなのだろうか。人に聞かれたら、

「何らかの希少疾患」

を患っている、更に聞かれたら、

「ざっと5000種類もあってどれだかまだ分からない」

希少疾患とは何かときかれたら、

「患者数が10万人に一人ぐらいと稀な疾患でとにかく分からないことが多い」

ぐらいでいいのではないだろうか。だんだん説明を曖昧にしかも長くしていけば、事情を察して詳しく尋ねるのを諦める人も多い。そこに具体的な数値が入っていれば、既に一通り調べたんだな、私が出る幕ではない、と察してくれるので、なおさら効果的である。もしも、大変失礼な誤解をしていたら大変申し訳ないが、勘違いで深入りしすぎてはいけないと思って2度目までは述べなかった。3度目にこの患者のことを述べるにあたっては、私自身の惨めな体験を既に述べて私自身がこの問題の当事者なので、推測であってもこのぐらいまで述べてもよいのではないか、と考えた。ただ、あくまで推測であることを再度申し上げておきたい。

 

 本著で登場した医療関連訴訟のうち、インフルエンザ脳症・ライ症候群の訴訟を2つ目として挙げ、予防接種健康被害の訴訟を3つ目として挙げたい。これ以外に予防接種禍を挙げようとすれば挙げられるが、これについては、希少疾患との接点はあまりない。むしろB型肝炎訴訟として血友病の方が希少疾患なのだが、その場合はHIV訴訟も含まれるので、そこまで話を広げるのは、本節では避けたい。これら以外に、私自身としては4つ目として、希少疾患を診断できず、しかも専門医も紹介しなかった場合に、どの程度医師の法的責任を問えるのか、調べたいと思っている。これはインフルエンザ脳症・ライ症候群や予防接種健康被害の中にも、何割か含まれてしまっていると思われる希少疾患といった特異体質を診断できるか、できないか、できないならできないことを立証できるか、そういう意味で、本著の診断されぬ病というテーマを法的観点からみたものであり、実際には残り2つの基礎になる争点で、シンプルなので重要かもしれない。

 

 おそらく大方針はたった一つで、医療訴訟を起こすにしても、起こさないにしても、示談に納得するにしても、しないにしても、更には勝訴するするにしても、負けるにしても、真っ先にやるべきただ一つのことは、医師の目線になって医師の行った処置とその処置を行うことになった医学的根拠を、「追体験」してみることである。

 

 勝訴する確率が半分未満と思って訴訟を思いつく患者はいないはずなので、勝訴する段取りで考えてみる。医療訴訟で原告が約2割しか勝てないと言われるのには、実際には「訴訟3件につき示談見舞金で70(アムザ談)と述べられるぐらい示談が訴訟よりもはるかに多いからで、被害者の家族の立場になってみると、示談金を受け取ったというのは周囲に体裁が悪いために目立たせないことが多いためと思われ、欧米のように被害者の名前の基金などを作ることもあまり行われていない。日本ではまだ欧米のようにあからさまに割り切れないようだ。なお、この林檎の会アムザという団体は、おそらく非常にためになる経験則を述べていると思われ、この後も本節で引用するかと思うが、当方とは何の関係もないことをお断りしておく。医療従事者側からの告発のためのウェブページまで用意されているようだ。なお、本節で述べているのは経験則ではない。アムザのように実際に訴えた経験を元にしているわけではなく、主として学術論文から得た知識をまとめて類推してだけである。

 

一度は科学を志した者の多くが、科学を徹底的に無視して利害を追求できるのは自分や家族が被害者の場合だけである。なお、「一度は科学を志した者」というのはもちろん嫌味である。医師の中には、一度は科学を志ながら、科学の純粋な心を忘れている方々が多い。なぜなら、医師もまた、医療賠償保険に入っているとは言え、うかつに負けると家族の生活がかかっているからである。この認識はおそらく訴訟の最初に持つことが必要で、途中で我に返って医師の家族のことを心配すべきでない。勝訴に結びつかないような心配をするなら最初に心配して、後は割り切ることが必要なはずである。医師もそうやっているから医療事故ではあるが医療過誤ではないと明言できるのである。これも医師の視点を追体験するにあたって必要な考え方だろうと思われる。

 

 医師の目線になって処置を追体験してみると、過誤としての大きさが少し客観的な観点から見えてくるはずだ。これができないと、勝訴の見込みが分からないし、また勝訴したとしても予想外に弁護料や意見書料にとられてしまうと思われるため、家族が無理なら親族の誰かに追体験を頼むのでもいいだろう。専門用語との闘いになるので、親族に看護師や医療従事者、医療翻訳者、分野は違っても大学教員や研究員、または生物系の技師、高校の理科の生物の先生がいると有利と思われる。追体験をして、医学知識をもった医師自身から見た過誤の大きさをまず把握し、次に文系の裁判官から見た過誤の大きさを把握する。後者の方が患者の視点に近いはずで、医師の視点と裁判官の視点での過誤の大きさは、ものすごく違うはずである。親族の誰が考えてみても、もしも違いが分からなければ、殆どの場合、勝訴はできないはずで、訴えないか、訴えるふりをして示談に持ち込むか、どちらかを選んだ方がいいと思われる。

 

 医師の視点と、裁判官の視点で、過誤の程度がどのぐらい違っているかというのは、米国の研究なので陪審員と裁判官の視点の両方が混ざっていると思われるが、医療訴訟大国である米国で大規模な研究が行われて、非常に異なるという結論が出ている。日本とは多少事情が違うが、基本的には訴訟に関して日本が米国を後追いすることが多いため、先例を知る上で重要と思われる。1984年からのデータを用いたHarvard Medical Practice StudyHMPSによると、賠償金額は医療過誤の大きさに関係なく、患者が負った障害の重症度だけによるとのこと*HMPSは合計3度に渡って学術報告され、最後は1996年に報告して終了となった。これは専門用語が多数登場して専門性が高くなればなるほど、医療過誤の程度として大きいのか小さいのか、陪審員や裁判官が理解するのが困難となることによる。それに対して重症度は目に見える形で裁判所に出てくれば一目瞭然なのである。この観点からすると、日本の裁判官は普通、法学部という文系出身なので、デフォルトの状態では、医師と患者の中間よりも少しだけ、患者寄りのはずである。それでも医療集中部をもうけて対応すべく努力を重ねている裁判所があるので、その場合には医師の方に少しだけ近いはずである。医師と裁判官の視点の違いはこのようにして生み出されるので、医師と裁判官の視点が同じに思われる場合は、争点が分かりやすすぎて患者側に勝ち目があまりないか、逆に訴訟に至らずとも十分な金額で示談できる場合である。もう一つの場合として、医師の視点が事前に探りきれない場合もあると思われ、この場合もリスクが高い訴訟となるであろう。

 

 具体的に医師の視点を探った事例としては、[医師に頼らない因果関係の追求...]の節の最後に、医師の手を借りずにウイルスを採取する方法と調査する方法を挙げたものが、本著の中で一番近いと思われる。結局、問題のほとんどはインフルエンザの迅速検査キットに依存せざるを得ない状況を作り出している、インフルエンザ予防接種の健康被害救済制度の弱さから発生しており、日本は希少疾患の認知度が低くおそらく診断率も低いことも絡んで、他の先進国では考えられないような複雑な事態となっていて、医師自身も被害者だと分かってしまった。これが、医師の視点を追体験するならば、最初に行わなくてはならない理由である。いったん訴訟が始まってから、医師の方も被害者だと思うような根拠が出てきても勝訴のためには心を動かされてはならない。医師も被害者だと思うような観点をとれるのは、弁護士に費用を支払う契約の前だけの話である。いったん、弁護士が間に入ると、いくら成功報酬だとしても、弁護士の知識の豊富さに圧倒されて、実質的に言われるままとなる。というか言われるままにやらないと負けて意見書料といった大赤字が出るのである。この状態になってから医師の方も被害者だとか考え始めても、何を寝ぼけているのだという話にしかならない。医師が弁護士のことを嫌う理由を、ある意味患者自身が追体験することになるが、それは最初に了解しておくべきことであり、後で後悔すべきことではない。・・・はずである。いろいろ調べた限りは。

 

 HMPSの問題点として、古いデータでもあるし、日米で手術率に倍近い差があり、米国の場合は、リスクは高いが短期間で治す外科処置に頼りやすく、日本の場合は服薬治療に頼りやすい§ようだ。おそらくこれほどまでも異なる主な要因は保険制度が普及しているかどうかによるのではないかと思われ、そうだとするとオバマ大統領が率いた医療保険制度改革で差は小さくなりつつあるのではないかと思われる。つまり、米国の方が日本の健康保険制度に近づきつつあるはずである。日本の制度は希少疾患や遺伝病を排除する傾向が強いが、処置の定型化したコモンディジーズに対して優れている点は否定できない。問題はインフルエンザといったコモンディジーズの中に希少疾患が誤診されて天に召されていることで、この誤診がどの程度の医療過誤として訴訟で勝てるのか、また、勝てないのかというのが、本節のテーマの一つである。

 

 ここまでの話だと、死亡や重度障害に至っている場合は、十分勝てるということである。この場合は、希少疾患であることを、医師側の弁護士に掴ませない方が有利にことが運ぶと思われ、ご兄弟姉妹がおられる場合は、医師側に伝わらないようにどうやって遺伝的リスク、すなわち体質によるインフルエンザの重症度や予防接種のリスクを知るか、という点が重要なはずである。守秘性の点で一番いいのは、日本人をなるべく介さずに海外のDNA検査会社に頼むことであるが、その一方で最も気になるCPT2のリスクは日本国内の研究である。実際問題として妥協せざるをえないと思われる。そもそも、医師側に血液検体が残っていれば、医師側でもDNA検査にかけることができるが、それはもちろん倫理違反である。希少疾患の情報が医師側に漏れたとしても、それを証拠として挙げられない、倫理違反も追求できる、その点を弁護士に確認した上で、国内の大学や大学から紹介されたDNA検査会社に依頼するというのが、妥協点であろうと思われる。

 

 このように、重症度が大きければ過誤が小さくとも原告が勝てる点が、医師の間でも大問題となり、トンデモ医療裁判やトンデモ判決という名称がつけられた。リンク先では類型のみの記述で具体的な裁判の内容は示されていないが、検索すると具体例が得られる*。もちろん、こういった裁判が増えるのは、よいことではない。しかし、そもそも無過失賠償制度を整備せず、訴訟というのは科学的因果関係を追求するものではないことを知りながら変革せずに放置しているのもまた、医師であり、これはある意味自業自得である。本来は日本医師会や日本医学会が行動を起こすべきところと期待されるが、実は、産科医療補償制度で多少微妙な評価の前例を作ってしまった。国民はもっとこの制度の利点をポジティブにとらえるべきであった。もともと、裁判をしなくて済むというのは、膨大な時間を費やして職を失いそうになりながら専門用語を覚えないで済むということなので、患者側にとってとてもありがたいことだ。そして、産科医療補償制度を利用したとしても、その後、裁判をするかどうかは、患者側に委ねられていた。過去形にしたのは、本来そうあるべきではないと考えるからである。あまりにも患者側に有利なこの制度が、税金問題に絡んで批判されているのは、多少おかしい。そんなに予算が余っているなら、なぜ産科医療以外に拡大しないのか、特にインフルエンザの予防接種について。皆さんはそう思わないのだろうか?

 

  話を戻すと、医療訴訟が理不尽であることの最大の理由は、過誤の大きさを裁判官が理解できないのに対して、重症度の方は分かりやすいため、技術的に先端的で分かりにくい過誤ほど不利であるということによると思う。だとすれば技術が進歩すればするほど、専門家しか理解できない内容になるので、現在のところは米国の医療訴訟ブームは落ち着きを見せているが、将来的に長い目で見ればどの国でも増加傾向を示すのではないだろうか。

 

 最終的に、追体験によって、医師の視点に立ってみると、それほどの過誤ではないと思えてくる場合も多いだろうが、割合としては少ないと思われるが、逆に大変な過誤であると思う場合もあるだろう。それほどの過誤でないと考えられた場合は、やはり柔軟に対応すべきと思われる。

 

 

 希少疾患を診断できず、しかも専門医も紹介しなかった場合に、どの程度医師の法的責任を問えるのかについては、現在の日本の判例だと、その結果として起こった重症度に応じて責任を問うことができるということになる。大事なのは重症度なのだから、あまりどのような希少疾患であるかにはよらない。したがって、後々の節で述べる未診断患者レジストリといった、どのような希少疾患でもなるべく早くに診断できる仕組みが、たまたまインフルエンザや予防接種裁判、希少疾患の未診断裁判に巻き込まれる不幸な医師を減らすためにも必要不可欠である。


両親を批判することについて

 ここからしばらく闘病記的な節が続くにあたって、最初にご説明した方がいいのは、両親に何も伝えずに勝手に書いているわけではないということである。本著を公開する前に、未完成な段階ではあったが、原稿を両親に見せた上で、一度は意見を聞いてから、公開している。やはり、日本では両親を批判することは、直接的に虐待を受けた場合でしか、倫理的に無理があると考えられることが多い。ただ、希少疾患の子の多くは、両親の無知により人生が振り回されるのもまた事実なのである。私の場合は、両親が小学校教師としての体面を保とうとする姿勢が、子の健康を気遣う気持ちよりも強かったため、不幸であった。後者が前者を上回ってさえいれば、いくら前者が強くとも特に問題がないことの方が多いであろうが、残念ながら全てのケースでそうではない。

 

 また、私の場合は断じて両親から虐待は一切受けていないことをお断りした上で述べるが、希少疾患の子や、診断されない病の子が、虐待を受けているケースは多いはずである。むしろ、虐待をするということ自体が、何らかを疾患を持っていることの兆候のうちの一つと考えられる時代がいずれ来るだろう。しかし、あくまで「兆候のうちの一つ」である。虐待をする遺伝子だとか変異だとかいうのが存在すると言っているわけではない。虐待は生物学的には非常に複雑な行動なので、2型糖尿病やアルツハイマー病のように生物学的に明確な特徴ほど、SNPの集合によって傾向を予測するのはあまり成功しないだろう。しかし、見た目それほど問題がないのに、診断されない病により内的に苦しんでいる人口がいるであろうということは、私自身の経験から少なくとも私自身にとっては明らかである。そういった内的な苦しみは、環境によっては最も近くにいる弱者、すなわち子に向かって暴力的に表現されてしまうことがあるだろう。

 

 虐待についての特定の遺伝子や変異が発見されることはまずありえないだろうが、虐待の何分の一かが診断されない遺伝性疾患の苦しみによっていて、その遺伝性疾患の継承のために、虐待を受けた子がやはり虐待を起こしやすい。しかし、診断されない病の苦しみによる虐待の割合は非常に限られていて、大部分の虐待は環境因子によるものなので、虐待の大多数は遺伝的には継承しない。そういうパターンなのではないだろうか。

 

虐待についてエピジェネティックスのようなものが当てはまるという説があるが、これも診断されない病と同じく一成分にすぎないだろうと私は思う。大多数はやはり環境因子によるものと考えるべきであろう。エピジェネティックスが好きな研究者が、科学的にどこまでも追求したいのならば勝手にすればいいが、生きていることの本能の部分では、我々は皆幸せになりたいと思っているのである。追求した結果、そういう説を信用する人口が多くなって、思い込みにより幼少期に虐待を受けた成人が追い詰められてかえって虐待の加害者側に回るのを促進するのであれば、不幸の連鎖を促進しているだけである。虐待が継承されてしまう原因は、基本的には環境因子であると、もう一度念を押しておきたい。

 

 それを踏まえた上でなのだが、すでに受刑者に知的障害が多いとの報告があり、私自身の患者としての経験からも、体の状態が悪いときには頭も悪く、頭が悪い時に無理なことを要求されると、暴力に訴えやすいものなのである。残念ながら、特に男性はそうである。体の具合が悪くとも、いままで虐待する側に回らずにいられているのは、妻のお陰とも言えるだろう。

 

 

 こういった前置きを踏まえるように、ここからはしばらく闘病記的な部分が続く。興味がおありにならない方は、次の章へと読み飛ばしていただきたい。


両親への間違った説明

 私は息子といっしょにO大学病院で遺伝子検査を受けたことを述べたが、それ以外に両親に協力を求めたことがあった。しかし、その際に、私はいくつか重大な誤りを犯した。その結果、返ってきた拒絶は未だに私と両親の間にいくらか(わだかま)りとなって残ってしまった。

 

 おそらく最初の誤りは、「劣性遺伝」の疾患の検査と言いながら、両親に検査への協力を求めたことである。実は当然ながら私は「優性遺伝」の疾患を疑っていたのだ。

 

 アンジェリーナ・ジョリーが優性遺伝する乳がんのDNA検査を受けて、その結果に基づいて乳房切除を受けたというニュースが2013年の5月頃に報道されたが、やはり家系内で遺伝するということを考えている場合、いとこ婚といった近親婚さえ存在しなければ、多くの場合は優性遺伝するという前提なのだ。私はそこまでは言いたくなかったために、「劣性遺伝」という言葉で両親の反応を和らげようとしたのだが、それは非常に大きなミスだった。その当時、私は父から重症度が非常に低い筋緊張性の疾患が遺伝しているのではないかと疑っていたのである。

 

 実は周期性四肢麻痺や先天性パラミオトニーについての論文を読むと、基本的には優性遺伝をするのだが、重症度はなぜか別の要因で決まっているように述べられていることが多い。同じ病的変異を有していても、他のSNPの組み合わせや環境因子によって、大きく症状が出る個人と、あまり症状が出ない個人が、一つの家系の中に存在している。一例を挙げると、米国の筋ジストロフィを中心とする筋疾患の患者会であるMDAの会報誌の周期性四肢麻痺特集でトップの写真を飾った姉弟では、弟が8歳で発症しているのに対し、同じ病的変異を持つ姉は19歳まで発症していない。この場合は、男と女で性が違うので、例外はあるが遺伝性疾患の一般的特徴として男子の方がより幼いうちにより重度に発症する。ある意味、XY染色体の違いという性差も他の多型の一部*と言えなくはない。そして稀に、一生涯自覚症状のないまま、筋電図検査の結果だけが陽性と出ている個人もいる*。つまり、私で筋電図検査が陰性だったからと言って、もしかすると私の父では症状が小さいにも関わらず、筋電図検査が陽性となるパターンが、確率としては非常に低いがありうるのである。当時の私はその藁をも掴む可能性にさえすがりたかったのだ。

 

「こいつは俺らが結婚したのが悪いといってんのや!」

  それが父が私に発した言葉だった。私を殴ったことさえない父の言葉とは思えなかった。その後にも新しい説明を続けようとすると、

「おまえの疾患はいったい何と言うの? え?」

 とネチネチとした話し方が続いた。それでも父は間違いなく私が倒れた時に親身になって見舞いに来てくれた父なのだ。汚い話だが、母の方は、私が一人で大便にいけなかった時に、ダイアパーさえ交換してくれた。間違いなく私を愛してくれた両親なのである。

 

 それでも私はずっと私の中の欠点の部分が、父か母のどちらかから遺伝したのではないかと、物心ついた時から漠然と考え続けてきたのである。その説明を私ははしょってしまったのだ。

 

 母は思い込んだら一途なところがあった。小学校中学年の頃だったと思うが、私が鉄棒の逆上がりが出来ないと知った両親が、我が家に鉄棒と体操マットを購入した。昭和55年頃のはずだから、おそらく現在みたいに気軽にそんなものを購入できたはずはない。おそらく、父と母の両方が小学校の教員をやっていたため、その模範的精神もあって購入することになったのだろう。

 そこからが私の地獄の始まりだった。弟と祖母を含めて、家族皆が見える場所で逆上がりの練習をさせられたのである。母が言うには、

「お前は運動神経が悪いから家でも練習しないと駄目だ」

 そうは言われても、上腕ニ頭筋がすぐに筋肉痛を帯び始め、練習を始めたときよりも体を鉄棒に引き寄せられなくなってきた。それでも、何日か、あるいは何十日かの後だったと思うが、はじめて辛うじて逆上がりの形になった時には、私は痛みのために泣き出してしまった。そこで涙ぐんだ母が私の練習を見ていた弟に大声で言った言葉は、

「兄ちゃんは逆上がりがうまくできない自分がくやしくて泣いてるのや!」

であった。何でもかんでも感動物語に変えようとする小学校教師のバカバカしさに唖然としながらも、もう痛みのために何も言い返すことができなかった。それ以降、私は母の強さを愛しながらも、母の一途さを恐れもしていたのだ。

 

 そんな母のことを恐れたのは、私以上に父だったのだと思う。確か中学生の頃だったと思うが、母が私の目の前で初めてではないかと思う挫折を見せた。なんでも、小学校で母が担任をしているある女子が、他の生徒に対して意地悪をするよう母が指図していると、彼女の両親たちに言いつけたとかいう話だったと思う。おそらく、母がその女子の発するサインを何度も見落としてしまったのだろうと想像がついたが、そんなことを言ったところで、寝込んでしまった母に通じるとは思えなかった。そんな母のことを見て、ビールを飲みながら父が言った言葉は

「今、かあさんは、人生で初めて挫折をしとんのよ」

そう言ってニヤニヤと笑っていたのだ。そんな姿を餓鬼に見られても酒の席の話だと後で言いくるめられると思っていたのか、私が母に訴えることはないだろうと予想していたのか、それは分からない。ともかく私は母に訴えるということはしなかった。

 大人になるにつれて、それは父が母に対して抱いていた劣等感の故だと分かるようになったが、当時の私には何が何だか分からなかった。そして、父が母のことを愛していないのだと勘違いをした。美しい母でさえこの様子なのだから、まして不器用で出来の悪い私が寝込んだら、父が喜ばないはずがない。幼かった私はそんな想像を膨らませて、可能な限り体の不調のことは父に伏せることに決めたのだった。

 ずっと大人になってからの話になるが、父は母のことを本当に愛していることに気付いた。父に足りなかったのは、母を幸せにしようとする気持ちなのだった。愛していることと、幸せにしようと思うのは別のことだと、まだ少年だった私は区別がつかなかったのだ。

 そんな挫折をした母が、普通のクラスを担任するのはきついので、養護学級の担任になると言い出した時、私は母のその判断にも落胆し、母にも私の体の不調を伏せることに決め、自分の心に強く強くフタをしたのだ。母の目の前に養護学級に入ってしまいそうな息子がいるのに、それさえ気づかずに養護学級の担任になるなど私には許容できなかったのだ。

 

 

 ともかく、父と私に共通している、何らかの強い劣等感の源が、もしかすると父も私と同様に体の不調を感じているのではないかと、ずっと私は思ってきたのだが、その説明をするだけの余裕は当時の私には残されていなかった。


辛かった学校生活

「運動神経が悪い」

 そう言ってしまえば簡単だが、私ぐらい極度になると、小学校から高校に至るまでの集団主義的な学校生活は本当に辛いものだった。

 

 人間の脳は嫌な記憶を自分で消し去る。私には特に小学校の頃の記憶があまりない。写真も全て自分で焼いてしまった。

 

 小学校の頃、特に球技、縄跳び、鉄棒、マット運動といった手足を同期的に動かす運動はクラスで最も下手であった。さらに、私を担任した小学校の先生の多くが、小学校が違うとは言え同じ職業の両親に、あなたの息子は運動がまるで駄目だと率直に伝えてくれなかったことも、拍車をかけていたと思う。それどころか、私が参加することで明らかに体育の授業が進まないにも関わらず、かえって無理に最後までやらせようとするのだ。

 

 もちろん、同級生の眼にはよく映らない。

「お前のせいでまたやり直しかよ」

「体でかいくせに、どんくせーな・・・!」

同級生といってもおよそ20人のクラスが学年に一つだけだったことが気持ちに拍車をかけ、小学校の六年生の時には、中学校に行ってもこの状態が続くなら自殺しようと考えるようになっていた。

 

 家に帰っても、面倒を見てくれた祖母の口癖は

「おまえは運動神経が悪い」

「人に迷惑をかけたらあかん!」

であった。今になって分かったことだが、運動神経が悪いというのは大きな誤りである。実際には運動神経よりも筋肉そのものの疾患のほうが疑わしいのだが、大正生まれで、看護師の経験があるでもない祖母にそんなことが分かるはずもなく、このお決まりの「運動神経が悪い」という表現が私を苦しめた。

 運動失調を持ちながら、集団行動ばかりの小学校で、人に迷惑をかけずに学校生活が成り立つわけもなかった。

 

 体育の時間に問題視されないように限界まで努力する一方で、クラブ活動にも体育系のものを選んでは挫折するということを繰り返していた。

「いつかは体がうまく動くようになるのではないか」

という淡い希望と、

「いくらやっても駄目なんだ」

という絶望の繰り返しだった。小学校では、重さのあるボールはうまく投げることすらできなかったので、

「卓球の小さいボールは、ラケットにさえ当たれば、とりあえず前に飛ぶはずだ」

という理由だけで、卓球部に入った。しかし、皆と同じようにボールを打とうとするのだが、前後左右に振られたボールに素早く追従するのが困難で、足先で立って尻が跳ねるように動かないと玉についていけない。私の番が回って来ると後ろで皆が笑い転げた。

 

 体がうまく動かないのを、補正することで何とか解決しようと意識し始めたのもこの頃だったと思う。一年に一度、学校を出て走るマラソン大会があって、確か二キロメートル以上の距離を走った。長距離を走っている間に、だんだん足首を含んでそこから先の部分に力が入らなくなって、地面を蹴る際に踏ん張りが効かなくなるのだ。

 足を地面に着ける際にも、足先から地面に下ろすことができなくて、足の裏全体を、なるべくタイミングを遅くして着地しようとする結果、

「ドタッ、ドテッ、ドタッ、ドテッ」

と大げさな音を立て始める。

 

 タイミングを遅くするというのは、靴底がなるべく地面と平行になってから着地しないと、足先が思っているよりも早く地面に触れたり、逆に遅く触れたりして、転倒しそうになるためだ。なるべく足の裏全体で地面に着くようにすれば、体の一部が制御できなくとも、不格好だが何とか補正を加えながら走り続けることができる。しかし、まるでスクアットをやっているように膝を上げ気味の走り方になり、走っている間は本当に苦しかった。ほんの少し膝を高く上げようとするだけで、苦しさは何倍にもなる。補正は可能だが、体に大きな負担がかかった。

「これで体力の差が比較できると思っている連中はバカだ」

 補正して何とか走っているのに、それで成績を比較する意味などない。元々、他人とは異なるフォームでないと走れないことに問題があったのだろうと、今になってみれば思われる。

 

 夜遅くまで寒くて乾いた部屋で勉強をして、急性肺炎で入院したのも小学校6年生の時だったと思う。同級生の男子の家はどれも遠く、誰ともそれほど親しくなかったためか、小学生が夜遅くまで勉強をするのが当たり前だと信じていた。家の中で目立ちにくい北側の部屋を望んだのは自分自身なので、急性肺炎について半分は自業自得とも言える。入院後に熱が下がってからは、小児病室での他の患児との入院生活の方が日常よりも楽しかったので、これについては悪い思い出ではなかった。

 

 幸いにして、中学校は七つぐらいの小学校区を含むマンモス校だったので、小学校ほどの閉塞感はなかった。

「これで何とか生きていける・・・」

「僕は生きていてもいいんだ・・・」

自殺は思いとどまったが、通学距離は非常に長くなり、自転車で通うのに体力的に限界の状態が中学、高校と六年間続いた。中学校も高校も約7kmと、ほぼ同じ距離で、自宅近くの百メートルぐらいの坂道が急できつかった。雨の日は自転車用の重いカッパを着て通学し、学校に着く頃には、意識がもうろうとし、ぜいぜいと喉が鳴った。

 

 学校の自転車置き場で、雨で冷たくなった手をハンドルから離そうとしても、手首から指先にかけて動かない。このような時は自転車のブレーキレバーを握る力もないので雨季には毎日が危険行為の連続なのだが、そういう症状が病気なのかどうか当時の私は知らなかった。動かないのは冷たくなった手だけで、腕の方は動くので、ハンドルから手が離れるように腕を動かすと、ハンドルを握ったままの形でだらしなく手が離れた。こうなると単純に温めただけでは、手先の運動麻痺は元には戻らず、回復までに一時間程度を必要とする。(かじか)みや凍えといった症状は健常者でも見られるが、頻度も程度も大きいのが、一部の筋疾患の特徴であると知ったのは最近のことだ。

 

「こんな情けないことを話題にするのは、運動神経が悪いのを正当化しようとする行為で、恥さらしに決まっている」

 孤立無援の体力の問題を抱えていた私は、誰にも相談できずにそう思っていた。だから、冬の雪の日には皆がこの状態になるが、夏の雨の日にブレーキレバーが引けなくなるのは一部の人間だけだということを知ったのは後々のことだ。ともかく、私が育った地域は、所謂過疎に近い状態の地域だったが、その中でももっと遠くてもっと坂道の険しい地域から通学している女子もいて、なぜ皆こんなので元気に生活できるのだろうかと不思議だった。

 

 

 カッパだけでなく学生服も重かった。冬服の黒い学ランを着ると、腕を動かすたびに肩がカッターシャツとの間でこすれて、摩擦の悪い引き戸のように抵抗を示した。まるで「養成ギプス」のようだとさえ思っていた。上半身をどのように動かそうにも学ランが弱い抵抗を示し、下校時にはまるで酔っ払いのようにくたくたになっていた。夕方に近づくにつれ首がうなだれてくると、詰襟に入っている白いプラスチックのカラーがあごに接触して更に気持ちが悪くなった。



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