目次
はじめに
はじめに
宗教的表現について
研究者の方々へ - 検証中の仮説
外部リンクの表記、Android対応、訂正箇所のご指摘のお願い
概略
現在の症状
息子の誕生
さらに遠い通院へ
知らされなかった検査結果
アミノ酸分画検査結果
タンデムマス検査結果
合っているかもしれない仮説
閑話休題:創作話 トリケラお母さんの悲劇(# ゚Д゚)
DNA検査の実体験と仕組み
ミトコンドリアDNAの検査
ヒットカウント分析および共起性分析
23andMeのDNAアレイによる検査 - 販売停止命令に至る経緯
遺伝病とコモンディジーズの違い - 優性遺伝と劣性遺伝
ヒトはヒトであるが故にヒトの病を患う
コモンディジーズの検査方式 - アバウトなGWAS
23andMeの深刻な検査結果 - 統計の改善による影響
23andMeのその他の結果
エクソームシーケンシング
コモンとレアの重症度分布 - アレル頻度とエフェクトサイズ
個人向け遺伝子検査の選び方 - 罹患人口カバー率指標
閑話休題:製作物 DNAツリー
希少疾患と難病の制度および数値
希少疾患と難病の違いと制度的起源 - 日米欧比較
赤信号みんなで渡れば - 真面目な日本人の最悪の集団行動
もっとも希少な希少疾患 - 70億人にたった一人
もっとも正確な希少疾患の数 - 毎日約1つ希少疾患が増える?
希少疾患全体の罹患率 - 全部合わせると10~14人に一人
診断に至るまでの年数、または遅延 - 28年?!
GINA(ジーナ) - DNA検査時代の国民、患者を守る法制度
国民皆保険の功罪 - 患者をチェリーピッキングする医師達
節としてまとまらなかった事柄
希少疾患と感染症
感染症と希少疾患の関係 - 未診断の希少疾患という重症化因子
予防接種の健康被害としての未診断の希少疾患
希少疾患としての感染症 - 米国のAIDSの歴史
見えないところに死体の山
医師に頼らない因果関係の追求 - 脳症の本当の原因
更に複雑な感染症の話
医療訴訟が生み出す二次被害 - 無過失賠償制度の必要性
辛い記憶
両親を批判することについて
両親への間違った説明
辛かった学校生活
体育の次の時間に倒れてしまう
電車とバス
繰り返し運動による寝られぬほどの筋肉痛
食事の前後の発作
進化と感染症の間の遺伝性疾患
進化と感染症の間の遺伝性疾患
仮説の更なる展開 - 発見され増加を続ける希少疾患
卵子と精子の間の変異の導入の違い
感染症と遺伝性疾患で重度となる役割 - 男性淘汰進化説
絶滅のシナリオ - 感染症と遺伝性疾患の袋小路
進化のスピード調節 - もっとも強く訴えたいこと
進化と遺伝性疾患の「必然性の枠内の偶然性」
ダーウィンのUNdiagnosed
そして各論へ
遺伝学用語の混乱
遺伝学用語の混乱:genetic、遺伝か起源か
de novo変異 - 両親から受け継がれない優性遺伝の変異
個人向け遺伝子検査のガイドラインの乖離
みんなが保因者の劣性遺伝病? - 平均約10個の遺伝的荷重
劣性病的変異の健常者への影響 - 遺伝子プールの浄化説
あとがき
あとがき
これ以降分冊予定
▲▼そして各論へ
検証実験の山 - バッチ型検証実験の提案
希少疾患の中の更なる希少な患者群についての予測
環境因子か遺伝因子か
代謝異常についての進捗
遺伝子検査の2つの嘘
生まれの平等性または不平等性
▲▼生まれの平等性または不平等性
新型出生前診断と着床前診断 - 技術的に◯、倫理的に☓
生まれる前のDNA検査 - 科学的因果関係の追求ライン
技術としてのNIPT - 生まれのDNA検査の技術予測
我が子に故意に良くない遺伝因子を許容する親の罪
ディストピアな未来像 - 生まれの平等性が崩れた世界
不妊という社会問題 - 男性不妊と父性年齢効果
中絶による母体へのダメージ - 次の妊娠がうまくいく確率
着床前診断の問題点 - NIPTとの倫理的違和感
不妊治療としてのPGD - 不妊としての遺伝性疾患
生殖医療のリアルの写真
男女産み分けの国際比較 - 海外での生殖補助医療のリアル
着床前診断の潜在的なリスク - 子と女性へのリスク
フィルターされた人々による生まれの平等性、不平等性の支配
遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か
人権に基づく多様性、人権に基づく変化性
男性不妊と劣性遺伝病の完全予防 - 22世紀の精子起源工学
その他 - うまく分類できずとも価値のあるトピック
DNA検査の結果の公開 - シーケンシング機会の平等性
進化における神の概念
mtDNAとY染色体の永代性 - 未来の血縁者の不利益
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個人向け遺伝子検査のガイドラインの乖離

 別の節で2003年の10学会による『遺伝学的検査に関するガイドライン』が、もしかすると23andMeが日本を対象から外している理由かもしれないと述べた。具体的には同ガイドラインの3ページ目に以下のように記載がある。

 

(4) 遺伝学的検査は試料採取の容易さのため,採血などの医療行為を伴わずに技術的に可能である場合がある.このような場合であっても,遺伝学的検査は,しかるべき医療機関を通さずに行うことがあってはならない.

 

明確に消費者直結型(Direct-to-ConsumerDTC)のDNA検査を否定している。[遺伝病とコモンディジーズ...]の節で述べたように、本著では個人向け遺伝子検査という呼称に統一しているが、日本人類遺伝学会による2008年の『DTC遺伝学的検査に関する見解』によればDTC遺伝学的検査となっている。

 

DTC遺伝学的検査はDirect-to-Consumer Genetic Testingの日本語訳であり,直接消費者に提供される遺伝学的検査を意味している.

 

個人向け遺伝子検査がガイドラインで否定されながら、その一方で、国内では呼称の統一さえされないまま、遺伝子検査といった名称で個人向け遺伝子検査が販売されている。また2008年の見解でも、DTC遺伝学的検査に「遺伝医学的知識のある専門家(臨床遺伝専門医等)が関与すべき」となっているのに、実際には関与していない。この矛盾が生じたのはなぜなのだろうか?

 

 2008年のものは見解なので、基本的には2003年の10学会によるガイドラインの方が効力が高いと思われる。同ガイドラインの最後の節には、以下のように記載がある。

 

このガイドラインの遵守を期待できる範囲は,基本的には,遺伝医学関連学会の会員内に止まる.このガイドラインに反して,非倫理的,非社会的,または不適切と考えられる遺伝学的検査が行われても,それが会員以外の者による遺伝学的検査であれば,このガイドラインのみではそうした行為を規制し,防止することはできない.したがって,今後は,日本遺伝子診療学会が要望したように[22],また他国でも指摘されているように,遺伝学的検査そのものの公的機関による評価体制,監視体制を整える必要がある[23]

 

「遺伝医学関連学会の会員内」というのが、10学会も集まっていれば、どれほどの規模のものなのか知っているのは一部の方々だけだろうから、一般人には自分が世話になっている医師が含まれるかどうか、分からないのである。同様に、23andMeも、彼らが使っているアジア人の統計について、著者に含まれている日本人がガイドラインの対象かどうか分からないだろう。

 

 人によって強制力の判断が分かれるガイドラインのため、たいして強制力がないと事情を知っている国内の会社は積極的に販売できるが、海外から来て営業するにはリスクを伴うという、ある意味、もしかして非関税貿易障壁とでもいうような状況ができているのではないだろうか?§

 

 このガイドラインは善意からできているのは間違いない。しかし、現在のままでは、結果として学会の顔色を見ながらうまく立ち回れた検査会社だけが得をする状況が続くのかもしれない。そういう検査会社は次のガイドラインが出たことを理由にして、新しい統計が得られたとしても、消費者に対する結果シートの更新を打ち切るかもしれない。

 

 大野更紗さんの次の言葉が思い出される。

 

病院もやはり一つの組織であり、矛盾にあふれた場所なのである。まあたいてい、あらゆる組織の「規則」とゆうものは、個々人が直面する現実に対して矛盾しているものだ。

 

『困ってるひと』、大野更紗著、ISBN4591124762、単行本、202ページより)

 

今回の場合は病院よりも遥かに大きな集合体である10学会ということになるが・・・。10学会という、より大きな人数で決めてしまったがために、患者から見ると逆に見通しが悪くなっている状態である。良かれと思って10学会で合わせたら、最後の一文に強制力を学会員に限ると入れてしまったことによって、有名無実の面倒なだけのガイドラインとなってしまっている。10学会もあったら、誰が学会員なのか簡単には確認できないではないか。影響力の範囲が全く分からないのである。

 

 23andMeなどが日本を避ける理由は多分にあるということは分かったが、これは事実上の非関税貿易障壁だと思われる。当面DNA検査の高値は続き、米国並みの価格に落ち着いてくることは永久になく、長い目で見れば決して消費者の利益にはならない。一応、その後も、2011年に日本医学会による『医療における遺伝学的検査・診断に関するガイドライン』が示され、10学会による2003年のガイドラインを更新するかのような位置づけとなっている*が、「医療における」との名称の通り、2003年のものがDTCを否定したのに対し、2011年のガイドラインでは規定されていない。代わりに2012年の『拡がる遺伝子検査市場への重大な懸念表明(会見資料)』では、以下のように、改めてDTCが明確に否定された。

 

1一般市民を対象とした遺伝子検査においては、その依頼から結果解釈までのプロセスに、学術団体等で遺伝医学あるいは当該疾患の専門家として認定された医師等(臨床遺伝専門医等)が関与すべきである。

 

今読み直すと、この文言では、どのような手段をもって関与すべきまでは規定していないため、[個人向け遺伝子検査の選び方 - 罹患人口カバー率指標]の節で述べたベルギーのDNA検査会社が英語圏で販売している、スカイプというか、ビデオチャットというか、そういったものを利用して「関与」すれば、もしかするとDTCを許容していると読めなくはない。23andMeに販売停止命令を出したFDAも、ベルギーのDNA検査会社に介入していないようなので、日本でもありうる選択肢なのかもしれない。

 

 問題はもうひとつあって、日本医学会が2012年の表明で次のように述べている。

 

本見解では、医療の場で行われるものを「遺伝学的検査」、それ以外で行われているものを「遺伝子検査」と表記した。

 

つまり、個人向け遺伝子検査と本著で呼んでいるものは、単に遺伝子検査と呼んでいいのだと日本医学会は述べている。私は[コモンディジーズの検査方式...]で述べたように、これは問題があると思う。その一方で、日本人類遺伝学会は、2008年の見解で、個人向け遺伝子検査と本著で呼んでいるものを、DTC遺伝学的検査と述べている。本当はどれが正しい名称なのかさえ分からないまま、現在は、次々に個人向け遺伝子検査が発売されている。本著での、個人向け遺伝子検査という呼称は、グーグルでヒットカウント分析を行って、最も件数が多かったので採用した用語である。

 

 [遺伝学用語の混乱:genetic、遺伝か起源か]の節で語源を遡って調べたように、"genetic""genus"「起源」から来ているので、"genetic test"を遺伝学的検査と訳そうが、遺伝子検査と訳そうが、どちらも語源学的には誤りである。どの時点かは調べきれていないが、誰かが"hereditary"の意味を"genetic"に対して割り当てて「誤訳」または意図的に修飾したのを、今まで引きずっているだけである。「遺」も「伝」も、継承的、親ゆずり的とも訳される"hereditary"にふさわしい意味の漢字なのである。だから"genetic"の本来の訳は「起源的」であり、"gene"は起源子のはずであった。今となってはもう遅いが。

 

 したがって、同じ誤訳を引きずるのならば、普及していない方の用語を押し付けるのではなく、たとえ冗長であっても、現在の用語の混乱を収拾するという安全ラインで考えるべきで、インターネット検索全盛の時代にあっては、最大の市場シェアを持つ検索会社であるグーグルで、市民が使っている検索ワードが最も依るべき指標である。・・・と思って数値をあたってみると、実はYahoo*の方が日本では市場シェアが大きいかもしれない記事*が出てきたため、念のためYahooでも調べておく。20141129日の結果である。

 

"個人向け遺伝子検査" 9,960

"体質遺伝子検査" 5,280

"DTC遺伝子検査" 2,110

"OTC遺伝子検査" 376

"DTC遺伝学的検査" 370

"個人遺伝子検査" 115

 

やはり、Yahooはグーグルと共通の仕組みを使っていると言われる通り、ほぼ同じ結果である。

 

 単に「遺伝子検査」だけではよくないと思うのは、将来的に整合性のとれる方を選択すべきと考えるからである。次世代シーケンシングに象徴されるように1遺伝子の全長が簡単に検査できる時代に入りつつあること、バイオインフォマティックスに象徴されるように遺伝子の定義としてDNAという物質上の範囲を示す情報概念が強調されること、これら2点を考え合わせると、やはり一つの遺伝子という範囲の全長を検査する方を、どの遺伝子かを指定した上で遺伝子検査と呼ぶべきである。具体的にはBRCA1遺伝子DNAシーケンシング検査、少し略してBRCA1遺伝子検査、また、BRCA1が文脈ですでに登場していれば遺伝子検査と呼ぶのが適切ではないだろうか。こうしないと、遺伝子の全長をシーケンシングした遺伝子検査と、していない遺伝子検査が混同されて、DNA検査の表示詐欺が起こってしまう。

 

 DTC遺伝学的検査という普及していない用語を用いるのも、単に遺伝子検査と述べるのもよくなくて、残念ながら遺伝という用語自体が誤訳的・過剰修飾的要素を含むけれども、9文字と多少冗長だが最も安全マージンをとって、個人向け遺伝子検査と呼ぶべきと思われる。医療従事者側の都合よりも、購入者を混乱させない、表示詐欺をもたらさないということにご配慮いただけるよう、願ってやまない。

 

 

 この節のまとめとしては、ガイドラインの前に検査の名称の統一をはからないことには、話が混乱して効率よく議論が進まないであろうと思われる。


みんなが保因者の劣性遺伝病? - 平均約10個の遺伝的荷重

de novo変異という優性遺伝の単一遺伝子疾患で重要な考え方を述べたが、劣性遺伝の単一遺伝子疾患、つまり劣性遺伝病では、すでにみんなが保因者である点が重要である。[遺伝病とコモンディジーズ...]の節で示した図を再度用いる。図の真ん中のパターンで、片方のDNAだけに変異があって、もう片方のDNAからは正常にタンパク質を生産している状態に、すでに、皆がなっているのである。この保因者の状態では、タンパク質の量は半分なので半分の重症度で発症しているということではなく、タンパク質の量は別の仕組みで調節されていることが多いので、ほぼ無症状である。だから、通常は、子で発症しない限り、その夫婦がどんな劣性遺伝病の保因者なのかも分からない。全ゲノムシーケンシングを行っても、検証実験にかけないと病因性が分からないものが多すぎて、日本人でも欧米人でも、平均して何個の劣性遺伝病の保因者なのか、現在に至るまで正確なところを明らかにした学術報告はない。それでもおよその数値として、10個程度と記されている日本語のウェブページがあった。

 

 de novo変異でない限り、劣性遺伝病は、両親の両方から、運悪く、一つの遺伝子のDNA両方に載る形で、病的変異を受け継いで発症する。希少疾患全体で710%の人口比と言われ、その中にかなりの数の劣性遺伝病が含まれるように、全部の劣性遺伝病でトータルすれば数%といった人口比になると思われるが、一つの疾患あたりは10万人に何人といった、とても小さい罹患率である。しかも、劣性遺伝病の場合には、各疾患による重症度の差は大きいが、全体的な傾向として、めったに罹患しないことを反映して、罹患すれば寿命は極めて短い。非常に大雑把に言って劣性遺伝病の死亡数の約半数は、新生児の段階での死亡である。

 

 以降では、劣性遺伝、遺伝病、病的変異の3語にちなんで、劣性遺伝の遺伝病の病的変異のことを、劣性病的変異と略称する。

 

 こういった一部の人口のみに過酷な状況を、劣性病的変異をみんなが遺伝子プールでシェアしていて、変異が子に伝搬されて発症するのを、社会的な問題と考えて対処するか、それとも家系や自分自身、あるはどこかの運の悪いやつの問題と考えるかで、我々のとる道は異なる。もちろん、社会的な問題と考えるべきなのだが、必ずしも皆がそう考えてくれるとは限らない。情報をフェアに共有することに科学的な価値があると信じるので、医師や遺伝カウンセラー達が患者に語らない本当のところを記すと、劣性病的変異の保因数は家系や個人によって著しく差がある数値なのである。[卵子と精子の間の変異の導入の違い]の節で、サンガーインスティチュートのウェブページを参照したが、2組の親の、夫婦の間で、子にde novo変異が導入された数を調べた。この平均60個という数値は、検証実験をしないと完全に良性の多型とは言えない劣性病的変異も含まれているはずだけれども、今のところ症状がないので良性の多型とそれ以外のde novo変異をまとめて数えた数値である。しかし、サンガーインスティチュートのウェブページ中の図でFamily1Mumのように、たった7個しか、子にde novo変異を生じない母親もいれば、同じFamily1Dadは、実に69個も、子にde novo変異を生じている。繰り返しになるが、こういった大きな数になっているのは、良性の多型が含まれているからで、病的変異だけをカウントしたわけではない。

 

 変異の発生に関してこのような状況なので、発生を出発点として、保因している劣勢病的変異の数も、家系や個人により大きくばらつくはずで、ポアソン分布に従うとみなしていいはずである。それを示すために図を描いた。平均10個とは言っても、11人に一人は7個といった少ない数で、141人に一人は18個といった多い数である。保因数ゼロ個の個人も存在し、約20000人に一人である。ポアソン分布では分散は平均に等しい*ため、標準偏差は3.2である。

 

 こういった研究は、ハーマン・J・マラーという人物が中心となって展開した集団遺伝学という分野として研究された。集団遺伝学では、劣性病的変異の保有数よりも一般化された表現として、「遺伝的荷重」(genetic load)として扱われている。

 

 驚くべきことに、近親婚集団と一般人口の比較から、近親婚集団の方が遺伝的荷重が小さいとするウェブページがあった。しかし、何度も問い合わせているうちに、著者が他の組織に移動してしまったことの影響もあると思われ、ウェブページが消えてしまった。保存の意味も含めて、重要部分を残しておく。

 

*

 

以上の考察から近親婚が日常的に行われている集団では遺伝的荷重が任意交配集団に比べて減少するが、その程度は近親婚率にも依存するが、α=0.0020.02では弱有害遺伝子よりも致死遺伝子による効果のほうが大きいことがわかる。事実南インドの近親婚率の高い地区での遺伝的荷重が比較的小さいことが指摘されている(Bittles &Neel 1994)

()

集団の近交係数がα=0.019程度の平衡状態では致死遺伝子による荷重は任意婚集団(α=0)のそれの75%、ほぼ3分の4となる。

()

日本における近親婚の頻度は1950年代から減少の傾向にあり、地域差もある(Imaizumi 1975)から、一概には言えないが、現時点では少なくとも一桁のオーダーは低くなっている

()

近親婚のある集団での突然変異による遺伝的荷重は任意婚集団での荷重に比べて小さくなる。これは近親婚により有害劣性遺伝子がホモ接合となり、集団から除かれるからと考えられる。

 

最初に読んだ時、私は先入観から、近親婚集団の方が遺伝的荷重が大きいと思い込んでいた。そのため、なかなか、近親婚集団で遺伝的荷重が小さいというのが何を意味しているのか分からなかった。しかし、よく考えると納得がいった。これはおそらく、近親婚集団の方が劣性遺伝病を罹患しやすいことにより、患児が亡くなるという形、また患児が亡くなった後、その夫婦でもう一度同じ思いをするのが嫌だと考え、子をもうけるのが躊躇われるという効果で、病的変異が排除される効果による。

 

 したがって、極端な考え方として、もしも少しでも自分の子を致死的な遺伝病から遠ざけようと考えたなら、自分と血縁がない配偶者を持つだけでなく、近親婚集団から配偶者を得ることが有利に働く。日本国内でそういった集団というのは現在に至ってはほとんどないはずだが、過去にそうであった集落は存在するはずなので、そういう集落の子孫の中から配偶者を得る。更にほんの少しでも拘るなら、いとこ婚の両親から生まれた健常な配偶者を得る、ということが考えられる。その場合は本当に健常かどうかの見極めは実にシビアだ。行き着く先は結婚前にDNA検査を受けるのが当たり前の社会になっていくのだろう。

 

 しかし、倫理的なことを考えると、近親婚集落から配偶者を得ることについて、もしも誰かが実行すれば、何だか過去に死んだ患児に病的変異を押し付けて利益を得ている、と考えられないだろうか?近親婚集落に限らず世の中とはそういうものだと割りきった方がいいのだろうか?近親婚集落出身者の精子や卵子は、精子バンクで高値がつくのだろうか?

 

 したがって、本節のタイトルにあるような「みんなが保因者」という表現は、社会的な必要性からいろいろなところで唱えられているだけで、科学的には誤りである。平均して10個、劣性病的変異を持っているとすると、本当は約2万人に一人、たった1つも劣性病的変異を持っていない個人が存在する。しかし、社会的な必要性というのは、やはり存在して、劣性遺伝病で子を亡くしたご両親が、自分達の生物学的な存在価値を疑ってノイローゼになったり、最悪の場合自殺をしたりするのを、緩和するということはどうしても必要である。[希少疾患全体の罹患率...]の節で述べたように、亡くなった子の兄弟姉妹のリスクもろくに検討せずに、混乱のうちに離婚をするというケースも頻繁に起こっているはずで、夫婦の間で、どこまで科学的因果関係を追求するか、早めに合意を作らないことには、社会的に悪い方向にしか物事は運ばない。兄弟姉妹がいる場合と、いない場合で大きく選択肢は分かれ、いる場合には科学的因果関係をある程度を追求しないと、兄弟姉妹のリスクを見積もることができない。いない場合は、はっきり言うと、事実上着床前診断が行えない日本では、科学的因果関係の追求などしても、もう一度妊娠して子を産む際のリスクを軽減することはできず、子を作らないことにして、養子という選択肢を検討し、科学的因果関係の追求もほどほどにした方がよいと思われる。これは今のところ私の個人的な意見であるが、養子は欧米で日本よりも遥かに多く、やはり自らのDNAに不安がある場合は、そういった選択肢がとられて養子が増えているのだろうと思われる。

 

 なお、平均10個程度という数値の根拠を教えていただいて少しでも納得できる文献を探すうちに、この先述の記事でも「重篤な病気」と記されているように条件によって結果が食い違っていて、あくまで目安程度の数値であるのに気付いた。この数値は、重症度をどう考えるかに依っている。また、過去においてはDNA検査が容易でなかったため、ヒトについての古い研究ほど、多少低めに劣性病的変異の数を見積もる可能性がある。同様に、科学的因果関係を追求しない選択肢をとった場合、社会的被害を防ぐためにその選択肢自体は決して悪いことではないのだが、DNA検査を駆使できずに、子が天に召された原因が劣性遺伝病なのかどうか、はっきりとは分からないまま、ご両親が納得するために何らかの診断名を与えている場合が生じると思われる。この場合もDNA検査が間に合わないほど早くに亡くなる重度の疾患ほど、多少低めに劣性病的変異の数を見積もることになる。やはり、平均10個程度というのは、目安としての数値で、しかも先述のように個人により非常にばらつくため、真剣に検証してもそれほどよいことがない類の数値である。私が23対の染色体にちなんでヒトで約23000の遺伝子数が好ましいと思ったのと同様に、10というのは目安として非常に有用であり、今後も試算の中で、この数値を用いるつもりである。


劣性病的変異の健常者への影響 - 遺伝子プールの浄化説

 集団遺伝学について調べるうちに、劣性病的変異がヘテロ接合、つまり父母由来の2つの染色体のうち、片方だけに変異がある状態であっても、ホモ接合、つまり両方に変異がある状態よりは軽いが、何パーセントか個体の健康に影響が及ぶという記述に出会った。すでに否定された考え方を歴史的に紹介しているだけなのかと思ったら、木村資生による1988年の著書『生物進化を考える』にも以下のようにまともな説として記されていた。

 

 ただし、ここで注意しておきたいのは、これらいわゆる劣性致死遺伝子が有害効果に関し完全には劣性でなく、ヘテロ接合でほんの少し、すなわち、二%ないし五%くらいハエの生存力を低下させるという事実である。これは最初、H・J・マラーやスターテバント(A. H. Sturtevant)によって可能性が指摘され、一時はドブジャンスキー一派の強力な反対を受けたが、のちのJ・F・クローや向井輝美教授らの大規模な研究によって、正しいことが確証されたものである。

176ページより)

 

 すでに述べたように「劣性」有害遺伝子は、ハエでは完全に劣性でなく、わずかながらヘテロ接合の状態で有害効果を表す。人間では確認はないが、同様の可能性があり、遺伝病とは言えないが、各人に特有な(親ゆずりの)健康障害のかなり重要な部分はこのようなヘテロ接合の結果である可能性がある。

180181ページより)

 

 木村資生と書いてしまったが、良性の多型やSNPといった、病的変異でない変異がほとんどであるという考え方の先駆けの方らしく、本来は先生と書くべきであろうが、先生というのは呼ぶ側の依頼心を強調するようで好きではないので、このまま通したいと思う。故人であられるので、この偉大な集団遺伝学の先駆者のご冥福をお祈りしたい。

 

 マラーによると、一人あたり35個の有害劣性変異を持っているとのことだが、前の節で用いた10個で考えてみた。具体的には、Google Spreadsheet上で、

 

B2=((10^A2)*exp(-10))/FACT(A2)

 


というポアソン分布の式を入力して計算すると、
B2の逆数、つまり何人当たりに一人という数値が10万に最も近いのは、有害劣性変異が26個の場合であった。グラフとして示しておく。

 

 

 このように、平均10個という一見それほど深刻とは思えない数値の裏で、10万人当たりに一人、26個もの有害劣性変異を持つ人口が紛れ込んでいることになる。10万人当たりに一人というのは、稀なようだけれども、健常者の中から希少疾患の患者を医学の歴史の中で見つけてきた頻度なので、うまく条件をつけることができれば希少疾患として認めることができる数だと思う。

 

 その条件として考えたのが、代謝経路、すなわちパスウェイ上に連続する劣性変異のヘテロ接合の累積的有害性という仮説である。次の図に示すように、例えば3個の劣性変異のヘテロ接合が、代謝経路上に並んでしまったとする。酵素124が変異した酵素で、酵素3は野生型の酵素である。酵素3を挟んだのは、間に正常なものが含まれても、変異したものが経路上に連続して存在しさえすれば、この条件が成り立つことを示したいからだ。

 

 各変異酵素が野生型酵素に対してどのぐらいのスループットを持つかについては、マラーらの言う35%の生存率の低下からの数値として、96%をとってしまうと、患う数ではなく死んでしまう数になっていると思うので、ざっくりと80%のスループットを持っていると仮定する。酵素の発現はフィードバック調節されているが、片側の染色体だけでは、完全には調節しきれず80%に落ち込むと考える。すると、変異1個あたりでは80%へと減じるだけだが、3個連続すると、およそ50%まで減少する。もしも60%に発症の閾値があったなら、この患者は確かに劣性変異のホモ接合も、複合ヘテロ接合も持っていないが、それでも発症していることになるのではないだろうか?

 

 もしかすると、[23andMeの深刻な結果...]で示したように、私の糖尿病と痛風の予測罹患確率が高いのと関係があるのかもしれない。糖尿病は特に原因遺伝子を特定できず「遺伝学者の悪夢」と呼ばれたが、GWASの登場でDNA検査で取り扱うことができるようになったコモンディジーズとして知られている。代謝異常に関係しそうな2つのコモンディジーズと、[タンデムマス検査結果]で示した現在も原因不明なままのアシルカルニチン分画の異常値は、うまくすれば、この累積的有害性から説明できるのかもしれない。・・・ほぼ確定診断不可能かもしれないが。もしかするとコモンディジーズで原因遺伝子が特定できず、GWASに頼っているのは、原因遺伝子が多数あるというよりもむしろ、決定的な原因遺伝子というものは存在せず、多数の劣性変異のヘテロ接合の累積的有害性によるものなのではないだろうか?つまり、発症に必要な劣性変異がこれと決まっているわけではなく、ある代謝経路上にあればどの酵素の劣性変異でも構わないというような形で、ある経路上のどれか1つ、2つ、また別の経路上のどれか1つ、2つ、そして合わせて3つというような形で遺伝因子を形成するならば、最終的に原因遺伝子が巨大な集合として存在しても、寄与がばらばらであることによって特定することに意味はないかもしれない。

 

 少しまとめたい。重度の病的変異を健常者が保有している数として平均10個を採用すると、ポアソン分布からおよそ10万人に一人26個もの変異を有する人口が存在する。これほど多くの変異を有すると、それらが代謝経路上の酵素として連続してしまう可能性が高くなり(まだ試算していないけれども)、結果的にどこかの代謝経路で代謝異常症を引き起こす閾値を越えてしまう現象が生じているのではないだろうか。

 

 これからは、劣性変異のヘテロ接合で、複合ヘテロ接合でなくても、同じ代謝経路上に変異がないか注意して見る必要があるかもしれない。非常に発見しにくいとは思うが。

 

 そして最終的には、劣性遺伝病の患児が天に召され続けることで、我々は今日も生きていけるのだという、仮説が成り立つ。図を描いた。

 

 前の節で述べた、劣性遺伝病で患児が亡くなるほど、その集団の遺伝的荷重が減るということ。そして、マラーらの言う遺伝的荷重は健常者の健康にも軽度に害をなしていること。この2つを繋ぎ合わせると、患児が亡くなることで遺伝子プールは、言ってみれば浄化されているのではないだろうか?我々が今日、遺伝的荷重に押しつぶされずに生きていられるのも、長い歴史の中で患児達が天に召されてきたからではないだろうか?

 

 更なる検証が必要だが、こう考えると、劣性遺伝病については、ただ単に進化の犠牲という、比較的遠い因果関係よりも、社会全体が健康に生きていくための直接的な犠牲である。

 

 

 そういう意味では、不幸にもロシアンルーレットにあたってしまった、劣性遺伝病の患児にたいして、社会全体として感謝すべきであり、患児への社会的、経済的サポートを、より充実すべきなのではないだろうか?


あとがき

最後までお読みいただきありがとうございました。本著の冒頭で申しましたように、本著にはパブー版Kindle版があり、Kindle版の方の訂正・更新を優先しておりますが、パブー版の後半には、まだまとめきれてはいないのですが、新型出生前診断、着床前診断、精子起源工学といったより生まれの不平等性をどのように根本的に解決するかという議論が含まれます。そちらもまたの機会に参照いただければ著者としてこれ以上の喜びはありません。

 

著者略歴は、本著そのものが経歴を示しているので、省かせていただきたい。

 

 本書では、特定の医師個人を批判しないよう、病院名、医師名を仮名として、極力配慮させていただいたつもりである。私自身も作家名を使っている。検査会社などの社名についても、当初仮名にした方がよいのではないかと迷ったが、最終的には、情報としての価値を損なわないよう、そのまま記すことにした。

 

 柳澤桂子さんによる『認められぬ病』という著書は、私の闘病を支え、私に本書を書くに至らせた作品であるが、同時に、私は、医療を批判し、医師を批判するだけでは、何も変わっていかないのではないかとも感じていた。今にして思えば、患者自身ができることをやり、医学英語を学び、オープンアクセスの医学論文を読まなければ、既にリソースの制限された中で、日本の医療はよくならないと漠然と感じていたのだと思う。かと言って、結局のところ私に、柳澤氏のようなみずみずしい文章が書けるわけでもなかったため、どうしても説明調の文章が多くなってしまった。『認められぬ病』がノンフィクション・ノベルとして著されたのに対して、本著はノベルというほどの文章ではないのだが、医師や家族らとの会話の一つ一つをボイスレコーダーでメモしていたわけでは決してない。そういう意味で、会話については、どうしても小説的な要素があると認めざるをえない。

 

 将来的に紙の書籍として出版することを目指しております。

 もしもご助力いただける出版社の方がおられれば、コメント欄やメッセージ、または、kusatosu-m@yahoo.co.jpまで、ご連絡いただけると幸いです。

 研究者の方からのご連絡もお待ち申しております。

 

 


▲▼そして各論へ

▲進化と感染症の間の遺伝性疾患

▼そして各論へ

 

 前の章「進化と感染症の間の遺伝性疾患」では、かなり複雑な内容を系統的に説明する必要があったため、節を順番に読まないと途端に分かりにくくなるという、緊張感に張り詰めた章となってしまった。この反省から、次の章「そして各論へ」では、あまり順番に読まなくても大丈夫と考えられる、どちらかというと、前の章からはじき出された節を収録することとした。言葉を変えれば、読まなくても本著の残りの部分にはあまり関係がない。

 

 その後の章の「生まれの平等性または不平等性」では、DNA検査の応用的な、そして、倫理的な、生まれを操作する技術について取り扱うため、再び緊張感を必要とする配置とした。

 



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