目次
9月の暦
9月の星座 はくちょう座
9月は竜巻の季節!?
台風という生き物
台風のエサは、暖かく湿った海水
台風のなまえ
腐っても「タイ(台)」
台風接近時の不調 
田の実(頼み)の日
暑さ寒さも彼岸まで
彼岸花・相思花
お月見今昔
こぐま座、おおぐま座
打ち水はなぜ涼しくなる?
夏バテ回復に効く「ナシ」
三食玄米のお勧め
腎虚の夏バテ
朝食こそが一番の健康の源
津液に関する老化
食文化は損得勘定!?
世界の長寿者の日常食は?
テリヤキチキン寿司
グルメの時代
不眠は何故怖い?
過度のジョギングは健康に悪い?
肺気を強める空瓶健康法
解毒のしくみ
快感中枢と依存症のしくみ
痛くないって本当?
脳内ホルモン低下の原因
骨粗しょう症を防ぐには?
秋口の病と養生
風邪を治す特効薬?
若返り・老化防止ビタミン
健康食品は本当に効くのか!?
生理期の養生(子宝シリーズ)
遥かなる原始時代の食文化 その3
日本人と肉食と牛乳と
楽なお弁当作り
<電子レンジ簡単レシピ>簡単ラスク
鯖の味噌煮は大人気
アイスバナナミルクティー・2杯分
明治以降に開発された鍋料理たち
“知恵”が富を生む
脱財布宣言
どこへ行くのかの日本人論
児玉大将の地図を持たない人々への喝!
幕末版オタク登用事例、大村益次郎  
現場レベルでの明治維新
手綱さばきの妙
権力とは何ぞや
税は国の基本 
家康は黒田官兵衛を恐れたか?
ブラックジャックに見る人間万事塞翁が馬
王の中の王
映画もネットの時代 
公園は危険?
繊細な日本人の感性を大事に
おばあちゃまの着物
車を安く直すヒント④=リビルト部品
車を安く直すヒント③
ジェネレーション・ギャップ
3Dプリンターサービス
「伝導過熱」の危険
喉を鍛えて誤嚥を防ぐ
『古事記』の神々(その6)黄泉の国1
19世紀の東アジアの国際情勢
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

46 / 68ページ

試し読みできます

どこへ行くのかの日本人論

先日、友人と「日本人はどこから来たのか?」ということについて話していたのですが、私は以前見たNHK番組の受け売りで「縄文人が氷河期に凍った海を渡って北から入り込み、その後、西から中国大陸の動乱を避けた渡来人が、先住民を駆遂しつつ北上。他に沖縄方面から黒潮に乗りやってきた者、朝鮮半島から渡来した者がやがて混じり合ったもの」だと言ったところ、友人は「それでは蒙古斑が説明できない。蒙古斑は、韓国人も中国人も無いのに、日本人とモンゴル人だけにある」・・・言い、応えて私は、「それは、日本人と一口に言ったって、相当に混じり合っているからだ。現に、福岡の支配階級の大半は兵庫県民(福岡藩黒田家)だ」・・・と。

 などという話をなぜ、今頃したかと申しますと、私、先日、サッカーの日本代表対中国代表の試合を見ていて、少し、思うところがあったからです。

 それは、サッカーそのものではなく、出てる選手そのものについてで、韓国代表や中国代表というのは、明らかな黄色人種の、いわゆる、中国人、韓国人・・・という感じの人たちばかりなのに対し、日本代表というのは、ハーフや帰化人なども混じっており、また、純粋な日本人であっても欧米に感化されたようなスタイルの選手が多く、かなり、雑多な集団という感じがしました。

この点は先のバンクーバー・オリンピックもそうですが、キャシー・リード、クリス・リードが日本代表で、その妹はグルジア代表、長洲未来がアメリカ代表で、川口悠子はロシア代表・・・とかなり、グローバル化してますよね。(もっとも、北京五輪で銀メダルを獲得した女子卓球シンガポール代表は全員中国出身だったり、中東産油国が資金力を背景にアフリカの陸上選手を引っ張るケースがあったり・・・で、一概には言えないのでしょうが、日本は、中国や韓国に比べて、比較的、抵抗無く、世界と同化しようとしているように映るんです。)

 ただ、この点は誤解のないように申し上げておきますが、私は決して、ハーフや帰化した人たちを非難しているわけでも、その動きを排除すべしと言っているわけでもありません。むしろ、これが中国・韓国と違う、日本の特色であり、日本はこの方面で持ち味を活かしていくべきなんじゃないか・・・と思ったんです。

 日本という国は、中国・韓国と比べ、早くから欧米に門戸を開いてきたこともあり、また、古代より、先進国の文化を吸収することに抵抗が少ないDNAがあるからなのか、すっかり、欧米化してしまってますよね。ある意味、日本が欧米のそれに合わせてしまったことで、中国・韓国もそれに追随せざるを得なくなった・・・という側面があるのかもしれませんが、でも、「量」という面では日本は中国には絶対勝てないんですよね。

 であれば、中国が「量」を前面に打ち出す・・・ということになれば、日本は「質」に活路を求めるしかなく、であれば、「グローバル化」ということも選択肢の一つではないのか・・・と。

つまり、「日本・・・、早くから、欧米に門戸を開いてきたこの国は、他のアジア諸国の中では異質なほどに、世界との同化が進んでおり、独自の雰囲気を持っている」と紹介されることこそが今後、日本が進むべき道なのではないか・・・と。

(小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)

2010-09


 


試し読みできます

幕末版オタク登用事例、大村益次郎  

大村益次郎という人物をご存じでしょうか。

東京の靖国神社に銅像として置かれている人物・・・と言えば思い当たる方もいらっしゃるかもしれませんが、事実上の日本陸軍の創始者とされている人です。

ところが、この人は元々、長州藩出身とはいえ、松下村塾で知られる志士の出身ではなく、本来、幕末の激動とは何ら関係なく、家業の村医者を継ぐために、医学を学んだ学者さんだった。

ただ、勉強の方は半端じゃないほどに出来た人のようで、防府の梅田幽斎、豊後国日田の広瀬淡窓、緒方洪庵の大坂適塾といった私塾に学び、長崎に遊学後は、適塾の塾頭を務めたほどの秀才だった。まあ、今日で言うならば、国立大学の大学院を出た後に欧米系の大学に留学、帰国後は母校で助教授を務めていたようなケースを想像すればわかりやすいでしょうか。

その後、一旦、父親に言われるままに帰郷し、近隣の娘と結婚したものの、村医者としてはあまりにも優秀すぎたのか、患者に対しては診察よりも講義をしてしまう傾向があったようで、医者としてはあまり芳しい評判がなかったのに対し、一方では、その学識を惜しむ声は多く、やがて、伊予宇和島藩から求められて出仕、西洋兵学の翻訳と講義を受け持ち、その後、安政3年(1856年)には宇和島藩御雇の身分のまま、幕府の蕃書調所教授方手伝として幕臣となり、さらに万延元年(1860年)、噂を聞きつけた故郷長州藩からの要請を受け、長州藩士となり、やがて、文久3年(1863年)に長州へ帰国。帰国後は、西洋学兵学教授となったものの、その翌年、長州藩は軍部の暴走により、蛤御門の変にて大敗し、その結果、幕府の第一次長州征伐を経て高杉晋作の決起による内乱状態となってしまうわけですが、やがて、討幕派が政権を掌握すると、高杉や桂小五郎ら藩中枢は西洋式兵制の採用を推し進め、書物を通して、この点に一番詳しい大村にその指導を要請・・・。

ここで、面白いのは、長州藩は、これまでの相次ぐ戦乱で、多くの人材を失っていたこともあり、大村は講義だけでなく、実際の作戦指導まで任されることになったことです。

なぜなら、大村その人は本の中でしか戦争を知らない単なる学者であり、その人に作戦指導を任せてしまったということは、今日で言うならば、軍事に詳しい大学教授を、そのまま、自衛隊の司令官に任じてしまったようなものでしょうが、インパクトの上ではむしろ戦争マニア、あるいは兵器オタクを防衛大臣兼参謀総長に任命した・・・と言った方が当を得ていたでしょうか。

この点、メジャーリーグ、ボストン・レッドソックスのチーム編成を担当しているのは、野球経験などまったくない、ネット上で独自の数式で選手を評価していただけの、いわば、ネット版野球オタクのような人だと耳にしました。

つまり、レッドソックスのオーナーとしては、「能力さえ確かならば、出自や経歴などにはこだわらない」・・・ということなのでしょうが、日本のプロ野球がそういう人を抜擢するなどとは到底考えられないことを思えば、如何に追いつめられていたとはいえ、長州人というもののこの辺の発想の柔軟さには凄味すら感じます。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2009-09


試し読みできます

現場レベルでの明治維新

メイジ・レボリューション・・・通常、明治維新を英訳するとこう呼ばれます。

レボリューション、つまり、革命ですが、果たして、明治維新は革命だったのでしょうか・・・?

一般に、「明治維新はいつ?」と言われれば、多くの方が「明治に改元されたとき」とか「王政復古の大号令の時」・・・などと言われると思います。

ところが、その段階では薩長土肥と呼ばれる西国雄藩連合の武略で德川氏を追い落としたに過ぎず、階層の流動化である「革命」という点では具体的な動きはなかったはずです。

明治維新において、薩摩藩と並んで一方の主役であった長州藩では、幕末、幕府による長州征伐と、四カ国列強との交戦をほぼ同時に受け、まさに国が滅びる!という危機感のなかで、背に腹は代えられず奇兵隊という欧米型の国民皆兵制の軍隊を生んだわけで、それがさらに禁門の変、第二次長州征伐や鳥羽伏見の戦いといった戦闘を経ていく中で、その百姓町人を中心とする奇兵隊の勇猛さは、庶民の発言力の向上をもたらしたわけです。

つまり、長州藩ではこういった呉越同舟的な雰囲気のなかで身分制の崩壊がすでに始まっており、ひいては階層の流動化「革命」というものを醸し出していたと言えるでしょう。

それが、その後勃発した戊辰戦争において、そのまま新政府軍の中核をなしたことにより、長州の日本化ならぬ「日本の長州化」とでも言うべき「革命」が起動したのではないでしょうか?

即ち、従軍した諸藩の、いわゆる、足軽や郷士と言われる人たちの多くが、身分の上にあぐらをかいていた人たちの無能さを目の当たりにすることとなり、それがさらに百姓町人からなる長州の兵隊たちを見ることによって、もっと言うならば、自分の藩の上士が、百姓町人あがりの奇兵隊士にあごで使われるのを見た瞬間に、封建制というものは、なし崩しに崩壊したと言ってよく、この瞬間こそが現場レベルでの明治維新だったのではないでしょうか?

この点、百の思想を机上で教えるよりも、人民の末端まで、皮膚感覚で、新しい世の中が来たことを実感できたということが、これまで封建制のもとで、不遇を囲っていた庶民たちの支持に結びつき、そのことが、脆弱な基盤の明治政府を、意外に強靱な物にした隠れた理由であったようにも思えます。

その点、薩摩においては、革命という機運が藩内で高まったのではなく、単に西鄕・大久保ら、指導者層の武略によってのみ幕府を倒してしまったことから、長州藩のような革命的気運醸成と言う経緯を経ずに、そのまま、革命政府に参画してしまったと言え、それこそが意識レベルでの薩摩藩の誤算であったと言えるでしょう。

何故ならば、薩摩藩は、唯一、戊辰戦争において、長州藩より上の立場にあり、長州化する必要がなかった集団だからです。

だが、そのことが、日本全体が長州化していくなかで、その流れに逆行していくことに繋がり、結局、西南戦争と言う破滅にまで至ってしまったのは、その意味では、これまた、当然の帰結だったと言えるのかもしれません。

ただ、薩摩の側に立って言うならば、幕末の薩摩藩の実質的なオーナーであった島津久光には、元々、幕府を滅ぼす気などは毛頭なく、その結果、薩摩の倒幕指導者たちは、国許にいる主力軍を当てにすることは出来ず、使える兵力は出先機関にいる兵力のみであったわけで、本来、長州と違い、上手に立ちまわったがゆえに、あまり損耗していない薩摩軍が加わっていながら、鳥羽伏見の戦いでは幕府に対し、兵力の上では圧倒的に劣勢に立つしかなかったということが、長州と違った意味で、五体満足ではなかった薩摩側の内幕を語るものであると言えるでしょう。

薩摩はこういう内情を誰にも悟られることなく、ある意味、虚勢で明治維新を起こしたと考えると、薩摩人の気迫がこういう所にも見受けられるように思えます。

言うならば、鳥羽伏見の戦いの直前段階での長州を満身創痍の大けがに例えるなら、薩摩は内蔵疾患の病気持ちだったといってよく、明治になって、久光という病根から開放されたことで、元気になったからといって、急に激しい運動をしたところ、逆に怪我しなれていないがゆえに、骨折してしまったのが、西南戦争だったと言えるのかもしれません・・・。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2008-09


試し読みできます

手綱さばきの妙

私が企業人として敬愛する藤沢武夫氏は、本田技研工業がレンタカー部門を立ち上げるに当り、公私ともにもっとも寵愛し、信頼する部下に、この新部門を任せたそうです。

この人物は、なかなかの才人であり、藤沢氏の期待に応え、新事業は順調な滑り出しを見せたとか・・・。

ところが、この人物は、成功に驕り、行きすぎた行動をとるようになり、藤沢氏も、再三、この腹心への行きすぎを注意しますが、この人物は、マスコミ出身者にありがちなうぬぼれもあり、一向に改めようとはしなかったそうです。

その結果、藤沢氏はどうしたのか?

この人物を責めれば、この有能な部下を失う結果になるかもしれない・・・。

逆に、このまま私情に任せ、彼の行動を黙認すれば、他の部下にも悪影響をおよぼしかねない・・・。

速く走る者に合わせるべきか、遅く来る者に合わせるべきか・・・。

藤沢氏は、苦慮した結果、この有能な部下を徹底的に干しあげたそうです。

その態度は、「干す」などという生やさしい物ではなかったとか・・・。

結果的に、この部下は、これにより自らの行きすぎを反省し、また、他の部下たちも、腹心と言えども容赦ない藤沢氏の行動に、一段と襟を正したと言います。

速く走りすぎる者は手綱を引き締め、遅く来る者は手綱を引き寄せる・・・。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)
2006-09


試し読みできます

ブラックジャックに見る人間万事塞翁が馬

手塚治虫の「ブラックジャック」と言う漫画をご存知でしょうか?

言うまでもなく、巨匠、「手塚治虫」の代表作の一つです。

このマンガ・・・、今でも売れ続けている、知る人ぞ知る超ロングヒットなんです。

ただ、この漫画が出る前に「神様」手塚治虫が置かれていた状況と言うのは、決して、順調なものではなかった。

かつてのように、出す作品、ことごとく子供達の心をわしづかみ・・・というわけにはいかなくなっておりもう誰の目にも、手塚の時代は終わったと映っていたそうで、ついに、手塚プロ倒産で自宅売却。

起死回生で最後の望みを託した「ミクロイドS」という作品も半年で打ち切り。

まさしく、どん底の状態だった。

そこへ、少年チャンピオンが「ブラックジャック」を連載することになって、編集長が担当者を募ったところ、誰しも、落ち目の作家など担当などしたくはないもののようで、やむなく、ある担当者にその話が廻ってきたそうです。

その人も、(こんな落ち目の作者、嫌だ!)と思い、「手塚先生じゃ、もう、だめですよ。」と言って逃げようとしたところ、編集長から「だめなのは俺にもわかっている・・・。なあ、手塚先生の死に水をとってやろうよ・・・。連載と言っても、5回だけだから・・・。」と言われ、渋々、押し付けられたそうです。

当時、コンセプトとして、「医者もの」「劇画タッチ」と言うことはあったが、それでも、誰も期待などすることもなく出版されてからの読者アンケートでも、16作品中12位で誰もが内心、「やはり・・・」の世界。

そうこうするうちに、手塚治虫は締め切り前日になって、「第四話が書けない」と言ってきたそうで、「連載作品なのに!」ってことになり、大慌てで、その担当者が家に駆けつけ、「書いてもらわないと困る!」と言ったところ、手塚は「今日だけは、今日だけは、勘弁してくれ!」と言って、そのまま、家を出て行こうとした。

担当者は、「冗談じゃない!書いてくれなければ困る!」と言って、ドアの前に立ちふさがって、手塚治虫を肉弾で突き飛ばし、肩をもんで、むりやり、椅子に座らせた。

手塚と言う人は、日ごろ、連載に穴を開けるようなことはなかったし、人を悪し様に言うような人ではなかったが、このときばかりは、「君は鬼だ!」と言って、突っかかってきたそうです。

この辺の両者の心理は、よくわかるような気がします。

手塚にしてみれば、みじめでみじめで・・・、とても、やってられないような心境だったでしょうし、担当者にしてみれば「だから、落ち目は嫌なんだ!」だったでしょう。

で、結局、間に合わないから、仕方なく、第四作のところに、そのまま、第一作目の作品を掲載したところ、その発売の翌日、出版社である秋田書店の電話と言う電話が鳴りっぱなしになり、出版部だけでは電話の応対が間に合わなくなって、ついには、社員総出で電話を取り捲らなければならないほどだったそうです。

内容はすべて、少年チャンピョンに「ブラックジャック第四話」が載らなかった事への苦情。

そこで、初めて、担当者は自分の担当している作品が、「どれほど支持されているのかがわかった。」と言っていました。

「人間、泣いてばかりも生きられない。笑ってばかりも生きられない。」

これは、重度の鬱病で生命の危険さえあった俳優、竹脇無我に対して、森繁久弥が言った言葉だそうです。

漫画界に、はかり知れぬ足跡を残した神様、手塚治虫・・・。

何とも人間くさい神様です・・・。人間万事塞翁が馬。

(文:小説家 池田平太郎/絵:吉田たつちか)


試し読みできます

公園は危険?

公園から子どもたちの姿が消えて、久しくなります。いまの小学生が外で遊ぶことは、ほとんどありません。また、塾があるので、“真面目に遊ぶ”時間もありません。ほんの少しの隙間時間を使って、ゲームをするのが遊びなのです。外で遊ぶことができるのは幼稚園児以下の子どもたちだけ。しかし、遊具での事故が増え、次々と撤去されてしまいました。怪我をした子どもの親たちも、その責任を行政に求めるようになり、さらに遊具が消えることになりました。昔と今の遊具はどこか違うのでしょうか。ブランコ、すべり台、シーソー、ジャングルジム……。多少デザインは変わっていますが、基本的には同じです。

変わったのは、子どもの運動能力と、親の思考回路です。昔の子どもも多少の怪我はしました。特に男の子は、危険なことが好きです。小さな怪我を繰り返して「危険」を学び、ギリギリのところで手加減していました。親も怪我など気にもせず、“キズ薬”を塗って「ハイ、おしまい!」。ところが、いまの子どもは、少しでも怪我をすると、親がすぐにやめさせます。

「危ないから、行っちゃダメ!」。遊具を管理する行政に、文句を言ったりもします。まったくの筋違いです。小さな怪我をたくさん経験しておかなければ、大きな怪我をした時に対処できなくなり、精神的ダメージが大きくなります。小さな怪我でもオロオロする、弱い人間になってしまいます。しかし、いまの子どもは、危険なことをやったことがないから、“手加減”を知りません。痛みもわかりません。だから、度を超してしまい、事故となるのです。身体を使い、小さな怪我をしながら、危険を学んでいくのです。これは、生きる上で必要なことです。「危険」を教えるためにも、親は意識を改めなければいけません。怪我をするのは、遊具のせいではありません。子どもは怪我をするものです。怪我をしやすいのは、子どもを外で遊ばせない、親の責任です。

(文:フリーライター 佐藤きよあき/絵:吉田たつちか)
2009-09


試し読みできます

繊細な日本人の感性を大事に

住めば都か懐郷の念か・・・・  様々な分野で西洋化されている現在の日本では、多くの人が海外に憧れ、旅行や留学、または移住など壮図を抱いている。 他の言語を習得することや、外国文化や習慣を経験できることは魅力的で、自身の視野をグンと広げられることができる。 私自身も何度か日本と海外とを行き来し、その地の文化や生活スタイルを経験することができた。そして何 より日本とは全く違う生活が楽しく、エキサイティン グな毎日を送っていたことが懐かしい。

例えば日本では煩わしくて嫌いだったウォーキングや、忙しくてできなかった公園のベンチで読書なんかも、自ら好んで行うようになった。しかし、今こうして異国の地に定住してからは母国を少し違った眼で見るようになった。

先ず、日本のずば抜けたサービス精神は、海外生活が長い人は必ず思い出すであろう。 海外と言っても世界各地のお国柄により差はあるであろうが、日本のサービス基準の高さは有名な話である。美容室では、できるだけお客様に心地良い気分でいてもらえるようコーヒーや紅茶を出す店も少なくない。ガソリンスタンドでは窓拭き、タイヤの空気圧チ ェック、ごみ捨てさらに車内用の濡れ雑巾まで貸してくれ、スタンドに滞在するほんの短い時間でさえも、私達に満足感を与えてくれる。

日本に住んでいると、こんなあたりまえのことは忘れてしまいがちだが、海外でここまで気の利く接客は聞いたことがない。 なにかしらサービス業を行う上で、経営者は先ず顧客のことを一番に考える。どうすれば満足の行き渡る接客が行えるか、どうすればお客様に喜んでもらえるか、これは当然の考えのように思えるが、海外でこんな考えを皆が皆持っているわけではない。不良品の返品ひとつにしても、「何日ごろ到着予定ですので、確認の為、一度お電話ください。」とこうだ。日本であれば、客に何か行動を起こさせることは 先ずないであろう。お客様は神様のごとく、サービス 提供者が自発的に完璧なサービスを目指そうと試みるのは日本では常識だが、海外では残念ながらそうではない。

海外のお粗末なサービス実態を挙げれば限がないが、 テレビや衛星放送、ホームシアターなどの接続は、まず信用できない。日本では、電気屋から委託されているエンジニアや配達係りの人が各家庭に派遣され、床や壁が傷つかないように大きなクロスを敷き、あっという間に接続が完了する。散らかった段ボール箱やビニール袋ももちろん綺麗に掃除して帰ってくれる。そして時々店頭で見かける表示が、「配達員の靴下はいつも綺麗な真っ白を履いています。」こんなことが海外ではありえるだろうか。 つい最近、我が家にオーディオセットの配達と接続に、エンジニアの人が来てくれたのだが、「このスピーカーから音が出るはずだが、何らかの理由で音が出ない。自分では分かりかねるので、もう一度店頭に行 って担当者に聞いてください。」私は怒りを通り越して呆れかえってしまった。エンジニアの彼に分からないものが、どうして店頭の販売員に分かることができるのだろうか。彼は十分に調べることもなく簡単に諦めて帰ってしまった。結局、旦那が説明書を見ながら 直すことができ一件落着となったが、どうしたものだろうか。 私達には考えられない話だが、この国では特に珍しい話ではない。この国のおおらかさ、フレンドリーな人々やのんびりとした生活観、私は大好きだが日本のことはもっと魅力的に思えるようになった。ひとつひとつの丁寧さ、 日本人の謙虚な姿勢、日本の良さを思い出す度に、日本人としての誇りを感じる。 秋の夜空、虫の音を聞いて心地良い気持ちに浸る。この感性があるのは日本人だけだそうだ。この繊細な感性を大事にしてもらいたい。 西洋文化に憧れ、髪を染めたり、西洋人のスタイルの 良さをうらやむ気持ちは分かるが、少し控えめすぎる私達は、日本人としての誇りと自信を持って欲しいと心底から思うようになった。 私が日本、日本人の素晴らしさに気付くことができた のも、故郷を離れたからであり、今私が住んでいるこの国に感謝しながらも、日本人としてのプライドを持 ち"日本"をもっと探求してみようと思う。

(文:ニュージーランド在住、Reeoko/絵:吉田たつちか)


試し読みできます

おばあちゃまの着物

知人から「おばあちゃまの着物を沢山譲り受けたので」と着物、羽織などを分けて頂きました。おばあちゃまが大柄な人だったのか、いずれ譲ることを考えて大きめに仕立ててあったのか、サイズも合ったのでありがたく着させて頂いています。昔の着物は大体まず腕の長さが短い場合が多く、ここばっかりは着る時にごまかすにも限界があって中々難しいので合えば儲け物です。どうしても着たい柄ならば直しに出してそれぞれ丈を伸ばしてもらう事も可能。こういうのが着物の良さですね。祖母が何十年前かに着ていた洋服をもらって着ようとはよっぽどの物でない限り考えませんが、着物はある程度サイズ直しも可能ですし、帯・帯揚、紐などの小物類などはサイズも何も気にせず使える懐の深い優れものです。頂いた中でも気に入った紬は、くれた知人が「地味!こんな地味なの本当に着るの?」と訝しがっていた物でしたが、黄の帯と朱の小物類を合わせて色を足せば印象も明るくなって普段着には十分。これからも大事にしたいと思う素敵な文化です。

(現庵) 2005-09


試し読みできます

車を安く直すヒント④=リビルト部品

事故損壊車の修理費用の内、部品代が約50%と最も大きいのです。したがって、部品を安く調達できれば修理費が安くなります。

これまで、中古部品と社外部品を紹介してきましたが、これらがすべて見つかるわけではありません。リビルトパーツも補完的な意味で視野にいれておく必要があります。

米国では、第二次世界大戦の時に、軍事車両が優先されたため、中古部品をコアに、劣化した部分のみ新品で組み替えるリビルト部品産業が発達しました。今でもカーユーザーはリビルト部品を優先的に利用する傾向があります。

リビルト部品としては、エンジン、ミッション、ドライブシャフト、ダイナモなどの電装品、ラジエータが代表的なものです。ラジエータはわが国でもリビルト品が多用されています。

最近は、省資源・環境保全の見地からも、大手部品メーカーが手がけているリビルト部品もあり、品質的にも純正部品と遜色ないものが多くなってきました。

事故損傷車修理専門工場のアドバイスを受けながら、適切なリビルト部品を利用することも、ユーザーの賢い選択の一つです。

(自動車ジャーナリスト 井上勝彦) 2004-09


試し読みできます

車を安く直すヒント③

新品の部品には、純正部品以外に台湾などから輸入された安い社外新品部品が出回っている場合があります。中古部品が見つからなかった時に次善策として相談してみましょう。

社外新品部品はアメリカなどでは市民権をもって広く流通していますが、日本ではタクシー用など限られた車種にとどまっています。形状や品質にやや難のあるものもありますがプロ職人のテクニックでカバーできる範囲です。

交換工賃を割増しで支払っても修理費全体では安くなります。

 

(自動車ジャーナリスト 井上勝彦/絵:吉田たつちか)

2004-09


試し読みはここまでです。続きは購入後にお読みいただけます。

この本は有料です。閲覧するには購入する必要があります。
購入するにはしてください。
有料本の購入に関しては、こちらのマニュアルをご確認ください。
販売価格100円(税込)

読者登録

atecさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について