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プロローグ 処女膜貫通 遠山 紗月

 中学生になった。入学してから二週間で私はレイプされて処女を失った。

 しばらく日が経ち深刻な問題も発生した。両親に全てを話した。面倒だから出て行けと言われ、家から追い出された。叔母さんの家に行った。また全てを話した。叔母さんは言った。

「家に金を入れるなら、飼ってやるよ」

 私は言った。

「お金はちゃんと稼ぐし、自分の事は全部自分でやります。高校を卒業するまで、よろしくお願いします」

「分かったよ。ただし、少しでも変な事したらぶっ殺すからね」

 叔母さんとの二人暮らしが始まった。そして私の援交人生も始まった。

 


第一話 うんこ野郎 桐崎 玲治

 中学一年生の六月。期末試験中にうんこ漏らした。大多数の予想通り俺は引きこもりになった。両親は困った。そして、「引きこもるのならば更に引きこもらせてやろう」という逆転の発想の元、俺を部屋の押入れに閉じ込めた。

 押入れの扉は木製。固い。殴って穴を開ける事は出来ない。扉には分厚い木の板を打ち付けられている。どうあがいても破壊する事は出来ない。押入れの中は真っ暗。扉の中央に直径十センチほどの穴が開けられており、その穴からペットボトルやおにぎりが支給される。

 ここまで本格的な引きこもりになるつもりは、なかった。

 

 引きこもりを始めてから多分一ヶ月が経った夏のある日、遠山紗月が部屋に遊びに来た。紗月はビッチになったとか援交しまくってるみたいな噂が絶えないが、俺は信じていない。

 穴の向こうに紗月の顔が見えた。長い黒髪に大きな目。紗月が叫んだ。

「玲治くーん。遊びに来たよー!」

「うんこ野郎になんの用だ」

 俺は真っ暗な押入れの中で膝を抱えた。わざわざ家までやって来て、笑いに来たのか。

 記憶が頭に突き刺さる。大事な期末試験。突然お腹が痛くなる。なんてこった。トイレに行きたいですが言えなかった。カンニングに間違われたらどうしよう。問題が全く分からない。焦る。腹痛い。脳みそフル回転。腹に力を入れて踏ん張る。青ざめる。脂汗が出てくる。何も考えられなくなる。頭が真っ白になり、うんこ漏らした。

 クラス中が爆笑と悲鳴に包まれる。俺は教室から飛び出した。廊下で崩れ落ちた。罵声が飛び交っていた。悪口が怒涛の勢いで聞こえてきた。俺はまるでノーガードのボクサーのようだった。一部の生徒たちが教室から溢れ出てきた。大勢の顔が俺を見ている。幼い顔にへばりついた強烈で不敵な悪意満点の笑顔。罵詈雑言。あの光景は忘れられない。

 罵詈雑言くらいなら、時間が経てばある程度は忘れられる。傷もそれなりには癒える。数年も経てば言われたセリフも忘れるだろう。

 でも。

 俺を見ていたあいつらの、あの、悪意に満ちた笑顔が頭から離れない。怖かった。人はあそこまで悪意に満ち溢れた笑い方が出来るのかと。

 もう見たくないのだ。あの笑顔を。

「玲治くん。外に出る気はないの。お母さんに言わないの。学校に行きます。外に出ます。だから、押し入れから出してくださいって」

「押入れからは出たいけど、外には出たくない。外に出るくらいなら、押入れに居た方がマシだ」

「なんで」

「うんこ漏らした」

「転校すればいい」

 そういう問題じゃない。どこの世界にも俺が見たあの笑顔をする人間は腐るほどいる。それが問題なのだ。

「なんか食べたいものとかあるー? 買ってきてあげるよー」

 紗月の声につい反応する。

 この一ヶ月、まともな食い物を与えられていない。おにぎり、菓子パン。キュウリ丸ごと。人参丸ごと。いやでも。

「俺にたらふく食わせて、ここでクソ漏らせるつもりだろ」

「なんでも買ってきてあげるのに」

「……ハンバーガー」

 紗月が「はー?」と呆れた声を出した。

「うな重とかさー。もっと何かあるじゃん。私お金結構持ってるよ」

「お小遣いそんなにもらってるのか」

「ハンバーガーでいいの? 他に何か食べたいものあるでしょ」

「入らない」

「は?」

「直径十センチ。ハンバーガーが限界だ」

「穴から箸伸ばして食べさせてあげるよ」

「……ハンバーガーでいい」

 紗月は部屋から出て行き、二十分ほどで戻ってきた。ほのかにハンバーガーの匂いが漂う。

「投げるよー」

 穴の向こうからハンバーガー、ポテト、ドリンクが次々と飛んでくる。匂いを嗅ぐだけで失神しそうだった。俺はあっという間に全て平らげた。

 穴に顔を近づける。紗月は床に座ってタバコを吸っていた。紗月がこちらを見る。俺は慌てて穴から顔を離し、あぐらをかいた。

 紗月が言った。

「玲治くん。どうしたら外に出てくれるの?」

「俺が外に出たら、お前らにメリットはあるのか?」

「お母さんが言ってたよ」

「ん」

「家があるから引きこもるんだわ。だから家燃やしちゃいましょう。引きこもる場所がなければ引きこもれない。アンタのお母さんならやりかねないよ」

「親は俺がうんこ漏らした事、知らない」

「そうだね。確かに玲治くんが引きこもってるのはうんこのせいだ」

「そう、うんこのせい。人はトイレする場所を間違えただけで、人生が終わる。俺は犬になりたい」

「でもね、玲治くん。トイレ行く時しか押入れから出してもらえないんでしょ? それじゃ玲治くん、ある意味では今もうんこ野郎だよ」

「それは、俺もちょっと思ってた」

「明日も来る。考えておいて」

 紗月は部屋から出て行った。

 冷静に考えてみた。クソ漏らして引きこもりになり、あろう事か押入れに閉じ込められている俺は近年稀にみる人生の堕落者だろう。まさにクソ野郎だ。しかしそんな俺に構ってくれる同級生の女の子が居るというのは、恵まれた事ではないだろうか?

 そう、俺は恵まれている。まだ可能性は残っている。前に進んでいいんじゃないか。そんな気がしてきた。

 

 翌日も紗月はやって来た。長々と説得された。転校して新しい人生を歩めばいい。親にはいじめられたとか、適当な理由を言えばいい。俺は紗月に感謝しながらも口では反抗ばかりしていた。人間が怖い。

「玲治くん。このまま人生を押入れの中で過ごすの? なんのために生まれてきたの?」

「うんこ漏らすような人間が、この先楽しい人生過ごせると思うか? 俺みたいな奴はどうせ、受験失敗して底辺の高校行って、就職出来なくて、フリーターになって、三十歳ぐらいになってもまだフリーターで、皆にバカにされて、結婚して子ども産んで幸せな人生送っていく周りの人間を指くわえて見てるだけ。気づいたら、事故かなんかで死んでるさ」

「うんこくらいで絶望しすぎだよ、玲治くん。むしろこう考えるのはどう? 学校でうんこ漏らしたのにも関わらず、挫けず踏ん張って立ち直れるような人間は、この先どんな事があっても挫ける事はないだろう……。ほら、そこんちょそこらの人間よりもタフな人間に思えない?」

「踏ん張る力が無かったから、俺はうんこ漏らしたんだ」

「ねぇ玲治くん。まさか本当にさ、一生そこにいる気じゃないでしょ?」

「紗月」

「なに」

「俺は劣等感のカタマリなんだよ。お前、うんこ野郎と付き合いたいと思うか」

「思わない」

「そうだろ? 思わないだろ? 俺はもう、ダメだ」

「だから、転校すればいいじゃん。相手が何も知らなければなんて事ないよ」

「何度言わせるんだ。相手がどう思ってるかって話じゃない。俺の気持ちの問題だ。俺はこの先ずっとうんこ野郎として生きていくんだ。転校して、好きな女の子が出来ても俺は絶対まともに話せない。告白なんて論外。事あるごとに思い出すんだ。あぁ俺は、うんこ漏らしたんだって」

「いやだからもうしょうがないでしょ。生きてりゃ一度くらいはハンパじゃない失敗するもんだよ」

「人生は一度の失敗で終わる事がある。例えそれがクソもらしでも」

「だから、終わってないってば。アンタが出てくればまた始まるよ」

「これも何度も言ったけどね、紗月。俺はあの皆の顔が頭から離れないんだ。なぁ、人間ってさ、あんなに不気味な顔が出来るんだな」

「玲治くん」

「なに」

「私は、貴方よりも人の怖さとか、知ってるよ」

 紗月は帰っていった。いきなり何を言い出すのか。紗月が俺よりも人の怖さを知っている? そんな訳、ないだろう。

 

 次の日は紗月と、紗月のお姉さんがやって来た。沙織さんに会うのは始めてだった。確か五歳年上だから、沙織さんはいま十七歳くらいか?

 穴の向こうを覗くと、沙織さんが頭を下げていた。

「玲治くん、はじめまして」

「はじめまして。うんこ野郎です」

 沙織さんが穴に顔を近づけてきた。年相応のあどけない顔をしているが、どことなく色っぽい雰囲気もあった。紗月と同じ綺麗なまっすぐ黒髪ロングヘアーだった。

「ねぇ玲治くん。私の友達の親がね、カウンセラーやってるんだ。どう? 会ってみたい?」

「カウンセラーにうんこ野郎の気持ちが分かるんですか?」

「でもね、玲治くん。このまま永遠にドラえもんみたいに押入れで寝起きする訳にいかないでしょ。転校して、楽しい学校生活送りたくないの? もしかしたら可愛い女の子と出会って、付き合って、エッチ出来るかもしれないんだよ。そういう可能性を追いかけてみたくないの?」

「みんな同じ事言う。どいつもこいつもうんこだ」

 紗月が怒り気味に言う。

「せっかくお姉ちゃんまで連れてきたのに……。ねぇ、お姉ちゃんに頼んでカウンセラーの人、紹介してもらおうよ」

「カウンセラーって占い師みたいなもんだろ。俺は皆が嫌いなB型だ」

 沙織さんがため息をついた。

「ダメね。完全に自分の殻に閉じこもってるわ。精神的にも、物理的にも」

 うんこは放出しましたけどね。

 俺はもう出るに出られない状況だった。ニ人の女の子に心配され、説得されている。俺は落ちる所まで落ちた。恥ずかしい。とにかく、恥ずかしい。

 紗月がひときわ大きなため息をつき、呟いた。

「ねぇ」

「なんだ」

「もうめんどくさいから、ぶっ壊すね」

「え?」

 何やらガチャガチャと物音が聞こえてきた。紗月の楽しそうな声が聞こえる。

「実はこのギターケースの中にねー。凄い物が入ってるんだよー」

 沙織さんがワクワクした様子で言った。

「へぇ。何入ってるの?」

「えへへ。えっとね……」

 俺は唾を飲み込んだ。何をする気だ? すぐに沙織さんの悲鳴が聞こえた。

「うわ、マジでー!? これどこから持ってきたの?」

「技術室から盗んできた」

「さっすが紗月! やっちゃえやっちゃえ!」

 俺の心拍数は最高潮に達していた。マジで何をする気なんだ?

「いくよー! 電源オン!」

 キュイーン! というものすごい音が響いた。この音はまさか……。

 電動ドリル?

 俺は驚いて出来るだけ後ろに下がった。直径十センチの穴の近くに新しい穴があいた。電動ドリルが貫通して目の前に現れる。やめてくれと叫んでもやめてくれる訳もなく、あっという間に新しくあいた穴と最初からあった穴が繋がった。そしてどんどん穴が大きくなっていく。

 どんどん穴が拡張していく。穴が広がるにつれてニ人の姿がよく見えるようになっていく。やがて人間が一人通れるくらいの大きさにまで穴が広がった。俺はもう呆然と座り込んでいた。紗月が言った。

「引っ張るよ。いい?」

 もう、好きにしてくれ。

 俺は二人にずるずると引きずられて、乱暴に床に投げ出された。俺は仰向けになり、泣いた。

「俺は外に出ないぞ。絶対出ないぞ」

 沙織さんが頭をかきながら言った。

「そしたらまた押入れに閉じ込められるよ」

「それでいい。もう、どうでもいいんだ」

 俺は無理矢理立たされた。紗月が俺の手を握る。

「まずは外を歩く練習しよう」

 階段を降りて玄関まで行った。俺は駄々っ子のようにまた座り込んだが、無理やり靴を履かされた。紗月がドアを開いた。

「ほら、行くよ」

 こうして俺は一ヶ月ぶりに外へ出た。まぶしかった。風が気持ちよかった。でも、怖かった。

 紗月と沙織さんに両側から支えられながら歩く。奇妙な集団だ。俺はもう空っぽだった。人にどう見られても気にしない。どうでもいい。もうどうにでもなれ。

 公園で休憩する事になった。俺はベンチに寝転がった。ずっと押入れの中にいたから筋肉がおかしくなっている。少し歩いただけで体が痛くなった。

 紗月と沙織さんはジャングルジムの上に座って缶ジュースを飲んでいる。楽しそうに何か話してる。俺は何故だか、小さく笑っていた。二人を見ているとほんわかした気持ちになった。沙織さんは「私はもう、いいよね」と言って帰っていった。

 しばらく俺達は黙っていた。しかし近くからざわめきが聞こえ、缶ジュースを口から離した紗月が舌打ちした。紗月の視線を追いかけて、俺は絶望した。

 公園の出入り口に同じクラスの奴らが群がっていた。八人もいる。俺達を見て何か騒いでいる。いつも偉そうにしている奴が叫んだ。

「さつきー!」

 紗月が叫び返した。

「なにー?」

「お前ら何してんのー?」

「な、なんでもないよ!」

 同級生たちは公園に入ってきた。俺は起き上がった。心臓がバクバクと跳ねた。恐怖以外のなにものでもなかった。何をされる? 近づかないでくれ。こっちに来るな。

 同級生たちは俺の前で立ち止まった。紗月は慌ててジャングルジムから降りようとしていた。そして紗月が地面に降りた瞬間、同級生たちは大爆笑を始めた。そしてまた罵詈雑言が飛び交った。頭を蹴られた。腹を殴られた。ベンチから引きずり降ろされ、砂をかけられた。

 紗月は震えていた。ふと思った。なぜ、紗月は俺を助けたのだろうか。昔からの友達だから? それだけの理由でお姉さんまで呼んでくるか? 電動ドリルまで持ち出すか?

 もしかしたら。

 紗月は俺に気があるんじゃないだろうか?

 同級生たちはリンチをやめ、バカにしたように笑いながら紗月を見つめていた。八人の同級生に見つめられ、紗月は完全に動揺していた。また偉そうな奴が口を開いた。

「紗月。ここで何してんの?」

「え?」

「だから、ここで何してんの?」

「え、えっと……」

 紗月はしばらく考え込んだ後、俺に近づいてきた。

 あぁ、そうか。

 うん。そうだよな。

 紗月が俺を見下ろしてきた。俺は笑ってやった。紗月は唇をかみしめた。

 そして。

 紗月は俺の腹を、踏みつけた。

 同級生たちは歓声をあげた。紗月は勢い良く何度も何度も俺の腹を踏みつけた。腹の次は腕、足、首、そして顔を踏みつけられた。最初は辛そうな表情だったが、次第に歪んだ笑顔に変わっていった。

 紗月は、みんなに受け入れられた。多分、援交のお客さんも増える事だろう。

 


第ニ話 百四十五人のAV女優を愛した男 宮田 広斗

 八月一日。

 床に横たわる父親は絶命していた。背中に突き刺されていたナイフから目を離さず、俺は電話をかけた。

「もしもし。警察ですか?」

 ごめんよ父さん。悪意は、無かったんだけども。

 もし言い訳をするとしたらそうだな、多分、いや間違いなく、俺が父さんを殺したのは、遠山紗月のせいだ。そう、紗月が悪いのだ。

 

 七月一日。

 学校から帰ってきてパソコンの電源を付け、イヤホンを装着する。これから寝るまでエロ動画を見て、見終わったらデートをする。これが俺の習慣だ。ジャンルは女子中学生モノか女子高生モノ限定。それ以外は見ない。

 今日の相手は愛華ちゃん。黒髪セミロングで胸はDカップ。体は白く細く、笑うとえくぼが出来る。エッチは静かにゆったりとしたプレイを披露する。

 愛華ちゃんのエロ動画を見終わり、俺はさっそくワードを立ち上げてデートを始める。

 

 学校帰り。俺と愛華は公園のベンチに並んで座りお喋りしていた。もちろん手を握り合いながら。

 愛華は色々な話をしてくれた。家族の事、友達の事、最近観た映画の事、将来の事。くだらない話から悩み相談まで、良い話も悪い話も全て包み隠さず話してくれる。強さも良さわさも吐き出してくれる。それがどんなに心地良い事か。もちろん俺だって何でもかんでも愛華に話せる。辛い事があっても、愛華が側に居るという事実だけで、生きていける。愛華がいればそれだけで世界が完結するのだ。

 公園の近くをアイスの販売トラックが通りかかった。

「アイスだって」

「アイスだな」

「あぁいう所で買うと高いのかな?」

「多分。でも、普通の店よりも美味しそうに感じる」

 俺達は財布を開いた。愛華の財布には五百円。俺の財布には四百八十円。

「買うか」

「うん!」

 俺達はトラックを呼び止めてアイスを買った。またベンチに座ってアイスを舐めた。

「そうだ。ねぇこれ聞いて」

 愛華はブレザーのポケットから音楽プレイヤーを取り出して、突然顔を近づけてきた。イヤホンの片側を俺の耳に刺した。自分でイヤホンを耳に刺しても何とも思わないが、愛華に同じ事をやられると死ぬほど気持ち良いし、くすぐったい。良い匂いもした。

 イヤホンからは愛華が最近ハマっているという音楽が流れていた。曲名はスティル。意味は分からないけど、良いタイトルだと思った。愛華の口から「スティル」と発音されるだけで頭がぶっ壊れそうになる。良い感触だ。

 愛華はもう片方のイヤホンを耳に刺した。アイスを食べ終えると、頭を俺の肩に置いた。心臓の鼓動が早くなる。俺は首を少し曲げて愛華の方を見た。愛華も首を曲げ、上目遣いで俺を見た。顔を近づけ、俺達はキスをした。

 

 ワードを閉じる。楽しいデートだった。家の近くを、焼き芋の販売トラックが通りすぎて行った。いーしや~きいもぉ~。おいもっ!

 

 七月二日

 

 俺の父親はIT系企業の社長をやっている。高校生になったら父さんの会社でバイトを始めて、卒業と共に入社する事になっている。学生時代からバイトをしていれば社員と馴染む事が出来るし、仕事をする上で必要な知識を得る事が出来る。例え親の七光りであっても、高校生の頃から努力している姿勢と知識を見せれば社員も息子を受け入れてくれるだろう。父親はそう考えているらしい。

 宮田家では二十歳になったら家を出て自立する事になっている。つまり俺は高校生から父さんの会社でアルバイト、卒業と同時に正社員へと昇格、二年間実家でのんびり暮らし、二十歳で一人暮らしを始めるという人生がもう決まっている。言い方を変えるなら、俺は既に就職、自立という人生の終着点が決まっているという事になる。会社が倒産する可能性だってゼロではないが、それは全ての人に言える事だから、気にしていてもしょうがない。

 そんな俺が毎日する事は何か? 答えは簡単だ。どこでもいいから高校に通えるくらいの学力を保つ事、会社で必要なパソコンの知識を得る事、つまり勉強。そして何より、エロ動画を見る事である。特別な鍛錬や夢を追いかけるような事をする必要はない。

 俺は頭悪いし、運動神経悪いし、顔はブスだしニキビだらけだし、体は細いしスポーツに興味の無い完全なインドアだし、趣味はゲームくらいしかないような男。早々にして就職先が決まり未来が確定している俺は勝ち組だが、こんな人間だから唯一手に入れられない事はもちろん多々ある。

 その中の一つが、そう、女。俺みたいな男が可愛い女の子と仲良く出来る日は永遠にこない。だから俺はパソコンの中で学生モノのエロ動画を見て、妄想でデートをするのだ。大人になったら多分、OLモノに手を出すだろう。

 

 学校ではおとなしくしている。中ニの夏は静かに過ぎていた。俺のまわりで静かじゃないのは遠山紗月くらいのものだった。遠山は中一の春頃から援交を始め、気が向けばタダで同級生とエッチをするようになり、夏頃からはいじめっ子グループと仲良くなって強烈ないじめっ子になった。最近はいじめがエスカレートしてきて、昼休みにとつぜん地味系男子の携帯電話を奪って床に叩きつけたりする。ビッチにも歯車がかかり、クラスの童貞率をどんどん低下させている。

 朝のホームルーム。俺の後ろにはいじめの先頭集団がたむろっていて、ゲスな笑い声をあげながら遠山自慢をしている。遠山とこいつらが仲良くなったのもやはり最近の事だ。

「昨日、紗月の家に行ったんだ」

「へぇ」

「紗月の奴さ、なんかセンチメンタルになっててな、ベランダの柵に寄りかかってぼんやりしてるの。俺の事無視して。だから後ろから近づいて胸鷲掴みにしてやった」

「紗月ってやっぱ胸でかいのか?」

「まだ中学生だからなぁ。でも高校生になればDくらいになりそう」

「食っちゃえば?」

「は? 食ったに決まってるだろ。あいつ部屋にコンドーム常備してるぜ」

 ビッチとしかエッチできない可哀想な野郎達だ。今日は早く帰って、俺だけを見てくれる女の子とデートをしよう。

 

 昼休み。遠山紗月がキレた。遠山はルイヴィトンの財布を開いてお金を数えていた。教室の後ろでは地味系軍団がじゃれあっていた。地味系の中でも特に地味な男子が走りだした。遠山にぶつかった。財布が落ちた。もう人地の地味男が追いかけてきた。財布を踏みつけた。遠山を噴火させるには十分な行動だった。

 遠山は財布を拾うなり罵詈雑言を浴びせた。それに応じてクラスの奴らも暴言の嵐を浴びせた。遠山は調子づき、教科書やノートで地味男の頭を八十回くらい叩いた。昼休みに登校してきた佐伯可奈子が遠山を止めるまで、暴言と暴力は続いていた。

 羨ましかった。あぁやって人に暴言や暴力を浴びせられるような立場に、俺もなりたい。早く家に帰ってデートがしたい。

 

 七月五日。

 今日の相手は由実ちゃん。見た目は中学生にしか見えないけど、これでも立派な高校生。丸顔童顔。幼児体型。そのくせエッチはなかなか激しく、攻撃的だった。リスみたいな瞳をこちらに向けてキスをせがむ様子は、本当に、見てるだけで幸せで、温かい気持ちになれる。

 再生が終了すると、俺はすぐにワードを開いた。

 

 海辺の町。穏やかな日々。長くは続かなかった、幸福の日々。

 俺と由実は住宅地の道路を歩いていた。坂をゆっくりと下っていく。坂の向こうには海が見え、青空では太陽が輝き、色々な方向から蝉の声が聞こえ、潮風がふんわりと立ち込め、熱気に汗をかき、元気よく自転車を漕ぐ小学生やアイスを食べながら歩く女子高生とすれ違う。

「宮田くん」

「うん?」

「結局、泳がなかったね」

「あぁ」

 俺は札幌から由実が住む九州の海辺の町に転校してきた。それが中学二年生の四月の事。俺と由実はすぐ恋に落ちた。でも俺は夏の終わりと共にまた転校する事になっている。

「札幌に帰るんだよね」

「ん」

「冬休みとか……。いや、無理か。九州まで来るなんて」

「さぁ」

「宮田くん」

「なに?」

 駅前に到着したところで、由実が立ち止まる。

「元気でね」

「由実」

「なぁに?」

「俺の事は、忘れた方がいい。他の男を作れ」

「そんな……」

「本当はもっと長い間九州に居る予定だったんだ。でも、予定が変わった」

 せめて高校卒業まで九州に居られれば、九州の大学に行くとか、なんとかして由実と過ごす事が出来たのに。

「由実、じゃあな」

 俺は駅へ向けて歩いた。後ろで由実の泣き叫ぶ声が聞こえた。俺は駅の中に入った途端、泣いた。もう、由実と会う事はないだろう。そしてたった少しの時間が経てば、由実は俺を忘れて他の男を好きになる。この海辺の町での記憶も、ただの淡い思い出となって、胸の底に沈んでいく。

 

 俺は涙を流しながらワードを閉じた。由実、さようなら。

 人はたまに辛い恋を経験する。でもそれは人として当たり前の事である。常識といってもいい。それに人間は一人で生きていけないから、どんなに傷ついても悲しくても、また懲りずに恋をする。それが、人として当たり前の人生。

 携帯のバイブが鳴った。クラスの地味男子からメールが来ていた。

『ついに買ったぞ!』

 添付されていた画像を開く。美少女アニメのフィギュアだった。

 

 七月八日。

 遠山紗月は最近金遣いが荒くなった。同じクラスの佐伯可奈子は「親に虐待されてるのかも」とか根も葉もない噂を口にしていた。遠山の体に傷は見当たらない。佐伯は遠山紗月と幼稚園時代からの付き合いらしいが、最近二人が仲良さそうに話してる所は見た事がない。

 遠山は最新の携帯ゲーム機を両手に持ち、必死に手を動かしている。佐伯可奈子が遠山に近づき、言った。

「金持ち」

 紗月がバカにしたように笑った。

「悪い?」

「援交ばっかして。いつか病気になる」

「いいよ、別に」

「なんか、悩みとか、あるのか」

「ねーよ。死ね」

「あ? 目ん玉えぐるぞ」

「やってみろよ」

「その口ホチキスで綴じてやろうか」

「だからやってみろよ」

「今日お前んち遊びに行くわ」

「は? 私ん家知らないでしょ」

「中学生になるまでに何百回も言った。記憶力はいい」

「あの家はね」

「お前なに言ってんだ」

「可奈子」

「なに」

「近寄んな」

 なぜ遠山は幼馴染の佐伯を拒否するのだろうか。なんとなく、わざと拒んでいるように見える。まぁ、どうでもいい。俺は遠山みたいに頭のおかしな女とは絶対に付き合わない。

 

 七月九日。

 遠山紗月と似ているAV女優を見つけた。身長は百五十五センチほど。後ろ髪はケツまで届くほど長く、もみあげもやたらと長い。前髪は目にかかるくらいまでに垂れている。

 女優の名前は未月。名前も似ている。

 二時間近い動画にくぎつけとなり、時が過ぎるのも忘れて鑑賞した。未月はなかなかエロい女だった。清純そうな顔とギャップのある子は好きだ。

 鑑賞が終わるなりワードを開く。毎日デートで忙しい。

 

 俺は未月の膝の上に頭を置いて寝転がっている。最近嫌な事が沢山あって甘えたい気分だったのだ。未月は俺の愚痴をなんでも聞いてくれる。愚痴や弱みを全て聞き、受け入れてくれる女の子と付き合っている事がどんなに素晴らしいか。世の童貞共に語って聞かせてやりたいものだ。

「大体さ、髪が長い長いっていうけど、俺はそんなに長くないんだよ。担任はいつも言うんだ。私のようにスッキリした髪型にしなさい。短い方が良いに決まってるわよって」

 未月は優しく俺の頭を撫でる。

「担任の髪型ウケるぞ。ほんの僅かな髪の毛が頭に張り付いてるだけなんだ。あれは短すぎてキモい。あんな髪型にしたらいじめられるよ。あいつは年寄りのクソババアだから、考え方が古いんだよ。髪型は短くあるべきだと思ってて、少しでも長い髪型が嫌い。それに年寄りでオシャレなんかともう無縁だから尚更、髪型に関して興味がないから、他人にも自分の価値観を押し付けるんだ。髪を切らないと親に言うとかほざきやがる。で、しょうがなく髪切ったんだけどこんな髪型じゃあ未月、俺は落ち武者だよ」

 未月は俺のはげ落ちた頭を何度も撫でる。こんな気色悪い髪型になっても未月は俺を好きでいてくれる。

「でもさ、こんなくだらない愚痴を言っても皆相手にしてくれない。未月が居てくれるだけで俺は幸せだよ」

「その髪型も、カッコイイよ」

 未月は人差し指で俺の唇を撫でた。幸せだ。現実の遠山も、彼氏と二人で居る時は普通に戻るのだろうか。それとも、変わらないのか。

 

 七月十一日。

 

 自慢の長髪をばっさりと切った落ち武者の俺は、教室の隅でおとなしく椅子に座っていた。今日は朝からワカメと昆布とひじきを食い過ぎたせいでお腹が痛い。

 今日は席替えが行われ、遠山紗月が前の席になった。授業中に遠山が突然振り向き、右手を伸ばしてきた。手には丸められた紙切れが握られていた。俺はとりあえず受け取り、開いた。紙切れには『好きな体位はなに?』と書かれていた。いきなり後ろの席に座っている佐々木という男子に背中を蹴られた。

 昼休み。俺は佐々木に張り倒された。起き上がるとまた突き飛ばされ、俺は壁に背中をくっつけて震えていた。佐々木は相当キレていた。

「紗月がお前に手紙なんか渡すわけねーだろ。アホか」

 佐々木は何度も何度も俺を小突いた。どうせなら思い切り蹴り飛ばしてほしい。幼稚な攻撃をしつこく繰り返される方がムカつくしなんか悔しいのだ。

「おい」

 漫画のような事が起きた。佐伯可奈子が俺の正面に立ちふさがったのだ。

「お前らがそういう事すると、紗月がつけあがる」

 遠山は遠くで俺達の事を見ていた。佐々木はものすごい形相で睨んでいた。そして近くに置いてあった椅子を掴んだ。その瞬間、佐伯は身をかがめてタックルを食らわせた。佐々木は吹っ飛んだ。もちろん佐々木は発狂した。

「てめー殺されて―のかー!」

「おう殺されてーよ。ほら、殺してみろ」

 佐々木は勇敢にも仲間の援助を求めず、一人で佐伯に突進した。いつも紗月にお金の援助をして、エッチしてもらってるくせに。

 佐伯は佐々木の顔面に唾を吐きかけた。佐々木が立ち止まり、叫びながら腕で目をこする。その隙に佐伯が渾身の右ストレートを顔面に八発叩き込む。佐々木、ノックアウト。

 いじめっ子の奴らは憐れむような目で俺を見ていた。

 おかしい。

 なぜ自分たちで俺をいじめておいて、女の子にかばってもらった俺をそんな目で見るのだ。それはあまりにも、理不尽だ。

 

 七月十四日。

 遠山沙織に似ている女を見つけた。俺はクラスメイトのブログをこそこそ読む事があるのだが、遠山紗月のブログにはよく姉の遠山沙織が登場する。だから遠山の姉の顔はよく知っている。リオというAV女優は遠山沙織と瓜二つだ。

 名前だってサオリから取ってリオにしたのではないか? 俺は画面を凝視した。似ている。めちゃくちゃ似ている。

 遠山のブログに掲載されている遠山沙織とリオを見比べてみた。そして気がついた。頬の同じ位置にほくろがある。去年の七月二十五日の記事では、沙織の後ろ髪は背中まである。しかし九月二日の画像では肩までになっている。リオが去年リリースした作品を調べた。九月までに発売された作品では沙織と同じくらいの長さだが、十一月に発売された作品では沙織と同じくらいの短さになっていた。

 もちろんAVは撮影してすぐにリリースする訳じゃない。作品を世に出すにはそれなりに時間がかかる。だから少しくらい髪型が変わるタイミングに誤差があるのは不自然じゃないし、むしろタイムラグがあるのが当然だろう。

 これは、やはり。

 頭がおかしくなりそうだった。遠山紗月の姉ちゃんがセックスをしている。同じクラスの女の子の姉がAV女優をやっている。

 やばい。これは、かなり、やばい。

 俺の妄想世界に現実世界が入り込んでくる。マジでそういう気がした。

 

 リオのAV動画はなかなか良かった。リオは百四十五人目の女だった。何故だか知らないけど、もうリオ以外のAV女優は見られない気がした。

 恐る恐るワードを開く。俺は、リオと、デートが出来るのか?

 

 神社で行われる夏祭りも終わりが近づいてきた。俺とリオは階段に座って休んでいる。リオは俺が買ってあげたりんご飴を舐めている。どことなく寂しそう。

「宮田くん」

「なに?」

「もう終わるねー」

「あぁ」

 今日は食って食って食いまくって、笑いまくって、本当に楽しかった。でもお祭りはもう終わる。盆踊りのも終わってしまい、子どもたちは親に連れられて帰っていく。人並みは消え、さっきまで呆れるほどに賑わっていた神社は閑散としていた。残ってるのはごく少数の人たちだけ。店じまいをしている屋台の人もいる。

 夏とはいえども夜の風は冷たい。暗闇の中で俺達は肩を寄せ合い、ただぼんやりしていた。

 明日は学校。それが信じられなかった。年に一回の神社の方が現実的で、明日学校があるという事の方が、非現実的に思えた。

 リオが唐突に、ぼつりと言った。

「明日さ」

「うん」

「学校、サボろうか」

「サボって何するの?」

「んー。分かんない。でも、明日学校に行くのは、なんかやだ」

 

 私の家に来ない? そう言われてリオの家にやってきた。

「親が居るから、バレないように」

 リオは玄関から家に入った。すぐに一階の部屋の電気が付いて、窓からリオが顔を出した。俺は靴を脱いで窓から部屋の中に入った。窓際にはベッドが置いてあるからベッドに着地する形になる。リオがふざけて俺を受け止める。そのまま勢い余ってリオを押し倒し、ベッドに倒れこむ。

 誰よりも幸せな夏を送っていると、強く感じた。

 

 七月十八日。

 

 遠山紗月の事が頭から離れなくなった。十四日以降、俺はエロ動画を見ていないしデートもしていない。理由は分かっていた。

 俺にとってセックスとはAVの中の出来事であり、現実のものではなかった。しかしリオの登場で現実となり、始めてデートでエッチをしてしまった。

 同級生の女の姉がAV女優をやっている。身近にいる人間と血の繋がりのある人がエッチをしている。これは衝撃的だった。ありえない事だった。もうエロ動画を見ても楽しくないと思うし、デートするのもくだらないだろう。

 俺も本物を体験したい。そう思うようになった。貯金箱を叩き割った。一万五十二円入っていた。迷う必要はなかった。

 

 遠山紗月に一万円を渡し、俺は童貞を卒業した。素晴らしかった。ハンパじゃなかった。死ぬほど気持ち良かった。それだけじゃない。ビッチないじめっ子として君臨してる紗月と寝たという事実は圧倒的な優越感を俺に与えた。女と一度寝ただけで、真っ白だった人生に色が付いたような気がした。これまでの人生がクソに思えた。俺の人生が始めて輝いた。これから先も輝きたいと思った。でも女の子と楽しむため、輝き続けるためにはそれ相応の努力がいる。少なくともエロ動画を見る毎日じゃ光は見えない。というかそもそも、どうして俺は毎日エロ動画を見ていたのだろうか。

 何故か? 理由は簡単だ。考えるまでもない。

 中学ニ年生にして、俺の人生の終着点が決まっているからだ。人生の終着点が決まっているのに夢を見るバカはいない。

 でも、父さん。

 俺は、夢を見たい。もっと、輝きたい。

 

 八月一日。

 俺は背後から父さんに近づき、背中にナイフを突き刺した。父さんはよろけて床に倒れた。俺はずっと父さんを見下ろしていた。やがて父さんは息絶えた。

 携帯電話を手に取り、電話をかけた。

「もしもし。警察ですか?」

 ごめんよ父さん。悪意は、無かったんだけども。

 もし言い訳をするとしたらそうだな、多分、いや間違いなく、俺が父さんを殺したのは、遠山紗月のせいだ。そう、紗月が悪いのだ。

 

 俺の人生の終着点は崩れ落ちた。父さんが居る限り、俺は約束された未来に頼ってしまうだろう。安心して何もしない人間になるだろう。未来に行き詰まっても「父さんの会社に入ればいい」の一言で解決出来てしまう。

 でも、父さんはもういない。だからもう大丈夫。出所したら夢を追いかける人間として人生を送る事が出来るだろう。

 紗月が人生の素晴らしさ、夢を追いかける素晴らしさを教えてくれた。

 ありがとう、紗月。


第三話 負け組 西羽 光輝

 中学三年生になった。一年生の秋頃に入部した野球部では敬語しか使えない。例え相手が後輩でもタメ口は許されない。

「おい西羽(にしぱ)。ボール持ってこい」

 一年生の佐藤が俺を小突いた。

「分かりました。今持ってきます」

「急げよ」

「はい」

 佐藤は金属バットで俺の腰を殴った。俺が激痛に耐えかねて座り込むと、バットの先で顔面を突かれ、砂をかけられ、耳を蹴られた。

「返事してる暇があったらさっさと走れ! 骨折るぞボケ!」

 理不尽だ。

 俺はグラウンドを突っ走って倉庫を目指した。

 入部したタイミングが悪かったのだ。俺は中学生になってすぐいじめられた。だから野球部でもいじめられた。いじめられる前に野球部に入っていれば状況は変わっていたかもしれない。運動部に入っているというブランドと積極的な交流関係。春頃に築くべきものを俺は秋頃手に入れようとした。時既に遅しであった。

 でも部活を辞める気はない。二年の頃に金を払って童貞を卒業させてくれた遠山紗月が全てだった。金さえ払えばいつでもやらせてくれる女子中学生は魅力的で貴重だった。遠山に恋をしている訳ではないけど、遠山から離れたくはなかったし、遠山に逃げたと思われたくなかった。

 それに、俺は小学生の頃までは遠山とそこそこ仲が良かったのだ。また昔みたいに、まともな遠山と会話がしたい。金を払ってエッチしたくせにそんな事を思うのは矛盾してるし下衆だと思うが、性欲には勝てなかった。

 

 グラウンドに戻り、ボールが入ったカゴを地面に置いた。ジャージ姿の遠山がカゴを蹴飛ばした。ボールが辺りに散らばる。

「拾えよ」

 俺は無言でボールをカゴに入れた。遠山はまたカゴを蹴った。せっかく入れたボールが地面に散らばる。

 キャプテンの北条が近づいてきた。

「おい西羽」

「はい」

「態度が生意気だ」

 北条が転がっているボールを拾い上げ、俺の顔面にぶつけた。それを皮切りに他の部員たちも一斉にボールを投げつけてきた。軟球とは言え体にモロに当たれば激痛が走る。俺はうずくまり頭を抱えて、攻撃が終わるのを待った。頭に何度もボールが当たって、意識が吹っ飛ぶかと思った。

 やがて攻撃が終わると、北条が言った。

「今から試合だ。お前審判な」

「分かりました」

 涙と鼻水が口の中に入って気持ち悪かった。

「お前、今日授業中に寝てただろ」

「寝てました」

「つまり体力は十分にある訳だ」

「はい」

「お前さ、はいしか言えないのか?」

「体力は十分です」

 北条はニヤニヤ笑っている遠山の頭を撫でた。

「安心したよ。俺、今日ストレス溜まってるんだ」

 

 部員たちが守備位置についた。マネージャーの遠山はグラウンドの隅っこに座り込んで試合を見ている。

 ピッチャーの北条がへなちょこカーブを多投してあっという間にアウトを二つ取った。そして二年生の三番打者がバッターボックスに入った。一球目。久しぶりのストレート。バッターは何故かバッターボックスの外に逃げた。キャッチャーも逃げた。何も装備していない俺の顔面にボールが直撃した。その場に倒れこんでもがき苦しむ。

 大爆笑。

 三番打者の山崎がバットで俺の腹を突っついた。

「西羽。痛いか?」

「い、痛いです……」

「どうして逃げなかった?」

「た、球が速くて……」

「あ?」

「た、たた、た……。球が速くて、逃げられませんでした」

 レフトの栗山が走り寄ってきた。こいつは一年生で一番下手くそな奴だ。

「西羽! 早く立て! 試合ができねーだろ!」

 栗山は俺の顔面を蹴飛ばした。

「いてぇ! ……や、やめてください」

「うるせーよクズ! お前のそのぐちゃぐちゃのきたねぇ顔見てるとぶっ殺したくなってくるんだよ! 死ね! 死ねよ! キモいんだよ!」

 他の部員たちも集まってきた。一年生のリーダー格の山野が提案した。

「こいつがトロいせいで試合出来なくなった。これは罰を与えるべきだ。北条先輩、どう思いますか?」

「賛成だ。こいつには躾をする必要がある。西羽、立て」

 鼻の辺りを触ると、手が血で汚れた。感覚は無かった。

 俺は無理矢理立たされ、倉庫にぶち込まれた。扉が閉められる。

 突き飛ばされ、俺は暗闇の中で二十三人の部員たちを見つめた。三年生が八人、二年生が七人、一年生が七人、いつの間にかちゃっかり倉庫の中に入ってきている遠山紗月。二十三人が敵で、味方はいなかった。

 栗山が俺の顔面に唾を吐いた。

「脱げよ」

 北条が腕を組みながら頷いた。

「そうだ。脱げ」

「いやーもうめっちゃ恥ずかしー!」

 遠山が体をくねらせながら甲高い声をあげた。俺はユニフォームを脱いでパンツだけの姿になった。

 一年生軍団が「脱げ脱げー」と騒いだ。二年生と三年生は無表情で俺を見ている。

 遠山が一歩進み出た。

「私が脱がしてあげる」

 遠山が俺の前に座り込み、パンツを脱がせ始めた。

「もう西羽君赤ちゃんみたーい。きもーい。死んでほしーい」

 遠山はパンツを脱がせると、靴でめちゃくちゃに踏みつけた。もうこのパンツは履けないだろう。

 俺が裸になっても騒ぐのは一年生たちだけで、二年生と三年生はニヤニヤ笑っているだけだった。北条がわざとらしく咳払いをして、言った。

「一人ずつ唾をかけろ。西羽、お前は唾をかけられたら「ありがとうございます」って礼を言うんだ。分かったな? お前は今日体力あるんだろ? だから耐えられるよな。ん?」

 意味不明な理屈だった。全員が「イエーイ!」と叫んだ。

 先頭バッターの一年生が勢い良く俺の腹に唾をかけた。

「ありがとうございます」

 二番バッターは俺の顔。三番バッターは俺の股間。四番バッターは目、五番バッターは足。体の至る所が唾だらけになった。六番バッターの遠山は一味違った。

「西羽の……。バカヤロー!」

 と叫んでまず頭。

「買春野郎!」

 鼻に直撃。その後も目、足、腕、背中、首、数えきれないくらいに唾をかけられた。

「喉カラカラになっちゃった。北条君、水分補給させてー」

 遠山が笑顔でそう言うと、北条は遠山を抱きしめて唇にキスをした。遠山はトロンとした表情で強く北条を抱き返した。俺はこの時やっと涙を流した。

 タダでキス出来るなんて。やっぱり俺は、皆と違う世界で生きている。

 

 パンツは諦めて、ユニフォームだけ着て家に帰った。時刻は午後六時半。空腹で倒れそうだった。

 台所に行くと食事の準備が進んでいた。米、味噌汁、サンマ、枝豆。

 母親は麦茶の入ったグラスをテーブルに置きながら言った。

「あら、お帰り」

 俺は食卓テーブルに並んでる食器を全て手で薙ぎ払った。食器が床に落ちて皿は木っ端微塵に割れた。

「ふざけんなよクソババァ! なんだよこの晩飯は!? 朝飯か? 刑務所の飯か? いや刑務所の飯以下だね! なんでお腹空かして帰ってきてこんなブタのエサみてーな飯食わなきゃいけねーんだよ! ていうかどう考えても量がすくねーんだよ量が! おめーみてぇなクソババァはもう胃袋枯れてるからこんな飯でも十分に足りるかもしれねーけどよ、俺は十五歳なんだよ十五歳! こんな飯じゃ足りねーんだよ! 喧嘩売ってんのか? あ? なんか言ってみろよボケ! あぁ分かってるよこういう事を言うと主婦は忙しいのよとか言うんだろじゃあ主婦の仕事ってなんだよ! 飯まともに作らない主婦なんかニートと大して変わらねーだろ! 主婦の忙しいアピールほどうざいものはねーんだよ! こんな飯食えるか! 仕事サボってんじゃねーよぶっ殺すぞ!」

 母親は泣きそうな顔で割れた皿の残骸をかき集め始めた。

「ご、ごめんね。お金、あるから。何か買ってきていいよ」

 俺はリビングへ行き、テーブルに置いてある財布から千円札を抜き取った。そしてジャージに着替えて外へ出た。

 

 コンビニの前に行くと、同じクラスの佐伯可奈子が灰皿の横に座り込んでタバコを吸っていた。上は黒色のカットソー。下は白色のフリルのスカートを着ていた。外は真っ暗だったけど、ひと目見てすぐに佐伯だと分かった。

 ボブカット。童顔。大きな目。幼く可愛らしい印象があるが、実際は教師嫌いでガラが悪くて口も悪くて遅刻サボりの常習犯で、香連中学ナンバーワンの問題児だった。でも性格は悪くなく、友達思いの良い奴だというのが俺の持っている印象だ。

「あれ、お前……。西羽だっけ。隣のクラスの」

「あ、どうも。えっと、こんにちは」

 佐伯と話すのは始めてだった。もちろん存在は知っていたけど、佐伯可奈子みたいな可愛くて皆のリーダー的な人間とは無縁なのだ。

 佐伯はタバコを一口吸い、しかめっ面で俺を睨んできた。スカートの中のパンツは丸見えだった。

「おい」

「なんですか」

「なんでお前、敬語なの」

「いえ、その……」

 癖になってるんです。

「タメ口使えよ。ほら、隣座れ」

 俺は言われるがままに隣に座った。

「吸う?」

「……吸ったことない」

 佐伯はまたタバコを一口吸い、地面に置いていた缶コーヒーを一口飲んだ。

「アンタが皆に好きなようにされてる所、よく見かける」

 いじめという表現を使わない所に、佐伯の優しさを感じた。俺は大きく頷いた。

「一つ質問がある」

「なに?」

「なんで部活辞めないの? アンタさ、クラスでも部活でもヤられてるんでしょ? クラスでの生活は辞められないけど、部活は辞められるじゃん」

「……」

「教えてよ。なんで辞めないの」

「遠山が気になる」

 誰にも言った事のない本音をあっさり言ってしまったが、驚きはなかった。

「紗月とヤったの?」

「うん」

「紗月の事好きなの?」

「そうなのかもしれない」

「違うね」

「え?」

「紗月の事が好きだから部活に残ってるんじゃなくて、悔しいから残ってるんじゃないの? 違う?」

 俺が部活を辞めないのは悔しいから。そして、最後の意地だから。それは多分、当たってる。

 佐伯はタバコを地面に捨てて靴で押しつぶした。

「で、アンタここに何しに来たの?」

「え……。飯、買いに来た」

「お母さんご飯作ってくれないの?」

「……」

 佐伯は鼻で笑った。

「一応、紗月とは幼稚園からの友達なんだ。昔はあんな病的な人間じゃなかった」

「うん」

「だからさ、私がちょっくら叩きのめしてやるよ。紗月の事」

「……は?」

 佐伯は立ち上がって大きく伸びをした。

「久しぶりに面白くなってきたぞー!」

 

 コンビニで焼き肉弁当とジュースを買って家に帰った。食卓テーブルにはケンタッキーの箱が置いてあった。母親は椅子に座ってニコニコ笑っていた。

「ケンタッキー買ってきたよ。好きでしょ、ケンタッキー」

 久しぶりに訪れた最高潮の幸福感が一気に破壊された。水を差されたってもんじゃない。

 俺はケンタッキーの箱をゴミ箱に放り込んだ。

「そういう問題じゃねーんだよ! これじゃまるで俺が好き嫌いしてるみたいじゃねーか! 俺はな、お前がなぁ! 手抜きしてる事にキレてるんだよ! なんで飯まともに作らねーんだよ! それにアイロンがけだってやらねー! パートにも出ず毎日ワイドショーばっか見てよー! なんなんだよお前は! いや自覚があればいいんだよ自覚があれば。でもお前は自分がニートだっていう自覚がねーんだよ! 何もしてない! 何もやらない! 全てが手抜き! なのに事あるごとに主婦は忙しいのよとかたまには休みがほしいのよとか言い出すのが死ぬほどうぜーんだよ!」

 我慢できず、俺は母親が座っている椅子を蹴飛ばした。

「死ねよー! クソババァ! 死ね! 死ね! 死ね! 気持ち悪いんだよ! さっさと死んじまえー! 失せろ! 地獄に落ちろ! 頭から道路に突っ込んで死んじまえ!」

 母親は泣いていた。

 

 翌日の朝。俺は教室でいつものように自分の席に座っていた。朝のホームルームが待ち遠しい。なるべく先生に早く来てほしかった。ホームルームが遅れれば遅れるほど、攻撃の時間が長くなる。

「なぁ西羽」

 クラスで一番目立っている木村が話しかけてきた。木村の横にはクラスで一番性格が悪い後藤が立っている。

「お前の顔見てるとさ、ムカつくんだよな」

 木村はそう言って、俺の頬を拳で殴りつけてきた。続いて後藤も同じ所を殴ってきた。俺は何も言えず、ただ黙っていた。

 クラスの皆が俺を見ていた。男子はクスクス笑い、女子は「やだー」とか「いたそーう」とか言いつつも顔に感情はない。

「あーなんかやってるー」

 遠山の声が聞こえた。ドアの方を向くと、楽しそうに笑っている遠山がいた。笑顔を崩さず教室の中に入ってくる。そして俺の前に立つと、人差し指で俺のおでこを突っつき、髪の毛を思い切り引っ張ってきた。

「あははっ。痛い? ねぇ痛い? 痛いよね? あはっ。おもしろーい」

「おいさつきー。オモチャ独り占めすんなよー」

 木村が俺の体を蹴飛ばした。床に崩れ落ちた。遠山に頭を踏みつけられた。

 後藤が手を叩いて笑う。

「もっとやっちまえよー! 殺せ殺せー!」

 クラスはざわついていた。そのざわめきに気づいた他のクラスの連中が廊下から様子を見ていた。野次馬たちの目は好奇心でギラついていた。心底楽しそうだった。

 立ち上がろうとしたが、後藤に背中を踏みつけられて俺は毛虫のように蠢くしかなかった。誰かが近づいてくる。視界にローファーが入り込んできた。背中の痛みが消えた。顔を上げると、目の前に佐伯可奈子が立っていた。

 俺はのろのろと立ち上がった。俺の前に佐伯が立ちはだかり、遠山、木村、後藤の三人を睨みつけている。

 やめてくれと叫びたかった。そういえば中ニの頃、佐伯にかばってもらってる男を見た事がある。あれは惨めな光景だった。見ていて辛かった。それにあの男は父親を殺して逮捕された。あんな奴と同じシチュエーションを味わいたくない。

 佐伯が遠山のむなぐらを掴んだ。

「紗月」

「なに?」

「目覚ませ」

「は?」

 佐伯は遠山の腹に右ストレートをぶちこんだ。野次馬たちは歓喜の声をあげた。俺の全てが終わった瞬間だった。

 遠山がよろめく。すかさず佐伯の膝が遠山の顎に直撃。間髪入れず顔面に拳を叩き込み、髪の毛を掴んで顔面を机に叩きつけた。鮮やかにノックダウン。

 木村と後藤が佐伯に襲いかかろうとしたが、佐伯が木村の顔に唾を吐き、後藤の鼻に頭突きを食らわせた。ひるんだ木村と後藤に向かって、佐伯は椅子を幾つもぶん投げた。二人はあっという間に床に倒れ、沈黙した。しかし佐伯は暴走をやめない。既にKOされている遠山を床に押し倒し、めちゃくちゃに顔面を殴った。

 やっと先生がやってきた。佐伯達は教室の外に連れて行かれた。教室の中央に立ち尽くした俺はクラス全員の視線を浴びていた。誰かがボソリと呟いた。

「女の子に助けてもらってやんの。だっせぇ」

 また誰かが言った。

「しかも見てるだけ。なさけねーな」

 俺は泣いた。大声で、泣き叫んだ。もうどうでもよかった。

 

 家に帰り、まっすぐ自分の部屋に入った。そして呆然とした。テーブルの上にゲームのコントローラーの箱が置いてあった。

 なんだこれは。俺は急いでリビングへ行った。母親はソファーに座ってワイドショーを見ていた。

「あのコントローラー、なに」

「この前ゲームのコントローラー壊れたって言ってたでしょ。だからね、買ってきてあげたんだよ」

 全身がカッと熱くなった。

「ふざけんじゃねーよクソ野郎!」

 思いつく限りに暴れた。テーブルをひっくり返し、ソファーをなぎ倒し、テレビを壁に放り投げ、台所の食器棚の扉を開け、目に入った食器を次々に床に投げつけた。壁に飾ってある額縁を自分の頭に叩きつけ、炊飯器を叩きつけて破壊し、ポットを両手で持って窓をかち割り、パソコンの画面に拳を叩き込み、和室に飛び込んでばあちゃんが入っている仏壇の扉を蹴飛ばして穴を開け、玄関に行ってタンクに入っている石油をまき散らし、冷蔵庫に駆け込んで扉を開き中に入っている物をゴミ箱に突っ込みゴミ箱を蹴り飛ばし、階段を駆け上がって自分の部屋に行きパソコンを窓から投げ、ノートパソコンを踏み潰し、小学校の時に遠山にもらった未使用の鉛筆を半分に割り、壁に頭を何度も叩きつけ、ずっと集めてた野球カードを破り、ボールペンで腕を引っかき、拳で何度も頬を殴り、こめかみを殴り、何度も殴って、そこで母親に止められた。俺はベッドの中に入っていつまでも泣き続けた。

 

 翌日の朝。起きてリビングに行くと、母親が天井からぶら下がっていた。見た瞬間死んでいると分かった。色々な液体が床に染み渡っていた。臭かった。俺は自分の部屋に戻り時間割を確認して教科書とノートをカバンに入れて学校へ行った。

 

 校門に佐伯可奈子が立っていた。俺に気づくと彼女はこちらに歩み寄ってきた。

「ごめん。やりすぎた」

「ん」

「アンタの事考えてなかった」

「ん」

「紗月に我慢出来なかった」

 どうしていいか分からなかった。出来ることなら、ありがとうと言いたかった。佐伯には感謝してる。でも、皆が、俺に感謝をさせてくれないんだ。

 

 教室に行っても遠山は居なかった。無性に腹が立ったから帰った。そして遠山の家に行った。

 ドアは開いていたから勝手に中に入った。二階に上がり遠山の部屋のドアを開けた。遠山はベッドで漫画を読んでいた。

「お邪魔します」

「……何してんの?」

「話がある」

 遠山は起き上がって俺をじっと見つめた。

「なに?」

「付き合ってくれ」

「無理」

「どうして」

「いじめられっ子と付き合うなんて、ありえない」

「そういうもんか」

「漫画では自分を好きな女の子が助けてくれるけどね」

「現実はそうじゃない」

「アンタ、わざわざいじめられてる奴と付き合いたいと思う? 惨めにリンチされてる奴の事好きになれる?」

「俺も一度でいいからいじめる立場になりたかった」

 そして皆と一緒に楽しみを分かち合いたかった。一体感を共有したかった。

「小学生の頃までは、アンタの事嫌いじゃなかったよ。もちろん好きでもないけど」

「俺が嫌われたのは俺のせいか」

「そういう事。いじめられっ子は嫌い。キモいから」

「遠山」

「ん」

「母親が死んだ」

「あら」

「母親が死んだのも俺のせいか」

「いや、知らないけど」

「俺のせいだろう。遠山、明日は学校に来るのか」

「多分」

「また皆と楽しく生きてくのか」

「あの三人が邪魔だけどね」

「あいつらは俺を助けてくれた」

「でも可奈子、先生にめっちゃ怒られてたよ」

「じゃあ佐伯が怒られたのも俺のせいか」

「うん」

「どうして俺はいじめられるようになったんだ?」

「なんか弱そうだし、おどおどしてるし、ブサイクだから」

 体が痙攣を起こしそうだった。

「俺がいじめられっ子になったのは俺のせい。母親が死んだのも俺のせい。遠山に嫌われたのも俺のせい。佐伯が怒られたのも俺のせい。全部俺のせい。遠山は何も悪くない。俺をいじめた奴らも悪くない」

「うん」

「俺をいじめてきた奴らも遠山も、この先楽しく生きていく。大人になって丸くなって、何事も無かったかのように学校で勉強して友達と思いで作って、立派に就職して、それなりに恋をして結婚して子どもを作って、良い両親になろうと努力する」

「全員がそういう人生を送る訳じゃないとは思うけど。大多数の人間はそうでしょうね」

「俺は?」

「え?」

「俺はどうすればいい?」

「知らねぇよ」

「遠山」

「あ?」

「そういうもんか」

「そうだよ」

「分かった。もういい」

 

 俺は線路に身を投げた。電車が近づいてくる。皆、迷惑かけっぱなしでごめんなさい。 


インターミッション レイプおばさん 佐伯 可奈子

 藤田さんのアパートに遊びに行った。喘ぎ声が聞こえた。音を立てないように玄関で靴を脱ぎ、リビングのドアを少しだけ開けて、隙間から中を覗いてみた。

 中学生くらいの男女が素っ裸でエッチしていた。女は泣き叫んでいた。男は泣きながら女の上に覆いかぶさって腰を動かしていた。藤田さんはドアに背を向けて座り、包丁を持っていた。

 藤田さんが言った。

「紗月という女の子が居てね」

 私は声が出そうになるのを必死に堪えた。

「小学生の頃からうちのコンビニの常連でね、凄く可愛い子だった。今は一体、どこで何してるんだろうかねぇ。もうコンビニにも、遊びに来てくれないし」

 藤田さんはけらけらと笑った。

「なぁ。五十五歳で処女って、どう思う?」

 二人は何も答えなかった。藤田さんが続ける。

「私がどういう人生を送ってきたのか、分かるだろう?」

 頭がイカれてんのか? 男は腰を動かしながら必死に何か考えている様子だったけど、結局口から漏れるのは喘ぎ声だけだった。藤田さんはまた笑った。

「人それぞれ自分の人生に対して思う所は色々あるだろうけどね、難しい言葉を使ったり、いちいち哲学的な解釈を自分に与える必要はない。答えは簡単よ。面白くない人生を送ってきたのさ」

 男が腰の動きを止めると藤田さんは怒鳴った。「動け! 動いて種付けしろ!」

 そしてまた淡々と語り始める。

「私はね、嫌なんだ。若い子達が次々に処女捨てて童貞捨てていくのが。だって惨めでしょ。五十五歳の人生のベテランがさ、ガキに負けてるみたいでさ。で、思うのよ。私の知らない所で皆がどんどん大人になって、人生の楽しみを知っていくくらいなら」

 藤田さんが指で包丁を撫でる。

「私が知っている子同士で、私が見ている目の前で、恵まれない初体験をしてほしいなぁってね。それなら少しは、納得できる」

 女の子がドアに視線を向け、首を振った。私は逃げた。

 

 藤田さんは私がよく行くコンビニの店長だった。背は小さく髪は薄くて短く、客に対しての愛想は良いが、若い店員に対しての態度は高圧的でいつも怒っていた。

 レジの打ち間違えをした店員をなじる、お釣りを返し間違えた店員にキレる、何かトラブルが起きた時、すぐ高校生の店員のせいにして口論になる。お菓子をごっそり盗まれた事が発覚してまた罵倒する。何かあった時藤田さんくらいに怒れる人じゃないと、店長は務まらないし店はバイトの遊び場になってしまうだろうとは思うけど、何故そんなに毎日イライラしていて、すぐキレるのか疑問だった。

 藤田さんは私に良くしてくれていた。若い人が嫌いという事ではないらしい。いつもサンドイッチやおにぎりを買うと、「たまにはまともなご飯を食べなさい」と怒られた。

 

 ある日の事。学校からの帰り道に雨が降った。急いで帰っていた。藤田さんとすれ違った。あらあらそんなに濡れて。私の家に来る? 本当は家に帰りたくなかった私は藤田さんのアパートに行った。

 そう家に帰りたくない。それだけの理由で、良く知らない人の家に行ったのだ。お菓子なんてもらわなくても、それなりの理由さえあれば、人は他人に付いていく。お菓子に誘われて知らない人に付いていく子どもの方が、まだ平和的だ。

 

 藤田さんの部屋は質素だった。

 六畳のリビング。四畳の寝室。玄関の側に小さな台所、お風呂、トイレ。窓は建て付けが悪くてなかなか開かなかった。

 藤田さんは窓を開けようとして悪戦苦闘していた。私が代わりに開けてあげた。藤田さんは笑いながら言った。

「これでドアも壊れたら、閉じ込められちゃうねぇ」

 

 家具は最小限しかなかった。小さな液晶テレビが床に置いてあるけど、DVDプレイヤーどころかビデオデッキすらなかった。娯楽といえる物はほとんど無かった。せいぜい週刊誌が何冊かテーブルに置いてあるだけだ。

 私は悲しくなった。藤田さんはパートが終わると、スーパーで一人分の食料を買い、この誰もいない質素なアパートに帰ってくる。そして小さな台所でご飯を作り、やっぱり小さなテーブルに皿を並べ、座り、テレビでも見ながらもそもそとご飯を食べる。その後は風呂に入り、テレビを見て、寝る。

 寂しいだろうなって思った。それに五十代と思われる藤田さんが一人暮らしをしている事も哀愁漂っていた。処女らしいからもちろん未婚だろう。もしかしたら付き合った事すら無いのかもしれない。ていうか一緒に暮らしてくれる親戚は居ないのか?

 藤田さんの手作り料理はあんまり美味しくなかった。魚とか煮物とか、なんか湿ったらしくて迫力に欠けるものばかりだし、味付けも薄い。食った気がしない。量も少なかった。

 この前夜中にコンビニに行った時、若い二人のアルバイトが藤田さんの悪口を言っていた。すぐキレる。しょうもない事でいちいち店に電話してくる。なんでも人のせいにする。意味不明な事で騒ぎ、やっぱりキレる。更年期のヒステリークソババァ。そんな藤田さんは一人で寂しくアパートに暮らし、ジメジメした飯を食っている。

 私が料理を食べ終えると、ずっとそわそわしていた藤田さんは突然古い電話機の受話器を取り、どこかに電話をかけた。ちなみに藤田さんは携帯電話を持っていない。

 どうして携帯電話を持たないのかと聞いた時、藤田さんはシンプルな理由を教えてくれた。

「人間は食べないと死ぬから食費は必須だし、家賃も光熱費も払わなきゃいけない。それにこんな老いぼれいつ病気でぶっ倒れるか分からないし、あと何年働けるかも分からない。だからなるべく無駄を削って節約しなきゃいけないの。で、無駄な出費といったら携帯電話とか、ビデオとかでしょ?」

 という事で、藤田さんは携帯電話を持っていない。でも電話の鬼だった。

「どこに電話かけてるの?」

「お店よ」

 どうしたんだろう。家から直接店に電話かけるなんて。よく分からないけど只事ではない。

「あ、佐藤君? アンタ来週からシフト変わるんだけど覚えてる?」

 さっき聞いとけ。

「あーあとほら、週刊誌ちゃんと抜いといてよ。この前マガジン入れようとしたらね、先週のマガジンまだ置いてあったわよ。ほんとしっかりしてよー。分かってる?」

 その後適当に説教したり店内の様子を聞いて、藤田さんは電話を切った。

 すげぇ。本当にしょうもない事で店に電話するんだ。

 でも私は納得していた。

 パートしかする事ないからお店の事が人一倍心配で、何より、そう、藤田さんは、寂しいんだ。

 

 翌日。佐伯家の晩御飯は米、味噌汁、魚、唐揚げだった。どっちかというと朝ごはんみたいだった。

 父親は去年から引き続き失職中。毎日ぼんやりパソコンの画面を眺めて一日を終えている。母親はパートに明け暮れている。まともな飯を作る余裕なんて無い。佐伯家は貯金と失業手当と母親のパート代でなんとかなっていた。でも高校に行くとなると学費はまだまだ必要になる。なんとかしないといけなかった。

 晩飯を食った後、父親はいそいそと自分の部屋に引き下がった。追いかけて部屋のドアを開ける。いつものように床に寝転がり、ノートパソコンをいじっていた。パソコンの横にはコンビニ弁当が置いてあった。

 ……そんな金、どこから出てきた?

 私は嫌な予感がして自分の部屋に駆け込んだ。そして唖然とした。

 コンポが、無い。

 お祖母ちゃんにコンポを買ってもらった時の事を思い出した。小学生の頃、私はお母さんにワガママを言っていた。コンポ欲しいコンポ欲しい。お母さんがそれをお祖母ちゃんに愚痴った。お祖母ちゃんが家にやってきた。可奈子、一緒にお出かけしよう。家電量販店に連れて行かれて、お祖母ちゃんが言った。

「どれがいい? お祖母ちゃん機械はよく分からなくてねぇ。好きなの選んでいいよ」

 私は顔が真っ赤になった。ワガママを受け入れてもらった事が死ぬほど恥ずかしかった。自分がクソガキにしか思えなかった。高いお金を払わせる事になってしまってなんだか惨めだった。でもここまで来たら後には引けず、中国のメーカーが作った一番安いコンポを選んだ。

 腸が煮えくり返った。父親の部屋に行き、叫んだ。

「お前コンポ売っただろ!? ぶっ殺されてーのか!?」

 父親は振り返り、笑った。

「これ、一度食ってみたかったんだ。六百八十円の焼き肉弁当。母ちゃんのクソまずい飯なんか、食えねぇよ」

 私は窓を開けた。ノートパソコンを奪い取った。窓から投げた。父親は怒り狂い、私の顔面を何度も殴った。負けじと顔面を引っ掻いたが、張り倒され腕を捕まれ、思い切り捻られた。骨が折れると思った瞬間、母親が助けに来てくれた。父親はリビングへ降りていった。お母さんは泣きながら言った。

「コンポ、お金溜まったら買ってあげるからね」

 そういう問題じゃない。私は言った。

「あいつ殺してバラバラにして、臓器売って、うまい飯食おう」

 

 もうあんな父親が居る家に居たくない。私はふらふらと家を出て、ふらふらと藤田さんのアパートに行った。誰かに家庭の愚痴を聞いてほしかった。友達ではない、大人に。

 そして、最悪の場面に遭遇した。

 自分が気に入った子ども達にエッチさせるおばちゃん。もしかしたら私も、包丁で脅されて知りもしない男子中学生とのエッチを強要されて処女を奪われていたかもしれない。いや、今はそんな事はどうでもいい。

 紗月。

 あいつが頭おかしくなったのは……。

 藤田さんのせいだ。絶対、そうに決まっている。



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