目次
はじめに
はじめに
宗教的表現について
研究者の方々へ - 検証中の仮説
外部リンクの表記、Android対応、訂正箇所のご指摘のお願い
概略
現在の症状
息子の誕生
さらに遠い通院へ
知らされなかった検査結果
アミノ酸分画検査結果
タンデムマス検査結果
合っているかもしれない仮説
閑話休題:創作話 トリケラお母さんの悲劇(# ゚Д゚)
DNA検査の実体験と仕組み
ミトコンドリアDNAの検査
ヒットカウント分析および共起性分析
23andMeのDNAアレイによる検査 - 販売停止命令に至る経緯
遺伝病とコモンディジーズの違い - 優性遺伝と劣性遺伝
ヒトはヒトであるが故にヒトの病を患う
コモンディジーズの検査方式 - アバウトなGWAS
23andMeの深刻な検査結果 - 統計の改善による影響
23andMeのその他の結果
エクソームシーケンシング
コモンとレアの重症度分布 - アレル頻度とエフェクトサイズ
個人向け遺伝子検査の選び方 - 罹患人口カバー率指標
閑話休題:製作物 DNAツリー
希少疾患と難病の制度および数値
希少疾患と難病の違いと制度的起源 - 日米欧比較
赤信号みんなで渡れば - 真面目な日本人の最悪の集団行動
もっとも希少な希少疾患 - 70億人にたった一人
もっとも正確な希少疾患の数 - 毎日約1つ希少疾患が増える?
希少疾患全体の罹患率 - 全部合わせると10~14人に一人
診断に至るまでの年数、または遅延 - 28年?!
GINA(ジーナ) - DNA検査時代の国民、患者を守る法制度
国民皆保険の功罪 - 患者をチェリーピッキングする医師達
節としてまとまらなかった事柄
希少疾患と感染症
感染症と希少疾患の関係 - 未診断の希少疾患という重症化因子
予防接種の健康被害としての未診断の希少疾患
希少疾患としての感染症 - 米国のAIDSの歴史
見えないところに死体の山
医師に頼らない因果関係の追求 - 脳症の本当の原因
更に複雑な感染症の話
医療訴訟が生み出す二次被害 - 無過失賠償制度の必要性
辛い記憶
両親を批判することについて
両親への間違った説明
辛かった学校生活
体育の次の時間に倒れてしまう
電車とバス
繰り返し運動による寝られぬほどの筋肉痛
食事の前後の発作
進化と感染症の間の遺伝性疾患
進化と感染症の間の遺伝性疾患
仮説の更なる展開 - 発見され増加を続ける希少疾患
卵子と精子の間の変異の導入の違い
感染症と遺伝性疾患で重度となる役割 - 男性淘汰進化説
絶滅のシナリオ - 感染症と遺伝性疾患の袋小路
進化のスピード調節 - もっとも強く訴えたいこと
進化と遺伝性疾患の「必然性の枠内の偶然性」
ダーウィンのUNdiagnosed
そして各論へ
遺伝学用語の混乱
遺伝学用語の混乱:genetic、遺伝か起源か
de novo変異 - 両親から受け継がれない優性遺伝の変異
個人向け遺伝子検査のガイドラインの乖離
みんなが保因者の劣性遺伝病? - 平均約10個の遺伝的荷重
劣性病的変異の健常者への影響 - 遺伝子プールの浄化説
あとがき
あとがき
これ以降分冊予定
▲▼そして各論へ
検証実験の山 - バッチ型検証実験の提案
希少疾患の中の更なる希少な患者群についての予測
環境因子か遺伝因子か
代謝異常についての進捗
遺伝子検査の2つの嘘
生まれの平等性または不平等性
▲▼生まれの平等性または不平等性
新型出生前診断と着床前診断 - 技術的に◯、倫理的に☓
生まれる前のDNA検査 - 科学的因果関係の追求ライン
技術としてのNIPT - 生まれのDNA検査の技術予測
我が子に故意に良くない遺伝因子を許容する親の罪
ディストピアな未来像 - 生まれの平等性が崩れた世界
不妊という社会問題 - 男性不妊と父性年齢効果
中絶による母体へのダメージ - 次の妊娠がうまくいく確率
着床前診断の問題点 - NIPTとの倫理的違和感
不妊治療としてのPGD - 不妊としての遺伝性疾患
生殖医療のリアルの写真
男女産み分けの国際比較 - 海外での生殖補助医療のリアル
着床前診断の潜在的なリスク - 子と女性へのリスク
フィルターされた人々による生まれの平等性、不平等性の支配
遺伝学用語の混乱:variation、多様性か変化性か
人権に基づく多様性、人権に基づく変化性
男性不妊と劣性遺伝病の完全予防 - 22世紀の精子起源工学
その他 - うまく分類できずとも価値のあるトピック
DNA検査の結果の公開 - シーケンシング機会の平等性
進化における神の概念
mtDNAとY染色体の永代性 - 未来の血縁者の不利益
奥付
奥付

閉じる


希少疾患と感染症

感染症と希少疾患の関係 - 未診断の希少疾患という重症化因子

 [合っているかもしれない仮説]の節で、第三世界においてマラリアといった感染症の病名で、診断されない1億人の患児が生殖年齢までに天に召され続けていると述べたが、実は、日本でも同じことが起きている。日本は先進国の中では例外的に予防接種の普及率が低い国である。その原因は予防接種ワクチン禍の中で、B型肝炎を予防接種により感染させてしまうという医療過誤に対して過去に大きな集団訴訟が起こり勝訴したことの他に、予防接種による他の原因不明の健康被害も多いからである。おそらく、これは日本で希少疾患の診断が軽視されているのと関連している。つまり、確かに過去においては杜撰な予防接種が多々あったが、現時点にいたっては、予防接種で健康被害を起こした人々のうち、非常におおざっぱに言って半数は、診断されていなかった軽度の希少疾患によると推測できるのだ。予防接種がらみの裁判で行政が負け続けたことによってこの国の感染症対策は完全におかしくなってしまった。エボラに立ち向かうどころではなく、もっと感染力の低い感染症さえ制圧することができない。そのことが悪循環でまた我々、疾患を持って免疫的・体質的に弱者として暮らしている者達の首を締めているのである。あまりにも酷い状況なので、この章に関してはリアルを緩和するための宗教的表現を一貫して使う余裕もないことをお許しいただきたい。

 

 上記で予防接種による健康被害と記したが、最初に用語の普及率の確認を行いたい。グーグルを用いた共起性分析を行う。

 

"副作用" "予防接種" 約 759,000

"副反応" "予防接種" 約 253,000

"健康被害" "予防接種" 約 152,000

"有害事象" "予防接種" 約 18,000

"有害反応" "予防接種" 約 4,810

 

このうち、副反応と有害事象は明確に区別されている。

 

(『予防接種後の有害事象と副反応』§ 大谷清孝, 小児感染免疫 Vol.25 No.4 481, 2013 より)

 

予防接種後に生じる生体にとって不利益な反応を総じて「有害事象」と称し,その事象とワクチンとの因果関係の有無は問われない.一方,「副反応」とは,ワクチンによる本来の目的以外の作用とされている.一般には,有害事象は副反応も含み,さらにワクチンとは無関係な種々雑多な医学的に好ましくない事象などが紛れ込んでいる.ワクチンとの因果関係を考慮し「真の副反応(健康被害)」と「偽の副反応(紛れ込み)」を明確に区別することは,接種直後のアナフィラキシーや接種部位の局所反応を除けば,実際には非常に困難である.

 

Wikipedia*からも、副反応の方が範囲が狭いので、患者の立場からは有害事象の方が適切と思われる。また、副作用は予防接種の場合は副反応と称するそうなので、これも採用しない。有害反応はおそらく、有害事象と副反応を合わせて称する意図でこのように呼ばれるか、または、両者を混同しているかであり、両方がインターネット上で混在して区別できない。混乱を避けるためにこれも採用しない。健康被害は予防接種法に関係する文脈でしか用いられていないが、実際には救済という患者にとって最も気になる部分であり、本著では健康被害という表現を用いることとしたい。副反応でもいいのではないかと意見があるかもしれないが、予防接種法の文言には一度も副反応という表現は登場しない。また、厚生労働省が副反応という表現を用いているが、これは分かりやすくするため健康被害に至る過程についての補足的説明と考えられる。

 

(予防接種健康被害救済制度厚生労働省, 20141024日閲覧より)

 

予防接種の副反応による健康被害は、極めて稀ですが、不可避的に生ずるものですので、接種に係る過失の有無にかかわらず、予防接種と健康被害との因果関係が認定された方を迅速に救済するものです。

 

当初本著でもよく確認せずに、有害反応という用語を用いていたが、これは救済が絡んでいる文脈で用いるには曖昧すぎた。今後は健康被害という表現に置き換えたい。科学的な文脈では副反応という表現も用いるかもしれないが、我々患者にとって一番重要なのは「副反応という科学的な過程」よりも「健康被害という結果」である。繰り返しになるが、法的には副反応ではなく健康被害と述べられているし、厚生労働省も少なくとも救済に関しては健康被害という用語の方が強調されている。副反応という、有害事象を除いた狭い範囲の用語は過程として述べているのみである。なるべく広く救済する「疑わしきは救済」というモットーが呼びかけられているようで、これは非常によいことだと思われる。しかし、後述するが、日本は諸々の事情により、疑わしきは救済がそれほど実行に移されているわけではない。だからこそ、そういった普及運動が存在するものと思われる。

 

 インフルエンザ脳症ライ症候群で天に召された、また、障害をもたれた患児のご両親にはさぞ無念とご胸中をお察しする。下熱のためにアセチルサリチル酸を投与されてしまった場合は、これは明らかに医療過誤なので、裁判になるのは仕方がない。しかし、そうでなければ、近年になって、一部の希少疾患がインフルエンザ脳症の重症化因子であることが明らかになった。[エクソームシーケンシング]の節で脂肪酸代謝異常症の年表を描いたが、その中にCPT2という病型が含まれている。このCPT2欠損症という代謝の疾患は、代謝の疾患全般に言えることだが、発症の閾値がはっきりとは決まっていないので、軽度であれば、短く走っても疲労しやすい体質や、長く走っても疲労しにくい体質があるように、個人差によって体育の成績が極端に違っている中に埋もれてしまって、非常に目につきにくい。とても激しく疲労したり、脂肪性の食物を食べて嘔吐した患児だけが、大学病院で診断を与えられるのである。そのほか大勢は疲れやすい体質の人として普通に暮らしていると推測される。こういったCPT2欠損症の普段はほぼ無症状例がインフルエンザの重症化因子であることが明らかになったのは、以下の論文以来なので、およそ2005年以降の話であり、まだ決して早期に診断できるわけではないようなのだが、それでも代表的な変異については、いずれ市販のDNA検査の項目として含まれてくると予想できる。

 

Chen, Y., et al. "Thermolabile phenotype of carnitine palmitoyltransferase II variations as a predisposing factor for influenza-associated encephalopathy."FEBS letters 579.10 (2005): 2040-2044.

 

 こういった研究が始まったのは、ある記事によると2001年頃と思われるが、インフルエンザ脳症で天に召されたある少女の献体を、ご両親が重症化の解明を望んで提供したことがきっかけだそうだ。当初、CPT2の遺伝子に変異が見つかったものの、良性の多型と考えられていたようだ。しかし、その後、変異したCPT2の酵素活性が温度依存性を持つことが分かって、インフルエンザの重症化因子であることが実験的に証明された。CPT2は、脂肪酸代謝異常症の一部の患者で症状を引き起こしているのと同じ酵素である。なぜ多少回りくどい表現になるかというと、CPT2のこのタイプの変異が、子供達の普段の生活にどの程度影響しているかは測定することができないのだ。軽度すぎるのである。[コモンとレアの重症度分布...]の節の図で言うと、左下の三角のUndiagnosedの領域に埋まってしまうのだ。もしも過去に症状を示したことがあるとすれば、それは出産直後の新生児の時であると推測できる。新生児の間は、ほんのちょっとしたことでも重症化するために、大きくなってからでは分からないような僅かな体の異常が敏感に血液検査などの測定値に反映される。しかし、通例としては、出産直後に何か大きな症状があったとしても山を超えてしまえば、ご両親にとっては忘れたい思い出だし、産婦人科医や小児科医の方々も、保育園、幼稚園や小学校で感染症を拾って来るような年齢になれば、他の亡くなりかけている患児の方に必死になるうちにすっかり忘れていることの方が多いのである。

 

 決してご両親が誕生の時の診療録を開示請求して、熱が出て医師の診察を受ける際に提示しておくべきだったと言っているわけではない。しかし、医師が母子手帳に書き込んでくれていた、または、ご両親ご自身で書き込んでいたなら、それに越したことはない。母子手帳に記入がなければ、現在の制度では、残念ながら円滑な解決策というのはない。これは電子カルテの共有システムの普及が遅れている制度的限界と考えられる。すべて電子カルテ化されてしまえば、過去の将来重要になるかもしれない検査結果だけをハイライトさせて病院の間で共有し、法的に10年でも20年でも保存義務を課すことができるが、予算的に無理な病院がある以上は、電子カルテは今後も鈍い普及を示すだろう。社会的にそういう状況である以上は、インフルエンザ脳症やライ症候群で亡くなったお子さんのことを、特に目立った過誤があった場合を例外として、現場にいた医師の責任にすることは、言ってみれば身に覚えのない罪を着せているだけで、決してよい結果を生まないのである。特定の医師を裁判で訴えるよりも、地域に電子カルテの普及を促進する活動と、インフルエンザ脳症やライ症候群を経験した患児達に大型のDNA検査を受けさせて、将来同じ目にあう前に先手を打って軽度の希少疾患まで診断する活動をした方が、今後同じような思いをする患児やご両親を出さないために有効であろうと思われる。

 

 この他にも、CPT2欠損症とは別の希少疾患として、免疫系の劣性遺伝病であるICF (Immunodeficiency with Centromeric instability and Facial anomalies)症候群*§があげられる。

 

 私は診断してくれない医師達を激烈に批判する側の立場に立っているが、アセチルサリチル酸を投与されていないインフルエンザ脳症とライ症候群についてだけは、間違った相手を被告に指定して裁判を起こしている場合の方が多いとしか思えないのだ。と言っても、統計が見当たらないので、どのぐらいの割合かは分からない。

 

 

 もう一点、触れておきたいのは、インフルエンザ脳症となるようなCPT2の変異を持つ、脂肪酸代謝異常症を患っていても普段は軽度で特別な状況下でしか重症化しない患者は、熱中症重症化患者の半数を占めるという研究報告である。2011年、今から3年前に明らかにされたが、もちろん、半数というのは、想像していなかった多さである。リンクしたウェブページ中では面倒を避けるために脂肪酸代謝異常症という表現も希少疾患という表現も避けているが、患者から見た場合には、このタイプの特異体質だとやはり脂肪酸代謝異常症の特徴を備えるはずで、脂肪性の食物を食べた後、ビタミン不足の患者の方が高熱の条件で発症している症例が多いのではないかという推測も成り立つ。熱中症というのは、希少疾患というよりもコモンディジーズと考えられてきたが、重症例に限れば、半数で変異が認められるので、言わば熱中症重症型という区分で、実は遺伝性の希少疾患であったと言ってもいいのではないだろうか。


予防接種の健康被害としての未診断の希少疾患

 おそらく、[感染症と希少疾患の関係...]で述べた、未診断の希少疾患がインフルエンザの重症化因子であるのと似たような理由から、予防接種によって健康被害を起こした患児も、アナフィラキシーや、ギラン・バレー症候群の他に、大型のDNA検査で調べればCPT2といった希少疾患と同じ遺伝子によるものが存在するのではないかと推測できる。ただ、温度依存性という意味では、それほど発熱していない予防接種の状態でCPT2が影響するとは考えにくい。しかし、CPT2と似て異なる代謝経路の疾患で、重症度があまり閾値によらず軽度まで可変なものとして、私の場合も疑ったようにミトコンドリア病がよく当てはまると思う。

 

 特定の患者さんの症例ばかりを何度も引き合いに出して申し訳ないが、[ミトコンドリアDNAの検査]の節で述べた診断されていなかったミトコンドリア病患者が、2001年に報じられた有名な「仙台筋弛緩剤事件」にからんで、筋弛緩剤の投与で死亡しかける医療過誤が起こったのも、これが筋弛緩剤ではなくインフルエンザワクチンであってもそれほど不自然ではない気がする。予防接種でもサイトカインという物質によりミトコンドリア内での代謝回路が大きく切り替わるので、そのタイミングで何か悪いことが重なれば、ミトコンドリア病を発症した状態になるのではないだろうか。なお、このミトコンドリア病患者は、詳しい状況は分からないが、現在も適切な治療を受けられていないようだ。このことも、軽度のミトコンドリア病の診断は、そういった患者の存在を理屈の上で推測することはできても、実際問題として遠い大学病院やNCNPの一部の医師しか出せないことを表していると言えるだろう。ただ、おそらく数値として潜在的なミトコンドリア病の罹患率を推定することは可能だ。そういったことをしてくださる研究者がいれば、インフルエンザワクチンについての悪い評判によって無用に医師が攻撃されるのを緩和する一助となるだろう。

 

 CPT2がインフルエンザの重症化因子であることが近年になってようやく明らかになったこと、ミトコンドリア病が診断されずに薬剤で重度の有害事象を起こしていること、この2点を考え合わせると、インフルエンザワクチンでアナフィラキシーでない健康被害を起こした患児が大型のDNA検査を受ければ、非常におおざっぱに言って半数で、何らかの疑わしき変異が検出されると思われる。その病因性を証明するのは時間がかかるだろうが、将来のことを考えると受けさせないよりは受けさせておいた方がいいに決まっている。もっと幅広く考えると、やはりサイトカインによりミトコンドリア内の代謝回路が切り替わることはどのワクチンでも同様だと思われるので、あらゆる予防接種の健康被害の中に、ミトコンドリア病由来のものが混在しているという推測が成り立つ。ミトコンドリアDNAのヘテロプラスミーによる障害は、重度のミトコンドリア病から単なる老化まで重症度が幅広いので、予防接種の健康被害として代表的な、ギラン・バレー症候群の中にもミトコンドリアの障害が紛れ込む可能性はありうる。

 

 その場合、極軽度のミトコンドリア病であってもギラン・バレー症候群の重症化因子となるであろうことは想像に難くない。なぜならギランバレー症候群の自己免疫疾患の抗原であるガングリオシドもまた、糖脂質としてミトコンドリアによる代謝の対象と・・・思われるからだ。あまり自信がないので共起性を調べるとそれらしき結果*が得られる。ガングリオシドの一つのタイプであるGD3などに限っているようだが、そられしき学術論文GD3などに限っているようだが、そられしき学術論文も出版されている。また、英語でミトコンドリアとギラン・バレーの共起性を評価すると、20141217日時点で約 784,000 といった強い関係性が示される。[ミトコンドリアDNAの検査]で調べたように、mtDNAがヘテロプラスミーとして僅か変異すると、代謝が悪くなって活性酸素がまし、増した活性酸素によってmtDNAの変異がより促進されるという悪循環が存在するので、極軽度のミトコンドリア病をもともと患っていた場合は、ギラン・バレーを発症してガングリオシドがミトコンドリア内に蓄積されている急性期に、mtDNAの損傷が進んで特に神経細胞で著しく老化が促進された状態となり、その程度がもともと健常者であった場合よりも大きいのではないかと推測される。

 

 実際、子宮頚がんワクチンでミトコンドリア病を発症したというような主張が重度の健康被害を負ってしまわれた患者の間にあるようだ。こういった場合は、極軽度のミトコンドリア病をもともと患っていて、それが予防接種によるギラン・バレー発症により重症化したと考えた方が適切ではないだろうか。ただ、学術報告ではないため詳細は分からず、リンク先のサイトで限られた人がツイッターなどにもミトコンドリア病と子宮頸がんワクチンの関係を送信しているようにも見受けられる。先述のGD3およびGM1の学術論文の方が、信ぴょう性が高いと思われる。20153月時点までに調べた範囲では、子宮頸がんワクチンについては、感染症のワクチンとは事情が異なり、感染症がシーズン前に打たないと効果がないのに対して、そもそもがんという対策の緊急性が要求されない年単位のタイムスパンの疾患に対する接種である。もっと丁寧に問診し、接種前の検査を拡大する余裕はあったように思われる。

 

 いずれにせよ、感染症の予防接種の前に、極軽度の希少疾患の稀なリスクについて、医師が説明しなかったとすればその点については責任があるが、そういった希少疾患をその場で診断すること自体はDNA検査の普及なしには不可能であることを「仙台筋弛緩剤事件」の記事や報道から我々はよく知っている。繰り返しになるが、子宮頸がんワクチンに関しては例外で、感染症ほど緊急性がないので、もっと丁寧に接種前の検査を行う必要があるのではないだろうか。

 

 また、風邪の罹患や薬の内服などを契機として亜急性に四肢脱力、嚥下障害を発症するミトコンドリアミオパチーの一種があり、MIMECKmitochondrialmyopathy with episodic hyper-CK-emia)と命名されたそうである。こちらも残念ながら詳細が入手できず、学術論文の本文がオープアンアクセスになっていないのが非常に残念だ。風邪の罹患や薬の内服という二つの条件を、予防接種はかなり満たしていると思われるので、予防接種を契機として発症するのに不思議はないように思われる。

 

 このように考えると、感染症の予防接種による健康被害の半分ぐらいは、その場に立ち会った医師ではなく、希少疾患という特異体質を診断できなかったそれ以前の成長過程における医療にあると、そういう風にも考えることができるのである。現在の段階ではDNA検査がまだ大型化していないのであまり関係がないが、数年後に大型のDNA検査が普及すれば、そういった医療をご両親が積極的に受けさせてきたかどうかという点も、過失割合の争点になっていくであろうと思われる。理想を言えば、希少疾患の診断はたとえ軽度であっても、人生の初期であればあるほど有益なのだ。そういったリスクを考えずに、いきあたりばったりに予防接種を受けるという時代は早くに終わらせた方がよいに決まっている。しかしリアルとしては、あまりにも予防接種が裁判にのぼりすぎたために、いきあたりばったりに受けられるほどの種類の感染症の予防接種は、すでに日本に残っていないのである。たとえDNA検査で全く疑わしい変異がないと分かっても、国際基準の予防接種を受けたければ韓国に行かなくてはならない国になってしまった。もちろん、万が一飛行機の中で発熱しては間が悪いとエボラ患者といっしょに隔離されかねないので、そんなかえってリスキーなこと実際問題できるわけがない。

 

 感染症と希少疾患は正反対の概念ではないかと思われていた方も多いと思うが、実は診断できない希少疾患が、感染症の重症化因子であったり、ワクチンで重度の健康被害を引き起こすであろうという点で、両者は強く関係している。恒常性の中では希少疾患としては軽度でも、医療行為により恒常性が崩れれば当然重度で発症するのである。そしてその責任はまっさきに恒常性を崩す行為を行った医師の方に向かう。稀だからといって無視していいというわけでは全くない。実は、ミトコンドリア病患者の例で分かるように筋弛緩剤や麻酔薬とも関係しているのだが、「仙台筋弛緩剤事件」の経緯としてすでに一度は別の節でふれたので、ここでは触れない。

 

 

 何度も繰り返すが、子宮頸がんワクチンに関しては、感染症の予防接種と異なって、現在知られているほど大規模な健康被害が出る前に、問診と検査を拡大する時間的な余裕があったはずである。


希少疾患としての感染症 - 米国のAIDSの歴史

 [感染症と希少疾患...]の節で、診断されていない希少疾患が感染症の重症化因子であると述べたが、本節では、特に米国において罹患率の低い感染症が希少疾患として扱われていることを、AIDSの場合を例として述べる。また、AIDSについて、オーファンドラッグ過剰保護問題との関連を述べている記事を示す。

 

 最初に、用語の揺らぎを押さえるため、ヒットカウント分析を行う。

 

オーファンドラッグ

"orphan drug"  478,000

"オーファンドラッグ 36,400

"希少疾病用医薬品 34,100

"希少疾病医薬品 2,170

"希少疾患用医薬品 1,560

"希少疾患医薬品 397

 

AIDS

"AIDS"  288,000,000

"エイズ 5,330,000

"後天性免疫不全症候群 160,000

 

顧みられない病気

"neglected disease"  133,000

"顧みられない病気 3,230

"neglected drug"  2,380

 

(グーグル検索、20141218)

 

 顧みられない病気についても調べたのは、AIDS、エボラと、途上国から持ち込まれる感染症が先進国でも大問題になることが多いのに、途上国での感染症対策に先進国からの支援が意外なほど少ないことを示すためである。要するに、国境なき医師団という団体に任せきりである。最初に発生した時点でコントロールできないことにより、地球規模的感染、つまりパンデミックとなってしまうリスクが増しているのであって、先進諸国が最初から途上国の感染症対策にもっと協力するべきなのである。もちろん、協力を受け入れる体制があればの話で、かと言って、米国ほどの軍事力によるゴリ押しはいけないことだが。途上国からの感染症が先進諸国でも問題になるのは、お互いに一様なDNAを持っていることの証明である。ヒトは感染症と闘うにはあまりにも均一なDNAを持ちすぎてしまった。[ミトコンドリアDNAの検査]の最後に示したように、あまりにも単一起源、同一家系すぎるのである。同一家系であるからこそ、同じ感染症が大問題となるのであって、それこそが、同じ巨大家族の一員として、先進諸国がより大きな支援を組むべきことの証明なのではないだろうか。

 

 米国の法令での希少疾患の定義を用いると、患者人口20万人未満という、とても画一的な条件なので、AIDSといった今では一般的な感染症でも、性感染で米国人口に広がる前のステージでは、アフリカから持ち込まれた、頻度は低いが重症度の高い感染症という希少疾患だった。おそらく、これは米国という国がツーリズムや人類学的調査研究などの文化を通じて、第三世界から未知の病原体に暴露して帰ってくる、つまり、現在米国がエボラ対策に自国とアフリカの両方で必死になっているのと関係がある。

 

 米国の希少疾患の歴史に登場する感染症の中で、特に存在感があると思われるのはAIDSである。この疾患について述べたいのは、米国の希少疾患の幅広い定義では、日本の難病の比較的狭い定義とは違った問題を生じていることである。つまり、AIDSはやがて希少疾患の条件を外れて、20万人以上が患う疾患となった。2011年のものと思われる調査結果で、1,155,792人がAIDSと診断されたとCDCのウェブページにあるHIV感染ではなくAIDSと記されているので発症済みの統計のはずである。日本の平成266月の未発症のHIV感染込みで23,699人という統計§と比較すると、世間で言われているように多少の違和感を感じるが、感染研のウェブサイトでも日本の患者人口は同じような数値*になっている。日本と米国は米軍が日本に駐留していることもあり、とても国際結婚が多いのに、100万対(多くても)2万と罹患率は少なくとも50倍違いで、こんなに米国の性感染症が日本に入ってこないのは不自然だが、日本の複数の感染症当局は一致してこのように主張しているため、その数値を日本の罹患率として信頼する以外に方法がない。もしかすると、同性愛者にAIDSが多いという偏見に基づいて、保守的な伝統の米軍でAIDS感染者を厳しく排斥しているという効果なのかもしれない。米国人口3.2億人*、日本人口1.3億人*、米国で希少疾患として認められる人口比200000/320000000=0.06%、日本でHIV/AIDSの人口比23699/130000000=0.02%となるので、0.06%>0.02%により、すでに米国ではAIDSは希少疾患の範囲を大きく外れているにも関わらず、もしも日本で米国の希少疾患の基準を用いるなら、AIDSは日本で希少疾患ということになる。架空の場合の比較であるが、要するに日本と米国は、難病と希少疾患にものすごく違う基準を用いていることを、数値として確認した。基本的には米国の方がドライで透明性が高く民主主義的な基準だが、同時に、AIDSといった場合は問題を生じた。それが、オーファンドラッグの過剰保護の問題である。

 

("Orphan Drug Law Spurs Debate" ANDREW POLLACK, Published: April 30, 1990 より)

 

Amgen Inc.'s new drug for anemia, the latest biotechnology blockbuster, might set an industry record for first-year sales. Yet Amgen is shielded from competition by a law meant to encourage development of drugs for which there is supposed to be only a small market.

アムジェン社の貧血症に対する新薬、近年のバイオテクノロジーのヒット作、は初年の売上として産業レコードを打ち立てるかもしれない。小さな市場しかないと思われる薬剤の開発を奨励しなければならない法律により、アムジェン社が競争から保護されているにも関わらずである。

()

''You can't look at three drugs and throw out the baby with the bathwater,''said Abbey S. Meyers, the executive director of the National Organization for Rare Disorders in New Fairfield, Conn., a lobbying group representing patients with rare diseases.

3つの薬剤を大事にせずに、無用なものといっしょに捨ててしまおうとしているんです」とAbbey S. Meyers、コネチカット州ニューフェアフィールドにある米国希少疾病団体(NORD)の執行役員は言う。NORDは希少疾患の患者を代表するロビーグループである。

 

She was referring to three drugs at the center of the controversy.

彼女は議論の最中にある3つの薬剤を引き合いに出そうとしていた。

One is Amgen's drug, known as E.P.O., which is used to treat anemia in patients with kidney failure. Treatment costs $4,000 to $8,000 a year. First-year sales of the drug, which came on the market last June, are headed toward $200 million.

一つはアムジェンの薬剤、E.P.O.として知られるもので、腎不全患者の貧血症を治療するのに用いられる。治療費は年間$4,000から$8,000にのぼる。昨6月に市場に登場した同薬剤の初年の売上は、2億ドルに登ろうとしている。

Another is human growth hormone, marketed in different forms by Genentech Inc. and by Eli Lilly & Company; it is used to treat dwarfism in children. A year's treatment can cost $10,000 to $30,000, depending upon the size of the child.

2つ目はヒト成長ホルモンで、Genentech社およびEli Lilly社により異なった形で市場に供給されている。小児の低身長症を治療するのに用いられる。年間の治療費は小児の身長によって$10,000から$30,000にのぼる。

The third is pentamidine, sold by Lyphomed Inc. of Rosemont, Ill.; it is used to fend off pneumonia associated with AIDS. Since Lyphomed began selling the drug in 1984, it has quadrupled the price to more than three times what it sells for in Britain.

3つ目がペンタミジンで、イリノイ州ローズモントにあるLyphomed社により販売されている。AIDSに併発する肺炎の発生を防ぐものである。Lyphomed1984年に同薬剤の販売を開始し、英国で売られている価格の3倍を超えて、当初の価格から4倍の価格へと引き上げた。

AZT, used to treat AIDS, is also an orphan drug, despite being one of the best-selling drugs in the pharmaceutical industry. The manufacturer, the Burroughs Wellcome Company, has been the target of protests from AIDS patients and has twice reduced the price, from $10,000 a year to $6,500 a year. But AZT has not called as much attention to the Orphan Drug Act because the North Carolina-based Burroughs has a patent that would allow it to retain exclusivity even if the orphan status were revoked.

AIDSの治療に用いられるAZTもまた、製薬産業の中で最もよく売れた薬剤の一つであるにも関わらず、オーファンドラッグである。その製薬会社、Burroughs Wellcome社は、AIDS患者からの抗議の対象となり続け、価格を年間$10,000から$6,500へと2度にわたって引き下げた。しかし、AZTは希少医薬品法に対する関心を呼ばなかった。なぜなら、ノールキャロライナに本拠地を置くBurroughs社はたとえオーファンドラッグとしての扱いが取り消されたとしても、独占的を可能にする特許を有しているからである。

 

 

平たく言うと、製薬業界の一部にとって有利な方向に資本主義的なやり方で過剰に保護された結果、企業間での不公平が生じたのである。特にAIDSの場合には、その性感染力により、完全に希少疾患の希少の条件を上回ったので、不公平感は大きかったであろうと思われる。このことが未だに続いている、オーファンドラッグ保護無用論の根っこを作ったのかもしれない。


見えないところに死体の山

 AIDSといった感染症と戦ってきた国、また現在エボラと戦っている国、米国から見た時に、日本の感染症対策がどれだけ信用できないかというのは、想像に難くない。予防接種が国際基準から後退するということは、天に召される国内の患児の数に直接的に影響を及ぼし、ひいては、高齢者や、近隣諸国の患児の死亡率にさえ潜在的に貢献してしまっていると考えられるからだ。日本人はきれい好きなどと恥ずかしげもなく言えたのは既に過去の話で、米国や韓国の感染症当局から見れば、日本人というのは、「ばっちい国」から来た「ばっちい迷惑な観光客」なのである。日本人の購買力をあてにしている観光当局に言われて、いやいや受け入れているだけに過ぎない。米国では日本が麻疹輸出国の第1なのだ。こんなことは日本を含めて近隣諸国で、感染症を診ている医師の方々の間では常識なのだが、目に見えない感染という現象について数値で説明して理解を得るのが大変なので、患者の不安を煽って逆にマスク無しで頻繁に病院にやってこられては困るから黙っているだけなのだ。病院はある意味、感染症の集積所なのである。

 

 LCCの登場で航空機運賃が安価になり、海外旅行者数が平成25年(2013年)の統計で1,747万人に上った。のべ人数を無視してざっくり試算すると実に国民の13%1年間に一度は海外に出ていることになる。安いアジア旅行が売りだされる現在では、海外旅行でたくさんの人口が出かける国の感染症対策と足並みを揃える必要がある。はっきり言ってしまうと、遺伝性の希少疾患に関しては、他の国と足並みを揃える必要は感染症ほどではない。遺伝性の希少疾患を軽視してくれるなということは訴え続けるつもりだが、それでも、近年になればなるほど、国外から持ち込まれる感染症で、大きな屍の山が築かれてしまうリスクの方が増している。近隣諸国の方が日本から入ってきたらBSL-4が運用できない国だからややこしいことになると警戒していると思うが。遺伝性の希少疾患によって天に召される患児の人数は、相変わらず新生児は酷いことになっているはずだが、それには診断率の向上によって統計が正確になりつつある影響もあるだろう。感染症ほど危機的に今になって大問題というわけではない。

 

 日本の感染症対策を近隣諸国が信用していないのと同時に、日本で予防接種を批判している方々は、欧米の資本主義的なワクチンビジネスに強い不信感をいだいている。これも過去のB型肝炎訴訟や、MMRワクチン訴訟をみれば不信感を抱くのも無理なからぬところだ。何しろ、政府が危険性を認識しながら注射針の使い回しを放置していたのは、実に40年もの長きに渡るのである。これで無条件に信用せよという方が無理である。政府が40年間見捨ててきたなら、国民も40年間政府を無視して当然という数値的根拠さえ与えてしまっている。

 

 将来、予防接種前にかならず大型のDNA検査を受けさせる、または過去に受けた大型のDNA検査の結果を予防接種前に参照する体制が整備できれば、希少疾患や特異体質をいくらかは診断して、現状よりは改善されると思われる。それでも、せいぜい半数がいいところで、ゼロには程遠いはずである。報道や記事で言われているように、なによりもまず、小児のインフルエンザなど任意接種の救済金額を、定期接種や臨時接種となるべく同額まで引き上げ、最終的には、どんな予防接種でも種類を気にせず受けられて、たまたま予防接種を頼まれただけの医師が訴訟を起こされてしまうケースを減らすために無過失補償制度へと移行べきであろう。診断できない希少疾患が存在する以上は犠牲者は絶対にゼロにはならない。健康被害に対してすばやく幅広く救済が行われることだけが、唯一の救いと考えられる。

 

 日本で希少疾患が5000以上もあることが認識されていないことの影響は、欧米と比較して、おそらく予防接種で健康被害を起こす症例数と、インフルエンザで重症化する症例数の両方を引き上げている。しかし、どのぐらい引き上げているのか見積もるのは、おそらく非常に時間がかかるため、別の機会としたい。

 

 

 日本の病院での感染症対策はみんなが監視しあっている大学病院ではまともだが、末端の病院ほど酷いことになっている。軽度のCPT2欠損症や軽度のミトコンドリア病といった希少疾患の患者が、診断されない間に次々に亡くなるのは今後も避けられないと思われる。この節のタイトルに含めた「見えないところに死体の山」とはそういう意味である。統計には絶対に出てこないが、軽度の希少疾患の患者は現在も別の病名で亡くなり続けている。この推測に辿り着いてからは、正直私自身も怖くなった。そんな感染症などという病名で突然死ぬなど、いったい何のために確定診断を得ようとこんな著書まで書いて努力しているのだろうか。想像するだけでも、虚しくてやっていられない。


医師に頼らない因果関係の追求 - 脳症の本当の原因

 本著の冒頭で述べたように、科学的因果関係の追求はヒトの心を決して救ったりはしない。それでも『チームバチスタ』シリーズの著者で医師の海堂尊さんが指摘するような「死因不明社会」のまま、訴訟だけが増えることの方が、とてもよくない傾向である。インフルエンザ脳症やライ症候群については、アセチルサリチル酸を投与された場合は医師と行政の両方を訴えるのは当然と思われるが、そうでない場合は、医師に明確な過誤がなければ、なるべく医師ではなく行政の過失按分を大きくなるよう訴訟を起こす程度の工夫しかできない場合の方が多いように思われる。予防接種についても、任意接種の方はあきらかに救済金額が低すぎるので、救済を受けるためには選択の余地がない状態であり、かなり強引に医師や行政の過失を追求する形の訴訟になるのは仕方がない。しかし、定期接種、臨時接種で予防接種法による救済が認められた患児で更に訴訟となる場合は、できることなら、科学的因果関係を追求する方向で考えていただいた方がよいであろうと思われる。その方が、ご兄弟姉妹が同じような特異体質をもっておられて、予防接種だけでなく筋弛緩剤や麻酔薬でも同じ目に合うリスクが軽減されるはずだ。私も似たようなリスクを負っているはずなので、多少言葉尻が厳しくなるのはご容赦いただけるとありがたい。

 

 もしもこれからインフルエンザ脳症、ライ症候群、予防接種でお子さんを亡くされた方、障害を持ってしまわれた方が医師を訴えようと思っておいでだったら、先にできるかぎりの証拠保全だけ行って、一旦踏みとどまって情報収集を行うことをお勧めする。定期接種、臨時接種であった場合以外は、2014年の現時点では救済制度が全く充実していないので、その余裕もおありにならないかもしれないが。DNA検査を受け続けている立場から言うと、インフルエンザはRNAウイルスなのでそれまでも含んで保存できるかどうかは分からないが、ヒトのDNA自体は医師の手を借りずとも約5年間は保存可能である。お子さんが希少疾患や特異体質であったため亡くなったのかどうか、専門のしかるべき機関に検体を持ち込めば、既存の技術でも分かる範囲で調べることは、技術的には可能であり、年々少しずつ精度が上がっているので、5年後には更に高い精度で分析することもできるはずだ。医療録の保存義務も5年間である。

 

 髪の毛や爪といったサンプルでもミトコンドリアDNAであれば核DNAより長持ちするので数年後でも解析はできるが、それではミトコンドリア病のうちミトコンドリアDNAを原発性の病因とする15%しか診断できないので、市販の範囲で一番よいと思われるのは、やはりDNA検査会社が販売しているのと同じ採取キットによる方法と思われる。23andMeの方法は、唾液によるもので、DNA Genotek社のOrageneという採取キットである。このキットは幼児やお年寄り用にスポンジを用いて唾液を採取できるOG-575という姉妹製品がある。この姉妹製品が入手できればそれに越したことはないが、医療用の滅菌綿棒と普通のOrageneでも、清潔で汚染されていなければ、同じことができると思われる。MYCODEGenequestともに新しくDNA検査を開始したところは唾液方式なので、Family Tree DNAのオムニスワブで頬の内側の口腔上皮細胞を採取するよりも、唾液の方が、別の物質が混じるといった採取の失敗が少ないものと思われる。Orageneが製品として保証している保存期間は室温で30ヶ月§である。製品として100%に近く保証できるのがこの期間という意味で、実験結果としては24°C5年間という報告がある。-20°Cで保存すれば永久に保存できるというような報告もあるが、これについてはよく分からない。一般論としては、冷凍解凍を繰り返すにつれてDNAは破壊されるので、冷凍するとしても一度入れたら停電するか必要になるまで出さないつもりで行った方がよいと思われる。室温で紫外線のあたらないように厚い袋か黒い袋にしっかり包んで保存すれば、約5年間は保存可能と思われる。ただし、万が一何らかの強い細菌が紛れ込んでしまう、フタを強く締めすぎて漏れるといった事故もありうるので、こういった作業に慣れていない我々は2セット用意した方がいいはずである。そして、感染症の症状としていつの検体か、つまり、ウイルスが残っていそうかどうか、検査者が安全なものとして扱っていいかどうかの判断材料をメモしておく。

 

 より確実を期すのであれば、他にも法医学で用いられている専用の採取キットやサービスが存在しないわけではない*。しかし、そこまで行おうとすると、とても大げさな話になるため、私としてはおすすめはしない。OrageneDNA検査を受けるつもりがないのにDNA検査会社から購入するか、それとも別のルートから入手するかということになるが、これも日本で2つの代理店**があるようで小売先を尋ねれば教えてもらえるのか今のところ分からない。Oragene自体は、3000円ぐらいのものらしい。

 

 感染したインフルエンザウイルスが、重度の症状を引き起こす変異したものであったのか、普通のものであったのかについては、一応、Orageneの姉妹製品として研究用試薬細菌/ウィルスDNA採取キット OMNIgeneDISCOVERというものが販売されているらしく、RNAウイルスだとOM-505を選ぶようだが、インフルエンザウイルス対応と明記されているわけではない。明記されているのはC型肝炎ウイルスとHIVウイルスである。また、約3週間しか保存できないようだ。ここまで特殊な手順を行うべきかどうかという話になるのだが、数値としてはっきり言い切った学術論文が見つけられないものの、ヒトからヒトへの感染の間に変異が起こるのはRNAウイルスであるため確率的にはありうる§§。しかし、抗インフルエンザ薬といった既存の対処法が通用しなくなってしまうほどの大きな影響へと幾つもの変異が積み重なるのは、小さいお子さんをお持ちのご両親の方が私よりよくご存知と思うがうつ伏せに寝ていただけでSIDSで突然亡くなってしまうのと、非常におおざっぱに言うと同程度の確率と考えられる。SIDSもまた、5%以上が何らかの先天性代謝異常症§といった希少疾患によるであろうと言われている。SIDSと同程度の小さな可能性まで考慮するのであれば、インフルエンザの迅速検査キットの感度は悪くすると8割、特異度は悪くすると9割しかないため*、変異したインフルエンザウイルスで重症化するよりも、RSウイルス、ヒトメタニューモウイルスやアデノウイルスといった別の感染症を誤診し、間違った投薬で重症化した可能性の方が高いと思われる。あるいは病院の待合室といった場所でインフルエンザの別の型かもう一つ別の感染症に重複して感染した可能性(重複感染§)もありうる*。アデノウイルスの誤診であった場合だけ、DNAウイルスなので比較的長期間保存できるはずだ。逆に考えると、強引にでもヒントを得るならば、長期保存後にDNARNAもうまく抽出できなければ、アデノウイルスではなく何らかのRNAウイルスであった確率の方が高いと思われる。

 

 さらにウイルス採取の見通しを悪くするのは、インフルエンザウイルスは感染後2週間ぐらいまでしか、放出されないらしく、採取キットを得ようとする間に時間が経ってしまっていると唾液中にどのぐらい残っているか分からない点である。この期間に間に合いそうであっても、各都道府県の保健所の感染症担当部門で、こういった検体をRT-PCR**やウイルス分離で分析してもらえるかどうかは分からない。ただ、これらの職員の方々は都道府県の地方公務員であり、誤診とみられるインシデントが私立病院で起こっていて、行政を訴訟の対象と全く考えていない場合には、それなりに協力してくれる可能性もある。または、地方自治体の運営している病院であっても、地方自治体を訴えずに厚生労働省の方を訴えた場合、保健所は訴える対象には含まれないため、多少は態度が軟化すると予想される。いずれにせよ、勝訴を得るために、こういった方々の協力を仰ぐのが有利になるかリスクになるかは、弁護士に尋ねないと分からない。

 

 抗体としてであれば、インフルエンザの予防接種が短ければ3ヶ月長ければ5ヶ月有効と言われているように、長く体の中に残っていはいるようだ。しかし、血清抗体検査による診断のためには、発病後7日以内と、回復した頃の2回、血液を採取することが必要で、2回血液を採取するのでペア血清*とも呼ばれ、一回目はなるべく早い段階で採血した方が精度が高いはずだ。この場合は医師か看護師の手を借りなければならないため、やはりまずは保健所に相談する方がいいはずである。「長ければ5ヶ月」というのと「7日以内」との違いが起こるのは、CFHIといった抗体検査の種類からなるべくどのウイルスか同定しようとするためで*、一回目の採血が遅くなればなるほど何らかのウイルスに感染されたことしか同定できなくなる。抗体は血液だけでなく唾液などにも含まれ、実際に迅速検査キットの場合には、鼻からの吸引液や洗浄液、拭い液、のどからの拭い液などを検体として抗体検査を行っているが、いまのところ、唾液といった血液以外での抗体を保存する目的の採取キットというのは、日本には存在しないようだ。迅速検査キットがその目的にもっとも近い手段だが、通信販売を探しても流通していないようだ。HIVBC型肝炎といった非典型な感染症の検査キットが通信販売され*、インフルエンザといった一般的な感染症の検査キットが通信販売されていないのは、前者が血液感染で感染速度が遅いのに対し、後者が飛沫感染により感染速度が著しく速いためと思われ、公衆衛生的リスク管理の観点から、今後もインフルエンザの検査キットは感度特異度が100%近いものが開発されるまで通信販売されないと思われる。また、現在の迅速検査キットの技術水準では手技にも依存し、詳しく調べれば調べるほど、迅速検査キットに依存せざるをえない現状が誤診を誘発している、医療現場の姿が浮かび上がる。

 

 インフルエンザを対象としてRT-PCRを改変した原理による、ウイルス検出キットというものがモニター募集として販売されており、驚いたことに唾液を検体とする方法のようである。201410月現在5000だそうだが、モニターということは、完成間近だけれども正規の製品ほど安定的に利用できるわけではないのかもしれない。ともかく、唾液でRT-PCRの原理によりインフルエンザウイルスを医師の手を借りずとも検出するサービスというのは、日本国内に存在はしている。

 

 もうすでに話が複雑化しているのだが、RNAウイルスが変異を起こしていた可能性を含めると更に複雑になる。ご自分で手順を検索されると極めて手間がかかる複雑な話であることが分かっていただけると思うのだが、ウイルスが厳密に何だったかという99.9999%といった正しい診断には、検査する方々や周囲の人口が病原体に感染しないようにBSL-2以上の施設で、シーケンシングのための抽出を行うことが必要と思われるので、健康なヒトのDNAシーケンシングよりも非常に手間もコストもかかる。もしかすると保健所でのRT-PCRの測定作業の中でシーケンシングのための抽出を行える場合もあるのかもしれない。99.9999%というのは根拠がなさすぎる例なので、具体的に調べてみると、インフルエンザH1A1(A/turkey/Ontario/FAV110/2009(H1N1))型とされている塩基配列上の全部の遺伝子の長さを足し合わせてみると2341+2341+2184+1777+1565+1452+1027+890=13577塩基となった*。他の患者のウイルスのシーケンシング結果があれば、それとお子さんのウイルスを比較すれば、RNAウイルスについては変異がどのぐらい起こっているかにより、原理的には感染ルートが推測できるはずである。しかし実際上は他の患者のものは、新型インフルエンザかと疑われた症例のものだけを保健所や感染研が把握しているはずなので、あまり絞り込めないはずである。

 

 より正確に感染ルートを推測するには、指紋の油の中からヒトのDNAを採取するといった技術*を、混合物の中から目的のDNA/RNAを取り出す環境サンプルと呼ばれる技術*に組み合わせて、推測されるルート上から採取した当該RNA同士で塩基配列を比較すればいいはずだが、RNAウイルスは壊れやすいはずで果たして何日ぐらいルート上に残っているのかは分からない。基本的には紫外線の当たらない日陰で、掃除が行き届いていないがヒトが頻繁に触れる、手すりやドアノブの凹みといった部分のはずであるが、予想される感染ルートが早期に限定できる特殊な場合しか成功しないだろう。もしも保健所が味方になってくれた場合、保健所のRT-PCRや血清抗体法で検査して普通のインフルエンザだと同定されたらその結果を信頼した方がよいと思われる。保健所が味方になってくれなかった場合、RT-PCRのウイルス検出キットは超高感度だそうなので、もしかすると3週間後といった比較的遅くでもインフルエンザウイルスを検出できるのかもしれない。ただ、ウイルスを採取しようとする最大の目的は、インフルエンザを他の感染症と誤診した可能性を疑っているので、キットで検体を送付してインフルエンザウイルスが検出されなかったという検査結果が出ても、もう日数が経ってしまっているため実質的には何もできない。その場合には、やはりご兄弟姉妹のために、お子さんが軽度の希少疾患であった可能性の方を詳しく調べた方がいいということになるのではないだろうか。

 

 想像以上に話が複雑化して、ある意味、医師の方々のご苦労を追体験しているような気分になったが、問題の中核部分として、現在の技術水準の迅速検査キットでは誤診を完全に排除するのは不可能だということがよく分かった。迅速検査キットは、保健所や検査会社にRT-PCR検査を依頼すると最短でも1週間かかるところが*15と極めて速いのでありがたがられているのであって、正確だからもてはやされているわけでは決してない§§§。検査者の手技にさえ依存しているため、インシデントが起こった場合に医師と患者の両方にとってタチが悪く、PL法的にこのキットの製造管理上のばらつきで敏感度が不足して被害を受けたと立証することは、おそらくは困難である。海外からは感度62%とのメタ分析もあり、日本の医師が記したとみられる文書の中にも、10人に一人は見落とすと明記されているものもある§日本のキットと同じものが海外では感度が10%70%といった低い値であるという報告もあるようで、これは日本人の手先が器用という単純な問題ではなく、日本の場合にはインフルエンザの予防接種の普及が進まないので、迅速検査キットに頼るしかなく医師達は必死で測定しているのではないだろうか。

 

 インフルエンザ予防接種が普及した欧米では、敏感度6割しかないような迅速検査キットにあまり依存していないと思われる。その代わり彼らはワクチンに依存している。もちろん、ワクチンにより最初からコントロールする方が対処としてやりやすいからで、日本の場合は医師達が欧米では6割しか敏感度のないキットをほとんど限界まで努力して8割に持ってきているとも考えられる。言ってみればそれだけで8/6で他国の医師の130%の努力をしているようなものである。そうやって他の国々と同等程度にインフルエンザを抑えているのが現状である。しかし、結局のところ、過重労働のつけは患者の方にも返ってきており、最終的に末端の医療現場でのずさんな衛生管理に表れている。

 

 さらに、訴訟にさえ上らなければ、CPT2の場合のように天に召されたお子さんや、重度の健康被害を起こしたお子さんを調べて、どういったDNAを持っているお子さんをDNA検査によって避けて予防接種を打てばいいのか徐々に分かってくるところを、訴訟になってしまうがために巻き込まれるのが怖くて調べられないという悪循環が存在する。しかしそれでも、保健所自身がどう考えているかは分からないが、保健所を仲介するといった形で、お子さんの血液検体や発症時の検査値などが大学病院の研究者へ届けられて、できるだけ分析されるべきではないだろうか。その結果、CPT2の場合と同様に時間はかかるだろうが、ご兄弟姉妹にも同じリスクがあると分かれば、やはり予防接種を打つのはやめておこうとか、抗インフルエンザ薬のあの種類は体質が合わないとかいう話になり、そういった具体的なことが分かってくる方が、社会としてよくなっていく方向性なのではないだろうか。

 

 これは決して天に召されたお子さんや健康被害を負ったお子さんに対して、社会から精一杯の感謝こそすれ、リスクを知ることになったご兄弟姉妹が罪の意識を覚えるようなことではない。[劣勢病的変異の健常者への影響...]の節で述べるように、我々は元々、ほんの一部の患児が天に召されることで、遺伝的荷重に押しつぶされずに健康を保って生きているのである。病気の変異を持ったまま誰も天に召されなかったとしたら、その変異は未来へとどんどん溜まっていくだけで、世界には病人しかいなくなってしまう。そうならないのは、ほんの一部の患児が致死的な病気の変異を引き受けて、それを持って天に召され続けているからなのである。誰かが引き受けねばならないのであって、罪の意識を覚えるとしたら社会全体で覚えるべきであって、ご家族だけが覚えるべきではない。

 

 今回ウイルス採取について調べた限りでは、あまりにも仮定が多く、保健所に尋ねてもっと広く情報を教えてもらえなければ、私だったらよほどでなければウイルスの採取までは行わない。・・・しかし正直、自分でもそういう状況でどう行動するかわからない。

 

 

 ともかく、技術としては昔より遥かに安価な製品が利用できる。それによって情報収集して考える時間も稼ぐことができるようになりつつある。お子さんのDNAだけに絞れば、約5年間、考える余裕ができる。多くの方々にはその間にお考えを変えていただくことを願ってやまない。


更に複雑な感染症の話

 感染症対策としての予防接種の義務、任意の話は、公共の利益、あるいは国益と言い換えてもいいと思うが、あるいは個人の自由かという、義務と権利の話になるため、もともと比較的複雑である。しかし、日本の現状では次の3点が新しく加わっている。

 

(1) 天に召されたり、障害をもたれたりした両親による訴訟が、他の小児の首をしめ、さらに被害を大きくしている。予防接種の国際基準からの後退が起こっているが、感染という見えない現象だけに、数値で理解しなければどのぐらいの被害が起こっているか非常に分かりにくい。

 

(2) 末端の病院では、小児科医自身が、ウイルスや細菌を媒介させている。患児が怯えずに素直にいうことをきくようにマスクをせずに患児を診ているが、その自己犠牲の精神は結構なのだが、周囲はその意味を理解していないことが多く、感染症対策に穴ができている。経営安定化のために患児だけでなく高齢者も診る病院だと、患児に囲まれてマスクをしていない高齢者が狭い待合室で待つことになる。この高齢者は、医師がマスクをしていないので自分もマスクをしなくても大丈夫なのだと思い込んでいる。

 

(3) 日本で感染症対策が杜撰であるにも関わらず、100歳を超える長寿者、センテナリアン10万人あたり35人と世界ダントツに多いという現象があるため、日本の医療そのものに問題があるとは皆が考えていない。これはおそらく逆で、センテナリアンとなるような免疫がもともと強い体質の者だけにとって、周囲が予防接種を受けておらず感染症が適度な頻度で起こることが有利に働いている可能性がある。何度も抗原にふれた結果アレルギーを患うのと逆の現象で、免疫系が重症度の低い感染症のウイルスや細菌にわずかずつふれつづけることで、致死的な病原体に対する免疫が強化されているのではないだろうか。つまり、エンドトキシンによりIgGを活性化するようなもので、ヒトがかつて住んでいた原始的環境に近い状態に免疫系を保つという、言ってみれば弱い病原体が天然のワクチンとして働いているのではないか。たとえ、小児にとっては必ずしも弱いとは言えず、他国では予防接種を義務化しているような感染症であっても。

 

 もっとも問題なのは(3)の場合で、もう、これは、誰の寿命を短くして、誰の寿命を長くするかという議論になるので、単純に予防接種を国際基準にすればいいという話ではなくなっている。もう1段階複雑な話なので、予防接種を国際基準にすればセンテナリアンがどのぐらい減るか予測した上で、あるいは、齟齬を残さぬようあえて一切予測を出さずに、国会かできれば国民投票で決めるべきなのかもしれない。もちろん私は遺伝病と疑わしい変異を持っている立場からは、センテナリアンに不利でも、小児にとって有利であれば、国際基準の予防接種は実施すべきだと思う。それ以上に、どうやってこの現象を証明すればいいのだろうか。感染症対策が非常に緩いということと、センテナリアンが非常に多いという現象が日本で両立しているという状況証拠はあるが、日本の中の海で隔離された沖縄の島などを特区に指定して、他から感染症が混じらないようにしながら、国際基準の予防接種を実施するなどしなければ、証明することはできないと思われる。いや、全国的に予防接種を国際基準まであげてしまって、センテナリアンの希望者のみ、予防接種を現在の基準のまま残した暖かい気候の特区に移住してもらった方が、国として長寿の記録を維持する意味でも、いいように思われる。しかし、そこまで高齢になってから移住すること自体が逆にマイナスなのかもしれない。

 

 血液中の抗体をELISAにより測定し、交叉性から推測することができるのだろうか。

 

 一応、調べた中でもっとも関係すると思われる学術論文を示しておく。

 

(免疫力弱い方が長生き? 百寿者に免疫応答弱い遺伝子変異が多く存在中沢真也, 日経メディカル, 2004.11.24 より)

 

衛生状態が良く、抗生物質によって感染症の脅威から守られている現代社会では、免疫力の強さが長生きにむしろ不利に働く場合があるようだ。イタリアの住民を対象とした観察研究で、100歳前後の健康な超長寿者では対照群に比べ、免疫応答が弱い遺伝子変異を持つ人が有意に多いことが分かった。イタリアのPalermo大学免疫老化学教室のCarmela Rita Balistreri氏らの研究研究成果で、米国医師会誌のJournal of American Medical AssociationJAMA)誌20041117日号にリサーチレターとして掲載された。

()

本研究の結果からBalistreri氏らは、感染の機会が少なく、仮に罹患しても抗生物質によって重症化を免れることができる現代の(先進国)社会では、Asp299Gly多型は、むしろ長寿に有利に働くと指摘している。

 

 本論文の原題は、「Role of Toll-like Receptor 4 in Acute Myocardial Infarction and Longevity」。

 

 もう一つの情況証拠としては、失礼ながら比較的感染症が多い地方であるにも関わらず、発展途上である国々からもセンテナリアンがそれなりに多いという数値がある。逆に、先進国で予防接種が国際基準で行われているにも関わらず、センテナリアンが少ない国もある。ただし、例外もあって、その最も大きいのが米国なのだが、これについては国として大きすぎてきっと事情が違うのだろう。

 

国 平均寿命 センテナリアン人口(人口10万人当たり)

ブラジル 74 12.46

中国 76 1.32–3.63

アルゼンチン 76 8.69

ペルー 77 5.58

日本 83 34.85

 

(国の平均寿命順リスト WHO(2011)による表 Wikipedia日本語版より数値を抜き出し)

 

調べた範囲で、平均寿命とセンテナリアン人口の食い違いがもっとも大きいのはブラジルのようだ。ブラジルの予防接種と日本の違いを具体的に調べられたら何か分かるかもしれないが、ただ、日本と同じで裁判などで負けた時だけ一時的に義務化が解除されたりと、時代によって異なった予防接種政策をしてきた可能性があって、それがセンテナリアン人口に免疫の履歴として残っていて、しかもその上に過去のパンデミックの影響が載っているはずなので、そこまで詳しく数値を調べても、もしかしたら、複雑すぎて何もわからないかもしれない。

 

 当初、多くが希少疾患である遺伝性疾患に比べると、コモンディジーズである感染症は情報が多くて結論が出ているかのように思えたが、実はとんでもなく複雑だ。感染症の健康被害として診断されていない遺伝性疾患が載ってくるので、結局はどちらも独立で考えることができない。ヒトという存在を、遺伝性疾患と感染症、希少疾患とコモンディジーズというように、分けて考えようとする長く続いてきた西洋医学のパラダイムが、あまり通用しない。昔は因果関係など考えずに健康被害と認識していたものが、DNA検査によって健康被害の原因である特異体質や未診断の遺伝性疾患がある程度見抜けるようになりつつあるからだ。すべて一人のヒトの体の中で同時進行する話だという前提で、考える必要があるが、学ばなくてはならない範囲は膨大だ。言ってみればこの領域では誰もが素人なのだろう。

 

 

 感染症の話には制度の柵の中で互いに首を締めあった結果、人死にばかり多くて未来が見えないため、本当に救いがない。これ以上扱っても希少疾患、遺伝性疾患の全体像を見失いそうなので、ここで一旦筆を置かせていただきたい。


医療訴訟が生み出す二次被害 - 無過失賠償制度の必要性

[感染症と希少疾患...]の節で述べた無過失賠償制度が日本で整備されていない以上、医療訴訟になるのは仕方がない。しかし、それでも、本著の冒頭で、科学的因果関係の追求はヒトの心を救わないと申し上げたが、医療訴訟の多くは、科学的「でない」因果関係の追求であり、ヒトの心を救わないだけでなく、ほぼ必ず二次被害が出ているはずだ。ノイローゼになったり、職を失ったり、離婚したり、自己破産したりといったことは頻繁に起こっているはずで、これらに比較すれば、科学的因果関係を追求して自殺したりといった方が、まだ最大の損失が本人に留まる分、ましと言えるかもしれない。冒頭では述べなかったが、すでにお察しのように科学的因果関係の追求とは、自身が生まれながらにして持っているDNAに希少疾患や特異体質が刻み込まれており、それが人生で経験する健康障害の根本部分を形成しており、ひいては自分の周囲に社会的マイナス面を生み出し、さらに子にもそのリスクを負わせている全ての原因だということである。これを診断できないとか治療できないとかいうのは医療の責任だが、大もとの部分は、やはり14人に一人とかいう希少疾患の患者自身の存在が問題で、これらの患者がもしも全部消えてくれたら、他の14人中13人の医療費は非常におおざっぱに言って25割安くなるであろうと推測できる。一部の患者のみに膨大なリソースが投入されていて、他の13人がその負担を負っているのに、希少疾患の患者自身の多くも、自分でそんな事実を調べずに多くは他人任せである。たまたま患ってしまったのだから、私は何も悪くないと言えば、それはそうなのだが、だったらたまたま患っていない方の13人にも医療費を負担する義務はないわけだ。私が言いたいのは、これは決して「たまたま」などではない。統計的には現在の自然生殖だと「必ず」7%が希少疾患を患うのである。希少疾患が親から子へと引き継がれてしまう不幸の連鎖、因果の鎖を断ち切ることが必要で、NIPTPGDに期待ができるが、それでも対象疾患の既存の患者に何の配慮も行わずに国民投票といった合意なく導入すべきでない。これが本著を通じて主張していく骨子である。

 

 本著で登場した医療訴訟の1つ目は刑事裁判で、[ミトコンドリアDNAの検査]の節で述べた、2001年に報じられた有名な「北陵クリニック事件」に診断されないミトコンドリア病患者が巻き込まれて亡くなりかけた件である。これは、当初の報道では「仙台筋弛緩剤事件」と呼ばれ、恥ずかしながら今頃になって当初報道での名称が適切でないことに気付いて、本著でも慌てて名称を訂正したものである。もう三度も本著に登場すると、未だに治療が得られない理由について気づかぬふりも無理になってきたので、もっとも可能性の高い推測を申し上げると、これは、おそらくご親族のどなたかにとって、ミトコンドリア病という遺伝病の診断名が、不名誉あるいは不都合なので、当初の筋弛緩剤中毒という当初の診断の方を信じたいご親族がどなたかおられるために、未だに診断ができていない状況で、なおかつ、医師の方々も遠巻きに眺めているしかない状況なのだろうと思われる。ご親族が当初そういった反応を示すことは、決して特別なものではない。私も遺伝病ひいては希少疾患が10人に一人や14人に一人という罹患率であることを調べるまでに、遺伝病に対して偏見をもっていたし、私の父は未だに偏見を持っている。本著の中盤でご説明した通りである。[希少疾患全体としての罹患率...]の節で述べたように、EURORDISの啓蒙用文書の中でも息子が遺伝病で天に召され、更に遺伝病を疑うべき娘がいるのに離婚した夫婦の話が出てきてしまった。また、日本で娘が優性遺伝の筋疾患とわかり娘と両親を遺伝子検査したところ父親も軽度に発症している可能性が指摘されて、その父親が失踪してしまった知人もいる。たしかに、偏見をもっていても何の不思議もないことだが、遺伝病はご親族の健康と生まれに関わるだけに、一部の医師から診断可能と言われるほどの重症度の状態を放置することは患者にもご親族全体にとっても不利益であろうと思われる。何の対策もしなければおよそ一世代、約25年以内にご親族から別の発症者が出る可能性が高い。これは遺伝病のことを希少疾患というあまり日本では聞かない名称を方便として使ってでも、診断を得るというのではだめなのだろうか。人に聞かれたら、

「何らかの希少疾患」

を患っている、更に聞かれたら、

「ざっと5000種類もあってどれだかまだ分からない」

希少疾患とは何かときかれたら、

「患者数が10万人に一人ぐらいと稀な疾患でとにかく分からないことが多い」

ぐらいでいいのではないだろうか。だんだん説明を曖昧にしかも長くしていけば、事情を察して詳しく尋ねるのを諦める人も多い。そこに具体的な数値が入っていれば、既に一通り調べたんだな、私が出る幕ではない、と察してくれるので、なおさら効果的である。もしも、大変失礼な誤解をしていたら大変申し訳ないが、勘違いで深入りしすぎてはいけないと思って2度目までは述べなかった。3度目にこの患者のことを述べるにあたっては、私自身の惨めな体験を既に述べて私自身がこの問題の当事者なので、推測であってもこのぐらいまで述べてもよいのではないか、と考えた。ただ、あくまで推測であることを再度申し上げておきたい。

 

 本著で登場した医療関連訴訟のうち、インフルエンザ脳症・ライ症候群の訴訟を2つ目として挙げ、予防接種健康被害の訴訟を3つ目として挙げたい。これ以外に予防接種禍を挙げようとすれば挙げられるが、これについては、希少疾患との接点はあまりない。むしろB型肝炎訴訟として血友病の方が希少疾患なのだが、その場合はHIV訴訟も含まれるので、そこまで話を広げるのは、本節では避けたい。これら以外に、私自身としては4つ目として、希少疾患を診断できず、しかも専門医も紹介しなかった場合に、どの程度医師の法的責任を問えるのか、調べたいと思っている。これはインフルエンザ脳症・ライ症候群や予防接種健康被害の中にも、何割か含まれてしまっていると思われる希少疾患といった特異体質を診断できるか、できないか、できないならできないことを立証できるか、そういう意味で、本著の診断されぬ病というテーマを法的観点からみたものであり、実際には残り2つの基礎になる争点で、シンプルなので重要かもしれない。

 

 おそらく大方針はたった一つで、医療訴訟を起こすにしても、起こさないにしても、示談に納得するにしても、しないにしても、更には勝訴するするにしても、負けるにしても、真っ先にやるべきただ一つのことは、医師の目線になって医師の行った処置とその処置を行うことになった医学的根拠を、「追体験」してみることである。

 

 勝訴する確率が半分未満と思って訴訟を思いつく患者はいないはずなので、勝訴する段取りで考えてみる。医療訴訟で原告が約2割しか勝てないと言われるのには、実際には「訴訟3件につき示談見舞金で70(アムザ談)と述べられるぐらい示談が訴訟よりもはるかに多いからで、被害者の家族の立場になってみると、示談金を受け取ったというのは周囲に体裁が悪いために目立たせないことが多いためと思われ、欧米のように被害者の名前の基金などを作ることもあまり行われていない。日本ではまだ欧米のようにあからさまに割り切れないようだ。なお、この林檎の会アムザという団体は、おそらく非常にためになる経験則を述べていると思われ、この後も本節で引用するかと思うが、当方とは何の関係もないことをお断りしておく。医療従事者側からの告発のためのウェブページまで用意されているようだ。なお、本節で述べているのは経験則ではない。アムザのように実際に訴えた経験を元にしているわけではなく、主として学術論文から得た知識をまとめて類推してだけである。

 

一度は科学を志した者の多くが、科学を徹底的に無視して利害を追求できるのは自分や家族が被害者の場合だけである。なお、「一度は科学を志した者」というのはもちろん嫌味である。医師の中には、一度は科学を志ながら、科学の純粋な心を忘れている方々が多い。なぜなら、医師もまた、医療賠償保険に入っているとは言え、うかつに負けると家族の生活がかかっているからである。この認識はおそらく訴訟の最初に持つことが必要で、途中で我に返って医師の家族のことを心配すべきでない。勝訴に結びつかないような心配をするなら最初に心配して、後は割り切ることが必要なはずである。医師もそうやっているから医療事故ではあるが医療過誤ではないと明言できるのである。これも医師の視点を追体験するにあたって必要な考え方だろうと思われる。

 

 医師の目線になって処置を追体験してみると、過誤としての大きさが少し客観的な観点から見えてくるはずだ。これができないと、勝訴の見込みが分からないし、また勝訴したとしても予想外に弁護料や意見書料にとられてしまうと思われるため、家族が無理なら親族の誰かに追体験を頼むのでもいいだろう。専門用語との闘いになるので、親族に看護師や医療従事者、医療翻訳者、分野は違っても大学教員や研究員、または生物系の技師、高校の理科の生物の先生がいると有利と思われる。追体験をして、医学知識をもった医師自身から見た過誤の大きさをまず把握し、次に文系の裁判官から見た過誤の大きさを把握する。後者の方が患者の視点に近いはずで、医師の視点と裁判官の視点での過誤の大きさは、ものすごく違うはずである。親族の誰が考えてみても、もしも違いが分からなければ、殆どの場合、勝訴はできないはずで、訴えないか、訴えるふりをして示談に持ち込むか、どちらかを選んだ方がいいと思われる。

 

 医師の視点と、裁判官の視点で、過誤の程度がどのぐらい違っているかというのは、米国の研究なので陪審員と裁判官の視点の両方が混ざっていると思われるが、医療訴訟大国である米国で大規模な研究が行われて、非常に異なるという結論が出ている。日本とは多少事情が違うが、基本的には訴訟に関して日本が米国を後追いすることが多いため、先例を知る上で重要と思われる。1984年からのデータを用いたHarvard Medical Practice StudyHMPSによると、賠償金額は医療過誤の大きさに関係なく、患者が負った障害の重症度だけによるとのこと*HMPSは合計3度に渡って学術報告され、最後は1996年に報告して終了となった。これは専門用語が多数登場して専門性が高くなればなるほど、医療過誤の程度として大きいのか小さいのか、陪審員や裁判官が理解するのが困難となることによる。それに対して重症度は目に見える形で裁判所に出てくれば一目瞭然なのである。この観点からすると、日本の裁判官は普通、法学部という文系出身なので、デフォルトの状態では、医師と患者の中間よりも少しだけ、患者寄りのはずである。それでも医療集中部をもうけて対応すべく努力を重ねている裁判所があるので、その場合には医師の方に少しだけ近いはずである。医師と裁判官の視点の違いはこのようにして生み出されるので、医師と裁判官の視点が同じに思われる場合は、争点が分かりやすすぎて患者側に勝ち目があまりないか、逆に訴訟に至らずとも十分な金額で示談できる場合である。もう一つの場合として、医師の視点が事前に探りきれない場合もあると思われ、この場合もリスクが高い訴訟となるであろう。

 

 具体的に医師の視点を探った事例としては、[医師に頼らない因果関係の追求...]の節の最後に、医師の手を借りずにウイルスを採取する方法と調査する方法を挙げたものが、本著の中で一番近いと思われる。結局、問題のほとんどはインフルエンザの迅速検査キットに依存せざるを得ない状況を作り出している、インフルエンザ予防接種の健康被害救済制度の弱さから発生しており、日本は希少疾患の認知度が低くおそらく診断率も低いことも絡んで、他の先進国では考えられないような複雑な事態となっていて、医師自身も被害者だと分かってしまった。これが、医師の視点を追体験するならば、最初に行わなくてはならない理由である。いったん訴訟が始まってから、医師の方も被害者だと思うような根拠が出てきても勝訴のためには心を動かされてはならない。医師も被害者だと思うような観点をとれるのは、弁護士に費用を支払う契約の前だけの話である。いったん、弁護士が間に入ると、いくら成功報酬だとしても、弁護士の知識の豊富さに圧倒されて、実質的に言われるままとなる。というか言われるままにやらないと負けて意見書料といった大赤字が出るのである。この状態になってから医師の方も被害者だとか考え始めても、何を寝ぼけているのだという話にしかならない。医師が弁護士のことを嫌う理由を、ある意味患者自身が追体験することになるが、それは最初に了解しておくべきことであり、後で後悔すべきことではない。・・・はずである。いろいろ調べた限りは。

 

 HMPSの問題点として、古いデータでもあるし、日米で手術率に倍近い差があり、米国の場合は、リスクは高いが短期間で治す外科処置に頼りやすく、日本の場合は服薬治療に頼りやすい§ようだ。おそらくこれほどまでも異なる主な要因は保険制度が普及しているかどうかによるのではないかと思われ、そうだとするとオバマ大統領が率いた医療保険制度改革で差は小さくなりつつあるのではないかと思われる。つまり、米国の方が日本の健康保険制度に近づきつつあるはずである。日本の制度は希少疾患や遺伝病を排除する傾向が強いが、処置の定型化したコモンディジーズに対して優れている点は否定できない。問題はインフルエンザといったコモンディジーズの中に希少疾患が誤診されて天に召されていることで、この誤診がどの程度の医療過誤として訴訟で勝てるのか、また、勝てないのかというのが、本節のテーマの一つである。

 

 ここまでの話だと、死亡や重度障害に至っている場合は、十分勝てるということである。この場合は、希少疾患であることを、医師側の弁護士に掴ませない方が有利にことが運ぶと思われ、ご兄弟姉妹がおられる場合は、医師側に伝わらないようにどうやって遺伝的リスク、すなわち体質によるインフルエンザの重症度や予防接種のリスクを知るか、という点が重要なはずである。守秘性の点で一番いいのは、日本人をなるべく介さずに海外のDNA検査会社に頼むことであるが、その一方で最も気になるCPT2のリスクは日本国内の研究である。実際問題として妥協せざるをえないと思われる。そもそも、医師側に血液検体が残っていれば、医師側でもDNA検査にかけることができるが、それはもちろん倫理違反である。希少疾患の情報が医師側に漏れたとしても、それを証拠として挙げられない、倫理違反も追求できる、その点を弁護士に確認した上で、国内の大学や大学から紹介されたDNA検査会社に依頼するというのが、妥協点であろうと思われる。

 

 このように、重症度が大きければ過誤が小さくとも原告が勝てる点が、医師の間でも大問題となり、トンデモ医療裁判やトンデモ判決という名称がつけられた。リンク先では類型のみの記述で具体的な裁判の内容は示されていないが、検索すると具体例が得られる*。もちろん、こういった裁判が増えるのは、よいことではない。しかし、そもそも無過失賠償制度を整備せず、訴訟というのは科学的因果関係を追求するものではないことを知りながら変革せずに放置しているのもまた、医師であり、これはある意味自業自得である。本来は日本医師会や日本医学会が行動を起こすべきところと期待されるが、実は、産科医療補償制度で多少微妙な評価の前例を作ってしまった。国民はもっとこの制度の利点をポジティブにとらえるべきであった。もともと、裁判をしなくて済むというのは、膨大な時間を費やして職を失いそうになりながら専門用語を覚えないで済むということなので、患者側にとってとてもありがたいことだ。そして、産科医療補償制度を利用したとしても、その後、裁判をするかどうかは、患者側に委ねられていた。過去形にしたのは、本来そうあるべきではないと考えるからである。あまりにも患者側に有利なこの制度が、税金問題に絡んで批判されているのは、多少おかしい。そんなに予算が余っているなら、なぜ産科医療以外に拡大しないのか、特にインフルエンザの予防接種について。皆さんはそう思わないのだろうか?

 

  話を戻すと、医療訴訟が理不尽であることの最大の理由は、過誤の大きさを裁判官が理解できないのに対して、重症度の方は分かりやすいため、技術的に先端的で分かりにくい過誤ほど不利であるということによると思う。だとすれば技術が進歩すればするほど、専門家しか理解できない内容になるので、現在のところは米国の医療訴訟ブームは落ち着きを見せているが、将来的に長い目で見ればどの国でも増加傾向を示すのではないだろうか。

 

 最終的に、追体験によって、医師の視点に立ってみると、それほどの過誤ではないと思えてくる場合も多いだろうが、割合としては少ないと思われるが、逆に大変な過誤であると思う場合もあるだろう。それほどの過誤でないと考えられた場合は、やはり柔軟に対応すべきと思われる。

 

 

 希少疾患を診断できず、しかも専門医も紹介しなかった場合に、どの程度医師の法的責任を問えるのかについては、現在の日本の判例だと、その結果として起こった重症度に応じて責任を問うことができるということになる。大事なのは重症度なのだから、あまりどのような希少疾患であるかにはよらない。したがって、後々の節で述べる未診断患者レジストリといった、どのような希少疾患でもなるべく早くに診断できる仕組みが、たまたまインフルエンザや予防接種裁判、希少疾患の未診断裁判に巻き込まれる不幸な医師を減らすためにも必要不可欠である。